Love Live!Aftertalk

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「小さな世界の小さな気付き。しかしそれが”僕たちの神話”になる」ラブライブハイライト!11話~13話考察

こんにちは、あるいはこんばんは。

今回はラブライブ1期にとって、そして「ラブライブ!」という作品を語る上でもとても大事な11話~13話をお送りします。

と、いうのもこの1期終盤に起きた出来事をかみ砕けるかどうかで、「ラブライブ」という作品そのものの評価自体も大きく変化するからです。

そもそも私自身がラブライブをマジメに考察し始めたのも、1期終盤の「ことり留学プロット」の意図が「分からなかったから」なのです。

しかしこの演出の「意図」や「意味」を考察し、考える事が「ラブライブ」という作品への理解に繋がり、結果として「この作品舐めてはいかんな...」という考えに直結し、このブログの作成にも繋がっていたりするわけです(笑)。

そんなわけでここは個人的にも気合を入れて書いていきたいところ。

ここしばらくどのように書いていくかで悩みましたが、今回はストーリーを追いかけてきたこれまでとは少し「方式」を変えて、この3話の間に起きるトピックに焦点を当てていきたいなと思います。その中でそれぞれのシーンや演出の意図なんかに触れつつ、シナリオの構造を考察していければなと。なるべくシンプルにまとめるつもりではおりますが、長くなったらゴメンナサイ。。

※注 当ブログの考察はあくまでも私個人の考察です。公式な見解ではありませんので、予めご了承ください。また、当ブログの性質上、あくまでも「脚色や演出の意図」「寄って」考察するきらいがあります。私個人の見解として「シーンやセリフの整合性」などは「軽視」する傾向もありますので、そちらも予め含みおきくださいませ。

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■1期終盤を読み解くトピックス■

①何故穂乃果は「失敗」し「停滞」するのか?

・「リープ・オブ・フェイス」の功罪

ラブライブ出場に燃える穂乃果。現在の順位は19位。はっきりと出場を見据える位置につけています。

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ファーストライブこそ上手くいかなかったものの、その後は順調に成長を続けてきたμ's。その先頭には常に「穂乃果」の存在がありました。

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彼女の姿勢を表現する言葉があります。

「見る前に跳べ」=「リープ・オブ・フェイス」。19世紀、デンマークの哲学者キェルケゴールによって提唱されたと言われている哲学。今は主に「宗教用語」として使われることも多い用語ですが、穂乃果はこの思想を「体現」してきた存在でもあります。

町山智浩氏の著書、「映画と本の意外な関係!」(インターナショナル新書)では「リープ・オブ・フェイス」に関してこのような解説があります。

宗教は不条理や非合理性に満ちている。理性と論理で考えたら信じるのは難しい。しかしキェルケゴールは「不条理ゆえに我信ず」と言い切り、信仰に飛び込むと決意した。(中略)「リープ・オブ・フェイス」は盲信(Blind faith)を正当化する考えとして批判される一方、最初の実存主義的な宣言ともされている。キェルケゴールはたまたまキリスト教徒として信仰を選んだが、そうでない人間にとっても論理を超えて飛躍すべき瞬間はあるはずだと。考えているだけでは何も始まらない。イチかバチかで行動しなければ人は変われない。(以下略)

まさしく「明確な成功が約束されている」わけではないのに「スクールアイドル活動」へと「飛躍した」穂乃果。彼女のそんな姿勢がμ'sの活動を引っ張り、成功に導いてきました。故にμ'sメンバーの穂乃果への信頼は揺るぎないものです。そしてその信頼を一心に受けた穂乃果は更に「飛躍」を続けていくことになります。

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しかし、そこには当然「落とし穴」があります。上記の町山氏の著作には以下のような指摘もあります。

アメリカの作家エドガー・アラン・ポー神秘主義的な詩や小説を書く一方で超越論に反発し、それを批判して「悪魔に首を賭けるな」という短編を書いた。その映画化が、オムニバス映画「世にも怪奇な物語」(67年)の第3話、フェデリコ・フェリーニ監督の「悪魔の首飾り」である。

