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~「必然」の星~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第22話(2期9話)「Awaken the power」

2015年2月26日。

その物語は、1枚の扉絵とたった一言のキャッチフレーズから始まりました。

青く澄んだ海。突きぬけるような青空。

その青空の下、1人の少女が腕を伸ばし、何かをこちらへ訴えかけています。

その表情は景色と同じく、澄んだ笑顔。

ただし彼女の頭上に書かれたキャッチフレーズはそれとは正反対のもの。

悲痛で、切実で、それでいて明確な答えのない、「問いかけ」でした。

 

....さて、なんだかGガンダムの第1話みたいなはじまり方ですがw

今回は2期9話に関する「妄想」を皆様にお届けできればと思います。

説明不要なエモの塊。間違いなく「サンシャイン」だけでなく「ラブライブ!」シリーズにおいても「傑作回」と呼べる「神回」だっただけに語るのは野暮だとは思いますが。とはいえ、なんとかこの回から受けたインプレッションを言葉にしていければなと思います。

 前回8話が「きょうだい」そして「家族」に関する物語だとすれば、今回はそこから視点を更に発展させた「スクールアイドル」に関する物語なのでは?と私は考えます。上手く文章に出来るか自信はありませんが、何卒お付き合い頂ければと思います。よろしくお願いいたします<(_ _)>

それでは参りましょう。#9「Awaken the power」です。

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■花丸による「ルビィ観」

前回親友ルビィが主人公となる物語ながら、メインストーリーにはほとんど絡んでいかなかった花丸。

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私は前回考察において、花丸がメインストーリーに絡んでいかないのは、彼女が物語の主線に絡んでしまうことで起きる「ノイズ」を考慮してのものなのでは?と考えました。

8話は「ルビィとダイヤ」「理亞と聖良」という二組の「姉妹」の物語を通じて「家族のあり方」を描く回。ひいてはその視線の在り方や、変化を通じて「スクールアイドル」とは何か、それが「過去」および「未来」においてどのような「意味」を持つ存在なのか。そこへつなげていくための「ブリッジ」のような物語でもありました。

よって「姉妹」という枠組みに含まれないキャラクターは、メインストーリーから明確に「省かれた」のだと考えたわけです。

(実際8話ストーリーに二組の姉妹以外で絡んだのは、姉を持つ千歌だけだったのは象徴的だと思います。)

今回9話はその「制約」から外れ、新たなるテーマを描く回。それ故に花丸は物語冒頭からメインストーリーにがっつりと絡んで行くことになったのだと思います。

ルビィの申し出をあっさりと受け入れる花丸。彼女の姿勢からはルビィに対する絶対的な「信頼」と「理解」を感じます。

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 ルビィは元々頑ななまでの「引っ込み思案」。仮に親友の花丸が促したとしても、自分の真意をそう簡単には打ち明けてくれない子でもあります。それは1期4話での花丸の「ルビィ評」から明らかになった要素。即ち花丸はルビィが「そういう子」であることは重々理解しているわけです。

1期4話では、そんなルビィの特性を分かった上で、それでも「見過ごせない」事態が発生したため、花丸は半ば強引にルビィの「扉」をこじ開けたわけですが、普段はそんなルビィの在り方を「尊重」してもいるのです。

また、1期4話以降ルビィ自身も若干ではありますが、「変化」しています。これまではことさら自己主張してこなかった彼女が、2期においては自分の考えをはっきりと主張する機会が増えました。その「変化」を花丸も理解しています。

だからこそ、見守るべきタイミングではルビィを見守る。もしもルビィが助けを求めてきたら、細かい事情は置いておいて「助ける」。そんな二人の関係性は、以前にも増して強固なものになっている。8話から続く花丸の姿勢にそんな感想を抱きました。

 

■似た者同士の一年生

8話において、ルビィと自分自身の「似た所」を自覚し、彼女との間に不思議な「絆」を生み出した理亞。

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 とはいえ、彼女の本質はルビィと同じく「人見知り」。招かざる客の参戦に戸惑いを隠せません。

「私、もともと皆でワイワイとか好きじゃないし!」

そんな理亞の主張を受けた花丸は、

「それを言ったらマルもそうずら。善子ちゃんに至っては更に孤独ずら...。」

と自分たちの内面をさらけ出します。(善子は流れ弾食らった状態ですが)

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 極度の引っ込み思案と、姉への重度な依存が要因となって、友人を作れなかったルビィ。

