皆様、こんばんは&こんにちは。
今回は時間かかるだろうと思ったら、書き始めたらすんなり行ってしまったので、早々に第16話のハイライトをお届けさせていただきます。
当然ですが、ネタバレバリバリですので、予めご理解のうえ、ご一読ください。
と、いうことで御託は良いので参りましょう。第16話(2期3話)「虹」です。
■雨が呼ぶもの
前回「雨」がきっかけとなって新曲案と自分達のアイデンティティを見出したAqours。しかしその雨が原因で学校説明会が翌週に延期。一見問題は無さそうですが。。
明らかになるのは「学校説明会」が1週間延期となったことで、「ラブライブ地区予選」と日程が被ってしまうという事実なのでした。
物語において、救いを与えたり、課題を与えたりする「雨」。
しかし、それは実のところ捉える側の「主観」の問題に過ぎません。実際は、「雨」はただ意味もなく降るのみの存在。
前回の「Dig」における「ラブライブ!サンシャイン!!」と実存主義考察を踏まえれば、雨自体には「本質」がありません。
そこには「実存」があるのみなのです。
これは前回、花丸が話した「無」と概念を同じくした存在です。
すなわち主観者の捉え方次第で、その「本質」を様々な形へと変えていく存在。それが「雨」です。
前回から重要な要素として物語に登場してきた「雨」。今回の16話でも「雨」は意味を変化させながら、様々な場面に登場します。
16話を理解する上で非常に重要な存在となる「雨」。今回はこの「雨」の意味を踏まえつつ、考察を進めていけたらと思います。
■自力で道を切り開く
なんとかして「両方」に出ようと目論むAqoursの面々。しかし鞠莉は空路の使用を否定。
「自分達の力だけで入学希望者を集める」と啖呵を吐いた以上父親を頼るわけにはいきません。
他にも海路を含め様々な可能性が検討されますが、それらは全て「学校関係者以外の誰か」ないしは「大人」を頼る選択肢です。
こちらも「Dig」で考察した通り、Aqoursの物語には「自らの意志」で「自らの未来」を切り開くというテーマが隠されています。
と、なると自分達以外の力はなるべく借りられない。特に自分達とは目線の異なる「大人」の力を借りられない。なんとかして「自分達だけの力」で道を切り開こうと足掻く。ここにもAqoursの物語ならではの視線が隠されているように思えます。
また、そう考えれば「姉」や「家族」を頼らなくとも、「学校の同級生」には助けを求めた今回の千歌たちの判断基準も少し見えてきます。学校の生徒は千歌たちにとっては「夢を同じくする」「仲間」。ここは13話・14話から継続されている要素ですね。
■未来を変えること
両方に出場するための案その1。
ダイヤが示した解決策は、抽選会で1番手としての出演順を引き当てる事でした。
ラブライブイベント名物はっちゃけお姉さんもいますよ(この人ラブライブ関係の営業で食ってる感じが凄いリアルだよ、ホント)。
抽選会はデジタル方式に。出演者もこれまでの何倍もの規模に。嫌が応にも時代の変化とスクールアイドルがはっきりと「人気ジャンル化」した空気を感じ取れます。
この抽選会に今後の命運がかかってくるAqours。くじを引く人選もまた、非常に重要となります。
いつもならば真っ先にくじを引く候補になるはずのリーダー高海千歌。
しかし、この日の運勢が最悪。
消去法&「なんか運良さそう」という曖昧な理由で初期メンバーから曜が選出されそうになるのですが、ここで意外な人物からクジ引き係への名乗りが。
その人物とは善子でした。
とはいえ、普段から「不運」であることを身を以て証明し続けている善子。当然メンバー全員から「拒否」されてしまいます。
にも関わらず頑なに「抽選」に参加することを諦めない善子。なぜここまで「抽選」参加に拘るのか、メンバーにも視聴者にも分かりません。
理由を考えてみます...。
まず、Aqoursの物語は「自らの未来」を「自らの力」で切り開く「人間」の物語なのでは?というのは、再三主張させて頂いている通り。
