皆様こんにちはorこんばんは。
ダメだ~全然記事が間に合わない。
ということで今更ですが、3話の感想を書いています。
相変わらずシンプルな構成の中にしっかりと伝えたいテーマを組み込みつつ、お話自体も進行させていく。
とにかく達者なシナリオで、特段なにも書くことが無いわけですが、そんなお話の中で好きだったところを今回も書いておきたいなと思います。
■「好き」を巡る物語
今回は「好き」に纏わる物語でした。
せつ菜を語る上で恐らく欠かせないワードである「好き」をキーに据えるあたり、もうそこだけでファンからすれば満点のシナリオなのだと思いますが、
それだけに飽き足らず、そのモチーフを物語の軸としてしっかり機能させていたことがとても素晴らしいなと感じました。
自分の「好き」を主張するあまりかすみの「好き」をないがしろにしてしまったというせつ菜の「カセ」。
結果として彼女が大切にしてきた「好き」という思いが、彼女にとっての「罪」へと変化してしまっている。
この「罪」の意識が消えない限り、せつ菜は救われない。
ではどうやって、誰が、せつ菜を救うのか。
そこで登場するのがせつ菜の「好き」の力を浴びて、自らの「好き」を呼び起こされた侑。
彼女がせつ菜自身に対して向ける「好き」という気持ちがせつ菜を救い上げ、改めてスクールアイドル優木せつ菜が復活する。
そしてありったけの「大(DI)好きを叫ぶ(VE)」。
...うわぁ...改めてめちゃくちゃ美しいシナリオじゃないですかぁ...。
「好き」という同じ言葉が「大切なもの」になったり「カセ」になったり「罪」になったり「救い」になったり。
一つのお話の中でグルグルと意味を変えながら、最終的には言葉そのままの「好き」という意味そのものへと帰結していく。
いや、もうお話というか脚本としてキレイ過ぎてため息出ちゃいますわよね。
■「何者か」にならなくていい。ただ「あなた」にいてほしい。
せつ菜が感じていたもう一つの「カセ」。
それは「好き」の方向性が異なる自分がいることでスクールアイドル同好会の和を乱してしまう、ひいてはそれがチーム全体の足かせとなり、皆が目標とするラブライブ出場→優勝への足かせにもなってしまう...ということでした。
これまでの作品に通じることでもありますが、ラブライブ!に登場するスクールアイドルは総じて「グループアイドル」でした。
ラブライブという大会において「ソロアイドル」が出場してはいけない、という決まりがあるとは思えませんが、反面ラブライブにおいて結果を残してきたのは「グループアイドル」である、という暗黙の了解があるのかもしれません。
ともあれ「ラブライブで勝つ」という目標においては和を乱す自分がいてはならない、とせつ菜は考えたわけです。
けれどそんな「暗黙の了解」を壊す存在が現れる。
それは「暗黙の了解」を知らない高咲侑です。
彼女はラブライブの歴史なんて知らない。
ただ優木せつ菜に憧れて、スクールアイドルを好きになった人物です。
彼女にとっては優木せつ菜が「歌って踊ってくれないこと」。
それだけじゃなくって自分の大好きな優木せつ菜が「不本意な終わり」を迎えることが辛くて寂しくて仕方ないわけです。
「ラブライブなんて出なくていい」
この回においてとても印象的なセリフとなったこの侑の言葉ですが、これはもちろん言葉そのままの意味ではありません。
あくまでも高咲侑という人物「個人」におけるプライオリティの話なのです。
せつ菜が「ラブライブに出られなくなるのでスクールアイドルを辞め」てしまうのであれば、侑個人の気持ちとしては「ラブライブなんて出なくてもいいから、せつ菜にスクールアイドルを続けて欲しい」わけです。
とても真っすぐで、素直で、わがままなラブコールなのです。
だから本当は正当性なんかない。細かい配慮も当然ない。でもその人個人にはまっすぐに突き刺さる愛の告白。
この言葉はそういう類のものなのだと思います。
個人的に、このセリフがラブライブ!というシリーズにとって革新的なのは「ラブライブに出なくていい」という部分では無いと思っていて(というか、その類のセリフは無印にもサンシャインにも登場しました)
「ラブライブ」というものよりも、「あなた」という「個人」の方が価値があるのだ!と作品の登場人物が断言した点にあると思います。
これまでなんだかんだありながらもグループアイドルとして一致団結し、みんなで一つの目標に向かっていく物語が主だった「ラブライブ!」シリーズ。
その中で目標としての役割を十分に果たしてきたのが「ラブライブ」という大会そのものでした。
けれど本作ではその目標を一旦追いやって、「あなた個人があなたらしくあることの方が重要である」とする。
生きていく上での価値や尊厳がどこにあるのか、それをある種哲学する作品でもあるラブライブですがその行く先がついに「一個人」へとシフトしていく。
人間は集団の中でしか生きられない生き物であるけども、やはり最後にはどうあがいても「自分」という一個人に集約されていく。
だからこそこれからは「個人」ないしは「自分」を見つめる視点が大事になる。
そんな現代的な問いかけに応えるラブライブシリーズにおける分岐点。
その先陣を切るのがこの虹ケ咲の物語なのである、という力強いメッセージすら感じられる気がします。
さて、この3話のお話を通して、なぜ虹ケ咲は「ソロアイドルプロジェクトなのか」という元々あった設定を回収し、なおかつ第4話に繋がる伏線すら作成することが出来ました。
改めてなんて凄い脚本なのでしょう。ウェルメイド~。
ということで今回もサクっとではありますが、第3話の感想でした。
もうすでに周回遅れなので、今更感はありますが、続く4話の感想もなるはやで書いて、追いつきたいなぁとぼんやり思っております。
※このスタイルならギリギリ出来そう??
それでは今回もご一読ありがとうございました~。
グッバイ・再見・バイバイ~~!
【限定公開】DIVE! / 優木せつ菜(CV.楠木ともり)【TVアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第3話ダンスシーン映像】