Love Live!Aftertalk!

妄想をただ書き連ねる覚書。更新情報等はTwitterにてお知らせしております。

もっともっと先へ。~ Aqours 3rd LoveLive! Tour ~WONDERFUL STORIES 埼玉公演を見終えて~

 

 

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何故、僕は彼女たちを”みくびって”しまうのだろう。

 

ライブに参加するたびに同じことを思う。TVアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」の物語を文脈から読み解くオタクだからなのか。僕はどうしても「物語」を重視してしまう。そして結果的にその「物語」に視界を支配されてしまう。

「物語」が素晴らしいからこそ、その「物語」よりも「素晴らしいものが無い」かのような”錯覚”を無意識に得ていて、それに常に支配されている。

だからこそ、彼女達のライブに参加すると横っ面を張り倒されたような衝撃を受ける。

そうやって初めてその”錯覚”から目を覚まされる。

そうして気付く。僕が彼女達を見くびってしまっている事実を。

 

実のところ。

TVアニメ2期を終えた直後のライブだから、きっと2期の文脈をふんだんに使った構成になるのだろうと。そう思っていた。

 

例えば2期7話。

あの回の演出をキャスト達が再現したらどうか。

よいつむちゃんが。そして名もなき音ノ木坂の生徒たちが登場して、Aqoursに「輝いて!」と告げたらどうか。そこに僕たちが参加したらどうか。などと考えた。

 

例えば2期11話。

ここでも浦の星の生徒たちが。そしてAqoursメンバーの家族たちが実際に登場し、共に「Aqoursコール」をしたらどうか。そしてその流れで「勇気はどこに?君の胸に!」を合唱したらどうか。などと考えた。

 

或いは2期13話。

「WONDERFUL STORIES」に至る流れを、伊波杏樹さんを中心に再現しつつ、楽曲に突入したらどうか、などとも考えた。

そのどれもがきっと間違いなく、胸を打たれ、興奮と感動を得る演出だったかもしれない。

 

けれどもAqoursと「ラブライブ!サンシャイン!!」のスタッフは、そんなもの採用しなかった。

何故なら、それは既に「物語の文脈」において「保障」された「感動」だからだ。

それを見たいのなら、別に「ライブ」でなくても良い。

なんなら家でアニメを見返していればよいのだ。

けれど埼玉のメットライフドームに用意された舞台は「ライブ」。

「アニメ」ではなく「ライブ」をお客さんは見に来ている。

だとすれば、「ライブ」では「ライブ」でしか起こし得ない「何か」を見せる必要がある。

その為に彼女達は日々「挑戦」を繰り返している。

1stでそれを思い知ったのに。僕はまたその事実を忘れていたわけだ。

 

「アニメ」には「現実を超越した何か」を、易々と表現してみせる「力」が備わっている。それがあるからこそ「アニメ」という表現には価値があり、意味があるのだとも思う。そしてそこにこそ「アニメ」の魅力があるのだと、僕は思う。

だからこそその「アニメ」によって表現されたものを「現実」が超越していくには、並大抵の「表現」では足らない。

「現実」を超越した「超現実」を実際に目の前で見せる。それがどれだけの「努力」と「工夫」を必要とするものか。その実質的な作業量と苦労を僕は知らない。

けれども、埼玉公演の二日間で彼女達が見せてくれたものは、正しく「超現実」では無かったか。二日間を終えた今、本当にそう思う。

 

例えば「Awaken the power」はどうだっただろうか。

アニメでは11人の「Saint Aqours Snow」が放つ美しいハーモニーも印象的だったけれど、「ライブ」ではそれ以上に11人でしか出せない、強烈な「パワー」と「一体感」を感じた。11人が舞台で見せる振り付けには、現実でしか出せない説得力があった。

 

或いは「WATER BLUE NEW WORLD」はどうだっただろうか。

アニメでしか表現不可能だと思われた、「衣装チェンジ」と「羽根が舞い散る」演出を、早着替え・モニター演出・舞台演出を総動員して、見事に「現実」に再現してみせた。アニメと現実とが完全に同化していく瞬間がそこにはあった。

 

そして「MIRACLE WAVE」だ。

大勢の方が指摘している通り、伊波杏樹さんはロンダートの流れからのバク天ではなく、ロンダートした後「止まって」からのバク天という技を使った。

ロンダートによる勢いを完全に殺してからのバク天。しかも明確に「自分のバク天を待つ会場の緊張感」に包まれるというプレッシャー込み。それを「現実」において「成功」させることがどれだけの「説得力」を生み出すか。

そこには「アニメの文脈」を超越した「ライブでしか起こしえない何か」が明確に存在していた。それはまさに「超現実」だったはずだ。

 

彼女達は凄まじかった。

2nd最終公演で伊波杏樹さんが語った「ビックリさせる」というのは、こういうことだったのかと改めて思い知った。

 

だからこそ。

彼女達が「アニメ」を超越したものを見せてくれるたびに「2期の物語」に踏みとどまっている自分が恥ずかしくなっていく感覚を得た。

「2期に合わせた演出でエモくなりたい」なんて思っていた自分が恥ずかしい。

「こんなに自分を高めるべく努力している人たちを、僕は無邪気に消費しようとしていたのか」。そんな風に感じてしまうほどに。

 

ラブライブ!サンシャイン!!」の「進み方」はとても速い。

1期終わりから2期スタート、そして2期の終わりまでのスピードが尋常ではない。

だからこそキャラクターは、キャストの成長を待たずにドンドン先へと進んでいく。

降幡愛さんも「自分を置いてドンドン変化し、進化していくルビィに付いていくのに必死だった」と仰っていたけれど、恐らくそれは全員に共通してある認識だったのではないかなと思う。

でも、だからこそ、キャストの皆さんはキャラクターに置いてかれまいと、常に「進化」を続けてきた。キャラクターが急ピッチで成長を続ける中、それに続こうと「進化」を続けてきた彼女達。

今はもはや「アニメ2期」という時期を終え、4thライブ・さらには劇場版へと歩みを進めるべく「進化」を続けているわけだ。

そりゃあ「2期」に踏みとどまっていたら、置いていかれるに決まっている。

彼女達の目線はもはや「そこ」には無いのだから。

 

にも関わらず、3rdライブにおいて、彼女達は僕らを過剰なまでに「仲間」として受け入れようとしてくれていた。

青空Jumping Heartへの入りでは「特別映像」が用意された。

そこではアニメでは描かれなかった「ラブライブ優勝」から「アンコール」に至るまでの彼女達の「気持ち」が語られた。

そしてその流れで、アニメ内の「アンコール会場」と、実際の「メットライフドーム」とが時空の壁を越えて繋がる。

この演出によって、メットライフドームにいる僕らは、彼女達を後押しし、優勝へと導いた「劇中の観客」と「一体化」していく。「淡島からの脱出ゲーム」から連なる、僕らを同じ世界の「仲間」として受け入れていく演出に心底震えた。

 

「Landing action yeah!」から勇気はどこに?君の胸に!そして「WONDERFUL STORIES」に至るまで。ラストの3曲は全て「合唱曲」として用意された。

「WONDERFUL STORIES」に至っては、アニメ内の演出から楽曲に繋げていくという構成を一切使用しなかった。

つまり「アニメ内の文脈」に楽曲を当て込むのではなくて、「ライブ」で「皆と一緒に歌う曲」としての使用を「優先」したわけだ。

どこまでもライブに参加する「仲間」を大切にした演出が採られていた、という事実をここからも感じる。

 

だからこそ。

そうやって彼女達がなんのてらいもなく、僕を「仲間」に引き寄せてくれようとするたびに、僕は「罪悪感」に苛まれた。

2期に「立ち止まっているやつ」が、彼女達の「仲間」になっていいのだろうかと。

彼女達が「進化」を止めないのに、「立ち止まっているやつ」がここで暢気に仲間面していて良いのだろうかと。

そう思うと、不思議と「興奮」や「感動」といった感情は生まれなくなっていった。当然「涙」を出すこともなくなった。

 

代わりに「決意」が胸に満ち溢れた。

「止まってられないぞ」と。

彼女達は自分を高めながら、先に先に進んでいく。

その先でまた僕を「仲間」として受け入れてくれるのであれば、僕は「仲間」としての「自分」を誇りをもって受け止められる人にならなくてはいけない。

その為に何をすれば良いのか。

具体的な行動はすぐには思いつかないけれど。

でもまずは、今の自分をしっかりと受け入れた上で、日々を頑張って「生きる」。

そうやって「頑張った」先で、彼女達が発する輝きを受けたとて、負けない自分になれるように。

前回の記事でも言ったけれど、やはり彼女達の信じた「在り方」を肯定することこそが、「ラブライブ!」に肯定された僕らが唯一できる「作品を肯定する行為」であるのならば。

とにかくそれを信じて突き進むしかない。

いつか来るであろう彼女達の「終着」を、笑って見守れる人になれるように。

 

だから、僕は明日も足掻くよ。

自分の力で、自分の明日を輝かせられる人になれるように。

明日も頑張って生きる。

 

明日もきっと、輝いている。~TVアニメ2期終了および3rdLIVEに寄せて~

「がおーーーっ!.....」

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沼津の内浦の、小さな学校の校庭で、「普通怪獣」が雄叫びを上げる。

それはままならぬ「現実」に対する、言葉には現せぬ感情の吐露であり。

そして同時に、そんな「現実」に「決して負けない」という「不屈」の表明でもあった。

 

ラブライブ!サンシャイン!!2期」は、普通怪獣=高海千歌の叫びによって幕を開ける。

「普通怪獣」の叫びは、8人の仲間に共鳴し、9人は早朝の浦の星女学院に集う。

そして彼女達は誓いを立てる。

ままならない「現実」があることを受け入れた上で。

それでも必死にその「現実」に「抗うこと」を。

最後まで「足掻くこと」を。

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2期13話での「(輝きは)最初からあったんだ。初めて出会ったあの日から。」という千歌の言葉。

ここに物語の「テーマ」を見出してしまう人が多いことに幾分かショックを受けている。

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「”最初から自分の中にあった”なんて、陳腐な話」

そんな心無い意見も見かけた。

もちろん、千歌が語っている通り、この「気付き」は大事な「テーマ」の一つである。けれどもこのセリフ一つに物語の本質の全てがあるわけではない

これは千歌にとって重大な気付きではあっても、物語そのものの「本質的なテーマ」とは異なるからだ。

では「本質的なテーマ」とは何か。

それはもちろん「足掻く事」だ。

これは何も大仰に説明する必要が無いようなこと。

何故なら、千歌が前段のセリフを語る前にはっきりと口にしているからだ。

「足掻いて足掻いて、足掻きまくって。やっと分った。」

と、彼女はハッキリそう言っているのだから。

 

ラブライブ!サンシャイン!!」2期とは「抗い」と「足掻き」の物語だった。

自分だけの力ではどうしようも出来ない「現実」にぶつかった時。

「運命」としか言いようのない「絶望」に直面した時。

人はどのように振舞うべきなのか。

ラブライブ!サンシャイン!!」2期では、執拗なまでに「それ」をテーマとした物語が語られた。

 

