Love Live!Aftertalk!

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「ラブライブ!サンシャイン!!」2期総括コラム【キャラクター編③ 国木田花丸】

皆様。おはようございますorおやすみなさん!(うそうそ寝ないで!)。

今回は早くも佳境。私の推し国木田花丸編をお届けします。

え?推し花丸なの?ですって??

そうなんです(迫真)。

 

2期という物語単体で考えると少し難しい存在でもある花丸。

今回はそんな彼女のバックボーンを妄想しながら、物語全体での花丸像みたいなものをなんとなーく考えてみたいなと思います。

(こちらは公式ではなく、ワタクシの妄想が多分に入ったものですので、予めご注意願います)

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国木田花丸の「役割」

前回取り上げた鞠莉と違って、二期において花丸がどのような活躍をしたか...というのは一言では説明しきれないと思います。なにより恐らく具体的なエピソードが浮かばないはず。

というのも、鞠莉は2期において物語全体とも関連するプロットを、自身の問題としても抱えていたため(統廃合問題・旧Aqoursの問題)彼女の「情動」や「行動」そのものが物語全体においても機能していました。いわば「動」のキャラクターとして機能した鞠莉。

反面2期での花丸の行動は物語の中心線とはそれほど関連しないものが多い。どちらかといえばメインプロットにおいてはトリックスター的な動き方や、サブプロット(ルビィの課題克服)を動かすための機能をもたらされることが多かった。「動」に対してそれを受けて活動するいわば「受」の性格を持ったキャラクターであったように思います(同様の機能をもったキャラは曜でしょうか)。

人によっては「推しが冷遇された」と言う方もいるかもしれません。しかし「ラブライブ!」というアニメシリーズではメインに「物語」があり、キャラクターはその「物語」を描く為の「語り部」に過ぎない...という使用法が前作から継続して為されています。それ故に物語の構成的に「余計な要素」となり得るようなサブエピソードは極力避けられる傾向にあるのです。(じゃあダイヤのエピソードは必要なのか??という議論に関しては、ダイヤ編にて書かせて頂きます)

もちろんその作劇の良し悪しというものはあると思いますが、それに関しての議論もここでは必要ないので除外します(因みに私はその作劇に関して特に異論を感じておりません)。

ただしあくまでもこのバランスで作劇をしていく場合に必要となる「受」のキャラクターとしての「機能」が、花丸というキャラクターにはとても合致していたのでは?とも思うのです。それは恐らく花丸というキャラクターそのものの「在り方」にも関与しているのではと思えます。

 ※ここからは国木田花丸というキャラクターのバックボーンについて考えます。2期考察とは少し離れてしまいますが何卒ご容赦を。。

 

国木田花丸と「無」

実存主義の記事でも触れた花丸と「無」に関するお話。

ishidamashii.hatenablog.com

 2期2話で花丸が歌詞の題材として主張した「無」という概念。上記記事ではここから「実存主義」にまで枝葉を伸ばして「ラブライブ!サンシャイン!!」との関連性を深読みしました。とはいえ、この記事に対してのご指摘としてもあった通り、花丸は本来「寺の娘」。宗派は不明ですが彼女の出自を考えれば、この発言の根幹にあるのは仏教哲学。具体的には「般若心経」における「空即是色」であると思えます。

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「空即是色」の説明をここから始めてしまうと凄まじい勢いで脱線していきそうなのでアレなのですが、とはいえ説明しないわけにもいかないので少しだけ。。

★「空即是色」とは?

 

仏教では「物体」のことを「色(しき)」と呼びます。

我々が「物体」として認識するあらゆるもの(例えばそこにあるボールペンから道端に転がっている石ころにいたるまで)全てを「色」と呼びます。それは我々自身の「肉体」も同じ。「物体」として認識できるもの全てを「色」と呼んだわけです。

しかし仏教ではこの「色」は全て「空(くう)」なのだと定義します。

「空」とはそのものずばり「実体が無い」ということ。

具体例を挙げるのならたとえば「車」

あれは我々が「車」であると認識するから初めて「車」になるのであって、その実態は様々なパーツの寄せ集めに過ぎません。そのパーツも元は様々な「元素」によって作られたものであり、パーツとしての実体も無い。

そうやって極限までその物体を「ミクロ化」してみると、そのものには実は我々が定義するような「実体」がないことが分かっていく。

これが所謂「色即是空です。

とはいえ我々にはその「空」の集まりを「車」である!と認識することが出来ます。即ち我々が本来「空」であるものに「意味」を定義することで、そこにはにわかに「色」が立ち上がっていく。これが「空即是色」という概念です。

「すなわち『無』というのは、『全てが無い』のではなく『無』という『状態がある』という事ずら。それこそまさに『無』!」

2期2話「雨の音」より

 どうでしょう。

花丸の発言は「空即是色」についての物であることが分かると思います。

「般若心経」の根幹となる「大乗仏教」では、世界そのものの本質は「空」であり、我々の見ている世界は「色即是空 空即是色」の「繰り返し」の「合間」に過ぎない。我々が「空」を「色」として認識している「今」がそこにあるだけで、そこには連続性はない。即ち「過去」も「未来」もなく「今」だけが連続しているのだ...という思考になっていくわけですが、ここはハッキリとサンシャイン2期のストーリーとも関連していると思います。

イマはイマで昨日と違うよ

明日への途中じゃなく イマはイマだね

この瞬間のことが 重なっては消えてく

心に刻むんだ WATER BLUE

「WATER BLUE NEW WORLD」

 「般若心経」と「サンシャイン2期」の関連のお話となると完全に脱線していくので、それはまた別の機会としますが、ここでお伝えしたいのは、花丸の根幹にある「般若心経」的な思想というものは、Aqours2期12話でたどり着いた思想とほぼ一致している...ということです。

ただし、花丸がこの「無」に関する概念を取り出したのは2期2話です。即ち花丸は2期の初めから、Aqoursがたどり着く結論をある程度「予測できていた」と考えてもおかしくないわけです。

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 そう考えると、国木田花丸というキャラクターが抱える「深遠さ」みたいなものも見えてくるように思えるのです。

 

国木田花丸と「図書室」

 花丸といえば「図書室」。子供の頃から運動が苦手で、引っ込み思案。友達も多くなかった花丸が唯一の心の拠り所とした場所。それが「図書室」でした。即ち幼い花丸が心の「平穏」を求めてたどり着いた場所が「図書室」だったとも考えられるわけです。

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また仏教の話に戻ってしまって恐縮なのですが。

仏教の根幹には「心の平穏を求める人が辿りつく宗教」という側面があります。それは釈迦が提唱した仏教の定義とも関係しています。

仏教の開祖である釈迦は人生を「苦に満ちたもの=一切皆苦」と定義し、その苦しみの第1を「無知であること」=「無明」と定義しました。釈迦はこの「無明」を筆頭に人生は12の苦しみに満ちている(十二支縁起)と定義し、この12の苦しみを己の「修行」を以て乗り越えることによって「悟り」の道が開き、それによって「苦しみからも解放される」と語りました。そんな背景もあって、仏教は「心に苦しみを抱える人」が救いを求める宗教として成立していったわけです。

その「修行」の第1として、釈迦は「知識をつけること」を提唱しました。それはもちろん第1の苦「無明」が「無知」故に起こる苦しみだからです。とはいえその「知識」をつける修行というのはかなりストイックなもの。周囲から断絶された場所で、ただひたすらに勉強に励む。それが釈迦が推奨したものなのです。

さて、なんでこんな話をしたかというと、これってまんま過去の花丸の状況と同じだと思えたからです。

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花丸は親しい友人を作らずただひたすらに「図書室」で本を読み漁ることを小学校から続けていました。これはいわば「修行」に等しい行為に映ります。

「知識」を身に着け、迷いを捨てることで、「心の平穏」を得ようとした。また「物語」の世界に身を置くことに集中し、その世界に没入していくことは、どこか「瞑想」にも似た行為のように感じられます。

彼女がこういった行為に没頭できたのは、この時点ではそれ以外に「やりたいこと」が無かったからなのでしょう。

ここから感じるのは花丸という人のちょっとした「独自性」です。

世の雑多な出来事には興味を持たず、ひたすら「知識」と「心の平穏」を得るために書物を読み漁る。それに疑問も感じない。そこからはどこか超然とした人物像が見えてくるのです。

とはいえ花丸のバックボーンには「寺生まれ」という厳然たる事実があります。そう思うとこの花丸の「在り方」のようなものは、生まれつき自然と身についていたものなのかな?という気もします。幼いころから繰り返し教えられてきた「釈迦の仏教」。

その中にある十二支縁起を自然と実践してしまっていた...という可能性も捨てきれません。となるとこの「行動」も、彼女が生来繰り返し与えられた「習性」に従っての物?という理解も出来ます。

根本に「釈迦の仏教」に基づく思想を宿しながら、様々な「知識」へと触れて行った花丸。

そんな日々の中で恐らく「般若心経」にも触れ、それもまた「知識」の一つとしてストックされていったのでは?とも想像できます。

 

国木田花丸と「変化」

 

「無明」を無くしていくことで「悟り」へと近づいていく花丸。しかしそれが「花丸の本質」と一致しているのか??というのがポイントなのかな?と思います。

花丸が「修行場=図書室」で出会うのは黒澤ルビィ。引っ込み思案で、友人が少ないという点において共通点のあった二人は意気投合します。仲良くなり会話するうちにルビィの中に眠る「輝き」に気付く花丸。他者と密に接することが無かった花丸にとって、他者が持つ「その人にしかない輝き」に触れることは、とても刺激的だったはずです。いつしか花丸はその「輝き」を解き放つことを「自分の願い」として持つようになります。

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ひたすら「自分の心の平穏を獲得する」という「願い」しかもたなかった花丸が、初めて「他人のため」に「願い」を持つ。ここには明確な「変化」が見えます。

で、また仏教の話に戻って本当に恐縮なのですけど(苦笑)。

「釈迦の仏教」では「他者に干渉し、悪い事をすること」だけでなく「善いことをすること」も等しく「悟りから遠のく」ため「悪」とされています。この理由を書き始めるとまたムダに記事が長くなるので、理由は各自お調べください(ひどい)。

なにはともあれ「自分自身の救済」を目的とする「釈迦の仏教」においては「他者」すらも「切り捨てなければいけないもの」なのです。とはいえ、その教えに殉じるのは難しいですし、なによりもそれでは大抵の人は「救われません」。そんな中「もっと大勢の人を救い上げる方法は無いか」という思案の末に生まれたのが「大乗仏教」なのです。

大乗仏教」では釈迦が禁止した「他者のために善行を積む」ことも推奨されました。「良いことをすれば自ずと極楽浄土に近づける」というのは、今の日本社会でもなんとなく浸透している考え方ですが、これは日本が「大乗仏教」の影響下にある国家だから...という関係性があります。

で、これが花丸とどう関係あるかというと。

この「ルビィ」との出会いによって花丸の中での「宗教観」のようなものにも「変化」が起きたのかなと思えるのです。

花丸が仏教と関係が深いのは、出自からして致し方ないこと。そんな中で自然と慣れ親しんできた「釈迦の仏教」ではなく、より自分の在り方に近い「大乗仏教」とその根幹にまつわる「般若心経」的な思考に自分を「寄せて行った」。

これは「個人的」かつ「小規模」な「変化」ではありますが、花丸にとっては決定的な変化です。これまでの「在り方」は「自分自身で獲得したもの」ではなく「親から与えられたもの」だった花丸。

しかし「ルビィとの出会い」によって「心が動き」、自らの「願い」を手にする。

そしてその「願い」を叶えるために、自分の「思考方法」を、より合うものに「変更」させていく。

そうすることで「自分自身の在り方」を「自分自身で選ぶ」ことに成功する。

そこからは「本当の自分」を獲得していく過程も垣間見えると思うのです。

(そしてこの自分自身の意志で「本当の自分」を獲得していく...というのは善子とも同じケースです。故に花丸は善子がヨハネであろうとすることを支援し続けるのかな?とも思えるのです。)

 

国木田花丸と「空(くう)」

以上のようなバックボーン予想を元に、国木田花丸という人の人物像を組み立てると、彼女の思想面には「仏教的な『空(くう)』の思想がDNAレベルで刻み付けられている」という予想が生まれます。

そうすると国木田花丸という人の「本質的な部分」に関しても、なんとなく予想が出来るような気がします。

仏教では「世界とは空である」と語ります。

自分の「肉体」を含めた、今「目に見えているもの=色」全てに、実は「本質」はない。自らの感覚を通して認知するからこそそれは「色」として認識されるのであって、どんな物でもその本質は「空」に過ぎないのであると。

更に「般若心経」ではその「感覚」そのものも「空」であると語る。要するに「生きる」という事自体が「空」であると定義されてしまうのです。

そんな思想が「DNAレベル」に刻み付けられている...というのはどんな感覚でしょうか。

確かに「過去」の過ちは振り返らなくなるかもしれませんが、「未来」への「企て」のような欲望が浮かんでこなくなるかもしれません。

とてつもない「平穏」にある代わりに、人生への「欲望」や「欲求」が生まれてこない。もしかしたら花丸は平常時にはこういったある種の「虚無感」のような感覚を感じているのでは?とも思えるのです。

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けれども彼女は日々その「虚無感」と必死に戦っているようにも思えます。先ほどのルビィの願いを叶えることを筆頭に、彼女は毎日を「虚無」にしないため、「自分に出来る範囲」での「生きがい」を見出そうとしているようにも思えるのです。

※以上がAqoursに至るまでの花丸のバックボーン妄想です。ここからが物語のお話。

 

国木田花丸と「食」

1期終盤から狂ったように「のっぽパン」を食べ始めただけでなく、2期ではすっかり食いしん坊キャラに変貌した花丸。

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これは完全に思い込みの妄想ですが(笑)。

食というのは比喩でもなんでもなく「生きる」ことと直結した行為です。人間は「食わねば」死んでしまう。当たり前の摂理です。だからこそ花丸は「食べる」ことで「生きていること」を実感している...とも考えられます。

また人間とは本質的に「何か」を口にすれば良いのではなく、「おいしいもの」を食べることに執心します。この「人間にしか価値を感じられないもの」という考え方は前段の「空即是色」とも繋がります。本質的には「意味がなかったり」「意味を必要としないもの」に「意味を見出す」。それこそが「空しい世界」の中での「生きがい」になる。花丸が「食」というものにある種の「こだわり」を見出すのは、そこに「生きがい」をも見出しているからとも考えられないでしょうか。

とはいえ2期で明かされたように、花丸は「食事」をすることで「太ったりしない」。即ちどれだけそのものに「意味」を見出そうとしたところで、結局本質が「空」であるものの影響を受けない...というところに彼女の悲しさもまた感じてしまうのです。

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国木田花丸と「利他性」

劇中において花丸が「夢」を語ったのは1期4話のみ。それ以外で花丸が自分自身の「夢」を語った記憶はありません。彼女はいつだって「他者のため」に動くことを良しとします。

1期4話でルビィの背中を押すだけでなく、1期5話では善子を救うきっかけとなる一言を発したりもします。

花丸のその「特性」は2期においてより極まっていきます。2期3話では善子をじゃんけんで勝たせるためにちょっとした「手助け」を。

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2期8話ではルビィの「願いの意図」を全く聞かず「面白そう」という理由だけで彼女に手助けを申し出ます。

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2期11話では皆が「自分のやりたいこと」をやる中で花丸は「善子のやりたいこと」を「手伝うこと」を優先します。

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また劇中何度となく善子のことを「ヨハネ」ではなく「善子ちゃん」とわざと呼ぶのも、彼女が「ヨハネ!」と言い返すこと、即ち彼女が「ヨハネであり続ける事」を「支援したいからの行動」のようにも思えるのです。

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ことほど左様に花丸が「利他的」であるのは、いや「利他的であろうとする」のは、それは「利他的であること」が彼女自分が選んだ「自分自身の在り方」そのものだからなのでは?と思えるのです。

一見「自分の願い」のようなものが無いように見える彼女の「願い」とは、もしかしたら「誰かのために何かをする」ことなのでは。そしてそれをしている限り彼女の「願い」は「現在進行形で叶っているのでは?」。

ちょっと妄想がすぎますが、これまでの論拠をもとに考えれば、そんな風にも感じられるのです。

 

国木田花丸と「文学」

 

2期BD特典曲「おやすみなさん!」は国木田花丸初のソロ曲でした。そこには彼女がことさらに明かさない「内面」のようなものも描かれていて、我々花丸推しとしては捨て置けない楽曲でした。

実は今回の考察を完成させる前に「おやすみなさん!」の記事を準備していたのですが、この記事を書くこととなったので慌てて封印した経緯があります。理由としてはその歌詞に「花丸の本質」を理解するためのヒントが詰まっていたからです。

例えば冒頭。

特別なことじゃなくて そばで毎日笑いあえる

わりとこれ難しいと 少し分った最近かも

言葉には出来ないような 悲しみたち知った時

無力な自分悔しいと 涙ポロリ落ちる

 これを逆説的に考えると、花丸は最近まで「誰かと毎日笑いあうことの価値も、言葉に出来ないような悲しみも感じたことも無かった」ということになります。

また中盤。

幸運はまず笑顔から

始まってゆく気がして

ああ無理に ほっぺたを

上げてみる鏡

妙な自分の表情で

見事笑えたよ

 ここから分かるのは、花丸はいつも「頑張って」笑顔を作っているということ。それは「笑顔が幸せを連れてくる」と信じているからであって、彼女の本質は「ニコニコ笑顔でいる人」ではないということが分かるのです。

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これは前段の「花丸は根本的にはどこか虚無感を感じながら生きている」という考え方とどこか近似性を持っているような気がするのです。

けれどもこの楽曲の結びではこう語ります。

ひとり笑顔で 明日の

ちょっとしたお楽しみ

考えてたら

晴れるよ 胸の空は

いつも 幸せを望んでるから

なんて文学的な

気分で眠ろうか

おやすみなさん!