イギリスの俳優ダミット(テレンス・スタンプ)がイタリアにやってきた。(中略)酒に酔った彼はギャラ代わりにもらった真っ赤なフェラーリのオープンカーに乗って真夜中の高速道路に飛出し、工事で道路が途切れた場所まで突っ走る。そこで手毬をつく少女に出会う。彼女は悪魔だった。ダミットは悪魔と賭けをする。途切れた高速道路を車でジャンプして反対側に着地できるかどうか。見事にジャンプに成功する。ただ、ダミットには途切れた部分に水平に張られたワイヤーは見えなかった。(中略)人生には自分を信じて飛躍すべき瞬間が何度かある。ただ、賭けである以上、負けることもあるのをお忘れなく。

「飛躍」が「賭け」である以上、「リスク」もあり、それ故の「代償」を支払わなければならない可能性もある。「ラブライブ」という作品は一貫して「リープ・オブ・フェイス」の価値を訴える作品ですが、その哲学を提唱する以上、上記が「盲信」へとすり替わらないような「バランス感覚」も必要になります。故に穂乃果には「飛躍」に対しての「リスク」も体験させる必要があるわけです。

「目標」のため、「飛躍」を「盲信」する穂乃果。彼女は文字通り「盲目的」になっていきます。ライブの準備のためオーバーワークと分かっていながらトレーニングを繰り返し、体調を悪化させる。周りが見えなくなり、親友であることりの異変にも気づけない。結果としてこの二つが大きな「代償」となって穂乃果に襲い掛かることになるわけです。

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 ②「ラブライブ出場辞退」と「廃校阻止」

マクガフィンの顕在化

ラブライブ出場を確固たるものにするため挑んだ屋上でのLIVE。しかし雨の中、しかも体調不良で臨んだ穂乃果は1曲目を終えた段階で倒れてしまいます。理事長から「生徒の体調に危険が及ぶような活動をするようでは、活動自体を容認できない」と告げられた絵里はμ'sの「ラブライブエントリー」を取りやめます。また、時を同じくして音ノ木坂は来季の生徒募集を開始。彼女たちの活動の成果もあって、「廃校」は「阻止」されました。しかしここで顕在化するのは、「μ'sの活動意義」「消滅」です。

絵里も告げていたように、いずれは「話し合わなければいけなかった」事とはいえ、何故このタイミングでこれまで積み上げてきた「μ'sの活動意義」を崩すのか。それを理解するにはマクガフィンという着眼点が必要になります。

当ブログでは度々登場する「マクガフィン」。Wikipediaでは下記のように記載されています。

マクガフィン (MacGuffin, McGuffin) とは、何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる、仕掛けのひとつである。登場人物たちの視点あるいは読者・観客などからは重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能な物であり、泥棒が狙う宝石や、スパイが狙う重要書類など、そのジャンルでは陳腐なものである。

マクガフィン - Wikipedia

上記では分かり辛いので補足すれば、「メインテーマに対する目くらまし」と表現するのが正しいかもしれません。

μ's結成の動機とは「学校を廃校から救う」というもの。そしてその目標を達成するため「スクールアイドル」を結成し、「ラブライブ」に出場することで学校そのものの「知名度を高めよう」としました。本来であれば、「μ'sはラブライブに優勝し、学校を廃校から救いました。めでたしめでたし。」とするのが常道なのかもしれません。しかし本作はその筋を選ばず、結果としてこの二つの「動機」を途中で「完了」させてしまったわけです。ここから分かるのは、この「動機」そのものが「目くらまし=マクガフィンであるという事です。

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では「ラブライブ本来のテーマ」とは何なのか?それを明らかにするために存在するのが「ことり留学プロット」なわけです。

 