その文脈から捉えると、善子もまた「不運」な「自分の運命」を「自分自身の力」で「乗り越えよう」としているのかな?とも思えます。
「自分自身の意志」で選んだ勝負で、もしも「勝利」という「結果」を得る事が出来るとすれば、善子は自らに課せられた「不運」という「運命」を乗り越えることが出来る。
そうすればこれまで自分が背負わされてきたある種の「カルマ」を乗り越え、新しい「自分」を獲得できる。そんな風に感じて立候補をしているのかな、と想像できます。
前回の「Dig」に照らし合わせれば「未来」への「投企」をしている状態にある善子。今回はこの「投企」という考え方も、物語のあらゆる場所に登場してきます。
...ちなみに、善子というキャラクターは元より「自分自身の本質」に「疑問」を抱き続けているキャラクターです。
彼女は「津島善子」という名前を筆頭に、自らに与えられている「先天的な要素」を自ら「否定」する人物です。
津島善子としての「人格」は、「自らが生み出した人格ではない」。
そう思うからこそ、「ヨハネ」という別の人格を生み出し、「ヨハネ」として生きようとする。そう思えるのです。
「ヨハネ」という人格は、善子自身が0から作り出した「オリジナルの人格」。即ち「善子自らが生み出した自分の可能性」そのものです。
そういった善子のあり方は、幼少の頃からずっと変わらない、彼女自身の在り方です。
そして花丸はそんな善子に理解と憧れを感じ続けています。
「自分の物語」よりも「人の物語」を大事にしてしまう花丸にとって、「自分の物語を力強く描ける善子」は、自分とはまるで違う存在。
だからこそ花丸は「黄昏の理解者」であり続けるのではないかと思います。
今回もそんな善子の「力強い意志」に瞳を輝かせる花丸。それ故に彼女は善子に、ほんの少しだけ「助力」をするのです。
善子が抽選に参加するためには、この日「超大吉」のダイヤをじゃんけんで負かす必要があります。
勝負の瞬間!
本来であればチョキを出しそうになっていた善子のお尻をポンとはたく花丸。
その瞬間善子の妙な形のチョキは崩れパーになる。
結果じゃんけんにも勝利するのです。
「善子ちゃんがパーで勝ったずら!」
善子の勝利を自分のことのように喜ぶ花丸。
じゃんけんに勝ったからといって、なんなんだと思われるかもしれません。
しかし、この瞬間善子は自分が抱えていた「カルマ」を一つだけ、超越することが出来ました。
超越することのきっかけは善子自身が「自分の運命」を乗り越えようとした...という動機。
花丸はその動機に惹かれ、力を貸すことでほんの小さな「奇跡」を起こすことに成功しました。
じゃんけんが「勝敗に因果の無い偶然性が支配する勝負」だとすれば、その勝負の行方もまた「神」が支配しているもの、とも捉えられます。
花丸はそんな「偶然性」の勝負に、自らの意志で「意図的」に「介入」をすることで、結果を「変化」させてしまいました。
言ってしまえばギリギリ「インチキ」に当たるような行為かもしれません。しかし、なんにせよその「介入」が、「偶然」を「必然」へと「変化」させた。そして満に一つも「勝てないだろう」と思われていた勝負を「勝利」へと変化させた。これはある意味では「神」の引き起こす「偶然性」に対する「人間」としての「小さな勝利」であり、小さな「奇跡」だとも言えるのです。
そして、この小さな「奇跡」もまた、「自らの力」で「自らの未来を切り開いた」成功体験に他なりません。
今回の16話で大事な視点となる「自らの力」で「自らの未来」を切り開くことに関して。そして「神」に対して「小さな勝利」を得る事に関して。
このシーンでもその意味と意図がしっかりと描かれていることに非常に好感を覚えました。
■くじの結果
しかしながら抽選の結果は24。
24(ふし)=フェニックスと言うセンスは、厨二病というよりも、小学生っぽいですが...。真ん中ら辺という中途半端さで、やはりそうそう上手くはいきません。
じゃんけんのように「人間の力」が介入しうる「偶然性」もあれば、くじのようにどうにもならない「偶然性が支配する世界」もまたある。こういった世界をある種「冷静な視線で見つめる」感じは、なんとも「デウスエクスマキナ」を否定する「サンシャイン!!」らしいなと思います。
