Love Live!Aftertalk!

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~もう一度”輝く物語”を始めるために~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第26話(2期13話)「私たちの輝き」

皆様こんにちは。ないしはこんばんは。

今回はラブライブ!サンシャイン!!2期最終話となる「私たちの輝き」に関して書かせて頂きます。

恐らくこれまでの物語の根幹を、自分なりに思考していないとさっぱり意味不明だったであろう13話。

今回も「俺なりの理解」で恐縮ですが、「ほー、まぁそんな見方もあるんやねー」くらいの軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。

また、13話まで毎回しょうもない妄想をお読み頂きありがとうございました。

また最後にお礼をさせて頂きますが、まずは皆様に感謝を。

それでは参りましょう。#13「私たちの輝き」です。

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■紙飛行機

千歌が冒頭飛ばし続け、そして落ち続ける紙飛行機

2期1話からOPに至るまで、2期においては大事なモチーフであり続けたもの。

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紙飛行機とは何を示すものなのか。

それが今回のポイントにもなっていきます。

 

■プレリュード

梨子が犬を飼いはじめるという衝撃的(?)なスタート。

その名はプレリュード

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プレリュードとは音楽用語で「前奏曲」。

それ以外の意味では「前兆」や「前触れ」を意味するものです。

自らが決めた道を「受け入れ」、それによって「成果」を得る。

ラブライブ」での優勝は、梨子にとってはその「成果」なのかもしれません。

梨子は自らが決めた道を「運命」として肯定するに至る。

犬は運命のようなもの、とは5話考察で書かせて頂いた通りですが、梨子が犬を飼いはじめるというのは、彼女自身が自らの運命を決定的に受け入れたことの証明なのかも?と考えました。

自らの「運命」における「前兆」。だからこそプレリュードという名前なのかなと、そんな風に感じました。

 

Aqoursの始まりの場所

千歌がつけた「スクールアイドル部」の表札。

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そして歌詞が消えずに残っていた白板。

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ここは新旧Aqoursにとっての思い出の場所。

そして今のAqoursの「始まりの場所」でもあります。

真っ白になった白板。

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消えてしまったものに思いをはせる2年生。

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反面それは「ずっと残り続けるのだ」と語る果南。

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以前書いた「HPT」に関する考察記事では、そのPVを「ずっと消えずに続いていくもの」を象徴したものだと考えました。

 また、11話記事でも考えた通りあのPVの舞台は閉校祭だったとも考えられます。

「HPT」の時点では、「別れの予感」に戸惑っていた果南も、今は「別れ」に対して前向きでいられる。

これは「HPT」と地続きの物語性を感じさせるところですね。

 

■彩られる校舎

時期は分からずとも、いずれ取り壊される校舎。

ならばと、鞠莉の意向によって学校の生徒によって「思い出」が刻み付けられることに。

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それぞれにとって大事な「学校の思い出」が刻まれる度に、どうしても「別れ」は切迫してくる。

耐え切れなくなるルビィ。

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そんなルビィに「泣かないと約束した」と告げる花丸。

「浦の星の最後は笑顔の思い出にする」

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そんな千歌の「我慢」と「宣言」が、ちょっとした課題を千歌自身に与えていきます。

 

■卒業証書

鞠莉から果南に手渡される卒業証書。

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本来であれば、学校への復学もうやむやにして、家業に専念しようと思っていたかもしれない果南。

そんな彼女が学校に戻ってきたのは、鞠莉が学校へ復帰した狙いを見極めるためとも思われます。

そういう意味では鞠莉のAqours再結成への奔走が無ければ、この卒業証書を果南が受け取ることも無かったのかもしれない。

こんなシーンにも、彼女たちの物語が全て「意味のあるもの」となって、反映されていることが描写されているように思えます。

ダイヤによる「閉校宣言」。それと共にたなびく「優勝旗」。

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「私達はやったんだ!」

ラブライブ!で優勝したんだ!!!」

輝きを「刻み付ける」。その目標に遂にたどり着いたAqours

ただし「たどり着いた」が故に「見失ってしまうもの」もまたあるわけで。

 

青空Jumping heart

ラブライブ!」2期では「アンコール楽曲」として12話にて使用された1期OP。

「サンシャイン!!」2期では13話OPとして使用される形になりました。

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なぜこのタイミングでの「青空Jumping heart」なのかというと、恐らく今回使われている歌詞に今回の物語が反映されているからなのかもしれません。

だって始めたいことが 今見つかったばかり

ゴールはどこ?どこだろ?? 分からない! 

分からない でもね 楽しそうだよ

 台詞に被る形でことさらこのシーンでは強調されていないこの歌詞ですが、実のところこここそが、今回のメインテーマなのではとも思えます。

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達成したラブライブ優勝。

けれどもAqoursは解散し、メンバーもバラバラになる。

学校も統廃合となる。

分かってはいたことですが、こうなると今や「学校の名前を歴史に刻む」という業績も、少しだけ「空しいもの」に感じられます。

「ゴール」にたどり着いたはずなのに、そこには不思議と「達成感」のようなものはない。

じゃあなんのために「スクールアイドル」をやっていたのか。

そこにこそ、物語の重要な要素が秘められているように思えるのです。

閉校式が終わっても、帰ろうとしない生徒。

そんな生徒を見つめながら、それでも「終わりにしなければ」と語るAqours

そんな中一人「終わり」を受け入れがたい表情でいる善子。

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この時善子がどんな気持ちでいるのかは語られませんが、これまでの物語を追いかけてきた人であれば、なんとなく意図は分かるものです。

この辺りは後の1年生のやりとりにて補完されていきます。

 

■輝き

黒板を彩る「Aqoursのキラキラを表現したアート」。

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つじ写真館さんのスタッフ様が作成されたものとのことで、ここでも「ラブライブ!サンシャイン!!」とそれを「応援してきた人」とのつながりがメタ的に再現されているのを嬉しく感じます。

よしみたちが感じたAqoursの輝き。

それが表現されたアートを見ながら、千歌もまた「みんながキラキラしていた」と語ります。

千歌の目に映る情景。

そこに舞い落ちる青い羽根。

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2期7話「残された時間」から意図的に登場し続けた青い羽根。

それは回を増すごとにその色味を濃くしていきました。

何故「青い羽根」だったのか。それは今回の物語の最後の最後に明らかになっていきます。

「輝き」を黒板に残したまま、閉じられる教室。

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ここからは「閉じる」ことで「輝きを閉じ込める」というモチーフが連続して登場していきます。

 

■図書室と1年生ズ

図書委員の花丸。そこで初めて花丸と出会ったルビィ。

引っ込み思案の二人にとっては秘密基地でもあった場所。

それが図書室でした。

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大量にあった本たちは、梱包され、世界中の図書館へと羽ばたいていく。

だから本たちが消えてしまうわけではない。

しかし、がらんどうになってしまった図書室はもはや図書室ではない。

寂しさを紛らわそうとするも隠しきれない花丸とルビィ。

その心情に寄り添う善子。

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二人を励ますため。そして「過去」に留まるのではなく「未来」へと進むために、図書館で「堕天」します。

善子もといヨハネに励まされ、前に進もうとする二人。

お別れの「ドア閉め」。

2人ではなく3人で締めることに拘る花丸。

「一緒に閉めるずら...」

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「嫌よ!」

善子が頑なにそれを拒否するのは、2期5話記事でも触れた通り、善子は自らの行動すべてを「未来」へと「意味のあるもの」へ変えていく使命があるから。

そうでなければ「自らを肯定できなくなってしまうから」なのかもしれません。

がらんどうとなり、あとは壊されるばかりの学校と図書館。

そのドアを閉めるという行為に、「前向きな意図」を見出せない

だから頑なにその作業には参加しない。

善子の拘りを除いたとしても、それは多分に「ノスタルジック」な自己満足なのかもしれません。

けれども、花丸はこの行為への参加をいつになく強い口調で促す。

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「閉めるずら...!!!」

それは理屈がどうこうではなく、完全に花丸個人のわがままです。

自分を救い、守ってきてくれた場所。

それは花丸だけでなく、ルビィそして善子にも通ずるもの。

だからこそ、きちんとお別れする。

その為の儀式。

普段は善子の在り方を認め、愛する花丸。

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この儀式がいかに善子の在り方と相いれないものなのかも十分に理解しています

それでもこの日、この瞬間だけはじぶんのわがままに付き合ってほしい

それは「堕天使」としてではなく、「浦の星女学院」の友人として。

花丸はそんな自分の「わがまま」に自覚的であるから、そして善子の在り方を誰よりも理解しているから、この行為に関して

「ごめんね」

と自らの非を認めるのかもしれません。

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前回12話でそれぞれの補完関係をもって描かれた3人の強いつながり。

このシーンでもそんな3人の強いつながりが描かれ、心を打たれました。

 

■音楽室と曜と梨子

ピアノを弾く梨子。

そこにいるのは意外なことに曜。

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よくよく考えれば、この二人が二人だけで会話しているシーンというのはとてもレアな気もします。

曜にとって、千歌と二人で始めたスクールアイドル。

しかし二人だけでは作れないものを補完する形で現れた梨子。

梨子の存在なくしてスクールアイドルの成立はあり得ませんでした。

しかし、千歌と「同じ視点を共有したい」という一心でスクールアイドルを始めた曜にとって、なにもせずとも千歌と視点を共有出来てしまう梨子は、軽い嫉妬の対象となりました。

その1つの爆発が1期11話で起きた物語の諸々だったのかもしれませんが、結果として梨子を介して曜のもやもやは「一人相撲」であった事が明らかとなり、曜は一旦の救いを得るに至りました。

とはいえ、それ以降も明確には目に見えないものの、どことなく距離感のあった二人。

友達の友達が「親友」とは限らないように、曜と梨子の「一線のある友人関係」というのは、ちょっぴりリアルです。

お互いが「大人」な故に敢えてその境界線を崩さずにいた二人。

しかしここで曜はその境界線をあえて壊しに行く。

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「私ね、ずっと言っておきたいことがあったんだ」

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「私ね 梨子ちゃんのことが...だ~~~~~~~い....」

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「好き!」

互いにあった見えない壁を壊して、ここから改めて「友人関係」をスタートさせるための儀式。
「友達を作る名人」のはずの曜がなかなか言い出せなかった言葉だからこそ、そこには重みがあるようにも思えます。

千歌とは関係がなく、これから始まる二人の友人関係。

終わりだけでなく、「始まり」もしっかりと描かれていきます。

 

■理事長室と3年生ズ

理事長室を後にする前に涙にくれる鞠莉。

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2期ではどうにも泣き虫だった鞠莉。

その姿には「感動すると涙が出る動物」とまで称された「中の人」がクロスオーバーしている感じも受けます(笑)

果南とダイヤから、鞠莉へのサプライズ。

それは生徒代表からの卒業証書兼感謝状でした。

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本来理事長である彼女には与えられないもの。

それを果南とダイヤが主導して作り上げる。

なんとも粋なサプライズです。

このシーンで、鞠莉がその賞状を受け取るのを一旦躊躇するのは、この証書自体が完全なる「終わり」のモチーフだからかもしれません。

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受け取った瞬間に、「終わり」を認めざるを得なくなる。

だからこそ、受け取るのが怖い。

それを察知したからこそ、果南は「大丈夫」「空は繋がっている」と前回鞠莉からかけられた言葉で返す。

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ここもまた粋な演出でした。

学校を終わらせる理事長になってしまった自分に、全校生徒から与えられる感謝状。

それが鞠莉にとってどれだけ救いとなったか。

学校を救うために、日本へと舞い戻った鞠莉。

結果としてその思いは実りませんでしたが、その行動がしっかりと評価され、今へと繋がっていく。

ここにも今回の物語のテーマが反映されているように思えます。

 

■閉校と「涙」

いよいよ最後の「閉める場所」。

それは校門。

この校門は閉まった瞬間に、二度と空くことはない。

すなわち本当に「終わり」のモチーフでもあります。

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どうしても辛いし、寂しい。

自分達がほんの数年とはいえ、毎日のように通った場所なのだから当然です。

それでも千歌は「笑顔の思い出にする」という宣言に引きずられ「泣けない」。

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逆に千歌の言葉が引き金となり、涙する生徒たち。

閉まることを拒否するように、千歌一人だけの力では閉じることができない校門。

曜と梨子の力を借りてようやく閉められる時、太陽もまた沈んでいく。

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こうして校舎には「大量の思い出」が「閉じ込め」られ、それらは「一つの輝き」となってこの場所に留まっていくことになりました。

普通であればこのままエピローグに突入していくはずの物語。

けれども、それで「本当に良いのか??」と問いかけるのが「ラブライブ!サンシャイン!!」なのです。


■光る風

海を見つめ黄昏る千歌。

髪飾りを何もしていない真っ新な状態の千歌。その姿からも今の彼女の状態が分かるようになっています。

砂浜に突き刺された優勝旗。

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「皆から見えるように」

それは散り散りになっていった仲間からも見えるようにという意図。

反面旗の、そのぞんざいな扱いからは、千歌にとって既に「ラブライブ!優勝」もこの時点では意味の無いものへ変化しているようにも感じ取れます。

思えば1期から「ラブライブ!優勝」を目指して、むしろそれだけを目標に突き進んできた千歌。

優勝のその先に、大きな「輝き」が待っている。

そう信じてきたからこそ頑張ってきた。

けれども、今千歌にはその「輝き」の正体が見いだせない

「優勝」して、学校の名前を永遠に残すこと。

そして会場で見た無数の「輝き」。

それこそが千歌が探し求めた「輝き」なのか。

そのことに千歌自身が疑問を感じ続けています。

「私見つけたんだよね。私達の輝き。あそこにあったんだよね。」

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千歌自身が半信半疑だからこそ、問われるもの。

そんな千歌の問いに返されるのは

「本当にそう思ってる?」

「相変わらずバカ千歌だね!」

「何度でも飛ばせばいいのよ、千歌ちゃん」

という家族からの叱咤激励。

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千歌が何度となく飛ばそうと試みる紙飛行機

しかし、それは何度繰り返そうとも、力なく落ちてしまいます。

紙飛行機がなにを象徴しているのか。

2期1話の当ブログでは「人間が最も原始的に生み出した空を飛ぶ造形物」である紙飛行機は、神が作り出した「予め空を飛べるもの=鳥や虫」に「挑むもの」の象徴であり、故に「紙飛行機」とは「神=運命へと挑む人間」を象徴するものなのでは?と考えました。

そのあり方はまさしく千歌と同じように思えます。

降りかかる「運命」を変えたくて。

予め用意された「今」を変えたくて。

起きてしまう「偶然」を、ただの「運命」として漠然と受け止めるのが「嫌」で。

だからこそ足掻いて足掻いて「運命」へと「挑戦」し続けた千歌。

一度上手くいったかと思えば、また振出に戻ったり。

進めたと思ったら、逆風に押し返されたり。

それでもあきらめることなく、何度も立ち上がり、挑戦を続けてきました。

それは紙飛行機を何度も飛ばそうと試みる行為にも似ています。

紙飛行機はどれだけ長く飛んだとしても、やがて落ちてしまう。

それは自力で飛行する術を持たないからです。

ただし、そんな紙飛行機でも「飛ばそうとする意志」と「追い風」さえあれば、何度でも蘇り、この空を飛ぶことが出来る

以前当ブログでは、千歌たちがなり得るのは「光」ではなく「光る風」なのでは?と考えました。

誰も追いつくことができない「光」ではなくて、絶えずこの世界に吹き続けることで、いつでもだれかの心に「希望」を生み出す「風」。

それこそが「光る風」であり、千歌たちAqoursが「作れるもの」なのではと思ったからです。

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だとすれば今紙飛行機が飛ばないのは、千歌の心が「光る風」を生み出せなくなっているからなのかもしれません。

「本気でぶつかって感じた気持ちの先に答えはあったはずだよ」

「あきらめなかった千歌には、きっと何かが待ってるよ」

母から告げられる言葉に思い立ち、再度飛ばす紙飛行機。

千歌の気持ちが前向きになったのと同時に、風へと乗る紙飛行機。

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ハっとする千歌。

しかし風を失い勢いをも失いかけた紙飛行機。

そんな紙飛行機に与えられる千歌の「激励」。

「行けっ!!!」

「飛べーーーーー!!!!」

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そんな、千歌の叫びが「光る風」を吹き起こす

寂しげに地面に突き刺さっていた優勝旗を舞い上げ、紙飛行機を天高く運んでいく「光る風」。

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ラブライブ優勝」をきっかけに見失ってしまったもの。

それは千歌の本質。

「今」に満足するのではなく、絶えず「未来」を追い求めること。

「光る風」を起こして、絶えず「紙飛行機を飛ばし続けること」なのではないでしょうか。

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どこまでも飛んでいく紙飛行機。

その行先は浦の星女学院です。

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このシーンで描かれるものがどこまで現実なのか。

それはなんとも言えません。

もしかしたら千歌の内面で巻き起こる葛藤とその中で得た「答え」が、メタ的に表現されたシーンなのかもしれません。

正解は私にももちろん分からないわけですが、どちらでも良い気もします。

映像作品でしか表現し得ない「ダイナミズム」。

そこで描かれるものが伝える事だけが「真実」である。

だからこそ、我々はそんな細かいことを抜きに、作品を見て感動できる。

「映像作品としてのダイナミズムを信じる」というのは、「ラブライブ!」が無印時代から「信じてきた手法」です。

だからこそ、この先のシーンは「嘘か真実か」ということは抜きに、楽しんだ人の勝ち...という気もしています。

 

■開かれる校舎

千歌がたどり着いた校舎。

何故か開いている校門。

あの日涙ながらに閉じたはずの場所が「開かれている」。

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校舎を巡り、「閉じ込められてしまったもの」を「開いていく」千歌。

開かれた場所場所で聞こえてくる「声」。

それらは「消える事の無い思い出」を象徴するのと同時に、この場所で閉じ込められていた「過去」が、「未来」へと開かれていくことの象徴なのかもしれません。

千歌たちがこの場所に「閉じ込めよう」としたもの。

それは「過去」を「輝き」としてこの場所に「閉じ込めよう」とする行為でもありました。

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けれども、「過去」を「現在」や「未来」から切り離すことは出来ない。

全ての「過去」にも意味があり、それらは「現在」とも「未来」とも繋がっていく。

それはAqoursが2期において体験した物語です。

実らなかった旧Aqoursの願いは、実らなかったからこそ今に繋がって大輪を咲かせた。

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ピアノから逃げた梨子が、今もう一度ピアノと向き合えているのは、一度「逃げた」からこそ。

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そして「普通」であることを嫌だと思った千歌の、その「過去」があるからこそ、辿り着けた「現在」がある。

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「過去」は「過去」でしかないけれど、それらは全て切り離されたものではなく、「今」や「未来」へと繋がっていく。

だからこそ「過去」を「今」と切り離して「思い出」として大切にしまっておくのではなく、「今」と「未来」へとつなげるために、常に「開いておく」必要がある。

そうでなければ「過去」には「過去」としての価値がなくなる。

「サンシャイン!!」が2期の物語を通して伝えたメッセージが、ここには結実しているように私には感じられました。

千歌が「泣かない」と決めたのは、「浦の星の思い出」を「笑顔の思い出」として閉じ込めるため。

でも、もう「閉じ込める」必要はないのです。

悲しい気持ちになったのならば、それは「悲しい気持ち」として感じて、「今」へとつなげていけば良い。辛い気持ちも同じ。

それが自然と千歌には理解できたから、彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちるのかもしれません。

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浦の星の屋上へとたどり着いていた紙飛行機。

なぜ浦の星の屋上なのかといえば、それが千歌の放った紙飛行機の「一旦の停止場所」だからなのかもしれません。

あの日願ったものは「浦の星の輝きを永遠に刻むこと」。

その願いを込めて放たれた紙飛行機は、願いを叶えた。

けれど、それで千歌の人生が終わるわけではない。今日ここで拾った紙飛行機を、更なる未来へと向けて投げて行くしかない

それが「人間の生きる在り方」であり、それを「投げ続けること」が、千歌が「輝く方法」なのかもしれません。

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「願う」こと。その「願い」を込めて、「紙飛行機」を投げ続けること。

そして目的の地まで「紙飛行機」を飛ばすために、絶えず「光る風」を起こし続けること。

これはまさしく、サルトルの語った「投企」の概念と結びつきます。

「世界は醜く、不正で、希望が無いようにみえる」 といったことが、こうした世界で死のうとしている老人の静かな絶望だ。 だがまさしく、私はこれに抵抗し、 自分では分かっているのだが、希望の中で死んでいく。 ただ、この希望。これを作り出さねばならない。

ラブライブ!サンシャイン!!深読みコーナー「Dig」① ~ラブライブ!サンシャイン!!と実存主義の冒険~ - Love Live!Aftertalk!

「希望=光る風」を作り続け、自らを「未来」へと「投企」し続ける。そうすることでひとは人生を「輝かせること」が出来る。

やはり、この物語には「実存主義的」な思想が息づいているように思えるのです。 

 「過去」を閉じ込めきれなかった千歌の耳に聞こえてくるのは「普通怪獣」達の雄叫び。

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あの日「今」を変えたくて、それでも変えられなくて、でもそれが嫌で、抵抗したくて。そんな千歌が世界に向けて放った「必死の雄叫び」。

それが放たれた場所も、この校舎でした。

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あの日には無意味だったかもしれないものが、今こうして結実している。

あの日「嫌だ!」と叫んだ思いが、「ラブライブ!優勝」という一つの「結実」へと続いていった。

なんてことない、意味のない「過去」でも、明確に未来へと繋がっていく。

それは千歌の「過去」をも「認める」描写なのではないでしょうか。

体育館に導かれる千歌。

繰り返される第1話のモノローグ。

「普通の私の日常に、舞い降りた奇跡」

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「過去」の言葉が「今」へと繋がっていく。

そして2期1話のシーンへと繋がってもいく。

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「過去」が「意味のあるもの」として「今」へ、そして「未来」へと繋がっていく。

舞台上に待つAqoursのメンバー。

そこには既に内浦を離れたはずの、果南やダイヤ、鞠莉の姿もあります。

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とても現実的とは思えないシーンです。

曜の「夢じゃないよ」が強調するその意図...。

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このシーンが現実なのか、夢なのか。はたまた幻なのか、それは私には分かりません。

けれども校舎の中で開かれていく「トビラ」と、皆からかけられる「一緒に」という言葉からたどり着く文脈は一つだけです。

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いつものセカイが 新しい扉を

(もっと)隠してるの

(Let's go!)ぜんぶ開けたいよ ほらいっしょにね!