 彼女の根本には「虚無」が潜んでいて、彼女一人の力では明日には「希望」を感じられない。そんな時彼女を後押しするものが「文学」なのです。

あの時一人「心の平穏」を得るために逃げ込んだ図書室と、そこで読み漁った書物、その中でも「文学」が、彼女に「未来」を信じる「希望」を与えてくれているのです。

「文学」は人が作った作り物です。ある種「あってもなくても良い」もの。けれどもそれもまた「空即是色」を体現するもの。「あってもなくても良い」けどもそれがあることで「空しい世界」に「意味」を見出すことが出来る、心の支えになるもの。

花丸は常にそういった「空即是色」に「意味」を見出しながら、この「つまらない世の中」を「面白くしたい」と願いながら、生きている人なのではないかなと僕は思うのです。

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ということで、花丸論でしたが、ちょっと脱線しすぎましたね。ガチで反省しております(笑)。

ちょっと分かり辛いところもあるとは思いますが、適宜修正して参ります。

推しって難しい。。

 

追記:

本稿校了後、「おやすみなさん!」における「文学的な気分」とは具体的にどういったものなのか??に関して、改めて考察してみました。

こちらTwitterに掲載しましたので、それをそのまま転載させて頂きます。

 

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「ラブライブ!サンシャイン!!」2期総括コラム【キャラクター編② 小原鞠莉】

皆様こんにちはorこんばんは。

今回は2期総括コラム第2夜。小原鞠莉編をお届けしようと思います。

2期においては物語内でも重要な役割を果たした鞠莉。

前回と同じく彼女にまつわる「ワード」と紐付ながら、2期におけるの彼女の物語を追想してみたいなと思います。

 

小原鞠莉と「カセ」

2期の物語を振り返った時、恐らく多くの方の脳裏に鞠莉の姿が浮かぶと思います。それは彼女個人の抱える「カセ」が、物語全体においても「カセ」として機能していたからでしょう。

彼女が抱えていたカセは主に2つ。

①は「学校の統廃合問題」。②は「旧Aqours」です。

この二つは鞠莉個人が抱える「カセ」でありながら、物語においても同様の効果をもたらしました。その理由とは、この二つが物語を「進めていく」ことにブレーキをかける...まさしく「カセ」としての機能を果たしていたからにほかありません。

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①「統廃合問題」は主人公である千歌にも影響を与え、この「阻止」のために「足掻くこと」が2期前半部の主なテーマとなりました。

①の問題の最中、6話「Aqours WAVE」から同時並行的に②の課題に関する物語も動き始め、10話「シャイニーを探して」ではこの「カセ」の解決がメインへと据えられていきます。

こう明確にすると、いかにこの二つの「カセ」が、2期において重要な要素だったかが分かるのではと思います。

 

■鞠莉と「守りたいもの」

①②に共通しているのは、「鞠莉にとって守りたいもの」が対象であるということ。

10話「シャイニーを探して」で鞠莉本人の口から語られた通り、鞠莉はこの内浦に引っ越してきて、果南・ダイヤという無二の親友と出会えたことによって多くの学びを得ました。

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「二人が外に連れ出してくれなかったら、一つも知らないままだった」

そう語るように、今の鞠莉が存在出来ているのは、この場所と「二人」がいたからだと考えています。

だからこそ鞠莉は二人と共に過ごせる場所である「浦の星女学院」を、「3人がずっと一緒にいるという願い」の帰結先でもある「旧Aqours」を、「守らねば」と考えている。即ちそこには彼女のとても「個人的」な「情動」が働いているということが分かるわけです。

 

小原鞠莉と「浦の星女学院

小原鞠莉にとって「浦の星女学院」とは、もちろん「愛する地元=内浦」の学校でもあるわけですが、それ以上に「果南・ダイヤ」と共に「過ごせる場所」であるということが重要であるように思えます。

また3人によって結成された「スクールアイドル=旧Aqours」も、鞠莉にとっては「スクールアイドル」という事以前に「果南・ダイヤと共に結成したグループ=3人が一緒にいることを合理化するための記号」としての重要性を持つのでは無いか...という仮説が浮かび上がります。

とすれば鞠莉が抱えるカセ①②は、共に同じ理由の元に鞠莉が「守ろうとしているもの」であることも想像できます。

即ち鞠莉は「3人が一緒にいられる理由」を守るために「浦の星女学院の廃校を阻止」すべく理事長という職を得て復学し、「3人が一緒にいられる記号」を守るために「Aqoursの再始動」を目指したのである...という仮説が完成するわけです。

即ち、鞠莉が元来願ったものとは、決して「高尚な志」に根ざすものなどではなく、とても「個人的な欲望」に沿ったものだったのではないか...と考えられるのです。

同時に鞠莉にとっての「スクールアイドル」というものも、総じてその「欲望」を満たすための願望器に過ぎず、彼女にとっては「重要なもの」では無かった可能性もあるのです。

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もちろん、「アニメ開始時」における初期段階において....というお話ですけども。

 

小原鞠莉と「Aqours

 鞠莉にとって最も重要な願いであった「3人がずっと一緒にいること」。

しかしその願望をかなえるための根幹となる「浦の星女学院」は健闘空しく統廃合が決定。鞠莉はカセ①から、半ば強制的に「解放される」形に。

同時にスクールアイドルである「Aqours」は、「学校の統廃合」によって「消滅」を余儀なくされます。こうしてカセ②からも「解放」されそうになってしまう。

即ち彼女の「情動」を形作る「根幹」が「崩され」、彼女は嫌が応にも「未来」へと向けて「進まざるを得ない」状況へと追い込まれていくことになります。

結果「3人がずっと一緒にいる」という「願望」とも向き合うことになる鞠莉。

やがて大人になっていく中で、そんな「願望」が現実的では無いことは、鞠莉も十分理解していた。それでも願わざるを得なかったのは、鞠莉はただひたすらにその「願望」に「呪縛」されていたから。そしてそれ故に「願望」を「更新」していくことが出来なかったからなのかもしれません。

しかしそんな鞠莉を救うことになるのは「新Aqours」の存在。

「3人=旧Aqours」のメンバーでは見ることが叶わなかった「流れ星」を、「9人=新Aqours」で「見る」。

そして「9人」で見た流れ星に「新たな願い」をかけることで、「願望」を更新していく。即ち「呪縛」からも解放されていく。そうすることで鞠莉は「未来」への「一歩」を確実に踏みしめていく。そこに鞠莉にとっての「新Aqours」が持つ「意味」をも加味させていく。

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2期10話は鞠莉の主役回だけに、本当の意味で彼女にとって重要な回でもあったと思えるのです。

 

小原鞠莉と「謝罪」

2期11話。

統廃合が決定した「浦の星女学院」。本来最高責任者であるはずの鞠莉は、その非難の矛先になっても仕方ない立場でもあります。

しかし、誰もが鞠莉を責めることはしない。更には「浦の星」のラストを締めくくるにふさわしい「閉校祭」の提案までしてくる。「祭り」を通じて、その暖かさに触れる中で、鞠莉は改めて「浦の星女学院」という学校の持つ「価値」を理解していくに至ります。

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またそれと同時に鞠莉は、自らの不明を恥じるに至ったのかなとも思えます。

先に触れた通り、鞠莉が「浦の星」に舞い戻った一番の要因は、「個人的な情動」に起因するもの。また「スクールアイドル」として活動してきたことも同じ。全ては「個人的な事情」であり「情動」に任せた行動であったようにも思えてくる。

そんな中、学校が生徒にとって、そして周辺住民にとってどれだけ重要な存在だったのかを知るに至り、自分は果たして「学校の理事長」に相応しい行動を取れていたのか、自分自身への「疑問」を感じるに至ったのでは?とも思えるのです。

もっと学校を本気で守るために何かすべきことがあったのではないか。

そして自分は本当に学校を守るために死力を尽くしたと言えるのであろうか。

鞠莉の脳裏には、そんな「疑問」が浮かんでいたのでは、と想像出来てしまうのです。

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「閉校祭」のクライマックスにあたるキャンプファイヤー。その中で「理事長」としての彼女がとった行動は「謝罪」。

物語全体をマクロな視点で見れば、何も鞠莉が謝罪をするような状況でも、場面でも無い。けれども鞠莉は謝りたかった。

それは彼女自身の性格や、矜持とも関係しているけども、最大の要因は自らの中にある「不明を恥じて」の行動なのかな...と今はそう思えるのです。

ひたすらに「自らの情動」に忠実だった鞠莉。そんな彼女が見せる「謝罪」にこそ、彼女の2期での「成長」が集約されているようにも思えます。

しかし、そんな彼女を救うのは図らずとも..。

 

小原鞠莉を「許すもの」

鞠莉の謝罪に対して起こるのは「Aqours」コール。

それは恐らく鞠莉の中にあった「自分がスクールアイドル活動なんかにうつつを抜かさず、理事長として活動していれば良かったのでは?」という考えを帳消しにするもの。

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もしも鞠莉が新Aqours結成へ働きかけなかったら、今のAqoursは成立していなかったかもしれない。そして鞠莉が現Aqoursに加入していなかったら、Aqoursラブライブ本選へと進めていなかったかもしれない。

そう思えば、ただ漫然と閉校を迎えることになっていたかもしれない「浦の星」に、「ラブライブの歴史に名前を残す」という「希望」を与えたのは「Aqours」である。

その意味も、価値も、浦の星の生徒たちは知っているし、理解している。だからこそ「Aqours」の名前を叫ぶ。

それは結果的に「Aqours」として活動してきた鞠莉の行動を肯定する意図にも繋がります。

即ち、物語文脈的には、そこに鞠莉への「赦し」の意味も込められていくのです。

自らの「情動」に従って「Aqours」として活動を続けた鞠莉。その「情動」が「謝罪」の対象であるはずの「浦の星」の生徒たちによって「赦し」を得る。

そうすることで、鞠莉は自らを「呪縛していた」存在である「スクールアイドル」によって、今度は反対に「救われる」ことになる。

小原鞠莉と「スクールアイドル」との関係性がこれまでと反転する。

すなわち、鞠莉にとって「カセ」でしかなかったものが、「未来への祝福」へと変化する。

ここに鞠莉に対する最大の「救い」が用意されているわけですね。

 

小原鞠莉と「スクールアイドル」

12話。

「スクールアイドル」によって救われた鞠莉。

全ての「カセ」から解放され、まっさらになった彼女が望むのは「Aqoursとして優勝したい」というシンプルな願い。一見何の変哲もない願いですが、これまでの彼女の物語を追えば、その価値が分かります。

彼女にとって「呪縛」だった「Aqours」はもう彼女の中には無い。だからこそシンプルに「Aqoursとして優勝したい」という言葉が彼女の口から発せられる。

またあれほど恐れた「3人がバラバラになってしまう」ことも恐れない。

「この空は繋がっているから大丈夫」。

そう語る彼女には、10話までの弱弱しさはありません。

そこにはとても感動的な、一人の少女の「救いと成長の物語」の帰結が描かれているように感じるのです。

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ということで、キャラクター編②小原鞠莉編でした。

ちょっと長くなってしまった。。出来れば今後も体制は崩さず、シンプルな記事を心がけていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

「ラブライブ!サンシャイン!!」2期総括コラム【キャラクター編① 黒澤ルビィ】

皆様こんにちは、こんばんは。

今日からキャラクター総括コラムを進めていきたいと思います。

この「キャラクター編」。以前1stライブ直前に毎日更新するという荒行をやったのですけど(笑)今回はそんなことをする必要もないので(あの時はライブ初日までに完結させるという目標がありました)もう少しのんびり書いていこうと思います。

とはいえ、そこまで重い内容にするつもりも無いので、「キャラクター編...!」と身構えて読まれると拍子抜けになる可能性もございますので、予めご了承ください。

また、私のキャラクター考察はあくまでも「アニメ版」のストーリーに乗っ取ったものであり、故に「アニメ準拠」となります。そちらも予めご承知おきのうえご一読頂ければ幸いです。

更に!こちらの内容はあくまでも「私の主観」に依ったものです。読者様の「キャラクター観」とは異なる可能性も大いにございますので、そちらも予めご了承願います。

 

...と、いつもの通りの自己防衛を挟みつつ(笑)、ボンヤリと進めてまいりましょうか。

今回は前回の「キャラクター編」と逆回りにて更新していこうと思います。そんなわけで1回目は黒澤ルビィちゃんからです。

 

黒澤ルビィと「笑顔」

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2期のルビィを見ていて印象的なのは、「笑顔が多くなった」ということでしょうか。それまでは花丸やダイヤの陰に隠れて、いつもどこかおどおどしていた彼女が、2期ではニコニコ笑顔でいることが多かったような気がします。

それはもちろんいつもそばにいる花丸が常に「笑顔でいる」からこそ、その影響を受けているのかもしれません。

また、Aqoursの活動を通じて仲良くなった善子が「堕天使ネタ」でいつもルビィを笑わせてくれたり、突っ込ませてくれるからかもしれません(善子スマン)。

そしてAqoursというグループの持つ雰囲気が、なによりも彼女を「笑顔」にしてくれているのかもしれません。

ただし恐らく一番は1期において「自分の夢」を、「自分の意志」で「形にした」という事実が彼女に「自信」を与えてくれているからだと思います。

「自分にほんの少しだけ自信を持てるようになった」からこそ、他人の目を気にしてオドオドする必要も無くなったということなのではないでしょうか。

 

黒澤ルビィと「涙」

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とはいえ、ルビィが「泣き虫」である...という本質自体は変わらず。

2期でも千歌に次いでよく「涙」を見せたキャラクターかもしれません。(三つ子の魂100までとは言ったもので、これは仕方ないですね)

しかしその「涙」の意味合いもまた、1期からは大きく変化していたように思います。

1期では自分が何か「不安」な状況に陥いると見せていた涙。2期ではその回数が非常に少なくなったように思えます。

(とはいえ2期4話では園児たちの混乱に乗じて泣いてしまうというシーンも見受けられましたが笑)

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2期7話「残された時間」では、統廃合決定の際に思わず姉ダイヤにすり寄って見せた「涙」。

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ただしこの「涙」は決して「自分のため」だけに流した涙ではありません。

これまで「統廃合を阻止する」ために頑張ってきた「姉を含めた3年生たちの思い」や、「統廃合阻止を目的に頑張ってきた千歌を中心としたAqoursメンバー」の思いを受け止めての涙。「自分」だけではなく「他者」の為にも流した涙なのです。

2期3話「虹」では、ずっと「幻」になっていた姉の「和衣装姿」を見て「涙」します。それは一度は止まってしまった姉の「スクールアイドルとしての時間」とそれが「再び動き出した事実」を思っての「涙」でした。

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2期8話では反対に、ダイヤの「スクールアイドル活動」が終わってしまうことに対して見せた「涙」。これもまた「ようやく動き始めた」「スクールアイドルとしての姉」の「時間」が終わってしまうことを悲しんでの「涙」でした。

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これらに共通しているのは、「自分のため」だけではなく、「相手のため」に「涙」を流しているということ。そこからは「誰かのために泣ける」という、ルビィ本来の「優しさ」や「感受性の豊かさ」が垣間見えるのです。

そして2期9話。自分とよく似た存在である理亞を「スクールアイドル廃業」から救うこと。それによって理亞とクラスメイトとの間にあった目に見えない壁が氷解した時。ルビィは初めて「嬉しくて」「涙」を流すに至ります。

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ナミダって嬉しい時も流れて 痛みを消してくれるね

「Awaken the power」

 「悲しくて」「不安で」「寂しくて」「怖くて」...そんな「ネガティブな感情」から「涙」を流し続けていたルビィ。しかし今は「嬉しくて」「涙」を流せるようになった。

その事実はルビィというキャラクターの成長を最も端的に感じさせてくれる表現かもしれません。「Awaken the power」の歌詞にある通り、ルビィは2期の物語を通じて大きく「成長した」のだと思います。

 

黒澤ルビィと「過去」

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2期でのルビィにとって最も重要なエピソードとなった2期9話「Awaken the power」。彼女の中に「眠る力」が目覚めたとき、それが彼女自身だけでなく、理亞にも影響を与え、道を切り開く原動力にもなっていく。そんなルビィの「成長」を最も分かりやすく伝えてくれるエピソードでした。

とはいえこのエピソードにはこれまでのルビィの「歩み」そのものがしっかりと反映されていたのが印象的です。

1期において、彼女の中に「眠る力」を引き出したのは、親友の国木田花丸です。

「スクールアイドル」に憧れながら、「姉への遠慮」や「自分自身への自信の無さ」を言い訳に一歩を踏み出せなかったルビィ。そんなルビィを半ば無理やりスクールアイドルの世界へと引きづり込んだのは、花丸でした。

親友の力を借りることで「夢」を諦めることなく、「新しい自分」を獲得するに至ったルビィ。その経験があるからこそ、今度は自分と似た状況にある理亞を救い出すことが出来る。

