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演じることはいけないこと? ラブライブ!虹ケ咲学園スクールアイドル同好会 第8話「しずく、モノクローム」感想

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※今回の記事に関して。

予めてのご注意になりますが、当記事は決して本作品を否定・ないしはクサす目的で書かれたものではありません。

自分個人の感想として、8話が初見から今に至るまで、なんだかシックリ来ないのは何故なのか。その個人的な理由を知りたくて、考えたものを纏めた記事となります。

とはいえ8話がとても大好きという方にとっては不愉快に感じる記載・記述が無いとは言い切れませんので、もし当てはまる場合には今の段階でブラウザバックしていただけますと幸いです。

 

 

 

さて、何故こんなことになってしまったのか。

5話以降の記事をかっ飛ばして、ここに至っていることに正直驚いている。

とはいえ、鉄は熱いうちに打て、なんて言葉もあるように、今自分にとってホットなものから纏めておこうということで、かなりイレギュラーだけど8話の記事を先に書くことにしました。

というのも、序文にも書いた通り、なんだかわからないけどこの8話が自分的にはあんまりしっくりきておらず。

けれどもその理由が今一つわからなくって。

お話としては別に破綻しているわけではないし、怒りや絶望を感じるお話でもない。

なのになんだかスッキリしない。

なんでなん???

というこのモヤモヤを解消したくって、8話の構造みたいなものを分解して考えてみました。

そしたらちょっぴり分かったことがある、という感じなので、気が向いたらお付き合いいただけるとありがたいです。

 

ところで現時点における僕のアニガサキの各話の感想はこんな感じ。


1話~4話 最高だ..........。

5話   うーん普通?

6話   神が生み出したもうた神による神回(神回)

7話   う~~ん、なんかシックリこないんだけど。

8話   う~~ん、(以下略)

 

という感じなので、直近の2回が特別ピンと来ていない感じ。

で、7話の時点では「まぁそんなこともあるよな」「俺、虹は真の弱者だから、なんも言えねぇ...」という感じだったんですけど、2回続けてこの感じになるのはさすがに違和感ありまして。

そもそもラブライブ!を見ていてこの感覚に陥ることが今までほとんど無かったのに加え、単純に不満があるわけではなく、その理由がよく分からないってのがとにかく気持ち悪くって、ちょっと一度検証してみよう、となってここに至っている感じです。

なので改めての注意になりますけど、これはあくまでも「僕個人がしっくりこない理由の検証」であって、「作品をけなす意図」があるわけではありません。

個人的な感覚の話でもあるので、誰しもが当てはまるとも限らないので、そこはご承知おきいただけると嬉しいです。(保険張りまくり)

 

 

さて、物語をボンヤリと見ていてもなんだか答えが出なかったもんで(2~3回繰り返して見た)、もういっそ物語自体を分解してみよう、ということでしてみました。

 

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自分が物語を整理するために作ったチャートなので、人に読ませる感じでは出来ていないので、アレなんですが。。

ここまでアニガサキでは、「序盤で課題を定義」「最後でその課題を回収」というパターンが頻出しており、それが物語における「基本構成」になっているので、そこに当てはめて物語自体を分解した感じです。

 

 

ここから考えると、8話の物語における桜坂しずくの課題(カセ)は2つ。

①「自分の本心を曝け出せない事」

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②「皆が望むスクールアイドルを演じている=全てにおいて演技をし続けている事」

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この2つを解決し、答えにたどり着くことで、桜坂しずくにとっての「救い」を見出す、というのがこれまでを踏襲する「結論」になります。

 

さて、2つと書きましたがこの課題は実質的には繋がっており、ほぼ一つの課題と言って良いと思います。

というのも、「演技し続けている」のは「本心を曝け出したくないから」であり、つまり彼女にとっての最も大きな課題は「本心を曝け出すことが出来ない」点にあるわけです。「演技をし続けている」というのは、その課題を象徴するパーツのような扱いになっているわけですね。

