再生ボタンを押して、軽妙なイントロが響き渡った瞬間、脳内に爽やかな風が吹く。
久々に耳にしたAqoursの新曲「なんどだって約束!」は、多幸感と同時に、これまで過ごしたAqpursとの時間と、そこで誓ったことを思い出させてくれた。
Aqoursはことあるごとに「未来に期待すること」とその価値を我々に示し続けてくれた。
どれだけ傷ついて、苦しんでも、それがやがて実を結ぶと信じられるから。頑張れる。
だから、どれだけ今が苦しくても、一緒に頑張ろう!と我々を勇気づけてくれるのがAqoursであり、ラブライブ!サンシャイン!!という作品だった。
しかし、ここ数年はそんな願いや希望や信念が裏切られ、揺らぐ毎日が続いた。
人智を超えた病理と、それがもたらす災厄を前に、我々は為すすべもなかった。
予定していた楽しみや喜びはもちろん、それまで「当たり前」だったことも、全て消えていった。
人の力で超えられるものがあるのと同時に、それだけではクリアできない難題があること。
それを教えてくれたのもAqoursではあった、...けれどいくらなんでもこの課題は難題過ぎた。
我々だけでなくAqoursもまたこの未曽有の危機の前で、立ちすくみ、何度も足を掬われた。
Aqoursの集大成となるはずだったドームツアーや、それ以降の様々なライブが中止となった。
体調不良に見舞われるメンバーもいた。
そんな大きな痛みや苦しみに見舞われても、彼女たちは何度も立ち上がることを誓い、
そして実際に立ち上がってくれた。
「約束」をかなえるために。
これまで「約束」という言葉に特別な感情を持ったことは無かった。
けれど今回、この楽曲を聞いて、改めて「約束」という言葉の持つ意味と、その良さを実感した。
やく‐そく【約束】
② ある物事に関してあらかじめ取り決め、将来それを変えないことを互いに誓うこと。
ちぎり。契約。約定(やくじょう)。
正直なところ、個人的にも、今のこの現状はなかなかハードだった。
いつ終わるともしれない病理と、それに自分がかかるかもしれないという危機感。
そしてそれに紐づいて切迫していく社会と変貌していく生活や街並み。
うっすらと、目に見えずともあった人と人との繋がりも薄れ、
病理に対する考えや取組によってはそれに決定的な亀裂が入る可能性すらある。
こんな世界で生きていくのはあまりにもしんどい。
ふと「もういいか」、と思ってしまう人がいることはちょっとだけ理解できるし、自分がそうならないという保証すら無いように思えた。
だからこそ「約束」というものが大事なものに思えてくる。
未来に、必ず「こうしたい」「こうしよう」と取り決めて、それを目標とすること。
それがどれだけ「救い」になるか。
そしてその「約束」を叶えてくれる人たちがいることが、どれだけの人の救いになるだろうか、と今は思う。
正直病理が収まったと言えない現状での大箱でのライブ開催に賛否はあるのかもしれない。
けど、それでも、今このタイミングで彼女たちが「約束を叶えてくれる」ことに救いを感じる人は、本当に、想像以上に沢山いるのではないかなと思う。
まだライブが始まってはいないのでわからないけど、もし仮にライブの一発目に「なんどだって約束!」が披露されるのであれば、僕はその瞬間に救われる。
約束をもっと もっともっとしようよ
君とならがんばれる
ムリかな? そんな願いも
いっぱい叶えちゃうよ
ミライの約束をもっと もっともっとしようよ
約束があって あってあってよかった
会いたくてがんばれた
ムリでも ムリじゃないふり
だって嬉しいんだよ
ああ君と約束があって あってあってよかった
楽しみはまだまだあるんだ 終わらせないからね
なんども なんどでも また会おうね(なんどだって約束!)
そんな「救い」の瞬間がこれからの未来にもたくさんあるのだと、あるはずだと信じられたら、僕は、僕たち、はもう少し頑張って生きていけるかもしれない。
そう信じられるからこそ、今回Aqoursが東京ドームでライブを行ってくれることを僕は全面的に支持したい。
ありがとうAqours。
「約束」があって良かった。
本当に心からそう思います。
東京ドームでみなさんと最高の時間と未来が過ごせることに感謝します。
(これは4thの東京ドーム)