それは「青空Jumping heart」の歌詞。

そして歌詞に関連付けるのであれば、ここから始まるのは「My story」です。

ラブライブで優勝することで止まってしまった千歌のストーリーは、ようやくここから「もう一度」スタートしていくのです。

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「ゴールはどこ」だか分からないけれども、「楽しそうな未来」へと向かっていく千歌のストーリー。

それは「過去」を認め、「今」を認めたことでようやく始められるものなのかもしれません。

■WONDERFUL STORIESと青い鳥

体育館から始まり、あらゆる「過去の場面」を繋げて歌われていくWONDERFUL STORIES。

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そこには過去の挫折も成功も、Aqoursの全てが描かれていきます。

起きたこと「全てに意味がある」だけでなく、その全てが「WONDERFUL」即ち「素晴らしい」物語たちであったと捉える。

「過去」全てを「素晴らしいもの」として捉えていくことで、「未来」を描ける。

それが端的に歌詞へと反映され描かれていく。

これまでの物語をはっきりと総括させる素晴らしい楽曲です。

千歌が気付く、ずっと探していた「輝き」の正体。

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それは元から自分が持っていたもの。

「輝き」を追い求めて、過ごした時間。

足掻いて、足掻いて、負けて、泣いて、それでも足掻いて。見えない「輝き」を掴もうともがき苦しんだ、過ごした時間の全て。

それこそが「輝き」。

千歌の気づきに重ねられるように歌われる歌詞。

「青い鳥(探してた) 見つけたんだ(でも)
 カゴにはね(入れないで)自由に飛ばそう(Yeah)」

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「青い鳥」という寓話があります。

元々はメーテルリンクが大人向けの寓話として作った作品。

今広く知られているのは、その物語を童話として作り直したものです。

元はこんなお話です。

昔々、あるところに、チルチルとミチルという貧しい兄妹がおりました。
そんな兄弟の夢の中に、ある日ひとりの老婆が現れ、こう言います。
「実は、どんな願いでも叶えてくれる青い鳥が存在するのだよ。
それさえ見つければ、足の悪いお隣さんだってたちどころに治ってしまうんだよ。」
その言葉を受けて兄妹は、青い鳥を探す大冒険に出かけます。
しかし青い鳥はどこにも見つからず、ふたりは打ちひしがれて家に帰ってくるのです。
なんとそこでふたりが見たものは、昔から飼っていた、
どこにでもいるような茶色い鳥が、見る見るうちに青い鳥に変わっていく光景でした。
チルチルとミチルは、「青い鳥はここにいたんだ!」と喜びます。
タイミング良くやって来た足の悪いお隣さんに青い鳥を抱かせてみたら、
なんと本当に足が治ってしまったではありませんか。
ふたりはますます興奮して、この青い鳥には何を食べさせようかと鳥の取り合いを始めました。
すると……青い鳥はその隙をついて、空高く遠く遠く飛び去ってしまったのです。
チルチルは虚空に向けて呟きます。
「誰か、あの鳥を見つけて、僕たちのところへ返してください。
僕たちが幸せに暮らすためには、あの青い鳥が必要なのです。」

本当に求めている「幸福」はすぐ近くにある。

けれど人はそれにそう簡単には気づかない。

そして見つけた「幸福」を「永遠のもの」にしようとしてはいけない。

そうしようと願った瞬間に、「幸福」は自分たちの手元が逃げてしまう。

そんな「寓意」を伝える物語が「青い鳥」です。

この物語はそのまま千歌にも反映できます。

「輝き」を追い求めて旅をした千歌。

様々な試練の先にようやく「輝き」は自分の中にあることに気付きます。

「青い鳥」ではその「輝き」を自分達のもとに「留めよう」とする。

しかし千歌はその物語とは別の行動をとります。

チルチルが「永遠」にしようとしてしまったものを、千歌は自らの意思で解き放つ。

手に入れた「ラブライブ!優勝」や「学校の名前を永遠に刻む」という物事そのものに「輝き」を見出すのを止める

これらはこの先の未来へと繋がっていく「一瞬の輝き」に過ぎず、それを後生大事に守り続けるものではないと捉えなおす。

だからこそ、閉じられた校舎を開き、閉じ込めようとした「輝き」を解き放つ。

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その行動に「青い鳥を自由に飛ばそう」という歌詞がかかっているように思えるのです。

「青い鳥」の寓話でも、青い鳥は捕まえた場所から外に出すと、羽の青さを失ってしまいました。

Aqoursが「青い羽根」を目視するときも同じ。

「輝き」が現れた「瞬間」にしか、青い羽根は目視できず、それらは時が経てば消えて行ってしまうのです。

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芝生で歌い踊る時、彼女たちの背景に映る虹。

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それは過去の雨があって初めてかかるもの。

即ち「過去」を受け入れることによって見る事の叶う「奇跡」です。

「全てに意味がある」

これは前回12話でも描かれたもの。

Aqoursはそれを受け入れることによって「勝利」することが出来たわけですが、千歌はその先を描き切れていなかった。

だからこそ、今回千歌個人が自らの「過去」を受け入れ、「今」の価値を信じ、「輝く」ということの意味を知る必要があった。

Aqoursの物語はこれで一旦のお終いとなりますが、千歌の、そしてメンバーそれぞれの人生は続いていく。

「過去」を切り離すものではなく、「未来」へと繋がっていく「意味のあるもの」として描くために、今回の物語は必要不可欠なものだったように思えます。

 

■幕間(まくあい)

WONDERFUL STORIESの終わりと同時に閉じられる幕。

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この幕に「閉じられた世界」を感じた方も多かったかもしれません。

けれども僕はこの幕が「終幕」を意味するものとは思えません。

舞台には「幕間」というものがあります。

「場」が終焉し、その後の「場」に繋ぐために一旦幕が下りている状態を指す劇場用語です。

今回下りた幕は、その「幕間」の幕のように思えるのです。

何故かって?

だってまだカーテンコールが聞こえないからです。

素晴らしい舞台、物語に贈られる観客の拍手。

それに応えて出演者が姿を見せるカーテンコール。

主観こそあれ、「ラブライブ!サンシャイン!!」はそのカーテンコールに相応しい作品だったと思います。少なくとも僕はそう捉えます。

だとすればそれが無いのはおかしな話です。

となると、この幕は、次の「場」が展開されるまでの「幕間」に過ぎません。

幕が下りると同時に告げられた「完全新作劇場版」の告知。

これは正しく次の「場」の予告です。

次の「場」があるのであれば、ここではカーテンコールはかからない。

これは勝手な妄想ですが、次の劇場版では軽快な音楽と同時にこの幕が開くのではないかなと予想しています。

音楽はもちろん「One more sunshine story」です。


【試聴動画】「ラブライブ!サンシャイン!!」TVアニメ2期Blu-ray 第1巻特装限定版 封入特典・録り下ろしAqoursオリジナルソングCD①「One More Sunshine Story」

あの軽やかで豪奢なメロディーに乗せて、千歌がステップを踏み、新しい「サンシャイン!!」の物語をここから「もう一度」紡ぎ始める。

そんな素敵な瞬間が、もう既に僕の脳内では展開されています。

「確かめたい 未来は見えないからときめくね」

果たしてどのような物語が描かれるのか、全くの未知数ではありますが、それまではその物語が終えた後に起こすカーテンコールに備えて、この素晴らしい全26話を改めて見直していきたいと思っています。

 

酒井監督はじめ製作スタッフの皆様。

そしてもちろんキャストの皆様。

更に作品を支えて下さった沼津の皆様。

素晴らしい「輝きの物語」を本当にありがとうございました。

まずは「幕間」ではございますが、感謝の言葉にて本稿を締めさせていただきたいと思います。


■読者様へ

今回をもってサンシャインの物語考察記事は一旦「幕間」となります。

これまで毎週の拙い文章をお読みいただくだけでなく、言葉をかけてくださり、非常にありがたかったです。

ブログを始めた当初は反応もほとんどなく、壁に向かって話しかけているような気持ち(笑)。
もちろん、それでも「やりたいからやっていた」わけですけど。

今は様々な方から読んだ後に感想を頂いたり、存外なことにお褒めの言葉を頂いたり、
とても嬉しいことばかりあります。

これも全ては「ラブライブ!」そして「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品のもつ深さと素晴らしさのおかげです。

皆様に感謝をさせていただくと同時に、やはり作品にも感謝をさせていただきます。

ラブライブ!」ありがとう。

僕はあなたに日々生かされています。

さて、これからはまだまだ書きたいネタもあるので、それを不定期ではありますが、更新はしていきます。

恐らくTwitterの方には頻繁に出没すると思いますので、「こいつに一言物申す!!」という方はフォローしてやってくださいませ。。(@tamashiill)
(あんまりキツイお叱りはご勘弁を。。メンタル弱弱マンですゆえ)

それでは、長々とありがとうございました。

次は...物語総括??

それとも「二期予想記事応え合わせ篇??」

ま、なんにせよそれほどタイムラグはなく更新すると思いますので、何卒よしなにm(__)m

~すべてに「意味」があり、すべては「許されている」。~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第25話(2期12話)「光の海」

皆様こんにちは、そしてこんばんは。

いよいよ2期もクライマックス。

今回は2期12話「光の海」に関して書かせていただきたいと思います。

もはやアニメ本編を見て、そこで感じたことが全てだと思いますし、特にお話することも無いのですが、ここまで毎回続けてきてしまったので書かせてください、すみません(笑)。

また、細かい楽曲に関する考察とか、しいたけに関するあれこれは、2期終了後に別枠にて書かせて頂こうと思っておりますので、今回は割愛させて頂こうと思います。

こちらもすみませぬ。。

ということで前置きはそこそこに参りましょう。

#12「光の海」です。

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■東京と「成長」

ラブライブ決勝出場のため、3度目の東京へとやってきたAqours

前回は路線図にトラウマを喚起されたダイヤでしたが、今回は錯乱しません。

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「勝利祈願」のために訪れる神田明神

境内へ続く、長い男坂。そんな階段も前よりもずっと楽に上れます。

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果南が告げる「成長って気付かない間にするもの」という言葉。

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今回は1期7話や12話との比較描写を軸に、彼女達の「成長」がはっきりと描かれていき、そこがメインストーリーとなっていきます。

 

■お祈り
決勝を前に神田明神で願掛けをする。

これは明確に「ラブライブ!」2期12話「ラストライブ」を踏襲した流れです。

μ'sはあの日願い事を「口にしなかった」。けれども全員の「願い」は一致していると穂乃果が断言したように、「口にせずとも伝わる思いや願い」に、彼女達の「結束力」と「連帯」そのものを象徴させてみせました。

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反面Aqours願いを口にします

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青空Jumping Heart」の「伝えなきゃ 伝わらない」という歌詞と同じく、1期では「伝えなかった結果すれ違っていく」物語を続けたAqours

そしてその経験から2期では「想いを口にして」「自らの行動で叶えていくこと」。

すなわち「自分達の手で叶える必然」に重きをおいてきたAqours

このように「願いを口にして」「叶えていく」という部分にも、彼女達ならではのイデオロギーを感じました。

また、その「願い事」が「バラバラ」であることにも意味があるように感じましたが、この辺の要素は追って考えていきましょう。

 

■優勝祈願

浦の星の生徒たちによって書かれた無数の「Aqoursラブライブ優勝!」を祈願する絵馬。

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千歌たちには内緒で、何度も願掛けに訪れていた生徒たち。

その思いは自分達を後押ししてくれると同時に、少しだけプレッシャーにもなります。

また同時に示される無数のスクールアイドルたちの「優勝祈願絵馬」。

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神田明神は全てのスクールアイドルにとっての聖地。当然ここにはスクールアイドル全ての「夢」や「願い」が集約していきます。

「私達だけじゃない、みんな勝ちたくってここに集まっている」

「勝ちたい」という願い。それはAqoursだけではなく、全てのスクールアイドルも同じ。そして描かれていないだけで、それぞれにそれぞれの「ドラマ」がある。

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今まで「ラブライブ!」では意図的に外されてきた「他のスクールアイドル」という要素。そこにもしっかりと目を向けたところが「サンシャイン!!」の白眉たる所以だったと思うのですが、ここにもその視点がしっかりと生きています。

「勝ちたい」と願う事の「意味」。その願いの背景にある「重み」。

それを実感することで、次第にその「プレッシャー」をも感じるようになる千歌。

そんな千歌に向けて、今回の物語における「課題」を与える人物がやって来ます。

 

■誰の為に勝つのか。

それはもちろんSaint snowの二人。

いまや盟友となったAqoursを応援するために、わざわざ北海道から駆け付けてくれました。

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この境内はAqoursSaint snowにとっても「始まりの場所」です。

過去と同じ舞台設定・登場人物に「現在の視点」から会話をさせるだけで、人物・物語それぞれの「成長点」を端的に示すことが出来る。よく整理された構成だなと感じました。

最初に会った時には「なんて頼りない」と思ったAqoursが、今は「頼もしく」見える。最大のライバルから与えられる最大級の賛辞。Saint snowは「スクールアイドル」に関しては最高レベルの審美眼として機能する「他者の視線」。そんな彼女達から与えられる評価を通して、どうしてもAqoursに入れ込んでしまう我々も、改めてAqoursを「客観視」することが出来るようになっています。

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(理亞からルビィに告げられる「また一緒に歌おうね」で死にそうになりました。)

彼女達から与えられるのは「承認」だけではありません。彼女達が志半ばで終えた夢。Aqoursはその「担い手」にもなっている。だからこそSaint snowにとってもAqoursには「勝利」して欲しい。だからこそ「叱咤」も与えられる。

聖良から語られる「問い」。それは1期12話で千歌が聖良に訪ねたこと。

「勝ちたいですか?ラブライブ

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1期12話とは反対に聖良から与えられる「謎かけ」。

1期12話時点では「勝つ」ということに関して問答を繰り広げた両者。しかし2組はその後平等に「敗れ」、改めて「勝利」するだけでは得られない「輝き」を知り、その正体を追い求めていきました。

その道すがらSaint snowがまさかの予選敗退。活動終了を余儀なくされる中でルビィと理亞が一念発起。「敗北」イコール「終了」ではなく、その後からでも掴める「輝き」があることを表現。そのおかげで聖良は「勝利すること」だけでなく「敗北すること」にも価値があることを知ることが出来たわけです。

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 1期12話時点では「勝利する事」にしか「価値が無い」と断言していた聖良。

そしてSaint snowに「勝ちたいですか?」と聞くほどに「勝利」への意識が希薄だった千歌。

そんな両者の立ち位置が、「ラブライブ決勝」を前に「入れ替わっている」。

千歌が境内で感じた「プレッシャー」。その結果彼女の中に芽生えている「勝たなければ意味がない」という思考。千歌の様子から、それを敏感に感じ取った聖良。彼女はそれが果たして「正しいものなのか」を千歌へと問い直すべく、あの時自分が受けた「問い」を千歌へと返すのかもしれません。

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「勝利したい」という願いは当たり前として、「勝利する」だけでは得られない「輝き」がある。そのことを知るからこそ、「誰の為に勝利したいのか」とも聞く。

この「問い」は千歌を再び「迷い」へと誘うことになるわけですが、同時に千歌にとって改めて「自分を見つめ直す」きっかけにもなっていく。

物語を通じて「一緒に頑張ってきた」仲間として、聖良が大切なメッセージを伝える。ここにも2期12話が語りたいテーマの一端が見えるような気がします。

 

■旧Aqoursが救うもの

東京へは前乗りのAqours

宿泊する宿は1期7話と同じ宿です。

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ここでは1期7話を思い起こさせる描写が続きます。ただし前回と違うのは、3年生がいること。

花丸の「バックトゥーザぴよこ万十Part2」は鞠莉に食べられ...。

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机の上に乗り、ご機嫌な善子。前回は梨子にたしなめられましたが、今度は「ちゃんとしている」ダイヤに叱られたり...。

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楽しくもわいわいと時間を過ごしていくメンバー。

しかし同時に「同じ宿」が呼び起こす「トラウマ」もあります。

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勇んで出てきた東京で突きつけられた「0」。

その「0」がどうしても脳裏をかすめてしまうのです。

不安になる「新Aqours」の6人。そんな6人を励ますのは、あの時いなかった「旧Aqours」の3人。

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「ダイジョウブ!」

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「信じましょう。今までやってきたことを」

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「少なくとも私はどこにも負けないって思ってるよ」

あの日いなかった3人だからこそ語れる「自信」。そこには積み重ねてきたものに対する自信と、年長者としての自覚も見え隠れします。

ただし、それでも「払拭」出来ないものもあって...。

 

■「勝ち負け」のない戦い

聖良の問いかけに応えるべく、「誰のために勝ちたいのか」。その答えを探す千歌。

彼女は「勝利する理由」を「浦の星の名前を残す」という部分に見出してしまいます。

ただし、そこだけにAqoursが「ラブライブ」で「優勝する」ことの意味を集約してはいけない。それは千歌本人が一番よく分かっているはずのこと。

そんな千歌の「真意」を現在の曜は瞬時に察知することが出来ます。

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千歌の迷いを晴らすため曜が持ち込むのは「勝敗のない戦い」

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ラブライブ!」でまくら投げといえば、ラブライブ!」1期10話「先輩禁止!」が思い出されます。

あの回では、どうしても他人に対して壁を作ってしまう真姫を「仲間」へと引き入れるため、「能力」や「才能」とは関係のない「勝敗の無いゲーム=まくら投げ」へと真姫を引き込む...そんな役割を持って使用されました。 

ishidamashii.hatenablog.com

 「まくら投げ」とは、厳密なルールのない、即ち「勝敗の無いゲーム」です。そこには純然たる「楽しさ」しかない。

曜が千歌に対して「まくら投げ」を仕掛けた理由は不明ではありますが、恐らくは、勝敗にこだわるあまり本質が見えなくなっている「スクールアイドルを始めた元来の理由」を思い起こさせるためなのかもしれません。

「勝敗」とは関係なく「楽しそう」だから、そして実際に「楽しかったから」こそ続けてこれた「スクールアイドル」。その原点に千歌を引き戻すための行動のように思えるのです。

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かくして一旦あやふやになった「誰の為に勝利するのか」という議論。千歌はこのリセットを通じて、改めて自分と向き合う時間の必要性を実感するに至ります。

余談ですが、そんな「勝敗のない」ゲームにも関わらず、やはり「勝敗を決しよう」とする3年生ズからは、凄まじいまでの「勝負への執念」を感じると同時に、未だに不明な「旧Aqours」の活動実態とその「ストイックさ」も感じ取れますね(笑)。

 

■それぞれが向き合うもの。

「戦い」が終わり。改めて冷静に「自分と向き合う時間」が必要と悟った千歌。

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各々にも「同じ時間」が必要なのでは?と感じ、当日は現地集合とし、それまでの時間を「自由時間」とすることにします。

物憂げな梨子に「音ノ木坂に行きたかった?」と尋ねる千歌。

どうやら梨子は音ノ木坂で何か「忘れもの」を取り戻す必要がありそうですが。

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以前までだったら「全員で行こう」と提案していたはずの音ノ木坂行脚。

しかし今回千歌は梨子に同行しません。他に「行きたい場所」があるのでしょう。

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1期12話では全員で行った音ノ木坂。

μ'sから受け取ったもの。その気づきを与えてくれたことへの感謝を告げることに、あの時は全員で音ノ木坂へ行く意味がありました。

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けれど今千歌にとって音ノ木坂は大事な場所ではありません。

また梨子以外音ノ木坂に行くキャラクターがいないように、今や千歌や他メンバーは「μ'sの呪縛」から解き放たれているように思えます。

梨子が音ノ木坂に向かう理由はとても個人的なもの。

それもまた、「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語においては重要な出来事なのだと思います。

 

■梨子が向き合うもの

音ノ木坂の音楽室でピアノを紡ぐ梨子。

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音楽特待生として入学しながら、その期待に全く応えられなかった梨子にとって、音ノ木坂は「大好きだった」音楽を「嫌いになる」きっかけになってしまった場所。

それ故に、音ノ木坂では一度として「楽しい」気持ちでピアノを弾けなかったのではないでしょうか。

しかし、内浦でAqoursとして活動する中で、蘇った音楽への渇望。

それが莉子にピアノへの「愛情」を蘇らせ、そして遂に音ノ木坂で「楽しく」音楽を奏でるという「願い」を成就させました。

彼女を「救った」ものが何なのか。それはもちろん「スクールアイドル」としての活動でしょう。

「スクールアイドル」との出会いが蘇らせた音楽への渇望。そして音を奏でる「喜び」。

ピアノを始めた頃「空を飛んでいるかのような」無敵感を味わえた自分に立ち戻り、その「最強の自分」として音ノ木坂でピアノを奏でる。

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これこそ、彼女が音ノ木坂にしてきた「忘れ物」なのでしょうね。

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奏でている曲が「海に還るもの」なのか「想いよひとつになれ」なのかは分かりません。もしかしたら両方の曲の「ミックス」なのかもしれません。

彼女に挫折を味あわせた「海に還るもの」。この楽曲を彼女が弾けるようになるまでの物語が、TVアニメ1期のハイライトでもあったわけですが、Aqoursの存在によってこの曲は完成し、ピアノコンクールで完奏することによって、彼女は無事「過去のトラウマ」を払拭するに至りました。

だからこそ彼女は「海に還るもの」を編曲し、Aqoursへのプレゼントとしました。

自分が唯一参加していないAqoursの楽曲。そこに「想いよひとつになれ」というタイトルをつけ、Aqoursに渡すことは彼女からの最大の「感謝の印」でもあるのです。

また、この楽曲と苦闘した場所である、「音楽室」でその曲が紡がれることは、過去の「苦しみ」が「喜び」へと「変化」していくことの象徴でもあります。

すなわち過去の「苦しみ」もまた「喜び」を生み出す為の「糧」となること。

今回の大きなテーマとなる「全てに意味」があるという考え方。梨子に対して与えられる「救い」は、それを示す役割も満たしているように思えるのです。

 

■勝ちたい理由

千歌がメンバーに聞く「勝ちたい理由」。

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それぞれ「勝ちたい」という願いを持ちながら、その理由はバラバラなのが印象的です。

ここで明らかになるそれぞれの「立ち位置」が、後々の衣装にも反映されているように思えるわけですが、それはまた後程。

 

■たどり着く「始まりの場所」

千歌が「来たかった」場所は、「始まりの場所」でした。

あの日「偶然」吹き抜けた「風」が、自らを「運命」へと導いた場所。

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同じ場所へ現れる曜。

彼女から手渡されるビラ。あの日千歌が見つけた輝きに主体的には関われなかった曜が、ここでは千歌を導く存在となる。曜が「変化」したことを印象づけるシーンです。

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彼女にとっても自らの「願い」を叶えるきっかけとなった場所。

あの時と同じように吹き抜ける風に、運ばれていくビラ。

あの日は独りでそれを追いかけた千歌。今は曜もその隣を駆ける。

それは曜にとっても「願い」が形になっている証拠。

「千歌の視点」を共有できていること。それが曜にとっては一番「嬉しいこと」なのですね。

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曜にも千歌から問われる「勝ちたい」かどうか。

曜が応えるのは「曜の率直な気持ち」。

「勝ちたい」「ようやく一緒に出来たことだから」

そして同時に「曜から告げられる」千歌が隠している「千歌の率直な気持ち」。

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「未来のことに臆病にならないでいい」

未来を恐れたり、結果を求めたりするのは、千歌ではない。

「やりたいからやる」「考える前に願いを形にする」それこそが千歌である。

今までは千歌を「理解したくて」千歌の在り方を肯定し続けた曜。

けれど今は千歌を最大限理解したうえで、肯定出来るようになりました。

ここに曜が「スクールアイドル」をする理由も、それによって「救われている事実」もしっかりと描かれている。そして曜にとって「スクールアイドル」がそれ以上のものではない事実もしっかりと描かれていることがとても素敵だなぁと思いました。

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千歌が告げる「勝ちたい」という気持ち。

それは「誰か」のためではなく「自分」のため。

あの日願った「輝きたい」というある種自分勝手な願い。

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「普通の自分」でも「キラキラ輝きたい」。「輝けるのでは?」という願い。

そこに立ち返る時、千歌はようやく「普通」の、「怪獣」の、自分をも「愛し」「認める」ことが出来る。

「普通」のままで、「人間」のままで、輝くこと。

無慈悲な「運命」と言う名の「神」に挑み続けた彼女の「答え」と「救い」がここにはあるのだと思えます。

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■キセキ

二人の「始まりの場所」へ現れる梨子。

梨子へも問われる問いかけ。

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千歌たちとの出会いこそが奇跡だと語る梨子。

あの日千歌たちにとっての「奇跡の担い手」として登場した梨子が、反対に千歌たちこそが自分に「奇跡」を与えてくれた存在なのだと評価する。

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ピアノから逃げ出した自分を、再びピアノへと引き戻し、その原点となる「楽しい気持ち」を取り戻させてくれた千歌と曜。そして「スクールアイドル」。

恐らく内浦へと引っ越すことが「回り道」になるのだという自覚は彼女にもあって、実際「ピアニスト」としては完全な「回り道」をしてしまったのかもしれません。

けれども、この1年がなければ梨子は「ピアニスト」であることを諦めてしまったかもしれない。だとすればこの1年は、「スクールアイドル」として過ごした時間は、決して無駄ではないはず。

そう思うからこそ、梨子はこの時間を「回り道」ではなくて、未来への「必然」へと変えたいのだと願うのでしょう。

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「だから勝ちたい...。」「ラブライブで勝ちたい!」

「この道で良かったんだって証明したい!」「”今”を、精いっぱい全力で!」

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「心から...スクールアイドルをやりたい!」

これまで一度も明確に表明されなかった思い。

自分を救ってくれた仲間と「スクールアイドル」へ告げられる全力のラブコール。

それは音ノ木坂でピアノを弾くことでカセから解放されたからこそ、発せられる言葉なのかもしれません。

 