ちょっとこの時点で、雲行きが怪しい感じではあるわけですけども...。

 

さて、物語ではそもそも何故しずくが「本心を曝け出せない子」になってしまったのか、というお話に繋がっていきます。

本人曰く「子供の頃からモノクロの映画や古いドラマが好きだった」しかしそれを表明したところ「ちょっと変わった子」と思われて距離を置かれたりした。

子供心にそんな扱いを受けたことがトラウマとなり、以来自らの「本心」を明かすことを止め、みんなに好かれる素直な良い子を「演じる」ようになった。

そしてその癖はあらゆる日常生活の面でも浸透し、ついには全てにおいて皆が望む「自分」を演じてしまう癖が出来てしまった....という。

つまり「本来の自分」と「演じている自分」とが反転してしまっており、それが常態化しているのが桜坂しずくなのだ、ということが明らかになるわけですね。

そしてひいてはその状態がしずくにとっての「カセ」となってしまっている、というのがこのお話の本線なわけです。

 

さて、ではこの状態を解除するためにはなにをすれば良いのでしょうか。

答えはシンプル。彼女にとっての「本来の自分」を承認し、愛してくれる存在に出会えればよいわけです。

そこで登場するのが中須かすみですね。

これまでもあらゆる回で名バイプレイヤーとして活躍してきたかすみが、しずくの心のカセを取り除くべく活躍します。

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本当の自分を見せてしまったら、人に嫌われるかもしれない。

それが怖い。故に

「スクールアイドルにも役者にも本当の自分を見せる、という要素が必要なのだとしたら、自分にはどちらも出来ない!」と独白するしずく。

そんなしずくにかすみんは「スクールアイドルの先輩」として一喝を浴びせます。

「甘っちょろいことを言うんじゃない!」

「どんなに可愛くても、みんなが好きになってくれるわけではないのがアイドル」

と前置きをした上で、それでも

「しずくの本質を見て好きになってくれる人だっているはず」

「だから恐れずに本当の自分を出してみれば良いのでは?」

と語りかけます。

 

それでも不安気なしずくに対し、

実際かすみ自身が、

しずくの「頑固なところや意地っ張りなところや自信がないところ」

そういう本人がネガティブな要素として捉えているものをひっくるめて、しずくのことが好きだ!と告白するわけです。

素敵ですねぇ。

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6話において「ダメな部分を魅力に変えて見せることが出来るのもアイドルの良さ」だと語ったかすみらしい論点ですね。

こうして、かすみによるしずくの「本質への承認」を経て、しずくにとってのカセ①は解消。「本心を曝け出す」ことが出来るようになったしずくは見事「荒野の雨」の主演に返り咲くことが出来たのでした。

舞台上で自らのペルソナと語り合うしずく。

本来であれば自分にとっての二面性を象徴する「ペルソナ」は、普段は現れていない自分の要素が象徴されることが多いのですが、しずくにとってのそれは「演じている自分」に対する「本当の自分」です。

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ネガティブで自信が無くって、だけど本当は「本当の自分」を誰よりも愛している、ちょっと独善的な要素。わざと封じ込めていたエゴの部分。

「私本当は歌いたいよ!」とは舞台上でのセリフですが、しずく本来の意味で読み解けば「嫌われてもいいから、もっと自分の好きな自分でいたい!」という意図だと感じられます。

その願いを聞き届け、「演じられた自分」ではなく「本来の自分」と合体するすることで、「役者」としてだけでなく「スクールアイドル」としての表現の幅をグレードアップさせたしずくは、「役者兼スクールアイドル」としてのアップデートされた姿でソロ曲を披露するわけです。

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見事「カセ」から解放されたしずく。舞台終演後のインタビューでの「役者、そしてスクールアイドルとして何かメッセージはありますか?」という質問に対して、「演じていた仮面」をはぎ取って、素の自分としてこう答えるのです。