「全てに意味がある」。これは2期におけるキーワードとなった言葉ですが、ルビィにももちろん当てはまります。

ダイヤが「家でスクールアイドル雑誌を読むこと」を禁じなければ、図書室に行くことも無かったかもしれない。しかしそのきっかけがなければ花丸と出会うことも無かったかもしれない。そして花丸との出会いが無ければ、「スクールアイドルになる」という「夢」も叶っていなかったかもしれない。さらにこの一連の出来事が無ければ、理亞を絶望から救い出すという行動をとれなかったかもしれない。

一見「意味の無い回り道」や「消し去りたい過去」でも、必ず意味を持って自分に返ってくる。だからこそ「過去を否定せず」に「受け入れて歩んでいってほしい」。

そんな「ラブライブ!サンシャイン!!」2期が持つテーマは、ルビィの物語にもしっかりと反映されているのだよなと改めて感じる次第です。

 

...ということでキャラコラム第1弾でした。

とりあえずこんな感じでキャラと関連するワードを絡めつつ、シンプルに振り返れれば良いかなと思っています。

もっと細かかったり、需要が無さそうな深読み要素(笑)に関しては、「Dig」等で掘り下げて行こうかなという感じです。

短くて読み応えが低いかもしれませんが、これからもお付き合い頂ければ幸いです。よろしくお願いいたしますm(__)m。

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!のお話が好きだったアナタにひょっとしたら刺さるかもしれない楽曲10選(という駄文)

サンシャインが放送されない週末をお過ごしの皆様、コニチワー。

手癖として何か書いていないと今後の更新モチベーションがダダ下がりしそう...というなんともはやな感じで記事を書いております。

これも全てはファンミへの参加予定が一切無いため。

「次の記事はいついつまでに上げたい」みたいな目標が皆無なのがいけないのです。

ファンミ...イケナイ...ギギギ...。

 

ということで、どうにもならない心の行先を筆に乗せているだけなので、軽い気持ちで流し読んでいただければ幸いです♪

さて、今回は前回に引き続きの「無駄話」

13話放送直後、極一部で若干話題になった「ラブライブ!サンシャイン!!の裏テーマ曲を推薦し合う」みたいな遊びが面白かったので、その延長線と申しますか。

とはいえ、雑然と選べるほど音楽知識も無いので「自分のipodに入っている楽曲」から選んでみたいな...というこれまた誰得な企画となっております。 

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(ワイのipod全7603曲入っておりました)

 

無作為に選んだのでジャンルバラバラです。

また、全然尖った選曲にならなくって恐縮なのですが、その分肩ひじ張らずにお読みいただけるのではないかなと。。

もし1つでも気になる曲やバンドなんかが見つかったら嬉しいです。

※今回は音楽企画ということで、明確に「好み」が反映されています。合わない場合は徹底的に合わないと思うので、「読まずに撤退」をおススメしております。

 

①「青春の稲妻」AKB48ひまわり組


青春の稲妻比較

 概要:

国民的アイドルグループ」でお馴染みAKB48。普段はアキバのドンキにある専用劇場で「公演」をしていることでも有名。こちらの楽曲はひまわり組公演2nd」というセトリ内の一曲。そもそもひまわり組」ってなんやねんということなのだが。

AKBといえば「グループ内でのチーム分け」が特徴の一つ(ユニットとは別)。「チームA」や「チームK」といった「AKB48」の冠に依ったチーム分けをするのだが、この「ひまわり組公演」が実施された時期には「チームA」と「チームK」しか存在しなかった。

主に1期生によって結成された「チームA」(前田敦子高橋みなみなど)、2期生によって結成された「チームK」(大島優子秋元才加など)にはそれぞれ「ファン」が付いていて、お互いをライバル視していた。そんな中「チームK」のオリジナル公演が作られるとお互いのパフォーマンスの「善悪」を巡って競争が激化。両チームのファン同士がどうにも険悪な雰囲気になってしまったのだそうな。おやどっかで聞いたことあるぞ、似たような話。

当時のAKBは「国民的」とは言い難い規模。劇場公演がメインの活動だった時代。けれどもAKBの劇場は一つ。そこで日々出会うファン同士が険悪な雰囲気になるのはよろしくないと、運営が下した対処法は「両チームをミックスさせた選抜チームで公演をする」というもの。その狙いはメンバーが混ざり合って公演をすれば、自然と全員を応援せざるならなくなり、「険悪な雰囲気」は消えるだろう...ということだったらしい。その「混ぜこぜチーム」の名称こそひまわり組。とはいえ、その日公演が出来るメンバーに関しては人数制限がある為、「表チーム」「裏チーム」みたいな分け方をしたもんだから新たな「火種」が生まれたりしたらしいけども、それはまた別の話。。

 

オススメポイント:

テレビで見かけることも多いAKB。とはいえ、知られていない楽曲がとても多いと思います。どうしても色眼鏡で見られがちなグループでもありますが、良い楽曲も多いのですよ。今回の「青春の稲妻」はメロウなメロディラインも美しいのですけど、なにより歌詞がやたらとサンシャイン!!に近似性があったので選ばせて頂きました。

昇ったばかりの陽が 校舎を斜めに染める

誰もいないグラウンド 意味もなく走った

何か叫びたくて 世界中に届くくらい

ただ声を上げてみた 脈打つ鼓動は未来

青春の稲妻 AKB48(ひまわり組) 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

 なんとなく2期1話の千歌を思い出させます。

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意味の無い叫びを世界に向けて放つ。そこに二度とない「一瞬」が匂い立つ。それこそが「青春」である...みたいな。実に秋元康節。

ちなみにチームK「約束よ」なんかは3年生組の関係性を想起させたりとか、AKBだけでもリンクさせられる楽曲がたくさんあるので、ホントはもう少しご紹介したいところですけども。それはまた機会があればということで。

 

②「未来とは?」SKE48


2014/3/19 on sale 14th.Single 未来とは? MV(special edit ver.)

概要:

SKE48は48グループ第2のグループとして2008年に発足。名古屋市栄区に専用劇場を持ち、SKEは本拠地「栄」の頭文字。「未来とは?」は同グループ14枚目となるシングル。キャッチコピーは「僕たちは、毎日、何かから卒業している」。ナゴヤドームでのライブというグループ結成時からの目標の「ひとつ」をクリアしたタイミングで発表されたこともあり、「現状に満足せず、常に未来に向かって進め」という意図が込められているように思われる。

 

オススメポイント:

48グループならびでもう1曲。「未来とは?」に関しては、やはり歌詞の刺さり方でチョイスしてみました。

未来とは? 1秒後

砂時計 次の一粒が

落ちたとか落ちてないとか

そんな隙間が現在

未来とは? 1秒後

明日でも 来年でもなく

”たった今”から始めようぜ

僕らは待ってるだけじゃだめなんだ

僕らの可能性こそが未来

未来とは? SKE48 - 歌詞タイム

 留まっている間に「未来」がやってきて、「今」は「過去」になってしまう。だとしたら迷っている間にまず「始めよう」と告げる。そして「未来」とは「僕らの可能性」そのものなのだと語る。「自らの中」に「輝き」を見出し、そこから連なる「未来」へと物語を託した「ラブライブ!サンシャイン!!」への近似性を感じるところですが、いかがでしょうか。

SKE48はなんとなく暑苦しい(褒め言葉)楽曲が多く、デビュー曲「強き者よ」とか「神々の領域」「仲間の歌」「ピノキオ軍」なんかも良い感じに刺さるかもしれません。

 

③「永遠の存在者」pigstar


永遠の存在者

概要:

pigstarは日本のロックバンド。関口兄弟を中心とした4人編成バンド。2005年にファーストミニアルバムをリリース。その後「永遠の存在者」や「バロック」が成人用PCゲーム「ピリオド」に採用。更に「君=花」や「衝動」といった楽曲が「純情ロマンチカ」シリーズの主題歌に選ばれるなど、なんだか変な感じの出世パターンを歩んだ後惜しまれつつ2010年に活動休止に入った。関口兄の美声だけでなく、兄弟ならではの美麗なハーモニー、シンプルだが美しいメロディライン、情緒的な詩など非常に魅力的なバンドだっただけに、個人的にとても悲しかった。

と思っていたら2017年に活動再開を発表。2018年2月に活動再開ライブをするらしい。マジか。今知った。

 

オススメポイント:

「ピリオド」という「エロゲなんだけどエロくないエロゲ」の主題歌という「微妙な立ち位置」の楽曲。知る人ぞ知るけど、知らない人は当然知らない。そんな楽曲。キャッチーなメロディラインで好きな人にはブッスリ刺さる曲だと思います。

歌詞的には「永遠の命」を持つ「永遠の存在者」という存在を仮定し、そのあり方を通じて「終わりある生命を生きること」「今を生きること」の価値を語る。そしてそれだけではなく「自分を生み出してくれた存在=過去」を肯定し、その繋がりからの「未来」を肯定する。

君を受け継ぐ僕らの未来が どこまでもずっと続いていく

君は全ての中で 全ては君の中で 未来と過去を繋いでいく

Musixmatch - The world's largest lyrics catalog

 という歌詞が、千歌が13話でたどり着いた「過去を受け入れたうえで未来を手に入れる」という結論をどことなく思わせます。

同じく「ピリオド」で挿入歌として使用された「バロック」も名曲なので、そちらもオススメです。

 

④「What are u waiting for?」FUZZY CONTROL


FUZZY CONTROL「What are u waiting for?」ミュージックビデオ

概要:

FUZZY CONTROLは日本の3ピースオルタナティブロックバンド。通称はファジコン。自身のバンド活動だけでなく、DREAMS COME TRUEのサポートメンバーとしても活躍。なんとVoの鎌田さんは母親がりりィさんで、奥様が吉田美和さんなのだとか!ヒョエーびっくり。2015年に活動休止。

ウィキペディアに書いてありました。(やべぇ、何も知らなかった...。)

 

オススメポイント:

むかしむかし。まだスカパーでJリーグが中継されておった頃、この曲がアフターゲームショーの主題歌だった時代があったんじゃ。それも遥か昔のお話じゃが。。

というわけで、何故か毎週聞かされていた楽曲だったのだけど、その頃から「歌詞が熱くてかっこいいなぁ」と思っておりました。

タイトルは訳せば「何をぐずぐずしているの?」といった感じ。

 what are you waiting for?

強い願いは叶う

時が迎えに来て 独り残されて

終わらない 消えない 今だ! これだ! 負けるな!

 what are you waiting for! thats what you waiting for!

強い願いは叶う

大声で泣いて 授かった命叫ぶから...

まだ....まだ....

I am waiteing for...

am so waiting for...

 what are you waiting for?

What are u waiting for? FUZZY CONTROL 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

 全体的にシンプルで力強いメッセージをダイレクトに繋いでいく感じで分かりやすいのですが、「過ぎ去っても消えない願い」みたいなものに立ち向かって、打ち勝て...というメッセージはやはり「サンシャイン!!」的だなと感じました。

 一度叶えられなかった「願い」があったとしても、「次のチャンス」にめげずに再挑戦しろ...という感じも「勇気はどこに?君の胸に!」っぽいですしね。

 

⑤「導火線」BAZRA

www.youtube.com

概要:

BAZRAは1997年結成の3ピースバンド。2002年インディーデビュー。その後何を思ったか(?)2005年にはavex傘下のcutting edgeからメジャーデビュー。も、2008年には契約満了。Vo井上鉄平の慢性的な体調不良を理由に不定期活動だったが、2017年に回復。同年夏にニューアルバムをリリースした。マジか!めでたい!(情弱)

Vo井上鉄平のソウルフルとしか言いようのないパワフルなボイスとギター、うねうね動く三浦謙太郎の変態っぽいベースがとても魅力的で、実際に見た時には「こんなスゲーバンドが日本には沢山いるものなのかー」とびっくりしたものである。

 

オススメポイント:

とにかく暑苦しい歌詞でしょうか。

失うことなんか怖くない 瞬間を瞬間を燃やすだけさ 今

導火線 BAZRA - 歌詞タイム

 「瞬間」というものをどのように捉えるか...というのが「サンシャイン!!」の大切なメッセージの一つだったと思うのだけど、ここでは「輝く束の間の永遠」として、その「尊さ」を表現している。なんともはや詩的。

Voにクセが強いので苦手な人は苦手だと思うけれど、好きになる人はガッツリ好きになれるバンドだと思うので、もし気に入ったら色々聞いてみて頂きたいところ。

 

⑥「Audition」エマ・ストーン

  (映画「LA・LA・LAND」より)


La La Land - "Audition (The fools who dream)" scene - 1080p

概要:

「LA・LA・LAND」は2016年公開のアメリカ映画。芸術に信念を燃やす男女を軸に「夢見ること」の価値を描くミュージカル映画。「LA・LA・LAND」とは「夢見がちな人」を揶揄する言葉でもあるが、本作ではそれを逆手にとってタイトルにしている。

主演は「目力ハンパねぇ」a.k.aエマ・ストーンと「歌って踊れる人殺し兼ゲッタウェイドライバー」a.k.aライアン・ゴズリングの二人(大分語弊がある)。

「Audition」はタイトルの通り物語終盤、オーディションを受けるエマ・ストーンが自身の「叔母」のことを話すようにして歌われる楽曲。

例え風邪をひこうとも「何度でもセーヌ川に飛び込みたい」と語った「叔母」の言葉を引用し、「チャレンジし続けること」の価値を語る、映画内でも屈指の感動的な使用をされる楽曲でもある。

 

オススメポイント:

なんとなくの映画枠。この曲初めて聞いた瞬間から「ラブライブ!だなこれは」と思っていた曲で、そういう意味では「ラブライブ!シリーズ」全体に通じる楽曲かもしれません。

対訳に関しては、こちらの方が綺麗に訳していらっしゃったので、引用させていただきます。

migmemo.net

She told me:
A bit of madness is key
to give us new colors to see
Who knows where it will lead us?
And that’s why they need us,
So bring on the rebels
The ripples from pebbles
The painters, and poets, and plays

彼女はこう言った、
ちょっとの狂気が鍵なの
世界に新しい色を与えてくれる
それからどうなるかなんて誰にわかるっていうの?
そして、それが私たちが必要とされる理由なの
だから反逆者を、
小石で生まれるさざなみを集めましょう
画家を、詩人を、演劇を!

 「世界に新しい色」をつけるために「ちょっとの狂気」が必要。どうなるか分からない未来にその時の「全ての時間」をかけるなんて、確かに「狂気」染みているのかもしれません。けれどもその「狂気」こそが、芸術を生みだし、それが人生に彩りも与えていく。それこそが「人間」であり、だからこそ全ての「狂気を持って飛び込む」「夢追い人」に乾杯しようと語る。とっても「ラブライブ!」だなぁと思う次第です。

映画自体は、まぁ賛否両論あって、僕は個人的にどちらでもないのですけど、見たことが無い方にはぜひ見てみてほしい作品でもありますね。

 

⑦Drive it like you stole it 

(映画「シングストリート 未来へのうた」より)

www.youtube.com

概要:

ジョン・カーニー監督による2016年公開の音楽映画。一貫して音楽映画を作り続けている同監督の評価を一定まで高めた代表作なのかもしれない。この映画(というかジョン・カーニー監督について)は自分の表blogでお話したので、興味があればそちらをご参考ください。

ishidamashii-urawa.hatenablog.jp

追記:「シング・ストリート」と「ラブライブ!サンシャイン!!」という関わりではてぎさんの書かれたこちらの小説もとても興味深いので、是非ご一読を。(ご本人に引用許可頂きました)

tegi.hatenablog.com

なんだか宣伝みたいになってしまいましたが、元に戻りましょう。

こちらの「Drive it like you stole it」は終盤主人公のバンドが演奏するオリジナル楽曲。自分が囚われている「どうしようもない現状」を「音楽の力」で打破しようと試みる、そんな意図が込められた歌詞だけにとても感動的。

 

オススメポイント:

映画枠その2。

キャッチーなメロディとシンプルで分かりやすく、そして熱いメッセージ。

This is your life, you can go anywhere

君の人生だ、君はどこへでもいけるんだよ
You gotta grab the wheel and own it and drive it like you stole it (Roll it)

ハンドルを握って自分のものにして、抜け出すために車を走らせろ (ハンドルを回せ)
This is your life, you can be anything

これは君の人生、なんでもできるんだよ

You gotta learn to rock and roll it, you gotta put the pedal down 

ロックンロールが世界を開くから、後はペダルを踏み込んで

And drive it like you stole it

抜け出すために車を走らせるんだ

[和訳]Sing Street「Drive It Like You Stole It」 : ”Translate us a song(lyrics)tonight”(今夜、俺たちに歌詞を訳してくれないか)

例え思うようにならない現状があったとして、それが人生における道筋を邪魔してきたとしても、必ずそこから「抜け出す方法」がある。なぜならその人生そのものを「運転」しているのは、ほかならぬ「自分自身」だから。「自分の意志」を信じ、進む覚悟さえあれば、きっと「どこへだって行ける」し「なんだってできる」。そう信じることで進める。正しく「ラブライブ!」や「ラブライブ!サンシャイン!!」の精神性に近いものを感じます。 

「シングストリート」自体もまっすぐな「青春物語」で、恐らくラブライブ!が好きな方であれば刺さる映画だと思います。

 

⑧「可能性」サンボマスター

www.youtube.com

概要:

サンボマスターは2000年結成の3ピースソウルフルロックバンド。ソウル・ブルース・パンク・ヒップホップ・そして日本語ロックから幅広い影響を受けた独自の世界観で人気。Vo山口隆のキャラクターがピックアップされがちだけども、決してコミックバンドではなくむしろその真逆に位置するクソマジメな純粋ロックバンドである。「可能性」は映画「ビリギャル」の主題歌として起用された。サンボらしいど直球なメッセージソング。