■奇跡のもと

千歌が空へとかざすもの。それは「0だった証」。

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あの日0だったもの。これを支えに2期のAqoursは戦い続けてきました。

1期12話では、この「0」を「1」にすることが、彼女達の願いとなり、そしてそれは1期13話でかなうこととなりました。

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けれども「その先」にはたどり着くことができませんでした。

彼女達が信じた輝くための方法。

それは「学校を廃校から救って」「自分だけの輝き」を手に入れること。そして「ヒカリ」になること。

しかしその願いの原点となる「μ'sの神話」は「人の手によって作り出せる必然」ではなく「神によって与えられる偶然」によって為されたもの。それゆえにAqoursにはその「偶然」を再現することは出来なかった。だからこそその方法には「失敗」してしまいました。

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目指した「ヒカリ」にはなれなかった。

「ヒカリ」を目指す中での足掻き。

1を10にして、10を100にしたくて。悩み、迷い、苦しんだ日々。けれども、その願いはかなわなかった。

しかし、だからといってその「悩み、迷い、苦しんだ」時間が無意味になるわけではありません。

その中で得た気づき、願い、「夢」が今の千歌を支えているからです。

普通怪獣であることが嫌だった千歌、が普通怪獣でも「良いのだ」と。

その中で描く「夢」を、「輝き」を信じても良いのだと。

そう気づくことが出来たのは、あの日の「0」があったから。

そしてその「0」を「1」にしようとしたから。

そして、その先を求めたからに他ならないわけです。

正しくあの日の「0」が、千歌に気付きを与える「奇跡のもと」になったわけです。

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「傷付く」のは誰しも嫌だし、怖い。「願いが叶わない」のは辛い。

でも、「叶わない」こと、それは決して悪いことばかりではないのかもしれません。

「無念が願いを光らせる」

これはアカギの台詞でもあるわけですが、生きるという事は常にそういうもののような気がします。

人生とは大概、上手くいかないことばかり。時には信じられないようなひどい仕打ちを受けることもある。けれども、その不遇が人生における「願い」を生み、その「願い」がその人の人生を光らせる。「無念」があるからこそ、人間は「願い」を抱くことが出来るわけです。

そしてそれは「全てに意味がある」という言葉にも繋がります。

起きる事全てに「意味」がある、と考えれば、身の回りに起きる「不遇」も受け入れていくことが出来る。その「不遇」がやがて大きな意味を持って帰ってくるのだと信じることが出来るからです。

今、再び新たな「輝き」を追い求められるのは、あの日の「傷付き」があったから。

「0」を「1」にしたくて、足掻いた日々が「今」の「願い」や「気づき」を与えてくれている。

それを教えてくれたからこそ、千歌は空へと放たれた「0」の紙に「ありがとう」と告げるのかもしれません。

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感謝と同時に別れを告げるのは、もはや「気づき」を得た千歌にはこの「0」は必要ではなくなったから。「0」から「1」へ。そしてその「先」へ進む為のAqoursの最後の戦いが始まるのです。

 

■3年生

アキバドームへと向かう各々。

千歌と曜の二人がその先で梨子と出会う...というように、このタイミングでの出会い方はこれまでのストーリーを踏襲したもの。

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果南とダイヤが歩きだし、鞠莉と出会う。

それは「旧Aqours」の始まり方と同じ。

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「私が書いたことは現実になるんですわよ」

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砂浜に書かれた「Aqours」。それはダイヤにとっては「再結成」へと託した「願い」であり、確かに実現した「願い」でもあります。

ただしその「願いの効果」は有効期限のあるもの。

一度はバラバラになった3人が、ほんの半年だけ一緒になれただけ。

「またすぐにバラバラになってしまうのに」

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果南が言うように、この後3人にはバラバラになる運命が待ち構えています。

けれど鞠莉はそんな果南の言葉を否定します。

「空は繋がっている」

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それに付け足すようにダイヤが告げる「姿は見えなくても」という言葉。

これらは彼女達が一度は「バラバラ」になってしまったからこその言葉。

2期10話でも描かれた通り、ここでも「過去」が「意味のあるもの」として肯定されていきます。

一度「バラバラ」になったからこそ、「もう一度一緒になりたい」という願いが生まれ。

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「バラバラになった時間があった」からこそ、「離れても心は繋がっている」ということを信じることが出来る。

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「全てに意味がある」ことがここにも表現されているように思えます。

 

■1年生

一人で歩いている花丸に話しかける善子。そしてその後隠れていたルビィが姿を現す。これは3人の幼少時代からの出会いの順番の再現かもしれません。

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善子から花丸へと告げられるのは「契約」の話。

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善子にとってはリトルデーモンでもある二人。もしもバラバラになった時には、その「契約」も切れてしまうのでは?善子にとっては大事な「理解者」である二人。それ以上に親友である二人と別れる可能性があるのは「辛い」もの。

しかし花丸は「契約は永遠だ」と告げます。

バラバラになったとしても「契約」は切れない。それは善子が言うまでもなく花丸の中では「確定事項」なのです。

「未来」を愛する少女、花丸。

もちろん想像に過ぎませんが、その「未来への憧れ」の根底にあるのは、善子=ヨハネとの出会いなのかもしれません。

「本の虫」である花丸。

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「本」とは既に書かれたもの。即ち「過去」を示すものです。

そんな「過去」を愛する花丸に「未来=未確定のもの」を「信じる勇気」を与えたのは善子=ヨハネ

彼女が語る「自らの運命を自分自身で決めていく」姿勢に触れた瞬間に、花丸の中に芽生えた感情こそ「未来」へ憧れる彼女の原点であるように思えるのです。

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だからこそ花丸は善子=ヨハネの可能性を信じ、守り続けてもいる。

(常にわざわざ善子と呼んでヨハネと言い返させるのは、その”守り”の一環なのでしょう。)

そしてそんな善子との関係性があるからこそ、花丸は「未来」を信じさせる側にもなれるわけです。

無限の可能性を持ちながら、「未来」への一歩を踏み出せないルビィのために自ら率先して動こうとする。

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それは、「本来の花丸」には出来ない行動のはず。

けれども「未来」を信じる心があるからこそ花丸は行動する。

そしてその「行動」がルビィに「スクールアイドル」という「未来」を与えていく。

「スクールアイドル」の存在によって大きく動き出した1年生ズの運命。

しかし、そのうねりの背景には善子の存在がある気がするのです。

3人はそれ故に、強烈に結びついていて、その関係性の根本には善子がいる。だからこそ花丸は3人の「契約」は切れないのだと総括するのだと感じました。

1期13話では善子のなかの「ヨハネ」を救ってくれた「スクールアイドル」と、そこに招き入れてくれたことに対して、花丸とルビィへ感謝を告げた善子。

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今回は善子に向けて二人から「感謝」が告げられるのは、そんな事情があるからなのだと思えます。

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善子自身、自分が二人に与えている影響と、価値にどこまで気付いているのかはわかりません。
けれども、そんな「無意識のうち」に誰かを救う部分があるからこそ、善子という人は尊いのだとも思えるのです。触れた人に「救い」を与える存在。彼女が信じる「見えない力」は、こうして無意識のうちに親友二人に影響を与え、「救い」を与えているのです。そしてそれは善子=ヨハネにとっての「救い」でもあるのです。

 

■交じり合う一瞬のキセキ

走り出す2年生、続く1年生。最後に合流する3年生。

その動線には、これまでの物語のメタファーがあります。

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指摘されている方がいるように、これは1期13話とまるで同じ構成。

これまでの物語をダイジェスト化し、最後の楽曲へとつなげていくシーンになっています。

スクールアイドルは高校3年間だけに許される魔法。

けれど、仮に各学年3人の構成からなる9人組だとすれば、同じメンバーがスクールアイドルでいられる期間は1年だけ。

それは長い人生の中で考えれば、正しく一瞬交じり合う”刹那”に過ぎません。

けれどもその一瞬に、

終わった瞬間に過去になる「今」に、

全てを注ぐからこそ、その「今」は輝く。

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アキバドームを前に、歩道橋で一瞬だけ交錯する9人。

ライブが終われば彼女達はまたバラバラになっていく。けれどもこの瞬間重なった輝きには、この瞬間にしかない、二度とない眩いばかりの「輝き」と「価値」が込められています。

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アキバドームに重なり眩く光る太陽光が、彼女たちを照らしだす。その輝きこそ、彼女達が求め続けた「輝き」なのかもしれません。

 

■WATER BLUE NEW WORLD

「今は今で昨日と違うよ」

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「明日への途中じゃなく今は今だね」

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「この瞬間のことが」

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「重なっては消えてく」

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「心に刻むんだ WATER BLUE」

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今回の、そして2期で彼女達が得た「答え」が端的に示された歌詞。「WATER BLUE NEW WORLD」には様々な意図が込められているはずですので、この時点でその全貌を読み解くのは難しいかもしれません。ですので、今回はPVから感じたことだけ。

衣装の異なる3組。
様々な捉え方があると思いますが、個人的にはそれぞれのスクールアイドルの「捉え方」が象徴されているように思えます。

ダイヤ・ルビィ・千歌は「スクールアイドルとして道を作れる人」です。

Aqoursを生み出した張本人であり、再結成にも熱意を燃やしたダイヤ
スクールアイドルへの並々ならぬ愛情を持ち、その価値を誰よりも理解している人物です。

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姉と同じくスクールアイドルを愛するルビィ。元々は姉に遠慮してスクールアイドルになることを諦めていたほどに弱気だった彼女が、2期では同じく「スクールアイドルを諦めそう」になった理亞を引っ張り、新しいスクールアイドルとしての道を示して見せました。

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そしてもちろん千歌は自分の中に芽生えた「やりたい気持ち」や「願い」を「信じて」、それを「スクールアイドル」に託して突き進むことが出来るパイオニアです。そんな彼女が作り出した「新Aqours」が多くの仲間を救って見せました。

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曜・果南・善子は「スクールアイドルでありながら、自分自身を大切にしている人」

がスクールアイドルをやっているのは「千歌と同じことが出来るから」という理由で、彼女の中にはそれ以上の感情はありません。もちろん「スクールアイドル」への愛情はあるけれど、先ほどの3人のように今後も「スクールアイドル」として後身を導いていくというような存在にはなるつもりが無い。

確固たる「自分」を持ちながら、スクールアイドル”も”楽しんでいる。そんなスタンスのように思えます。

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果南も曜と似たイメージ。スクールアイドル自体へ熱意を燃やしているというよりも、鞠莉やダイヤと過ごせる時間としての「スクールアイドル」に意味を見出しているように思えます。

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「本当はせいせいしてるんだけどね。やっとこれで終わりなんだって」という千歌への返答はかなり衝撃的でした。

彼女にとっては「スクールアイドル」はやがて「終わる夢」で、自分の夢である「スキューバーダイビングの講師」とはまるで地続きではない。だからこそまったく別物として捉えている。実はこういったある種シニカルな視線で「スクールアイドル」を捉えているキャラクターは珍しく(無印ではことりが近いのかも??)自分にとっては割と衝撃的ではあったのですが、同時にこの作品の「深さ」と「豊かさ」を実感する部分にもなりました。そしてこの段においてようやく果南というキャラの魅力も見えてきたわけですが、これはまたどこか別に語る事といたしましょう。

そして善子。彼女は前二人よりは「スクールアイドル」によって救われた存在です。一度は辞めかけた「ヨハネ」を、Aqoursによって救い上げられたわけですから。けれども彼女はスクールアイドルと出会う以前から「ヨハネ」であり続けた。即ち「スクールアイドル」があろうが、無かろうが「ヨハネ」という存在は居続けたわけです。

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故に彼女も「スクールアイドル」の影響が少ない、確固たる「自分」をもった存在であると考えられます。

そして楽曲のメインとなる、花丸・梨子・鞠莉。

彼女達は「スクールアイドルによって救われた人」です。

千歌による「スクールアイドル」への誘いが、「図書館」以外の場所へ歩みを進める可能性をくれた、だからこそ千歌に「ありがとう」と感謝する花丸。

「未来」を愛し、望みながら、そこへと進む前に足踏みしてしまっていた彼女を、そのものずばり「未来」へと歩ませたスクールアイドルは、花丸にとっての「救い」でしょう。

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本来は「学校を統廃合にしてしまった理事長」としての汚名を受けるつもりだった自分に、「学校の名前を未来へと託していける可能性」と「その担い手」としての役割を与えてくれたAqours

また本来は終わってしまうはずだった幼馴染との関係を、救ってくれたのもAqours

2期10話・11話によって鞠莉は、Aqoursによって「救われた」人物です。

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そして先ほども触れたように、最も大切だった「音楽」と「ピアノ」への渇望を「スクールアイドル」によって蘇らせてもらった梨子。

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彼女にとって千歌たち、そしてAqoursとの出会いが、「復活」への「奇跡」であり「軌跡」でもありました。

このように衣装によって分かれているように見えるそれぞれの「Aqours」としての「在り方」。これはこれまで「心が一致すること」に重点を置いてきた「ラブライブ!」とは明らかに異なる視点。

3者3様それぞれの「在り方」で、「スクールアイドル」と向き合って、それぞれの「答え」と「充足」を得て行けば良い。ここからはそんな「サンシャイン!」ならではの「多様性」を認める「豊かさ」を感じ取ることが出来るのです。

「たどり着く方法は一つではなくても良い」し「様々なやり方・あり方」があって良いはず。

無数のスクールアイドルそれぞれの「夢」。やり方が異なるSaint snowの「夢」。

全てに「意味」も「価値」もあると語る。

あらゆる価値観もあり方も肯定する。

だからこそ、この12話を見て「救われた」と感じる方が多かったのではないかなと思います。全てに「意味」があって、全てが「許されている」。

ラブライブ!サンシャイン!!」という作品が持つ「深さ」の真骨頂がここにあるように思えます。

 

■青い羽根

花丸・梨子・鞠莉のスカートは、青い羽根へと変化していきます。

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白い羽根は「希望」を象徴するものであり、誰の傍にも常に舞っているもの。

反面それは気づいた人にしか見えないものでもあります。

これは酒井監督が「オフィシャルファンブック」で語っていた事。

3人にとってもそれは同じで、自分の周りにある「白い羽根」に彼女達は気づけなかった。
そんな彼女達が「羽根=希望」の存在に気付けたのは、Aqoursの存在があったから。

故に彼女達は風を起こして、羽根をAqoursの色へと変えていくのかなと感じました。

また、この羽根の色は「WATER BLUE」と表現されているわけですが、本来「WATER=水」とは「無色透明」なもの。

水の色を「青」だと認識するのは、我々人間だけです。

本来は存在しない概念を、人間の認識によって「意味のあるもの」へと変化させていく。

これも作中で何度も用いられたモチーフです。

「無を何も無いのではなく、無という状態がある」と考えるのも、

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「雨を嫌なものだと感じるのではなく、雨が無ければ虹がかからない」と考えるのも、

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「死にゆく流れ星に願いを託して、"死するもの"に"希望"という意味を与える」のも、

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全て人間だからこそ出来る「認識の変化」でもあります。

そしてそうやって人間は、「全てに意味」を与えていく。

そうやって「必然」を作り出していく。

世界は偶然に満ちているけど、そこに「必然」を意図的に生み出す。

「偶然」を「偶然」として受け入れるのではなく、意図的に「必然」としての意味を与え、自分の手の内に入れていく。

そうやって「偶然」と戦い続けることに、人間の生きる「価値」がある。

ラブライブ!サンシャイン!!は「神にあらがう人間の物語」なのだと2期1話でも考えましたが、「青い羽根」にもそんな「人が生み出す必然」と「その価値を信じた彼女達の物語」が集約されているのかも...と考えました。

 

■千歌の髪型 

毎度おなじみ「千歌の髪型に真剣」のコーナーですけども(どんなや)。

今回の「WATER BLUE NEW WORLD」での千歌の髪型も印象的でした。

これまで「願い」のクローバー、「勇気」のリボンのどちらかは衣装内でも髪に着けていた千歌。しかし今回は髪飾りは一切なし。まっさらな千歌そのものとして舞台に上がっていました。

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「自分そのもの」を認めることが出来た今、彼女には「お守り」はいらない。真っさらな自分そのものとして舞台に上がることが出来る。ここからはそんな千歌が得た「救い」を実感することが出来ました。

千歌ちゃん推しの皆様。もう大丈夫です。彼女は救われました。

 

ということで、なんとも残念なコーナーでこのマジメな記事を締めたいと思います。

ホントはもう少し触れる部分もあると思いますが、そのあたりは最終回が終わってからじっくり取り組もうと思います。

今回もクソ長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

さて、2期のリアルタイム記事が書けるのも残り1回。

最後まで皆様と一緒に、彼女達の物語に「泣いたり、笑ったり」したいと思います。次回もよろしくお願いいたします。

 

~みんなで歌う消えない「夢」~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第24話(2期11話)「浦の星女学院」

 皆様こんにちは、そしてこんばんは。

前書き面倒くさいのと、本文長くなるので、今日は挨拶にとどめたいと思いますw

早速参りましょう。

#11「浦の星女学院」です。

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閉校祭 変化するモチーフの使用法

2期11話という話数。これは無印「ラブライブ!」において酒井監督が演出を担当された、「私たちが決めたこと」と同じ話数。同監督の名声を高めた回だけに、恐らく監督にとっても思い入れのある回。それだけになんらかの「仕掛け」があるのでは?と考えた方も多かったかもしれません。

結果的に、その思惑は部分的にではありますが当たったのかもしれません。今回のお話と「ラブライブ!」2期11話には共通したモチーフがあります。

それは言わずもがな「終わり」というモチーフです。どちらの回でも「終わり」が描かれ、それが物語内で重要な「要素」となりました。しかし注目したいのは、その「使い方」です。

#11「私たちが決めたこと」で穂乃果たちが決めた「μ'sのこれから」。この回では、それを告げるために用意された「ただの一日」が、「終わり」の「宣言」をきっかけに「特別な一日」へと「変化」していきます。そして結末に訪れる「爆発的なエモーション=悲しみ」に、物語最大の盛り上がりが集約されていく構成となっていました。いわば終盤に向けて「ただの一日」が「終わりを告げるため」のある種の「祭り」へと変わっていくのが「私たちが決めたこと」という物語の「キモ」だったように思えます。

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反面今回の#11「浦の星女学院」では、初めから「終わりを告げるための祭り」が舞台として「設定」されています。

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Aqoursのメンバーでなく、浦の星女学院の生徒たちが考えた「閉校祭」という名の「祭り」。それは「終わり」を「悲しむ」のではなくて、「バーッと盛り上げる!」即ち「盛大に祝う」ための「祭り」です。

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「終わり」をある種「悲劇的」に描いた「私たちが決めたこと」とは真逆の意味合いを持って設定された「閉校祭」。

今回は「私たちが決めたこと」をなぞる「構成」を使用しながらも、まるで違う結末へと物語を導いていく、両方の作品に携わる「酒井監督にしか出来ないリブート」が為されているように思えます。どのあたりが「リブート」なのかに関しては、おいおい触れていくことといたしましょう。


物語のモチーフ

「閉校祭」の目玉。それは、生徒それぞれが「学校でやりたいこと」をやること。それは理事長だろうと、生徒会長だろうと変わらない。あるいは在校生でなくても良い。卒業生でも良い。とにかく浦の星に関わる「全ての人」が、学校で「やりたいこと」をする。

それが「閉校祭」という祭りの「主な狙い」なのです。

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で、早速ここが「私たちが決めたこと」と共通するポイント

「私たちが決めた事」では、「何をするか」のあてもなく集まったμ'sの9人が、それぞれ「やりたいこと」を言う物のまとまらず、結論として「全員のやりたいこと」を「一日でやりきる」ということになります。

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このお話と今回の「浦の星女学院」とは外観こそ違えど共通するモチーフに彩られています。

「限られた1日」の中で、「やりたいこと」を「全部やる」。

その中で「限られた一日」の「価値を知る」。そんな物語だからです。

また、このように物語の骨組みを理解することで、物語同士の「比較」も容易になります。

「私たちが決めたこと」は、「μ's9人」を主役とし、彼女達9人がそれぞれの「やりたいこと」を「9人全員」で行う中で、「ただの一日」の「価値」を理解していくお話でした。

今回の物語をこの枠組みに当てはめてみましょう。

そうすることで、この二つの回を別ける「大きな要素」が見えてきます。

それは「私たちが決めたこと」での主役は、あくまでも「μ's」であったのに対し、今回の物語の主役が「主人公=Aqours」ではなく浦の星女学院の生徒」および「学院に関わる全ての人」へと置き換えられている...ということです。

今回の物語における主役は「Aqours」だけではなく、「Aqours」を含めた「浦の星女学院に関わる人々」全員である。

この前提を念頭に置いておくと、よりその後の物語全体の構成や意図も呑み込みやすくなるような気がします。

 

それぞれがやりたいこと

「私たちが決めたこと」に倣って構成されている今回のお話。だからこそAqoursのメンバーも「自分達がやりたいこと」をこの一日で目いっぱい「楽しもう」とします。

鞠莉の「やりたいこと」は「シャイ煮プレミアム」の完成とそれを振る舞うこと。

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ダイヤは「浦の星女学院の生徒会長」としては決して見せなかった彼女自身の「本質」=「スクールアイドルマニア」としての矜持を示す催し=「ラブライブクイズ」を...。

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ルビィは「姉と一緒に姉の大好きな事をする」という「願い」を叶えていきます。

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ルビィは人気者。衣装面では2年生の催しのお手伝い。

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和カフェの衣装に身を包んだ梨子。

函館でも鹿角姉妹の衣装にいたく感動していた梨子。彼女の「趣味の真相」は不明ですが(笑)、どうやらこれは「梨子がやりたいこと」なのかもしれませんね。

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(参考資料from梨子)

ルビィに振られた格好の善子。彼女がやりたいのは「占いの館」のようです。

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思えば一度「披露した」ものの、同級生に全力で「ひかれた」ために、あれ以降披露していない「占い」。彼女はこのタイミングで、あの時の「リベンジ」を期しているのかもしれません。やはりどこまで行っても「あきらめが悪い」のが善子。そこが彼女の魅力でもあるのですが。

そんな善子に付き合う花丸。彼女自身の「やりたいこと」は何なのか。その辺はまた後程という感じでしょうか。

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揉めつつも、淡々と準備を進める花丸と善子。もはや名コンビ感すらある二人。もう少しこの二人のサイドストーリーも見てみたかったですね~。

花丸が目線を上げた瞬間に見かけた「怪しい影」。

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廊下を疾走する二体の「まるふわな物体」。彼ら(彼女ら?)が向かう先へと導かれるメンバーたち。そこで出会う「者たち」にも、なんらかの意図があるような、無いような。そんな予感だけはします。

折角なので、ここに関してもちょっとこじつけてみましょうか(笑)。 

 

新旧うちっちーとしいたけと資料室と。

千歌たちが追いかける「まるふわな物体」。それは「初代うちっちー」と「現うちっちー」の着ぐるみ二人です。

 「うちっちー」といえば曜という位、結びつきの深い両者。

となれば「現うちっちー」の中身は曜?

だとすれば「初代うちっちー」の中身は一体誰??

そんな疑問をもとに二体を追いかける千歌たち。

しかし、千歌の呼びかけにも一向に答えない二体。「中の人」が分からないからこそ、ちょっぴり「不気味」でもあります。

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二体に導かれて千歌たちがやってきたのは、謎の部屋。

ダンボールだらけの様子から、どうやら「資料室」のようにも見えますが...。

そこに入っていった「白い影」。その正体を探るべく、千歌・梨子・花丸の3名が資料室内へと入っていきます。

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闇の中でうごめく「白い影」。その場所を突き止める梨子。

誰もが恐れるその「白い影」に勇猛果敢に立ち向かうのは、やはり千歌。

覆いかぶさった白い布をはぎ取ると!!!