1話は「学校の統廃合」という「現実」に直面したAqoursが、その「現実」に「抗い」、最後まで「足掻いて」抵抗することを誓う物語だった。

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2話は「理解しきれない他者」という存在にぶつかった個々人がそれを「理解」すべく「足掻く」中で、「理解する」ことが大事なのではなく、「其々の個性をそのまま受け止める」ことが大事なのだと知る物語だった。

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3話は「学校説明会」か「ラブライブ予選」かの二者択一を迫られた千歌が、その「選択」という「運命」に「抗い」、両方のライブへと出演する方法を模索すべく「足掻き」それを成し遂げる物語。

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4話は「ダイヤちゃん」と呼ばれたいダイヤが「足掻く」ことで、最終的には「ダイヤちゃん」と呼ばれる。それだけでなく、その「足掻き」を通して「ダイヤさん」と呼ばれることの意味と価値を彼女自身が知るお話。

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5話は「偶然の出会い」を「必然」に変えるべく善子が「足掻き」、その「足掻き」によって梨子が救いを得ていく物語。

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6話は果南に「不可能」と決めつけられた振り付けに、千歌が諦めず挑戦し「足掻く」ことで、「不可能」を「可能」に変えていく。そしてその事実が果南を救っていく物語。

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7話は「統廃合決定」によって途絶えてしまったAqoursの「夢」が、浦の星の生徒たちの「足掻き」によって「新しい夢」へと書き換えられていく。そうして生まれた「消えない夢」を繋いでいく物語。

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8話は「ラブライブ敗退」によって途絶えてしまった理亞の「夢」を、ルビィが「足掻く」ことによって「最後」にさせない物語。

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9話はSaint Aqours Snow成立のために、それまで一人では何も出来なかったルビィと理亞が自らのこれまでに「抗い」「足掻く」。そして自らの中に眠る「力」を目覚めさせ、大きな「夢」を叶えていく物語。

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10話は荒天で流れ星が見えない中、雨を止ませようとするのではなく「止むまで待つ」という「足掻き」が、Aqoursと流れ星とを出会わせる物語。

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11話は「閉校」という現実をそのまま受け入れることを拒み「閉校祭」で盛大にお祝いするという「視点変更」という名の「足掻き」が、「廃校に責任を感じていた」鞠莉を救い上げていく物語。

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12話はそれぞれがこれまでの「足掻き」を振り返りながらその道のりを肯定していく物語であり、梨子にとっては自らの中にあった「本当にこの道で良かったのか」という迷いに自ら「抗い」、最終的に自らのこれまでを「肯定」していく物語でもあった。

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そして13話。

紙飛行機に導かれるように校舎へと辿り着いた千歌は「統廃合を阻止できなかった」という「現実」に再び直面してしまう。

そしてそれを「受け止めきれない弱さ」に絶望する。

「どうして思い出しちゃうの....どうして聞こえてくるの...」

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そんな時耳にあの「声」が聞こえる。

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「がおーーーーー!!!」

 

それは、あの日叫んだ「普通怪獣の雄叫び」。

「現実」や「運命」に「負けてしまう」ことを拒むための叫び。

「必死で足掻く事」を誓った叫び。

千歌の「足掻き」を目にして、「足掻く」ことの「意味」と「価値」を知った大勢の仲間たち。

今度はその仲間たちが、新たな「普通怪獣」となって「叫び」千歌の背中を後押しする。

その「叫び」が、千歌にまた「走り出す勇気」を与える。

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変えようのない「運命」や「現実」。それが実際に「ある」こと。それを分かった上で、それでもやっぱり「諦められない」から。

だからこそ人は「足掻く」。

「足掻いて」運命を変えようとする。そうすることで初めて「人生」が「日々」が輝きだす。

「足掻くこと」を肯定されたことで、千歌は再び「足掻くこと」の価値を肯定するに至る。だからこそ再び走り出す。そしてその結論として自らの「足掻いた」日々を肯定する。

 

「分かった。私が探していた輝き。私たちの輝き。」

「足掻いて足掻いて...足掻きまくって。やっと分かった。」

「最初からあったんだ。初めて出会ったあの時から。」

「何もかも一歩一歩。私たちが過ごした時間の全てが、それが輝きだったんだ。」

「探していた”私たちの輝き”だったんだ...。」

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彼女達が過ごした「足掻いた時間」こそが「輝き」。

だからこそ「ラブライブ!サンシャイン!!2期」とは、「足掻きの物語」なのだと僕は思うのだ。

 

 

....さて、来る3rdライブでは、彼女達の「足掻き」の証が刻まれた楽曲の全てが披露されることになる。

 

「本気をぶつけ合って、未来を手にしよう」と誓った歌が。

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「諦めない心に 答えじゃなく 道を探す手がかりが与えられる」と信じた歌が。

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「本当に望むことは叶うんだ」という事実を証明したあの歌が。

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「出来るかな?」という疑問に「出来る!」と力強く答えたあの歌が。

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「失敗から成功へと未来を変えた」あの歌が。

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「夢は夢のように過ごすだけじゃなくて、痛み抱えながら求めるもの」という”痛みの果ての気付き”を刻み付けたあの歌が。

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「届きそうで届かない未来」を追い求めたからこそ出会えた「全力で輝いた物語」を最高の笑顔で振り返ったあの歌が。

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その「輝き」が...。

僕らを待っている。

 

さぁ、行こう。彼女達の「足掻き」の一つ一つが刻まれた「WONDERFUL STORIES」を見に行こう。

そこにはきっと、予想以上に「素晴らしい物語」が待ち受けているはずだ。

「全力で輝いた物語」に思いを寄せて。

僕らも、このどうしようもない毎日を「足掻いて」生きて行こう。

それが「ラブライブ!サンシャイン!!」によって肯定された僕たちが唯一出来る、作品を「肯定する」行為なのだから。

そうすればきっと。

「明日もきっと、輝いている」はずだ。

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 PS:

手前味噌ではありますが、本記事が当Blogの100記事目となります。

ここまで続けて来れたのも、いつも読んで下さる皆様。

感想を送って下さる皆様。

そしてなにより「ラブライブ!」ならびに「ラブライブ!サンシャイン!!」という素晴らしいテレビアニメシリーズのおかげでございます。

皆様と、作品に改めて感謝を。

そしてこれからも拙ブログを末永くよろしくお願いいたします。

 

PS2

次回は超手前味噌企画「100記事記念!俺選定 歴代”俺が好き”記事ベスト10」を企画しております。

あまりにも手前味噌過ぎてどうかと思いますが、100記事で浮かれたアホの所業と思ってお付き合い頂ければ幸いですm(__)m

また皆様が個人的に好きな記事があれば、こっそりと教えて頂けると嬉しいです。

是非よろしくお願いいたします。

「君」と「僕」の瞳を巡る冒険~淡島リアル脱出ゲームのあれこれ雑談~

※当記事はネタバレ等無いよう配慮しておりますが、万が一にも問題があった場合にはご指摘頂ければ幸いに思います。

realdgame.jp

本日6/3をもって「リアル脱出ゲームXラブライブ!サンシャイン!! 孤島の水族館からの脱出 消えた宝物を取り戻せ!」がイベントを終了したとのこと。

ラブライブ!サンシャイン!!」は大好きだが、「脱出ゲーム」というものに不慣れな私。また「謎解き」というジャンル自体も苦手なので、敬遠していたものの、イベント参加されたフォロワー様各位の「熱量」を食らいつつ「これはやっぱり行かなくてはなぁ」などと思っていたある日。

全くノーマークだった友人二名(うち1名は生粋のラブライブファン。もう一人は謎解きメイン。)に先を越されるという事態に直面。

「こいつらが行って、自分が行ってないというのは異様に腹ただしい」という非常に「卑屈」な理由もありつつ、イベント最終日直前の6/2に淡島へと上陸。無事脱出を果たしてきた。

イベント自体は皆様のお言葉に比類なく素晴らしいイベントで、「ラブライブ!サンシャイン!!が好きなら絶対行くべき」という評価もさもありなんという感じ。

折角参加したので、ネタバレは極力避ける形でのレポート的なものを書いておきたい気持ちで、今PCに向かっている次第。

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物語はAqoursのリーダー高海千歌「ライブで使う衣装等が詰まったトランクを一緒に探してほしい」という申し出を受け、共に淡島に渡ることから始まる(ここはサイトにも乗っているからセーフですよね??)。

淡島に渡った「助っ人さん(私)」は、Aqoursのメンバーと連携をしながら、淡島内を捜索し、トランクを探し出す。島から出る船には最終便が決まっていて、それまでにトランクを見つけ出せれば「脱出成功」。見つけられなければ「脱出失敗」となる。

非常に簡潔で、分かりやすいストーリーラインである。

淡島内には無数の「謎」が仕掛けられていて、それを解いていくことで新たな「謎」に挑戦できるようになる。また「謎」を解けば解くほど彼女達と「助っ人さん」との「物語」も進行していく。「リアル」とはまさしくこのことと言える、体感型ゲームであった。

物語が「淡島からの脱出」を目的としていることもあり、「助っ人さん」は自然と島内をくまなく巡り歩くことになる。

淡島に渡るのはこれが初めてではないけれど、今まではマリンパークの周りからブルーケイブ付近までしか行ったことがなく、正直島を一周するのはこれは初めての体験であった。

謎解きの場所には指定音声が設置されていて、その場所で指定された番号をアプリに入力することでAqoursメンバーと「会話」をすることができる。

その「会話」と、目の前にある「ヒント」をもとに「謎解き」を遂行していくのがゲームの「メイン」なのだが、このイベントで白眉なのは、その「謎解き」の合間合間に設置されている「サイドストーリー」ではないか。

例えばなんてことない道に設置されているサイドストーリーを歩きながら再生する。するとAqoursのメンバーが目の前の景色と、それに関する薀蓄(うんちく)を教えてくれたりする。

或いはアニメでもお馴染みの場所に行くと、その場所であったことや、感じたこと、体験したことなんかを自分達の言葉で「助っ人さん」に話してくれる。

これらの「サイドストーリー」は実質的には本編たる「謎解き」とは無関係。

ただただ「歩き回る」脱出ゲームでの「息抜き」として用意された要素なのだと思うが、とにもかくにもこれが素晴らしい。

この淡島は間違いなく、TVアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」の聖地である。

この場所がアニメ内でも実際に登場し、彼女達の物語を彩る舞台となった場所でもある。

けれども、やはりTVアニメ内に映るそれらの場面はあくまでも「絵」であり、例えその場所に行ったとて完璧なまでの「実在感」へは繋がらなかった。

しかし、彼女達の声によるガイドを通して、実際にその場所を目にすると、感覚のギアが一段階上がる。

今自分が見ているものと、彼女達が見て語るものが「一体化」していく。

するとそこに彼女たちの存在が「実体化」していく。

彼女達の息遣いが、生活が、思い出が。

「助っ人さん」たる私たちにも「手触りのある」「実体」として感じ取れるようになる。

これがどれだけの「快感」と「感動」か。

恐らく「ラブライブ!サンシャイン!!」が大好きな人であれば、分かってもらえると思う。

「謎解き」がメインのゲームではあるけれども、「謎解きの合間」にある「サイドストーリー」を含めた全てがこの「リアル脱出ゲーム」の「キモ」なのだと感じさせられた。(だからこそサイドストーリーはその場所で聞くべきだとも感じた)