祖父母と山奥の寺で暮らす...という独特な生活空間の中で養われた古臭い言葉使いと、どこか達観しがちな精神性で、これまた孤立してしまっていた花丸。

自分の「世界」を世に問うたものの、それが受け入れられず学校に行けなくなってしまっていた善子。

彼女達は等しく「孤独」な存在でした。

花丸の一言をきっかけに明かされるAqoursの1年生陣の「孤独」さ。

それが、同じく「孤独」な理亞の心を癒していきます。

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1年生ズに共通する「孤独」という要素。これは実は2年生や3年生には「無い」要素でもあります。そんな1年生たちを「救った」存在、「救う」存在とは何なのか。ここもまた9話のテーマの一つのように思えます。

 

■呼び覚まされる力

花丸の「告白」をきっかけに不思議な「連帯感」を得た1年生ズ。冬休みを利用し、北海道に滞在し、「クリスマスライブ」に向けての楽曲作成合宿を行うことになりました。

「クリスマスライブ」で披露する楽曲を合作すること。そしてその楽曲を以て、自分達の力だけで「クリスマスライブ」への参加権を勝ち得ること。そんな「自分達の力を示す」ことが「姉への恩返し」になるのだと理解したルビィと理亞。

それまでは姉達に任せきりだった楽曲作りに切磋琢磨しつつ挑んでいきます。

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悩みのタネは「楽曲のテーマ」。

これまで自分達で楽曲のネタを見出してきたわけではない1年生組にとっては難しい課題です。鹿角家に一時的に住まわせてもらうことで生まれる「交流」。

年長者の聖良に礼儀正しくお礼を告げる善子。

ムキになって理亞と「姉合戦」を行うルビィ。

そんなやりとりは、今まで無かった「交流」が呼び覚ますやりとりでもあります。

他者と「ぶつかり合う」ことによって生まれる「アイデンティティ」。掘り起こされる隠された「本質」。それは正しく「自らの中にある可能性」を「呼び覚ます」行為でもあります。

「ルビィ最近思うの。お姉ちゃんや上級生から見れば頼りなく見えるだろうけど。」

「隠された力が沢山あるんじゃないかな?って。」

そんなルビィの言葉から「曲のテーマ」を見出した花丸。

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「隠された力」を「呼び覚ますこと」。誰かに与えられたものではなく、自分の内側から溢れ出す「力」を信じること。

ラブライブ!サンシャイン!!」において、何度も登場している「モチーフ」。それが今回はAqoursSaint snowという「異なるイデオロギー」を持った存在(だったはず)の両者が「交流」することで表現されていく。

このストーリーには2期において繰り返し描かれている「目標にたどり着く方法は一つでなくても良いのでは?」というテーマへの視点も感じさせます。

 

■震えている手を握って

AqoursSaint snowイデオロギーの異なる両者が、互いに言葉を出しあい、一つの「世界」を作り上げていく。

理亞とルビィの二人によって紡がれる「世界」。苦労の果てにいよいよその「世界」は完成に至ります。

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 とはいえ、目標となる「クリスマスライブ」で楽曲を披露するためには、いかに自分達のパフォーマンスが「ライブに相応しい」ものであるかを審査員の前でアピールする必要がある。即ち「他者」に対して「自分達の存在」を、「本気」を「ぶつける」必要があるということです。

これまでは「姉」という保護者の影に隠れて、その庇護を受けていれば良かったルビィと理亞。しかし今回は「姉」の力は借りられない。自分達の力だけでこの困難を突破しなければいけない。嫌が応にも高まる緊張感。手の震えが止まりません。

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「姉さまがいないのが、こんなにも不安だなんて...」

立ち向かうことで初めて分かる「孤独」の「辛さ」。それは丸で「人生」のメタファーのようでもあります。

どれだけ仲の良い家族がいたとしても、人間は結局は「一人」である。やがては「世界」に対して、自分1人の力で「立ち向かわなければならない瞬間」がやってきます。依るべきものが無い「世界」で、ただ「自分の中にある力」だけを信じて突き進まなければいけないということ。これは人間であれば「誰しも経験する」「道程」の一つです。

頼りない状況に、折れそうになる心。しかし、そんな時だからこそはっきりと認識できるものもあります。

それはこれまで無意識に享受してきた「愛情」の持つ意味と、その「暖かさ」です。

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自分を支えてくれる人の「言葉」や「気持ち」。その心強さは、孤独に立ち向かう時になってようやく気付く物です。そしてそれを「自覚」することが出来れば、今度はその「経験」が自分自身を支える「心の支え」や「自信」にもなっていく。