③「ことり留学プロット」の意図と「真のテーマ」

・「今」を「継続」することは「出来ない」

9話EDから匂わされ続けた「不穏」。それがいよいよ顕在化するのが11話です。かねてから服飾に興味を持ち、それを将来の職業にしたいと望んでたことり。そんな彼女のもとに届く留学の誘い。当然断る理由は無い誘いですが、ことりは思い悩みます。留学となれば「高校卒業までの間日本には戻れない」。即ち穂乃果・海未とした「ずっと一緒にいよう」という約束を違えるもの。また留学すれば「音ノ木坂学院スクールアイドル」として活動出来なくなります。彼女の中でも大きな存在になっていた「μ's」を裏切る行為にもなる...。思い悩むことりは、最も信頼する存在である穂乃果に意見を聞こうと思いたちます。しかし穂乃果は「ラブライブ」のことで頭がいっぱい。穂乃果に遠慮したことりは相談が出来ないまま時が過ぎ、いよいよタイムリミットとなる「屋上ライブ」の日を迎えてしまいます。

「ライブが終わったら穂乃果に相談する」そう海未に告げてはいたものの、そのライブで穂乃果が倒れ、ライブそのものが中止に。相談も出来ず終い。いよいよことりはなし崩し的に「留学」に向かうことになります。

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1期終盤に唐突に「ぶち込まれた」「留学プロット」。そのあまりにも唐突な展開と解決法に魂消た視聴者も多かったものです。実際のところ私も初見時には「これはなんだろう??」と驚きましたし、友人には「あの展開が意味不明過ぎてノれなくなった」と告げられました。いわば「ラブライブに乗れる人」と「乗れない人」を分ける分岐点ともいえるこのプロット。

私はいうと友人の意見をきっかけに「このプロットって何の意味があるんだろう?」という発想から「ラブライブ考察」を開始した経緯があります。ここではこれまでもあまり語られていないこの「プロットの意味」に関して考察していきましょう。

まずポイントになるのは9話のラストシーン秋葉原でのライブ成功をきっかけに絆を深めた穂乃果、ことり、海未の3人。それぞれがかけがえのない存在であることを改めて実感すると同時に「いつまでも一緒にいよう」と力強く宣言します。しかしその言葉を遮るように投かんされるのは、ことりへの「留学の誘い」です。

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「留学」は置き換えれば「転機」であり、もっと言うなれば「変化」の象徴でもあります。反面、穂乃果たち3人が望んだのは「今」の「継続」。それは「変化を否定するもの」でもあります。しかし陳腐なことを言えば、この世に「今」のまま「継続」されていくものなどほとんどありません。常に「時代」は移ろい「変化」していく。人間も職場や環境が変わり、そこで新たな出会いを経て、自分の人生を作っていく。それを止める術はありません。「今の継続を望む」穂乃果たちに被せるように「変化」の象徴を挿入するのは、穂乃果たちの考えに対する「問いかけ」が行われることを意味してもいます。

「ことり留学」とは「変化しないものなどない」という「事実」の象徴

穂乃果とことりに突きつけられるのは「今」を「継続すること」など「出来ない」という非情なまでの「現実」です。

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ただしこれは、あくまでも「今回」は「穂乃果」と「ことり」の物語として「抽象化」されただけに過ぎず、やがて「μ's全員」にとっての「課題」となる「問題」でもあるのです。(実際2期ではこの問題が大きな課題として提示されますね)

止めようのない「変化」という「現実」を突きつけられた穂乃果たち。彼女達が選ぶ結論にこそラブライブ本来の「テーマ」が隠されているのです。

 

・「ことり留学プロット」が「モヤる」理由

自分の行動がラブライブ辞退、ことり離脱の原因となった(と考えた)穂乃果は捨て鉢になり、自ら「μ's離脱」を宣言する事態に。しかし秋葉原の街を歩き、メンバーと会話する中で、自らの中に眠る欲求を取り戻した穂乃果は再起。改めて「スクールアイドル」を継続することを宣言します。その中で海未から求められたのは「ことりの奪還」。留学へ向かう当日のことりを説得し、μ'sへと引き戻すのです。

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さて、「ことり留学プロット」において最も反感を買うのが、上記の描写。筆者も初見では「そりゃないべ」と思わず呟いたシーンでした。

何故このシーンが反感を買うのか、というと、

①「留学」という大きな決断を、あっさり覆すのってありなの?