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....まぁ、なんとなく分かっていましたけど「しいたけ」でした。

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何故だか学園にもぐりこんだしいたけ。「幽霊の正体みたり~」ではないですが、ホッとする一同。そんな一同の背景に佇む「まるふわ」な「アイツら」。

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ビックリして声を上げたルビィと善子に驚いたしいたけは、暴走。

なんと「閉校祭」のアーチを「押し倒してしまう」のでした。あらあら。

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アーチの倒壊によって元から押していた準備が、「決定的」に押すことになってしまいました。ということで「閉校祭」の準備は一夜がかりに。

...さて、こうしてシーンを振り返ってみるといよいよもって「このシーンなんの意味があんねん??」としか思えない一連のシーンなのですが(笑)。折角だから考えてみましょう。もちろん、僕の「妄想」です(笑)。

まず校内を走り回る「新旧うちっちー」は何なのか。

後々中身の正体が明らかになるわけですけども、この時点では「中の人の人格」が極力「見えない」ように描かれています。

これは、恐らく「中の人」と関係なく、「新旧うちっちー」がこのシーンにおいて、「何らかの意図」を持った「モチーフ」として起用されているためなのでは?と思えます。

じゃあ「なんのモチーフやねん?」と言われれば、恐らくそのままで。

「過去」と「現在」を象徴する「モチーフ」なのかしら、と思えます。

なんで学校の中を「過去」と「現在」を象徴する存在が「走り回っている」のかと言えば、それはまさしく「閉校祭」がそういった「催し」だからではないでしょうか。

浦の星女学院」の「過去」に携わった人々と、「現在」に携わっている生徒たちが、この1日の中で学校内外において動き、交錯する。その中で浦の星女学院の価値」を見つけていく。そしてこの催しを通して見つけた「価値」を「未来へと継承していく」。「閉校祭」という祭りには、そんな「願い」も込められています。

 校内を走り回る「新旧うちっちー」は、一つの学校の中で巡りあう「新旧の価値観」を視覚的に表現したもの...という風にも考えられるのです。

となるとこの2体が「資料室」へと千歌たちを誘い、そこで「白い影」と出会わせるのにも、なんらかの「意図」があるのかも?と思えてきます。

「現在」と「過去」というモチーフに当てはめれば、「千歌たち」は「現在」であり、「資料室」は「過去」である。

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(実際、資料室に迷い込む5人は1年生と2年生のみ。既に「未来」を見据えている3年生は含まれていません。)

即ち「資料室に迷い込む千歌たち」という状況は、「過去」と「現在」とか交錯している状態になっているわけです。

では、この「交錯」した状態から、彼女達が「出会うもの」とは何か。

それは先ほど考えた通り「未来へと継承していく価値観」なのではないでしょうか。

このブログではたびたび「犬」というモチーフを真剣に考えたきたわけですが(笑)、今回もしいたけには何らかの「役割」が課せられているように思えます。

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これまでも「運命」としての役割を託されてきた(と僕が勝手に考えている)しいたけ。今回もそれと近い役割を与えられているように思えます。

「過去」と「現在」とが巡りあう中で、千歌たちがつかまえたように思えた「未来」。あるいは「運命」。しかし「過去」と「現在」とが重なる刹那に、掴まえたかのように思えた”それ”は千歌たちの手をすり抜け、意図せぬ方向へと走り出します。

それは恐らくこの時点では、千歌たちが「未来」を手にする「準備」が整っていなかったからではないでしょうか。

それぞれが「やりたいこと」を見つける中で、その「やりたいこと」を表明できていない人がいる。だからこそこのタイミングでは「未来」は掴めない。

その代わり逃げ出した「運命」の思し召しによって、与えられた「追加の時間」。それによって「やりたいこと」を表明できていない人へ、それを「表明する」時間が与えられる。

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ここでしいたけが果たす役割とは、その「時間」を与えるための天使的な役割なのかな、とか妄想できるわけです。

 

みかんについて

 今回不思議と登場する回数の多かったものといえば「みかん」

しいたけ暴走の原因となった美渡から振舞われるのはみかん鍋

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(どうやら本当にある鍋のようですね。静岡ではなく九州エリアの名物のようですが)

そして閉校祭を訪れた志満と美渡によって振舞われている焼きみかん

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この二つがどういった意図を以て用意されているのか、というと恐らく「可能性」に関するモチーフなのかな?と感じました。

「みかん」そのものはアレンジする必要が無いほどに「確固たる価値観」を持っている存在です。もはや「進化する可能性」を考えづらいもの。そんなものでも「様々な可能性」を秘めている。その「可能性」を象徴するのが今回の「みかん鍋」であり「焼きみかん」なのかなと感じました。

また「みかん」は作品内では千歌を象徴するものです。

となれば、これらは「千歌の未来に対しての可能性」のメタファーであるようにも思えます。

「みかん」のように「固定化されて変化しようがないもの」は、千歌が語る「普通」に近しいものかもしれません。

しかし、そんな「みかん」にでも「無限の可能性がある」。そしてその「可能性」を目視化するのが、千歌にとっての親族である志満と美渡である...というのも象徴的です。

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二人が信じる「千歌の可能性」と「千歌が作り出す未来への期待」が、実は「みかん」に象徴されているのかも?という仮説はどうでしょうか?

空(カラ)のうちっちーと曜の「夢」

 深夜にまで及ぶ「閉校祭」の準備作業。しかし誰もが皆楽しそうに作業をこなしています。「終わり」のための祭りなのに、誰もがそこに「悲しみ」だけを感じているわけではなく、明日開催される「お祭り」への期待感を感じている。

「終わっていくこと」を「楽しむ」。これは今回の物語のキーになっていく考え方ですね。

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みかん鍋が振舞われる中で明らかになるうちっちーの「正体」。

やはり「初代うちっちー」の中身は果南でした。

海キ〇ガイである果南の「やりたいこと」は、自分が心の底から愛する「内浦の海」を校内で再現すること。実に果南らしい思惑でした。

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となれば当然「現うちっちー」の中身は曜...のはず。

しかし声をかけても「現うちっちー」は何も答えず。業を煮やした善子が手をかけるとグラッとふらつき、倒れてしまいました。

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中に誰もいませんよ...?状態)

中にいたはずの曜はここにはいない。ではどこに行ってしまったのでしょう。

さっきまでは「過去」と「現在」を象徴していた「新旧うちっちー」は、この時点でそのモチーフとしての役割を終え、このタイミングでは「果南の夢=内浦の海を浦の星に再現する」を象徴する存在へと変化したように思えます。

だからこそ果南は「うちっちーと同化した状態」でその「やりたいこと」を口にしている。しかし曜はうちっちーの「中にはいない」。

これは即ち、この「やりたいこと」は果南にとっての「やりたいこと」であって、曜はそれを「手伝っているだけ」に過ぎず、曜の「やりたいこと」はそれとは「別にあること」を示しているのかなと考えられます。

曜の不在に「何か」を感じ取った千歌。曜を探しに行きます。

かくいう曜は一人で入場アーチを修繕していました。

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アーチの倒壊によって引き伸ばされた「一日」。

であれば、それを修繕している人物こそがその「引き伸ばされた時間」によって「救い」を得る人物なのかもしれません。

校門近くに置かれた寿太郎みかんの箱。ラブライブ!サンシャイン!!を追いかけ続けた人であれば、誰もがピンと来るシチュエーション。

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キョロキョロと辺りを見回し、箱に乗っかる曜。彼女が「再現」するシーン。

それは「スクールアイドル部の募集」でした。

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「あなたも!あなたも!あなたも!!スクールアイドルはじめませんかー!!」

第1話。スクールアイドル部員募集を呼びかける千歌をただ横で見ていた曜が、この時初めて「千歌と同じ目線に立つ」。そこにどれだけの「意味」があるのでしょうか。

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第1話の千歌と同じ行動をとる。そこに曜が「託した思い」。この後のシーンで曜本人の口からも明言されますが、彼女の「願い」とは「千歌と同じ目線を手に入れる」ということでした。

曜と千歌の「これまで」の物語は、想像の域を出ないもの。故に具体的な明言は何もできません。ただ「曜が千歌と同じことをしたい」と思いながらも、その「願い」はなかなか「成就」してこなかった事実は、これまでも語られてきました。

けれどそんな曜が千歌と「同じ目線」を手に入れることが出来たのは「スクールアイドル」というフィルターを通したからこそ、でした。

「なんでもできる」曜が、唯一「想い通りにならないもの」を感じることが出来たのは「スクールアイドル」としての活動を通してのもの。

「勝てない悔しさ」も、「叶わぬ願い」も、そこから生まれる「新しい願い」も、そして全員で手にする「一つの得難い達成」も。全て「スクールアイドル」が曜に与えてくれたものです。

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そしてそんな「スクールアイドルとして過ごす日々」が結果として曜に「千歌と同じ目線」を与えるに至りました。

曜が「千歌の行動」を再現する。それはあの日「同じ目線に立ちたい」と願いながらも立てなかった自分自身を「救う」行為のように思えるのです。

 

二人の「やりたいこと」

曜の呼びかけに答えるようにして現れる千歌。二人が語るのは「閉校祭の準備に沸き立つ学校」に関して。

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「閉校祭」という「終わり」へと向かう準備をしているにも関わらず「活気に溢れている校内」。そこには「終わり」を見つめるからこそ生まれる「輝き」があります。

「外は普通なのに、学校の中はみんなの夢でわくわくしている。

 時が過ぎるのも忘れていて。好きだな、そういうの。

 ずっとこのままだったらいいのにね。明日も明後日もずーっと。

 そしたら...そしたら。」

 

「ずっと終わらないでほしい」。そう思えるくらいに「楽しい時間」。けれども時間は絶対的に有限で。必ず明日はやってくる。だからこそ人は「時の有限性」と「その時の大切さ」を知る。「二度とない時間」だからこそ、その日を「精いっぱい生きよう」とする。

一見「後ろ向き」にも聞こえる千歌の言葉ですが、その背景にはここまでの物語を通じた「彼女自身の気づき」が裏付けとしてあります。だからこそ「彼女自身が紡ぐ言葉」と「真意」とは「別である」ことが私達にも曜にも分かるのです。

もしかしたらこれは、これまでの曜だったら気づけなかったことなのかもしれません。けれど今の曜ならば気付ける。だからこそ笑顔を見せる。

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「私ね...千歌ちゃんに憧れてたんだ」

「千歌ちゃんが見ているものが見たいんだって」

「ずっと同じ景色を見てたいんだって」

「このまま皆で、お婆ちゃんになるまでやろっか?」

「千歌の見ている景色」が自分にも理解出来るようになったからこそ、曜から千歌へ告げられる曜自身の「やりたかったこと」。

曜の言葉をそのまま解釈すると「閉校祭をお婆ちゃんになるまで続ける」という意味不明な解釈になってしまいますが、これも一種のメタ的な表現で。

その真意とは「今日を最後の一日だと思って生きる」ということなのかなと思います。

「閉校祭」を前にして皆が活き活きとしているのは、それが予め「終わる」ことを運命づけられた「祭り」だからです。

即ち「終わる」ことが分かっているからこそ、「終わらないでほしい」という願いが生まれ、それが「祭り」そのものの「輝き」にもつながっていく。

これは実のところ人生にも繋がるのではないでしょうか。

「今日」をただ漠然と過ごすのではなくって、「二度とない今日」だと思って生きれば、その一日にも「輝き」が生まれる。自分の「毎日」を「愛する」ことで、生まれる「輝き」。それが連続していくことによって「人生」そのものが「輝き」だす。

曜が「お婆ちゃんになるまで続けよう」と言っているのは、即ちそんな「生き方」そのものに関してなのかもしれません。

「人生を愛せ」

それは「ラブライブ!」のタイトルそのものでもあります。無印「ラブライブ!」は確かにその名の通りの「人間賛歌」でもありました。

ただし「ラブライブ!サンシャイン!!」はその「先」のメッセージを描こうとしているのかもしれません。ただ「人生を愛す」だけではなくて、主体性をもって「人生を輝かせる」。

「輝きを待っていた」「ラブライブ!」と違って、「私たち輝きたい!」と願う人々の物語、それが「ラブライブ!サンシャイン!!」です。

二人が「終わり」を見つめる祭りの中で見出した「願い=やりたいこと」には、そんな「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語そのものの「テーマ性」すらも内包されているように感じられます。

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善子が「見通せるもの」

 いよいよ開催される「閉校祭」。賑わう催し物をよそに一向に盛り上がっていない催しが。

それは善子の「占い部屋」でした。

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花丸の必死の勧誘によって無理やり占われることになる千歌(笑)。

しかし、善子の占いは案の定「丸で」当たりません。だから閑古鳥が鳴いているのですね....。

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2期5話記事でも触れた通り善子...もといヨハネとは、「ヨハネであり続けるために、運命や見えない力を肯定し続けなければいけない運命を背負った」存在です。

ishidamashii.hatenablog.com

「自らの手によって必然を手繰り寄せる」。それは「占い」にも共通する要素かもしれません。ただしAqoursのメンバー内で誰よりも「現実的」な善子...もといヨハネには「不向き」なものでもあります。

そんなヨハネの「願い」を叶えようとするのは花丸。

2期3話でもヨハネに「じゃんけんでの勝利」をもたらせたように、ここでも「ヨハネの願い」を達成できるように見守っています。

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ここまで明らかにされていない花丸の「やりたいこと」。それはどうやら「善子の願いを叶えること」なのかもしれません。

2期3話記事でも触れた通り、「自らの物語」を描くことが不得手な花丸にとって、自分と似た存在ながら躊躇せずに「自らの物語」を描いていく善子は「応援の対象」。それは1期時点でのルビィと同じ。「自分の殻を破ろうともがいている存在」を「応援」することこそが「花丸がやりたいこと」なのでしょう。

以前は理解者が花丸しかいなかった善子...もといヨハネ

しかし2期5話を通して新たな「理解者」を得ました。それこそ梨子...もといリリーです。

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千歌の示す「夢へ向かう方法」をいま一つ理解しきれなかった梨子が、「自分のやり方でも良いのだ」と理解し、救われることとなったキッカケ。それは「犬を巡って」善子と過ごした数日間の物語でした。

「善子ちゃんの夢を叶えてあげたい」

そんな二人の願いは、そのまま自分にも跳ね返ってくる願いでもあります。

それを理解してか、千歌が善子に依頼する「占い」は「Aqoursの未来」に関して。

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「自らの手で掴み取る必然」を信じる彼女達に、千歌から与えられる「自らの手で掴み取り得る必然」の可能性。

違う方向から「夢」を追いかけた両者が、ここで重なり合い、同じ「未来」へと歩みを進めていく。

個人的に2期5話を深く思考した身として、その思いが結実したような気がしたシーンでした。

 

バルーンアート~空へとばらまかれる夢~

 456の3人によって用意された「サプライズ」。それは浦女の名前をあしらったバルーンアートでした。

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これは明確に「劇場版ラブライブ!」での「SDS」のシーンを想像させるものでした。

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劇場版では、空へと舞いあがる無数のバルーンに、μ'sがつなげた「スクールアイドルの未来」が重ねられていたように、この日浦の星女学院の屋上から舞い上がった無数のバルーンには「浦女から旅立つ生徒たち」の「未来」が重ねられているように感じられました。

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「終わり」に「希望」を乗せる描写。やはり「劇場版ラブライブ!」との強い関係性をここからも感じますね。

 

■終わりと始まり

 バルーンシーンに続いて始まるモノローグ。要はここを聞いてしまえば、今回の物語そのものが全て理解できる。そんな素晴らしいシーンでした。

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楽しい時間というのはいつもあっという間で。

そこにいるだれもが、この時間がずーっと続けばいいのにと思ってるのに。

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でもやっぱり終わりは来て。

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時が戻らない事、もう一度同じ時間を繰り返せないことが、とてもさみしく思えるけど。

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同時にどうなるのか分からない明日の方が、ちょっぴり楽しみでもあって。

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あぁ、これが時が進んでいく...ってことなんだなって、実感できるずら。

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そして気付く。きっと二度と同じ「時」は無いから。この時が楽しいって思えるのかな。

今こうしていることがたった一度きりだって分かっているから、全力になれる。

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いつか終わりが来ることを、皆が知っているから。終わりが来てもまた、明日が来ることを知っているから。

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未来に向けて、歩き出さなきゃいけないから...。

皆笑うのだろう...!

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「終わり」のモチーフとなるキャンプファイヤー。それを囲んでもなお、笑顔を絶やさない浦の星の生徒たち。

名もない生徒が全開の笑顔でキャンプファイヤーを廻るとき。その笑顔が屈託がないほど、こちらの胸が締め付けられるような切なさを感じます。

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「終わり」を「終わり」として受け止めるのではなくて、「新しい始まり」として受け取る。これは正しく「HAPPY PARTY TRAIN」と世界観を一致するものです。

楽曲PVで果南が座っていた「祭りの後」の教室。あれこそまさに「閉校祭」へと繋がるモチーフだったのだな、と今点と点が繋がる思いでいるファンも多いことでしょう。

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こうして空へと放たれたバルーンと同じく、彼女たちの「願い」もまた「HAPPY PARTY TRAIN」に載せられて、はるか未来へと運ばれていくのでしょうね。

 

■鞠莉の謝罪

 祭りの終わりを締めるのは、理事長の言葉。

今日1日を通して、鞠莉が実感したもの。それは「この学校がいかにこの地域に愛されていたか。そしてどれだけ大事な存在だったか」ということです。

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それはこの日参加した誰もが実感したこと。ただし理事長である鞠莉にとっては、また違う受け止め方をせざるを得ないものでもあります。

「ごめんなさい」

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深く頭を垂れる鞠莉。その謝罪は理事長として「学校を存続させられなかった」ことへの謝罪の言葉です。

もちろん、物語を通して見てきた我々にとって、鞠莉一人にその責任があるとは到底考えられません。

学校の財政状況だけでなく、地域の過疎、減り続ける子供、学校の所在地の通いづらさなど複合的な要素があるもの。その責任を鞠莉一人が背負いきれるものでもありません。

しかし、鞠莉はどうしても「謝罪」したかったのだと思います。

それは彼女がこの学校の「理事長」だからです。もちろん父親が管理している学校だから可能となった「ウルトラC人事」でもありますが、それでも彼女が自らの責任において、この職務を歴任することとなったのは、彼女自身の希望でもあります。

そこには当然「責任」も含まれる。彼女はそこの「重さ」をきちんと理解している。

だからこそ、鞠莉は「謝罪」するのだと思います。

確かにシナリオ上、彼女にここまでの「苦しみ」を与えるべきなのか。それは分かりません。ただ、小原鞠莉という人は、こういった問題を「しょうがないよね!」と済ませられない人なのです。

彼女は本気で「学校を救いたかった」。それは2期10話で語られた通り、この地域とそこで出会った人々が「小原鞠莉」という人格形成に大きく寄与しているから。

そしてなによりも彼女がこの場所を「愛しているから」にほかありません。

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「愛するもの」を守るため、誇りもなにもかも捨てて走り回り、その達成だけを目指しながら、その本質は常に他人には見せない。

「強い意地」と「プライド」を持ちながらも、その「努力の形跡」は人には決して見せたがらない。

そんな「矜持を持った人物」だからこそ、この場面では「謝りたかったのだろう」と考えれば、きっとこのシーンを介して、小原鞠莉というキャラクターがもっと好きになれるような気がするのです。

 

Aqoursに託されるもの

 鞠莉の謝罪。それは「皆にとって大事な思い出や夢の拠点」である「学校」を救えなかったことに対する謝罪。

即ち鞠莉の謝罪を受け入れるということは、「学校が無くなった時」には「夢や思い出」も「消えてしまう」ということを受け入れることにもなってしまいます。

だからこそ、生徒たちは鞠莉の謝罪を「受け入れない」。

その代わりに彼女達が挙げるシュプレヒコールは「Aqours」の名前です。

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なぜ「Aqours」の名前を叫ぶのか。それは「Aqours」こそが「浦の星女学院」の「名前」も、「歴史」も、「思い出」も、その他諸々全てを、次代へと「伝えていく」「可能性」だからです。

「学校」の建物も、名前も消えてしまったとしても、決して消えない「希望」。それを浦の星の生徒たちは「Aqours」へと既に託している。だからこそ「学校がなくなること」への「謝罪」は受け入れない。

代わりに「Aqours」の名前を叫ぶ。

Aqours」が叶えていく「未来」と、伝えていく「希望」に、自分達の「想い」をも乗せていく。

そしてその「声」が、鞠莉を救っていく。

「責任」を前に立ち止まっていた鞠莉。物理的にその背中を押したのはダイヤでしたが、彼女がそこから一歩踏み出すきっかけをあたえたのは、浦の星の生徒たちの声でした。

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「浦の星」に関わる全ての人々の後押しを受けて、鞠莉もまた、自らの「カセ」を一つ、乗り越えたのかもしれません。

 

■みんなで歌う「消えない夢」

このまま終わると見せかけて、視聴者を驚かせた最後の仕掛け。

波に流され消えていく「Aqours」の文字。

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そこに重なるのは、祭りに参加した全ての人で歌う「勇気はどこに?君の胸に!」でした。

「やりのこしたことなど ない 

 そう言いたいね いつの日にか

 そこまでは まだ遠いよ」

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「浦の星」の「想い」を救うのは、「Aqours」がラブライブで優勝すること。

だからこそ、その「願い」を込めて、「挑戦」することの意味を「全員」で歌う。

「だから僕らは 頑張って挑戦だよね」

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波にのまれて消えていくAqoursの文字と同じように、終わっていくものたち。

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閉校祭は終わり、歌も終わり、キャンプファイヤーも消えていく。

そしてやがてラブライブも終わり、Aqoursも活動を終え、学校そのものも無くなって行く。

それでも「消えない」ものもある。

それは、この日この場所で歌に託した「夢」であり、「願い」でしょう。

例えその「存在」が消えたとしても、それを信じた人たちの胸に残っていく「夢」や「願い」が、新たな「夢」を作り出す。

それが続く限り「夢は消えない」。

砂浜に書かれた「Aqours」の文字が消えてしまうのは、確かに悲しいことです。

しかし、「Aqours」に夢を託す人がいる限り、砂浜の文字はきっと何度でも蘇る。あの日砂浜に「Aqours」と書いて、千歌たちに「夢を託した」ダイヤがそうだったように。

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例え「Aqours」が終わってしまったとしても、その思いを受け継いだ人たちが、自分なりのやり方で新しい「輝き」を追い求める限り、「Aqours」は消えません。

何故ならその夢を受け継いだ人の「心の中」で、いつまでも「光り輝き続ける」からです。

つまり「消えない夢」というのは、そういうものなのかもしれません。

 

■千歌の「やりたいこと」

ここは余談ですが。

今回無印2期11話に沿った構成を取ったために、それぞれの「やりたいこと」を叶えていくのが、メインストーリーとして展開されていきましたが、千歌が「やりたかったこと」というのが、最後まで分かり辛かったように思います。

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2期1話から千歌が悔やみ続けたのは、「MIRAI TICKET」を「生徒全員で歌えなかったこと」でした。

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あと一歩届かなかった「輝き」。その要因の一つとして千歌が思っていた「無念」がそれだったように思えます。

Aqoursはあくまでも「9人」のアイドルグループなのだと捉えてしまう我々と違って、千歌は常にAqoursとは「浦の星女学院の生徒全員」なのだと考えてきた人です。

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そんな千歌が未だに叶えられていない「やりたいこと」。それは「生徒全員でAqoursの曲を歌うこと」だったのかなと思います。

あの日届かなかった「輝き」に対する「無念」。その「無念」を払しょくし、「ラブライブ」本選へと臨むこと。発端は生徒たちであり、鞠莉の呼びかけでもありましたが、結果的に今回のEDによって、千歌の「やりたいこと」も叶ったのかな?という風に感じました。

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「やりたいこと」を叶えた末に、「終了」というエモーションへとたどり着く「私たちが決めたこと」に対して、「終了」という発端から、「千歌のやりたいこと」へとたどり着くという構成になっていた「浦の星女学院」。

いわば逆回しで物語を紡いだ格好になります。

こんなところにも脚本上のテクニカルな面が見えて、対比させる意味でも面白い回でしたね。

 

と、いうことで#11「浦の星女学院」でした。

ちょっと触れなければいけない要素が多すぎて、書いてて頭痛くなってきたくらいなので、後々推敲して大幅に直すかもしれませんが、とりあえずはこれが精いっぱいです(笑)。

次回「光の海」!!どうなる!!!?