「ルビィは強い子でしょう。勇気をお出しなさい。」

再三自分の中に眠る力を肯定し続けてくれた姉。これまではその言葉の意味に気付くことが出来ませんでしたが、今ならばその言葉の意図も意味も理解できる。

理解できるからこそ、それを自分自身の「力」へも変換していける。

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今はっきりと「独り立ち」を果たしたルビィが紡ぐ言葉。まだたどたどしくもありますが、「自信」と「誇り」に満ちた語りは、どこか姉ダイヤを彷彿とさせるものでもあります。

同じく心の中で「思い出」を糧に立ち上がった理亞。彼女もまたルビィと同じように「独り立ち」をするに至りました。

そんな二人の「独り立ち」を見て感涙に咽ぶ善子と花丸。

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二人の表情は、視聴者である我々の気持ちを投影した表現のようでもあります(笑)。

 

さて、今回9話を見ていく中で、思い浮かんだ楽曲が一つだけあります。

それは、想いよひとつになれです。

ルビィと理亞の震える手を、花丸と善子が握る...というシーンは象徴的ではありますが。

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それ以外にも物語そのものが、「想いよひとつになれ」の歌詞にとても近似しているように思えるのです。

ふと気づくと 重なり合うよ
一途に 未来を呼ぶこころ
ふるえてる手を にぎって行くんだよ
すれ違ったあとで 同時に振り向いた
ほらね 本当は
一緒だったよ気持ちはね

 同じ目標を目指しながらも、イデオロギーの対立からすれ違っていたAqoursSaint snow。しかし、両者は運命的な引き合わせによって重なり合い、今一つの「世界」を生み出すに至りました。

しかしそれはある種「必然」でもあった。なぜなら両者において異なっていたのは「イデオロギー」だけであり、目指すべき「目標」や、「手に入れたい物」は「一緒」だったのですから。

だいじな夢追うとき だいじなひとがわかる

 大事な夢=「クリスマスライブで自分達だけの力で作り上げた楽曲を披露する」という目標を叶える過程において「だいじなひと」の持つ「価値」に気付く。それは8話から9話に至る物語そのものでもあります。

かけがえのない日々を
過ごしてたんだ
いまさらわかった 
ひとりじゃない
かけがえのない日々を(ここで)
積みかさねて(ひとつひとつ)
いまさらわかった (一緒だよね)
ひとりじゃない

 「独り立ち」するなかで、改めて気づく、過ごしてきた日々の「かけがえなさ」。そしていつでも自分は「ひとりぼっち」ではなかったのだという「事実」。その「事実」が「救う」もの。

紡がれる歌詞の一つ一つが、今回の一連の物語に重なっていくような、そんな感覚があるのです。

この「想いよひとつになれ」が繋ぐAqoursSaint snowの物語。それが具体的に描かれた話数とは1期12話でしょうか。

少しイレギュラーではありますが、ここで視点を少し過去に巻き戻してみたいと思います。そうすることで、この9話の持つ「価値」や「意味」などにより深みが感じられるような気がするからです。

 

AqoursSaint snow~本気がぶつかり合う日~

AqoursSaint snowが初めて相まみえたのは、1期7話「TOKYO」そして8話「くやしくないの」です。

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この時点でAqoursの全国知名度は皆無。Saint snow知名度抜群というわけではありませんでしたが、あくまで「ルーキー枠」で呼ばれたAqoursと、きちんとした出演者として迎えられたSaint snowとでは、実力・知名度ともに明確な差がありました。

初めてAqoursSaint snowが「並び立てた」のは、12話「はばたきのとき」。

想いよひとつになれ」は、PV再生数ではSaint snowよりも上。実力至上主義を掲げるSaint snowにとっては、初めてAqoursに「敗れた」ことにもなり、嫌が応にもAqoursの実力を認めざるを得なくなりました。

故にこここそがAqoursSaint snowが初めて「対等の存在として向き合った瞬間」なのでは?と思えるわけです。即ち両者を繋ぐ楽曲として想いよひとつになれ」は明確に機能している...とも考えられるわけですね。

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ここで初めてぶつかり合った両者の「イデオロギー」。

なぜ「μ'sやA-RISEは輝けたのか」。その理由を探す千歌は、聖良自身の考えを聞きます。

聖良は「自分も同じ疑問を持ったことがあること」そして、「考えても答えが出なかったこと」を千歌に告げます。そしてその答えを見出すためにまずは自分も両者と同じ「立ち位置まで上り詰めることを目指している」のだということを語るのです。