 

「謎」を解くたびに明らかになる物語。「謎」を解くたびに深まる彼女達との絆。

そしてラスト。「僕」と「彼女たち」の「セカイ」が一つになる。

その瞬間に襲い掛かる感情をエモーションと呼ばずして、なにをエモーションと言うのか。

最高に楽しかった一日が、最高に素晴らしい思い出となって、最高に素晴らしい「明日」へと繋がっていく。

ラブライブ!サンシャイン!!」を大好きでいることの「意味」を、彼女たちが教えてくれる。肯定してくれる。

ラブライブ!サンシャイン!!」というコンテンツの恐ろしさ。そして素晴らしさを改めて実感させてくれるイベントであった。

 

皆さん指摘されているが、このイベントを通して全く印象の変わる楽曲が「君の瞳を巡る冒険」だろう。


【試聴動画】TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』2期OP主題歌 「未来の僕らは知ってるよ」C/W「君の瞳を巡る冒険」

イベントに参加することで初めて分かる「歌詞の意味」

この楽曲自体にも「謎解き」が仕掛けられているとは、何とも粋な計らいであり、この抜け目なさもまた「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品が人を夢中にさせる要因なのだと思う。

謎は謎はいつも

目の前で 違う場所をひらく

謎を謎を解いて このセカイで遊ぼうよ

(中略)

僕は君を見てる

君の目に 僕を映してよ

「探して」と心が 大きな鼓動届けたがる

謎が謎がもっと ときめきへと変わるように

遊ぼうよ

「君の瞳を巡る冒険」

普段は一方的に彼女達を「見る」側である僕ら。

けれどこのイベントでは彼女達が「僕」を「見る」ことになる。

 

つまりこの歌詞内の「僕」は文字通り「ファン=僕ら」の視点というだけでなく、「彼女達」の視点でもあるという「ダブルミーニング」になっているということが分かる。

また「僕」が「ダブルミーニング」となるのは、「僕ら」の視界と「彼女達」の視界が「同化」し、同じ景色や、同じ謎を「見ながら」一日を過ごしていくこの「イベント」そのものにもかかっていく。

共に「謎」を解き明かす中で、その「謎解き」の思い出そのものが「ときめき」へと変わっていく。

謎を解けばとくほどに、この「セカイ」=「ラブライブ!サンシャイン!!のセカイ」をより楽しめるようになる。

そして彼女達の住む「セカイ」そのものが「実体化」していく。

だからこそ「謎を解いて このセカイで遊ぼうよ」と彼女達は語っているのだということが、イベントに参加することで理解できるようになるわけだ。

「君」と「僕」の瞳を巡る冒険。

彼女達の「セカイ」に、我々を招き入れ、「仲間」として受け入れてくれたこの「イベント=冒険」。

とても貴重な思い出をくれたことに。この場所へ誘(いざな)ってくれた皆様とイベントを成立させてくださったスタッフの皆様に心から感謝を。

そして「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品にも改めて感謝を捧げさせていただきたい。

ありがとうございました。

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君の瞳を巡る冒険

君の瞳を巡る冒険

 

 

「夢」が持つ二面性に関して。~「勇気はどこに?君の胸に!」に関するぼんやりとした雑談~

考察とかではない雑談を。

今後はこういうフワっとした記事も書いていこうかなと思う。あくまでも当ブログでは「ラブライブ!」のお話に限るけども。

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!楽曲ソート」というのが公開された。

どんなものかといえば、要するに楽曲が2択で登場し、連続で選択していくと、最終的に個人的な「楽曲ランキング」が完成するという代物だ。

ラブライブ! サンシャイン!! 楽曲ソート

(ちょいと時間がかかるので、もしやる場合には時間のある時をおススメする)

じっくり考えて選択もしていけるのだけど、無意識下での率直なランキングを知りたくて、ほぼノータイムで選択してみた。

その結果はこれ↓

ノータイムチョイスしても、自然と上位曲が予想通りになるのが面白い。

上位曲に関して、それぞれのインプレッションを吐露しても面白いのかもしれないけども、それはまたの機会として。

今回は結果1位となった曲、勇気はどこに?君の胸に!に関するお話なんかをしてみたいと思う。

 

勇気はどこに?君の胸に!」はご存じの通り、「ラブライブ!サンシャイン!!」2期のED楽曲。

www.youtube.com

2期ではイレギュラー演出回を除いて、常にこの楽曲がエンディングを彩った。

 

「夢」についての真っ直ぐなメッセージを歌ったこの楽曲。本来であれば、とても「爽やか」な後味を残しても良い楽曲である。

にも関わらず、人によっては「しんどさ」や「辛さ」を感じる楽曲とも評価されている。

実際、私もこの楽曲と向き合うのは、割と体力を必要とする。

「辛さ」は感じないまでも、1曲聞き終えると、ごっそりとHPを削られる感覚が常にある。その要因は一体どこにあるのか...。

それを考えた場合、この楽曲の持つ「2面性」へと思いを巡らせてしまうのである。

 

 

この楽曲を聞いた時、あなたが脳内に浮かべるシーンはどこだろうか。

人それぞれ違うと思うが、私は常に2期13話での「屋上シーン」が頭に浮かぶ。

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紙飛行機に導かれるように「閉校した」浦の星女学院へと導かれる千歌。

「閉じた」はずの思い出を「解き放つ」中で、「閉じ込めよう」とした「思い出」が千歌へと「襲い」かかる。

「どうして思い出しちゃうの....どうして聞こえてくるの...」

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千歌が「思い出してしまう」もの。それは何だろう。

恐らくは閉じ込めたはずの「夢」だと思う。

閉じ込めたはずの「夢」とは何か。

それはもちろん「統廃合阻止」だろう。

このシーンで千歌を縛り付けるもの。

それに名前を付けるとするのなら「消えない夢」。

これはまさしく「勇気はどこに?君の胸に!」で登場する言葉だ。

夢は消えない 

夢は消えない

 

勇気はどこに?君の胸に!

 

夢っていうのは、呪いと同じなんだ。」

これは仮面ライダー555ファイズ)第8話「夢の守り人・後編」で登場したセリフ。

ヒップホップグループ「ライムスター」の宇多丸氏は、この言葉に大いに感銘を受け、自身の楽曲内でも歌詞として引用している。

誰のせいにも出来ねぇし したくねぇ

「夢」別名「呪い」で胸が痛くて

 

RHYMESTER "ONCE AGAIN"

www.youtube.com

 

つまり「夢」は「希望の象徴」としてだけ存在するわけではなくって。

それが叶わなかった瞬間に「呪い」へと姿を変えることもあるもの。

 

「呪いを解くには夢を叶えるしかない。

 けど、途中で夢を挫折した者は、一生呪われたまま・・・らしい。」

仮面ライダー555より)

 

「呪い」を解くには、その「夢」を叶えるしかない。

けれども、その「夢」がもはや「叶えられない夢」だとしたらどうなるのか。

一生その「夢」を「呪い」として背負い続けるしかないのかもしれない。

そう考えると歌詞の中に登場する「夢は消えない」という「断定系」の言葉がより強い意味をもって響いてくる気がする。

 

現行の「願い」や「希望」としての「夢」だけでなく、かつて「叶わなかった」「願い」や「希望」もまた「夢」である。

それらはどれだけ「忘れ去ろう」としても、決して「消えず」に、心に残り続ける。

何故なら「夢は消えない」から。

叶わなかった「夢」。

ともすればそれは「呪い」に近いものにもなる。

けれどもそんな「呪い」としての「消えない夢」をも抱えたままでも、「何度だって(夢を)追いかけよう」とこの歌は語りかけてくるのだ。

「挫折」も「失敗」も捨て去れずに心には残り続ける。

けれど、それを「受け入れた」うえで、それでもなお「夢を追いかけるべきだ!」とこの楽曲は語っているのである。

そしてその「夢」を追いかける原動力となる「勇気」は、ほかでもない「君」(私たち)が持っているものなのだ。

だからそれを「振り絞って」無理やりにでも「前に進むしかない」のだとこの楽曲は問いかけてくるわけだ。

それはひょっとしたら「弱い人」の心を挫くかもしれない。

この楽曲に、心を挫かれる人が多いのは、正しくこの曲の持つ「強力なエネルギー」を受け止めきれない人が多いからにほかならないのだと思う。

誰もがこの楽曲で啓蒙されるほど「強く」はないということなんだろう。

 

 

けれども、このどこまでも「人間の可能性」を信じた言葉と、メッセージにこそ「ラブライブ!サンシャイン!!」というアニメ作品そのもののテーマが内包されているとも思う。

自分のことを「弱い」と思っている人。

自分には「なんの才能もない」と思っている人。

そして「失敗」に挫けてしまっている人。

そういった人々の中にも等しく眠る「勇気」を肯定し、それを振り絞ればどんな「可能性でもあり得る」のだと語る。

例え「失敗した」としても、「諦めず」に何度でも「勇気」を振り絞れば、いずれは道が開けるはずだと信じる。

「夢が持つ二面性」を念頭に置いた上で、それでも「あらゆる人間の可能性」を肯定し、「止めない」「諦めない」ことの価値を啓蒙し続ける。

だからこそ、この楽曲は「ラブライブ!サンシャイン!!」を語り、考える上ではとにかく重要な楽曲であり、この作品の「物語性」を重視する私のような人間にとっては、紛うことなき「最重要楽曲」という評価になるのだとも思うわけである。

 

 

 

「ラブライブ!サンシャイン!!」2期総括コラム【キャラクター番外編 Saint Snow(鹿角聖良・鹿角理亞)】

皆様こんにちは、こんばんは。

前回大団円を迎えたキャラクター編なのですが(?)今回は番外編。

Saint Snowをお届けします。

1期ではAqoursの「ライバル」として登場。

2期では「もう一人の主人公」とも呼べる存在にもなった彼女達。

ラブライブ!サンシャイン!!」のキャラクターを総括する...という意味ではやはり彼女達の物語も総括する必要があるように思えます。

前回函館UCの感想と重複する部分もあるかと思いますが、これまでの物よりライトな内容になると思いますので、是非肩の力を抜いてお付き合い頂ければと思います。それでは参りましょう「Saint Snow」篇です。

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Saint Snowと「在り方」

彼女達二人がスクールアイドルを志す上で欲したもの。それはAqoursと同じ「輝き」。

μ'sの放つ「輝き」

自分達と同じ「普通」の少女たちが、何故あれだけの「輝き」を放つことが出来たのか。

1期12話で聖良本人の口から語られた通り、聖良と理亞もその「輝き」の正体を探りました。けれども答えを得ることが出来なかった。

そこで二人は、まずは「彼女たちと同じ場所に立とう」と考えました。

「頂点」に立って見る景色。そこに立てば自ずと「輝き」の正体と意味を知ることができるはずだと信じたのです。

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その中で、彼女達が憧れ目標としたのはμ'sではなく、A-RISE