 

 

~9人だけの約束の場所~ラブライブ!2期 ハイライト #11「私たちが決めたこと」

前書き

※こちらは「ラブライブ!サンシャイン!!2期」第1話放送直後くらいに書かれた記事なので、現在の視点では整合性が取れない部分もあるとは思いますが、敢えてこのまま掲載することといたします。

本当であれば「ラブライブ!サンシャイン!!2期」放送終了後に更新を再開する予定でしたが、決して「繋がりが無い」ともいえない2期11話放送直後の今の方が、振り返る価値があるのかもしれない?と思い#11のみこのタイミングで更新することといたします。

2017年 12月20日

 

 

こんにちは、或いはこんばんは。

ラブライブ!サンシャイン!!2期の放送がはじまり、すっかり私もそちらにかかりっきりになりがちなのですが。同時並行的にこちらも進めて行こうと思います。

今回は2期において最重要回と見る人も多いであろう「私たちが決めたこと」です。こちらはラブライブ!サンシャイン!!で監督を務めていらっしゃる酒井和男監督が、総合演出をされている回ということで、サンシャインとも関係性の深い回。

実の所考察すべき要素もそれほど多くは無いのですが、このタイミングにぜひ「演出面」も含めて振り返って頂ければと思います♪

参りましょう#11「私たちが決めたこと」です。

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■#11あらすじ

季節は高校受験。廃校が阻止された音ノ木坂でも受験が行われ、雪穂と亜里沙も音ノ木坂を受験します。結果は見事合格。二人は来年より音ノ木坂の生徒になることに。合格を姉に報告する亜里沙。「μ'sに入る!」無邪気な亜里沙の希望は、μ'sメンバーが自然と見ないようにしていた「事実」を白日の下にさらすこととなる。「3年生が卒業したらμ'sはどうなるのか」。ラブライブが終わるまでは、結論を先延ばしにするはずの問題。しかし新しく生まれる後輩たちのために、そして自分達のために結論を出す必要がありますが...。

■#11の主要人物

・高坂雪穂、絢瀬亜里沙

お互いの姉が所属するグループ「μ's」。そのあり方を愛し、応援するファンでもある二人。音ノ木坂に入学することとなり、今度は自分達も「スクールアイドル部」の一員となる事が可能となる。その時自分達は「μ's」の一員になれるのか。なるべきなのか。二人の悩みはμ'sが自分達の行く末を決めるための引き金になり、二人もまた自分達の未来を決めなければならなくなる。二人の決めた崇高な願いは、Aqoursにも引き継がれていく。

 

■受験と卒業

無事継続の決まった音ノ木坂。来年度に向けて新入生を募集し、入学試験も行われたようです。UT-Xを受験するつもりだった雪穂も、元から音ノ木坂への入学を希望していた亜里沙も、音ノ木坂を受験。結果は見事に合格。二人は来年度から「音ノ木坂高校」の1年生になることとなります。

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合格に歓喜する亜里沙、どこか淡々とした様子の雪穂。二人のパーソナリティがここにも現れています。雪穂と亜里沙。μ'sメンバーである穂乃果と絵里の妹である二人。そんなμ'sにとって「身内」と呼べる二人が、今回の物語の起点となっていきます。

元生徒会長である姉=絵里を見つけ合格を報告する亜里沙

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「私μ'sだよ!μ'sに入る!!」

亜里沙にとって、合格=μ'sへと加入すること。もはや「姉の高校だから」とかではなく、「μ'sの母校だから」そして「μ'sの一員となる為」に音ノ木坂を受験したと言っても過言ではない亜里沙。そんな亜里沙の言葉にどこか困惑する様子の絵里。そんな二人を見つめ「一つの疑問」へとたどり着く雪穂。

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自宅に戻り、姉へとその疑問をぶつける雪穂。

「μ'sって3年生が卒業したらどうするの?」

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雪穂の質問は、秋口からメンバー全員が感じながらも、敢えて直視を避けてきた問題でした。しかし、「μ'sへの加入を夢見る下級生」がいる以上、それは本人たちだけの問題ではなくなります。「μ'sをどうするのか」。穂乃果たちは、その結論を求められることになるのです。

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■μ'sに対する視線

3年生が卒業したらどうするのか。メンバー間では「ラブライブが終了するまでは封印」とされていた話題。それは大会に集中するためでもありましたが、同時にそれぞれの考えが違い過ぎたからでもありました。

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アイドルファンであるにこにとって、アイドルは「卒業を積み重ねても新メンバーが加入し、その歴史を紡いでいくもの」という認識。故に「μ'sは解散しない」という考え方。これは現代のアイドル感的にはいたって「普通」の考え方ですね。

メンバーの卒業・引退と同時に「解散」するのが当たり前だった以前のアイドルと違って、メンバーを入れ替えながら継続していくのが現在のスタンダード。しかし、その考え方に疑問を呈すのは、同じアイドルファンの花陽。

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「本当にそれでいいのかな?」

彼女の中に結論があるわけではない。けれども、にこのようには割り切れない。アイドルファンであるという視点を除けば、「μ's」によって「自らの人生」を切り開き、救われた花陽にとってその存在は「アイドル」という枠組み「のみ」で語れる存在ではない。

そしてそれは他のメンバーにとっても同じ。とても「大切」な存在としての「μ's」。だからこそ、その「結末」に関しても、「全員の納得のいく」ものを、全員で決めていく必要があるはずです。

意見を求められる絵里。彼女の答えは「それは私達が決めるものではない」というもの。「卒業していく私達ではなく、残されたメンバーが決めるもの」だから「穂乃果たちに決めてほしい」。

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絵里の判断に従うにこと希。穂乃果たちは、6人で「μ'sの今後」に関して、決める必要性が出てきてしまいました。

 

■憧れ

答えに迷いながらの家路。自宅に着くとそこには亜里沙が。μ'sへの憧れを全くもって隠さない亜里沙。それと同時に「μ'sが続き」「自分がμ'sに加入すること」にもなんの疑いも抱いていません。

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「穂乃果さん、ちょっと見てもらって良いですか?」そう言って彼女が見せたのは、「μ'sミュージックスタート!」の掛け声。

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μ'sメンバーにとっては、とても大切にしている掛け声。穂乃果の中で燻る「何か」がチクチクと痛むもの。それは亜里沙に全くの邪気が無いから、より強調される痛みでもあります。

そんな姉の様子を気遣って、亜里沙を制する雪穂。姉がちょっと暢気な分、妹である雪穂はどこか大人びていて、こんな時にも繊細な配慮が出来る子です。

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繊細な分、μ'sメンバーである姉の「複雑な心境」をも、感覚的に理解している雪穂。「μ's」は姉たちの大切なもの。そして自分達にとっても「大切な存在」。だとすれば、ファンである自分達は、μ'sの「何を尊重すべき」なのか。雪穂は亜里沙に問いかけます。「亜里沙はさ、μ'sのどこが好き?」

二人にとっても大切な結論が、この回では導き出されることになるのです。

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二人がこの日決めた「大切な結論」は、μ'sの「結論」にも少なからず影響を与えることになります。

 

■雪穂と亜里沙の答え

 メンバー間で会話しながらも最適解を見出せないμ's。そんなメンバーを尻目に、雪穂と亜里沙は自分達なりの「答え」を見出します。

二人が決めた結論。それは自分達は「μ'sには加入しない」というものでした。

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 「自分の好きなμ's」。その姿を思い浮かべた時、その中には「自分」はいませんでした。

「憧れる」ことと「同化」することは別。「応援する」対象として自分達にとって大切な存在であるμ's。それ故にその中に「自分が入る」という画を、二人は描くことが出来ませんでした。

雪穂と亜里沙がたどり着いた結論。それは「私達は私達にしか出来ないはハラショーなアイドル」を目指すこと。「μ'sへの憧れ」を胸に残したまま、μ'sとは違う、「自分達にしか出来ないアイドル」を目指す。

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Aqoursも同じ悩みにぶち当たりながら、その迷いを振り払うまでに12話を要しましたが、この二人はその解答にほぼ一日でたどり着きました。

とはいえ、それはμ'sが「自分達にとってとても身近な存在だから」にほかありません。常に見守り、常に応援してきた。だからこそ、彼女達が大切にしている存在としての「μ'sの価値」もより理解している。それゆえの理解の速さなのだと、私は考えています。

二人が導き出した「解答」。これが穂乃果にも一つの「ヒント」を与えることになります。

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■遊びに行こう!

亜里沙と雪穂の言葉をヒントに、1・2年生だけで「μ'sのこれから」に関する考えをまとめた穂乃果たち。

結論を告げるのか...と思いきや、3年生を強引に連れ出し、遊びに行くことになります。

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どこで何をするのかはノープラン。それぞれの出した案もバラバラ。

だったら「全部に行けばいい!」。

オール・オア・ナッシングな穂乃果の案で、メンバー案の全てを「叶える」一日が始まります。

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なんてことないただメンバーみんなで「遊ぶだけ」の一日。

目標も、目的も無い「ただの一日」。

とはいえ、「ラブライブ!」優勝を目指し、日々練習に明け暮れるだけでなく、同時並行的に生徒会活動などをこなす彼女達にとっては、得難い「一日」でもあります。

今の視点でみれば、なんてことない「一日」も、後から振り返れば二度とない「大切な一日」に変わる。

だからこそ、その二度とない「大切な一日」を、この瞬間に刻み付ける。

2期全体で描かれてきたそんなテーマが、ある種象徴的に描かれることになるこのシーン。ここからもこの#11が2期全体のテーマを集約すべく作劇されていること。

そしてそれだけ「大事な回」であることが伝わってくるように思えます。

 

■海

一通り「遊び終えた」一行。

最後に穂乃果の行きたい場所へ。そこは「誰もいない海」。

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あてどもなく電車に飛び乗るメンバー。たどり着いたのは、冬の、誰もいない海。

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度々指摘される通り、本来は「東側」にあるこの国府津の海岸。だとすれば、ここは「日が昇る」方角であり、「日が沈む」方角ではありません。

けれどもμ'sは海に沈む太陽を見る。つまり「ありえない景色」を見ていることになります。

「9人しかいない海に行きたい」。そう願った穂乃果の思いはここに結実して「しまっている」。即ち彼女達は一種の「異世界」へと入り込んでしまっているわけです。

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そんな「異世界」で下す彼女達の「結論」。その「結論」が「歴史」の中に刻まれて「いない」のは、彼女達が「異世界」において下した「結論」だからにほかありません。

即ち完全に「μ'sだけ」の「閉じた世界」で「結論が示されようとしている」ということが、なんとなく暗喩されている、というように感じられるのです。

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穂乃果たちが決めたこと。それは「大会が終わったらμ'sはおしまいにする」ということ。

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彼女達が決めたのは「今」を「永遠に刻み付ける」こと。

本来ならば「μ's」の名前を引き継いで、新メンバーを募集して、穂乃果たちが最上級生となって新たな「μ's」を作っていけば良い。

けれども、それは出来ない。「μ's」はこの「9人」でなければいけない。

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誰よりもスクールアイドルを愛するが故に、最後までその結論に納得がいかないにこ。そんなにこを制するのは、真姫。

「にこちゃんのいない、μ'sはいやなの!私がいやなの」

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もはや「個人的な感情」に着地していくしかない慟哭。

ことほどさように、彼女達の結論には決して「理屈」があるわけではありません。

だからこそ、彼女達の出した結論を我々が「正しい」か「間違っている」かを結論付けることもできません。

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「普通のアイドル」ならばあり得ない「結論」でも、彼女達は「選びうる」。それは彼女達が「スクールアイドル」だからにほかありません。

徹頭徹尾「スクールアイドル」であろうとするμ's。彼女たちの目線の先に「プロ」としての視野はやはりない。だからこそ、μ'sは「スクールアイドル」における「神話」を築き上げることができたのだと、今振り返ると理解できる気もしてきます。

 

■μ's

μ'sとは、メンバーそれぞれにとっての、ごく個人的な「救い」として機能したグループでした。

μ'sの物語には、メンバーそれぞれの「個人的」な物語が深く関与しているように、やはりそこに「他人」が入る余地はない。

それぞれが、それぞれの「輝く方法」を見出すための「場所」として機能したのがμ's。

だからこそ、彼女達の物語は彼女達だけにしか「紡げない物語」である。

それをμ's自身はこの時強く「実感」したのではないでしょうか。

けれども、「μ'sに憧れる人々」は、彼女達の道程そのものを追いかけてしまう。それは何故かといえば、やはりこの結論が示された場所が「閉じられた異世界だったから」と言えるのかもしれません。

だとすれば、それを「公に示す」必要もある。そんな「物語」は劇場版へと繋がっていくのですが、それはまた別のお話でしょうか。

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■「瞬間」を刻み付けるモチーフ

「泣きそうだった」からと慌てて駅に駆け戻る穂乃果。それに続いて走り出すメンバー。辿り着く駅は根府川ですが、国府津の海岸からは10Km以上かかる場所。

ここにも異世界が発生していますね。

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記念に写真を撮ろうと話すメンバー。携帯を出そうとする花陽を制す穂乃果。彼女が示すのは、駅の横にある「証明写真機」。

本来一人で撮影するために使う証明写真機に、ギュウギュウに押し込まれる9人。

どことなくユニークな絵面に、先ほどまでしんみりしていたメンバーも思わず笑い出してしまいます。

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携帯電話、ではなくこの証明写真機を使ったのは、この証明写真機が「ここにしかないもの」だから。

どこでも、いつでも撮れる携帯電話の写メではなく、この場所でしか撮れないもので写真を撮る。これもまた「今」を強烈に刻み付けるための行為なのだと思えます。

 

■「終わり」のモチーフ

笑い声が響く駅。ここにもどうやら9人しかいないようです。

楽しげに証明写真を見せ合うメンバー。その陰で映し出されるのは「終わりのモチーフ」たちです。

例えばそれは、駅の横にある「誰かのお墓」。

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例えばそれは、既に終わっている「受験」のポスター。

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「役割」を終え、ただそこに「佇むだけ」の存在たち。それらのモチーフは、やがては「終わっていく」すべての「物事」に対するメタファー表現として使用されているように思えます。

楽しく笑いながらも、涙がこみ上げてくる花陽。

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「楽しい」から。「今」が「楽しくて楽しくて仕方がない」から。

だからこそ、そんな「今」が「終わっていく」ことを強烈に実感する。

「今」が「楽しい」からこそ、それが終わってしまうことが「悲しくて」仕方なくなる。

「終わりのモチーフ」たちがかき乱すμ'sの心。いつの間にやら証明写真もまた、「終わりのモチーフ」として機能し、彼女達の心をかき乱していくのです。

自然とこぼれ出す涙と、それを抑えきれないメンバー。

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そんな中でも一人決して泣かないのは、にこ。

これまでどれだけ辛くても、苦しくても、決して弱音を吐かずに、一人「運命」と戦い続けてきたにこ。

彼女のそんな屈強なパーソナリティを支えるのは、決して「アイドル好き」だからというだけではありません。

家庭では、不在がちな母親に代って3人の姉妹の面倒を見て、バイトをしながら家計をも支えるにこ。夢見がちなμ'sメンバーの中では、極めて「現実」の「酸いも甘い」も知っているのが矢澤にこという存在です。

だからこそ、こんな時でも「泣けない」。

屈強すぎる彼女のメンタリティが、この場所では逆に彼女を「泣かせない」要素として機能してしまうのです。

そんなにこの心を優しく受け止めるのは、希。

これまでも、にこをそっと見守り、彼女の最大の理解者であり続けた希が、「語ることなく」差し伸べる手。

そこに包まれた時初めてにこは「号泣」する。

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それはたった一人、味方のいない世界で、ただ一人「アイドル」を夢見、その世界にだけ救いを求めて生きて来ざるを得なかった少女と、

そんな少女の「孤独な魂」を、「μ's」というグループを「生み出す」ことで救った「女神」との関係性が、メタ的に表現されているシーンなのだと感じました。

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それまで一度も、誰にも見せたことのないくらい、子供のように泣きじゃくる姿は、彼女の「孤独な魂」が「μ's=女神」との出会いによって、ようやく「救われた」ことの証でもあるように思えるのです。

最後まで「μ's継続」に拘り続けたにこ。

そんなにこにとっても「μ's」とは、極めて個人的な「存在」であることが、ここでは極めて明確に伝わるシーンとなっているように思えます。

かけがえのない「一日」と、その経験をもとに、更に強くなったμ's。

彼女達はただひたすらに「有終の美」、すなわち「ラブライブ優勝」へと駆け上がっていくことになります。

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というわけで、2期というだけでなく、「ラブライブ!」という作品内でも重要な回「私たちが決めたこと」でした。

徳井青空嬢の名演技はもちろん、酒井和男氏の繊細な演出が光った素晴らしい回だけに、「サンシャイン!!」を追いかける際には、是非再試聴していただきたい回でもありますので、もしお時間があれば、2期11話だけでも見てみてはいかがでしょうか??

物語はいよいよ佳境!

ラストスパートに向かう12話・13話は、恐らく「サンシャイン!!」2期放送終了後に更新することとなると思います。。今しばらくお待ちくださいませ。

それでは、今回もお付き合い頂きありがとうございました!

 

~星になれたら~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第23話(2期10話)「シャイニーを探して」

皆様こんにちは。或いはこんばんは。

今回もお時間があれば、お付き合い頂ければ幸いです。

さて、今回は第10話「シャイニーを探して」に関する妄想をお届けします。

一見分かりやすそうな回でありながら、物語終盤の展開とその意図を読み解くには、これまでの「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語そのものの構造を読み解く必要がありそうな回。

久々に酒井監督らしさが出ていて、変な意味で安心してしまいましたが。(笑)

正直、今回も考察するのは野暮であることは確か。それぞれが受け取ったものが正解で良いとは思いますが、一応「受け取った一人」として、そのワンダーを一旦形にさせていただきたく思います。

色々な切り取り方が存在すると思いますが、私は「旧Aqoursに焦点を置いて考えてみたいなと思います。

更にその中で重要な要素となる「流れ星」「星」「車」などの意図を「個人的な見解」で読み解きながら、全体の構成に関して考えていけたら良いなと思っております。

もちろん毎度おなじみですが、これは私個人の「妄想」にすぎません。「正解」ではないので、その辺はお含みおきのうえ、可能性の一つとして楽しんで頂けたら幸いです。

また、意図や意味に関しては、ぜひ皆様からもご意見を頂戴し一緒に考えていけたら楽しいなと思います。

それでは参りましょう。#10「シャイニーを探して」です。

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■必然の「流れ星」

物語の冒頭は幼少期の幼馴染3人組の回想から。

屋敷を抜け出した鞠莉を探す小原家の人々。その喧騒の最中、鞠莉・ダイヤ・果南の3人が目指すのは山頂。乗っているロープウェイは伊豆の国パノラマパークのもののようです。

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鞠莉の家のある淡島ホテルからはバスで約30分。徒歩では1時間弱。と決して遠くにある場所では無いですが、当時の彼女達にとってはそれなりの「冒険」でもあります。

3人が必死に「見たがっているもの」。それはどうやら「流星群」のように思えます。

「流れ星に祈れば願いが叶う」。

誰に教えられるというわけでもなく、自然に知ることになる「おまじない」の一種。しかしふと夜空を見上げて、流れ星をドンピシャで見つけるのは難しい。仮に見つけたとしても、瞬時にお祈りを捧げるのは更に難しい。

となれば、流れ星が大量に現れる「流星群」を狙って、願いをかければよいのでは?

想像ですが、この時の3人の思惑とはこれだったのでは?と思えます。

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彼女たちが星に願うのは「ずっと一緒にいられますように」という願い。しかし、その「願い」以前に「曇天」という「神様の思し召し」によって「星」も「空」も見えず、目論見は「阻止」されてしまいます。

親に内緒で家を飛び出す。それは子供にとっては大冒険です。それだけのリスクを背負ってまで祈りたかった「願い」。それを阻止されてしまったことで、鞠莉の心は折れかけます。

その時鞠莉を救ったのは果南でした。

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「泣かないで!」

「ほら!これで大丈夫!!」

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ラブライブ!」では何度となく登場する「雨」。自分たちで操作することの出来ない「天候」。それもまた「偶然」に支配された「世界」そのものの象徴でもあります。

そんな「偶然」が支配する世界に飲み込まれそうになった時。果南が鞠莉に与えたのは「手書きの流れ星」でした。

空から偶発的に降ってくる「本物の流れ星」ではなく、人の手によって「必然的」に生み出された「手書きの流れ星」。

この日、この「人の手によって必然的に生み出された流れ星」が、3人の願いをかける「対象」になりました。

3人の「願い」を叶えるために、必然的に生み出された「流れ星」。

今回はこの「流れ星」が持つ「意味」が物語終盤に至るまでに、幾たびも「更新」されていきます。

その意図とは「流れ星」の持つ本質的な意味と、その変遷に、今回の物語の持つ「意味」を反映させようとしているからなのでは?と私は感じました。

それだけに「流れ星」は、今回の物語において重要な「パーツ」であるように思えます。

であれば、まずはこの「流れ星」がどういった「存在」として配置されているのか。それを読み解いてみる必要があるように思います。

 

■流れ星の意図

一般的に「流れ星」が持つ意図とは何か。それは幼少期の鞠莉たちが信じたような「人の願いを叶える願望器」としての「おまじないの対象」でしょうか。

自らの「願い」や「夢」を「願掛けする」対象としての「存在」。

もちろん「願い」や「夢」の成就を保証する存在ではありませんが、そこに「願い」を「願掛けする」行為は、その人にとっての「願い」や「夢」を、その人自身の内面に「顕在化」させる行為でもあります。

仮に「流れ星」へのお祈りが「成功した」場合。それはその人個人にとって「夢」や「願い」が「かなうかもしれない」可能性を「得る」行為となる。

それは即ち「生きる希望」を生み出す行為にもなり得るのです。

 

反面「流れ星」には「死の象徴」という面もあります。

同じくサンライズ製作のアニメーション作品、カウボーイビバップ第13話では「流れ星」に関してこんなやり取りがあります。

既に荒廃した地球。そこで暮らすネイティブアメリカンの一族。ブルはその族長のような存在です。ある時ネイティブアメリカンの子供がブルに尋ねます。

「ブル?星が落ちたよ」

子供は流星を初めて見たのか、その物の持つ「意図」をブルに尋ねたのです。

するとブルはこう答えます。

「あれはただの星ではない。戦士の涙だ。この星のどこかで戦い、果てたもの。

 グレートスピリッツを信じられなかった、哀れな魂...。」

「グレートスピリッツ」とはネイティブアメリカンの文脈でいわば「自然の理」の意。ラブライブ文脈に落とし込めば「世界が持つ偶然性」と同意義のものです。

その摂理を信じず、曲げようとしたものが敗れ、戦い果てた末の「哀れな魂」。

ビバップの13話そのものの話でもあります。完全に余談ですが、筆者はビバップのエピソードではこの12話13話の前後編はたまに見返すくらい好きな回です。)

即ち「流れ星」は「死」の象徴でもあるのです。

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これと同じくヨーロッパの一部地域では、「流れ星」を「人がいなくなる瞬間に流れるもの」と定義することもあります。

「人それぞれの頭上に必ず一つ星があり、流れ星はその人が死んだ時に流れるその人の頭上の星である」という考え方です。

また、物理的には「流れ星」は宇宙に漂う石やチリが、地球の引力に引き寄せられ、その途中で燃え尽きる瞬間に生み出されるもの。

つまりおまじない的な意味を除けば総じて「流れ星」とは「死」することでもあるわけです。

ここから理解出来るのは、「流れ星」とは「生」と「死」両方の概念を併せ持った存在である、ということです。

「流れ星」が発生する瞬間。そこには厳然たる「死」の「現実」があります。

ただし人間はその「死」の瞬間に自らの「願いを託す」こともある。

すると「死」していくはずの「流れ星」に対して、人間は「希望=願い=生」という「概念」が与えることになる。

即ち「流れ星」が「死んでいった」としても、そこに託した人間の「願い」や「希望」というものは「生」として残っていくわけです。

 

では今回の物語では、この「流れ星」に対して、どんなメタファーを込めているのか。それを時系列的に考えていくことで、お話の構造自体も噛み砕くことが出来るのではないか。そんな風に考えています。

 

■果南・鞠莉・ダイヤにとっての「流れ星」

果南、鞠莉、ダイヤの3人が流れ星に託した「願い」。それは3人が「ずっと一緒にいられますように」というものでした。

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この時点でこの星座早見表に書かれた「流れ星」は「3人が一緒にいられること」を「実現する」為の「願望器」としての役割を与えられています。

現実的に考えれば、「友人3人でずっと一緒にいられること」は不可能に近い事でしょう。大人になるにつれ、それぞれにとっての新たな人間関係が生まれ、やがてこれまでよりはどことなく疎遠になっていく。幼少期の友人というのは総じてそういうもののように思えます。

しかし、彼女たちはそうならなかった。同じ小学校を卒業し、当たり前のように同じ高校に入学。もちろん内浦という狭いコミュニティで暮らすからこそなのかもしれませんが、ここまで彼女たちを「一緒にいさせた」のは「流れ星」が持つ不思議な「引力」とそこにかけた「願い」故なのかもとも思えてきます。

しかし、いよいよ高校を卒業してしまえば、その「願い」が反故にされる可能性も格段に高まる。となれば、3人が「ずっと一緒にいる」ための「新しい選択肢」が必要です。

そこで用意されたのが「スクールアイドル」だったのかもしれません。

本来「スクールアイドル」とは、学生だけがでなれる3年間限定の「魔法」のような存在。

ただし「人気者」であればその限りではない。

無印「ラブライブ!」において、A-RISEが「前例」を作ったように、「スクールアイドル」の頂点へと昇りつめれば、その先には「プロ」としての未来も見えてくる。

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即ち「プロ」の「アイドルグループ」として、高校卒業後に至っても「3人一緒にいられる」ということにもなるわけです。

もちろん、「未来への展望」としては、あまりにも「甘い考え」です。そんな「トップオブトップ」に登りつめられるアイドルなどほんの一握りであることも当然分かっていたでしょう。

それでもその「甘美な可能性」に鞠莉たちは「無意識に賭けてしまった」のでは?