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紐解くと分かることですが、千歌と聖良は元から「同じ答えを求めている」ことがこの時点ではっきりと描写されていたのですね。

どうすれば「先人のように輝くことが出来るのか」。

聖良はそれを知るために、ひたすらに「勝利する」ことを目指しました。

反面千歌は、「勝利の先に答え」を見出せなかった。代わりに先人(μ's)そのものの輝きを追うのではなく、その「在り方」を追うことで、「輝く方法」を見出そうとしました。

それが両者の「イデオロギー」となり、「差異」として明文化されることで、「ライバル関係」成立の柱にもなっていきました。

「同じ目標」を目指しながら、ぶつかり合う「イデオロギー」。

ここからは2期主題歌「未来の僕らは知ってるよ!」冒頭の歌詞「本気をぶつけあって 手に入れよう未来を」という言葉が想起されます。

すなわちこの「イデオロギーのぶつかり合い」とそこから得る「結論」もまた、「ラブライブ!サンシャイン!!」2期における大切な「ストーリー」であること。

ひいてはこの「結論」を導き出す主軸となるAqoursSaint snow、両者が「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語における「主人公」なのである、という視点もぼんやりとながら見えてくる気がするのです。

だからこそその「結論」にたどり着く今回は、「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語においては、とても「大切な回」なのだとも思えるわけですが。

 

さて、このように二組のグループが「イデオロギー」を戦わせ、やがて一つの「答え」にたどり着く物語を、我々は一度見ています。それはもちろん、ラブライブ!」2期10話「μ's」でしょう。

 

■キャッチフレーズ

ラブライブ!」2期10話「μ's」。そこで描かれたのはμ'sのリーダー高坂穂乃果と、A-RISEのリーダー綺羅ツバサによる「イデオロギーの衝突」と、それに対する「回答」でした。

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東京予選においてμ'sに敗れたA-RISE。μ'sのパフォーマンスの優秀さを認めた上で、敗北を受け入れたはずのツバサ。しかし、どうしても胸の中に残る「しこり」を解決させるため、穂乃果にその「答え」を求めます。

確かにμ'sのパフォーマンスは素晴らしかった。しかし、自分達A-RISEも決して劣ったパフォーマンスをしたわけではない。常に最高を目指し、パフォーマンスの完成度に自信を持ってきたA-RISE。その「完成度」と「自信」こそがA-RISEを形作る「誇り」だった。そしてそれを東京予選でもしっかりと見せた。にも関わらず負けた。

ツバサにはその「敗因」が分からない。だからこそ当事者である穂乃果に、その「回答」を求めるのです。

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しかし当の穂乃果は、ツバサの問いへの明確な回答を示せない。思い悩む穂乃果。その悩みの中で見出した答えは「みんな」というキーワードでした。

μ'sは確かにA-RISEよりもパフォーマンスでは劣っている部分もあるかもしれない。けれどもその「未完成」な部分こそが、同じく「未完成な人々」の共感を呼び、その「民意」が「支持」となってμ'sを支えている。

足りない部分を「みんなの力」が補う余地があるからこそ、その「余地が無い」A-RISEに勝利することが出来たμ's。

穂乃果はその「回答」を一つの「キャッチフレーズ」としてツバサに示して見せました。

「みんなで叶える物語」

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その言葉は穂乃果の気づきであるという以前に、一つの大きな意味を持つ「キャッチフレーズ」でもありました。

プロジェクトラブライブの始まりとして掲載された広告。

そこに記された言葉。それは「みんなで叶える新しい物語」という文言でした。

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即ち、プロジェクト開始時に設定された「キャッチフレーズ」を、物語内の文脈に落とし込むことで、綺麗に「回収する」という要素があったのです。

それは多分にプロジェクトを初期から「応援してくれているファン」への「目配せ」でもありましたが、それだけでなく「ラブライブ!」という物語を形作る「テーマ」を「キャッチフレーズ」として綺麗に表現してみせたということでもありました。

この後「みんなで叶える物語」は、プロジェクトの一端の終焉となる「μ's Final Love live公演」後に展開された「みんなで叶えた物語」というキャッチに至るまで、「ラブライブ!」というプロジェクトを司る根幹テーマとして、しっかり機能していったわけですから。

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そう考えると、プロジェクトにおける「キャッチフレーズ」を、アニメ物語内においても重要な「テーマ」として落とし込んだ...という部分において、この2期10話は「大切な回」だったとも思えるわけです。