圧倒的な「人気」に支えられ「スクールアイドルの象徴」となったμ's。

そんなμ'sよりも先に「完璧」を追求・体現し、その「パフォーマンス」を以て圧倒的な支持を得たもう一方の「スクールアイドルの象徴」。それこそがA-RISEです。

どのようにして「輝き」を手にしたのかが「不透明」なμ'sと違って、「パフォーマンス」が評価されることで頂点を掴んだA-RISE。ひょっとしたら「輝き」を追い求めるSaint Snowにとっては彼女達の方が分かりやすい「指標」になったのかもしれません。

ストイックに「パフォーマンス」を高め、それによって頂点を掴んだA-RISE。その背中を追おうと決めたSaint Snow

だからこそ彼女達は「ストイック」に「パフォーマンスの向上」を求める。

A-RIZEの背中を追うために、スクールアイドル活動において「甘え」や「妥協」を許しません。

ひたすら真っ直ぐに己を鍛え、それを以てただただ頂点を目指して進んでいく。

それこそがSaint Snowが「輝き」を手に入れるための唯一の「方法」であり、そこにSaint Snowの「在り方」が象徴されています。

 

Saint Snowと「揺らぎ」

Saint Snowの二人が大事にするのは「ストイック」さに基づく「修練」。

また、それに紐づく「身体能力」であり、それによって得られる「驚異的なパフォーマンス」です。

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そこにこそ彼女達の「誇り」があり、それが彼女達の「支え」でもあります。

修練の成果は着実に実力へも直結。

群雄割拠の「スクールアイドル界」で彼女達は「実力派の若手」として注目を浴びていきます。

そんな最中届く「東京」での「スクールアイドルイベント」への招待状。

「実力」を認められたからこその招待であり、彼女達にとっては「本番=ラブライブ」への試金石ともなる腕慣らしの舞台。ここで躓くわけにはいきません。

だからこそ二人はそれなりの覚悟をもって挑んだはず。

もちろんそれだけではなく、自分達が積み上げてきたものに対する「自信」をもって挑んだはずなのです。

しかしながら、そんな自信が東京の舞台では通用しません。

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東京の小さなイベントでも「入賞」出来ない...という現状。

もちろん「9位」は立派な成績です。しかし「ラブライブ」での優勝を目指す彼女達にとっては「足踏み」とも言える結果。

故にこの結果は、彼女達にとっては「衝撃的な結果だった」とも考えられるわけです。

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1期8話はAqoursにとっての決定的な「敗北」の物語です。

しかしSaint Snowにとっても「敗北」が与えられた物語でもあるのです。

そう考えれば8話での彼女たちの言動もまた理解できるような気がします。

「パフォーマンス」に注力し、努力を続けてきたSaint Snow。しかしその努力は「結果」に結びつかなかった。Saint Snowにとって「高いパフォーマンス」だけが「輝き」へと到達できる唯一の「道」。だからこそ自分達の思う「最高のパフォーマンス」を披露したつもりだった。けれども結果としてそのパフォーマンスは「認められなかった」。その事実は彼女達のプライドをひどく傷つけたでしょう。

そんな最中、Saint Snowの二人からすれば「レベルの低いパフォーマンス」に終始した(と二人が感じている)Aqoursが「0票」にショックを受けている場面に立ち会ってしまう。

「パフォーマンス」を高めるために、日々努力し、プライベートすらも投げ打っている彼女達にとって、Aqoursのパフォーマンスは「お遊び」のように映った。

だからこそ口から「厳しい言葉」が出てしまった...と言う風に感じられるのです。

 

上から目線でAqoursに対して厳しいアドバイスを送ったように見える聖良も、実際には「現代のスクールアイドル界を勝ち抜くことの難しさ」を「身を以て実感した」からこそ「憧れるだけでは勝てない」のだとAqoursに語るのであり、

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自らの「ストイックな努力」が「肯定されない」現状があるからこそ、理亞もまた「ラブライブ!は遊びじゃない!」と、その苛立ちをAqoursにぶつけてしまうのかな...と思えます。

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「ライバル」のような佇まいで登場したからこそ「誤解」されがちですが、彼女達もまたAqoursと同じ悩みを持ち、同じ壁に挑む対等の存在である。

Aqoursよりも上の立場にいるように見えた二人ですが、この時彼女達もまた「揺らぎ」と「葛藤」の中にいた。

その視点を以て彼女達の言動や行動を分析すると、より深くSaint Snowのことが理解できるようになる。そして彼女達のことを愛おしくも思えるようになると思うのです。

 

Saint Snowと「壁」

現状に苛立ちを覚えながらも、それでも自分達の「誇り」を信じ、更なる「パフォーマンスの向上」へと挑み続けたSaint Snow

その努力の甲斐もあり、北海道予選を通過。

遂に目標としていた東京での「ラブライブ決勝」へと出場を果たします。

 

決勝で披露された楽曲がどのようなものだったのか。残念ながらそれは明らかにされていません。故に想像することしか出来ないのですが。

恐らくは、彼女達が決勝に向けて用意した楽曲とは、彼女達のこれまでの「誇り」を「体現した楽曲」であったと想像できます。

自分達の「願い」。そして「誇り」。それらを詰め込んだ「究極の1曲」。

もちろん「楽曲」だけでなく、決勝の舞台での「パフォーマンス」も彼女達からすれば会心のものだったのではないかと思います。

 彼女達が目指した「輝き」。その原点にある「光」。

最高のパフォーマンスを披露したからこそ、彼女達は決勝の舞台でそれを「掴んだ」と感じた。

しかし結果としてそれは「錯覚」でした。

結果として「優勝=光」を掴むことはかなわず、入賞止まり。

もちろん初の決勝での「入賞」は誇るべき結果。しかし彼女達が目指したのはそこではありません。

自分達の会心のパフォーマンスですら掴めない「光」そして「輝き」。

その結果は、彼女達の「心を砕く」には十分の結果だったのかもしれません。

「完璧なパフォーマンス」を披露すれば届くはずと信じてきた「場所」。

しかし自分達の思う「完璧」でも、そこにはたどり着けなかった。

ではこれ以上どこを「プラス」していけば良いのか。

目に見えない「壁」を前に本当の意味での「足踏み」を余儀なくされたSaint Snow

2期開始当初、千歌にとって「よきアドバイザー」にもなっていた聖良ですが、内心では「砕けた心」を抱えながら、自分達の「これから」を模索していた時期でもあるように思えます。

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自分達の現在地における「全て」を「完璧」にパフォーマンスしたにも関わらず、超えられない「壁」。

それを乗り越える方法を探してもがき苦しむのが、Saint Snowにとっての2期序盤の物語なのかもしれません。

 

Saint Snowと「足掻き」

2期でSaint Snowが発表した楽曲は2曲。

「CLASH MIND」には文字通り彼女達の「砕けた心」。そして「戸惑い」と「足掻き」が表現されているように思えます。

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自分達のやり方で「誇り」を表現しても届かない「頂き」。

歌詞内で語られる、彼女達が感じた「憤り」や「不満」の原初がどこにあるのかは想像の域を出ません。

けれどもこの楽曲で二人は「大人」への不満を吐露します。

「安全な場所」にいて、こちらを一方的に評価する「老獪」な大人。

Saint Snowはそのクールな佇まいの割に、とても「青く」て「懸命なメッセージ」を楽曲に持たせるのが魅力のグループでもあります。

けれども、そんなSaint Snowの「青さ」や「懸命さ」をいともあっさりと「受け流してしまう」「大人」という存在。

それはひょっとしたら、Saint Snowがぶつかった「壁」そのもののメタファーなのかもしれません。

けれどもその「壁」を表明する中で、必死に「輝き」への糸口を探し続けるSaint Snow

「砕けた心を拾い集めて それで芸術を作るのよ。」

これはスターウォーズレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーの言葉ですが、「CLASH MIND」にはまさしくその精神が反映されているように思います。

そんな「CLASH MIND」を以て、地区予選を通過したSaint Snow

もがきながらも自分達の「やり方」を手探りで表現していく二人。

しかしDROP OUT?」では遂に模索の果ての「行き詰まり」が表現されてしまいます。

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決勝の舞台で「掴んだはずの光」。

しかしそれは本物ではなかった(結果として帰ってこなかった)。

それ故に「頂きへの道=光」を見失ってしまった...と歌詞内で吐露する。

これまで自分達の「在り方」を明快に表明してきたSaint Snowには似つかわしくないほどに、「DROP OUT?」の歌詞には彼女達の迷いと戸惑いが満ち満ちています。

歌詞はその最後に至るまで、「迷いへの解決」や「解放」を語らずに終わっていきます。混沌の闇の中へと落ちていく。ある種この後にSaint Snowに訪れる「困難」を暗示するかのような楽曲です。

この楽曲を聞いて思うのは、やはり彼女達の「在り方」には限界があったのでは?ということです。

「パフォーマンス」「実力」。

それらは確かに自己研鑚によって磨くことが出来る要素ではあります。

けれども最終的その過程を「結果」として評価するのは「他者」です。「他者」に認められない限り、自分達には努力に対する「成果」が与えられません。

だとすればそこに「依存し過ぎてしまった」場合にはどうなるでしょう。

「結果」が得られなければいつまでたっても努力に対しての「成果」を得られないということになるわけです。

つまり、どれだけ「努力」しようとも、「結果」が得られない限りは自分達には「成果」が与えられない。

即ちいつまでたっても「自分達」を「肯定する」ことが「出来なくなってしまう」ということになるわけです。

2期7話において、理亞の失敗が原因となって文字通り「ラブライブ」から「DROP OUT」してしまうSaint Snow

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しかしSaint Snowは「ラブライブ」で「優勝」しない限り、自分達を「肯定できない」運命に縛られていた。だとすれば、遅かれ早かれ同じような「破たん」が彼女達には訪れたのかもしれません。


Saint Snowと「再生」

実力主義」と「成果主義」の果てに不本意な形で力尽きたSaint Snow

「パフォーマンス」失敗による、半強制的な「退場」。

しかし、それ故に二人は、2期9話の時点で「終わり」をきちんとした形で受け入れることが出来ていません。

聖良は「実力の世界なのだから仕方ない」と自らを慰めるような言葉で自分を納得させていましたが、どこまで「納得」していたのかは不透明。

そして理亞に至っては「自らの失敗」を悔やむ、毎日涙にくれる日々を過ごしていた。

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確かに現代の「スクールアイドル」は厳しい世界なのかもしれません。

とはいえ、必死に「輝き」を目指し、頑張ってきた二人が、このような「終わり」を迎えて良いのでしょうか。少なくとも「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品は、その「終わり」方を「否定」します。

Saint Snowは(Aqoursにとって)ライバルではなく、同じ夢を追いかける同志」

 

