Love Live!Aftertalk!

妄想をただ書き連ねる覚書。更新情報等はTwitterにてお知らせしております。

ラブライブ!サンシャイン ハイライト 第9話「未熟DREAMER」

いやぁ12話、良かったですねぇ(既視感)。

というわけで、もはや本放送にはどうあがいても追いつかない考察ブログがこちらです(白目)。

まま、13話で1期も終わってしまいますので、その後のロングスパンをこのブログと共に過ごしていただければ幸いでございます。。(という遅筆の言い訳)

 

さて、読んでいただけましたら

「ブッブッブー不正解ですわ!!(意訳:それは少し違いまして?)」

とか

「あんた良いこと言うじゃん」

など、ご意見ご感想も遠慮なく頂けるとありがたいです(あんまり過剰なDisは精神的に来るのでご勘弁頂きたいですが…)。

最近応援して頂ける方が増えているようで、非常に励みになります。

今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m

また、本ブログは著者の妄想がメインです。

関係者様の証言など何も取ってはおりません。

いわば戯言の類ですのでw 予めご了承の上読み流して頂ければ幸いでございますm(__)m

さて、というわけで「ラブライブ!」シリーズ屈指の神回となった第9話未熟DREAMERを振り返りましょう。

今回は一部Twitterで触れた内容と重複することもございます。

そちらも合わせてご了承願います。。

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前回6人での再出発を誓ったAqours

今回はいよいよ物語のキモ=3年生の加入回となりました。

今回も今までと同じく、項目に分けて振り返っていきますね。

 

■消えないホワイトボード

ファーストシークエンス。

果南がスクールアイドル解散を切り出すところから物語はスタートします。

この際、果南はホワイトボードに「歌詞」を書き連ねています。

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今回9話のキモとなるこの「歌詞」

千歌たちの「部室」としてあてがわれたこの部屋は、やはり果南たちの使用していた部室でした。

この部屋を割り当てたのは理事長である鞠莉なので、この采配は「意図的」だったと見て良いでしょう。

千歌たちが初めて部室に入った日にも、うっすらと残っていた「ホワイトボードの歌詞」。それは物語の進行上大きな役割を果たしていきます。

この辺りは「3年生の物語」部分、或いは「未熟DREAMER」の楽曲解説部分で、詳しく解説するようにしますね。

 

■果南と千歌

「上級生と下級生」あるいは「先輩と後輩」という関係ながら「幼馴染」でもある果南と千歌

こういった関係性のキャラクターは「ラブライブ!」シリーズには初登場となります。

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子供時代には臆病な千歌を後押ししていた果南

再び登場した幼少時の千歌。やはり左側の「黄色いリボン」が無いように見えます。

1話ハイライトで触れたように、千歌の「黄色いリボン」は彼女の中の「穂乃果=勇気」を象徴するもの、と考えられます。

とすれば、この時は千歌の「穂乃果性」を果南が「補てん」していた、という風にも見えますね。

一つ離れた年上の幼馴染である果南。

恐らく果南が中学に進学するタイミングで、それまでよりは「疎遠」になってしまったであろう二人。

千歌が「リボンを付けるようになった」のはそのタイミングなのか?というのも、気になるポイントの一つ。

そしてそこにも「ドラマ」があるのでしょうか。

まだまだ不明点ばかりの「二人」の関係ですが、なんにせよ千歌は果南という人の「本質」を下級生の中では「一番知っている」からこそ、彼女の行動や選択に「疑問」を感じます

そして、それが今回の物語を動かす「きっかけ」となっていきます。

 

松浦果南

今回のキーマンとなる果南。

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これまでは「台詞が全くない回」だけでなく「出番すら無い回」があるなど「冷遇の極み」を受けてきましたが、それは彼女こそが「物語のキーマン」だったから。

彼女が「動く」時、物語も急速に「動き出し」ます。

果南の性格をよく知る千歌は、「自分の一度の失敗で全てをあきらめてしまう」という選択が「果南らしくない」と思い、彼女を調査しようと試みます。

その方法とは、「ストーキング追跡」。

とりあえずは、毎朝「日課」として早朝ランニングをこなす果南を追いかけることで、何か「綻び」を見つけ出そうとします。

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(花丸…)

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内浦を軽快に、息も切らさず走り続ける果南。

追いかけるAqoursの面子がヘロヘロになる中、顔色一つ変えません。

その体力の充実は、今のAqoursに足りないものの一つ。

絵里の加入がμ'sのダンスクオリティを高めたように、果南もまたAqoursに足りないものをプラスする大事なピースであることが分かります。

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(体力自慢の曜でさえ、ついていくのが精いっぱいです。)

たどり着いたのは千歌たちも練習に使っている淡島神社階段

その先の祠の前で、果南は「水を得た魚」のように躍り始めます

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その動きの華麗さ、見事さは、思わず千歌たちも見惚れるほど。

同時にその晴れやかな表情からは「スクールアイドルが嫌になった」様子など微塵も感じ取れません

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思わず拍手しそうになった千歌よりも先に拍手が聞こえてきました。

その正体は鞠莉

「なんでいるねん!」などという野暮な突っ込みは止めましょう。

彼女は「果南のストーカー(自称)」ですからね。本職です。

思わず身を隠す千歌たちに気付かず会話を始める二人。

鞠莉の言葉から「果南が復学する」という事実が明らかになります。

しかし、その後のやりとりはここでも堂々巡り。

「スクールアイドルに戻れ」と言う鞠莉を頑なに拒む果南。

鞠莉は果南が「歌えなかったことを悔やんでスクールアイドルを止めた」と思っているので、半ば力づくに果南を呼び戻そうとします。

しかし、果南はその誘いを完全に拒絶。

ついには無二の親友だったはずの鞠莉に

「なんで帰ってきたの。私は帰ってきてほしくなかった。」

「あなたの顔、もう見たくないの。」

などという厳しい言葉を吐きかけてしまいます。

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これにはいつも「余裕」な表情の鞠莉も流石にショックを隠せず。。

(・・・このシーンはあまりにも胸が痛くなるシーンでした。)

とはいえ言った本人も苦渋の表情。

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しかしその表情を、鞠莉は見ることが出来ません

どうしてここまで「こんがらがってしまった」のか。

この時点では視聴者には理由が分かりません。

しかしこの頑なさ、個人的には「ラブライブ!」の某人物を思い出さずにはいられませんでした。

そう、「ラブライブ!」の主人公、高坂穂乃果です。

今でこそ「明るく能天気」なイメージが定着している穂乃果ですが、1期終盤に見せた「面倒くささ」「頑なさ」は相当なものでした。

その性質の根底は、彼女自信が持つ強烈な「自我」にあります

その特性が良い方向に働く場合、「強烈なリーダシップ」となって仲間をけん引する膨大なエネルギーとなるのですが、それが一度マイナス方向に振れた場合、「強烈な自我=責任感の強さ」となり、とんでもない「めんどくささ」に変化してしまうのです。

ラブライブ!」1期での穂乃果の場合、「猪突猛進に物事を進めた」結果、「周り(ことり)の変化や、自分自身の体調の変化に気付けず」「大きな失態」を犯してしまいます(注釈:風邪を押して出演したLIVE中に倒れ、μ'sは活動中止。ことの重大性を指摘された生徒会長=絵里の判断によって、μ'sはラブライブへのエントリーを取り消すことになりました)。

結果として「μ'sの活動休止」「ことり留学」という事態を招くことになり(ことり留学プロットに関しては後ほど触れますね)、それを「自分自身の責任」として1人で背負ってしまう事で、自分がけん引してきたはずの「スクールアイドル活動」を「辞める」とまで発言してしまいます。

これがひと時の感情に根ざした突発的な発言で、仲間の意志や説得によって覆るのなら良いのですが、「強い自我」の持ち主である穂乃果は「自分自身が決めたこと」を頑なに「守ろうとします」

結果海未に「最低呼ばわり」されたりするわけですが、それでも彼女は自分の「決定」を守り抜こうとします

・・・ちょっと話が脱線してしまいましたが

なにはともあれ、果南からはそんな穂乃果と同じ性質を持つ香りがします。

すなわち「自分自身の責任感」から「自縄自縛」になってしまっているわけです。

となれば、その果南を「自縄自縛から解放する作業」が必要になります。

 

■「歌えなかった本当の理由」。明かされる「視聴者が知らない情報」という問題。

一度は果南に手厳しく拒絶されながらも、鞠莉は粘り強く追いすがります。

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その手に握られているのは、かつて「スクールアイドルを結成していた」時期に使用していた「衣装」

しかし果南はそんな「大事な思い出のつまった衣装」外へ放り投げてしまいます。

(このあたりも果南の頑なさと、融通の利かなさをよく表しています)

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舞い落ちる衣装を「制服フェチ」である曜がとっさにキャッチ!