オススメポイント:

自分の「可能性」を信じ、その達成を求めて進み続ける。それは正しく「サンシャイン!!」の物語だったと思います。

僕らは 輝ける時を待っていて

思いもかけなかったチャンスを 掴もうとしてる

新しく始めるよ 僕は 心には明かりをともす

弱い自分 それは昔ばなし そんなそんな 自分を探してるの

ダメじゃないよ僕たち 終わらせんな可能性

誰かに笑われたって かまわないんだよ

もっと もっと 強く思ってやる

つかまえて明日を 今がそうその時

誰かに決めつけられても かまわないんだよ

もっともっと 夢を見続ける

あぁ 希望とははかないもの だからこそ 捨てちゃダメなのさ

可能性 - サンボマスター - 歌詞 : 歌ネット

「弱い自分」「ダメな自分」を受け入れたうえで、「可能性」と「希望」を信じて進む。そして「夢を見続ける」「希望を捨てるな」と語る。

サンボマスターソウルミュージックの影響を強く受けているので、概ねこういったプロテストソングのようなメッセージソングが多いのですけど、その分他のバンドとは一線を画した存在感を確立しています。

彼らはやはりライブバンドで、山口の語りを含めて一つの作品なので、もし興味がある方はライブ音源を是非見てみてほしいですね。

 

⑨「Move on up」Curtis Mayfield


Curtis Mayfield - Move On Up

概要:

カーティス・メイフィールドアメリカ合衆国のロック・ソウルミュージシャン。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第40位。インプレッションズとして活動後、1970年以降はソロに転身。マーヴィン・ゲイダニー・ハサウェイスティーヴィー・ワンダーらと並んでニュー・ソウルと呼ばれた。今回紹介した「Move on up」は彼のソロデビューアルバム「Curtis」に収録されている一曲。70年代のソウルミュージックを象徴する名曲の一つ。

 

オススメポイント:

サンボマスターの流れから選曲。彼らはこの曲を出囃子に入場してくるのです。とにもかくにもキャッチーな出だしとメロディー。いわゆる「ブルース調」と呼ばれる「永遠に演奏していられる」独特のコード進行。歌詞は公民権運動の風吹きすさぶアメリカの時代背景に依るもの。けれども「行動しよう!」と呼びかける言葉はいつの時代にも響くもの。終わりそうで終わらず、終わったと思ったらまた始まる楽曲構成は、「戦いは半永久的に続くこと」を現しているのな?などと考察したものです。

この楽曲もポール・ウェラー御大率いるスタイル・カウンシルがカバーして再ヒットさせるなど、エバーグリーンな名曲です。

歌詞和訳は下記サイト様に詳しく。

歌詞和訳 | Move On Up – Curtis Mayfield|ムーブ・オン・アップ(顔をあげて進め) – カーティス・メイフィールド の歌詞和訳エイカシ | 洋楽歌詞の和訳・翻訳、英語の意味、読み方

ソウルミュージックとその流れを汲むロックに共通しているのは、「ふざけんな!絶対負けねー!」という強い意志で、それは「ラブライブ!」シリーズに通底している精神構造でもあると思うのです。

 

⑩「空の名前」鈴木結女


Ninku Sora no namae

概要:

鈴木結女は日本の女性シンガーソングライター。1995年「忍空」のOPテーマ「輝きは君の中に」がヒット。その後一旦音楽活動を休止するも、2010年以降~現在に至るまで作曲・歌手活動を継続中とのこと。「空の名前」は忍空のEDテーマとして採用された。

オススメポイント:

ホントは「輝きは君の中に」を採用しようとしたんですよ。だってタイトルそのままだから(笑)。でもこちらの歌詞があまりにも「サンシャイン!!」のストーリーにハマっていたものだから、急きょこちらに変更しました。

Ah 失くした地図には書いてなかった

そう 明日に逢える場所が

Ah 全部手放して 見上げた空で

今 太陽がうなづいた

心だけはいつも裸足でいたい

雨はきっと虹を連れてくる

空の名前 胸に描き

歌いながら 自分になれ

訪れる 喜びや悲しみ達を

抱きしめながら 歩こう

空の名前思い出して 

腕を広げ 呼んでみよう

翼欲しがることはもうしないよ

風は心で生まれる

空の名前 鈴木結女 - 歌詞タイム

 どうですか、これ完璧じゃありませんか??

「失くした地図」は「μ'sの背中を追いかけること」であり「廃校を阻止すること」。

それらを「失くした」ことでそこには「明日に逢える場所=未来」が書かれていなかったことに気付く。

それらを手放して見上げた空で、「太陽=サンシャイン」がうなづく。

君は君のままで良いのだと。

そして「雨」が「虹」を連れてくることを知り、「歌いながら」「自分=Aqours」であることを謳歌し、「訪れる喜びや悲しみ」を全て受け入れて進むことを決める。

「鳥」のような「翼」を欲するのを止め、「心」から生まれる「風」を欲する。

そう紙飛行機を空へと運ぶ「風」を。

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あまりに2期の物語にハマリ過ぎていて震えましたよ(笑)。ということでこの曲をラストに持ってくることになりました。当ブログ的「ラブライブ!サンシャイン!!の裏テーマ曲大賞」は「空の名前」とさせていただきます(なんだそりゃ)。

ということで全10曲チョイスしてみました。

 

とはいえ、これは僕の範疇からしか選んでいないので、多分もっともっとハマる曲があると思います。

是非、良い曲があれば教えて頂きたいですし、皆様の10選も拝見したいところです。

 

因みに僕選出の、我々ラブライブを愛し語る人々のテーマ曲大賞」星野源「日常」です。


星野源 - 日常 【MUSIC VIDEO】

無駄なことだと思いながらも それでもやるのよ
意味がないさと言われながらも それでも歌うの

理由などいらない
少しだけ大事な物があれば それだけで

日々は動き 今が生まれる
暗い部屋でも 進む進む
僕はそこでずっと歌っているさ
へたな声を上げて

みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ
みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ

共感はいらない
一つだけ大好きなものがあれば それだけで

日々は動き 君が生まれる
暗い道でも 進む進む
誰かそこで必ず聴いているさ
君の笑い声を

神様は知らない 僕たちの中の
痛みや笑みが あるから
そこから

日々は動き 今が生まれる
未知の日常 進む進む
誰かそこで必ず聴いているさ
君の笑い声

夜を越えて 朝が生まれる
暗い部屋にも 光る何か
僕はそこでずっと歌っているさ
でかい声を上げて
へたな声を上げて

好きなことに究極的に「理由」などいらないし、ただ「好き」でいて良いのだと思います。だってそれはとても「個人的」なことだから。それは他人がどうのこうの言えることではないのです。その「好き」があるからこそ日常を生きている人が沢山いるのですから。「ラブライブ!」はそういった「多様性」を認める作品だと思うのですよ。

今後も当ブログは淡々と「好き」を伝えていけるブログでいたいなぁと改めて思った次第です。

どうでも良い記事にお付き合い頂きありがとうございました!

次回はもう少しラブライブ!と関係のある記事を書きたいなぁ。。(笑)

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話「劇場版も発表されたし、ボチボチ二期予想記事の答えあわせをしようか」という駄文中の駄文

祝完全新作劇場版製作決定!!!

なお公開時期は未定!!!

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...既視感のあるスタートですって?ええそうですとも。

2期予想記事の冒頭と同じにしてみました。これがセルフオマージュです(錯乱)。

何故そんな事をしたかって?それは、下の記事に落とし前をつけるためです!

 2期制作が発表された段階で、勢い余ってアップしたこちらの記事。

とはいえ、2期に関する前情報が何もない状態でぶっこんだ妄想に過ぎませんでした。(まぁどの記事もそうですが)

自称分かり手オタク(笑)としましては、どの程度まで「妄想に整合性があったのか」を検証し、明日への自戒としつつ「劇場版を妄想する記事」へと繋げていきたい所存。

そう、すなわち久々の無駄話です。

完全なオ〇ニー記事ですが(どの記事も以下略)、お暇な時にでもお付き合いくださると幸いです。

※この記事は元記事も含めて筆者の残念なアレな感じが炸裂していますので、予めご了承願います(注釈:怒らないでね)。パーセンテージ等も冗談の類ですので。

 

検証① 1年生回はあったか?

ラブライブ(無印)では、1期4話「まきりんぱな」や2期5話「新しいわたし」のような「1年生回」があっただけに、恐らくサンシャインでも同じような回があるのでは?とも予想できます。

どのような内容になるのか?までは予測できませんが、幼馴染でありながら関係性がそれほど強調されてこなかった善子と花丸、或いは単体での絡みがなかったルビィと善子なんかが絡む話も面白そう。

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「2期も発表されたし、ボチボチ今後の展開なんかを妄想しようか」という駄文 - Love Live!Aftertalk!

 正解率:50%くらい?

2期に1年生回はあったか?と問われれば、「あった!」と答えて良いかもしれません。

ただし、もっと「広義」での「1年生回」になったのは、良い意味での「誤算」でしたけども(涙)。

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Saint snowラブライブ離脱によって、本来は「生まれる事の無かった関係性」が生まれ..。

その成立によって「本来生まれる事の無かった楽曲」が生まれ...。

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その楽曲が理亞を「救っていく」

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そして理亞を救ったことで、ルビィもまた「救われていく」

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それだけでなく、ルビィと理亞に「救いが与えられる」ことで、花丸と善子も「救われる」。という「救いの円環構造」が生まれたのが2期9話でしたね...。(しみじみ)

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予想したのとは少し違いましたが、予想を大きく上回る内容の「1年生回」でした。

よって正解率は50%くらいですが、内容に対しての点数は100点をつけさせていただきます!!(謎ルール)

 

検証② 456トリオはスクールアイドルになったか?

千歌の願いを全うに受け入れたとすれば、456トリオも「スクールアイドル」を目指す物語が描かれてもいいですが...そうなると物語としてはちょっと散漫になる気もします。

1期ではそれほどAqoursに積極的には関わらなかった彼女達。

そんな彼女達がAqoursを浦の星の代表と認め、Aqoursを「支えること」に自分たちの「輝き」を見出す...というストーリーであればすんなりと主軸に関わってこれそうですが。

あくまでも「我々ファン」の「メタファー」として存在してきた「神モブ」だけに、456にも「支える=応援する」側の中心人物として動いてもらえたら良いなと思うのですが。はてさてどうなるでしょうか。

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「2期も発表されたし、ボチボチ今後の展開なんかを妄想しようか」という駄文 - Love Live!Aftertalk!

正解率:10%くらい? 

正解もなにも、根本が間違っておりました...。

彼女達は「スクールアイドル」として「歌ったり踊ったり」していなくとも、Aqours」の一員であり、千歌を含めメンバーもそれを「認めていた」のでした。

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「歌ったり踊ったり」せずとも出来ること。

例えばそれは「統廃合決定」によって活動方針を見失ってしまった彼女達に、「スクールアイドルとしてしか作れない輝き」を示すことで、「新たな道」を示すことであったり。

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「閉校」という「ネガティブ」としか捉えようのないものを「ポジティブ」な「祭り」へと変えることで、Aqoursの活動そのものにも「意味」を与えたり。

そういう「スクールアイドル」ではないからこそ見いだせる視点で、彼女達も「Aqours」の一員として活動する。それこそが自分達に「出来る事」なのだと彼女達は13話以降にはっきりと理解し、そうすることで自分達も「Aqours」であろうとした。

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故に、

そんな456の気持ち...アタシ全然分かってなかったんだ...(ももへの手紙より抜粋)

などと、反省しきりでしたよ...。

本来は-100%でも良いのですが(なんだそれ)、一応方向性としては当たっていたので正解率10%とさせていただきました。スミマセン(?)

 

検証③ Saint snow幽遊白書の柘榴になった?

恐らくは北海道予選を勝ち抜き、東京でのラブライブ本選でいよいよAqoursとの雌雄を決するであろう彼女達がたどり着く「結論」にも注目が集まりますね。

Saint Snowが憧れ崇拝するA-RISEがμ'sとの戦い→敗戦からたどり着いた「スクールアイドルとしての正解」と同じ回答に彼女達もたどり着くのか。

あるいは「別の回答」を得るのか。そちらにも嫌が応にも期待は高まります。

...というか2期ちゃんと出てきますよね? まさか幽遊白書の柘榴パターンは無いですよね??

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「2期も発表されたし、ボチボチ今後の展開なんかを妄想しようか」という駄文 - Love Live!Aftertalk!

 正解率:50%くらい?

....なんつーか、すみませんでした(?)。

2期8話見ながら「あれ、これ予想記事当たってしまった」と呟いてしまいました。

本当にすみませんでしたm(__)m

とはいえ、酒井監督がオフィシャルファンブックで

Saint snowAqoursにとってライバルではなく同志」

と断言されていた時点で、

Aqoursと雌雄を決する展開」にはならないだろうなという予感はあって。

だとしてもどう落とし前をつけるのかは未知数で。

その結論として、「ミス」によっての「敗退」という形となったのは意外でしたけど、結果的にその「ミス」を「どのように挽回していくか」という部分を物語に落とし込んでいったのは見事だったなと思いました。

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逃れようのない「失敗」は誰にでもあって。

だとしてもそれは「絶対に挽回出来ない」ものではない。

自分の考え方を変化させることで、「失敗」は「未来」へのハッキリとした糧になる。

そして「失敗」したからこそ、Saint snowの二人はその気づきを得ることが出来たのかもしれない。

少なくともDROP OUT!?」の世界観のままだったら、彼女達は相当「苦しかった」でしょうね、とも思うのです。

だからこそ彼女達二人へ「救いの手が差し伸べられた」事実に感動しきりでした..。

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「消えない夢」の物語はAqoursだけでなく、Saint snowにも当てはまる。

それは正しく両者が「ライバル」ではなく「同志」だからこそ...。

まぁ、展開自体の正解率は「雌雄を決する前に退場しちゃう」という意味では80%くらいかもしれませんけども、その先までは全く見通せませんでしたので-30%くらいで落とし前とさせていただきます(相変わらずの謎理論)。

なお内容に対しての点数はもちろん100点です!!!()

 

検証④廃校は避けられなかった??

原作と呼んで差支えない「電撃G'sマガジン」では「既に廃校が決定している」という設定もある...という点から考えれば、アニメにおいても「同じ結論にたどり着くのでは」と容易に想像できてしまいます。。

となれば、(2期開始時にスクールアイドル部がどうなっているのかは分かりませんが)「Aqours」が「唯一」にして「最後」の「浦の星女学院スクールアイドル」として名を残す...という展開になるのでは?とも思えます。

また「廃校」が加速度的に近づくとすれば、それは「スクールアイドル部」にも影響を与えるはず。

イムリミットが迫る中で、「何のためにアイドルを続けるのか」「何を残せるのか」に葛藤し、悩むメンバー...なんてシーンも出てくるかもしれません。

ファンとしては「彼女たちは悲しむ姿は見たくない...でもちょっとだけ見たい...というか、むしろ胸かきむしられるような切ないシーンは見たい...!!」というアンビバレンツな思いを抱える事必死な展開が果たしてあるのか。

答えは放送開始しなければ分かりませんが、そんな展開想像するだけでグッと来ますよ。。

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「2期も発表されたし、ボチボチ今後の展開なんかを妄想しようか」という駄文 - Love Live!Aftertalk!

 正解率:100%?

まぁ、これはG'sの設定に倣っただけで、別に斬新な予想でもなんでもないので。。

とはいえ、一応ラインも含めてほぼ100%当たっていると言って良いかもしれませぬ。

しかし、とはいえここが物語の「中心部分」になるとまでは思っていませんでしたけども(笑)。

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いやはや、でもですよ。

閉校祭から始まる「学校が閉じられること」のネガティブ→ポジティブのイメージチェンジを通じてのエモーションの喚起といい、

その後の「実際の閉校式」からの逃れられない「終わり」のモチーフの提示といい、

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さらにそこから再度「学校を開いていく」ことで「過去を閉じ込めず、未来へと繋いでいく」というモチーフへと変化させていくことも含め、

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「統廃合」という「設定」を見事に「メインストーリー」へと反映し尽くしてみせたわけで、これは凄いの一言ですよ。

1期終わった段階ではここまで「廃校設定」をしゃぶり尽くすとは思っていなかっただけに、正しく兜を脱ぎました...という気持ちです。

正解率は100%かもしれませんが、シナリオには完敗ですね(?)。

 

検証⑤梨子は音ノ木坂に帰った??「想いよひとつになれ」は再登場した??

梨子は「Aqoursとしての活動を全うした」うえで、「音ノ木坂に帰る」という可能性が高いように思えます。

もしも「浦の星」が廃校になった場合、在校生は沼津の高校に「編入される」というのは、6話「PVをつくろう!」で語られた通り。

とすれば(仮に廃校が決定した場合)タイムリミットは現3年生の卒業まで。すなわち現在のAqoursが活動できるのは「この年だけ」となります。

イコールそれは「この年」をもって梨子も「音ノ木坂」に帰る...ということ。Aqoursは物理的にも「バラバラになってしまう」ということにもなります。

仮にそんな物語になった場合に再登場するのでは?と思っている楽曲が「想いよひとつになれ」。

既にライブで感動的な使用をされたために、「Aqoursのアンセム」として認知されているこの曲。

その歌詞は「遠くにいる仲間を近くに思う」のと同時に「離れていく仲間をずっと忘れずにいる」ことへの願いをしたためたものにもなっています。

「違う場所へ 向かうとしても 信じてる」 11話では、一人東京でのピアノコンクールに向かう梨子への応援歌として機能したこの曲。今度は本当にAqoursから離れていく梨子へともう一度送られるのではないか...。

そんな予感がしてたまらないのです。

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「2期も発表されたし、ボチボチ今後の展開なんかを妄想しようか」という駄文 - Love Live!Aftertalk!

