皆様こんにちはorこんばんは。
もはや追いつく気概すら見せていないこのブログ。
今回は特に何も言うこともないのでササっと本題に進みましょう。
「ソロ」の難しさとアイデンティティクライシス
第4話は宮下愛さんがメインとなるエピソードでした。
愛さんはギャルで明るく、友達も多く、運動神経バツグンで、勉強もそこそこ得意。
それだけでなくって部活にぬか漬け持ってきてしまうような素朴な部分もあり、
なおかつアニメ好きのせつ菜を軽んじたりもせず、
表情の乏しいりなりーを的確にフォローしてみせたりもする、
まぁなんというか、コミュ力高いし、性格面でもめちゃめちゃイイ子という非の打ちどころがない完璧キャラであります。
※あくまでアニメ版を見ての認識ですので違ったらごめんなさい...。
そんな愛さんが何を悩むことが出てくるのか?と思っていると、まさかのアイデンティティクライシスに陥ってしまうという。
前回第3話においてある程度示されていた虹ケ咲が「ソロアイドルプロジェクト」へと歩みを進めていく、という方向性。
それはつまり「集団」としてのアイドルではなく、「個」としてのアイドルとして活動していく、ということを示すものです。
普通であればそれほど波紋を呼ぶ展開ではないかもしれませんが、敢えてこの展開に混乱してしまう人もいる、という状況を描く。
優しくって、コミュ力も適応力も高くって、人と仲良くなることが大好き。
つまり集団での適応力が無茶苦茶高いが故に、集団行動においてはすごく頼りになる存在であり、なおかつそういった場面においては100%の能力を発揮できる。
けれど、いざ一人で何かをしなくてはならない、となった時、
「あれ?私って何が出来て、何が得意な人なんだっけ?」
となる。
しかもそれが「正解がない」「アイドル」という分野においてはなおのこと分からなとという。
この宮下愛というキャラの特性を利用して、逆転した形で課題の再提示を行い、逆説的にこれまでのお話とそこで出た結論を再度整理していくっていうのも、これまた上手いなぁと思いました。
「ダジャレ」という救い
「スクールアイドル宮下愛」はどうあるべきなのか。
それを巡って静かに、それでいてそれなりの深度で悩んでしまっている愛さんを救いあげるのは「ダジャレ」であるというのが面白かったです。
パっと思いつきでいつでも作れて、その場で誰とでも共有できる言葉遊び。
そんな「ダジャレ」という存在が
「いついかなる時」でも「人を楽しませたい」「自分が楽しいと思う事をシェアしたい」
という、愛自身が思う自分の「理想形」と重なり合った瞬間に、「スクールアイドル宮下愛」が覚醒する、というのもこれまた面白かったです。
愛さんのダジャレ好き、という設定が公式ではどういった意図でそうなったのか、申し訳ありません勉強不足故に全く分かっていないのですが、
少なくとも、アニメ版においてはその設定を「スクールアイドル宮下愛」の覚醒に利用し、彼女がスクールアイドルであり続けるための大事な「パーツ」にまで昇華してみせたのは、脚本の妙だなと感心しまくりました。
エンドロール後、愛さんのダジャレ攻撃を受けて身もだえる侑ちゃん、というスクスタ勢であれば思わず喜んでしまう「笑いのレベルが赤ちゃん」ネタを交えつつ、愛さんがフっと語る(ダジャレは)「スクールアイドルの練習」という言葉。
フワっと内容だけを追っていると今一つピンとこない言葉なのですが、前段のように「ダジャレ」が持つ意味をかみ砕いてみると、愛さんの言葉の意味が分かるという部分も個人的な「好き」ポイントでございました。
ということで4話もサラーっと感想を纏めてみました!
5話もササっと纏めていきたい!!(これは毎回言っている)
今回もご一読ありがとうございました。
【限定公開】サイコーハート / 宮下 愛(CV.村上奈津実)【TVアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第4話ダンスシーン映像】