■伸ばした手
くじの結果を持って、いよいよ「学校説明会」か「ラブライブ地区予選」かを選ばねばならない状況に。
集計をとる果南。しかし当然ながら誰もどちらに参加するのかを決定できません。
「学校」も「ラブライブ」も両方取る。例え無理だとしても、両方取ることを目指す。そう誓ったばかりのAqours。そんな彼女達にとってこの選択肢はあまりにも辛くて難しいものです。
その夜、方向性に関して語り合うお隣同士の千歌と梨子。
どうしたいのか尋ねる千歌。
しかし、梨子はまだどちらを選ぶべきか、自分の中で答えが出ていません。
屋上からふと手を伸ばす千歌。それにつられるように手を伸ばす梨子。
このシーンは一目見て分かるように、明確に1期2話のやり直しをしているように見えます。
1期2話では、希望を見失った梨子に、希望を語る千歌が必死に手を伸ばしました。それは「本気で願えばかなわないことはないはずだ」という気持ちを梨子に伝えるために取った行動でした。
物理的に考えれば、本来は触れ合わないはずの二人の指先。
そして触れ合ったとて、何も起こらないし、何も変わらない。全く持って無意味な行動。しかし、梨子はその一見無意味な行動に、それこそ縋るように必死で腕を伸ばしました。
精一杯まで伸ばした腕と腕。その結果触れ合う二人の指。
なんの意味もない結実。
しかし二人はその「小さな結実」の中にに「大きな希望」を見出しました。
思えばこれは、前段の善子と花丸の「じゃんけん」と同じモチーフなのかもしれません。
僅かな成功体験から、大きな希望を見出す。そこに価値を見つける。
「結果」よりも「過程」。
そしてその「過程」において生まれる「希望」を信じる。そんな視点を感じます。
ところで、今回は二人の指は触れ合うことはありません。
むしろ二人も「触れ合わそう」とも考えていない。
それは、千歌も梨子も既にあの頃とは違う。
縋りつきたくなるような「成功体験」をもはや求めていないのでしょう。
二人の結びつきがAqoursを生み、そして仲間と共に「希望」を胸に歩みを進めてきました。あの頃と決定的に違うのは、心の中に確固たる「希望」が既にあるということです。だからこそ、無理に指を合わす必要はない。そんなことをせずとも、二人の「想い」も「心」も一緒で、繋がっている。そんな強い信頼関係を感じさせるシーンでした。
また、梨子の手の伸ばし方は、遠く東京で一人、ピアノコンクールに立ち向かい、演奏を終えた後に手を伸ばしたあの姿勢に近いものを感じます。
1期11話で披露された「想いよひとつになれ」には
「何かを掴む為に 何かをあきらめない」という一節があります。
梨子は今回の物語においては、なにかと「現実的な判断」を提案する側になるわけですが、その実彼女もまた「二つを諦められない」という気持ちを心の内に秘めているということが、このシーンでは暗喩されているのかもしれません。
故に後々の千歌のある種無謀な判断にも従うし、それを肯定し、実現しようとするのでは。このシーンからはそんなインプレッションを受けました。
■チームを分けること
両方に出場するための案その2。
それはAqoursを5人と4人のチームに分け、それぞれ「学校説明会」と「ラブライブ地区予選」に出場するというものでした。
考え得る中では最善の判断。しかしメンバーの中にはどうにもその決定を呑み込めない気持ちがあります。
過去に一度、梨子を除いた8人で地区予選を突破したAqours。しかし、あの時には梨子のトラウマを克服させるために強い意志を持って彼女を「東京」に送り出した8人と、梨子本人との強い絆が楽曲とパフォーマンスにも反映され、それが突破の引き金となりました。要するに「ポジティブな視点」を持って「分業制」を選んだあの11話での選択と、今回「そうするしかない」という「ネガティブな視点」で選ばれた「分業制」とでは、意味が丸で違ってきてしまうのでしょう。
それ故にみんなどこか不安そうであり、鞠莉もハッキリと「突破できないのでは」と不安を口にするのかもしれません。