コミカルなシーンに見えますが、「衣装」を拾ったのが2年生3人であったように、「終わりかけたスクールアイドルの夢」を「2年生3人が救う事実」へのメタファーのようにも映ります。

拾った制服が「衣装」であることに気付く曜。

上の階が騒がしいので行ってみれば、そこではいよいよ「言葉では埒が明かない」ともみ合いが勃発していました。

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とはいえ、どれだけ「もみ合おう」と根本的な問題認識が「ずれている」現状では「解決」には至らず。

「いつまでこの押し合いへし合いを見せられるんやろ…」という視聴者の声を代弁するかのように、いよいよ千歌が「切れてしまいます」

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「いい加減に…しろーーーーー!!!!!!」

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「わけのわからない話をいつまでも!!」(ここも視聴者の代弁ですねw)

「感情をあらわにすること」が少なかった千歌の「爆発」に慄く人たち。

(一人ニヤリとしている花丸…。耳塞ぎ成功したから?)

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「放課後部室に全員集合!」と有無を言わせず3年生ズに承諾させる千歌。

3年生相手に、ここまでの強権を発動できたのは、相手の一人が幼馴染の果南だから。

「こう着」した物語を動かすのは、やはり千歌の「役割」となります。

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※完全な余談ですが…

3年生の教室にかけられた「日進月歩」という標語。

クラスの標語としては少しふさわしくない感じがします。

「日々、物事が急速に移ろう様」を示す4文字熟語。

この言葉を掲げたのは、「いつまでも立ち止まっていないで進むべき」という持論を持つ鞠莉なのでしょうか?

それともダイヤなのでしょうか。

どちらにせよ小物を使って「見えない誰かの感情」を説明するのも、映画的な手法ではあります。

 

・・・放課後アイドル研究部に集合した3年生ズ+Aqours

図らずもこのシーンが初めて9人が(面と向かって)一同に会すシーンとなりました。

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ここでも果南の態度は変わらず

鞠莉やルビィの証言や、ダイヤの裏切り(?)に憤慨しつつ、途中退席してしまいます。

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ここで事態を動かすのは、鞠莉も「知らない情報」を知っているはずのダイヤ。

追求を逃れるように脱出を図りますが、

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姉妹共々、ヨハネコブラツイストの餌食に

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コブラツイストは首・肩・腰を同時に極める複合関節技です…というどうでもいい知識)

いよいよ観念したダイヤ。

その彼女から明かされた「歌えなかった本当の理由」は、Aqoursだけでなく、鞠莉にとっても「初耳」でした。

ダイヤが明かした「果南が歌わなかった理由」

それは「鞠莉が本番直前に怪我をしていた→怪我をかばって無理をし、事故に発展することを恐れた→果南が緊張で歌えなかったことにして棄権した」という事実でした。

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※さて、ここで少し不満点を挙げます。

私が不満に感じたのは、この「鞠莉のけが」という情報が、今日・この日「唐突に、初めて示された情報である」という点です。

事前に匂わせるのが難しい情報なのは理解できます。

しかし我々が知らない情報が物語構造上の「大事なポイント」として登場してしまうのは、視聴者に対して「フェアではない」個人的には思います。

この手法が常態化してしまうと「実はこうでした!」後出しじゃんけんで全てが解決できる→伏線をいくらでも無効化できる…という事態になりかねないわけで、シナリオ構造としては悪手の一つのように思えてしまうのです。

ただし、私が悪手と思うのは「怪我」という情報を「後出し」で出した手法自体のことであって、プロット自体にはそれほど不満は感じていません。

多少強引に映るプロットではありますが、「幼馴染」ゆえに「鞠莉の立場」をよく知る果南が「自分のわがままに付き合ってくれている鞠莉に無理をさせられなかった」という構造はとてもよく理解できるからです。

(それを強調するように、鞠莉がスクールアイドルを始めたことを理由に、自分の進路設計をも変更させている事実を果南は聞いてしまう・・・・という描写もあります。)

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また「怪我」自体も「かねてから鞠莉にスクールアイドルを辞めさせるべきなのでは?」と考えていた果南が、それを「実行に移す」ための「引き金」になっただけに過ぎず、それほど「大きな事件ではない」のです。

しかし、この構成では「怪我自体が大事件」のように見えてしまい、それが「プロット自体の邪魔」をもしているように見えてしまいました。

個人的には、非常にもったいないなぁと思う部分ではありました。

 

■3年生組の関係性=「ことほのうみ」のリブート?

 前作での2年生トリオのように、幼少時代からの幼馴染である3年生組

その関係性には、どうしても「ことほのうみ(ことり・穂乃果・海未)」の3人を重ねてしまいます。

物語中何度か断片的に登場する「過去の3人」の姿。

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(険しい表情の鞠莉。引っ越しを繰り返してきたであろう過去。金髪・碧眼故にクラスになじめなかったであろう過去がこの1枚から伝わります)

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(妹と同じ動作をする姉)

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(懐中電灯を振る…という合図)

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そこには「3人」がいかにして「親友」になったのかに関しての詳しい説明はありません。

これは尺の都合上「そこに時間を割けない」という大人の事情もあるのかもしれません。

しかし、それ以上に「断片的にイメージを差し込む」ことで、逆説的に「3人の関係の強さ・深さ」「その時間の長さ」「濃密に伝える」効果が生み出せているように思えます。

そしてこの手法自体、前作「ラブライブ!」で「ことほのうみの関係性」にも使用していたものであり、やはり前述した通り「ことほのうみ」との親和性を感じてしまいます。

その親和性の高さから、「ことほのうみ」のifを「サンシャイン」の3年生組を利用して表現し、その関係性を「リブート」しようとしているのでは?とも思えてきます。

 

■「ことり留学プロット」の「失敗」と「やり直し」。その「真意」とは。

前作「ラブライブ!」で多くの人を困惑させたNO BRAND GIRLS失敗」から「ことり留学」に至るプロット。

それまで、なんだかんだと「ほんわか」していた物語の中で唐突に突きつけられる「シリアス」で「バッド」な雰囲気に戸惑った視聴者が多かった…というだけでなく、

「知らない話題が急にぶち込まれた」

 挙句、

「それを穂乃果がほぼなし崩しに解決」「ことりも穂乃果にほだされて帰ってきたように見える」展開に乗れない視聴者が続出

結果的にこのプロットを「呑み込めるか」「呑み込めないか」で、その後のラブライブ!」を楽しめるか否かを図る「試金石」にまでなってしまいました

またこの展開を「呑み込んだ」人でも、このプロットを特に意識せず「スルーしてしまっている」か、

プロットの持つ意味や意図を「理解していない」方が大半。

(ただし理解していないのが悪いのではなく、本編内での説明方法が悪いから仕方ないのです。視聴者が悪いわけではありません。)

なおかつそれを解説する媒体も皆無という現状が、今なお続いています。

実は私自身、このプロットの持つ意図が分からず、「困惑したうちの一人」でした。

ただ、「このプロットって何のためにあるんだろう?」と考えたのが、

ラブライブ!」を分析し始めるきっかけになり、

ひいてはこのBlogを作るきっかけにもなったわけで、

個人的には「非常に思い入れの強い」プロットの一つとなっています。

 

そんなわけで今回「鞠莉が留学していた」という情報が出た段階でなんとなく

「花田さん(シリーズ構成・脚本)はことり留学プロットをリブートしようとしているのではないか?」

とピンと来たわけです。

そして、「サンシャイン」9話では、私の予想の通りに、その「リブート」が行われました。

 さてでは「ことり留学プロット」とはどういった意図を以て作られたのでしょうか?