これは酒井監督がファンブックで語った言葉。

敵ではなく、同じ夢を追いかける「仲間」。

だからこそAqoursは彼女達に「救いの手」を差し伸べます。

「夢」が「終わってしまった」と嘯く理亞に「終わらせなければいい」と語るルビィ。

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それは「自分達の夢」=「学校の統廃合阻止」を「諦めざるを得なくなった」後に、浦の星の仲間たちによって、新しい「夢」を与えられ、再び歩き出す勇気を得たからこそ言えた言葉だったのかもしれません。

一つの「夢」が途絶えたとしても、そこから「新しい夢」を紡いでいけば良い。

そして一つの「夢」が途絶えたとしても、「頑張ってきた過去」が無意味になるわけではない。

”がんばるって決めたっけ(絶対負けないって)

いっしょにがんばったよね(絶対負けないって)”

                       Awaken the power

 形は違えども、「同じ時代」に生きるスクールアイドルとして。

それだけではなく「同じ時代」を生きる「若者」としての「痛み」を共有する「仲間」として。

「一緒に頑張る」と決めて、「一緒に頑張った」からこそ紡げる歌詞。

それが表現された楽曲である「Awaken the power」をSaint Aqours Snowとして共に歌う。

この「楽曲」によって、Saint Snowは「救い」を得ていきます。

実力主義」を信じ、頂点に立つ事を目指した日々。

しかしそれは叶わなかった。

けれどもその「頂点」を目指して「頑張った」日々を、「Awaken the power」は肯定していく。

それによって彼女達の「頑張った日々」そのものが「確かな輝き」へと変わっていく。

成果主義」へと呑み込まれてしまった結果、「無価値なもの」になっていた「頑張った時間」と「事実」が、「価値のあるもの」へと変化していく。

そうやって彼女達が過ごした日々そのものが「肯定」されていくことで「Saint Snow」というグループそのものの「価値」が再肯定されていく。

その中でSaint Snowそのものもまた、「再生」していくのです。

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 Saint Snowの存在が成果主義」から切り離されて「肯定」されていく。

そうすることで聖良も理亞も「Saint Snow」の存在そのものを改めて「自己肯定」することが出来るようになる。

自分達の「成果」だけでなく、自分達の「歩み」や「思考」といった「Saint Snow」の「過去」を含めた全てを受け入れ、「肯定」することが出来るようになる。

その中で彼女達の「歩み」そのものが「輝き」へと変わっていく。

「輝きを求めて足掻いた時間こそが”輝き”である」。それは2期13話において千歌が得た答えですが、Saint Snowの二人にも同じ「答え」が与えられる。

ここも彼女達が「第2の主人公」であると感じさせる要素の一つですね。

またSaint Snowが「再生」していく中で、これまで彼女達が紡いできた楽曲にも、「新しい息吹」が吹き込まれていきます。

ただ「頂点」を目指すために生まれたはずの楽曲たちが、Saint Snowの「アイデンティティを表現した楽曲」として「再評価」される。

「勝つため」の楽曲としてだけでなく、Saint Snowの「イデオロギー」が示された楽曲として認められていく。

 

そうすることで彼女達が「輝き」を求めて歌った、「青さ」溢れる原初の楽曲「SELF CONTROL」もまた、Saint Snowにとっての「大事な曲」として認められていく。

「最強」をめざし「最高」であろうとした志。「勝つ」ために「自制」を強いた日々。それは「最高=頂点」にたどり着けなかった今となっては、半笑いで受け止めるべき楽曲なのかもしれません。

けれども彼女達の「在り方」そのものが肯定される中で、この楽曲で描かれた彼女達の「思い」や「願い」もまた、肯定されていく。

前作ラブライブ!において、最終的にはμ'sへと迎合されていってしまった(ように思えた)A-RISEと違って、Saint SnowAqoursの在り方に完全には迎合されない。

あくまでもAqoursの在り方を認めた上で、再び自分達の「在り方」へと回帰していく。

そしてAqoursもまた、その在り方を認めていく。

そうやってそれぞれの「道程」が、それぞれの「輝き」へと変わっていく。

そういった個々の「多様性」を重視する姿勢もまた、「ラブライブ!サンシャイン!!」ならではの観点であり、この作品を考える上では重要な要素なのではないかなと思うのです。

だからこそ、Saint Snowに関して考える事もまた、作品を語る上では重要だと思うのです。

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ということで番外編でございました。

とりあえずキャラ編はこれにてひと段落となります。

長々とおつきあい頂きありがとうございました。

 

さて、次はどこに行こうかな?という感じなのですが、通例通りであれば3rdライブを前にして2期開始以降の楽曲を振り返る「楽曲編」をやるべきですし、

あるいは「二期そのものの総括記事」を作っても良いですし、

やると言っておきながら全くノータッチの「ユニット編」をやっても良いですし、

3rdライブの予想記事をやってもいいですし、

まぁネタは無限にあるので、ちょいと考えます。

恐らくまずは2期終わりに寄せてのかるーい文章を投稿すると思いますので、変わらずよろしくお願いいたします。

それでは今回も長々とありがとうございましたm(__)m

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 〇.5話(サブストーリー)としての函館UCのお話(という無駄話)

 皆様こんにちは。こんばんは。

キャラ編にひと段落ついた(まだ番外編があるんですけど)ので、ちょいと息抜きをしたいなと思い久々に無駄話を書いております。

たまにね。こういうのやらないと、脳がオーバーヒートしちゃうので。

さて、何について書こうか考えたんですけど、折角なので先日行われた函館ユニットカーニバルに関して思ったことをダラダラと書いておこうかなぁというテンションです。

現地には当然行けてないですし、LVも二日目のみの参加というヌルさですので濃い~話には当然ならないのですけど、こういう備忘録的な記事もたまに書いておくと後から見直す材料になったりますので。

ということで完全に自己満足でございますのでお気楽にお読み頂ければと思います。

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■函館ユニットカーニバルの役割のお話

これは指摘されている方も沢山いましたけど、恐らく「Saint Snow」を正式に「Aqoursのライブ」に登場して問題ない「存在」として「紹介」するためのライブ...だったという認識ですね。

2期楽曲を中心に披露することになる3rdLIVE。そこでは当然ながら2期9話挿入歌である「Awaken the power」が披露される。となると「Saint Aqours Snow」として11人が舞台に立つことになる。

もちろんアニメの文脈上ではなんら違和感のない登場なのですけど、とはいえ「中の人達のライブ」という要素もあるAqoursのライブにおいて、人によってはAqoursSaint Snowとが急に肩を並べることに違和感を感じるファンも少なからずいるかもしれない。そういう人に「違和感」を感じずにSaint Snowを受け入れてもらい、3rdライブを楽しんでもらえるための配慮。それがこのタイミングでのSaint Snow二人の投入だったと考えるのが自然かと思います。

(てくてくAqours 函館編も完全にそのプロジェクトの一環という印象です。)

あくまでも3rdで「Awaken the power」を披露するための「準備運動」と考えると、このライブで「Awken the power」を披露しないという判断も、まぁ当然なのかなぁとは思うんですよね。

(もちろん本編中に函館で披露した曲なのだからやって欲しいという思いも分かるので、個人的にはなんとも言えないんすけど。)

「ユニットカーニバル」という試みになったのは、もちろんSaint Snowの曲数が3曲しかなくって、Aqoursとでは平等なセトリにならないから...という非常に現実的な理由なのでしょうけど、結果的にこの判断が新しい可能性を示してくれたなぁと思います。

ある種アニメと完全に離れた存在である「ユニット」を全面に押し出したライブを組むことでどうしても本ライブでは印象が薄くなりがちなユニット楽曲にもしっかり焦点があたる。そうすることで「あぁ、ちゃんと聞いてなかっけどこのユニットの曲好きだなぁ」と気づくファンがいるかもしれない。そうすると今まで「ユニット曲はいいや...」と思っていたファンを、新たな購買層として取り込めるかもしれない。そういう「既存ユニット曲」の品評会としても機能している感じがしたんですよね。

とか言うと「またファンを金ヅルにして!」と怒られちゃうかもしれないですけど。まぁでもこのプロジェクト、「趣味」ではなくて、きちんとした「商売」なんでね。こればっかりは。

あと同様の理由でA-RISEは本ライブには登場する余地が無かったんですけど、こういう形であればもしかしたら今後彼女達も「僕たちの前に姿を見せてくれる」可能性が広がったわけじゃないですか。

これってめちゃくちゃワクワクしますよね♪

μ'sはもちろん、A-RISEの楽曲が好きだった人も沢山いるわけで(当然僕もそうです)。でも彼女達のライブはそういう諸々の事情で見られなかった。けれどそれを受け入れる「枠」がこうして生まれた。

それは「プロジェクト ライブライブ!」という視点で見ても、とても有意義なことなんじゃないかなぁと思うのですよね。

 

■ライブ本編の感想のお話

いやぁライブは当然むちゃくちゃ楽しかったです。

それぞれのユニットの個性と、それの更なる発展がしっかり表現されていて、その進化を楽しめたのも良かった。

3曲構成という縛りのために発生するMCタイムも、ユニットそれぞれの個性が出ていて良かったです。普段のライブでも同じようなことはやっていますけど、それが更に発展した形を見せてもらえたというか。

あと、通常ユニットにありがちな「台車での移動」が会場の都合上なかったので、今まできちんとダンスをみたことない曲のダンスとかをしっかり見られたのも良かったです。

個人的に面白かったのは「海岸通りで待ってるよ」ですかね。

この曲初めて聞いたときはまるで刺さらなかったのですけど、2ndライブで見て「悪くないな」と思った曲で。

今回は前述のような事情で全て舞台上で完結させる流れだったわけですけど、楽曲に併せてコロコロ変わる3人の表情が楽しめて、とても良かったです。こういう時やっぱり彼女たちの「役者魂」みたいなものを感じちゃって感心しちゃうんですよね。

 

あとはなんといってもSaint Snowなんすよね。

この二人のパフォーマンスの素晴らしさは、公演終了直後に散々Twitterで話散らかしたので、もうここに書く事は無いんですけど(おい)。

当たり前ながら凄まじい緊張とプレッシャーに晒されながらだったと思うんですけど(とはいえ僕が見たのは二日目でしたので、一日目よりはリラックス出来ていたと思うのですが)、そんなプレッシャーを敢えて「受け入れて」、自分の力に変えながらパフォーマンスしていたことに強烈に感動してしまいました。

もちろんお二人とも芸歴でいえばとても長くって、舞台というものには慣れているのでしょうけども、とはいえ「ラブライブ」というコンテンツのライブに挑むのは当然初めて。しかも「Saint Snow」というユニット自体にも相応の思い入れがある。自分達の思う「Saint Snow」を全力で表現する。その中で「どんなもんじゃい」と思っている観客を「納得」させなくてはいけない。ただ無難にライブをすれば良いのではなくて、観客の目の前に「Saint Snow」の二人を「現実」として「登場」させなければいけない。

そういう2.5次元のライブ故の難しさは当然僕らには分からない。だからこそ、お二人が1曲目である「DROP OUT!?」からバッチリとそれを表現してくれたので、僕は思わずウルウルしてしまいました。