とはいえ、「どちらも諦めない」ことを選んだAqours。結局全員がしぶしぶと分業制に納得します。
その判断に関して梨子は「ベストではないがベターな判断である」と語ります。
そして「私たちは奇跡を起こせない」からこそ「その時最善の方法をとって行く必要がある」「それが私達だと思う」とも語ります。
この辺は「神」ではなく「人間」が「闘う物語」としてこの作品を見ている自分には、非常に納得のいく言葉でした。
「神が奇跡を与えてくれない」のならば、その時出来る「最善」を取って、確実に「一歩一歩進んでいく」しかない。
梨子の言葉に理解を示す千歌と曜。とはいえ、やはり「両方をなんとかしたい」千歌。みかん畑のトラクターから、何かを思いついたようですが...。
■9人
チーム分けのおかげで学校でもライブが出来るようになったAqours。ライブ効果か、校舎には多数の来場者が。
ラブライブ予選会場も大勢のアイドルがいます。やはりスクールアイドルの幅が広がっている。
今回の衣装デザインは全面的にルビィが担当。
姉の衣装着用姿を見て涙ぐむルビィ。「ずっと似合うと思ってた」と感想を述べます。
もしかしたら、この衣装デザインの基本は、ルビィが姉と二人で「スクールアイドル」をやろうと考えていた、遥か昔から存在するデザインなのかもしれません。
それが旧Aqoursの結成・解散を通じて日の目を見ることがなくなり。
姉がスクールアイドルを忌避する日々の中で風化していき。
そうして今何年かぶりに結実した。しかも姉妹がセンターの楽曲で。
そう想像すると、なかなかにグっときます。
千歌・梨子・曜・ルビィ・ダイヤの5人編成で戦うことになった「ラブライブ予選」。
心細そうなルビィを、親友である花丸の真似をしておどけることで緊張を解こうとする曜。
2期に入ってからどうにも影は薄いですが、チームの調整役として、やはりここでも機能しています。
5人で舞台に上がると、自分達を応援してくれる声はまばら。普段は応援に駆けつける生徒や、身内の人々も今回は学校説明会の方に足を運んでいるようです。
途端に不安に襲われる5人。
そんな時舞台袖から声がかかります。
「勘違いしないように!」
1期3話での「ダイヤ」の言葉を流用して登場したのは鞠莉。そしてもちろん他の3人もそこにはいます。
「やっぱりAqoursは9人じゃないと」。
前回15話において「まるで違う人間である」ことを互いに認識し、それを理解したうえで相互理解を深めました。
前回考察ではそんな相互理解を「Aqoursという人格が立ち上がる過程をメタ的に表現した物語なのでは?」と考察させていただきました。
1期から確実に進化し、成長を遂げた「Aqoursの人格」。その結実として生み出されたのが今回の楽曲です。その背景をもって考えれば、この曲は5人だけで披露してはいけない。やはり9人いなければいけない。そう思えます。
■MY舞☆TONIGHT
披露された「MY舞☆TONIGHT」はAqoursにとっては初となる「和ロック」でした。
前回ダイヤや鞠莉が求めた要素(ギターロックやお琴)が加えられた音は、ダイナミックでありながら繊細。そしてダンサブルな仕上がりで、非常に完成度の高い楽曲になりました。
また音だけでなく、歌詞には、しっかりとこれまでの物語が反映されています。
まだ小さく燃えてる まだ小さな焔が
一つになれば 「希望」が生まれ
この世界はいつも 諦めない心に
答えじゃなく 道を探す 手がかりをくれるから
最後まで強気でいこう
これは前回15話の物語を反映するだけでなく、花丸が加えたがった「無」の概念、その元となる「実存主義」における「投企」の概念を想定させます。。
「答え」は示さないけれど、その「答え」に行き着く「道を探す手がかり」をくれる「焔(ほむら)」。この場合の「焔」は「希望」と同義語と考えてよいでしょう。
即ち「行き着く先はわからなくとも、胸に宿る希望を燃やして生きよ」
そんなメッセージがこの曲のテーマになっているように思えるのです。
そしてそれは何度もお話しているように、「投企」という概念の考え方と同じ。