実はこのあたり9話放送直後に自分のTwitterで振り返っているので、それをまんま掲載しますw

・・・・長くなりましたが、概ね以上が「ことり留学プロット」の狙いと、今回リブートをした意図となります。

以上のツイートでほぼ全てなのですがw 

せっかくなので「かなまりの描写」に関して少し追記します。

 

■伝えたいことは「ちゃんと伝える」という視点。

ダイヤに「真相」を聞いた鞠莉は、「果南をブッ飛ばす!」と言って黒澤家を飛び出します。それは「大事なことを自分に伝えなかった」果南が許せないから

しかし、ダイヤは果南が鞠莉に「気持ちを伝えていたこと」「それに鞠莉が気付かなかったこと」を教えます。

その答えは「ホワイトボード」にあります。

9話冒頭映るホワイトボードの歌詞。

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この時部室で3人が話しているのは「スクールアイドルを解散する」という話。

しかしそんな話題をしながら果南は「ホワイトボードに歌詞を書き続けて」います。

この歌詞は「未熟DREAMER」の未完成版。

そしてここに書かれた内容こそが、「果南が鞠莉に伝えていた本音」ということになります。

ここから伝わるのは「スクールアイドルへの未練」

しかし、鞠莉はその表現にはまるで気づきませんでした。

そして、その事実をダイヤから教わったからこそ、鞠莉は「浦の星へ走っていく」わけです。

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見た人全ては絶賛する鞠莉の疾走シーン。TVアニメの枠を超えた「気合の入ったシーン」でした。

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2年経っても完璧には消えていなかった「ホワイトボード」の歌詞。

そこに残された歌詞を読むことで、鞠莉は2年越しに果南の真意を知ることになります。

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再び浦の星で対峙する二人。

二人は「お互いを思いやる」あまり「決定的にすれ違って」いました。

そしてその「すれ違い」を生んだ要因は、お互いの関係に慣れ親しんだ結果=「言わなくても本心が伝わるはず」という相手への過剰な期待だったことが分かります。

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鞠莉の気持ちを聞かずに決定を下したことに対する、報復としての「平手打ち」。

しかしそれは、「本音を言ってくれなかったこと」への非難でもあります。

その意図が分かるからこそ、果南も鞠莉に「本音をぶつけます」

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果南は鞠莉を「スクールアイドルに巻き込んだ」という負い目があります。

だからこそ鞠莉の口から自主的に「スクールアイドルをやりたい!」という言葉が聞きたかった。

しかし鞠莉の口から出るのは、「リベンジ」「次は負けられない」というグループ全体としての責任感から発せられる言葉ばかり。

「自分が悔しいからもう一度やりたい」「スクールアイドルを続けたい」という意志表示が無かった。

だから果南は「スクールアイドルという重荷」から「鞠莉を解放する」ために「決断をした」と鞠莉に告げます。

果南を非難した以上、鞠莉も「自分の罪」には気づいています。

それ故に自分の「左ほほ」を差し出すわけですね。

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平手打ちを通して、「贖罪」と「和解」を試みる鞠莉。

しかし果南が下した結論は「ハグ」でした。

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ここでも「ハグ」が二人にとってどういった意味を持つのか、は説明されません。

ただし、二人の(厳密には3人の)初邂逅のシーンをフラッシュバックさせることで、

「この二人は、大事な場面では必ずハグによって、問題を解決をしてきたのだな」ということが伝わるようになっています。

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本編ではじめに「ハグ」を試みたのは鞠莉でした。

そこから分かるのは「ハグ」が二人にとって「仲直り」を超えた「リセット」の意味合いを持つ動作である、ということ。

はじめこれを拒絶した果南から、改めて鞠莉に「ハグ」を求めるという行為は、鞠莉だけでなく、視聴者である我々にも「言葉以上の意味」を伝える動作となります。

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崩壊する鞠莉。

それを受け止める果南。

本音を語り合えた二人は、「ハグ」を通して、ようやく「元の幼馴染」の二人に戻ることが出来ました。

「お互いを思いあうが故にこんがらがってしまう人たち」ばかりが登場する「サンシャイン」。

鞠莉と果南もそんな関係の二人なのでした。

 

黒澤ダイヤ

鞠莉を学校に誘い、その後果南を学校に入れてあげるために「鍵」まで開けた生徒会長=黒澤ダイヤ

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彼女は二人の「こじれ」を最も理解していた存在であり、だからこそ板挟みになり苦しんでいた人物でもありました。

彼女が「スクールアイドル部」を認めなかった理由は「自分たち自身が夢半ば」のまま宙ぶらりんになっており「スクールアイドルへの気持ちに踏ん切りをつけられていなかった」から。

それ故に「他人がスクールアイドルをやる」ことを認められなかったのでしょう。

しかし「鞠莉の復帰」と、その鞠莉が「Aqoursの活動に前向きであること」を知る事によって「鞠莉自身のスクールアイドルへの思い」を確認した彼女は、「自分自身のスクールアイドルへの想い」をも再燃させていきます。

結果鞠莉を上手く操りながら、果南を刺激し、千歌たちを厳しく教育し、結果としてAqoursの結成を成立させてみせました

μ'sを結成に導いた希よりも更に困難なミッションを成立させた、ダイヤという人物。

只者ではないな…と思います。。

そんなわけで、もはや「スクールアイドル活動」になんの支障もきたさなくなったダイヤ。

元々どのメンバーよりも「スクールアイドルを知り、愛する」人物である彼女が加入することで、遂にAqours「パーフェクトナイン」となります。

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9話で9人が揃う、というお約束を守りつつ!

いよいよAqours」が完成しました!

そんな彼女達の門出を祝う歌は、花火大会に向けて準備をしながらも未完成のまま披露できなかった「あの曲」です。

 

未熟DREAMER

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この楽曲に関しては、語るのは野暮…というくらいPVが素晴らしい出来です。

また、これまでの物語を「総括」するような歌詞も素晴らしい。

こちらに関してもCD発売後に思わず興奮してツイートしてしまったものがありますので、そちらを貼りますねw

 ・・・ちょっと言葉足らずの部分を補足しますと、

サビ前の「力をあわせて 夢の海を泳いで行こうよ」は3年生3人ではなく、千歌以外の全員が歌唱しています。

ただし、この部分の詞を作ったのは「1年生時の果南・ダイヤ・鞠莉」なのです。

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(8話で1年生時の果南が作詞しているシーンがあります。)

その歌詞に、9人となったAqoursが「今日の海を」と加え、それを千歌がソロで引き継ぐからこそ、「過去から今へ」引き継がれたバトンを強く実感できるわけです。

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作詞を通して、「止まっていた時間」を動かし始めた3年生ズ。

「本音をぶつけ合えた」今だからこそ、あの時願った「楽しくなるはず」「未来」信じることが出来る。

未熟DREAMER」という楽曲がただの挿入曲としてではなく、物語を形作るための「大切な一部」として機能しているのも、この回の素晴らしさの一つですね。

 

・・・というわけで書いた自分が引くほど長くなった9話振り返りでございました。。

次回10話・11話はまたしてもニコイチで更新する予定。

その後12話と13話のハイライトが終わりますと、

今度は「サンシャインの総括」をしつつ、

ラブライブ劇場版の詳細解説」を「ラブライブ1期および2期の解説」もしていこうかな?と勝手に青写真を描いております。

相変わらず自分の文章力の低さに悲しさしかないですが、今後も精進して参りますので、何卒引き続きよろしくお願いいたしますm(__)m

という、ビジネス文章を最後に、また次回!!

 

 神曲is here!

