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ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「光」と「闇」のDaydream~#5「犬を拾う。」から「Daydream Warrior」を考える。

お久しぶりのサンシャイン!!無駄話です。

今回は前回の#5考察から漏れてしまったものをちょっとだけ。

 

特典曲はどれも好きな曲ばかりなんですけど、その中でも特に好きなのが

「Daydream Warrior」で。


【試聴動画】TVアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」Blu-ray 第4巻特装限定版特典封入特典 録り下ろしAqoursオリジナルソングCD④「Daydream Warrior」

 

単純に音が好きということはもちろん、歌詞もとても好き。

ただし、反面この「歌詞」の「意図」みたいなものが掴めていなかったのも事実で。

他の特典曲はキャラクターがハッキリしているにも関わらず、この「Daydream Warrior」だけが少し浮いているような感じもしていたのです。

そんな中2ndLIVE TOURがスタートし、この楽曲も初お披露目されたわけですけど、その際に初めてこの楽曲のセンターが善子なのだということを知りました。

(ズラっと居並んだサイリウムが白に変わっていって知るという...。)

お恥ずかしい話、そういう楽曲における配列みたいなのにはてんで疎く、「なるほどこの楽曲ってヨハネ曲なんだー。」と感心すると同時に「そう考えると歌詞を読み解くのも面白そうだなぁ」と考え始めました。

 

...ただし、これがなんとも難解で。

特にアニメ1期終了時点での善子の情報からだけでは、この歌詞の意図がなんとも呑み込み切れなかったのです。

歌詞は下記の通り。

気配が消えた…? 私の呼吸が 
荒く激しく 辿るてがかり
探しながらも 見つけたくない
見つけたらすぐ 攻撃しなきゃ


どうしてあなたが敵なのか
(きっと誰にもわからない)
こんなに惹かれた訳さえも
(本当のことはわからない)
悪い夢なんだ


光と闇のDaydream  (Daydreamer)
黒いとびらの向こう
待ち受けるのは (運命に)
抱かれた私の Lost love
あの日知った優しさだけ 忘れないと
額伝う 汗をぬぐい 
自らの手で終わりにしよう


こころの声を 聞かないふりで
走る私の 矛盾がゆれる
愛しい気持ち 許せない気持ち
問い糾したい 弱さがつらい

どうしてあなたに出会ったのか
(熱く胸がときめいて)
確かな繋がり感じてたよ
(嘘じゃないと信じたいんだ)
だけど幻は 打ち砕かれたね


祈りも恋もDaydream  (Daydreamer)
夢は夢でしかないと
嘆きの果ての (運命は)
変わらずに今は Lost love
乗り越えるまで この涙を飲みこんだら
暗い壁に 背中よせて
戦いの意識とぎすましてる

でも帰りたい 
あの日、出会いの日…
たったひとつの願い

叶わぬ 悪い夢なんだ

光と闇のDaydream (Daydreamer)
黒いとびらの向こう
待ち受けるのは (運命に)
抱かれた私の Lost love
あの日知った優しさだけ 忘れないと
額伝う 汗をぬぐい 
自らの手で終わりにしよう

 

パッと読むと、まずこの楽曲は特定の誰かの「内面」の葛藤を描いた楽曲である。

そして、この楽曲の主人公は何かから「逃れよう」としているのだ、ということはなんとなく分かります。

ただし、その「何か」が分かり辛い。

「こんなに惹かれた」とか「確かな繋がり」という言葉と、主体となる善子を繋げて考えるとその「何か」はAqours「堕天使」という風に捉えられる。

しかし善子がその2つから「逃れたがっている」というのは、少し考えづらい。少なくとも1期の物語では善子が「Aqours」によって救われ、「堕天使」としての自分を「再肯定する」という物語が描かれたわけですから。

実は2ndLIVETOUR後には、他の思考が湧いてこず、ここまでで一旦思索が止まってしまっていたのです。しかし、今回2期5話「犬を拾う。」をきっかけに善子=ヨハネのプロフィールを読み解いていくなかで、少しだけこの曲のことが分かったような気がして、こんな記事を書いているわけです。

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■Daydream Believer

まずタイトルから連想できる楽曲のことを考慮に入れていませんでした。

それはもちろん、ザ・モンキーズ「Daydream Believer」です。

www.youtube.com

現代の日本人的にはセブンイレブンのCMでお馴染みの曲。

あるいは忌野清志郎氏の日本語カバー版が有名。ただしそちらは忌野氏自身の「母親」に充てて書かれた「意訳」なので、少し毛色が違っております。

ですので、この記事ではオリジナルとなるザ・モンキーズ版のみをピックアップすることとします。

「Daydream Believer」は幸せな結婚生活を送りながらも、どこか「現実」に追われて生きている男の歌。忙しない時間を過ごす毎日のやりきれなさと、それでも「夢見るように生きる」ことの「価値」が歌われています。