②穂乃果の説得方法が強引すぎないか?

③ことりはことりで穂乃果にほだされて残った感じがしてモヤモヤする。

以上の3点に原因があるように思います。

本稿ではこの3点に反論....は特にしません(笑)。だって実際に強引なんだもの。

とはいえ、弁護の余地はあります。

ラブライブ!TheSchoolidolMovieファンブック」を読んでいただければ分かる通り、「1期」放送時点では「2期放送」の予定など「まるで決まっていなかった」わけです。となれば、なんとか「1期」の中にラブライブの示したいテーマ」を「詰め込む」必要がありました。だって「次があるとは限らない」わけですから。とはいえ、もう少し丁寧に出来なかったのか...という突っ込みはすべきなのかもしれませんが。。

さて、ではここまで「強引」な方法を用いてまで表現したかった「テーマ」とは何なのかという話になってきます。

 

・「未来」よりも「今」を「大切」にする。

「留学」とは「変化」と同時に「転機」の象徴であると、先ほど書かせていただきました。更に言うなれば「留学」は「未来」へも直接つながった「転機」でもあります。「留学阻止」はそれを引き留め「今」に繋ぎとめる「行為」でもあります。

f:id:ishidamashii:20170708222638j:plain一見、非常に「後ろ向き」な結論に見えるこの行為(モヤる理由はそこにもあるのかもしれません)。しかしこの時点での彼女たちの背景にあるのは「今」が決して「継続されない」という共通理解です。穂乃果はことりを引き留める際にハッキリとこう口にしています。「いずれ別の夢に向かう時が来るとしても!」と。

9話の時点では無邪気に「今」が「継続」されることを「信じていた」彼女達。しかしことりの「留学」という出来事をきっかけにその幻想は打ち砕かれました。代わりに彼女達の中に芽生えたのは、「今」は決して「不変」では無いという「実感」であり、故に「今」を「大切にしなければならない」という「確信」でした。その観点を以て見ると、穂乃果のこの判断は「行為としては後ろ向き」でありながら、「判断としては前向き」なものであるように見えるのです。スクールアイドルでいられるのは、「高校生の間」だけ。もしもこのままことりが行ってしまったら、穂乃果とことりは「μ's」として過ごせる「今」を失うことになる。穂乃果はその「今」を守るために、ことりを「引き留めねばならなかった」わけです。

つまりここから分かるのは、ラブライブ」が本当に伝えたいテーマとは「今が最も大切である」ということです。

ここには「劇場版」に至るまで一貫して貫かれる「ラブライブ」という作品、ひいてはシリーズの持つイデオロギーが表現されています。

「未来」はもちろん大事。先を見据えて行動することも大事。しかし、それだけでは「飛躍」する瞬間が訪れない。①で触れた通り、人生には「飛躍する瞬間」が必要と考える「ラブライブ」には、常に「未来」ではなく「今」の「パッション」を大切にするべき、という思想が貫かれています。

ラブライブ」は「限られた今」という「瞬間」を、「スクールアイドル」という存在に託して表現しています。高校3年間の間しか活動できない「スクールアイドル」。だからこそその「瞬間」の「一瞬一瞬」を「大切にして」生きる必要がある。「劇場版」の主題歌である僕たちはひとつの光で印象的なフレーズとして登場する「今が最高!」は、言うなれば1期の段階から登場していた、「ラブライブ」を象徴する「イデオロギー」なんですよね。

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・ことり留学プロットのエラー回収

とはいえことり留学プロットが「上手くいかなかった」ことはなんとなく脚本の花田さんも実感している気がします。というのも「サンシャイン」9話「未熟DREAMER」で、ほぼ同じプロットをやり直しているからです(笑)。ことり留学プロットエラーの要因は、「留学引き留め」の要因を「穂乃果」一人に背負わせたことが原因でした。(ことりが流されやすい性格で、実際には積極的に行きたがっていたわけでない...という事が本編からだけでは伝わりづらい)