 予約しまんた。

ラブライブ!サンシャインハイライト 第7話「TOKYO」&第8話「くやしくないの?」

※9/13筆

ちょっと眠すぎて表現が拙かったり、足りない部分があったので大幅に加筆修正しました。

よろしくお願いいたしますm(__)m

またまた空いてしまいました。サーセン(白目)。

さて、いよいよ大事な回7話と8話に突入します。

この2つは2個でセット。

いわばオデュッセイアとかスタンド・バイ・ミーとか「マッドマックス 怒りのデスロード」のような行きて帰りし物語ですので、一緒にやってしまうのがベスト。

決して「ちんたらやってると追いつかないから」ではないですよ。

ええ本当に。。(すっとぼけ)

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■「憧れの場所」であり「相対化される場所」である「TOKYO」へ

 前回発表した楽曲「夢で夜空を照らしたい」はPVの視覚的工夫が受け好評。

スクールアイドルランキングでは99位

急上昇ランキングではトップと、目に見える結果を生みました。

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 そんな上昇気流のAqoursに舞い込んだのはラブライブのスピンオフイベント(?)「東京スクールアイドルワールド」への誘いでした。

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一気の知名度アップを狙うAqoursにとっては「渡りに船」ともいえるこのお誘い。

当然メンバーは参戦へ前向きです。

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しかし「東京」で「他のスクールアイドルと合同のライブイベント」に参加するということは、Aqoursとして初めて静岡県外」に出て、「相対化される」ということ。

イヤでも不穏な空気が漂います。

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「東京憧れギャグ」を炸裂させる「非東京メンバー」のわちゃわちゃが挟まれることで和みをアピールしつつ。。

東京に向かうルビィに、姉ダイヤが託したのは「気持ちを強く持て」というメッセージ。

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言葉の意図が分からないルビィは、思い悩みますが・・・。

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(同じタイミングでリーダーの千歌は、自分の家の近所の景色を見て喜んでいました。アホの子なのかw)

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まぁ、この千歌の表情は「東京」への憧れを示している…のだとは思いますが。。

 

ただし千歌が「東京」に特別な思いを持つのは、単純な「都会への憧れ」だけではなく、そこが「μ'sの聖地」でもあるからです。

■「彼女たちが知っていること」「私たちが知っていること」

「μ's」の聖地を巡る。

それは千歌にとって、今回の「旅」の動機の一つになっています。

しかしここで分かるのは、

「彼女たちが知っていること」と「私たちが知っていること」が違うという事実です。

彼女たちが向かうのは、

μ'sが練習で何度も登った階段。

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神田明神

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万世橋

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そしてUTX高校(秋葉原UDX)。

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などのメジャー所。

「サンシャイン」の世界で「μ's」の物語がどのように語り継がれているのか、今一つ分からないのですが、第3話で2年生の3人が「School idol movie!」での穂乃果の言葉を引用したように(スクールアイドルはこれからも広がっていく~というもの)、それなりの密度で共有されていると考えても良いのでしょう。

ただし、今回登場する「聖地」の中で唯一Aqoursの面々が寄らなかった場所があります。

それは、μ'sが解散を宣言したのち、全員で号泣したあの「駅のホーム」です。

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μ'sのファンであれば、一度は立ち寄ってみたいと思う「あの場所」をあっさりとスルーした、ということはAqoursのメンバーはこの場所の存在自体を「知らない」と考えるのが自然でしょう。

作劇的に考えた場合にも、敢えてここを「出した」にも関わらず、メンバーを立ち寄らせなかった理由は「この場所を知っているのはμ'sと視聴者である我々だけなのである」という事実を明文化させるためでしょう。

ま、そこまでの意味はない、単なるファンサービスの可能性もありますけどね(笑)。

 

■梨子が「まだ戻れない場所」

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神田近くに宿泊するAqours

どうしてもシリアスになりがちな「サンシャイン」では、和ませるためにメンバーのわちゃわちゃをよく利用しますね。

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神田の近く、ということは「音乃木坂の近く」ということ。

となれば「μ's」に憧れるメンバーは「行ってみたい」と考えるのが自然です。

しかし、一人浮かない顔なのは、「音乃木坂から転校してきた」梨子。

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中学時代に、ピアノの実績を買われ音乃木坂に入学した梨子。

(音乃木坂が元々音楽学校だったという、忘れていた設定!)

しかし高校入学後には思ったような結果が出せず、逃げるように浦の星へと流れ着いた梨子にとって、音乃木坂はまだ「戻れない場所」です。

夜中、眠れずにいた梨子が千歌だけに語った「音乃木坂」と「ピアノ」への思い。

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梨子にとって「自信を喪失した場所」へと戻るのには、まだ時間が必要です。

それは彼女がまだ「トラウマを克服できていない」からです。

彼女が音乃木坂に戻る時、それはドラマが大きく動く時なのでしょう。

 

また、この想いを千歌とだけ、共有したことが後々の伏線へとなっていくわけですが、それはまた別の話。

そしてもう一点。

「ピアノが弾けるようになった」梨子は「音乃木坂」に「戻る」日が来るのでしょうか?

このあたりは2期以降の物語になりそうですね。

 

■「saint snow」という存在と意味。

物語の時間軸が前後してすみません。。

とはいえ、saint snow7話と8話を繋ぐブリッジですので、このタイミングまで待ちました。

千歌にとって「希望」の象徴である「μ'sが練習していた階段」。

そこを登りきった先には「希望」が待っているはず。

しかし待っていたのは、彼女たちの行く手を塞ぐ「カタキ=ライバル」でした。

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アカペラでのハモリというド迫力な登場演出。

そこには「歌唱力」という部分での「Aqours」とのクオリティの差別化が為されています。

更に全力疾走からの・・・

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跳躍・・・!!

こ、こいつ、ムダに身体能力の高さまでアピールしてきやがった!!!

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ニヤリ(ドヤァ)

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(鹿角姉妹はクールに去るぜ。)

 

というわけで強烈に自意識過剰個性あふれる自己紹介をかまして去っていくsaint snowのお二人。

「優しいラブライブ世界」においては珍しく「ヒール感」溢れるキャラでございます。

再登場はいつなのか・・・!

と思っていたら凄まじく直近

なんとAqoursと共に前座として呼ばれた2組のうちの1組がsaint snow」だったのです。

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・・・ほんとどうでもいいんだけど、この二人なんとなくガンダムXの「変態兄弟感」がありますよね。ほんとどうでもいいけど。

ガンダムXのフロスト兄弟)

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「観ていて!私たちSaint snowのステージを!」と高らかに宣言しステージに向かう二人。

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(出崎演出みたいになってる!)

披露した曲はSELF CONTROL!!」

まずアニメの動き、スゴイです。

「静止画にするために作ってない」のがキャプチャ取ってると良く分かる。

あくまでも「動かす」ために作ってるので、良いキャプチャが取れないこと。

しかし、だからこそ、凄いグルーブ感と躍動感を生む歌唱シーンになっていますね。

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確かな歌唱力、そして表現力

「二人しかいない」からこそ手が抜けないという緊迫感

そしてその緊迫感が生み出す精緻なパフォーマンス

間違いなく現時点ではAqours」を凌駕した存在として映ります。

非の打ちどころがない、まさしく「パーフェクト」。

反面、歌詞に視線を向けてみると、彼女たちがまだ「未熟」であることが際立ちます。

 

 歌詞を読み解くと

「最高だと認められたい」

「認められるためには、遊びではなく真剣でなくてはダメ」

「真剣だと認めさせるためには、弱い自分の影に打ち勝たなくてはならない」

「最高だと言われるために自制(self control)しなければならない」

となんだかライザップみたいな歌詞になっています。


Saint Snow - Self Control Lyrics

このblogでは再三言っていますが、「ラブライブ!」という作品が「ミュージカル作品」である以上、歌が出てきた場合にはきちんと物語上意味があって登場しています。

ということは、この歌詞もまた「彼女たちの現状」を表現していると考えるのが自然でしょう。

一見Aqoursよりもはるか高みにいるように見える彼女たちもまた「模索の途中」にいるAqoursと変わらぬ存在」なのです。

放送直後にはこのsaint snowへの非難が相次ぎましたが、私にはちょっとよく分からない現象でした。

それは歌詞を読み解くことで、彼女たちの役割が分かっていたからでもありますが。

8話序盤、涙目で「ラブライブを馬鹿にしないで!」と詰め寄る姿から、彼女たちの現状は分かるはずなのですが。

 