「あぁ、Saint Snowがいる...。」と思ったら、ジワっと目頭が熱くなりましたよ。普段ライブで滅多に泣かないので、自分でもびっくりしましたけど(笑)。

もちろん、アニメ内の二人がそこにいるだけではなくて、当然中の人である田野アサミさんと佐藤日向さんが時折キャラクターを超えて「顔を出す」瞬間がある。

田野さんが聖良がやらないであろうレベルのシャウトを聞かせてくれたり、ラップパートでは佐藤さんがきっちりライムを刻みそうな理亞とは違って、気持ちをぶつけるようなライミングを聞かせてくれた時には、明確に「中の人」である二人の、このライブにかける「気持ち」が放出させている感じがして、ここでも不覚にも感動してしまいました。

あぁ、こうやって「中の人」が意図せずオーバーラップして、作品とキャラクターに新たな可能性を与えていく。そうやって相乗効果のように作品そのものの価値を高めてくれるのが僕が「ラブライブ!」を好きな所なんだよなぁ...と改めて思ってしまったんですよね。

だからまぁ「Awaken the power」をやろうがやるまいが、僕にはあんまり関係無いというか。しっかり想像以上に「最高なライブ」を彼女たちが見せてくれたので、本編だけで十分おなかいっぱいでした。

アンコール有る無しの話もありましたけど、ここまできっちり完成されたライブ本編を見せてもらえたら、別にアンコールは無くても良いと思いました。

ま、そもそもアンコールというのは「演者のサービス」に過ぎないものなので、それを求めるのが当たり前になってしまっているのは、僕たち自身もちょっと考えなければいけない現状なのかもしれませんけども。

 

Saint Snowのサブストーリーとしてのお話

これはまぁ完全に余談なんですけど、本ライブを見ていて思ったのは、このライブが「アニメ本編のサブストーリー」としても機能しているんではないかな?という感覚で。

特にSaint Snowの物語を考えるうえでは重要だと思うのですよね。

Saint Snowは2期では地方予選決勝の舞台で「DROP OUT!?」を披露するも理亞の転倒によってパフォーマンス失敗。それが原因となって敗退してしまった。そしてそれ以降はSaint Snowとしてライブはやっていなかった。

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すなわちSaint Snowの時間というのは、あの「DROP OUT!?」で止まってしまっているわけです。

ここで本ライブのセトリなのですけど、Saint Snowはトップバッターで出演し、「DROP OUT!?」を披露しているんです。即ち止まっていたSaint Snowの時間がこのライブからまた「動き出した」という風にも取れるんですよね。

実際僕はイントロを聞いた瞬間に、あの8話がフラッシュバックしましたし、故に本編中にあの曲が「止まった場所」を超えた瞬間に、「Saint Snowの時間が動き出した」と感じたのです。

本公演のセトリを「if」と表現する方もいらっしゃって、それはそれで面白い考え方だなと思うのですけど、僕がどちらかというと、このライブは2期の時間軸に沿って存在するもののような気がして。

完全に妄想ですけど、なし崩しで「解散状態」になってしまったSaint Snowがきっちりと「終わる」ために用意されたライブなのかなと。

理亞だけでなく、聖良が次へと進むために、きちんと「Saint Snow」という存在そのものを彼女達自身が「肯定」した上で進んでいってほしい。

2期9話で千歌たちが話していた「サプライズ」に、その内容も含まれていたら...?と考えたらちょっと暖かいなぁと思ってしまったのです。

もちろん妄想ですけども(笑)。

でもそう考えると、彼女達の3曲の並び順もとても意味のあるものに思えて。

DROP OUT!?」で再び動き出した時間は、歴史を辿るように過去の楽曲へと戻っていく。これはまるでAqoursにおける「WONDERFUL STORIES」にも共通する流れで。

自分達の「過去」を見つめながら、その時その時の気持ちをもう一度確認し、そうすることで自分達自身の「過去」を「肯定」していく。

そして最終的には「SELF CONTROL!!」へとたどり着く。

正直彼女達にとってまだ「青臭さ」を残すような、萌芽の楽曲なのかもしれない。

けれどもスクールアイドルを始める時に誓った気持ち、Saint Snowの「原点」といえる楽曲である「SELF CONTROL!!」を、Saint Snowが「終わる」最後の瞬間に歌う。

そうして自分達の「全て」を「肯定していく」。そう考えると、とても胸が熱くなって。

届かなかった願いという「現実」は、はっきりとあって。

けれどもそれを願ったこと、願って手を伸ばした事実は消えないし、その「思い」自体はとても大切なものなわけです。

もちろん叶わなかった今、そこにもう一度向き合うのは辛いかもしれない。けれど敢えて「今」そこに向き合って、あの日の「感情」そのものにも向き合う。歌詞を歌う。そうすることで当時の自分達をやはり「肯定」していく。

「特別」を目指した自分を。

「真剣」を誓った自分を。

「恐怖に打ち勝つ」と決めた自分を。

そのために「努力する」と決めた自分を。「努力した」自分を。

「最高」と言わせると決めた自分を。

その全てを「肯定」していく。

そうやってSaint Snowという存在そのものが、彼女達自身によって再度肯定され、その力強い肯定を経て、我々も彼女達の言葉に応える形で彼女達を「肯定」していく。

 

ラブライブ!サンシャイン!!」とは「肯定の物語」だと僕は思っています。

それはあらゆる「在り方」「考え方」を許容し、肯定していくということでもある。

正直前作「ラブライブ!」において、A-RISEは最終的にμ'sの思想に「同化」していく要素があって、もったいなさを感じていた部分もありました。

そういう意味では、Saint Snowは更にその先に進んだような気がしていて。

少なくとも彼女達はAqoursの考え方」を受け入れた上で、「自分達の在り方」を最後まで捨てないことを選んだ。その象徴が最後に「SELF CONTROL!!」を歌うということに象徴されているように思うんですよね。

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田野アサミさん、佐藤日向さん。お二人の熱く素晴らしいパフォーマンスも相まって、この「SELF CONTROL!!」をもって本当の意味で「Saint Snow」がしっかりと「終わり」を迎えることが出来たことが何よりも嬉しかったと言いますか...(まぁまだ3rdに登場するわけですけども笑)。

ちょっと綺麗にまとまらないのですけど、兎にも角にも僕はそこに一番感動してしまった...というお話なのでした。

 

 

ということで、函館UCの感想(というよりもSaint Snowをすこれ!という記事)でした。

いやはや、これを機会にぜひユニット楽曲を聞きこんでいただきたいですし、何よりもSaint Snowをもっと聴いていただきたいし、僕自身も更に聴きこみたいなと思っちゃいましたよね。。

特に「SELF CONTOROL!!」は1期OSTにしか収録されておりませんので「サントラまではちょっと...」と思っているそこのアナタ!ぜひご購入をご検討くださいませ♪(というダイマ)

なんとなく散漫としておりますが、こんなところで本稿を締めたいと思います。

ありがとうございました!!

Awaken the power (特典なし)

Awaken the power (特典なし)

 

 

「ラブライブ!サンシャイン!!」2期総括コラム【キャラクター編⑨ 高海千歌】

 「普通」の私の日常に 

突然舞い降りたキセキ

何かに夢中になりたくて... 

何かに全力になりたくて...

脇目もふらずに走りたくて...

でも何をやっていいか分からなくて...

燻っていた私の全てを吹き飛ばし

舞い降りた

それは...

その「輝き」は____

 

...皆様こんにちは、こんばんは。

ちょっと前回から間が空いてしまいました。すみません。

さて、本シリーズもこれが一応のラスト。

TVアニメにおける主人公・高海千歌編をお届けします。

千歌は物語においても主軸となる人物。

彼女を総括するということは、物語そのものを総括することにもなると思います。

ただし、そうなると脱線し続けてしまう危険性があるので、こと千歌に関してはいつもとは少し違って、一つの「キーワード」を巡る彼女の「変遷」から紐解いてみたいなと考えています。

その「キーワード」とはもちろん「輝き」です。

千歌が度々発する言葉でありながら、その「意図」が明確にされなかった言葉。

しかし高海千歌を語る上では、決して外すことの出来ない言葉でもあります。

というわけで、本シリーズとしては珍しいスタイルになってしまいますが、今回は千歌と「輝き」に関しての一点突破で考えてみようと思います。

 正直私自身かなり思い入れの強いキャラクターなのでどう転んでいくか未知数でもあるわけですが。。暖かい気持ちでお付き合い頂ければ幸いです(笑)。

それでは参りましょう、高海千歌編です。

毎度毎度ではございますが、本稿は筆者の妄想に近いものであり、公式の設定等の裏付けが無いものがほとんどです。予めご了承の上でお楽しみ頂ければと思います。

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高海千歌と「自己評価」

千歌と「輝き」。その関係性を考えるにあたって、まずは「スクールアイドル」と「出会う前」の千歌を想定しつつ、TVアニメ1期開始段階における千歌にとっての「輝き」とは何だったのかを考えてみたいところです。

自らを「普通星の普通星人」と自称する彼女。何をやっても突き抜けず平均点。特段夢中になれるものもない。けれども「自分の全てをかけて夢中になれるものを見つけたい」そんな思いだけはある。

「夢中になれるもの」を探して様々な物事に挑戦するものの、結局は「特別」にはなれなくて。それが本当は悔しいのだけど「悔しくない」フリをして。そうやって興味の対象を移していく中で与えられた「飽きっぽい子」というレッテル。

けれども本当はそうではなくて、「本気で夢中になれるもの」を探しているだけ。「それ」と出会うことが出来れば、自分は「普通星人」を脱して、「特別な輝きを手にした人」に変われるのだと本気で信じているから。

「普通の自分」を「特別な存在」へと変えてくれる力。

それこそが1期開始当初の千歌にとっての「輝き」と言えるかもしれません。

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さて、この千歌の状況を逆説的に考えると、千歌は「輝き」を常に「手に入れるもの」ないしは「外的要素によって与えられるもの」だと認識していた...という事実も見えてきます。

「自分が夢中になれるもの」を見つけて、それに全力で打ち込むことでやがて手に入れられるもの。それこそが千歌にとっての「輝き」である。

なぜ千歌がこのような発想に至っているのか...。それは千歌が自分を「普通」で「魅力のない人間である」と考えている...という前提があります。

一見分かり辛いのですが、千歌という子はとても「自己評価の低い」女の子です。彼女は自分を「普通」と呼称しますが、千歌の使うこの「普通」は、我々の考える意図よりも更に「低い」意味で使用されている節があります。

千歌は自分自身を「何のとりえもない、何の面白みもない人間」であると考えている。だからこそ自分自身の中にはそもそもとして「輝き」は存在しないと考えている。だからこそ外的な要素によって「輝き」を手に入れなくてはいけないと考えている...ということが理解できます。

なぜ千歌がここまで「自己評価の低い人間」になってしまったのか...に関しては裏付けが難しい部分です。

限られた情報から想像するのであれば、その要因の一つには「挑戦と失敗」というものがあるように思えます。

元々「自己評価が高くない」子であった千歌。そんな千歌に「挑戦することの意味」を教えたのは幼馴染の果南でした。

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近所の浅瀬にすら飛び込めない消極的な少女だった千歌に「今やらないと後悔するよ」と語った果南。もちろん、そこまで大きな意味をもった言葉ではなかったかもしれません。しかし結果的に千歌は果南の言葉に背中を押される形で海に飛び込み、その後は「何にでも挑戦する」女の子へと変わっていきます。