故にサンシャインではもっと整理された形で同じテーマを消化できていました。この辺は当ブログのサンシャイン9話考察をご一読くださいませ。

ishidamashii.hatenablog.com

 

・2期以降へのブリッジ要素

「今」を大切にすること。「今」は「有限」であることを悟った穂乃果とことり。それは2期以降の二人の行動や発言などにもしっかりと「反映」されていきます。これは割とはっきりと分かるポイントが何か所かあるので、その辺は2期考察で触れるようにします。

 

④「飛躍」の肯定

「飛躍」によって躓き、課題を背負った穂乃果。しかし彼女は最終的に再度「飛躍」することを求められ、その願いに応える形で復帰することになりました。

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いかに「飛躍する」ことの「リスク」を描いたとて、「ラブライブ」の根幹にあるのは、「恐れず飛び込むこと」を「重視する」姿勢です。穂乃果は失敗を通して、「飛躍する」ことの難しさを覚えましたが、同時に「リスク」を負ったうえでなお「飛躍する」ことの「価値」を覚えました。1期終盤の「強引」な展開は、2期以降で穂乃果をより伸び伸びと「飛躍させる」ための「布石」にもなっています。そしてその「布石」は「劇場版」にまで連なっていくわけです。

 

⑤とても小規模で、とても大きな一つの「勝利

ことりの説得に成功した穂乃果。講堂で「μ's再起動」を宣言するライブを実施します。3人でライブをした時には客席にはメンバーとヒフミしかいなかった場所。しかし今は支えてくれる多くの人たちがいます。

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彼女達は結果として「何も成し遂げてはいません」。学校の廃校阻止も決して彼女達だけが「要因」とは言えないでしょう。しかし、彼女達は大きな目標を成し遂げました。それは「講堂を満員にすること」そして「お客さんを笑顔にすること」。これは初期μ'sが掲げた目標そのものです。

歌う楽曲は「START=DASH!。μ'sの始まりの曲であり、アンセムでもあるこの曲は、μ'sの「今」を象徴する曲でもあります。

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「明日よ変われ」「希望に変われ」「眩しい光に照らされて変われ!」

その歌詞は「明日の輝き」を求め、「今」を精いっぱいに生きる、というμ'sのイデオロギーそのもの。

そしてその思いが伝わったからこそ、今講堂には満員のお客さんがいる。μ'sが成し遂げた「勝利」はとてもとても小さなものですが、反面「信じて突き進むこと」の価値をしっかりと証明することに繋がりました。

ラブライブ放映当時、とにもかくにも若者はペシミズムな世界観を強要されていました。「どうせできない」「どうせなれない」。そんな価値観を破壊し「信じれば願いはかなう」という、ちょっと前からすれば「楽天的過ぎないかい?」と言われるような思想を再度肯定するのが、「ラブライブ」という物語でした。

ラブライブが「他のアニメ」と比べて、圧倒的マジョリティ(しかも若者)に受け入れられたのは、この「思想」があったからこそなのでは?とも思えます。

こうして「小さな世界の小さな変革」の物語は、新たな「僕たちの神話」となり、今なお愛され語り継がれているのです。

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というわけで、11話~13話総括考察でございました。

手短にしたけど、まぁまぁ長いな。。。とにもかくにも長々と続けてきた1期考察はこれにて一端終了(恐らく明日1期総括記事を出すと思いますが)。

翌週からは2期に移っていきたいと思います。果たしてサンシャイン2期放送開始前に終わるのかハラハラですがw 引き続きご愛顧をお願いいたします♪

また、1期終盤に関して、触れ損ねている要素や、「ここってどう思う??」などのご意見がございましたら、コメント欄ないしはTwitterまでご連絡くださいませ!

わかる範囲ではお答えいたします。

まずは、ここまでお読み頂きありがとうございました!

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