 正解率:10%くらい??

梨子ちゃん、音ノ木坂には帰らず。音楽室に立ち寄ってピアノを弾く...という段階まででした。

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「この構図を見せたい」が故のファンサービスとしてしか機能していないのでは?という意見もあるようですけど、僕はこのシーンにはしっかりとした文脈があると考えています。この辺りは重複してしまうので12話記事にて。

 結局のところ梨子が今後どのような進路を選ぶのかはアニメ内では明かされないままでした。この辺りは劇場版で描かれるのか?あるいはスルーされるのか?全く未知数ですね。

想いよひとつになれ」(海に還るもの)は上記シーンで演奏されることによって、大事なシーンでしっかりと起用された印象です。

1期11話では一人東京で遠くの仲間を思って弾いた曲が、この日は同じ東京にいるメンバーの「思い」を繋いでいくシーンで起用されるというのも印象的でした。

とはいえ、文脈も違うのでここでの正解率は10%としましょう。致し方なし!(?)

 

検証⑥Aqoursの意志は誰かが引き継いだ??

とはいえ、仮に私が予想したような展開が挟み込まれるとしたら、彼女達の前途はけっして明るいものではありません。

現実に突き放され、絶望するシーンも出てくるでしょう。

それでも彼女達はきっと立ち上がってくれるはずです。

君のこころは輝いてるかい?」の歌詞に 「君は何度も 立ち上がれるかい? 胸に手をあて "YES!"と笑うんだよ」 とあるように。

もしもAqoursがこの「1年」を以て「活動終了」となるのであれば、彼女達もまた「何か」を「後継者」たちに残す必要があります。

果たしてそれはなんなのか。 μ'sではなく、Aqoursが残すもの。そこには恐らく唯一の「入学希望者」が関与してくるような気もしています。

Aqoursの意志を継ぎ、それを次世代へと伝えていく「新たなスクールアイドル」が最終的に「サンシャイン!!」の物語から生まれるとすれば、それは「ラブライブ」というプロジェクトがまだまだ「終わらない」ことへの証明になるはず。 そして、それは私たちが「もっとも望んでいるもの」でもあります。

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「2期も発表されたし、ボチボチ今後の展開なんかを妄想しようか」という駄文 - Love Live!Aftertalk!

 正解率:0%

出ました脅威の0%。カスリもしておりません!

1期である程度の「答え」を得たと思ったので、その「先」の物語が描かれるかと思ったのですが、そこまではたどり着きませんでしたね。

2期の物語を通して、Aqoursが見つけた輝き。

それは「元々自分達が持っているもの」でした。

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この間フォロワー様とも議論させていただいたのですが、Aqoursの物語は結局のところなんともミニマルな物語でした。

沼津の内浦の小さな女子高の統廃合問題を軸に、そこの生徒たちが葛藤を乗り越え、地元の人たちの助けを得ながらスクールアイドルとしては「優勝」という最大の栄冠を勝ち取る。けれど彼女達は学校のことは救えないし、優勝の先にあると信じた「栄光の輝き」も特段見いだせない。結局のところ彼女達が探し続けた「輝き」というのは、彼女達自身の中にあるもので、それは「元々持っていたものなのだ」というのが、「ラブライブ!サンシャイン!!」2期で描かれた物語。

もちろんかけがえのない気付きであり、それを伝える偉大な物語ではあるのだけど、それでも「小規模な物語」であったともいえます。

彼女達が得たものは、μ'sが世界中に届けた「その気になれば、どんな願いだって叶えられる」という物とはまた少し違うもの。だとすれば、Aqoursが独自に得た「気づき」も誰かへ伝えて行ってほしい。そしてそれを引き継いだ人によって、新たな「スクールアイドルの物語」が紡がれて欲しい。

それが「プロジェクト ラブライブ!」を愛する1ファンとしての静かな願いでもあります。

...おや、軽いノリで始めたのに結局いつもみたいな終わり方になってしまいました。

というわけで全体の正答率は何%なのか、出すつもりも特にありませんが(笑)、まぁまぁ良い線いっていたという感じのオチで良いかもしれません。良いのか?

あ、あと正答率は置いておいても、物語には完全敗退しました。参りました。

それでは次回もなんらかの記事でお会いしましょう。

グッバイ・サイチェン!かんぱーい!

~もう一度”輝く物語”を始めるために~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第26話(2期13話)「私たちの輝き」

皆様こんにちは。ないしはこんばんは。

今回はラブライブ!サンシャイン!!2期最終話となる「私たちの輝き」に関して書かせて頂きます。

恐らくこれまでの物語の根幹を、自分なりに思考していないとさっぱり意味不明だったであろう13話。

今回も「俺なりの理解」で恐縮ですが、「ほー、まぁそんな見方もあるんやねー」くらいの軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。

また、13話まで毎回しょうもない妄想をお読み頂きありがとうございました。

また最後にお礼をさせて頂きますが、まずは皆様に感謝を。

それでは参りましょう。#13「私たちの輝き」です。

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■紙飛行機

千歌が冒頭飛ばし続け、そして落ち続ける紙飛行機

2期1話からOPに至るまで、2期においては大事なモチーフであり続けたもの。

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紙飛行機とは何を示すものなのか。

それが今回のポイントにもなっていきます。

 

■プレリュード

梨子が犬を飼いはじめるという衝撃的(?)なスタート。

その名はプレリュード

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プレリュードとは音楽用語で「前奏曲」。

それ以外の意味では「前兆」や「前触れ」を意味するものです。

自らが決めた道を「受け入れ」、それによって「成果」を得る。

ラブライブ」での優勝は、梨子にとってはその「成果」なのかもしれません。

梨子は自らが決めた道を「運命」として肯定するに至る。

犬は運命のようなもの、とは5話考察で書かせて頂いた通りですが、梨子が犬を飼いはじめるというのは、彼女自身が自らの運命を決定的に受け入れたことの証明なのかも?と考えました。

自らの「運命」における「前兆」。だからこそプレリュードという名前なのかなと、そんな風に感じました。

 

Aqoursの始まりの場所

千歌がつけた「スクールアイドル部」の表札。

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そして歌詞が消えずに残っていた白板。

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ここは新旧Aqoursにとっての思い出の場所。

そして今のAqoursの「始まりの場所」でもあります。

真っ白になった白板。

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消えてしまったものに思いをはせる2年生。

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反面それは「ずっと残り続けるのだ」と語る果南。

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以前書いた「HPT」に関する考察記事では、そのPVを「ずっと消えずに続いていくもの」を象徴したものだと考えました。

 また、11話記事でも考えた通りあのPVの舞台は閉校祭だったとも考えられます。

「HPT」の時点では、「別れの予感」に戸惑っていた果南も、今は「別れ」に対して前向きでいられる。

これは「HPT」と地続きの物語性を感じさせるところですね。

 

■彩られる校舎

時期は分からずとも、いずれ取り壊される校舎。

ならばと、鞠莉の意向によって学校の生徒によって「思い出」が刻み付けられることに。

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それぞれにとって大事な「学校の思い出」が刻まれる度に、どうしても「別れ」は切迫してくる。

耐え切れなくなるルビィ。

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そんなルビィに「泣かないと約束した」と告げる花丸。

「浦の星の最後は笑顔の思い出にする」

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そんな千歌の「我慢」と「宣言」が、ちょっとした課題を千歌自身に与えていきます。

 

■卒業証書

鞠莉から果南に手渡される卒業証書。

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本来であれば、学校への復学もうやむやにして、家業に専念しようと思っていたかもしれない果南。

そんな彼女が学校に戻ってきたのは、鞠莉が学校へ復帰した狙いを見極めるためとも思われます。

そういう意味では鞠莉のAqours再結成への奔走が無ければ、この卒業証書を果南が受け取ることも無かったのかもしれない。

こんなシーンにも、彼女たちの物語が全て「意味のあるもの」となって、反映されていることが描写されているように思えます。

ダイヤによる「閉校宣言」。それと共にたなびく「優勝旗」。

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「私達はやったんだ!」

ラブライブ!で優勝したんだ!!!」

輝きを「刻み付ける」。その目標に遂にたどり着いたAqours

ただし「たどり着いた」が故に「見失ってしまうもの」もまたあるわけで。

 

青空Jumping heart

ラブライブ!」2期では「アンコール楽曲」として12話にて使用された1期OP。

「サンシャイン!!」2期では13話OPとして使用される形になりました。

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なぜこのタイミングでの「青空Jumping heart」なのかというと、恐らく今回使われている歌詞に今回の物語が反映されているからなのかもしれません。

だって始めたいことが 今見つかったばかり

ゴールはどこ?どこだろ?? 分からない! 

分からない でもね 楽しそうだよ

 台詞に被る形でことさらこのシーンでは強調されていないこの歌詞ですが、実のところこここそが、今回のメインテーマなのではとも思えます。

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達成したラブライブ優勝。

けれどもAqoursは解散し、メンバーもバラバラになる。

学校も統廃合となる。

分かってはいたことですが、こうなると今や「学校の名前を歴史に刻む」という業績も、少しだけ「空しいもの」に感じられます。

「ゴール」にたどり着いたはずなのに、そこには不思議と「達成感」のようなものはない。

じゃあなんのために「スクールアイドル」をやっていたのか。

そこにこそ、物語の重要な要素が秘められているように思えるのです。

閉校式が終わっても、帰ろうとしない生徒。

そんな生徒を見つめながら、それでも「終わりにしなければ」と語るAqours

そんな中一人「終わり」を受け入れがたい表情でいる善子。

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この時善子がどんな気持ちでいるのかは語られませんが、これまでの物語を追いかけてきた人であれば、なんとなく意図は分かるものです。

この辺りは後の1年生のやりとりにて補完されていきます。

 

■輝き

黒板を彩る「Aqoursのキラキラを表現したアート」。

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つじ写真館さんのスタッフ様が作成されたものとのことで、ここでも「ラブライブ!サンシャイン!!」とそれを「応援してきた人」とのつながりがメタ的に再現されているのを嬉しく感じます。

よしみたちが感じたAqoursの輝き。

それが表現されたアートを見ながら、千歌もまた「みんながキラキラしていた」と語ります。

千歌の目に映る情景。

そこに舞い落ちる青い羽根。

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2期7話「残された時間」から意図的に登場し続けた青い羽根。

それは回を増すごとにその色味を濃くしていきました。

何故「青い羽根」だったのか。それは今回の物語の最後の最後に明らかになっていきます。

「輝き」を黒板に残したまま、閉じられる教室。

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ここからは「閉じる」ことで「輝きを閉じ込める」というモチーフが連続して登場していきます。

 

■図書室と1年生ズ

図書委員の花丸。そこで初めて花丸と出会ったルビィ。

引っ込み思案の二人にとっては秘密基地でもあった場所。

それが図書室でした。

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大量にあった本たちは、梱包され、世界中の図書館へと羽ばたいていく。

だから本たちが消えてしまうわけではない。

しかし、がらんどうになってしまった図書室はもはや図書室ではない。

寂しさを紛らわそうとするも隠しきれない花丸とルビィ。

その心情に寄り添う善子。

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二人を励ますため。そして「過去」に留まるのではなく「未来」へと進むために、図書館で「堕天」します。

善子もといヨハネに励まされ、前に進もうとする二人。

お別れの「ドア閉め」。

2人ではなく3人で締めることに拘る花丸。

「一緒に閉めるずら...」

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「嫌よ!」

善子が頑なにそれを拒否するのは、2期5話記事でも触れた通り、善子は自らの行動すべてを「未来」へと「意味のあるもの」へ変えていく使命があるから。

そうでなければ「自らを肯定できなくなってしまうから」なのかもしれません。

がらんどうとなり、あとは壊されるばかりの学校と図書館。

そのドアを閉めるという行為に、「前向きな意図」を見出せない

だから頑なにその作業には参加しない。

善子の拘りを除いたとしても、それは多分に「ノスタルジック」な自己満足なのかもしれません。

けれども、花丸はこの行為への参加をいつになく強い口調で促す。

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「閉めるずら...!!!」

それは理屈がどうこうではなく、完全に花丸個人のわがままです。

自分を救い、守ってきてくれた場所。

それは花丸だけでなく、ルビィそして善子にも通ずるもの。

だからこそ、きちんとお別れする。

その為の儀式。

普段は善子の在り方を認め、愛する花丸。

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この儀式がいかに善子の在り方と相いれないものなのかも十分に理解しています

それでもこの日、この瞬間だけはじぶんのわがままに付き合ってほしい

それは「堕天使」としてではなく、「浦の星女学院」の友人として。

花丸はそんな自分の「わがまま」に自覚的であるから、そして善子の在り方を誰よりも理解しているから、この行為に関して

「ごめんね」

と自らの非を認めるのかもしれません。

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前回12話でそれぞれの補完関係をもって描かれた3人の強いつながり。

このシーンでもそんな3人の強いつながりが描かれ、心を打たれました。

 

■音楽室と曜と梨子

ピアノを弾く梨子。

そこにいるのは意外なことに曜。

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よくよく考えれば、この二人が二人だけで会話しているシーンというのはとてもレアな気もします。

曜にとって、千歌と二人で始めたスクールアイドル。

しかし二人だけでは作れないものを補完する形で現れた梨子。

梨子の存在なくしてスクールアイドルの成立はあり得ませんでした。

しかし、千歌と「同じ視点を共有したい」という一心でスクールアイドルを始めた曜にとって、なにもせずとも千歌と視点を共有出来てしまう梨子は、軽い嫉妬の対象となりました。

その1つの爆発が1期11話で起きた物語の諸々だったのかもしれませんが、結果として梨子を介して曜のもやもやは「一人相撲」であった事が明らかとなり、曜は一旦の救いを得るに至りました。

とはいえ、それ以降も明確には目に見えないものの、どことなく距離感のあった二人。

友達の友達が「親友」とは限らないように、曜と梨子の「一線のある友人関係」というのは、ちょっぴりリアルです。

お互いが「大人」な故に敢えてその境界線を崩さずにいた二人。

しかしここで曜はその境界線をあえて壊しに行く。

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「私ね、ずっと言っておきたいことがあったんだ」

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「私ね 梨子ちゃんのことが...だ~~~~~~~い....」

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「好き!」

互いにあった見えない壁を壊して、ここから改めて「友人関係」をスタートさせるための儀式。
「友達を作る名人」のはずの曜がなかなか言い出せなかった言葉だからこそ、そこには重みがあるようにも思えます。

千歌とは関係がなく、これから始まる二人の友人関係。

終わりだけでなく、「始まり」もしっかりと描かれていきます。

 

■理事長室と3年生ズ

理事長室を後にする前に涙にくれる鞠莉。

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2期ではどうにも泣き虫だった鞠莉。

その姿には「感動すると涙が出る動物」とまで称された「中の人」がクロスオーバーしている感じも受けます(笑)

果南とダイヤから、鞠莉へのサプライズ。

それは生徒代表からの卒業証書兼感謝状でした。

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本来理事長である彼女には与えられないもの。

それを果南とダイヤが主導して作り上げる。

なんとも粋なサプライズです。

このシーンで、鞠莉がその賞状を受け取るのを一旦躊躇するのは、この証書自体が完全なる「終わり」のモチーフだからかもしれません。

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受け取った瞬間に、「終わり」を認めざるを得なくなる。

だからこそ、受け取るのが怖い。

それを察知したからこそ、果南は「大丈夫」「空は繋がっている」と前回鞠莉からかけられた言葉で返す。

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ここもまた粋な演出でした。

学校を終わらせる理事長になってしまった自分に、全校生徒から与えられる感謝状。

それが鞠莉にとってどれだけ救いとなったか。

学校を救うために、日本へと舞い戻った鞠莉。

結果としてその思いは実りませんでしたが、その行動がしっかりと評価され、今へと繋がっていく。

ここにも今回の物語のテーマが反映されているように思えます。

 

■閉校と「涙」

いよいよ最後の「閉める場所」。

それは校門。

この校門は閉まった瞬間に、二度と空くことはない。

すなわち本当に「終わり」のモチーフでもあります。

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どうしても辛いし、寂しい。

自分達がほんの数年とはいえ、毎日のように通った場所なのだから当然です。

それでも千歌は「笑顔の思い出にする」という宣言に引きずられ「泣けない」。

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逆に千歌の言葉が引き金となり、涙する生徒たち。

閉まることを拒否するように、千歌一人だけの力では閉じることができない校門。

曜と梨子の力を借りてようやく閉められる時、太陽もまた沈んでいく。

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こうして校舎には「大量の思い出」が「閉じ込め」られ、それらは「一つの輝き」となってこの場所に留まっていくことになりました。