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(完全に余談ですが、この時の千歌には”勇気”を象徴するアイテムである”リボン”がありません。そこからも”勇気”自体は千歌が後天的に手に入れた要素であることが象徴的に描かれているようにも思えます。)

しかしその「挑戦」がどのような「結果」を生んだのかは周知の通り。結果的に「数多の挑戦」は「数多の失敗」を生み。

千歌は「成功体験」を積めないまま「今」に至ってしまいました。

「挑戦」の末与えられた「数多の失敗」という「結果」。

これが千歌自身の「過度な自己評価の低さ」の原因にもなっているように思えます。

 

また、もう一つ千歌が自分を卑下する要素があるとすれば、それは幼馴染である果南と曜という「人的要素」にもあるのかもしれません。

果南は幼い頃から「やりたいこと」をしっかりと持っている子でしたし、曜は「なんでも器用にこなせる」子。

近くにいる二人と「同じようになりたい」と思いながら、「そうなれない」日々は、もしかしたら千歌に不必要な「劣等感」を与えてしまったのかもしれません。

もちろん、果南や曜には罪はないわけですが、そんな事情も高海千歌という人の「自己評価の低さ」に繋がっているようにも思えるのです。

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よく「ラブライブ!」シリーズという意味で前作の主人公「高坂穂乃果」と並んで比較されることも多い千歌。しかしその本質は穂乃果とは全く別物です。

穂乃果もまた「普通の子」ではありましたし、そのことに自覚的でもありましたが、彼女は自分が「普通」であることに劣等感は持っていませんでした。即ち「自己評価」に対しては、とてもフラットな状況で「スクールアイドル」を始めた。

けれども千歌は自己に対する圧倒的な「マイナス評価」を抱えた状態から「スクールアイドル」を始めている。

「面白そう」という理由だけではなくて、その活動を経て「輝きを手に入れたい」という「劣等感を背景にした切望」をもって「スクールアイドル」に挑んでいる。

しつこいようですが千歌にとっての「輝き」とは「手に入れるもの」である。

その前提を頭に入れて頂いた上で物語を再度読み解いていくと、千歌にとっての「物語」、そして「輝き」の「変遷」について、より理解が深まるように思うのです。

 

高海千歌と「成功体験」

千歌が抱える「自己評価」の低さ。その理由の一つは、前述した通り「成功体験の少なさ」によるものと考えられます。

「何かをやる」ことで得られる「達成感」。それに基づく「成長」。

それは「自己肯定」していくために「必須」のものです。しかし千歌には「成功体験そのもの」がほとんどない。

この「自己評価の低さ」は千歌というキャラクターにとっては明確な「カセ」となるもの。となれば千歌はこの「カセ」を超越していく必要があります。

上記を踏まえれば、千歌にとっての1期の物語とは、「成功体験を積むことにより、自己肯定することが出来るようになる」までを描いた物語なのでは?とも考えられるわけです。

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1期の物語をザックリと振り返ってみましょう。

1期において千歌がAqoursとしての活動を開始する動機は、彼女がこれまでの人生において繰り返してきたものと同じ。

「挑戦」をすることで、そこから派生する「輝き」を手に入れたいというもの。

千歌の中には明確な形として存在する「輝き」という概念。しかしそれはグループのメンバーにはフワっとした形でしか共有されていないもの。

そんな「曖昧な動機」を抱えた千歌が率いるグループ故に、Aqoursは「何かをやりたい」「何かになりたい」という「やる気」だけはあるものの、はっきりとした「活動の動機」が無いグループでした。

その「動機の無さ」が白日の下で明らかにされてしまうのが1期7話・8話。

夢で夜空を照らしたい」のPVが好評だったことを受けて参加した東京でのライブ。客席からの人気投票で順位が決まるイベントにおいて、Aqoursはなんとダントツの最下位。得票は驚くことに「0」。

惨敗を喫し、同年代のグループであるSaint Snowからも厳しい評価を突きつけられます。

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Aqoursの敗戦の理由は明確ではありません。ただしSaint Snowの言葉からは「スクールアイドルとしての動機の薄さ」が指摘されていたようにも思えます。

「μ'sのようになりたいのかもしれない」「けれどもそれだけでは厳しいと思う」

「憧れる」だけではなく「なぜ自分がスクールアイドルをやるのか?」その意思を見せてほしい。聖良の言葉にはそんなメッセージが込められているように思えます。

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千歌個人の切実な事情は置いておいても、前述のような「曖昧な動機」を抱えてスタートしたAqoursというグループ。個々人の思惑はあったとしても、グループとしての「動機」や「意思統一」が無いままここまで来ていたことも事実です。

その問題点を的確に見抜かれた上での「批判」と「結果」を、端的且つ残酷な形で与えられてしまった千歌。

その強烈な「敗北感」に打ちのめされてしまいます。

幼馴染の曜ですら想定していなかったレベルで傷付いた千歌でしたが、内省し、己の気持ちを梨子にぶつける中で「Aqoursの活動目標」を見出していきます。

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「なぜ自分たちは0という評価を受けたのか」

与えられた残酷なまでの「結果」への煩悶。

しかし、実のところそれは千歌自身の「これまで」にも跳ね返ってくる問いかけです。

「特別」になりたくて、「輝き」が欲しくて、これまで様々なものに挑戦してきた千歌。しかしその度に千歌に与えられたのは「何にもなれない」という「結果」。

即ち「0」でした。

けれど千歌はその「0」の理由を検証することはしてきませんでした。

なぜこれまで検証してこなかったのか。それは2期13話の母親の言葉を借りれば「本当は悔しいのに、周りの目を気にして、諦めたフリをしていた」から。だからこそ「0」に立ち向かう瞬間がついぞやってこなかった。

けれど今回は違った。これまでとはまるで違う感情が千歌に押し寄せたからです。

「頑張ったはずなのに。一生懸命やったはずなのに。なぜ自分たちは、いや自分には0しか与えられないのか。」

その事実を初めて「くやしい」と表現した千歌。

それはこれまで「周りの視線」を優先して「諦めてきた」どんなものとも違って「スクールアイドル」に真剣に取り組んできた矜持と、これからも続けたい気持ちがあるからこそ。

こうして今まで「0」から目を背け続けた千歌が、その「0」に真正面から「挑む時」。千歌は明確に「カセ」を乗り越えるきっかけを経て、成長を遂げます。

彼女自身が「0」に向き合う中でようやく見つけた「動機」。

それは「0を1にすること」。

その思いがこれ以降Aqoursを強くし、「0から1ヘ!」はAqoursそのもののスローガンにもなっていきます。

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「0」のものを「1」にする。それは何も自分達の得票に関わらず、自分達が関わる全てのものに関係していきます。当然「学校説明会への応募者」もその例に漏れないわけです。

そして1期ラストの13話では遂に「0を1」にしてみせる。

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放送直後には「学校の入学希望者を1名に増やしたからなんだっつーの?」などという心無い感想も見かけました。しかし、この数字はあくまでも「メタファー」に過ぎないわけです。大事なのは「学校の入学希望者が1名に増えた」事なのではなくて、千歌が「0」に立ち向かう中で見出した目標である「0を1にすること」がこの時遂に「達成された」という事実なわけです。

これまで一切の「成功体験」を経験したことがなかった千歌が、遂に手に入れた「成功体験」。それこそが「0を1にすること」なのです。

そしてその「成功体験」が「MIRAI TICKET」の世界観へと繋がっていく。

自分のことをまるで肯定できなかった1人の少女が、たった一つの「成功体験」を経て、自分の中から溢れ出す「願い」とその「価値」を「肯定することが出来るようになる」。

それが「ラブライブ!サンシャイン!!」1期のメインテーマでもあるのだと思うのです。

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こうして千歌が遂に手にした「成功体験」。これによって千歌は自分への「過小評価」を正し、以前よりも自分を「肯定」できるようになる...

わけなのですが、反面この「成功体験」が二期においては千歌にとっての「課題」へと変わってもいくのです。

この重層的なシナリオ構造もまた「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品の素敵な所ではあるのですが...同時に難解な部分でもあります。

 

高海千歌と「呪縛」

1期で遂に「0を1にする」という「成功体験」を手にした千歌。

千歌を「自己評価の低さ」という「カセ」から解放し、「自己肯定」へと導いた「成功体験」。

しかしこの「成功体験」を胸に生み出した「MIRAI TICKET」では予選突破を果たせず。その結果を受けて、千歌はまたしても「迷い」を胸に一つ抱えることになります。

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「輝きは心から溢れ出す」。

「自己肯定の中」から生み出した新たな「輝き」の解釈。その思いを乗せた楽曲が結果的には「否定」されてしまった。それ故に千歌は「輝き」の正体をまたしても見失ってしまう。

「輝きってどこから来るんだろう。」

再びその悩みへと迷い込む中で、千歌を支えることになるのが「成功体験」です。

ラブライブ」で勝利するための方程式はない。

けれども自分を「カセ」から解放した「成功体験」はある。それは学校の入学希望者を「0から1」に増やしたこと

千歌が欲しているのは「輝き」。「ラブライブで優勝する」ことも「学校の生徒数を増やして学校を統廃合から救う」ことも同じだけの「輝き」を与えてくれるのだとすれば、「成功体験のある方」を感覚的に重視してしまう。

2期において急激に「学校の統廃合問題解決」に向けて積極的になったように映る千歌。

もちろん2期1話においてその課題が急激に進展してしまった...という事情はあるのですが、千歌個人の背景を辿るとその裏には「成功体験」に基づく「数字への依存」もあるのではないか?とも想像出来てしまうのです。

これまで「成功体験」を得た事が無かったからこそ、今度はその「成功体験」に依存してしまうようになる。そしてそれが千歌にとっての「呪縛」になってしまう。

1期においてのメインテーマが、今度は主人公を縛り付ける「新たなカセ」へと反転していく。こう考えると素晴らしい構成だなと唸らされます。

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2期において千歌たちが常に気にし続ける「入学希望者数」。

現実的に考えれば内浦という地方の女子高の入学希望者が彼女たちの頑張りだけで爆発的に増えるわけがない。けれどもその「数字」を盲信し、そこに全てを賭けようとしてしまう。そこには「成功体験に基づく呪縛」の影響を感じてしまうのです。

 2期7話「残された時間」では最後の最後まで抵抗を見せるものの、入学希望者は「98」で止まり、浦の星女学院は正式に「統廃合」における「廃校」となることが決定してしまいます。