「答えは分からなくとも、希望を持ち、その希望を元に強く生きろ」というものです。
実は、今回はこの「投企」に関するテーマを持つ楽曲がもう一つ登場するわけですが...それは後程触れさせて頂きます。
踊れ 踊れ 熱くなる為 人は生まれてきたの
踊れ 踊れ きっとそうだよ だから夢みて踊ろう
「踊れ」は「楽しむ」事の同義語に感じられます。
「輝く」ことは「楽しむこと」だと千歌が語ったように、踊りながら希望を見つけ、それを燃やす。
その先に夢が生まれる。それが生きる事である。そんな思想をこの楽曲からはひしひしと感じます。
そしてこの曲は「最高の今日にしよう」という言葉で締めくくられます。
「明日」でも「未来」でもなく、まずは最高の「今日」を作る。
これって「僕たちはひとつの光」における「今が最高!」と同じものです。
そして、OPテーマ「未来の僕らは知ってるよ」における
(希望でいっぱいの)今日が明日を引き寄せるんだと
という歌詞にも表現されています。
実のところ、「未来の僕らは~」もこの楽曲と同じく「投企」の概念をモチーフに作られた楽曲です。
そう考えれば、この概念自体が「ラブライブ!サンシャイン!!」の物語において、非常に大きな影響力を持っている概念なのでは、と改めて感じられると思います。
9人での完璧なパフォーマンスによって、ラブライブ予選での高評価を得たAqours。
今回は学校説明会に全校生徒がいる都合上、これまでの予選のどれとも違う完全アウェイという状態でした。故にその壁を乗り越えたことが、Aqoursにとっても大きな自信になった。彼女達はまた一つ壁を乗り越えた。そんな気がします。
■走れ!
予選を終えた瞬間に会場から出ていく2年生ズ。どうやら彼女達は9人での学校説明会ライブを諦めていないようです。その目論見はあくまでも、2年生間だけで練っていた物。戸惑う6人を尻目に、千歌たちは走り出します。
比喩ではなく、そのままの意味において。
このシーン、個人的な、しかもボンクラな感想で恐縮なのですが、とにかく非常に感動してしまいました。
前回、前々回から考察している通り、「ラブライブ!サンシャイン!!」の物語は、「人間」が「人間」として「現実」に挑む物語なのだと、私は考えています。
故に理屈ではなく、とにかく「走る」という、非常に「人間的な行動」をもって「現実」を超越しようとする姿はとても感動的に映ります。
結果的に走るだけではさすがに間に合わず、みかん収穫トラックを利用しての時短も試みるわけですが(このシーンはシリアスになりがちな今回のお話の中では良いカンフル剤になっていたように思います)。
最終的にはやはり走る。
走って、走って走りまくる。
「奇跡」を掴むために、そして「軌跡」を描くために、ただ走り続ける。
一団から遅れてしまう花丸。
これはリアルの合宿でも高槻さんがランニング遅れてしまっていた事へのメタでしょうか。
しかしそんな花丸の背中を支え、再び押すのが、ルビィと善子なのもまた良い。
花丸に背中を押されスクールアイドルになることを決めたルビィ。
幼少期からの理解者であり、今回の物語の中でカルマを乗り越えるために、背中を押された善子。
そんな花丸によって救われてきた二人が、今度は花丸を支え、背中を押す。
なんともはや、1年生の絆を感じざるを得ません。
それを立ち止まって待つ千歌も良い。
やはりAqoursは「誰かが立ち止まったらみんなで止まる」。
そして「再び全員で足並みそろえて走り出す」。そんなチームなのです。
ちょっとしたシーンですが、ここにもAqoursがAqoursたる由縁と、その個性がハッキリと描かれた非常に重要なシーンでした。
■雨...そして虹
もう間もなくゴール。そんな最中天気雨がAqoursを襲います。
これまでなら物語が停滞してしまう要素になるはずの「雨」。
しかしAqoursは「雨」の中でも立ち止まりません。
前回「雨」の中で物語が進んだように、ここでもAqoursは「雨」の中を走り続けます。