作詞作曲を務めたジョン・スチュワートはこの曲に関して「日々”生活”は僕らを追いかけてくるけど、それでも夢を見るように暮らす幸せな時間の方が大切なんだ」という気持ちを込めて作詞をしたのだそうな。

ただし注意しなければいけないのはその「夢」とは「Daydream」即ち「白昼夢」であるという点でしょう。

「白昼夢」とは...。

はくちゅうむ
【白昼夢】
 真昼に夢を見ているような、非現実的な空想。

 というもの。即ち「夢」と「現実」の最中で見る「空想」を指すということです。

この楽曲における「白昼夢」とはどんなものか。それはサビの歌詞を読めば理解できます。

Cheer up sleepy Jean  「起きろ」寝ぼすけジーン!
Oh, what can it mean to a それってどういう意味なんだろ?
Daydream believer and a 「夢見がち」な僕と
Homecoming queen?   キャンパスクイーンの(君)にとって。

彼は幸せな結婚生活を送っている。しかし「生活」を背景にした「現実」がその「幸せ」を覆い隠そうとしてくる。その「現実」の象徴が「起きろ寝ぼすけジーン!」と叫ぶ「誰か」なのでしょう。ただし彼はその「現実」を「どういう意味なんだろう?」ととぼけて、「過去(彼女をキャンパスクイーンと呼ぶことに象徴されている)」を含めた「現実逃避」へと入っていく。そして自分をその「現実逃避=Daydream」を「信じる人」なのだと定義するわけです。
つまりこの歌詞の世界観を読み解くと、この楽曲の主人公は「現実」を敢えて見ないふりをして「白昼夢」を肯定する人なのだとも思えてしまうわけです。

 

■Daydream Warrior

で、これを下敷きに今度は「Daydream Warrior」を考える。

まず単純に比較できるのは「Believer」と「Warrior」でしょうか。

前者は「信じる人」。「現実」を敢えて無視したうえで「白昼夢」を「肯定する人」である。それに対して後者は「戦う人」。これはどう捉えるべきか。

文字通り捉えれば「白昼夢と戦う人」でしょうか。

最初の歌詞。

気配が消えた…? 私の呼吸が 
荒く激しく 辿るてがかり
探しながらも 見つけたくない
見つけたらすぐ 攻撃しなきゃ

そのまま捉えれば「暗殺者」みたいな歌詞ですが(笑)

これはあくまでもメタファーで。この楽曲ではある人物の中に芽生えた「恋心」を「倒すべき敵」として象徴化させて描いているように思えます。

とはいえこの「恋心」自体もメタファー。本質的な意味としては、自らの心に巣食う「楽観的な空想」即ち「白昼夢」を、「恋心」と重ねて描いているとも考えられるわけです。

この楽曲の主人公は「白昼夢」と「戦う人」である。故にそれを「攻撃しなきゃ」いけない...となるわけですね。

さて、ではなぜこの楽曲の主人公は「白昼夢=楽観的な空想」と「戦わなければいけないのか」というところですが。

そこでファクターとなるのは、この楽曲のセンターである津島善子のパーソナリティでしょうか。

 前回#5で明らかになった「なぜ津島善子ヨハネと名乗り続けるのか」に関しての理由。前回考察記事ではそれをフックに「津島善子ヨハネの関係性」に関しても考察させていただきました。

ishidamashii.hatenablog.com

 そこでお話したのは津島善子という「人」について。

彼女は「不運」な「自らの運命」を「肯定する」ために、「堕天使ヨハネ」という「もう一人の自分」を創造した。それは「堕天使」であれば「不運」という運命に「魅入られている必然性」があるから。善子は「ヨハネ」としての「自分の存在」を「肯定」することで、「不運」という「自らの運命」も「肯定する」ことに成功しました。

反面、「ヨハネ」としての「人生」を「肯定し続ける」ことは、「津島善子」の「人生」を「否定し続けること」でもある。その内面に巣食う強烈な「パラドックス」が「津島善子ヨハネ」の人物像であり、「魅力」でもある。というお話でした。

またなぜ善子がそこまで「ヨハネ」を肯定し続けるのかと言えば、それは彼女が誰よりも「現実的な人間」だからである。「現実」のもつ「世知辛さ」や「辛さ」を身を以て実感しているからこそ、そうではないもの=「現実離れしたもの」を「肯定したい」という思いに駆られている。そこにもまた善子のパラドックスが象徴されている。ともお話しました。

この善子こと「ヨハネ」の「パラドックス」を理解すると、「Daydream  warrior」の歌詞世界に関しても、大分理解できるような気がします。

何故この楽曲の主体者が「恋心」に象徴された「楽観的な空想」と「闘わなければいけない」のか。それはこの楽曲の主体者となる善子が「自らの在り方=不運」を「肯定する」ために、「不運」と相反する「楽観的な空想」を「否定する」必要があるからと思えます。