これまでも、大事な場面では「ラブライブ!」のストーリーラインや構成を「再構築」してきた「ラブライブ!サンシャイン!!」。

だとすれば、今回の物語にも、そういった「意図」があるのでは?と勘ぐれる部分もあるのです(完全な妄想ですが)。

すると浮かび上がってくるのは、プロジェクト発足当初から今に至るまで「回答」が示されていないあの「キャッチフレーズ」なのです。

 

■「ラブライブ」が救うものとは。

2015年2月26日。

その物語は、1枚の扉絵とたった一言のキャッチフレーズから始まりました。

青く澄んだ海。突きぬけるような青空。

その青空の下、1人の少女が腕を伸ばし、何かをこちらへ訴えかけています。

その表情は景色と同じく、澄んだ笑顔。

ただし彼女の頭上に書かれたキャッチフレーズはそれとは正反対のもの。

悲痛で、切実で、それでいて明確な答えのない、「問いかけ」でした。

「助けて、ラブライブ!

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あの日、彼女が救いを求めた「ラブライブ!」。しかし、彼女が「ラブライブ!」に対してどんな救いを求めたのかは、今なお明確な回答が示されていません。

2期において「学校を統廃合の危機から救う」ため、ラブライブ出場を目指した千歌たちAqours。しかしその願いは空しくも、途中で潰えることとなりました。

この「キャッチフレーズ」が「ラブライブ!サンシャイン!!」という「物語」全体を覆う「テーマ」なのだとすれば、「途中で潰えた目標」に掛かっているとは考えづらいもの。

だとすればこの「助けて」は何にかかっていくのでしょうか。

視点を1期にまで戻してみると、千歌は「ラブライブ!」との出会いによって「普通星人である状態に留まっている現状」からの「脱却」を試みることになります。

そんな千歌の熱は周囲に伝播していき、梨子は千歌を通じて「ラブライブ」と「スクールアイドル」に触れ、音楽に対する渇望を取り戻していきます。

曜は幼馴染である千歌と対等に取り組める物事を手に入れるだけでなく、心のどこかで抱えていた千歌に対する「コンプレックス」を「ラブライブ」というフィルターを通じて解消していくことになります。

ラブライブ」を通じて疎遠になっていたダイヤ、鞠莉、果南は、再び「ラブライブ」を通じて集い、その辛い過去を払しょくしていくに至ります。

そして今回も語られたように、「孤独」だった善子、花丸、ルビィは、「ラブライブ」と「スクールアイドル」に出会うことで「孤独」から抜け出していきます。

ことほどさように、「ラブライブ」ならびに「スクールアイドル」という存在そのものが、彼女達の「実人生」を「救っていく」のが「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語でした。

ここから分かるのは、「ラブライブ」が「救う」ものとは、「統廃合阻止」のような物理的なものではなく、「心」やそれに伴う「人生」なのだということが見えてくるように思えるのです。

そしてその対象とは、決して「スクールアイドル」そのものだけではない。「ラブライブ」というフィルターに触れた人、全ての「人生」に「救い」を与える。

そんな大きな「救い」を与える存在としての「ラブライブ」が浮かび上がってくるような気がするのです。

ラブライブ!サンシャイン!!」2期は、「スクールアイドル」と「ラブライブ」の持つ「厳しさ」を全面に押し出したシナリオ構成となっています。

なぜそういったシナリオ構成を取っているのかというと、恐らく「μ's以降」に「スクールアイドルをやろうとする」人たちの「苦悩」に、「既に全てが終わってしまった時代に産まれた我々の苦悩」を投影させるためなのではないでしょうか。

「既に全てのイノベーションが終わった時代」と呼ばれる現代。ここでは何を初めても「誰かの真似」だと揶揄されます。しかし、「真似」であろうが「二番煎じ」であろうが「誰かの作った土俵」だろうが、そこで「勝負するしかない」。なぜなら僕らはこの時代に生まれてしまったのですから。

サルトルは言いました。

「確かにもっといい時代はあるかもしれないが、これは我々の時代なのだ。我々はこの革命のただなかに、この生を生きるよりほかはないのである。

生まれてきてしまったのだから、今を生きるしかない。しかし悲観的なままでは生きていけない。だとすれば、今を「肯定する」しかない。そのためには「勇気」が必要なのです。だからこそ自らの心から湧き上がる「勇気」を、「願い」を、「夢」を「肯定する」物語が必要なのだと思います