普通であればこのままエピローグに突入していくはずの物語。

けれども、それで「本当に良いのか??」と問いかけるのが「ラブライブ!サンシャイン!!」なのです。


■光る風

海を見つめ黄昏る千歌。

髪飾りを何もしていない真っ新な状態の千歌。その姿からも今の彼女の状態が分かるようになっています。

砂浜に突き刺された優勝旗。

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「皆から見えるように」

それは散り散りになっていった仲間からも見えるようにという意図。

反面旗の、そのぞんざいな扱いからは、千歌にとって既に「ラブライブ!優勝」もこの時点では意味の無いものへ変化しているようにも感じ取れます。

思えば1期から「ラブライブ!優勝」を目指して、むしろそれだけを目標に突き進んできた千歌。

優勝のその先に、大きな「輝き」が待っている。

そう信じてきたからこそ頑張ってきた。

けれども、今千歌にはその「輝き」の正体が見いだせない

「優勝」して、学校の名前を永遠に残すこと。

そして会場で見た無数の「輝き」。

それこそが千歌が探し求めた「輝き」なのか。

そのことに千歌自身が疑問を感じ続けています。

「私見つけたんだよね。私達の輝き。あそこにあったんだよね。」

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千歌自身が半信半疑だからこそ、問われるもの。

そんな千歌の問いに返されるのは

「本当にそう思ってる?」

「相変わらずバカ千歌だね!」

「何度でも飛ばせばいいのよ、千歌ちゃん」

という家族からの叱咤激励。

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千歌が何度となく飛ばそうと試みる紙飛行機

しかし、それは何度繰り返そうとも、力なく落ちてしまいます。

紙飛行機がなにを象徴しているのか。

2期1話の当ブログでは「人間が最も原始的に生み出した空を飛ぶ造形物」である紙飛行機は、神が作り出した「予め空を飛べるもの=鳥や虫」に「挑むもの」の象徴であり、故に「紙飛行機」とは「神=運命へと挑む人間」を象徴するものなのでは?と考えました。

そのあり方はまさしく千歌と同じように思えます。

降りかかる「運命」を変えたくて。

予め用意された「今」を変えたくて。

起きてしまう「偶然」を、ただの「運命」として漠然と受け止めるのが「嫌」で。

だからこそ足掻いて足掻いて「運命」へと「挑戦」し続けた千歌。

一度上手くいったかと思えば、また振出に戻ったり。

進めたと思ったら、逆風に押し返されたり。

それでもあきらめることなく、何度も立ち上がり、挑戦を続けてきました。

それは紙飛行機を何度も飛ばそうと試みる行為にも似ています。

紙飛行機はどれだけ長く飛んだとしても、やがて落ちてしまう。

それは自力で飛行する術を持たないからです。

ただし、そんな紙飛行機でも「飛ばそうとする意志」と「追い風」さえあれば、何度でも蘇り、この空を飛ぶことが出来る

以前当ブログでは、千歌たちがなり得るのは「光」ではなく「光る風」なのでは?と考えました。

誰も追いつくことができない「光」ではなくて、絶えずこの世界に吹き続けることで、いつでもだれかの心に「希望」を生み出す「風」。

それこそが「光る風」であり、千歌たちAqoursが「作れるもの」なのではと思ったからです。

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だとすれば今紙飛行機が飛ばないのは、千歌の心が「光る風」を生み出せなくなっているからなのかもしれません。

「本気でぶつかって感じた気持ちの先に答えはあったはずだよ」

「あきらめなかった千歌には、きっと何かが待ってるよ」

母から告げられる言葉に思い立ち、再度飛ばす紙飛行機。

千歌の気持ちが前向きになったのと同時に、風へと乗る紙飛行機。

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ハっとする千歌。

しかし風を失い勢いをも失いかけた紙飛行機。

そんな紙飛行機に与えられる千歌の「激励」。

「行けっ!!!」

「飛べーーーーー!!!!」

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そんな、千歌の叫びが「光る風」を吹き起こす

寂しげに地面に突き刺さっていた優勝旗を舞い上げ、紙飛行機を天高く運んでいく「光る風」。

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ラブライブ優勝」をきっかけに見失ってしまったもの。

それは千歌の本質。

「今」に満足するのではなく、絶えず「未来」を追い求めること。

「光る風」を起こして、絶えず「紙飛行機を飛ばし続けること」なのではないでしょうか。

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どこまでも飛んでいく紙飛行機。

その行先は浦の星女学院です。

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このシーンで描かれるものがどこまで現実なのか。

それはなんとも言えません。

もしかしたら千歌の内面で巻き起こる葛藤とその中で得た「答え」が、メタ的に表現されたシーンなのかもしれません。

正解は私にももちろん分からないわけですが、どちらでも良い気もします。

映像作品でしか表現し得ない「ダイナミズム」。

そこで描かれるものが伝える事だけが「真実」である。

だからこそ、我々はそんな細かいことを抜きに、作品を見て感動できる。

「映像作品としてのダイナミズムを信じる」というのは、「ラブライブ!」が無印時代から「信じてきた手法」です。

だからこそ、この先のシーンは「嘘か真実か」ということは抜きに、楽しんだ人の勝ち...という気もしています。

 

■開かれる校舎

千歌がたどり着いた校舎。

何故か開いている校門。

あの日涙ながらに閉じたはずの場所が「開かれている」。

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校舎を巡り、「閉じ込められてしまったもの」を「開いていく」千歌。

開かれた場所場所で聞こえてくる「声」。

それらは「消える事の無い思い出」を象徴するのと同時に、この場所で閉じ込められていた「過去」が、「未来」へと開かれていくことの象徴なのかもしれません。

千歌たちがこの場所に「閉じ込めよう」としたもの。

それは「過去」を「輝き」としてこの場所に「閉じ込めよう」とする行為でもありました。

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けれども、「過去」を「現在」や「未来」から切り離すことは出来ない。

全ての「過去」にも意味があり、それらは「現在」とも「未来」とも繋がっていく。

それはAqoursが2期において体験した物語です。

実らなかった旧Aqoursの願いは、実らなかったからこそ今に繋がって大輪を咲かせた。

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ピアノから逃げた梨子が、今もう一度ピアノと向き合えているのは、一度「逃げた」からこそ。

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そして「普通」であることを嫌だと思った千歌の、その「過去」があるからこそ、辿り着けた「現在」がある。

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「過去」は「過去」でしかないけれど、それらは全て切り離されたものではなく、「今」や「未来」へと繋がっていく。

だからこそ「過去」を「今」と切り離して「思い出」として大切にしまっておくのではなく、「今」と「未来」へとつなげるために、常に「開いておく」必要がある。

そうでなければ「過去」には「過去」としての価値がなくなる。

「サンシャイン!!」が2期の物語を通して伝えたメッセージが、ここには結実しているように私には感じられました。

千歌が「泣かない」と決めたのは、「浦の星の思い出」を「笑顔の思い出」として閉じ込めるため。

でも、もう「閉じ込める」必要はないのです。

悲しい気持ちになったのならば、それは「悲しい気持ち」として感じて、「今」へとつなげていけば良い。辛い気持ちも同じ。

それが自然と千歌には理解できたから、彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちるのかもしれません。

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浦の星の屋上へとたどり着いていた紙飛行機。

なぜ浦の星の屋上なのかといえば、それが千歌の放った紙飛行機の「一旦の停止場所」だからなのかもしれません。

あの日願ったものは「浦の星の輝きを永遠に刻むこと」。

その願いを込めて放たれた紙飛行機は、願いを叶えた。

けれど、それで千歌の人生が終わるわけではない。今日ここで拾った紙飛行機を、更なる未来へと向けて投げて行くしかない

それが「人間の生きる在り方」であり、それを「投げ続けること」が、千歌が「輝く方法」なのかもしれません。

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「願う」こと。その「願い」を込めて、「紙飛行機」を投げ続けること。

そして目的の地まで「紙飛行機」を飛ばすために、絶えず「光る風」を起こし続けること。

これはまさしく、サルトルの語った「投企」の概念と結びつきます。

「世界は醜く、不正で、希望が無いようにみえる」 といったことが、こうした世界で死のうとしている老人の静かな絶望だ。 だがまさしく、私はこれに抵抗し、 自分では分かっているのだが、希望の中で死んでいく。 ただ、この希望。これを作り出さねばならない。

ラブライブ!サンシャイン!!深読みコーナー「Dig」① ~ラブライブ!サンシャイン!!と実存主義の冒険~ - Love Live!Aftertalk!

「希望=光る風」を作り続け、自らを「未来」へと「投企」し続ける。そうすることでひとは人生を「輝かせること」が出来る。

やはり、この物語には「実存主義的」な思想が息づいているように思えるのです。 

 「過去」を閉じ込めきれなかった千歌の耳に聞こえてくるのは「普通怪獣」達の雄叫び。

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あの日「今」を変えたくて、それでも変えられなくて、でもそれが嫌で、抵抗したくて。そんな千歌が世界に向けて放った「必死の雄叫び」。

それが放たれた場所も、この校舎でした。

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あの日には無意味だったかもしれないものが、今こうして結実している。

あの日「嫌だ!」と叫んだ思いが、「ラブライブ!優勝」という一つの「結実」へと続いていった。

なんてことない、意味のない「過去」でも、明確に未来へと繋がっていく。

それは千歌の「過去」をも「認める」描写なのではないでしょうか。

体育館に導かれる千歌。

繰り返される第1話のモノローグ。

「普通の私の日常に、舞い降りた奇跡」

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「過去」の言葉が「今」へと繋がっていく。

そして2期1話のシーンへと繋がってもいく。

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「過去」が「意味のあるもの」として「今」へ、そして「未来」へと繋がっていく。

舞台上に待つAqoursのメンバー。

そこには既に内浦を離れたはずの、果南やダイヤ、鞠莉の姿もあります。

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とても現実的とは思えないシーンです。

曜の「夢じゃないよ」が強調するその意図...。

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このシーンが現実なのか、夢なのか。はたまた幻なのか、それは私には分かりません。

けれども校舎の中で開かれていく「トビラ」と、皆からかけられる「一緒に」という言葉からたどり着く文脈は一つだけです。

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いつものセカイが 新しい扉を

(もっと)隠してるの

(Let's go!)ぜんぶ開けたいよ ほらいっしょにね!

それは「青空Jumping heart」の歌詞。

そして歌詞に関連付けるのであれば、ここから始まるのは「My story」です。

ラブライブで優勝することで止まってしまった千歌のストーリーは、ようやくここから「もう一度」スタートしていくのです。

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「ゴールはどこ」だか分からないけれども、「楽しそうな未来」へと向かっていく千歌のストーリー。

それは「過去」を認め、「今」を認めたことでようやく始められるものなのかもしれません。

■WONDERFUL STORIESと青い鳥

体育館から始まり、あらゆる「過去の場面」を繋げて歌われていくWONDERFUL STORIES。

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そこには過去の挫折も成功も、Aqoursの全てが描かれていきます。

起きたこと「全てに意味がある」だけでなく、その全てが「WONDERFUL」即ち「素晴らしい」物語たちであったと捉える。

「過去」全てを「素晴らしいもの」として捉えていくことで、「未来」を描ける。

それが端的に歌詞へと反映され描かれていく。

これまでの物語をはっきりと総括させる素晴らしい楽曲です。

千歌が気付く、ずっと探していた「輝き」の正体。

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それは元から自分が持っていたもの。

「輝き」を追い求めて、過ごした時間。

足掻いて、足掻いて、負けて、泣いて、それでも足掻いて。見えない「輝き」を掴もうともがき苦しんだ、過ごした時間の全て。

それこそが「輝き」。

千歌の気づきに重ねられるように歌われる歌詞。

「青い鳥(探してた) 見つけたんだ(でも)
 カゴにはね(入れないで)自由に飛ばそう(Yeah)」

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「青い鳥」という寓話があります。

元々はメーテルリンクが大人向けの寓話として作った作品。

今広く知られているのは、その物語を童話として作り直したものです。

元はこんなお話です。

昔々、あるところに、チルチルとミチルという貧しい兄妹がおりました。
そんな兄弟の夢の中に、ある日ひとりの老婆が現れ、こう言います。
「実は、どんな願いでも叶えてくれる青い鳥が存在するのだよ。
それさえ見つければ、足の悪いお隣さんだってたちどころに治ってしまうんだよ。」
その言葉を受けて兄妹は、青い鳥を探す大冒険に出かけます。
しかし青い鳥はどこにも見つからず、ふたりは打ちひしがれて家に帰ってくるのです。
なんとそこでふたりが見たものは、昔から飼っていた、
どこにでもいるような茶色い鳥が、見る見るうちに青い鳥に変わっていく光景でした。
チルチルとミチルは、「青い鳥はここにいたんだ!」と喜びます。
タイミング良くやって来た足の悪いお隣さんに青い鳥を抱かせてみたら、
なんと本当に足が治ってしまったではありませんか。
ふたりはますます興奮して、この青い鳥には何を食べさせようかと鳥の取り合いを始めました。
すると……青い鳥はその隙をついて、空高く遠く遠く飛び去ってしまったのです。
チルチルは虚空に向けて呟きます。
「誰か、あの鳥を見つけて、僕たちのところへ返してください。
僕たちが幸せに暮らすためには、あの青い鳥が必要なのです。」

本当に求めている「幸福」はすぐ近くにある。

けれど人はそれにそう簡単には気づかない。

そして見つけた「幸福」を「永遠のもの」にしようとしてはいけない。

そうしようと願った瞬間に、「幸福」は自分たちの手元が逃げてしまう。

そんな「寓意」を伝える物語が「青い鳥」です。

この物語はそのまま千歌にも反映できます。

「輝き」を追い求めて旅をした千歌。

様々な試練の先にようやく「輝き」は自分の中にあることに気付きます。

「青い鳥」ではその「輝き」を自分達のもとに「留めよう」とする。

しかし千歌はその物語とは別の行動をとります。

チルチルが「永遠」にしようとしてしまったものを、千歌は自らの意思で解き放つ。

手に入れた「ラブライブ!優勝」や「学校の名前を永遠に刻む」という物事そのものに「輝き」を見出すのを止める

これらはこの先の未来へと繋がっていく「一瞬の輝き」に過ぎず、それを後生大事に守り続けるものではないと捉えなおす。

だからこそ、閉じられた校舎を開き、閉じ込めようとした「輝き」を解き放つ。

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その行動に「青い鳥を自由に飛ばそう」という歌詞がかかっているように思えるのです。

「青い鳥」の寓話でも、青い鳥は捕まえた場所から外に出すと、羽の青さを失ってしまいました。

Aqoursが「青い羽根」を目視するときも同じ。

「輝き」が現れた「瞬間」にしか、青い羽根は目視できず、それらは時が経てば消えて行ってしまうのです。

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芝生で歌い踊る時、彼女たちの背景に映る虹。

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それは過去の雨があって初めてかかるもの。

即ち「過去」を受け入れることによって見る事の叶う「奇跡」です。

「全てに意味がある」

これは前回12話でも描かれたもの。

Aqoursはそれを受け入れることによって「勝利」することが出来たわけですが、千歌はその先を描き切れていなかった。

だからこそ、今回千歌個人が自らの「過去」を受け入れ、「今」の価値を信じ、「輝く」ということの意味を知る必要があった。

Aqoursの物語はこれで一旦のお終いとなりますが、千歌の、そしてメンバーそれぞれの人生は続いていく。

「過去」を切り離すものではなく、「未来」へと繋がっていく「意味のあるもの」として描くために、今回の物語は必要不可欠なものだったように思えます。

 

■幕間(まくあい)

WONDERFUL STORIESの終わりと同時に閉じられる幕。

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この幕に「閉じられた世界」を感じた方も多かったかもしれません。

けれども僕はこの幕が「終幕」を意味するものとは思えません。

舞台には「幕間」というものがあります。

「場」が終焉し、その後の「場」に繋ぐために一旦幕が下りている状態を指す劇場用語です。

今回下りた幕は、その「幕間」の幕のように思えるのです。

何故かって?

だってまだカーテンコールが聞こえないからです。

素晴らしい舞台、物語に贈られる観客の拍手。

それに応えて出演者が姿を見せるカーテンコール。

主観こそあれ、「ラブライブ!サンシャイン!!」はそのカーテンコールに相応しい作品だったと思います。少なくとも僕はそう捉えます。

だとすればそれが無いのはおかしな話です。

となると、この幕は、次の「場」が展開されるまでの「幕間」に過ぎません。

幕が下りると同時に告げられた「完全新作劇場版」の告知。

これは正しく次の「場」の予告です。

次の「場」があるのであれば、ここではカーテンコールはかからない。

これは勝手な妄想ですが、次の劇場版では軽快な音楽と同時にこの幕が開くのではないかなと予想しています。

音楽はもちろん「One more sunshine story」です。


【試聴動画】「ラブライブ!サンシャイン!!」TVアニメ2期Blu-ray 第1巻特装限定版 封入特典・録り下ろしAqoursオリジナルソングCD①「One More Sunshine Story」

あの軽やかで豪奢なメロディーに乗せて、千歌がステップを踏み、新しい「サンシャイン!!」の物語をここから「もう一度」紡ぎ始める。

そんな素敵な瞬間が、もう既に僕の脳内では展開されています。

「確かめたい 未来は見えないからときめくね」

果たしてどのような物語が描かれるのか、全くの未知数ではありますが、それまではその物語が終えた後に起こすカーテンコールに備えて、この素晴らしい全26話を改めて見直していきたいと思っています。

 

酒井監督はじめ製作スタッフの皆様。

そしてもちろんキャストの皆様。

更に作品を支えて下さった沼津の皆様。

素晴らしい「輝きの物語」を本当にありがとうございました。

まずは「幕間」ではございますが、感謝の言葉にて本稿を締めさせていただきたいと思います。


■読者様へ

今回をもってサンシャインの物語考察記事は一旦「幕間」となります。

これまで毎週の拙い文章をお読みいただくだけでなく、言葉をかけてくださり、非常にありがたかったです。

ブログを始めた当初は反応もほとんどなく、壁に向かって話しかけているような気持ち(笑)。
もちろん、それでも「やりたいからやっていた」わけですけど。

今は様々な方から読んだ後に感想を頂いたり、存外なことにお褒めの言葉を頂いたり、
とても嬉しいことばかりあります。

これも全ては「ラブライブ!」そして「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品のもつ深さと素晴らしさのおかげです。

皆様に感謝をさせていただくと同時に、やはり作品にも感謝をさせていただきます。

ラブライブ!」ありがとう。

僕はあなたに日々生かされています。

さて、これからはまだまだ書きたいネタもあるので、それを不定期ではありますが、更新はしていきます。

恐らくTwitterの方には頻繁に出没すると思いますので、「こいつに一言物申す!!」という方はフォローしてやってくださいませ。。(@tamashiill)
(あんまりキツイお叱りはご勘弁を。。メンタル弱弱マンですゆえ)

それでは、長々とありがとうございました。

次は...物語総括??