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「本当の私を見てください」と。

晴れやかな笑顔で、聴衆に向けて自らの言葉を発するこのシーン。なんとなく彼女の憧れの人オードリー・ヘップバーンの代表作「ローマの休日」のラストシーンと重なるものがありました。

 

というのが、本編の内容です。

こうやって整理するとやはり課題に対しての解答をキッチリと整理して見せつつ、破綻もしていないので、自分が混乱した理由がピンときません。

 

一つ混乱の要素があるとすれば、しずく本人の物語と「荒野の雨」の物語が入れ子構造になっており、それぞれがそれぞれの物語を補完しつつ進んでいる、ということが初見の段階では分からず、「荒野の雨」のお話が説明不足に感じた点はあります。

もちろんしずくが「荒野の雨」という舞台劇の主演をやるのだ、というのは序盤で示されているので、合間合間に登場する対話劇がそれなのだと飲み込めるようには作られている...のですが。

とはいえ「荒野の雨」というお話は完全に架空のお話で、この回のために用意された物語なので、初見ではこれが舞台上のお話なのか、しずくのモノローグなのか、判断がつきませんでした。

故にメタ演劇としての「荒野の雨」が、本編の物語とリンクせずに、個人的に混乱した、というのはありますね。

 

それを踏まえた上で、ではなぜ自分が「シックリこなかった」のかというと、やはり物語全体における「課題設定」にピンとこなかった...ということに尽きる気がしました。

僕は虹学に詳しいわけではありませんし、故に桜坂しずくに関して描かれるべき物語がこうであるべき!という答えも持ち合わせておりません。

しかし、彼女が「演劇」を愛するキャラであり、「演じる」ことを大切にしているキャラなのだ、という感覚だけはありました。

だとすれば彼女に関して描かれる物語は、彼女にとって「演じる」ことを肯定的に描く物語になるべきなんじゃなかろうか?と思ってしまったわけです。

 

チャートシートに記載した通り、本物語の課題は2点あります。

一つは「本心を曝け出せない」こと。もう一つは本心を曝け出さないために「演技している」ということ。

序盤に雲行きが怪しくなってきた、と書いた通り、僕はここの課題設定がとにかくシックリ来なかったのです。

「本心を曝け出せない」つまり「本来の自分を愛せていない」という状況に関しては、これまでの物語においても何度か登場した要素であり、つまりアニガサキ全体で語られるべき課題であることはよく分かります。

「自分を偽っている」のだとすればそれを脱ぎ捨てて、「本当の自分」を明るみに出し、自分を愛していくべき。

その価値観にはとても賛同できます。

ただし、しずくの物語においては、その価値観を補強する形として「演技」を使用してしまいました。

つまり彼女にとって非常に大切な要素である「演技をしている」という部分が「自分を偽るために演技をしている」というネガティブ要素に書き換えられてしまっているように思えるわけです。

僕の引っ掛かりはここに集約されているように思えます。

「演じる」ということがちょっとでもネガティブに描かれてしまったら、それは桜坂しずくの物語として本末転倒なんではないの?という。

 

個人的に公式の物語に対して物申す!という行為はあまり好きではないので、非常に今心苦しいわけですが。。

 

それでも個人的には彼女の物語は、彼女にとっての要素=「常に演じている人である」ことをポジティブに捉えなおす物語であった方が良かったのではないかな?と感じました。

彼女が常に「何かを演じている人」であることを皆が知り、それに思い悩むしずくを「それが君の在り方なんだからそれでいいじゃん」と許容し、肯定していく物語の方が、なんとなく今までのアニガサキっぽさに通じる、と思っちゃったんですよね。

ホント素人が何言ってんだよ!って話なんですけども......。

 

ということで8話の感想なのでした。

うわぁぁぁごめんなさい!怒らないで!!!!!!

 

とはいえ自分のモヤモヤは解消したので、ちょっとスッキリしました。

追って5話~7話も更新します!ホントだよ!!!???