さて、「SELF CONTROL!!」の歌詞から感じるのはsaint snowを動かしている動機が強烈な「承認欲求だということ。

なぜそんなカルマを背負っているのかは現時点では分かりませんが、「誰かに自分を認めてもらうために頑張る」というのは、Aqoursとは真逆のアプローチです。

何故ならそれはμ'sのアプローチとも真逆だからです。

ラブライブ!シリーズのテーマの一つが「他人など気にせず、自分を愛する(誇る)」ことであり、μ'sはアニメ2期で何度もそのテーマを反復したにも関わらず、saint snowの動機はそれとはずれています

となれば「テーマ」を描くために「物語」があるラブライブ!」では彼女達もまた変化していくはず。

今後Aqoursと戦うなかで彼女たちはどう変わっていくのでしょうか。

こちらも楽しみです。

 

■μ'sも真っ青な負けっぷり。しかしそれは予想の範囲内。娯楽作品故の「敗北」とは。

とはいえ歌詞の中身と関係なく、周囲のアイドルとAqoursのクオリティの差は歴然

Aqoursのメンバーはひどく打ちのめされます。

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(せっかくの東京でも、どこか心ここにあらず)

これまで第3話では挫折しかけるも「友人や家族の協力」を得て乗り切り、なんだかんだ順風満開にやってきたAqours

そんな彼女たちにとって初めての挫折

とはいえ、この敗北はこちらには予想済みです。

というのも、「ラブライブ!」という作品は非常にスタンダードな作劇に従って作られている作品だからです。

ハリウッド的(というか日本映画でも同じ)作劇の決まりとして

「まず少し勝つ、その後めちゃくちゃ負ける、そしてそこから這い上がって勝利する」というのが、「娯楽作品」の基本

ラブライブ!」はそれを忠実に守って作劇しているわけです。

前作「ラブライブ!」でも基本それに従っていましたが、ちょっと上手くいかなかった部分もありました。

ま、だからこそ今回は更にブラッシュアップしてくるだろうなと予感して見ていました。

そんな期待に応えるかのように(?)Aqoursには追い打ちが。

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「はっちゃけお姉さん(俺命名)」に呼び出されて渡されたのは、イベント参加ユニット全ての人気投票結果

今回はこの結果をもって入賞者を決める…というイベントだったのです。

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(前作から唯一の継続登場人物 はっちゃけお姉さん=俺命名)

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「渡すかどうか迷った」…というその結果。

その言葉だけで不安を増すメンバーたち(と視聴者)。

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結果は30組中30位。得票数0という、驚異的な「負けっぷり」

「負ける時はとことん負ける」というのはラブライブ!」の伝統。

とはいえ、「これはあり得ないだろう!」と怒っている人も見かけたんですが、「ラブライブ!」って作劇としては「寓話」に近いものがあるので、こういった部分での「リアリティバランス」みたいなものって全然取らないんですよね。

あくまでも「伝えたいこと」のために「表現」がある。

「物語」のために「キャラクター」がいる。

というバランス構成なので、ここは呑んでいただくしかない。

(ま、そういうバランスだからアニメそんなに見ない僕でも大好きなんですけどね。)

 

とはいえ、ここまで「負ける」というのは私も予想外ではありました。

さて、いよいよ「決定的に負けた」Aqours

ここから彼女たちの物語は急激に動き出します

 

■「敗北」の受け入れ方。曜と千歌。

「決定的な敗北」はいつも明るいAqoursのメンバーにも影を落とします。

その中で必死に「頑張ったからこれで良い」とメンバーを鼓舞する千歌

しかしその笑顔はどこか堅苦しいものです。

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そんな千歌に真っ向から問いかける曜。

「千歌ちゃんは、くやしくないの?」

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そんな曜の「直球」にぎょっとするメンバー。

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それに対してしどろもどろになって返す千歌。

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しかし、本音は聞けず。

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帰り際。

千歌が迷った時に必ず問いかけてきた「スクールアイドル止める?」という問いかけ。

しかしこれにも千歌は答えず

二人の間には溝が生まれてしまいます

 

生粋の「スポーツ少女」として育った曜。

彼女が選んだのは「個人競技」である「水泳」でした。

そんな彼女の日常は「自分との闘い」の連続のはず。

勝利のために分析と練習を怠らず、結果的に「勝利し続けてきた」曜。

結果として「飛び込みの能力はインターナショナル選手レベル」というアスリートに成長した曜。

そんな彼女には「敗北する人」の気持ちが、もっといえば「凡人」の気持ちが分かりません。

だから、千歌の気持ちを今一つ理解しきれないし、千歌を上手く励ますことも出来ない。

しかし、彼女自身はホントはそれを「分かりたい」

その痛みを千歌と「共有したい」

でも「分からない」

そんな曜のジレンマがこのシーンには集約されています。

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結果的にこの溝が後々の伏線となるわけですが、それもまた別のお話。

 

■「千歌以外」が見つめる「月」。千歌が掴もうとする「太陽」

帰宅後、物思いにふけるAqoursメンバー。

彼女たちが共通して見つめるものが「月」でした。

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2話のハイライトでも書きましたが「月」は自ら輝けない星です。

故に輝くために「太陽」が必要

しかし、現在のAqoursは絶対的な「太陽」だったはずの千歌を失った状態です。

このシーンは、そんな千歌以外のメンバーの現状を「月」に見立てて表現している、いわばメタファーの表現となっています

続く曜と梨子のシーンではそれがもっと分かりやすく示されます。

曜は千歌とのやりとりを思い出し、上手く励ませない自分に歯がゆさを感じ、思い悩んでいます。

その際見ているものは「千歌=太陽」の写真です。

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梨子はベランダから千歌の部屋をただ見つめます。

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このベランダは、第2話で梨子が「千歌=太陽」と出会うことで「希望を手に入れた」象徴的な場所です(詳しくは2話ハイライトをお読みください。)

すなわち、二人も自分自身を月になぞらえ、「千歌=太陽」の復活を願っている、という状態なわけです。

しかし、誰もが「太陽」としての役割を期待している千歌自身は、一人部屋に籠り、寝転がり、ふさぎ込んでいます。

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そんな状態の彼女が手を伸ばすのはμ'sのポスター

前作「ラブライブ!」の劇場版作品「School idol movie!」が本作「ラブライブ!サンシャイン」に大きく影響を与えているのは何度か指摘させていただきました。

その劇場版のストーリーとは、

μ'sはスクールアイドル達とSUNNY DAY SONGを共作し、SUNNY DAY SONG」を「スクールアイドル」のアンセムとすることで、μ'sが解散したとしてもSUNNY DAY SONG」が「μ's=スクールアイドルの意志や希望」を伝え続ける故にμ'sが解散したとしても「大丈夫なのだ」という物語でした。

しかし、千歌はこの文脈を把握していません。

彼女はμ'sに「太陽」を見ており、それ故にその「太陽」を掴もうと手を伸ばします。

(ここの手の動きもまた、映画での穂乃果の手の動きを意識したものですね)

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しかし千歌は、その太陽をつかまえることができません。

なぜならμ'sもまた既に「太陽」としての役割を終えているからです。

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ここで一つ千歌というキャラクターの前提が覆されます。

すなわち「太陽」思われていた千歌もまた「月」であったということを示すシーンなのです。

ここは非常にアッサリと描かれていますが、作品にとっては「非常に重要なシーン」だと思います。

なぜならこここそ「μ's」と「Aqours」を分ける、

或いは、

穂乃果と千歌を分ける、

決定的な違いだからです。

 