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この結果に最もダメージを受けたのは他ならぬ千歌でした。

すっかり沈んでしまった千歌は、自らが率先して進めてきた「ラブライブ優勝」への道筋も、「Aqoursとしての活動」すらも放棄しようとしてしまいます。

ラブライブなんてどうだっていい!学校を救いたい!!」

「学校を救えなかったら、輝きも手に入らない。」

千歌のこの台詞にショックを受けた人も少なくないと思います。

しかし、この言動は「数字」とそれに基づく「成功体験の呪縛」を強く受けているからこそのものだと考えれば、ほんの少しだけ納得がいくかもしれません。

もちろん「学校を救いたい」という純粋な気持ちもあっての発言ではあります。

けれども自分を支えてきた「成功体験」が「否定」される中で千歌は「輝き」への道筋をも閉ざされたように感じた。

だからこそ全てを投げ捨ててしまいたくなるほどに「絶望してしまう」のではないか?とも推測できるのです。

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「数字」に基づく「成功体験」を得られないのであれば、どうやって別の「成功体験」を作れば良いのか。唯一の「成功体験」が否定されたからこそ、千歌の思考もまた停止してしまうわけです。

(統廃合問題にスクールアイドルとしての成功を重ねてしまうのは、μ'sの呪縛でもあるのでは??とも考えているわけですが、それに関しては2期7話記事をお読みいただければと思います。)

しかしそんな千歌を「呪縛」から解き放つのが浦の星女学院の仲間たち」です。

「生徒数を増やして学校を統廃合から救う」だけが「学校を救う方法」ではない。

ラブライブで優勝」して、「学校の名前をラブライブの歴史に刻む」。

そうすることで「浦の星女学院の名前」を「永遠」にすることが出来る。

それもまた「学校を救うこと」なのだと語ります。

そして、それは「千歌たちにしか出来ないこと」なのだとも告げる。

浦の星女学院スクールアイドル=Aqours」にしか出来ないことなのだと告げる。

そして極め付けにこう言うのです。「輝いて!」と。

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盲信してきた「数字」に基づく「成功体験」と、それを達成することによって初めて「輝き」を得られるのだ...という千歌の思考。

それを根底から覆す仲間たちの「提案」。

それは「スクールアイドル=Aqours」の「輝き」を客観的に受け止めた彼女達だからこそ伝えられる言葉なのかもしれません。

学校を統廃合から救えないのだとしたら「スクールアイドルをやる意味がない」と語る千歌の言葉を否定し、「スクールアイドルである千歌」の存在を全力で「肯定」する。

それは「スクールアイドルである千歌」にしか作れない「輝き」があるから。

その「肯定」は千歌が「スクールアイドルとして過ごしてきた過去」を肯定することに繋がり...。

そして千歌が「スクールアイドルとして輝きを目指すこと」を肯定することにも繋がっていくのです。

その「肯定」によって千歌は「数字」という呪縛から解放される。

「スクールアイドル」として「輝き」を目指すこと。それが「学校を救う」ことにも繋がるのだとすれば、もはや「数字」は「輝き」を目指す上では絶対的な価値を持つ存在ではなくなる。

唯一の「成功体験」故に神格化されていたものの価値をリセットすることで、千歌はもう一度「フラット」な立ち位置へと戻っていく。

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こうして「成功体験」に紐付かない「輝き」への道程に再び挑むことになる千歌。それは図らずしも「1期の千歌の状態に戻ること」を示してもいます。

即ち、再び「0」へと歩みを戻し「1」へと挑む...ということ。

けれども彼女「戻ること」を恐れません。それは彼女が既に一度「成功体験」を経験し、それによって自分を「肯定できる」ようになっているからでもあります。

「起きること全てに意味がある」

それは2期におけるメインテーマでもあるわけですが、ここでは「過去の経験」が千歌の背中を強く押すことになる。例え状態が過去に戻ったとしても、「経験が息づく」限り人格そのものが過去に戻ってしまうわけではないからですここもまた千歌の物語を考える上では重要なポイントになっていく要素だと思います。

 

高海千歌と「手に入れたもの」

「起きること全てに意味がある」

「スクールアイドルとしての自分」を他者から肯定されることによって、「スクールアイドルとしての自分自身」を改めて「自己肯定」できるようになった千歌。

千歌はその「肯定」によって「スクールアイドル」としての自分にも絶対的な「自信」を持てるようになります。

その「自信」は「唯一の成功体験」の根底にあるもの=「得票0の結果用紙」を手放すきっかけをも与えていきます。

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「0を1」にすること。その「願い」を持つきっかけとなった「0の用紙」。

それは千歌にとっては、「数字に基づく成功体験」信仰の根底となる一種の「お守り」でもあり、「呪縛」の「根拠」でもありました。

千歌が「成功体験」を欲したのは「自分を肯定していく」為でした。

しかし「スクールアイドル活動」を通じて「他者からの肯定」を手に入れた千歌にとっては、今やこの「成功体験」も「過去のもの」となりました。

だからこそ千歌はこのタイミングで「0の用紙」とも「お別れ」が出来るのかもしれません。

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 自分に強烈な「痛み」を与えた用紙。それでもその「痛み」は「今」へと繋がる貴重な「痛み」でした。だからこそ、千歌は風へと運ばれていく用紙に「ありがとう」と呟くのでしょう。

自分を縛り付けていた「呪縛」から本当の意味で解き放たれる事で、千歌は遂に「スクールアイドル」として「唯一無二」の存在に変化していきます。

それを象徴するように、決勝の舞台に立つ千歌には、普通の象徴である「クローバー」も、勇気の象徴である「リボン」もありません。

真っさらな、ただの「スクールアイドル=高海千歌」として「スクールアイドル」にとっての一番大事な舞台に立つことが出来る。

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その姿からは「スクールアイドル=高海千歌」の完成形を見るのと同時に、彼女がハッキリとスクールアイドルとしての「輝き」を手にした事実を実感することができます。

彼女が手に入れたかった「スクールアイドルとしての輝き」。2期12話において千歌は遂にその「輝き」を手に入れたのです。

 

高海千歌と「輝き」

浜辺にたなびく優勝旗。

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「スクールアイドル」として目指した「輝き」も、浦の星の仲間から告げられた「輝き」も、その両方とも手に入れた千歌。

しかしその表情は優れません。

ラブライブ優勝と共に「輝き」は手に入った。しかし結果として浦の星女学院は無くなった。3年生は卒業と同時に内浦を離れ、Aqoursもまた自然解散となった。

手に入れたはずの「輝き」を象徴するものは「優勝旗」だけ。他には何も残らなかった。

その事実に漠然とした「空しさ」を感じているようにも見えます。

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千歌にとって「輝き」とは「手に入れるもの」だった。それは一度手にしたら自分と同化し、自分もまた「永遠に輝く人」になれるはずだった。

けれども、今優勝旗を目の前にした自分は、「スクールアイドル」を始める前の自分と何も変わっていない気がする。

輝きを確かに手に入れたはずなのに、何も変わらない「自分」。

だからこそ千歌はそんな現状にある種「絶望」しているのかもしれません。

 千歌にとって終始「手に入れるもの」であり「外的要素」だった「輝き」。

自分には無いものだからこそ「手に入れる」ことで、「自分を輝かせてくれる」はずだった「輝き」。

しかしそれを実際に手に入れてみたところで一向に「自分自身」が輝いていかない。

ここで分かるのは、千歌にとっての「スクールアイドルとしての輝き」は、あくまでも「手に入れた物」に過ぎず「自分自身の輝き」とは別物である...ということ。

また「学校の名前を永遠に刻む」という「輝き」もまた、「スクールアイドル」としての「輝き」の延長線上にあるものなので、「自分自身の輝き」とは認識できていない...ということも分かります。

 故にここで重要になるのは、家族による千歌への「評価」なのだと思います。

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千歌が「あそこにあったんだよね?私たちの輝き...。」と「優勝旗」に重ねる「自分の輝き」。それを家族は「否定」します。

千歌は元々「負けず嫌い」だった。けれども「周囲の目線を気にして」その「要素」を隠していた。

だから千歌は本質的には、昔から今に至って「特別変化していない」と評価する。

そして元来千歌は、「自分の可能性を捨てないで、何度でも挑戦し続ける特性」を持った人であり、それこそが千歌自身の「輝き」なのだとも「評価」する。

そうすることで千歌の「自分自身には輝きは無く、自分はスクールアイドルとして優勝することで輝きを得たのだ」という認識を「否定」する。

そうではなくて「千歌は本質的に輝きを持っていて、スクールアイドルとの出会いは千歌のその本質敵な輝きを開花させたに過ぎないのだ」という評価を千歌に与える。そしてその価値観を視聴者である「我々」にも共有する。

そうすることで、幼少時代を含めて千歌が「頑張ってきた過去」全てが「肯定」されていき、「スクールアイドルとなる以前」の千歌本人が「輝き」を持っていたこと自体も「肯定」されていくのです。

即ち千歌本人の中に元々あった「輝き」そのものが、この会話を経て「肯定」されていく。

そしてそれだけではなくて、千歌が本来持っているもう一つの「輝き」

「常に新しいものに挑戦していくこと」をも「肯定」されていくのです。

千歌が「自分には何もない」と思ったからこそ続けてきた「挑戦」。

それもまた千歌個人が持った「輝き」として「肯定」されていく。

何度飛ばしたとしてもやがては落ちてしまう紙飛行機。しかし、それは逆に考えれば「飛ばそうという意志」を以て「飛ばし続ける限り」は本当の意味では「落ちないもの」でもあります。

そしてそれは千歌という人そのものの「メタファー」でもあるわけです。

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飛んで行った先で「落ちる(0に戻る)」と分かっていたとしても飛び続ける。そして「0」になった先でまた「1」を目指して飛んでいく。

そうやって常に未来に向けて「希望を描いていく」こと、その行動をもって「輝いていく」こと。

夜空に留まって光り続ける「光」になるのではなくて、常に動き、その姿を以て誰かの心に「希望」を巻き起こす「光る風」になること。

それこそが高海千歌の「輝き方」なのだと思うのです。

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そんな辛い「輝き方」ってありなのか?と思われるかもしれません。

けれども僕らは大概千歌と同じ「輝き方」を目指すしかない。

「普通」の自分を受け入れた上で、それでも勇気を振り絞って「自分の可能性」を信じて、「未来」に向けて自分を「投げ続ける」。

その中から生まれるかもしれない「輝き」を。

その「輝き」を見た誰かが「次代」にその「輝き」を繋いでくれることを。

それだけを「信じて」、ひたすらに、真っ直ぐに、ガムシャラに生きていくしかない。

それだけが「普通」の僕たちに残された、唯一の「輝く方法」であり、「戦い方」なのだと思うのです。

そしてそんな「戦い方」を僕らに伝えてくれるからこそ、千歌は「無慈悲な現実に戦いを挑む勇気ある人々の物語」である「ラブライブ!サンシャイン!!」において、「主人公」といえる立ち位置を得ているのだろうとも思うのです。

 

...ということで高海千歌編でした。。

いやぁこれは難産でした。正直丸で納得はいっていませんけども、とりあえずなんとか形は整えられたかなぁとは思っています。。

うーん、書き足りなかった所は何かで補てんするか、2期総括で埋めるようにしますね。

さてキャラクター編はこれでお終い.........

 

 

 

って思いますよね?

ところがあと少しだけ続くんじゃ。

 

次回

「キャラクター編は遊びじゃない!!」

お楽しみに。