ラブライブ!サンシャイン!!」という物語が「ラブライブ」というものに託した願いとは、この「肯定」を呼び起こす「力を目覚めさせる」「トリガー」としての要素なのではないでしょうか。

それは正しく「Awaken the power」という、今回のタイトルそのものに象徴されているのだと思えるのです。

 

■エメラルドグリーンと雪の結晶

いよいよクリスマスライブ。

ルビィと理亞の衣装には、それぞれの「想い」が閉じ込められているように感じます。

理亞の衣装はSaint snowの象徴である「雪の結晶」を思わせるデザイン。

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ルビィの衣装はエメラルドグリーンの配色。

それはダイヤとのつながりを示す「黒澤家の瞳の色」。

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自らを支えてくれた「姉」を象徴するものを衣装に取り入れつつ、その先にある場所を描く歌。

「Awaken the power」は「今を生きるスクールアイドルのアンセム」でありながら、二人にとっての「個人的な思いの集大成」でもある。

ほんのちょっとした衣装の要素からその事実を感じ取れるのも、9話の素敵なところですね。

 

■「必然」の星

AqoursSaint snow。「革命の只中」で「スクールアイドル」として同じ戦場を駆けてきた戦友。

片方は志半ばで戦場を去り、片方はラブライブに願いを託しながら、既にその願いは成就されない運命にある。

一般的には「敗者」と呼ばれてしまうのかもしれない両者が、今重なり合うことで、一つの大きな奇跡を実現しようとする。

だからこそこの楽曲は11人全員で歌われることに意味がある。そう思います。

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彼女達が「ラブライブ」に託した、一番大きな「願い」は叶わなかった。やはりどれだけ願っても容易には「星に手は届かない」し、「輝きをつかまえることもできない」。

それは「偶然が支配する」この世界では当たり前のことです。

けれども、彼女達自身で「星」を「作ること」は出来る。

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終わりかけていたSaint snowの夢。それを「終わらせない」という選択を選んだのは、ルビィという「一人の人間」の「意志」です。

そしてその「意志」に感化された理亞が、同じく感化された花丸と善子を巻き込んで、新しい「夢」へと挑み、それを実現していく。

彼女達の「意志」が「クリスマスライブ」への参加という「必然」を生み、「Saint Aqours snow」というユニットをも実現させた。

これらは全て「人の意志」と「力」がもたらす「必然」の「軌跡」なのです。

「偶然が支配する世界」における「星」は手に入らなくても、「人が作り出す必然の世界」の「星」は自分達の手で掴み取ることが出来る。

それはここまで2期の物語において、繰り返し描かれてきたテーマと同じです。

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だからこそ、函館の聖夜に、二組の「今を生きるスクールアイドル」が作り出した星は、「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語がここまで描いてきたテーマの、一旦の「集大成」を象徴するものでもあるように思えるのです。

 

■終わりの先へ

 ライブが終わり。理亞は改めてSaint snowの「終わり」を宣言します。やはりSaint snowは世界でただ一つ、理亞と聖良だけの「結晶」だから。

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ただしスクールアイドルは辞めない。

聖良とは違うメンバーと、もう一度「自分達だけの結晶」を作ることを宣言する理亞。

「姉との閉じた世界」を象徴するものだった「スクールアイドル」は、今理亞にとって明確にその意味合いを変化させました。

「未来」への「希望」を象徴するものに立ち戻った「スクールアイドル」。ルビィはその行動を通じて、似た者同士である理亞の「未来」を救って見せたのかもしれません。

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前向きな「別れ」。8話でダイヤがルビィを切り離したように、9話では理亞が聖良を切り離す。構成の反復を利用して、意味をより明確に視聴者に刻み付ける。大変素晴らしい構成だと思いました。

その別れを、どこか切ない視線で見つめるAqoursメンバー。(特に鞠莉)

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彼女達にとっても「別れ」はもはや他人事ではありません。

ラブライブ終了と同時に訪れる、必然的な「別れ」。果たしてAqoursはそれをどのように乗り越えるのか。それが次回からの物語になっていきそうですが...。

 

ということで、第9話の妄想でした!

実はマクロにとらえ過ぎて、書ききれなかった部分が出てしまったのですが、その辺は分かり手の他ブロガー様にお任せしたいなと思います。

今回も長々とわけのわからぬ記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

次回、恐らく3年生回「シャイニーを探して!」

楽しみ!!

Awaken the power (特典なし)

Awaken the power (特典なし)