■「海」に入る千歌とその意味。

朝、梨子がふと目覚めて外を見ると千歌が海に向かって歩いていきます。

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なんとなく胸騒ぎがして、千歌を追いかける梨子。

千歌はそのまま海に入水していきます。

「まさかそこまで絶望していたとは!」と焦る梨子。

必死に呼びかけると、意外にもあっさりと千歌が海から顔を出します。

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「心配した!」と告げる梨子に対して

「海の音を聞いてみたかった」と告げる千歌。

ここは1話・2話での二人のやりとりを反転させている描写ですね。

何故千歌は「海に入ったのか」。

それは千歌が「希望を見失ってしまったから」です。

 

ここでもう一度、第2話における「海もぐり」のシーンとその意味を考えてみましょう。

詳しくは2話のハイライトを参照頂きたいですが、あのシーン自体が

「迷いの中にいる梨子とそれを解決に導く千歌と曜」

「梨子に希望を与えるもの=太陽=スクールアイドルという存在」

という二つの要素を視覚的に表現したメタファーのシーンとなっています。

 

これを念頭に入れて考えれば、「何故千歌が海に潜ったのか」が分かります。

2話では、千歌もまた梨子・曜と一緒に「海の音」を聴くことで、「太陽の光=希望」を手に入れた、ということになっています。

一見、「梨子だけが救われた」ようにみえるあのシーンですが、実は千歌と曜も「内心半信半疑だったスクールアイドルの活動に活路を見出した=希望を見つけた」というシーンだったわけです。

だからこそ、千歌は第2話での行動を繰り返すことで、もう一度「太陽の光=希望」を手に入れたいと考えたのです。

しかし結果的に、一人では「海の音」を聴くことも「太陽の光」も見ることはできませんでした。

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千歌がどちらも得られなかったのには、二つ理由があります。

一つは「一人だったから」

そして二つ目は「再生を済ませていないから」です。

 

■「くやしくないの?」

「海に入る」というのは、非常に分かりやすい「再生」のメタファーです。

映画にはよく「一度子宮のような場所に入る→そこから出ることで産まれ直す=再生する」という復活の過程が描かれることがあります。

「海」は「万物が生まれた場所」と表現されるほど、生命の誕生と関係の深い場所でもあります。

そこに一度「潜る」ことで、「再生」するというのは、とても分かりやすい表現だと思います。

「海に潜った」千歌は、「再生へのきっかけ」を得ました。

だからこそここから「本音」をさらけ出すわけです。

その「本音」とは至極まっとうなもの。

「自分が率先して始めた以上、自分が負けたことを気にし過ぎていたら、周りにもそれが伝染してしまう」

「自分がショックを受けたら、皆が嫌になる。だから努めて明るく振舞っていたこと」

そして

「一生懸命頑張ったのに、それが認めてもらえなくて悔しいこと」

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6話「PVを作ろう」で鞠莉が言った言葉、

「努力の量と結果は比例しない」

その事実をまざまざと見せられた千歌。

その理不尽さは、誰しも感じたことのあるもののはずです。

 

1人で責任を背負い、苦しんでいた千歌。

ようやく素直になれた千歌に、梨子は告げます。

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「バカね、みんな千歌ちゃんのためにスクールアイドルになったんじゃないの」

「自分で決めたのよ」

 

ここは非常に素晴らしいシーンですね。

曜が千歌の苦しみを共有できないのとは逆に、梨子には千歌の痛みが良く分かります

それは、梨子も同じ痛みを抱えてきたから。

学校や親からの期待に過剰に反応し、委縮し、いつしか「全てがつまらなくなってしまった」梨子。

そんな彼女を救ったのが千歌でした。

だからこそ、今度は梨子が千歌を救う。

千歌が梨子に寄り添ったように、梨子も千歌に寄り添うことで救う

素敵なシーンです。

 

また、前作「ラブライブ!」が抱えていた問題の一つが

「μ'sのメンバーが穂乃果に依存し過ぎ、穂乃果もそれに応えすぎる」

という問題でした。

この問題は「ことり留学プロット」(9話振り返りで解説します)の際に肥大化し、最終的には穂乃果が「神」に近い存在となるまでに拡大化していってしまいました

結果として「ラブライブ!」は「神話」のような物語になり、まぁそれはそれで良かったわけですがw

とはいえ、それを繰り返してしまうとラブライブ!」という作品が伝えたいテーマから離れていってしまう、という懸念がありました。

そこで今回はその課題を作品内で「相対化」することで、問題を解決に導いたわけです。

それは「一人」ではなく「全員」で「痛み」をシェアし、先に進むということ。

千歌は抱えていた「悩み」や「苦しみ」をメンバー全員とシェアすることで、救われました。

それは穂乃果が発生した問題を「自分一人で考え、自分だけで解決した」のとは真逆のアプローチです(もちろんそこにメンバーの手助けはありましたが)。

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千歌が「神格化」されず、「メンバーの一人=神ではない普通の人」として認められる。

そうすることで本来「チームもの」の作品が持つ「全員で戦う」というジャンルそのものの魅力がしっかりと描かれるわけです。

そしてそれは、「ラブライブ!」が意外にも「見落としていた」視点の一つなのです。

 まさしく

「負け犬たちのワンスアゲイン」作品としての産声を高らかに上げ、

「この作品はμ'sの物語とは違う!」

という自己主張を強烈に発した、大事な回となりました。

全ての「平凡な人々」の「希望の物語」として、「ラブライブ!サンシャイン」がより大好きになった回でしたね。

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(痛みをシェアしたからこそ、彼女たちには希望の光=太陽の光が与えられます)

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「STEP ZERO to ONE」

「冒険に出るんだ  最初はひとり
 やがてみんなと めぐり逢えるかも
 ゼロから一歩は 勇気が必要 変わりたい Step! All right!!」

「変われそうで 変われない時だって感じてるから 今度こそ 今度こそ 0から1の扉を開けよう 変わりたい時なんだ たぶんこの先の未来は謎のままだね 

 ZERO to ONE ZERO to ONE ZERO to ONE ...STEP! 

    ZERO to ONE steppin'my HEART!」

 

彼女たちの「冒険の物語」に、まだまだ胸を熱くできそうです。

というわけで7話8話まとめて考察でした。

次回9話!!

神回だけに長くなりそうだなぁ。。

 「step zero to one」はこのシングルに入ってまっせ!

 

ラブライブ!サンシャインハイライト 第6話「PVを作ろう」

いやぁ、9話最高でしたね(しみじみ)。

そんな「もはや何周遅れか計算するのすら億劫」になってきた分析ブログがこちらです(白目)。

さて、もはや”遠い昔”のような気すらしてくる第6話「PVを作ろう」を振り返りましょう。

この回はいつもよりはコンパクトに行けそうです??

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■「統廃合」という課題。

前回5話のラストシークエンスは鞠莉に詰め寄るダイヤ、という不穏な形で終わりました。その内容に関して様々な憶測がありましたが、おおよその予想通り「廃校」に関してでしたね。

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生徒会長であるダイヤはもちろん知っていたようですが。

それだけでなく、彼女たちが1年生の時からほぼ「確定事項」としてあったことが、二人の会話からうかがい知れます。

となればμ'sを崇拝するダイヤであれば「スクールアイドルになって学校を廃校から救おうとした」というストーリーラインも容易に想像が出来てしまいますね。

ではなぜその計画が「頓挫したのか?」というのがこの後の重要なストーリーラインとなっていくのでしょう。

 

さて、「統廃合」というのは前作「ラブライブ!」の「廃校」をどうしても意識してしまう設定です。

個人的には「今回(サンシャイン)では廃校プロットは使えないと思うけど、どう物語を展開するのかな?」と思っていたので、このプロットには少しがっかりしたところもありました(もちろん前回と違う活用法をして、物語を豊かに展開していただけるのであれば、なにも不満はありませんが)。