そんな風に感じられるのです。

この時点で3人にとっての「流れ星」はAqours」という「スクールアイドル」に形を変化させました。即ち「Aqours」とは元来、彼女たちの願望を叶えるための「願望器」として誕生したグループなのでは、という推測も生まれてくるわけです。

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■1年生時の流れ星~一度途絶えた星~

かくしてスタートした「Aqours」の活動。μ'sに憧れスクールアイドルを目指した果南とダイヤにとっては学校の「統廃合危機」という状況も、彼女たちを燃えさせる一因となりました。

「スクールアイドルとして成功し、学校を廃校から救う」

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その願いは、千歌と同じく「μ's神話」の下敷きがあるからこその願い。

本来因果関係の無いものに因果を求めてしまう。だからこそ「傷ついて」しまう。

「スクールアイドルの難しさ」。

それは1期で果南やダイヤが何度となく語ったもの。

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1年生時の「初代Aqours」にどのような「困難」が襲いかかったのか。

それは断片的な情報でしか我々には分からない物ですが、恐らく千歌が後々経験する挫折や葛藤やジレンマは、この時の果南・鞠莉・ダイヤの3人が漏れなく「経験したもの」なのでは?と想像できます。

沼津の内浦という場所で「アイドル」をすることの難しさ。

その上での「地元の人々」の「暖かさ」。

それでも思うように上がらない全国的な「知名度」と「人気」。

一時的に人気が上がったとしても、飽きられてしまう要素。

多すぎる競技人口と差別化の難しさ。

「挫折」。

そして、自分たちがどれだけ頑張っても覆せない「統廃合」という現実。

そこから発生するいらだち。焦り。それを発端として起きる諍い。

彼女たちが笑顔で夢見た「ずっと一緒にいること」とは少し違った、厳しい現実。

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その果てで起きた鞠莉のケガ。

きっかけとしては些細なものだったかもしれません。

ただその「些細なきっかけ」はこの状況を「クリア」にするには十分なきっかけ。

もしかしたら、果南は当に限界を迎えていたのかもしれません。

あの日願った無邪気な「願い」とは重ならない日々。

このままでは根本的に「壊れてしまうかもしれない」自分たちの関係。

だとすれば、それは一回「捨てる」しかない。

もちろん、想像に過ぎませんが果南の唐突な「解散宣言」には、そんな思いも下敷きにあるのではと思えてきます。

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かくして第1次「Aqours」は瓦解しました。

「幼馴染3人」の根本的な「関係性」を守るために、その関係性から切り離された「Aqours」。

「関係性を守る」ために選ばれたその選択肢は、しかして果南の絶対的な「説明下手」が原因となって、本来守るべきその「関係性」すらも「破壊」してしまいました。

しかしそれは実のところ当然でもあるのかな?と思えます。

本来であればとっくに「疎遠」になっていたはずの彼女たちの「関係性」を繋ぐ要因となっていたのは、そのものズバリAqours」という存在だったわけですから。

「スクールアイドル」「Aqours」としてなんとか結びついていた彼女たちの関係性は、そのつながりが無くなったとたんにバラけていく。

海外に本拠地を持つ父に従って、海外へと転校していく鞠莉。

黒澤家という「網元の名家」を継ぐ者として、それに恥じぬ存在となるべく勉学はもとより習い事、生徒会活動に勤しむようになったダイヤ。

そして実家のダイビングショップを手伝うという「生活」部分に重点を置くようになった果南。

そもそもとして彼女たちは生活環境自体がバラバラでした。

子供自体には顕在化しなかったその違いは、もはや「高校生」という「大人」になった時点ではっきりと顕在化していた。けれどその顕在化によって「離れ離れになる」という要素を「スクールアイドル=Aqours」が繋ぎとめていた。

そんな風に感じられるのです。

 

「夢は呪いに似ている」という言葉があります。この文脈に照らせばAqoursという夢」もどこか「呪い」に似ているのかもしれません。

「3人がずっと一緒にいるため」の「願望器」として作動し続けた「Aqours」は、その「夢」が「成就しなかった」途端に、根底にある「願い」をも「破壊」してしまったわけですから。

しかし「ラブライブ!サンシャイン!!」では「夢」を「呪い」のままにして終わらせません。

 彼女達が「Aqours」から離れることで、必然的に生まれた「別離」。

それによってそれぞれが向き合うことになった「自分」という存在。

そして彼女達が客観的に見た「Aqours」というものの存在価値。

「別離」によって「変化」していくもの。そしてそこから得るもの。見えるもの。

その「得たもの」が「救うもの」。

そういった諸々に、「ラブライブ!サンシャイン!!」ならではの「テーマ性」のようなものも見えてくるのです。

 

■ダイヤが「新Aqours」に託した「願い」。

果南の判断によって「活動休止」となった「Aqours」。

いわば作り手たちから「切り離された」結果「空中浮遊」することになった「Aqours」という存在。

しかし、それは意外な人物によって「再始動」されることになります。

その存在とはもちろん千歌。

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東京への旅行中、偶然出会った「μ's」。

自分と同じような「普通の女の子たち」が「キラキラ輝いて見えた」。もしかしたら自分も彼女たちのように「キラキラ」できるかもしれない。

「"普通"の私の日常に舞い降りた奇跡。」

幼馴染である曜、作曲の出来る転校生=梨子。

二人の中に眠っていた「輝きたい」という願望を、自らが感じた「奇跡」を通じて呼び起こした千歌は「スクールアイドル」としての目標に「まっしぐら」に突き進んでいきます。

 始めは千歌たちの「スクールアイドルへの不理解」や「不誠実さ」(とダイヤが感じていたもの)に嫌悪感を感じていたダイヤ。しかし、3話では彼女達がまっすぐに語る「輝きたい」という願望に心打たれます。

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「スクールアイドル」として活動する中で「現実」に打ちのめされ、いつの間にかダイヤ自身が失ってしまったもの。

Aqours」を始めたときに胸に芽生えた根本的な「ワクワク」や「ときめき」。

それは、「統廃合を阻止しなければならない」とか「ラブライブで優勝しなくてはいけない」という「使命感」の陰でだんだんと薄れていってしまったもの。

はじまった時の ときめきずっと大事にね(青空Jumping Heart

その「ときめき」を、再び千歌たちの存在が呼び起こしていくのです。

 

...とはいえ、ダイヤは3話の物語以前に、ある種直感的に「千歌たちが自分達を救う存在になるのでは?」と気付いていた可能性もあります。

Aqours」が幼馴染3人にとっての「夢を叶える願望器」として誕生したのでは?という仮説は前段の通り。

しかしながらこの「願望器」は、3人の「願い」に対してのある種の「限界」を露呈させたうえで、一旦停止してしまいました。

しかし、千歌たちがスクールアイドル活動を開始する中で、再びその「願い」を繋げていく可能性が生まれた。

「3人がずっと一緒にいる」という「願い」に対する「ある一つの方法」は「行き詰ってしまった」。とはいえ、その「結論」に辿りつく方法は決して「一つ」だけではないはず。

離れて過ごす時間の中でダイヤが得た一つの「気づき」。ダイヤはその「気づき」を新たな「願い」に変えて「新Aqours」に託したのでは、と思えるのです。

「3人が現実的にずっと一緒にいる」ことは出来ない。

であれば、「3人が一緒にいた証」を「Aqours」というグループに刻み付ける。

そしてその活動の歴史をラブライブ」という大会の歴史に刻み付ける。

それを実現することが出来れば、「3人が一緒にいた証」は永遠に「Aqours」の名前と共に刻まれる。

即ち3人はAqours」と共に「永遠に一緒」に「存在し続ける」ことが可能になるわけです。

ダイヤにとって千歌たちは「流れ星」に等しい存在。

「行き詰る選択肢」を選んでしまった結果、一旦途絶えてしまった「夢」や「願い」。その「夢」や願い」を再度別の「方法」で「託す」ための存在にもなり得るもの。

だからこそ、ダイヤは敢えて千歌達のグループ名に「Aqours」の名前を受け継がせたのでは?とも推測できるのです。

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ダイヤが「新Aqours」に託した「新たな願い」。

それが叶えば、例え離れ離れになってしまったとしても、いつか「Aqours」の名のもとに3人が同じ場所に集う日が来る「未来の可能性」をも残せる。

それは「過去」や「今」を「固定するための存在」だった「Aqours」が、「未来」への「可能性」即ち「開かれた存在」へと「変化」したという事実にも繋がっていくのでは、と思えます。

こういった「たどり着く方法は一つではない」という考え方もまた、2期では繰り返し描かれたものですね。

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また、「流れ星」のはずの「Aqours」がなぜ再び蘇るのか?というのも同じように「繰り返し描かれたモチーフ」の再現でしょう。

普通の流れ星であれば、「生まれた瞬間に消えてしまう」ものですが、果南が書いた流れ星は「人の手によって生み出されたもの」。

そして「人の手によって生み出された流れ星」が象徴するものこそ「Aqours」でもある。故に決して「消えること」はなく、人の意志さえあればそれは「何度でも蘇る」のではないでしょうか。

このように、人の「意志」によって生み出される「必然」を信じる...というような「モチーフ」も「ラブライブ!サンシャイン!!」では度々登場するもの。

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前回もこれまでの物語を総括するようなモチーフが多数登場しましたが、今回も数多登場しているわけですね。

とはいえ、そんな事実はいよいよ物語が「佳境を迎えている」ということも実感させて、寂しく思えるわけですが。。

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■「夢の海」と「不滅の流れ星」

かくしてダイヤにとっての新たな「流れ星=願望器」となった「新Aqours」は、紆余曲折を経て第9話の物語へとたどり着き...。

その中心にいる千歌が、果南・鞠莉・ダイヤの「ほつれた糸」を半ば強引に「振りほどく」ことになります。

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そこで語られたのは、「旧Aqours」の挫折。鞠莉のケガによって途絶えた「ラブライブへの夢」。そして出場を前にして叶わなかった「花火大会でのライブ」。

神の采配なのか。或いはダイヤの思惑通りなのか。綺麗に結びついた「旧Aqours」の「停止の日」と、「新Aqours」による「再生の萌芽」。

ここぞとばかりにダイヤによって明かされる「鞠莉と果南のすれ違い」のあらまし。それによって再開する「幼馴染3人」の「物語」。

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こうしてダイヤによって託された「新たな願望」は、「新Aqours」という名の「願望器」によって「成就」されました。

ここにその「成就」の象徴として、9人の「Aqours」が誕生するのです。

9人の「Aqours」が一番最初に歌う曲は未熟DREAMER

それはかつて「旧Aqours」が「花火大会」に向けて準備しながらも歌うことが叶わなかった楽曲。果南・鞠莉・ダイヤが「スクールアイドル」「Aqours」に対して込めた「夢」や「願い」の全てが込められた楽曲でした。

「旧Aqours」の夢が途絶えた場所から、再スタートする「新Aqours」。

見事に時間を超えて、2つの「Aqours」が繋がっていくのです。

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 9話考察でも触れた通り、この楽曲の歌詞は1年生時の果南・鞠莉・ダイヤの気持ちを現1年生・2年生メンバーが「救っていく」歌詞構成になっています。

ishidamashii.hatenablog.com

 そこには「新Aqours」によって「旧Aquors」が「救われていく」過程が、メタ的に象徴されているわけですが...。

ただし、9話の時点ではその意図が100%分からない歌詞も数点存在していました。その一つはラストサビ前に3年生3人だけで歌う

このまま一緒に 夢の海を泳いで行こうよ

でしょうか。

ただし、この歌詞の意図も、今であればなんとなく理解できます。

彼女達が「Aqours」に託した「ずっと一緒にいる」という願い。それは「現実的」には厳しいものですが、「Aqours」という枠組みの中であれば「叶えられる」願いでもあります。

Aqours」とは、もとより彼女達が書いた「手書きの流れ星」を具現化させた存在です。

「流れ星」が存在する場所とは、無限に広がる「宇宙」。

よく「宇宙」は「星の海」などと例えられますが、ここで語られる「夢の海」とは、「流れ星」が存在する「宇宙」のことなのかな?と思えるのです。

現実世界で「ずっと一緒にいる」ことは出来ない。けれども「Aqours」としてならば、この広い宇宙の中で「永遠に輝く星」になることが出来る。そんな3人の「気づき」がこの歌詞には込められているのは?などと妄想することが出来るのです。

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「手書きで書かれた流れ星」は「普通の流れ星」と違って、決して「流れて行かない」。つまり「不滅」の存在である。

あの日「本物の流れ星」に出会えなかったからこそ生まれた「手書きの流れ星」。しかしその事実は、却って「不滅の流れ星=Aqours」を生み出すことになった。

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「全てに意味がある。」

これもまた、「ラブライブ!サンシャイン!!」2期において、非常に重要な考え方ですが、ここでもそれが反復される。

見られなかった「本物の流れ星」。泣きそうな鞠莉を慰めるために苦肉の策で産まれた「手書きの流れ星」。実らなかった最初の「願い」。その過程で瓦解した「旧Aqours」。

それらは一般的には「敗北」や「実らなかった願い」を象徴するものかもしれません。しかしそれらにも全て「意味があった」と考える。

「手書きの流れ星」が「Aqours」を生み出し、「旧Aqours」の「敗北」が「ダイヤの願い」を生み出し、それが「新Aqours」の「結実」に繋がっていく。

全部が全部思い通りになったわけではない。けれども、その「過程」が全て「今」に繋がって、「未来」にも繋がっていく。

その考え方が「正解」かどうかも分からない。けれども「全てに意味があった」と考えれば、どれだけ辛い「現実」があったとしても、常に「前向き」に生きていくことが出来る。その「在り方」を信じる。そこに「ラブライブ!サンシャイン!!」が持つ「普遍的なテーマ」を感じ取れるのです。

2期10話において千歌のセリフとして引用される「未熟DREAMER」ですが、千歌の語る「晴れるまで遊ぼう!」という言葉は、先ほどの「このまま一緒に~」に続く歌詞部分です。

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前後するシーンと併せて、ここは意識的にこの台詞を選んでいるのではないかなと、ここに関しては割と確信的に感じております。

 

■それぞれの「星」

ほとんど2期10話の話に触れないまま、ここまで来たわけですけども(笑)。

ここまでお話させて頂いた通りに果南・鞠莉・ダイヤの心境を整理すれば、淡島遊歩トンネルでの3人の会話シーンもより理解できる気がします。

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鞠莉が決めた「イタリア留学」。それは果南とダイヤには全く相談をせずに決めたものでした。

つまり「3人がずっと一緒にいる」という願いごとを反故する行為でもあるわけです。しかし果南もダイヤもその「決定」に対して何も反論をしません。

「1年前なら止めていたかも」という果南の言葉。これは「旧Aqours」が「停止せず」に活動していた場合に「if」と捉えられます。

即ち「停止期間」が無ければ、果南は鞠莉の「決定」を「尊重できなかった」かもしれないわけです。

では、なぜ今はその決定を尊重できるのか、といえば、彼女達には「停止期間」があったからでしょう。

Aqours」と離れて、「自分」と向き合う時間。それは物理的に親友二人とも「離れる」時間になりました。

その「孤独」に「自問自答」する時間の中で見えてきた「自分自身」。そして「自分がやりたいこと」「やるべきこと」。その「気づき」は、自分の「未来予想図」をも「明瞭」にする時間になったのです。

そして「停止期間」をそのように使用したのは決して鞠莉だけではなかった。果南もダイヤも「停止期間」に己の夢や目標に向き合った。そして自分の「在り方」を見出すに至った。二人からその事実が鞠莉に明かされるように、「停止期間」は決して「停滞期間」ではなかった。その事がこの場面ではハッキリと描かれます。

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幼少期に願った「ずっと一緒にいること」。それは確かに大切な「願い」でもあったかもしれない。けれどもそれはやはり「幼少時代」だからこその「願い」でもあるのです。

こんなことを言うと寂しいかもしれませんが、人間とは究極的には「一人」なのです。

いずれは、家族とも、友人とも離れ、自分自身の「生きる意味」や「生きがい」を自分一人で見出して、ただ一人で生きていく必要があるのです。

(これは2期8話でダイヤとルビィの関係に焦点を当てて描かれたものでもあります。)

けれどもそれは決して「悪いこと」ではない。

大人になるにつれ生まれる「自分自身の願い」。

「こうしたい」「こうなりたい」という「欲」が人生を豊かにしていきます。

そして大人は、その「自己実現」をするための「自由」が保証されている。かつてはちょっとした遠出をしただけで「探し回られ」、果南とダイヤと遊ぶことにも制限を設けられた鞠莉。

そんな「不自由」の最中に「自由」であることの価値と意味を知ったからこそ、今はその「自由」を謳歌することをためらわない。

そしてその「自由」の価値を教えてくれたことに対して、果南とダイヤへの感謝を口にする。

もはや、あの頃とは違う、自分1人の「星」を手に入れている3人。

だからこそ、あの頃の「ずっと一緒にいる」という願いは、もはや「過去」のものでしかないのです。

それがはっきり言わずとも、分かってしまえるくらいに「大人」になってしまった自分達。その事実に対して、寂しいような、嬉しいような、複雑な表情を浮かべる3人。その頭上にはそれぞれの「色」に縁どられた「星」が浮かんでいます。

それは彼女達が既に手にしている「自分の星」を象徴するものなのでしょう。

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「嬉しい」けど「寂しい」。「楽しい」けど「悲しい」。

そんなどうしようもない感情を整理するために、「ハグ」を申し入れる果南。

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かつて僕は果南の「ハグ」には「リセット」の意味が込められているのかな?と考えましたが、ここでもそういった意図で使われているように思います。

グチャグチャになった感情を「整理」し、一旦「落ち着かせる」ために。そしていつもの「3人」に戻るために。

そして過去の「願い=ずっと一緒にいよう」を「リセット」する。

ダイヤがルビィを送り出すために与えた「優しい断絶」。

このハグシーンにも、同じような意図を感じました。

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■自分達だけの「星」

トンネルでの会話の後、果南たちがもう一度探しに行こうと語る「私達だけの星」。

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ここから後のシーンは、いわゆる「メタ」演出になっているのだと思います。

「3人だけ」では見つけられなかった「流れ星」。そして手に入れられなかった「自分達だけの星」。それを「9人」で探しに行こうとする。

果南たちにとっての「Aqours」=「旧Aqours」は、「ラブライブ出場を果たせず」に「停止」してしまった存在。すなわち「星を見ようとする前段階で、曇天に邪魔された幼少期」と同じ状態でもあるわけです。

また幼少期に「流れ星」に託した「願い」は先ほどの「ハグ」を通して「リセット」されました。故に今は「新しい願い」を「流れ星=Aqours」に託すことが出来るのです。

だからこそ「3人では見られなかったけど、今は9人いる」と語る。

ダイヤが「新Aqours」にかけた「願い」とは、「Aqours」を再始動すること。本質的にはその先まで見据えていたかもしれませんが、まずはそこまででした。けれども果南はその先を見に行こうと語る。「3人」では手に入れられなかった「輝き」を、「9人」で「手に入れる」。

それは「ラブライブで優勝する」ことであり、その結果として「自分達の名前をAqoursと共に、永遠に刻み付ける」ことでもあります。

一度は挫折した「願い」。それを「新しい願い」として再生させる。ここに「ラブライブ!」シリーズならではの「不屈」の魂を感じました。

鞠莉が運転する車。その助手席に座る果南。

「まさか鞠莉の運転する車の助手席に座る日が来るなんてね」

「それは私のセリフ。まさか果南乗せて走る日が来るなんて」

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二人が語るのは「大人になった」ことに対する実感。

かつては手に入れられなかった「自由」。昔はバスで30分の場所に行くのでも大冒険でした。しかし今は自分の力だけで、好きな場所に行ける。どこまでだって走っていける。

「大人」になることによって、手に入る「自由」。

「車」が象徴するのは、そんな「自由」であることの「価値」と「意味」なのではないでしょうか。

「こうして時って進んでいく。」

そんな鞠莉のセリフを裏付けるようなシーンであり、じんわりと感動させる名シーンでもありました。

「3年生が運転する車」が象徴するものは、それはもちろん「旧Aqours」でしょう。

「本当は3人だけの予定だったんだけど」

「9人がいいって」

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最初は「3人」だった。それだけで良いはずだった。

けれども今は「9人」いて、そうじゃなくちゃいけない。

この「9人」でその先の「願い」を成就させたい。

かつては「3人」だけの閉じた「願い」を成就させるための「願望器」に過ぎなかった「Aqours」。今はその役割を変化させ、「9人」全員の「未来」を「照らすため」の「輝き」になろうとしている。

かつて「流れ星」だったそれは、今は「スクールアイドル」という宇宙で「永遠に輝く星」になろうとしている。

この会話シーンでは、そんな役割の「変化」が描かれているのではないでしょうか。

空へと飛び立つ車。

この回のリアリティラインを大きく超越したシーンで、見る人の多くをビックリさせたシーンでしょう。もちろん、これはメタファーでしょうが(笑)。

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「3人」では「曇天」に邪魔されて見られなかった「星」。その代わりに果南は星座早見表の上に「手書きの星」を書きました。

この時の「曇天」は「3人」の「Aqours」では越えられなかった「壁」を象徴するメタファーでもあります。

「9人」の「Aqours」ならば、そんな「曇天」などあっさり突き抜けて、星の海に辿りつける。

これは「9人」の「Aqours」が「ラブライブ出場」を果たしたことへの「メタファー」なのだと考えます。

輝きを放ちながら、広大な星空へと飛んでいく「車」。これは明確に「HAPPY PARTY TRAIN」と対になる表現です。

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HAPPY PARTY TRAIN」のPVにどのような意図が込められているのか。これに関しては以前書かせていただきましたので、そちらをご参考いただきたいのですが。

ishidamashii.hatenablog.com

 「過去」や「運命」に縛られず、「自由」に「空」へと飛んでいく電車に、「運命からの飛躍」を意味づけたのでは?というのが、私の「HPT」への考え方だったわけですが、今回の「車」にも似た印象を受けました。

果南・鞠莉・ダイヤにとって 「決して叶わない願い」や「思うようにいかなかった過去」を象徴する存在でもあった「Aqours」が、千歌たちによって引き継がれることでそれらの「運命」や「過去」を更新していく。

「3人だけの閉じた世界を叶えるための願望器」だった「Aqours」が、「9人」だけでなく、「浦の星や内浦の人々」「沼津の人々」そして多くの「Aqoursを応援する人々」を救うための「願望器」へと変化していく。

「失敗」や「思うようにいかない運命」を「そのままのもの」として捉えるのではなく、次に「跳ぶ」ための「バネ」へと捉え、意味を変化させていく。

そんな「運命からの飛躍」と「発展的な意味の変化」がこの「車」とその「飛躍シーン」には込められているように思えるのです。

 

■星になれたら

「9人のAqours」が目指すのは、「自分だけの輝き」を手に入れること。

ラブライブで優勝」して「浦の星女学院」の名前を、ラブライブの歴史に刻むこと。

「数多の星が輝く宇宙」=「スクールアイドル界」の中で、「一際輝く星」になる。

それが今の千歌たちの願いです。

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千歌が「今は考えないようにしている」と語ったAqoursの「未来」。しかしそれは3年生の卒業と共に、やはり「終わっていく」運命にあるように思えます。

「人の手によって描かれた流れ星」は消えないけれど、それでも「スクールアイドル」自体は「3年」という時間を以て終わっていく。

そして「浦の星女学院」も、3月いっぱいで無くなってしまう。

それらはやはり「流れ星」と同じく「消えゆくもの」であり、人の力では操作できない「運命」そのものでもある。

しかし、それでも人はそんな「どうしようもない」「運命」そのものを、「自分自身の意志」で乗りこなすこともできる。できるはずなのだと信じようとする。そんな「気持ち」。

それがあるからこそ人は「生きていける」。その「不屈」の価値と、それを信じる人の「意志」を尊重してきたのも、「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品の特長です。

だからこそ千歌は鞠莉が諦めかけた「もう一度に一緒になる」という願いも肯定するのではないでしょうか。

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また、千歌の視点そのものは「HPT」の世界とも強い近似性を持っていると思います。

「別れ」や「終わり」を後ろ向きに捉えるのではなく、それらを「新たな未来」への「始まり」なのだと考える。

そうすることで、人は「未来」への選択を「前向き」に選んでいくことが出来る。

さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束

 なんて歌がありますが、正しくその通りで。

別れを後ろ向きに捉えるのではなくて、自分が成長するための「バネ」なのだと考える。

Aqours」は「スクールアイドル」の歴史に名前を刻めるかもしれない。けれども物理的には「Aqours」は3年生の卒業と同時に終わっていく。だとしたら千歌たちは「Aqours」という「流れ星」が生み出した「願い」や「希望」を、自分だけの「星」を見つけるための「動機」へと変えていく必要があります。

Aqours」としての活動と、その「停止」を通して「自分達の星」を見つけた果南・鞠莉・ダイヤと同じように。

「見つかりますように。輝きが。私達だけの輝きが見つかりますように」

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早見表に書き足された「星」を、千歌たちがどのように手にするのか。

それはまた、別のお話...なのかもしれません。

さようなら 会えなくなるけど

さみしくなんかないよ

そのうちきっと 大きな声で

笑える日がくるから

動き出した 僕の夢

高い山超えて

星になれたらいいな

虹になれたらいいな 

 

『星になれたら』

 お後がよろしいようで。


Mr.children-星になれたら-

 

 

 

※今回は特に10話と関係ない記事になってしまったので、反省中ですw

恐らく拾っていない部分は分かり手ブロガーの皆様が書いてくださるはずなので、この記事はそういう「読み物」としてなんとかお納めくださいませ。。

また、「ここってどう思う??」とかのご質問はどうぞご随意に。

「妄想」でしかありませんが、自分なりの考えはお答えするようにいたしますので。

 

それでは次回!「浦の星女学院」でお会いしましょう!