それとも「二期予想記事応え合わせ篇??」

ま、なんにせよそれほどタイムラグはなく更新すると思いますので、何卒よしなにm(__)m

~すべてに「意味」があり、すべては「許されている」。~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第25話(2期12話)「光の海」

皆様こんにちは、そしてこんばんは。

いよいよ2期もクライマックス。

今回は2期12話「光の海」に関して書かせていただきたいと思います。

もはやアニメ本編を見て、そこで感じたことが全てだと思いますし、特にお話することも無いのですが、ここまで毎回続けてきてしまったので書かせてください、すみません(笑)。

また、細かい楽曲に関する考察とか、しいたけに関するあれこれは、2期終了後に別枠にて書かせて頂こうと思っておりますので、今回は割愛させて頂こうと思います。

こちらもすみませぬ。。

ということで前置きはそこそこに参りましょう。

#12「光の海」です。

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■東京と「成長」

ラブライブ決勝出場のため、3度目の東京へとやってきたAqours

前回は路線図にトラウマを喚起されたダイヤでしたが、今回は錯乱しません。

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「勝利祈願」のために訪れる神田明神

境内へ続く、長い男坂。そんな階段も前よりもずっと楽に上れます。

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果南が告げる「成長って気付かない間にするもの」という言葉。

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今回は1期7話や12話との比較描写を軸に、彼女達の「成長」がはっきりと描かれていき、そこがメインストーリーとなっていきます。

 

■お祈り
決勝を前に神田明神で願掛けをする。

これは明確に「ラブライブ!」2期12話「ラストライブ」を踏襲した流れです。

μ'sはあの日願い事を「口にしなかった」。けれども全員の「願い」は一致していると穂乃果が断言したように、「口にせずとも伝わる思いや願い」に、彼女達の「結束力」と「連帯」そのものを象徴させてみせました。

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反面Aqours願いを口にします

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青空Jumping Heart」の「伝えなきゃ 伝わらない」という歌詞と同じく、1期では「伝えなかった結果すれ違っていく」物語を続けたAqours

そしてその経験から2期では「想いを口にして」「自らの行動で叶えていくこと」。

すなわち「自分達の手で叶える必然」に重きをおいてきたAqours

このように「願いを口にして」「叶えていく」という部分にも、彼女達ならではのイデオロギーを感じました。

また、その「願い事」が「バラバラ」であることにも意味があるように感じましたが、この辺の要素は追って考えていきましょう。

 

■優勝祈願

浦の星の生徒たちによって書かれた無数の「Aqoursラブライブ優勝!」を祈願する絵馬。

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千歌たちには内緒で、何度も願掛けに訪れていた生徒たち。

その思いは自分達を後押ししてくれると同時に、少しだけプレッシャーにもなります。

また同時に示される無数のスクールアイドルたちの「優勝祈願絵馬」。

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神田明神は全てのスクールアイドルにとっての聖地。当然ここにはスクールアイドル全ての「夢」や「願い」が集約していきます。

「私達だけじゃない、みんな勝ちたくってここに集まっている」

「勝ちたい」という願い。それはAqoursだけではなく、全てのスクールアイドルも同じ。そして描かれていないだけで、それぞれにそれぞれの「ドラマ」がある。

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今まで「ラブライブ!」では意図的に外されてきた「他のスクールアイドル」という要素。そこにもしっかりと目を向けたところが「サンシャイン!!」の白眉たる所以だったと思うのですが、ここにもその視点がしっかりと生きています。

「勝ちたい」と願う事の「意味」。その願いの背景にある「重み」。

それを実感することで、次第にその「プレッシャー」をも感じるようになる千歌。

そんな千歌に向けて、今回の物語における「課題」を与える人物がやって来ます。

 

■誰の為に勝つのか。

それはもちろんSaint snowの二人。

いまや盟友となったAqoursを応援するために、わざわざ北海道から駆け付けてくれました。

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この境内はAqoursSaint snowにとっても「始まりの場所」です。

過去と同じ舞台設定・登場人物に「現在の視点」から会話をさせるだけで、人物・物語それぞれの「成長点」を端的に示すことが出来る。よく整理された構成だなと感じました。

最初に会った時には「なんて頼りない」と思ったAqoursが、今は「頼もしく」見える。最大のライバルから与えられる最大級の賛辞。Saint snowは「スクールアイドル」に関しては最高レベルの審美眼として機能する「他者の視線」。そんな彼女達から与えられる評価を通して、どうしてもAqoursに入れ込んでしまう我々も、改めてAqoursを「客観視」することが出来るようになっています。

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(理亞からルビィに告げられる「また一緒に歌おうね」で死にそうになりました。)

彼女達から与えられるのは「承認」だけではありません。彼女達が志半ばで終えた夢。Aqoursはその「担い手」にもなっている。だからこそSaint snowにとってもAqoursには「勝利」して欲しい。だからこそ「叱咤」も与えられる。

聖良から語られる「問い」。それは1期12話で千歌が聖良に訪ねたこと。

「勝ちたいですか?ラブライブ

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1期12話とは反対に聖良から与えられる「謎かけ」。

1期12話時点では「勝つ」ということに関して問答を繰り広げた両者。しかし2組はその後平等に「敗れ」、改めて「勝利」するだけでは得られない「輝き」を知り、その正体を追い求めていきました。

その道すがらSaint snowがまさかの予選敗退。活動終了を余儀なくされる中でルビィと理亞が一念発起。「敗北」イコール「終了」ではなく、その後からでも掴める「輝き」があることを表現。そのおかげで聖良は「勝利すること」だけでなく「敗北すること」にも価値があることを知ることが出来たわけです。

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 1期12話時点では「勝利する事」にしか「価値が無い」と断言していた聖良。

そしてSaint snowに「勝ちたいですか?」と聞くほどに「勝利」への意識が希薄だった千歌。

そんな両者の立ち位置が、「ラブライブ決勝」を前に「入れ替わっている」。

千歌が境内で感じた「プレッシャー」。その結果彼女の中に芽生えている「勝たなければ意味がない」という思考。千歌の様子から、それを敏感に感じ取った聖良。彼女はそれが果たして「正しいものなのか」を千歌へと問い直すべく、あの時自分が受けた「問い」を千歌へと返すのかもしれません。

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「勝利したい」という願いは当たり前として、「勝利する」だけでは得られない「輝き」がある。そのことを知るからこそ、「誰の為に勝利したいのか」とも聞く。

この「問い」は千歌を再び「迷い」へと誘うことになるわけですが、同時に千歌にとって改めて「自分を見つめ直す」きっかけにもなっていく。

物語を通じて「一緒に頑張ってきた」仲間として、聖良が大切なメッセージを伝える。ここにも2期12話が語りたいテーマの一端が見えるような気がします。

 

■旧Aqoursが救うもの

東京へは前乗りのAqours

宿泊する宿は1期7話と同じ宿です。

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ここでは1期7話を思い起こさせる描写が続きます。ただし前回と違うのは、3年生がいること。

花丸の「バックトゥーザぴよこ万十Part2」は鞠莉に食べられ...。

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机の上に乗り、ご機嫌な善子。前回は梨子にたしなめられましたが、今度は「ちゃんとしている」ダイヤに叱られたり...。

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楽しくもわいわいと時間を過ごしていくメンバー。

しかし同時に「同じ宿」が呼び起こす「トラウマ」もあります。

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勇んで出てきた東京で突きつけられた「0」。

その「0」がどうしても脳裏をかすめてしまうのです。

不安になる「新Aqours」の6人。そんな6人を励ますのは、あの時いなかった「旧Aqours」の3人。

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「ダイジョウブ!」

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「信じましょう。今までやってきたことを」

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「少なくとも私はどこにも負けないって思ってるよ」

あの日いなかった3人だからこそ語れる「自信」。そこには積み重ねてきたものに対する自信と、年長者としての自覚も見え隠れします。

ただし、それでも「払拭」出来ないものもあって...。

 

■「勝ち負け」のない戦い

聖良の問いかけに応えるべく、「誰のために勝ちたいのか」。その答えを探す千歌。

彼女は「勝利する理由」を「浦の星の名前を残す」という部分に見出してしまいます。

ただし、そこだけにAqoursが「ラブライブ」で「優勝する」ことの意味を集約してはいけない。それは千歌本人が一番よく分かっているはずのこと。

そんな千歌の「真意」を現在の曜は瞬時に察知することが出来ます。

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千歌の迷いを晴らすため曜が持ち込むのは「勝敗のない戦い」

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ラブライブ!」でまくら投げといえば、ラブライブ!」1期10話「先輩禁止!」が思い出されます。

あの回では、どうしても他人に対して壁を作ってしまう真姫を「仲間」へと引き入れるため、「能力」や「才能」とは関係のない「勝敗の無いゲーム=まくら投げ」へと真姫を引き込む...そんな役割を持って使用されました。 

ishidamashii.hatenablog.com

 「まくら投げ」とは、厳密なルールのない、即ち「勝敗の無いゲーム」です。そこには純然たる「楽しさ」しかない。

曜が千歌に対して「まくら投げ」を仕掛けた理由は不明ではありますが、恐らくは、勝敗にこだわるあまり本質が見えなくなっている「スクールアイドルを始めた元来の理由」を思い起こさせるためなのかもしれません。

「勝敗」とは関係なく「楽しそう」だから、そして実際に「楽しかったから」こそ続けてこれた「スクールアイドル」。その原点に千歌を引き戻すための行動のように思えるのです。

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かくして一旦あやふやになった「誰の為に勝利するのか」という議論。千歌はこのリセットを通じて、改めて自分と向き合う時間の必要性を実感するに至ります。

余談ですが、そんな「勝敗のない」ゲームにも関わらず、やはり「勝敗を決しよう」とする3年生ズからは、凄まじいまでの「勝負への執念」を感じると同時に、未だに不明な「旧Aqours」の活動実態とその「ストイックさ」も感じ取れますね(笑)。

 

■それぞれが向き合うもの。

「戦い」が終わり。改めて冷静に「自分と向き合う時間」が必要と悟った千歌。

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各々にも「同じ時間」が必要なのでは?と感じ、当日は現地集合とし、それまでの時間を「自由時間」とすることにします。

物憂げな梨子に「音ノ木坂に行きたかった?」と尋ねる千歌。

どうやら梨子は音ノ木坂で何か「忘れもの」を取り戻す必要がありそうですが。

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以前までだったら「全員で行こう」と提案していたはずの音ノ木坂行脚。

しかし今回千歌は梨子に同行しません。他に「行きたい場所」があるのでしょう。

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1期12話では全員で行った音ノ木坂。

μ'sから受け取ったもの。その気づきを与えてくれたことへの感謝を告げることに、あの時は全員で音ノ木坂へ行く意味がありました。

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けれど今千歌にとって音ノ木坂は大事な場所ではありません。

また梨子以外音ノ木坂に行くキャラクターがいないように、今や千歌や他メンバーは「μ'sの呪縛」から解き放たれているように思えます。

梨子が音ノ木坂に向かう理由はとても個人的なもの。

それもまた、「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語においては重要な出来事なのだと思います。

 

■梨子が向き合うもの

音ノ木坂の音楽室でピアノを紡ぐ梨子。

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音楽特待生として入学しながら、その期待に全く応えられなかった梨子にとって、音ノ木坂は「大好きだった」音楽を「嫌いになる」きっかけになってしまった場所。

それ故に、音ノ木坂では一度として「楽しい」気持ちでピアノを弾けなかったのではないでしょうか。

しかし、内浦でAqoursとして活動する中で、蘇った音楽への渇望。

それが莉子にピアノへの「愛情」を蘇らせ、そして遂に音ノ木坂で「楽しく」音楽を奏でるという「願い」を成就させました。

彼女を「救った」ものが何なのか。それはもちろん「スクールアイドル」としての活動でしょう。

「スクールアイドル」との出会いが蘇らせた音楽への渇望。そして音を奏でる「喜び」。

ピアノを始めた頃「空を飛んでいるかのような」無敵感を味わえた自分に立ち戻り、その「最強の自分」として音ノ木坂でピアノを奏でる。

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これこそ、彼女が音ノ木坂にしてきた「忘れ物」なのでしょうね。

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奏でている曲が「海に還るもの」なのか「想いよひとつになれ」なのかは分かりません。もしかしたら両方の曲の「ミックス」なのかもしれません。

彼女に挫折を味あわせた「海に還るもの」。この楽曲を彼女が弾けるようになるまでの物語が、TVアニメ1期のハイライトでもあったわけですが、Aqoursの存在によってこの曲は完成し、ピアノコンクールで完奏することによって、彼女は無事「過去のトラウマ」を払拭するに至りました。

だからこそ彼女は「海に還るもの」を編曲し、Aqoursへのプレゼントとしました。

自分が唯一参加していないAqoursの楽曲。そこに「想いよひとつになれ」というタイトルをつけ、Aqoursに渡すことは彼女からの最大の「感謝の印」でもあるのです。

また、この楽曲と苦闘した場所である、「音楽室」でその曲が紡がれることは、過去の「苦しみ」が「喜び」へと「変化」していくことの象徴でもあります。

すなわち過去の「苦しみ」もまた「喜び」を生み出す為の「糧」となること。

今回の大きなテーマとなる「全てに意味」があるという考え方。梨子に対して与えられる「救い」は、それを示す役割も満たしているように思えるのです。

 

■勝ちたい理由

千歌がメンバーに聞く「勝ちたい理由」。

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それぞれ「勝ちたい」という願いを持ちながら、その理由はバラバラなのが印象的です。

ここで明らかになるそれぞれの「立ち位置」が、後々の衣装にも反映されているように思えるわけですが、それはまた後程。

 

■たどり着く「始まりの場所」

千歌が「来たかった」場所は、「始まりの場所」でした。

あの日「偶然」吹き抜けた「風」が、自らを「運命」へと導いた場所。

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同じ場所へ現れる曜。

彼女から手渡されるビラ。あの日千歌が見つけた輝きに主体的には関われなかった曜が、ここでは千歌を導く存在となる。曜が「変化」したことを印象づけるシーンです。

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彼女にとっても自らの「願い」を叶えるきっかけとなった場所。

あの時と同じように吹き抜ける風に、運ばれていくビラ。

あの日は独りでそれを追いかけた千歌。今は曜もその隣を駆ける。

それは曜にとっても「願い」が形になっている証拠。

「千歌の視点」を共有できていること。それが曜にとっては一番「嬉しいこと」なのですね。

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曜にも千歌から問われる「勝ちたい」かどうか。

曜が応えるのは「曜の率直な気持ち」。

「勝ちたい」「ようやく一緒に出来たことだから」

そして同時に「曜から告げられる」千歌が隠している「千歌の率直な気持ち」。

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「未来のことに臆病にならないでいい」

未来を恐れたり、結果を求めたりするのは、千歌ではない。

「やりたいからやる」「考える前に願いを形にする」それこそが千歌である。

今までは千歌を「理解したくて」千歌の在り方を肯定し続けた曜。

けれど今は千歌を最大限理解したうえで、肯定出来るようになりました。

ここに曜が「スクールアイドル」をする理由も、それによって「救われている事実」もしっかりと描かれている。そして曜にとって「スクールアイドル」がそれ以上のものではない事実もしっかりと描かれていることがとても素敵だなぁと思いました。

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千歌が告げる「勝ちたい」という気持ち。

それは「誰か」のためではなく「自分」のため。

あの日願った「輝きたい」というある種自分勝手な願い。

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「普通の自分」でも「キラキラ輝きたい」。「輝けるのでは?」という願い。

そこに立ち返る時、千歌はようやく「普通」の、「怪獣」の、自分をも「愛し」「認める」ことが出来る。

「普通」のままで、「人間」のままで、輝くこと。

無慈悲な「運命」と言う名の「神」に挑み続けた彼女の「答え」と「救い」がここにはあるのだと思えます。

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■キセキ

二人の「始まりの場所」へ現れる梨子。

梨子へも問われる問いかけ。

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千歌たちとの出会いこそが奇跡だと語る梨子。

あの日千歌たちにとっての「奇跡の担い手」として登場した梨子が、反対に千歌たちこそが自分に「奇跡」を与えてくれた存在なのだと評価する。

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ピアノから逃げ出した自分を、再びピアノへと引き戻し、その原点となる「楽しい気持ち」を取り戻させてくれた千歌と曜。そして「スクールアイドル」。

恐らく内浦へと引っ越すことが「回り道」になるのだという自覚は彼女にもあって、実際「ピアニスト」としては完全な「回り道」をしてしまったのかもしれません。

けれども、この1年がなければ梨子は「ピアニスト」であることを諦めてしまったかもしれない。だとすればこの1年は、「スクールアイドル」として過ごした時間は、決して無駄ではないはず。