反面、「堕天使」を信じるように、本来であれば「現実離れしたもの」を「肯定したい」気持ちもある。その大きな枠で捉えれば「楽観的な空想」も「現実離れしたもの」に含まれます。要するに「否定すべきもの」と「肯定したいもの」が自分の中で「ないまぜ」になってしまっている。故に歌詞内では「探しながらも 見つけたくない」というパラドックスが発生しているのだとも考えられます。

このパラドックスを象徴する言葉が「光と闇のDaydream」でしょうか。

「Daydream」とは大枠で捉えれば「現実離れしたもの」そのものでもある。そう考えれば「楽観的な空想」も「堕天使」も「同じ枠内」に納まるものでもあります。

反面その二つは「相反」もする。「楽観的な空想」を許容すれば「堕天使」を否定せざるを得なくなり、逆もまた然り。本来同じ枠内のものでありながら、共存し得ないもの。その両方を抱えた存在は、まさしく津島善子ヨハネその人のようでもあります。

そしてこの楽曲の主体者は「黒いとびら」を選ぶ。これは即ち「堕天使としての在り方」=「闇のDaydreamを選んだ」のだと捉えられます。

「楽観的な空想=恋」よりも「堕天使としての在り方」を「選んだ」。それ故に「Lost Love」が訪れる。それでもその決定に後悔はない。「恋」を通して一瞬得た「心の平穏=あの日知った優しさ」を胸に、再び「現実」へと立ち向かう。その「現実」を象徴するように「額を伝う汗を拭」って、「自らの手で」「恋」を終わらせる。

「自分の生き方は自分で決める」。

切ないながらも、どこかこの楽曲が「力強い」のは、そんな自らの運命を自らの手で選び取っていく「現代の女性」の在り方がしっかりと描かれているからなのだと思えます。そして津島善子こと「ヨハネ」は「厨二病キャラ」というよりも、(少し歪ではありますが)そんな「自立した女性」を象徴させたキャラクターなのかな?とも思えてくるのです。

 

ここからは余談ですが、

実はこの「Daydream Warrior」と姉妹関係にあるように思えるのが、同じくヨハネが所属するユニットGuilty Kissの「shadowgate to love」です。


【試聴動画】ラブライブ!サンシャイン!! Guilty Kiss「コワレヤスキ」「Shadow gate to love」

ユニットに関しては、未だに一度も書いた事が無く、その内書こうという位でいたのですが。個人的には各ユニットはそれぞれ「Aqours」では描けない「楽曲テーマ」を持っていると想像していまして。

Guiluty Kissのテーマはそれこそ「自立した女性」なのではと考えているのです。

Guiluty Kissの楽曲の特徴は「運命(主に恋愛)を自らの手で掴み取る女性像」が常に描かれているというところでしょうか。

そのあたりはまた別途記事にするつもりですが、「Shadowgate to love」はその楽曲タイトルが示す通り「闇の扉」がテーマになっています。

何かが足りない そう思った時は
暗い階段見てごらん
光射さない その場所でひらく
扉があるから
(You need me)

(中略)

誰でも見える訳じゃないのよ
選んだ貴方だけ
光拒んだその場所で開く
扉みつけたら
(You want me)

光ささない場所だけで開く闇の扉。それは「見つけた者だけがのぞける深淵」。そしてそれは「闇のDaydream」を「認められる者」だけが「のぞける扉」でもあります。

置き換えれば「堕天使としての在り方」を「認められる者だけ」が「のぞける扉」という風に捉えられます。すなわち決定権は「男性側」にはなく「女性側」のみにある。この視点はまさしく「女性の主体性」を重視した視点のように思えます。

また先ほど触れた「Daydream Warrior」にも繋がる視点。あの時「闇のDaydream」を選んだからこそ、ここでもそれを強気に「主張」できる。そんな風に感じられるのです。

私の影が 貴方の夢を
飲み込みたがる 恋してもいいよ
溜息の中 罠を仕掛けた
たぶん効いてるの しびれてきたでしょ?

ここでも「光のDaydream」を「闇のDaydream」が飲み込む。それは相手が何を望もうとも、「女性側の在り方」は「変わらない」という主張でもあります。その代り「恋してもいいよ」と「許容する」。この女性側の「強さ」にとても痺れると同時に、やはり「Daydream warrior」の「先」にある「自立した大人の女性」の視点をも感じ取れるのです。

というわけでとりとめもない「無駄話」でした。

こんな風に一見関係なさそうな楽曲を繋げて紐解いてみるのもとても楽しいので、今後も何かしらで考えてみたいところですね。

さて、そろそろ#6考察に取り組まないとなぁ。。