Love Live!Aftertalk!

妄想をただ書き連ねる覚書。更新情報等はTwitterにてお知らせしております。

いつだって、今いる場所から走り出せる ラブライブ!サンシャイン!!2期開始に寄せて

f:id:ishidamashii:20170917000426j:plain

 

なんとなく、何かを「失っている」。ふとした拍子にそんな気分になることはないだろうか。

この正体のわからない「喪失感」が、もしかしたら個人的な感覚ではなく、時代に共通してある感覚なのではと思ったのは、昨年ヒットした2本の日本映画にその感覚が共有されていたから。

一つは君の名は。

この作品の主人公二人は、正体のわからない「喪失感」を抱えて日常を生きる若者。物語内ではそんな「喪失感」が、「恋愛」にシンボリックに置き換えられて表現されていた。更にはSFを用いた壮大なスケールの物語へと発展していったわけだけど、その根幹にあるのは「生まれながらに何か大切なものを忘れている(失っている)のでは」という感覚だろう。

もう一つはシン・ゴジラ」。

戦後日本が築き上げてきた「虚栄」を「ゴジラ」という「止めようのない災厄」が容赦なく破壊する。そんな徹底的に破壊され尽くした焼け跡の中から、失っていた「何か」が浮かび上がる。残された人々は「それ」を頼りにもう一度立ち上がり、戦いと復興に挑む。「フィクションと現実とが絶妙にクロスする」なかで、「現実でもこうあってほしい」というある種の「願い」が表出するこの作品の背景にも、現代社会に対する「喪失感」を強く感じる。

 

そんな2つの作品が公開された2016年にラブライブ!サンシャイン!!」は放送開始された。

本作の主人公=高海千歌も、やはり「喪失感」を抱えた少女だった。

自分のことを「普通星人」と呼び、自分の住む沼津・内浦を「ここには無いもない」と考えている少女。そんな彼女が出会った「スクールアイドル」。そして「μ's」。そこには自分と同じような「普通」の少女たちが、「スクールアイドル」として活動する中で「キラキラと輝く」現実があった。

この出会いが彼女の中の「何か」を変えた。

「スクールアイドルになりたい」

「μ'sのようになりたい」

かじり聞いただけだと、確かに不純な動機に聞こえるかもしれない。けれどもこの思いの根幹には「輝きたい」という、ただただ純粋な「願い」がある。

そんな純粋な「願い」は同じような「喪失感」を抱えた仲間を救い、やがてそれは大きな輪へと広がっていく。

彼女達は「願い」によって自らの視点をも変化させる。「何もない」と思っていた場所には元から「全てがあった」ことを知る。「願い」の果てに傷付いたとしても、新しい「願い」を胸に立ち上がることが出来る。そしてラスト。一つの大きな「答え」を手にする。それは「願い」を形にする方法。「輝くこと」と「その意味」を知った彼女たちは、間違いなく「願い」を胸に「喪失感」を超越してみせた。

もしもAqoursの物語があなたの胸を打ったのだとしたら、それは彼女たちの物語が他人事ではなく「あなたの物語」だからだ

この「喪失感」に支配された世の中で、生きていくことはとても息苦しい。でもひょっとしたら、ほんの少しの「勇気」と「願い」があれば、何かを起こせるかもしれない。どうしようもない「今」を変えられるかもしれない。

もちろん「大きな変化」には至らないかもしれない。けれども「変えたい」と「願う」ことで「自分の中の何か」が変わる。それがきっと「大きな変化」に繋がると信じる。僕らもまたそう信じたいからこそ、この物語に強い共感を覚える。そんな気がして仕方ない。

2期で果たしてどんな物語が描かれるのか。それこそ全く未知数だけども、「輝くこと」の意味を知った彼女たちの行く末は、とても希望に満ちている気がする。

「勇気を胸に」輝ける「未来」へと走り出す「物語」。

そんな「彼女達の航海」を、今一度見つめることが出来るのは、こんな時代だからこそとても幸福な事だと思う。

最後に尊敬する映画監督の言葉を拝借して。

生きることが、人間らしく幸せに生きることが
どんどん難しくなっていくこの時代。
しかし若者たちよ、夢をもってほしい。
きみたちは未来に生きる人たちだ。
その未来を、きみたち自身の夢でつくってほしい。
できるよ。きっとできるよ。
それを信じて、夢をもて。希望をもて。
あきらめるな。夢をもて。
これから生まれてくる子どもたち、
その父となり、母となるきみたちを、
僕は心から誇りに思うよ。

大林宣彦