突然モノローグのような台詞を話し始めるAqours。これはラブライブ名物、「場面の舞台化」でしょう。
ラブライブは元来より「ミュージカル作品」として作劇されています。それ故にキャラクターの「心の動き」や、「感じたこと」などが急に詞的に表現されたりします。
或いは物語の文脈を歌に寄せて説明したりするシーンも登場します。それもこれも「ラブライブ!」は基本的に「ミュージカル作品」だからにほかありません。
このモノローグもまた、その演出に寄せてのものだと思われます。
メンバーが語り合うのは「奇跡」について。
「奇跡は叶うのかな」「やっぱりムリなのかな」
走りながら、学校にたどり着けるのか、この「奇跡」を叶えられるのか不安に駆られるメンバー。
そんなメンバーに千歌は語りかけます。
「私思うんだ。奇跡を最初から起こそうなんて人、いないと思う。」
「ただ一生懸命、夢中になって、何かをしようとしている。なんとかしたい!何かを変えたい!それだけの事かもしれない!」
「だから!」
「起こせるよ!奇跡!私達にも!!」
この千歌の考え方は、これまた前段でお話した「投企」と同じものです。
「確定した未来」はなく「何かを起こそうとする意志」を重視した「投企」。
「起こそうとした意志」は「必然的」に「未来」となって、自ずとなんらかの「結果」を与える。結果はどちらにせよ与えられる。
だとすれば、「結果」を求めるのではなく「行動する」ことの方が大事である。
これが「投企」の概念です。ここでの千歌の言葉も、その概念を具現化したものに思えます。
森の切れ目からは太陽の光。雨は降り続いているけれども、晴れ間が見えます。
こういった天気雨が作品内で登場したのは、私の記憶ではシリーズ初だと思います。
「雨」という「良くないことが起こる」メタファーの中で「光が差す」。そこには、やはり既存の「メタファー表現」を超越した世界があります。
なんとなく見えてきた、ぼんやりとした「希望」。それによって弱気になっていた梨子の心にも、再び「希望」が宿ります。
「起こるかな?奇跡...!」
梨子の問いかけに答える千歌。
「起こるよ!だって....」
「だって虹がかかったもん!!!」
私は前回の「Dig」で「サンシャイン!!」には「実存主義」が大きな影響を与えているとお話しました。
この「虹」に対する捉え方は、まさしく「実存主義的」だと思います。
「虹」は本来なんの意図も持たず存在するもの。すなわち「実存」だけがある物です。しかし千歌はその「実存」しかない存在に「希望の象徴」としての「本質」を与えました。
本来はただの化学現象にすぎない「虹」を「希望の象徴」として捉えなおす。これは我々人間にしか出来ない事です。
また、この「虹」への「認識変化」は、「雨」に対する「認識変化」にも繋がっていきます。
物語の文脈上では「良くない事が起こる象徴」だったり「物語が停滞する象徴」として使われがちな雨。しかし千歌は「雨」が降ったおかけで「虹」に出会えたのだと、「雨」の存在そのものを「ポジティブ」に捉えなおしたのです。
結果これまでのシリーズで使われてきた「雨」の概念すら覆してみせた千歌。
その事実は「神」に対する確かな抵抗であり、ちょっとした「勝利」でもあるのです。
そしてそれは「人間」でしか果たせない勝利。
「無慈悲」な「神」に対して「人間が挑む物語」として描かれている「サンシャイン!!」の物語。
今回の16話では「2つのライブを両立する」という大きな戦い(実際の意味では小さな戦いだとは思いますが)を軸に、様々な場所で「神」と「人間」の闘いを描き、それに「人間が勝利する」過程を描きました。
一つ一つは小さな「勝利」ですが、そのどれもが「勝利」という結果にほかならない。
これは梨子が語った「Aqoursの戦い方」と全く共通するもの。
「神」の前に為す術もなく敗れてきたAqours。そんなAqoursが遂に神に対して勝利し始めた今回。
このちょっとした勝利の積み重ねが、やがて大きな勝利に繋がるのだと信じる。信じたいと願う「我々の物語」。
そんな「人間」の物語が、今回も描かれていたように感じます。
■きみの心は輝いてるかい?