この回キツそう....。

 

ラブライブ!が好きなアナタに見てほしいオススメ映画だいたい10!!(と、見せかけたAmazonプライムのステマ)

ラブライブばかり見ているみんなー!?こんにちはー!(コンニチワー)

って、それ俺のことやないかーい!!(AHAHAHAHA!:アメリカのショー番組で聞こえる笑い声)

 

 

 

 

.....いつになくハイテンションで始めてみましたけど、性に合わないのでここまでにします(あまりにも早すぎる諦め)。

今回はサンシャイン10話記事に取り掛かる前に、ちょっと小休止と言いますか、自分自身のメインブログ更新のリハビリを兼ねてと言いますか(おい)、やろうと思っていながらやってなかった小物企画をサラーっと書いてみたいと思います。

 

◆当ブログは「ラブライブ!」に関してあーだこーだと適当なことを抜かすブログですので、それに合わせて

ラブライブ!が好きなひとならきっと楽しめるであろう映画(洋画)」

を無作為に10個くらい選んで、フワっと紹介していきたいなと思います。

 

とはいえ、漠然と選んでもわざわざ借りに行くのは面倒でしょうし、一つ制限をかけてチョイスしてみました!

それは「Amazonプライム」会員の特典である「Azazonプライムビデオ」で見られる作品だけ!!ということ!!

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Amazonプライムビデオは、Amazon会員限定の優良オリジナル番組だけでなく、Amazonプライム対象映像作品であれば、個別の課金の必要なく、年会費(3,900円税込)だけで見放題という夢のようなサービスなのだ!!!!!!!!(宣伝)

https://www.amazon.co.jp/

 

...ということでもしこの文章を読まれているアナタがAmazonプライム会員であるのならば、今この瞬間、自宅からPCやTVで紹介した作品を観れてしまうのです。

おぉ!我ながらなんと冴えた企画なのでしょう...。

とはいえ、この記事を書いてもAmazon様からは一銭も振り込まれないので、完全に自己満足なんですけどね!!!(何故か怒りながら)

Amazonプライム対象作品は日々変化していきます。その為今回紹介した作品がタイミングによっては対象作品から外れてしまうこともありますので、その点だけはご了承願いますm(__)m

※また、作品のチョイスは完全に私の「独断と偏見」です。合わなかったらゴメンナサイm(__)m

 

①「世界にひとつのプレイブック

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あらすじ:妻の浮気が原因で心のバランスを崩しすべてを失くしたパッドは、近所に住むティファニーと出会う。過激な発言と突飛な行動を繰り返すティファニーに振り回されるパッドであったが、彼女も実は夫と死別し、心に傷を抱えていた。ティファニーは強引にパッドを誘い、ダンスコンテストへの出場を決意する。人生の希望の光を取り戻すためのふたりの挑戦がはじまった――。


世界にひとつのプレイブック 予告

 俺的オススメコメント:「ガーディアンズオブギャラクシー」の「アライグマ」こと「ロケット・ラクーン」の中の人でお馴染みブラッドリー・クーパーと、「X-MEN」シリーズの「肌の青い人」こと「ミスティーク」役でお馴染みのジェニファー・ローレンス主演のヒューマン・ラブ・コメディ(果たしてこの紹介で良いのだろうか)。

人生に絶望し立ち止まっている男女が、共に再生していく物語と言ってしまえばそれまでだけども、この作品の面白いところは主役の二人はもとより、登場する人物ほぼ全員が「ダメ人間」であるということだろう(クリス・タッカーを除き)。

ロバート・デニーロ演じる主人公の父親は一見まともそうだが、友人と賭けアメフトをして私財を溶かすダメおやじだし、母親はそんなおかしい家族から完全に目をそむけているという点でダメ女である。

ただし、この作品はそんな「ダメ」な連中を「見放さない」。彼らの「ダメ」さに厳しくも暖かい目線を送りながら、「ダメ」なら「ダメ」なりのやり方で、人生の「輝き」を見出すことの価値を伝えてくれる。その「豊かさ」こそがこの作品の重要なポイントだと思う。

登場人物への「共感」を重視して見る方には難しいかもしれないけれども、自分の「ダメ」さに思い悩む人には刺さるし、感動を与えてくれる作品。かくいう私にはしっかりと刺さったのでした。

 

②「カンフーパンダ」

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あらすじ:カンフーを愛する心は人一倍、でもカンフー・マスターなんて夢見るだけのポーは、師匠のシーフー老師、憧れのカンフーの達人「マスター・ファイブ」の力を借りながら、厳しい特訓を受け成長していく。


カンフー・パンダ - 予告編

 俺的オススメコメント:有名だけど意外と皆さん見てなくない!?ということでチョイスしてみました。DREAM WORKS製作の3DCGアニメ。細かい説明はいらない。メタファーとかも特にない。見れば全てが分かるという意味で超良作アニメ。

ダメなヤツの成長譚というだけでなく、成長するのは主人公だけではないというのがポイントです。仲間、敵、そして師匠までもが「成長」する。

笑って、泣けて、感動できて最高じゃないですか!という感じなので、是非軽い気持ちでご視聴を。

因みに主人公ポーの声を宛てたジャック・ブラック主演の傑作音楽映画「スクール・オブ・ロック」もプライム試聴対象です。こちらもオススメ!

 

③「きっとうまくいく」

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あらすじ:日の出の勢いで躍進するインドの未来を担うエリート軍団を輩出する、超難関理系大学ICE。エンジニアを目指す天才が競い合うキャンパスで、型破りな自由人のランチョー、機械より動物好きなファルハーン、なんでも神頼みの苦学生ラジューの“三バカトリオ”が、鬼学長を激怒させ、珍騒動を巻き起こす。 抱腹絶倒の学園コメディに見せつつ、行方不明のランチョーを探すミステリー仕立ての“10年後”が同時進行。根底に流れるのは学歴競争。加熱するインドの教育問題に一石を投じ、真に“今を生きる”ことを問いかける万国普遍のテーマ。


『きっと、うまくいく』ボリウッド4予告

 俺的オススメコメント:映画大国インドが生み出した歌って踊るだけではない社会派コメディ(なお歌って踊るシーンももちろんある)。インドの大スター=アミール・カーンが40過ぎて10代の学生役を演じるという凄まじい芸当をやってのけているのだけど、不思議と違和感はない。

原題は「3idiots」すなわち「3人のバカ」ということなのだけど、この身もふたもないタイトルにどんな意味が隠されているのか、作品を見る中で次第に分かるように出来ている。

果たして「頭が良い」ってどういうことなのか。「勉強」ってなんのためにするのだろうか。という根源的な問いだけでなく、そういった普遍的な迷いや悩みの背景に横たわるどうしようもない「インドの現実」もしっかりと描く。

それでいて、その「どうしようもなさ」に決して打ち負けることなく、輝かんばかりの「希望」を描ききって見せる。人生は常に自分の力で開ける「可能性」に満ちているはずなのだ。

はっきりいってこの映画はゴチャゴチャ語る前にぜひ見てほしい。それなりに長いけれど(2時間51分)決して見て後悔はしない。見終わった時には深い感動と静かな幸福感が身体に沁み渡っているはず!そして自然と主題歌「All Izz Well」を口ずさんでいるでしょう(笑)。

 

④「宇宙人ポール

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あらすじ:ホット・ファズ』『ショーン・オブ・ザ・デッド』のサイモン・ペッグニック・フロストが再びタッグを組んだ最新作。アメリカのUFOスポット巡りの旅に出たSFオタクのグレアムとクライブは、ひょんなことから生意気な宇宙人・ポール(声:セス・ローゲン)と遭遇し、彼を故郷の星へと返す手助けをすることに。こうして始まった銀河を股にかけた3人の珍道中の行方は?!共演にジェイソン・ベイトマンクリステン・ウィグビル・ヘイダージェーン・リンチシガーニー・ウィーヴァーらを迎え、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』のグレッグ・モットーラが監督を務める、必見のコメディ・アドベンチャー


【映画でリスニング】宇宙人ポール

俺的オススメコメント:「ホットファズ 俺たち スーパーポリスメン」「ショーンオブザデッド」でお馴染みサイモン・ペッグ&ニック・フロスト主演のコメディ作品。

監督は上2作品とは別だけれども、この二人主演のシリーズは軒並み「もしもハリウッド映画の舞台がイギリスだったらどうなる?」というパロディ的な目線から作られたもの。いつもはイギリスにいるはずの二人が今回はアメリカに乗り込み、そこで宇宙人と出会う。一応は「ET」やら「未知との遭遇」やらの英国人版パロディだったりもする。

いい大人なのに、コミックやSF作品に夢中で、男友達とばかり遊んでいる...という丸で「俺たち」としか言いようのないキャラクター二人が、野蛮で大胆な宇宙人=ポールと出会うことで、ほんのすこーーーーしだけ成長するという物語。

男同士の友情...といういわゆる「ブロマンス作品」でもあり、そういったものが好きな方にも刺さるのでは??(ホンマに??)

因みに上に出ている「ホットファズ」もプライム対象作品。こちらは今年話題になった「ベイビードライバー」のエドガー・ライト監督の代表作。

本作「宇宙人ポール」の監督であるグレッグ・モットーラの「スーパーバッド 童貞ウォーズ」も「ブロマンス映画」の傑作なのでおススメです。

なお主観ですけど、はじめて会った「映画好き」の人にどんな映画が好きなの?と言われた時に「宇宙人ポールとか」と言うと、何故か「ニヤッ」と笑われたあと仲良くなれる傾向にあります(笑)。ボンクラ御用達作品だからでしょうか。

 

⑤「ウォーリアー」

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あらすじ:アルコール中毒の父親を逃れ、母親とともに家を出たトミーが14年ぶりに実家に戻った。父の指導により、学生時代はレスリングの選手として名を馳せていた彼は、総合格闘技の大イベント“スパルタ”に出場するため、父にトレーナー役を依頼する。一方、トミーが家を出て以来、生き別れとなっている兄のブレンダンもまた、かつて格闘家だったが、今は教師として働いていた。しかし、娘の病気にかかる医療費のため家計は厳しく、銀行から自己破産をすすめられてしまう。愛する家族を守るため彼に残された道は、総合格闘技の試合で金を稼ぐことだった。奇しくも再び格闘技の世界へと足を踏み入れた兄弟が再会したのは、“スパルタ”の会場だった―。


町山智浩 ウォーリアー WARRIOR「日本公開して!泣ける,総合格闘技映画」20120612

(予告が出てこなかった!!!)

俺的オススメコメント:ムキムキの男二人が主役で、題材が総合格闘技というだけで引いてしまう人もいるでしょうが。このお話「兄弟」そして「家族」の物語であり、ヒューマンドラマでございます。

「マッドマックス 怒りのデスロード」でお馴染みトム・ハーディと、今や様々な映画に引っ張りだこな実力派ジョエル・エドガートンが主演。格闘技好きとしては、この兄弟二人のファイトスタイルの違いがとても楽しく、やがてぶつかり合う瞬間までのワクワクを掻き立ててくれる要素のひとつ。

そして、様々な要素によって離れ離れにならざるを得なかった「家族」が、それぞれの「都合」によってリングに立ち、そこで相まみえる。もはや拳でしか「言葉」を交わすことができないこの不器用な兄弟の在り方とその結末は、見る人多くの心を揺さぶると思います。

2期では「きょうだい」というものがピックアップされがちなラブライブ!サンシャイン!!なので、敢えてピックアップしてみました!(ホントだよ?)

日本では劇場公開されず、DVDスルーの作品だと思うので、見た方は少ないのでは?

 

⑥「ピッチ・パーフェクト

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あらすじ:ベカ(アナ・ケンドリック)は、人が歌うのを聴くよりヘッドホンで音楽を聴く方が好きな女の子。大学に入学したベカは何のクラブにも所属していなかったが、どういうわけか自分からは決して選ばないようなクラブに強引に入れられることに。意地悪な子、優しい子、変わった子。彼女たちに共通するのは、一緒に歌えば素晴らしいサウンドが生まれること。ベカの入部したアカペラ部は昔ながらのアレンジでハーモニーは完璧だったが、そこに彼女は新しさを取り入れる。


映画『ピッチ・パーフェクト』日本版予告

俺的オススメコメント:この映画以降「アナ・ケンドリックがなんとなく歌う映画」がジャンル化したくらいアナ・ケンドリックの存在感を高めるきっかけになった映画。というとなんだかしょうもなく聞こえるけども、女性アカペラグループの成長を描いた、とても分かりやすいジャンル映画だ。

当ブログでも触れた「ブレック・ファスト・クラブ」が物語上で重要な役割を果たしたりと、青春ものとしてもなかなかに優秀。素晴らしい音楽を楽しめて、笑えて、ほんのりジンと出来る「とりあえず見ておけば外れない」一本だと思います。

ちなみに日本では劇場公開が遅れて、「2」と同時に劇場公開されたというなんともトホホな事情があります。因み「3」もやるそうな。知らなかった。

 

⑦「インビクタス 負けざる者たち」

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あらすじ:ひとつの願いが、ほんとうに世界を変えた物語。


インビクタス 負けざる者たち(プレビュー)

俺的オススメコメント:あらすじ短っ!クリント・イーストウッド監督が描く南アフリカ大統領ネルソン・マンデララグビー南アフリカ代表の「実録物語」。

世界初の黒人大統領となったネルソン・マンデラの歩んだ困難な道のりを、ラグビーという「後ろにボールを投げながら前に進むスポーツ」に照らし合わせる語り口はいかにもイーストウッド節。

マンデラという人自身の過去を直接的に映すことをせずに、彼が抱える「怒り」も「願い」も「誇り」も全て描ききっているのは、流石の一言。

例えすぐに結果が出なかったとしても、その「歩み」が大きな一歩になる。

「進み続けること」の意味と、それがもたらす「矜持」を伝えてくれる大切な一本です。

 

⑧「グラン・トリノ

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あらすじ:朝鮮戦争の退役軍人で、自動車工として勤め上げたウォルト・コワルスキーには、引退後の日常も近所の変わり様も、すべてが面白くない。中でも気に食わないのが、東南アジアからの移民であるモン族の隣人たちだ。しかしある事件が起こり、ウォルトは図らずも暴力と脅しを生業とする地元のギャングから彼らを守ることになる。 


グラントリノ

俺的オススメコメント:えぇ、イーストウッド2本はどうかと思いますよ、僕も!

でも「グラン・トリノ」は外せない。これは人生においても大事な一本になる映画ですので。

僕涙腺が弱いので、大抵の映画で泣いてしまうのですが、エンディングで号泣して、目が取れそうになったのはこの映画くらいかもしれません(笑)。そのくらい人によっては心を揺さぶられる作品。

イーストウッド演じる孤独な老人は、古いアメリカの象徴。それは「栄光」だけでなく、多分に血にまみれた「アメリカ」という国の「暗部」そのものの象徴でもあります。それは「ダーティー・ハリー」や「荒野の用心棒」などで自らの手を他人の血で汚すキャラクターを演じてきた俳優=イーストウッドを象徴するものでもあるのです。

静かな絶望と共に人生の終わりを迎えようとしていた彼が出会うのは、モン族の少年。彼らはベトナム戦争というアメリカの汚点が招いた「被害者」でもあります。そんな「被害者」と直面する中で、頑なだった彼の心が次第に変わっていく。

彼が見つける一つの「落とし前」。そして「血なまぐささ」とは別の、「理想郷」としての「アメリカ」が静かに引き継がれていくラスト。そこに流れるBGM。何度見ても魂を揺さぶられます。

物語は常に「引き継がれて」続いていく。その尊さを理解できる作品だと思います。

 

⑨「ブルース・ブラザース

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あらすじ:コメディの大御所、ジョン・ベルーシダン・エイクロイドが共演する「ブルース・ブラザース」は、大爆笑満載のミュージカル・コメディ。ジェイク・ブルース(ジョン・ベルーシ)が出所し、弟のエルウッド(ダン・エイクロイド)と一緒に、世話になった孤児院の寄付金を集めるためにブルースバンドを再結成する。“神からの使命”を果たすために出発する兄弟には大混乱がつきもの。ジョン・ランディス監督(「アニマル・ハウス」)が描くソウル一杯のコメディは、ブルースの巨匠レイ・チャールズジェームズ・ブラウンアレサ・フランクリンキャブ・キャロウェイの素晴らしい演奏を組み込んだ作品だ。


Rawhide - The Blues Brothers (5/9) Movie CLIP (1980) HD

(予告はない!)

俺的オススメコメント:暗い映画のあとには、家族で楽しめる最上級の音楽コメディを!「人生における生涯ベストを1本だけ選べ」と言われたら僕はこの作品を選びます。そういう人は恐らく僕以外にも結構いるのでは?という位にカルト的な人気を誇る傑作映画です。

アメリカの人気コメディ番組「サタデーナイトライブ」の出演者ジョン・ベルーシとダン・エルクロイドによって組まれた「疑似兄弟ユニット」それが「ブルース・ブラザース」です。最高のバイブスを持つ二人の歌唱・演奏はもちろん、当代を代表するブルースやソウルミュージシャンが大挙して登場しているという奇跡の一作。だから音楽がかっこいいのは当たり前。

脚本は出演者であるダン・エルクロイドがメインで執筆したものですが、これもまた最高の面白さ。台詞や掛け合いのテンポのよさ、天丼ギャクの面白さ、今ではなかなか見られないレベルのとんでもないカーチェイスシーンなど、見ている人を飽きさせない展開の数々。

とにかく楽しい音楽映画が見たいのなら、これで決まりではないでしょうか。

アメリカのコメディ映画の基礎とも呼べる作品だけに、是非見ておいて損はないかと思います!

 

⑩「ロッキー」シリーズ+「クリード

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あらすじ:シルベスター・スタローン演じるロッキーを主役として描いたシリーズ作品。

www.youtube.com

(予告が無いから荻昌弘先生の伝説の予告貼っておきます!是非これを聞いてから見てください!)

俺的オススメコメント:こいつやりやがった...。

最後の最後に7本ぶちこむという荒業を使わせていただきました。1本目だけ選ぼうかな?とか思いましたけど、やはりロッキーは全部見てほしいのです。(そして全部プライムで見られる!)

「人生するかしないかの分かれ道で、する方を選んだ勇気ある人々の物語」。この荻先生の紹介だけでも、いかに「ラブライブ!」がロッキーの影響下にあるのかが理解できる気がします。

どうしようもない現実、現状を乗りこえるために、自分の勇気を信じて進むことを選ぶ。その選択を讃える永遠の神話。それが「ロッキー」なのだと思います。

「ロッキー」から、その戦いの最後を描く「ロッキー・ザ・ファイナル」までをμ'sの物語だとすれば、続編である「クリード」は正しくAqoursの物語でもあります。

「生まれてきた意味があること」を証明するために「戦う」。闘って、闘って「未来を手に入れる」。そんな物語は正しく「サンシャイン!!」でしょう。

是非ラブライブがお好きならば、「ロッキー」シリーズも見てほしい。

そんなありきたりなオチでこの記事を締めます!