とはいえ、「沼津の内浦の女子高」が「統廃合の危機に陥る」というのは、「都内の国立の女子高の廃校」よりもずっと説得力があります

余談ですが、この間休暇を利用して内浦を訪ねさせていただきました。

非常に豊かで良い場所であるのはもちろんなのですが、やはり「沼津市に高校があった場合」の対抗馬としては厳しい場所という感覚は否めません。

それこそ千歌のように「家が近い」などの理由の子しか通わなくなるのでしょう。

実際、物語上では入学希望者自体が年々凄まじい勢いで落ちています。

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「人口減少に伴う学校の統廃合」というのは、地方では実際に起きている現象なので、「物語を陳腐にしない」効果も生まれています。

 

それでは前作「ラブライブ!」では「廃校問題」がどのように扱われたかを改めて振り返っておきましょう。

ラブライブ!」では「学校の廃校危機」を知った穂乃果が

「スクールアイドルになって活躍し、学校の知名度を上げる」=「学校を廃校から救う」

ことを目標とする、ことから物語がスタートします。

すなわち「廃校危機」は「スクールアイドルを始める動機」として機能しました(物語序盤)。

しかし、μ'sが順調に知名度を上げ、最後まで「スクールアイドル活動を通じての廃校阻止」に「反対」していた絵里をメンバーに迎えると、唐突に「廃校は中止」となります。

「何故廃校が中止になったのか」に関して物語上では具体的な説明が為されません。(μ'sの活躍によって入学志望者が増えたという旨の説明はあった気がしますが)

「ここで物語が終わってしまった場合」には現代作劇で嫌われる「デウスエクスマキナ」に当たる為悪手となります。

しかし「ラブライブ!」の場合ここで話が終わりません

 

物語は「これまでμ'sを引っ張ってきた穂乃果の脱落」から「ことりの留学」というプロットを通じて、「本当に語りたいテーマ」に移行していきます。

ここで挟まれる「ことり留学」プロットに関しては、「ラブライブを受け入れられる人」と「拒絶する人」を図る試金石になるくらい、物語上の「ノイズ」となってしまっています。

※この記事は「サンシャイン9話」放映後に書いているので、「ことり留学プロット」の意図に関してはTwitterで説明させていただきました。詳しい内容は是非そちらを読んでいただけるとありがたいです。(全部貼り付けると9話のネタバレも含んでしまうので…)

「ことり留学」プロットの目的とは何か。

端的に説明しますと、「留学」という事象を通して「不変なものなど無いこと」を端的に表現すること。

その出来事を通して「今を大切にする」という「本当に語りたいテーマ」を表現することでした。

すなわち「最初は物語の主軸」として登場しながら、結果として

「メインテーマを描くための目くらまし」として「廃校問題」があった

ことが分かるわけです。

※これをマクガフィンと呼びます。

この辺の作劇に関しても説明している方が少ないので、ピンと来ていない方も多い気がしますが…。

何はともあれ、このようにラブライブ1期作劇場の重要なトリック」として使用されていたため、「サンシャインでは同じものは使えない」と私は思っていたわけです。

実際この「廃校問題」を「ラブライブ!」と同じような扱い方をしてしまうと、物語自体が陳腐になってしまいます。

何故なら視聴者である我々は「どうせそれは免れるんだろ?」と心のどこかで思ってしまっているからです。

その理由は「ラブライブ!」で同じストーリーをやってしまっているから。

観客である我々はその「緊張」を心の底から信じることはできません。

では、「サンシャイン」では「廃校」をどのように扱ったのでしょうか。

■「廃校」の客観化。

「統廃合」の噂を聞きつけたのはルビィでした。

彼女の情報を聞かされるスクールアイドル部の面々は俯き悲しげ…

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かと思いきや、

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千歌は嬉しげです。

それは「動機」を得たから。

これまで「μ'sに憧れ」てスクールアイドルを始めた彼女には、「憧れ」以外に「スクールアイドルをやる」具体的な動機がありませんでした。

しかし「廃校」という問題は、彼女が憧れる「μ's」の物語をなぞること。

千歌は「μ'sのフォロワー」として、その事実に無邪気に喜んでいるわけです。

 

新入生である1年生勢も

「都会」に無邪気な憧れを抱く花丸は「統廃合」に賛成。

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元々沼津市内から内浦に通っている善子も、特に困ることはないようです。

(中学の友達には会いたくないそうですが)

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…と、こういった表現から分かるように彼女たちは「統廃合」をことさら「重要な出来事」とは捉えていません

ラブライブ!」での穂乃果の場合、第1話で学校を隅々まで周り、改めて「この学校が好きだ」ということを自覚し、「廃校阻止」に向けて気持ちを固めましたが、今回Aqoursの面々にはそういった描写もありませんでした

ここから感じるのは、今回は「廃校」を前作と同じアプローチでは使わないよ、という製作者サイドの意志表示です。

今後「統廃合」がどのように物語に絡んでくるのか分かりませんが、個人的には「もはや覆らない決定事項」として機能する可能性を感じています。

彼女たちが「今は」無邪気にはしゃぐ道具にしている「統廃合」。

しかしそれが「現実」として眼前に迫るとき、彼女たちはどんな反応をするのでしょうか。

けいおん」以降様々な形の「青春」を描き続けている花田十輝氏ならではの「胸を締め付けられるような」シナリオに今から期待が膨らみます。

■PVを作ろう!

ラブライブ!」1期6話と同じく、今回は自分たちの「PVを作る」というお話でした。

Aqoursが「PVを作ろう」としたきっかけは「廃校阻止を達成したμ'sが一番最初にしたこと」だったから。

やはりここにも「μ'sのフォロワー」としての側面が出てきます。

ただしμ'sがあくまでも「学校」をアピールするため「これからのSomeday」を校内で撮影したのとは違い、Aqoursは「内浦」をどのようにしてアピールするか、を思い悩みます。

この「学校という狭いエリア」でなく「地域を巻き込む」という視点が今作「サンシャイン」独自のポイントでしょうか。

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内浦のアピールを試みるも、やはり「あるもの以上」のものは出せず、さっそく手詰まりに。

そこで「内浦近郊」まで範囲を広げてアピールを試みますが、

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伝わるのは「田舎」故の不便さや大変さばかり。

「都会」に憧れる彼女たち(梨子を除き)は、地元「内浦」の魅力を今一つ理解出来ていません。

結果として地方自治体が作った観光PRビデオのような内容になってしまい、

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思わず理事長もウトウトするくらい「退屈」な内容に。

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あまりの不甲斐ない内容に鞠莉も「このトゥエイタラークですか!」と失望。

思わず反論するメンバーには「努力の量と結果は比例しまセーン!」というごもっともなご指摘

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鞠莉がこの内容に怒っている理由は千歌たちが「内浦の魅力」を「理解出来ていないから」

今回のテーマとは千歌たちが「内浦を知る」ことであることがここから分かりますね。

内浦の魅力とはなんなのか?鞠莉は答えを知っているようですが、敢えて千歌はそれを聞きませんでした。

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千歌宅で答えを探るAqours

しかし話し合いではその結論が出ません。

そんな中、内浦の海開きが行われます。

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近隣の人々が皆「海開き」という目的のために、早起きし、提灯を持って海岸の整備をする。