そう思うからこそ、梨子はこの時間を「回り道」ではなくて、未来への「必然」へと変えたいのだと願うのでしょう。

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「だから勝ちたい...。」「ラブライブで勝ちたい!」

「この道で良かったんだって証明したい!」「”今”を、精いっぱい全力で!」

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「心から...スクールアイドルをやりたい!」

これまで一度も明確に表明されなかった思い。

自分を救ってくれた仲間と「スクールアイドル」へ告げられる全力のラブコール。

それは音ノ木坂でピアノを弾くことでカセから解放されたからこそ、発せられる言葉なのかもしれません。

 

■奇跡のもと

千歌が空へとかざすもの。それは「0だった証」。

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あの日0だったもの。これを支えに2期のAqoursは戦い続けてきました。

1期12話では、この「0」を「1」にすることが、彼女達の願いとなり、そしてそれは1期13話でかなうこととなりました。

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けれども「その先」にはたどり着くことができませんでした。

彼女達が信じた輝くための方法。

それは「学校を廃校から救って」「自分だけの輝き」を手に入れること。そして「ヒカリ」になること。

しかしその願いの原点となる「μ'sの神話」は「人の手によって作り出せる必然」ではなく「神によって与えられる偶然」によって為されたもの。それゆえにAqoursにはその「偶然」を再現することは出来なかった。だからこそその方法には「失敗」してしまいました。

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目指した「ヒカリ」にはなれなかった。

「ヒカリ」を目指す中での足掻き。

1を10にして、10を100にしたくて。悩み、迷い、苦しんだ日々。けれども、その願いはかなわなかった。

しかし、だからといってその「悩み、迷い、苦しんだ」時間が無意味になるわけではありません。

その中で得た気づき、願い、「夢」が今の千歌を支えているからです。

普通怪獣であることが嫌だった千歌、が普通怪獣でも「良いのだ」と。

その中で描く「夢」を、「輝き」を信じても良いのだと。

そう気づくことが出来たのは、あの日の「0」があったから。

そしてその「0」を「1」にしようとしたから。

そして、その先を求めたからに他ならないわけです。

正しくあの日の「0」が、千歌に気付きを与える「奇跡のもと」になったわけです。

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「傷付く」のは誰しも嫌だし、怖い。「願いが叶わない」のは辛い。

でも、「叶わない」こと、それは決して悪いことばかりではないのかもしれません。

「無念が願いを光らせる」

これはアカギの台詞でもあるわけですが、生きるという事は常にそういうもののような気がします。

人生とは大概、上手くいかないことばかり。時には信じられないようなひどい仕打ちを受けることもある。けれども、その不遇が人生における「願い」を生み、その「願い」がその人の人生を光らせる。「無念」があるからこそ、人間は「願い」を抱くことが出来るわけです。

そしてそれは「全てに意味がある」という言葉にも繋がります。

起きる事全てに「意味」がある、と考えれば、身の回りに起きる「不遇」も受け入れていくことが出来る。その「不遇」がやがて大きな意味を持って帰ってくるのだと信じることが出来るからです。

今、再び新たな「輝き」を追い求められるのは、あの日の「傷付き」があったから。

「0」を「1」にしたくて、足掻いた日々が「今」の「願い」や「気づき」を与えてくれている。

それを教えてくれたからこそ、千歌は空へと放たれた「0」の紙に「ありがとう」と告げるのかもしれません。

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感謝と同時に別れを告げるのは、もはや「気づき」を得た千歌にはこの「0」は必要ではなくなったから。「0」から「1」へ。そしてその「先」へ進む為のAqoursの最後の戦いが始まるのです。

 

■3年生

アキバドームへと向かう各々。

千歌と曜の二人がその先で梨子と出会う...というように、このタイミングでの出会い方はこれまでのストーリーを踏襲したもの。

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果南とダイヤが歩きだし、鞠莉と出会う。

それは「旧Aqours」の始まり方と同じ。

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「私が書いたことは現実になるんですわよ」

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砂浜に書かれた「Aqours」。それはダイヤにとっては「再結成」へと託した「願い」であり、確かに実現した「願い」でもあります。

ただしその「願いの効果」は有効期限のあるもの。

一度はバラバラになった3人が、ほんの半年だけ一緒になれただけ。

「またすぐにバラバラになってしまうのに」

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果南が言うように、この後3人にはバラバラになる運命が待ち構えています。

けれど鞠莉はそんな果南の言葉を否定します。

「空は繋がっている」

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それに付け足すようにダイヤが告げる「姿は見えなくても」という言葉。

これらは彼女達が一度は「バラバラ」になってしまったからこその言葉。

2期10話でも描かれた通り、ここでも「過去」が「意味のあるもの」として肯定されていきます。

一度「バラバラ」になったからこそ、「もう一度一緒になりたい」という願いが生まれ。

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「バラバラになった時間があった」からこそ、「離れても心は繋がっている」ということを信じることが出来る。

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「全てに意味がある」ことがここにも表現されているように思えます。

 

■1年生

一人で歩いている花丸に話しかける善子。そしてその後隠れていたルビィが姿を現す。これは3人の幼少時代からの出会いの順番の再現かもしれません。

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善子から花丸へと告げられるのは「契約」の話。

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善子にとってはリトルデーモンでもある二人。もしもバラバラになった時には、その「契約」も切れてしまうのでは?善子にとっては大事な「理解者」である二人。それ以上に親友である二人と別れる可能性があるのは「辛い」もの。

しかし花丸は「契約は永遠だ」と告げます。

バラバラになったとしても「契約」は切れない。それは善子が言うまでもなく花丸の中では「確定事項」なのです。

「未来」を愛する少女、花丸。

もちろん想像に過ぎませんが、その「未来への憧れ」の根底にあるのは、善子=ヨハネとの出会いなのかもしれません。

「本の虫」である花丸。

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「本」とは既に書かれたもの。即ち「過去」を示すものです。

そんな「過去」を愛する花丸に「未来=未確定のもの」を「信じる勇気」を与えたのは善子=ヨハネ

彼女が語る「自らの運命を自分自身で決めていく」姿勢に触れた瞬間に、花丸の中に芽生えた感情こそ「未来」へ憧れる彼女の原点であるように思えるのです。

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だからこそ花丸は善子=ヨハネの可能性を信じ、守り続けてもいる。

(常にわざわざ善子と呼んでヨハネと言い返させるのは、その”守り”の一環なのでしょう。)

そしてそんな善子との関係性があるからこそ、花丸は「未来」を信じさせる側にもなれるわけです。

無限の可能性を持ちながら、「未来」への一歩を踏み出せないルビィのために自ら率先して動こうとする。

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それは、「本来の花丸」には出来ない行動のはず。

けれども「未来」を信じる心があるからこそ花丸は行動する。

そしてその「行動」がルビィに「スクールアイドル」という「未来」を与えていく。

「スクールアイドル」の存在によって大きく動き出した1年生ズの運命。

しかし、そのうねりの背景には善子の存在がある気がするのです。

3人はそれ故に、強烈に結びついていて、その関係性の根本には善子がいる。だからこそ花丸は3人の「契約」は切れないのだと総括するのだと感じました。

1期13話では善子のなかの「ヨハネ」を救ってくれた「スクールアイドル」と、そこに招き入れてくれたことに対して、花丸とルビィへ感謝を告げた善子。

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今回は善子に向けて二人から「感謝」が告げられるのは、そんな事情があるからなのだと思えます。

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善子自身、自分が二人に与えている影響と、価値にどこまで気付いているのかはわかりません。
けれども、そんな「無意識のうち」に誰かを救う部分があるからこそ、善子という人は尊いのだとも思えるのです。触れた人に「救い」を与える存在。彼女が信じる「見えない力」は、こうして無意識のうちに親友二人に影響を与え、「救い」を与えているのです。そしてそれは善子=ヨハネにとっての「救い」でもあるのです。

 

■交じり合う一瞬のキセキ

走り出す2年生、続く1年生。最後に合流する3年生。

その動線には、これまでの物語のメタファーがあります。

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指摘されている方がいるように、これは1期13話とまるで同じ構成。

これまでの物語をダイジェスト化し、最後の楽曲へとつなげていくシーンになっています。

スクールアイドルは高校3年間だけに許される魔法。

けれど、仮に各学年3人の構成からなる9人組だとすれば、同じメンバーがスクールアイドルでいられる期間は1年だけ。

それは長い人生の中で考えれば、正しく一瞬交じり合う”刹那”に過ぎません。

けれどもその一瞬に、

終わった瞬間に過去になる「今」に、

全てを注ぐからこそ、その「今」は輝く。

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アキバドームを前に、歩道橋で一瞬だけ交錯する9人。

ライブが終われば彼女達はまたバラバラになっていく。けれどもこの瞬間重なった輝きには、この瞬間にしかない、二度とない眩いばかりの「輝き」と「価値」が込められています。

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アキバドームに重なり眩く光る太陽光が、彼女たちを照らしだす。その輝きこそ、彼女達が求め続けた「輝き」なのかもしれません。

 

■WATER BLUE NEW WORLD

「今は今で昨日と違うよ」

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「明日への途中じゃなく今は今だね」

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「この瞬間のことが」

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「重なっては消えてく」

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「心に刻むんだ WATER BLUE」

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今回の、そして2期で彼女達が得た「答え」が端的に示された歌詞。「WATER BLUE NEW WORLD」には様々な意図が込められているはずですので、この時点でその全貌を読み解くのは難しいかもしれません。ですので、今回はPVから感じたことだけ。

衣装の異なる3組。
様々な捉え方があると思いますが、個人的にはそれぞれのスクールアイドルの「捉え方」が象徴されているように思えます。

ダイヤ・ルビィ・千歌は「スクールアイドルとして道を作れる人」です。

Aqoursを生み出した張本人であり、再結成にも熱意を燃やしたダイヤ
スクールアイドルへの並々ならぬ愛情を持ち、その価値を誰よりも理解している人物です。

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姉と同じくスクールアイドルを愛するルビィ。元々は姉に遠慮してスクールアイドルになることを諦めていたほどに弱気だった彼女が、2期では同じく「スクールアイドルを諦めそう」になった理亞を引っ張り、新しいスクールアイドルとしての道を示して見せました。

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そしてもちろん千歌は自分の中に芽生えた「やりたい気持ち」や「願い」を「信じて」、それを「スクールアイドル」に託して突き進むことが出来るパイオニアです。そんな彼女が作り出した「新Aqours」が多くの仲間を救って見せました。

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曜・果南・善子は「スクールアイドルでありながら、自分自身を大切にしている人」

がスクールアイドルをやっているのは「千歌と同じことが出来るから」という理由で、彼女の中にはそれ以上の感情はありません。もちろん「スクールアイドル」への愛情はあるけれど、先ほどの3人のように今後も「スクールアイドル」として後身を導いていくというような存在にはなるつもりが無い。

確固たる「自分」を持ちながら、スクールアイドル”も”楽しんでいる。そんなスタンスのように思えます。

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果南も曜と似たイメージ。スクールアイドル自体へ熱意を燃やしているというよりも、鞠莉やダイヤと過ごせる時間としての「スクールアイドル」に意味を見出しているように思えます。

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「本当はせいせいしてるんだけどね。やっとこれで終わりなんだって」という千歌への返答はかなり衝撃的でした。

彼女にとっては「スクールアイドル」はやがて「終わる夢」で、自分の夢である「スキューバーダイビングの講師」とはまるで地続きではない。だからこそまったく別物として捉えている。実はこういったある種シニカルな視線で「スクールアイドル」を捉えているキャラクターは珍しく(無印ではことりが近いのかも??)自分にとっては割と衝撃的ではあったのですが、同時にこの作品の「深さ」と「豊かさ」を実感する部分にもなりました。そしてこの段においてようやく果南というキャラの魅力も見えてきたわけですが、これはまたどこか別に語る事といたしましょう。

そして善子。彼女は前二人よりは「スクールアイドル」によって救われた存在です。一度は辞めかけた「ヨハネ」を、Aqoursによって救い上げられたわけですから。けれども彼女はスクールアイドルと出会う以前から「ヨハネ」であり続けた。即ち「スクールアイドル」があろうが、無かろうが「ヨハネ」という存在は居続けたわけです。

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故に彼女も「スクールアイドル」の影響が少ない、確固たる「自分」をもった存在であると考えられます。

そして楽曲のメインとなる、花丸・梨子・鞠莉。

彼女達は「スクールアイドルによって救われた人」です。

千歌による「スクールアイドル」への誘いが、「図書館」以外の場所へ歩みを進める可能性をくれた、だからこそ千歌に「ありがとう」と感謝する花丸。

「未来」を愛し、望みながら、そこへと進む前に足踏みしてしまっていた彼女を、そのものずばり「未来」へと歩ませたスクールアイドルは、花丸にとっての「救い」でしょう。

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本来は「学校を統廃合にしてしまった理事長」としての汚名を受けるつもりだった自分に、「学校の名前を未来へと託していける可能性」と「その担い手」としての役割を与えてくれたAqours

また本来は終わってしまうはずだった幼馴染との関係を、救ってくれたのもAqours

2期10話・11話によって鞠莉は、Aqoursによって「救われた」人物です。

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そして先ほども触れたように、最も大切だった「音楽」と「ピアノ」への渇望を「スクールアイドル」によって蘇らせてもらった梨子。

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彼女にとって千歌たち、そしてAqoursとの出会いが、「復活」への「奇跡」であり「軌跡」でもありました。

このように衣装によって分かれているように見えるそれぞれの「Aqours」としての「在り方」。これはこれまで「心が一致すること」に重点を置いてきた「ラブライブ!」とは明らかに異なる視点。

3者3様それぞれの「在り方」で、「スクールアイドル」と向き合って、それぞれの「答え」と「充足」を得て行けば良い。ここからはそんな「サンシャイン!」ならではの「多様性」を認める「豊かさ」を感じ取ることが出来るのです。

「たどり着く方法は一つではなくても良い」し「様々なやり方・あり方」があって良いはず。

無数のスクールアイドルそれぞれの「夢」。やり方が異なるSaint snowの「夢」。

全てに「意味」も「価値」もあると語る。

あらゆる価値観もあり方も肯定する。

だからこそ、この12話を見て「救われた」と感じる方が多かったのではないかなと思います。全てに「意味」があって、全てが「許されている」。

ラブライブ!サンシャイン!!」という作品が持つ「深さ」の真骨頂がここにあるように思えます。

 

■青い羽根

花丸・梨子・鞠莉のスカートは、青い羽根へと変化していきます。

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白い羽根は「希望」を象徴するものであり、誰の傍にも常に舞っているもの。

反面それは気づいた人にしか見えないものでもあります。

これは酒井監督が「オフィシャルファンブック」で語っていた事。

3人にとってもそれは同じで、自分の周りにある「白い羽根」に彼女達は気づけなかった。
そんな彼女達が「羽根=希望」の存在に気付けたのは、Aqoursの存在があったから。

故に彼女達は風を起こして、羽根をAqoursの色へと変えていくのかなと感じました。

また、この羽根の色は「WATER BLUE」と表現されているわけですが、本来「WATER=水」とは「無色透明」なもの。

水の色を「青」だと認識するのは、我々人間だけです。

本来は存在しない概念を、人間の認識によって「意味のあるもの」へと変化させていく。

これも作中で何度も用いられたモチーフです。

「無を何も無いのではなく、無という状態がある」と考えるのも、

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「雨を嫌なものだと感じるのではなく、雨が無ければ虹がかからない」と考えるのも、

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「死にゆく流れ星に願いを託して、"死するもの"に"希望"という意味を与える」のも、

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全て人間だからこそ出来る「認識の変化」でもあります。

そしてそうやって人間は、「全てに意味」を与えていく。

そうやって「必然」を作り出していく。

世界は偶然に満ちているけど、そこに「必然」を意図的に生み出す。

「偶然」を「偶然」として受け入れるのではなく、意図的に「必然」としての意味を与え、自分の手の内に入れていく。

そうやって「偶然」と戦い続けることに、人間の生きる「価値」がある。

ラブライブ!サンシャイン!!は「神にあらがう人間の物語」なのだと2期1話でも考えましたが、「青い羽根」にもそんな「人が生み出す必然」と「その価値を信じた彼女達の物語」が集約されているのかも...と考えました。

 

■千歌の髪型 

毎度おなじみ「千歌の髪型に真剣」のコーナーですけども(どんなや)。

今回の「WATER BLUE NEW WORLD」での千歌の髪型も印象的でした。

これまで「願い」のクローバー、「勇気」のリボンのどちらかは衣装内でも髪に着けていた千歌。しかし今回は髪飾りは一切なし。まっさらな千歌そのものとして舞台に上がっていました。

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「自分そのもの」を認めることが出来た今、彼女には「お守り」はいらない。真っさらな自分そのものとして舞台に上がることが出来る。ここからはそんな千歌が得た「救い」を実感することが出来ました。

千歌ちゃん推しの皆様。もう大丈夫です。彼女は救われました。

 

ということで、なんとも残念なコーナーでこのマジメな記事を締めたいと思います。

ホントはもう少し触れる部分もあると思いますが、そのあたりは最終回が終わってからじっくり取り組もうと思います。

今回もクソ長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

さて、2期のリアルタイム記事が書けるのも残り1回。

最後まで皆様と一緒に、彼女達の物語に「泣いたり、笑ったり」したいと思います。次回もよろしくお願いいたします。