見てみて良かった作品があったら、ぜひ感想をお聞かせくださいませ。

あと、Amazon様からの原稿料を熱い気持ちでお待ちしております!!!!!(当たり屋的発想)

 

※追記としてオマージュの元となったあきのさんの記事を貼らせていただきます。結果的にオマージュ失敗しましたけどw

akino-oniku.hatenablog.com

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~「必然」の星~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第22話(2期9話)「Awaken the power」

2015年2月26日。

その物語は、1枚の扉絵とたった一言のキャッチフレーズから始まりました。

青く澄んだ海。突きぬけるような青空。

その青空の下、1人の少女が腕を伸ばし、何かをこちらへ訴えかけています。

その表情は景色と同じく、澄んだ笑顔。

ただし彼女の頭上に書かれたキャッチフレーズはそれとは正反対のもの。

悲痛で、切実で、それでいて明確な答えのない、「問いかけ」でした。

 

....さて、なんだかGガンダムの第1話みたいなはじまり方ですがw

今回は2期9話に関する「妄想」を皆様にお届けできればと思います。

説明不要なエモの塊。間違いなく「サンシャイン」だけでなく「ラブライブ!」シリーズにおいても「傑作回」と呼べる「神回」だっただけに語るのは野暮だとは思いますが。とはいえ、なんとかこの回から受けたインプレッションを言葉にしていければなと思います。

 前回8話が「きょうだい」そして「家族」に関する物語だとすれば、今回はそこから視点を更に発展させた「スクールアイドル」に関する物語なのでは?と私は考えます。上手く文章に出来るか自信はありませんが、何卒お付き合い頂ければと思います。よろしくお願いいたします<(_ _)>

それでは参りましょう。#9「Awaken the power」です。

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■花丸による「ルビィ観」

前回親友ルビィが主人公となる物語ながら、メインストーリーにはほとんど絡んでいかなかった花丸。

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私は前回考察において、花丸がメインストーリーに絡んでいかないのは、彼女が物語の主線に絡んでしまうことで起きる「ノイズ」を考慮してのものなのでは?と考えました。

8話は「ルビィとダイヤ」「理亞と聖良」という二組の「姉妹」の物語を通じて「家族のあり方」を描く回。ひいてはその視線の在り方や、変化を通じて「スクールアイドル」とは何か、それが「過去」および「未来」においてどのような「意味」を持つ存在なのか。そこへつなげていくための「ブリッジ」のような物語でもありました。

よって「姉妹」という枠組みに含まれないキャラクターは、メインストーリーから明確に「省かれた」のだと考えたわけです。

(実際8話ストーリーに二組の姉妹以外で絡んだのは、姉を持つ千歌だけだったのは象徴的だと思います。)

今回9話はその「制約」から外れ、新たなるテーマを描く回。それ故に花丸は物語冒頭からメインストーリーにがっつりと絡んで行くことになったのだと思います。

ルビィの申し出をあっさりと受け入れる花丸。彼女の姿勢からはルビィに対する絶対的な「信頼」と「理解」を感じます。

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 ルビィは元々頑ななまでの「引っ込み思案」。仮に親友の花丸が促したとしても、自分の真意をそう簡単には打ち明けてくれない子でもあります。それは1期4話での花丸の「ルビィ評」から明らかになった要素。即ち花丸はルビィが「そういう子」であることは重々理解しているわけです。

1期4話では、そんなルビィの特性を分かった上で、それでも「見過ごせない」事態が発生したため、花丸は半ば強引にルビィの「扉」をこじ開けたわけですが、普段はそんなルビィの在り方を「尊重」してもいるのです。

また、1期4話以降ルビィ自身も若干ではありますが、「変化」しています。これまではことさら自己主張してこなかった彼女が、2期においては自分の考えをはっきりと主張する機会が増えました。その「変化」を花丸も理解しています。

だからこそ、見守るべきタイミングではルビィを見守る。もしもルビィが助けを求めてきたら、細かい事情は置いておいて「助ける」。そんな二人の関係性は、以前にも増して強固なものになっている。8話から続く花丸の姿勢にそんな感想を抱きました。

 

■似た者同士の一年生

8話において、ルビィと自分自身の「似た所」を自覚し、彼女との間に不思議な「絆」を生み出した理亞。

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 とはいえ、彼女の本質はルビィと同じく「人見知り」。招かざる客の参戦に戸惑いを隠せません。

「私、もともと皆でワイワイとか好きじゃないし!」

そんな理亞の主張を受けた花丸は、

「それを言ったらマルもそうずら。善子ちゃんに至っては更に孤独ずら...。」

と自分たちの内面をさらけ出します。(善子は流れ弾食らった状態ですが)

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 極度の引っ込み思案と、姉への重度な依存が要因となって、友人を作れなかったルビィ。

祖父母と山奥の寺で暮らす...という独特な生活空間の中で養われた古臭い言葉使いと、どこか達観しがちな精神性で、これまた孤立してしまっていた花丸。

自分の「世界」を世に問うたものの、それが受け入れられず学校に行けなくなってしまっていた善子。

彼女達は等しく「孤独」な存在でした。

花丸の一言をきっかけに明かされるAqoursの1年生陣の「孤独」さ。

それが、同じく「孤独」な理亞の心を癒していきます。

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1年生ズに共通する「孤独」という要素。これは実は2年生や3年生には「無い」要素でもあります。そんな1年生たちを「救った」存在、「救う」存在とは何なのか。ここもまた9話のテーマの一つのように思えます。

 

■呼び覚まされる力

花丸の「告白」をきっかけに不思議な「連帯感」を得た1年生ズ。冬休みを利用し、北海道に滞在し、「クリスマスライブ」に向けての楽曲作成合宿を行うことになりました。

「クリスマスライブ」で披露する楽曲を合作すること。そしてその楽曲を以て、自分達の力だけで「クリスマスライブ」への参加権を勝ち得ること。そんな「自分達の力を示す」ことが「姉への恩返し」になるのだと理解したルビィと理亞。

それまでは姉達に任せきりだった楽曲作りに切磋琢磨しつつ挑んでいきます。

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悩みのタネは「楽曲のテーマ」。

これまで自分達で楽曲のネタを見出してきたわけではない1年生組にとっては難しい課題です。鹿角家に一時的に住まわせてもらうことで生まれる「交流」。

年長者の聖良に礼儀正しくお礼を告げる善子。

ムキになって理亞と「姉合戦」を行うルビィ。

そんなやりとりは、今まで無かった「交流」が呼び覚ますやりとりでもあります。

他者と「ぶつかり合う」ことによって生まれる「アイデンティティ」。掘り起こされる隠された「本質」。それは正しく「自らの中にある可能性」を「呼び覚ます」行為でもあります。

「ルビィ最近思うの。お姉ちゃんや上級生から見れば頼りなく見えるだろうけど。」

「隠された力が沢山あるんじゃないかな?って。」

そんなルビィの言葉から「曲のテーマ」を見出した花丸。

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「隠された力」を「呼び覚ますこと」。誰かに与えられたものではなく、自分の内側から溢れ出す「力」を信じること。

ラブライブ!サンシャイン!!」において、何度も登場している「モチーフ」。それが今回はAqoursSaint snowという「異なるイデオロギー」を持った存在(だったはず)の両者が「交流」することで表現されていく。

このストーリーには2期において繰り返し描かれている「目標にたどり着く方法は一つでなくても良いのでは?」というテーマへの視点も感じさせます。

 

■震えている手を握って

AqoursSaint snowイデオロギーの異なる両者が、互いに言葉を出しあい、一つの「世界」を作り上げていく。

理亞とルビィの二人によって紡がれる「世界」。苦労の果てにいよいよその「世界」は完成に至ります。

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 とはいえ、目標となる「クリスマスライブ」で楽曲を披露するためには、いかに自分達のパフォーマンスが「ライブに相応しい」ものであるかを審査員の前でアピールする必要がある。即ち「他者」に対して「自分達の存在」を、「本気」を「ぶつける」必要があるということです。

これまでは「姉」という保護者の影に隠れて、その庇護を受けていれば良かったルビィと理亞。しかし今回は「姉」の力は借りられない。自分達の力だけでこの困難を突破しなければいけない。嫌が応にも高まる緊張感。手の震えが止まりません。

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「姉さまがいないのが、こんなにも不安だなんて...」

立ち向かうことで初めて分かる「孤独」の「辛さ」。それは丸で「人生」のメタファーのようでもあります。

どれだけ仲の良い家族がいたとしても、人間は結局は「一人」である。やがては「世界」に対して、自分1人の力で「立ち向かわなければならない瞬間」がやってきます。依るべきものが無い「世界」で、ただ「自分の中にある力」だけを信じて突き進まなければいけないということ。これは人間であれば「誰しも経験する」「道程」の一つです。

頼りない状況に、折れそうになる心。しかし、そんな時だからこそはっきりと認識できるものもあります。

それはこれまで無意識に享受してきた「愛情」の持つ意味と、その「暖かさ」です。

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自分を支えてくれる人の「言葉」や「気持ち」。その心強さは、孤独に立ち向かう時になってようやく気付く物です。そしてそれを「自覚」することが出来れば、今度はその「経験」が自分自身を支える「心の支え」や「自信」にもなっていく。

「ルビィは強い子でしょう。勇気をお出しなさい。」

再三自分の中に眠る力を肯定し続けてくれた姉。これまではその言葉の意味に気付くことが出来ませんでしたが、今ならばその言葉の意図も意味も理解できる。

理解できるからこそ、それを自分自身の「力」へも変換していける。

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今はっきりと「独り立ち」を果たしたルビィが紡ぐ言葉。まだたどたどしくもありますが、「自信」と「誇り」に満ちた語りは、どこか姉ダイヤを彷彿とさせるものでもあります。

同じく心の中で「思い出」を糧に立ち上がった理亞。彼女もまたルビィと同じように「独り立ち」をするに至りました。

そんな二人の「独り立ち」を見て感涙に咽ぶ善子と花丸。

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二人の表情は、視聴者である我々の気持ちを投影した表現のようでもあります(笑)。

 

さて、今回9話を見ていく中で、思い浮かんだ楽曲が一つだけあります。

それは、想いよひとつになれです。

ルビィと理亞の震える手を、花丸と善子が握る...というシーンは象徴的ではありますが。

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それ以外にも物語そのものが、「想いよひとつになれ」の歌詞にとても近似しているように思えるのです。

ふと気づくと 重なり合うよ
一途に 未来を呼ぶこころ
ふるえてる手を にぎって行くんだよ
すれ違ったあとで 同時に振り向いた
ほらね 本当は
一緒だったよ気持ちはね

 同じ目標を目指しながらも、イデオロギーの対立からすれ違っていたAqoursSaint snow。しかし、両者は運命的な引き合わせによって重なり合い、今一つの「世界」を生み出すに至りました。

しかしそれはある種「必然」でもあった。なぜなら両者において異なっていたのは「イデオロギー」だけであり、目指すべき「目標」や、「手に入れたい物」は「一緒」だったのですから。

だいじな夢追うとき だいじなひとがわかる

 大事な夢=「クリスマスライブで自分達だけの力で作り上げた楽曲を披露する」という目標を叶える過程において「だいじなひと」の持つ「価値」に気付く。それは8話から9話に至る物語そのものでもあります。

かけがえのない日々を
過ごしてたんだ
いまさらわかった 
ひとりじゃない
かけがえのない日々を(ここで)
積みかさねて(ひとつひとつ)
いまさらわかった (一緒だよね)
ひとりじゃない

 「独り立ち」するなかで、改めて気づく、過ごしてきた日々の「かけがえなさ」。そしていつでも自分は「ひとりぼっち」ではなかったのだという「事実」。その「事実」が「救う」もの。

紡がれる歌詞の一つ一つが、今回の一連の物語に重なっていくような、そんな感覚があるのです。

この「想いよひとつになれ」が繋ぐAqoursSaint snowの物語。それが具体的に描かれた話数とは1期12話でしょうか。

少しイレギュラーではありますが、ここで視点を少し過去に巻き戻してみたいと思います。そうすることで、この9話の持つ「価値」や「意味」などにより深みが感じられるような気がするからです。

 

AqoursSaint snow~本気がぶつかり合う日~

AqoursSaint snowが初めて相まみえたのは、1期7話「TOKYO」そして8話「くやしくないの」です。

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この時点でAqoursの全国知名度は皆無。Saint snow知名度抜群というわけではありませんでしたが、あくまで「ルーキー枠」で呼ばれたAqoursと、きちんとした出演者として迎えられたSaint snowとでは、実力・知名度ともに明確な差がありました。

初めてAqoursSaint snowが「並び立てた」のは、12話「はばたきのとき」。

想いよひとつになれ」は、PV再生数ではSaint snowよりも上。実力至上主義を掲げるSaint snowにとっては、初めてAqoursに「敗れた」ことにもなり、嫌が応にもAqoursの実力を認めざるを得なくなりました。

故にこここそがAqoursSaint snowが初めて「対等の存在として向き合った瞬間」なのでは?と思えるわけです。即ち両者を繋ぐ楽曲として想いよひとつになれ」は明確に機能している...とも考えられるわけですね。

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ここで初めてぶつかり合った両者の「イデオロギー」。

なぜ「μ'sやA-RISEは輝けたのか」。その理由を探す千歌は、聖良自身の考えを聞きます。

聖良は「自分も同じ疑問を持ったことがあること」そして、「考えても答えが出なかったこと」を千歌に告げます。そしてその答えを見出すためにまずは自分も両者と同じ「立ち位置まで上り詰めることを目指している」のだということを語るのです。

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紐解くと分かることですが、千歌と聖良は元から「同じ答えを求めている」ことがこの時点ではっきりと描写されていたのですね。

どうすれば「先人のように輝くことが出来るのか」。

聖良はそれを知るために、ひたすらに「勝利する」ことを目指しました。

反面千歌は、「勝利の先に答え」を見出せなかった。代わりに先人(μ's)そのものの輝きを追うのではなく、その「在り方」を追うことで、「輝く方法」を見出そうとしました。

それが両者の「イデオロギー」となり、「差異」として明文化されることで、「ライバル関係」成立の柱にもなっていきました。

「同じ目標」を目指しながら、ぶつかり合う「イデオロギー」。

ここからは2期主題歌「未来の僕らは知ってるよ!」冒頭の歌詞「本気をぶつけあって 手に入れよう未来を」という言葉が想起されます。

すなわちこの「イデオロギーのぶつかり合い」とそこから得る「結論」もまた、「ラブライブ!サンシャイン!!」2期における大切な「ストーリー」であること。

ひいてはこの「結論」を導き出す主軸となるAqoursSaint snow、両者が「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語における「主人公」なのである、という視点もぼんやりとながら見えてくる気がするのです。

だからこそその「結論」にたどり着く今回は、「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語においては、とても「大切な回」なのだとも思えるわけですが。

 

さて、このように二組のグループが「イデオロギー」を戦わせ、やがて一つの「答え」にたどり着く物語を、我々は一度見ています。それはもちろん、ラブライブ!」2期10話「μ's」でしょう。

 

■キャッチフレーズ

ラブライブ!」2期10話「μ's」。そこで描かれたのはμ'sのリーダー高坂穂乃果と、A-RISEのリーダー綺羅ツバサによる「イデオロギーの衝突」と、それに対する「回答」でした。

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東京予選においてμ'sに敗れたA-RISE。μ'sのパフォーマンスの優秀さを認めた上で、敗北を受け入れたはずのツバサ。しかし、どうしても胸の中に残る「しこり」を解決させるため、穂乃果にその「答え」を求めます。

確かにμ'sのパフォーマンスは素晴らしかった。しかし、自分達A-RISEも決して劣ったパフォーマンスをしたわけではない。常に最高を目指し、パフォーマンスの完成度に自信を持ってきたA-RISE。その「完成度」と「自信」こそがA-RISEを形作る「誇り」だった。そしてそれを東京予選でもしっかりと見せた。にも関わらず負けた。

ツバサにはその「敗因」が分からない。だからこそ当事者である穂乃果に、その「回答」を求めるのです。

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しかし当の穂乃果は、ツバサの問いへの明確な回答を示せない。思い悩む穂乃果。その悩みの中で見出した答えは「みんな」というキーワードでした。

μ'sは確かにA-RISEよりもパフォーマンスでは劣っている部分もあるかもしれない。けれどもその「未完成」な部分こそが、同じく「未完成な人々」の共感を呼び、その「民意」が「支持」となってμ'sを支えている。

足りない部分を「みんなの力」が補う余地があるからこそ、その「余地が無い」A-RISEに勝利することが出来たμ's。

穂乃果はその「回答」を一つの「キャッチフレーズ」としてツバサに示して見せました。

「みんなで叶える物語」

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その言葉は穂乃果の気づきであるという以前に、一つの大きな意味を持つ「キャッチフレーズ」でもありました。

プロジェクトラブライブの始まりとして掲載された広告。

そこに記された言葉。それは「みんなで叶える新しい物語」という文言でした。

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即ち、プロジェクト開始時に設定された「キャッチフレーズ」を、物語内の文脈に落とし込むことで、綺麗に「回収する」という要素があったのです。

それは多分にプロジェクトを初期から「応援してくれているファン」への「目配せ」でもありましたが、それだけでなく「ラブライブ!」という物語を形作る「テーマ」を「キャッチフレーズ」として綺麗に表現してみせたということでもありました。

この後「みんなで叶える物語」は、プロジェクトの一端の終焉となる「μ's Final Love live公演」後に展開された「みんなで叶えた物語」というキャッチに至るまで、「ラブライブ!」というプロジェクトを司る根幹テーマとして、しっかり機能していったわけですから。

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そう考えると、プロジェクトにおける「キャッチフレーズ」を、アニメ物語内においても重要な「テーマ」として落とし込んだ...という部分において、この2期10話は「大切な回」だったとも思えるわけです。

これまでも、大事な場面では「ラブライブ!」のストーリーラインや構成を「再構築」してきた「ラブライブ!サンシャイン!!」。

だとすれば、今回の物語にも、そういった「意図」があるのでは?と勘ぐれる部分もあるのです(完全な妄想ですが)。

すると浮かび上がってくるのは、プロジェクト発足当初から今に至るまで「回答」が示されていないあの「キャッチフレーズ」なのです。

 

■「ラブライブ」が救うものとは。

2015年2月26日。

その物語は、1枚の扉絵とたった一言のキャッチフレーズから始まりました。

青く澄んだ海。突きぬけるような青空。

その青空の下、1人の少女が腕を伸ばし、何かをこちらへ訴えかけています。

その表情は景色と同じく、澄んだ笑顔。

ただし彼女の頭上に書かれたキャッチフレーズはそれとは正反対のもの。

悲痛で、切実で、それでいて明確な答えのない、「問いかけ」でした。

「助けて、ラブライブ!

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あの日、彼女が救いを求めた「ラブライブ!」。しかし、彼女が「ラブライブ!」に対してどんな救いを求めたのかは、今なお明確な回答が示されていません。

2期において「学校を統廃合の危機から救う」ため、ラブライブ出場を目指した千歌たちAqours。しかしその願いは空しくも、途中で潰えることとなりました。

この「キャッチフレーズ」が「ラブライブ!サンシャイン!!」という「物語」全体を覆う「テーマ」なのだとすれば、「途中で潰えた目標」に掛かっているとは考えづらいもの。

だとすればこの「助けて」は何にかかっていくのでしょうか。

視点を1期にまで戻してみると、千歌は「ラブライブ!」との出会いによって「普通星人である状態に留まっている現状」からの「脱却」を試みることになります。

そんな千歌の熱は周囲に伝播していき、梨子は千歌を通じて「ラブライブ」と「スクールアイドル」に触れ、音楽に対する渇望を取り戻していきます。

曜は幼馴染である千歌と対等に取り組める物事を手に入れるだけでなく、心のどこかで抱えていた千歌に対する「コンプレックス」を「ラブライブ」というフィルターを通じて解消していくことになります。

ラブライブ」を通じて疎遠になっていたダイヤ、鞠莉、果南は、再び「ラブライブ」を通じて集い、その辛い過去を払しょくしていくに至ります。

そして今回も語られたように、「孤独」だった善子、花丸、ルビィは、「ラブライブ」と「スクールアイドル」に出会うことで「孤独」から抜け出していきます。

ことほどさように、「ラブライブ」ならびに「スクールアイドル」という存在そのものが、彼女達の「実人生」を「救っていく」のが「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語でした。

ここから分かるのは、「ラブライブ」が「救う」ものとは、「統廃合阻止」のような物理的なものではなく、「心」やそれに伴う「人生」なのだということが見えてくるように思えるのです。

そしてその対象とは、決して「スクールアイドル」そのものだけではない。「ラブライブ」というフィルターに触れた人、全ての「人生」に「救い」を与える。

そんな大きな「救い」を与える存在としての「ラブライブ」が浮かび上がってくるような気がするのです。

ラブライブ!サンシャイン!!」2期は、「スクールアイドル」と「ラブライブ」の持つ「厳しさ」を全面に押し出したシナリオ構成となっています。

なぜそういったシナリオ構成を取っているのかというと、恐らく「μ's以降」に「スクールアイドルをやろうとする」人たちの「苦悩」に、「既に全てが終わってしまった時代に産まれた我々の苦悩」を投影させるためなのではないでしょうか。

「既に全てのイノベーションが終わった時代」と呼ばれる現代。ここでは何を初めても「誰かの真似」だと揶揄されます。しかし、「真似」であろうが「二番煎じ」であろうが「誰かの作った土俵」だろうが、そこで「勝負するしかない」。なぜなら僕らはこの時代に生まれてしまったのですから。

サルトルは言いました。

「確かにもっといい時代はあるかもしれないが、これは我々の時代なのだ。我々はこの革命のただなかに、この生を生きるよりほかはないのである。

生まれてきてしまったのだから、今を生きるしかない。しかし悲観的なままでは生きていけない。だとすれば、今を「肯定する」しかない。そのためには「勇気」が必要なのです。だからこそ自らの心から湧き上がる「勇気」を、「願い」を、「夢」を「肯定する」物語が必要なのだと思います

ラブライブ!サンシャイン!!」という物語が「ラブライブ」というものに託した願いとは、この「肯定」を呼び起こす「力を目覚めさせる」「トリガー」としての要素なのではないでしょうか。

それは正しく「Awaken the power」という、今回のタイトルそのものに象徴されているのだと思えるのです。

 

■エメラルドグリーンと雪の結晶

いよいよクリスマスライブ。

ルビィと理亞の衣装には、それぞれの「想い」が閉じ込められているように感じます。

理亞の衣装はSaint snowの象徴である「雪の結晶」を思わせるデザイン。

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ルビィの衣装はエメラルドグリーンの配色。

それはダイヤとのつながりを示す「黒澤家の瞳の色」。

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自らを支えてくれた「姉」を象徴するものを衣装に取り入れつつ、その先にある場所を描く歌。

「Awaken the power」は「今を生きるスクールアイドルのアンセム」でありながら、二人にとっての「個人的な思いの集大成」でもある。

ほんのちょっとした衣装の要素からその事実を感じ取れるのも、9話の素敵なところですね。

 

■「必然」の星

AqoursSaint snow。「革命の只中」で「スクールアイドル」として同じ戦場を駆けてきた戦友。

片方は志半ばで戦場を去り、片方はラブライブに願いを託しながら、既にその願いは成就されない運命にある。

一般的には「敗者」と呼ばれてしまうのかもしれない両者が、今重なり合うことで、一つの大きな奇跡を実現しようとする。

だからこそこの楽曲は11人全員で歌われることに意味がある。そう思います。

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彼女達が「ラブライブ」に託した、一番大きな「願い」は叶わなかった。やはりどれだけ願っても容易には「星に手は届かない」し、「輝きをつかまえることもできない」。

それは「偶然が支配する」この世界では当たり前のことです。

けれども、彼女達自身で「星」を「作ること」は出来る。

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終わりかけていたSaint snowの夢。それを「終わらせない」という選択を選んだのは、ルビィという「一人の人間」の「意志」です。

そしてその「意志」に感化された理亞が、同じく感化された花丸と善子を巻き込んで、新しい「夢」へと挑み、それを実現していく。

彼女達の「意志」が「クリスマスライブ」への参加という「必然」を生み、「Saint Aqours snow」というユニットをも実現させた。

これらは全て「人の意志」と「力」がもたらす「必然」の「軌跡」なのです。

「偶然が支配する世界」における「星」は手に入らなくても、「人が作り出す必然の世界」の「星」は自分達の手で掴み取ることが出来る。

それはここまで2期の物語において、繰り返し描かれてきたテーマと同じです。

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だからこそ、函館の聖夜に、二組の「今を生きるスクールアイドル」が作り出した星は、「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語がここまで描いてきたテーマの、一旦の「集大成」を象徴するものでもあるように思えるのです。

 

■終わりの先へ

 ライブが終わり。理亞は改めてSaint snowの「終わり」を宣言します。やはりSaint snowは世界でただ一つ、理亞と聖良だけの「結晶」だから。

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ただしスクールアイドルは辞めない。

聖良とは違うメンバーと、もう一度「自分達だけの結晶」を作ることを宣言する理亞。

「姉との閉じた世界」を象徴するものだった「スクールアイドル」は、今理亞にとって明確にその意味合いを変化させました。

「未来」への「希望」を象徴するものに立ち戻った「スクールアイドル」。ルビィはその行動を通じて、似た者同士である理亞の「未来」を救って見せたのかもしれません。

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前向きな「別れ」。8話でダイヤがルビィを切り離したように、9話では理亞が聖良を切り離す。構成の反復を利用して、意味をより明確に視聴者に刻み付ける。大変素晴らしい構成だと思いました。

その別れを、どこか切ない視線で見つめるAqoursメンバー。(特に鞠莉)

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彼女達にとっても「別れ」はもはや他人事ではありません。

ラブライブ終了と同時に訪れる、必然的な「別れ」。果たしてAqoursはそれをどのように乗り越えるのか。それが次回からの物語になっていきそうですが...。

 

ということで、第9話の妄想でした!

実はマクロにとらえ過ぎて、書ききれなかった部分が出てしまったのですが、その辺は分かり手の他ブロガー様にお任せしたいなと思います。

今回も長々とわけのわからぬ記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

次回、恐らく3年生回「シャイニーを探して!」

楽しみ!!

Awaken the power (特典なし)

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