今回のタイトルとなった「虹」や、「学校説明会が舞台」ということで、この楽曲が登場するのでは?と予想されていた方は多かったと思います。
私も前回の「Dig」において予想した通り、この楽曲が登場してくれたので、半ばホッといたしました(笑)。
Aqoursにとってのデビュー曲である「君の心は輝いてるかい?」。
今回は既存のPVをそのまま使うのではなく、絶妙にモデリング調整を行うなど、かなり丁寧な仕事をされていたのが印象的でした。
特にラストの決めポーズでは、アニメ版のキャラ設定をしっかり生かした新たな表情付けがされていて、驚嘆いたしました。良い仕事...。
この楽曲、「Dig」記事でも書いた通り、「未来の僕らは知ってるよ」や「MY舞☆TONIGHT」と同じく「投企」をテーマに作詞が為されている楽曲です。
Aメロの
きっかけはなんでもいいから
いっしょにトキメキを探そうよ
から
ちっぽけな自分が どこへ飛び出せるかな
分からない 分からないままで (なんとかなるさと)さぁ始めよう!
へとつながり、そしてサビの
君は何度も立ち上がれるかい?
胸に手を当てYES!と笑うんだよ
に至るまで、はっきりと「投企」の概念が反映された歌詞になっています。
2期において急激に立ち上がった「実存主義」や「投企」というテーマ...と勝手に考えていましたが、「ラブライブ!サンシャイン!!」はその実、立ち上がりからしてこれらのテーマを内包した作品だったのですね。
学校説明会ライブは見事に大成功。メンバーに千歌は声をかけます。
「どっちにするかなんて、選べないし」
「どっちも叶えたいんだよ」
空へと舞いあがるシャボン玉。
このシャボン玉も「人」が主体となり「人が美しいと感じる概念」が「形になった」「物」です。天然自然のものではなく「人が作ったもの」であると同時に、やはり「人」の「感性」が生み出した「人」でしか作れない「美」を象徴するものなのかもしれません。
またこういった存在は、14話やOPに登場する紙飛行機と同じく、「神が作りし物」に「対峙する存在」。
そしてそれが空を、学校を彩る。なんとも象徴的です。
「だから行くよ...」
「諦めず”心”が輝く方へ!」
改めて自らの「心」と「自らが決めた意志」によって「未来を切り開く」ことを誓った千歌。そしてAqours。
ラスト。太陽に向かっていつもと同じく手を伸ばす千歌。
しかし今度は掌を太陽に被せるのではなく、しっかり自分の拳を握りしめます。
そのぎゅっと結ばれた拳の中には、しっかりと「未来」が握られているように思います。
「人間の運命は、人間の手中にある」
それは「投企」の概念を広めたサルトルの言葉です。
いつものように太陽に掌を重ねるのではなく、自らの運命を握りしめ、太陽を睨みつけるように佇む千歌。
「人間」が「人間」によって成し遂げられる「奇跡」を求める旅。
そしてそれを巡る「軌跡」が、この日もまた描かれたのでした。
....ということで16話(2期3話)の考察でございました。
いやはやおなかいっぱいだけど、とてもさわやかな後味の回でございました。
2期は1話~3話までが一繋ぎの物語として作られているように思います。
もし色々と違和感を感じている方は、今一度1話から見返してみると、意外とすんなりと呑み込めるかもしれません。
今回はここまで!
またまた長文失礼いたしました。
また、この考察はあくまでも私個人のものですので、誤解なきようお受け止め頂ければと思います。
次回は遂にダイヤ様回だってよ!
楽しみ!!
※10/24説明不足要素等追記いたしました。
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