都会育ちの梨子には、その「田舎ならではのコミュニティ」が新鮮に映ります。

そして朝の闇の中、無数に灯る提灯の暖かな光に梨子は「可能性」を見出します。

「これなんじゃないかな? この町や学校の良いところって」

そんな言葉に千歌もようやく気づきます。

「海」「空」それを照らす「無数の光」

それは無意識に排除していた「内浦の持つ魅力」でした。

「ここには何もない」「誰か助けて」

そんな思いが千歌の目を曇らせ、「内浦が本来持っていた魅力」を隠していたのです。

そしてその魅力に梨子が気付けたのは、彼女が「外様」だから。

それは鞠莉と梨子に共通する要素でもあります。

これにインスピレーションを受けた千歌は、楽曲PVの構想を話し、人々に協力を仰ぎます。

夢で夜空を照らしたい

楽曲PVの構想とは、「海岸に集まった無数の提灯を空に打ち上げる」ことでした。

それは「視覚的な美しさ」だけではなく、文脈的な意味も持っています。

ミュージカル作品である以上、歌詞を読めば分かりますが

気持ちだけ 他に何も無い

 違うんだよ こっち来て心の目で見たら

 誰の胸にも 願いがある

 大切な この場所で 感じてみよう

 波が映した 星の輝き  遠いあこがれの色
 いつか 叶うことを 信じれば
 明日への道が多分 分かるんだ

 それは階段? それとも扉?
 夢のカタチは いろいろあるんだろう
 そしてつながれ  みんなつながれ
 夜空を 照らしにいこう

 消えない 消えない 消えないのは今まで自分を育てた景色
 消さない 消さない 消さないようにここから始まろう
 次は飛びだそう
 それは階段なのか  それとも扉か
 “確かめたい夢に出会えて よかったね”って つぶやいたよ」

 

 ラストシークエンスで千歌が独白するように、千歌はずっと内浦という場所を

「ここには何もない」と思って暮らしていました。

ただしそれは一方的な思い込みで、この内浦にも「無数の人」が暮らしていて、その人たちも「無数の夢」を持ちながら暮らしている。

そしてそんな人たちの「無数の夢」が「自分の育った土地=内浦」を照らし続けるおかげで、自分が今ここにいられる。

その事実に千歌もようやく気付けたわけです。

だからこそ「無数の夢」を「スカイランタン」に見立て、それを空に打ち上げ、夜空を照らしだすことで、「内浦が大勢の夢によって照らされた美しい場所」であることを視覚的に表現しているということですね。

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千歌が最後に告げる”宣言”

「この場所から始めよう」

が感動的に響くのは、そんな千歌の成長が背景にあるから。

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この日、どんなシチュエーションでもVTRカメラのレンズから目を外さなかった曜が、思わずレンズを下に向けたのは、「この景色をレンズを通さず目に焼き付けたい」と思ったからでしょう。

歌の内容も含め、非常に感動的な回でした。

…さて、というわけで第6回の考察でした。

今回は割とまとまった気もする。

いや気のせいか。

2回とか3回がちょっとうまくまとまっていないので、機を見て書き直します。。

※ただ今バンダイチャンネルさんのyoutubeチャンネルで、再放送がご覧いただけます!不正な視聴をせずとも見られますので、是非振り返りにご利用ください!!

 

 

ラブライブ!サンシャインハイライト 第5話「ヨハネ堕天」

もはやリアルタイム放送に追いつく気迫すら見せない考察blogがこちらです(白目)。

というわけで5話「ヨハネ堕天」DEATH☆ZE!

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前回から引き続き「新メンバー加入回」...と見せかけて若干複雑なテーマにも取り組んだ意欲回なので、意外と難関なんです。

まぁどの程度そこに切り込むか、その深度によって書く量も変わるのですが。

とりあえず試し試しやってみましょう。

ラブライブ!2期6話「ハッピーハロウィン」との関係

前回4話が2期5話「新しい私」の新解釈だったように、今回は2期6話「ハッピーハロウィン」のリブートに近い内容になっています。

全体として「ワチャワチャのコメディ回」が多い(と思われている)ラブライブ2期の中でも特筆して「コメディに振り切った」という印象が強い「ハッピーハロウィン」。

確かに仮装をしまくったりメンバー同士がお互いになりきったりとやっていることは「コメディ」そのものなんですが、テーマ自体はラブライブ!」という作品が示すテーマの根底を為すものだったり、2期全体のテーマを握っていたりと、結構大切な回です。

というか、5話「新しい私」と6話「ハッピーハロウィン」は同じテーマを持っています。

※もっと言えば2話「優勝目指して」や7話「なんとかしなきゃ!」も同じテーマですね。

もったいぶってもしょうがないので、テーマとはなんぞや?と言いますと、

「自分を愛せ!」ということですね。

6話「ハッピーハロウィン」では「今までの自分たちのパフォーマンスではA-RISEに適わない!」と感じたμ'sのメンバーが「A-RISEに勝てるスタイル」を作る為試行錯誤する物語です。

その中で自分たちにそぐわない「スタイル」「キャラ付け」をしてみたり、「自分じゃない誰か」になってみたりするわけですが、どうにもシックリこない

結局色々と試した結果「自分たちはもともと個性的だった」と気づいたメンバーが「いつも通りのμ's」でLIVEに挑む...という物語でした。

これは物語の内容こそ違えど5話「新しい私」と同じテーマです。

「新しい私」では「周囲に期待される自分」「自分本来の理想としての自分」に思い悩む凛を「自分がなりたい自分になって良い」と肯定する物語でした。

どちらも共通しているのは「取ってつけたようなものや、押し付けられたもので自分を飾るよりも、まずは自分自身を信じて愛してみれば?」という事。

そしてこれ自体が「ラブライブ!」という作品全体が示しているテーマでもあります。

※だからこそ何度も「同じテーマ」で話を作る必要があるのです。

また、サンシャイン4話「ふたりのキモチ」も同様のテーマ設定ですね。

ルビィは姉ダイヤという「他者」の視線や気持ちを気にし過ぎて「自分本位」になれずにいるキャラクターでした。

花丸も「本の物語」「ルビィ」を気にし過ぎて「自分自身」の物語に無頓着な人物です。

そんな二人が「スクールアイドル」をきっかけにお互いの背中を押しあい、それぞれ「自分自身を信じることが出来るようになる」というお話でした。

こうして列挙していくと「全部同じ話」なのが良く分かりますね(笑)。

ことほど左様に「ラブライブ!」という作品は「一つのテーマ」を表現する為に作られている作品なのです。

※ただしこれは全く悪いことなどではありません。全ての「作家性が強い作品」が「同じテーマを繰り返し示す」ように、「ラブライブ」もまた「作家性の強い作品」ということです。その「作家性」をプロジェクト全員が共有しているのが、大変素晴らしいのですが。

余談が長くなりましたが、ここまで読めば明らかな通り、第5話も「同じテーマ」を描くために作られた物語となります。

では少し細かいディティールにも触れていきましょう。

■「仮装」の持つ意味。

「ハッピーハロウィン」と共通する要素としてメンバーの「仮装」があります。

とはいえその見た目には大分差がありますがw

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とはいえ、この「仮装」が孕む問題は共通です。

μ'sがK〇SSもどきの仮装をした理由は「見た目のインパクトが欲しかったから」という理由でした。

Aqoursが善子のゴスファッションと堕天使キャラを採用した理由は「他に堕天使アイドルがいないから目立てる」という理由。

どちらにも共通しているのは「対象に対しての誠実さが無い」ということです。

例えばK〇SSもどきをやるのならば、本家に対してのリスペクトが無ければなりません。

不誠実な理由から採用されたものは「パクリ」に過ぎず、本家にも失礼なだけでなく、本家のファンに対しても不誠実でだからです。

反面その対象に惚れ込んだ上で愛情表現としての「まね」であれば「オマージュ」として受け取られる可能性もあります。

しかしどちらにせよ「自分でない他人の個性を真似たもの」に過ぎない以上、限界があるように思えます。

Aqouesの場合にも同じで、「目立てる」という理由での採用には「対象に対しての誠実さ」が無いですし、その程度の認識で付けた「キャラ」など「すぐに見破られてしまう」でしょう。

実際のところスクールアイドルマニアのダイヤ会長にはその人気が「一時的なもの」であることを瞬時に指摘されましたし、実際に瞬間的に上がったランキングは一気に落ちていきました。

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何度聞いても「ohープリティボンバヘッ(ド)!」に聞こえる。(正解を教えて)

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ではどのように戦えば良いのか…という回等は次回「PVを作ろう」に引き継がれていきます。

このゴス衣装や堕天使キャラへの「不誠実な接し方」は、結果としてコンセプトの持ち主である善子をも傷つけてしまいます

津島善子

津島善子というキャラクターは、二次元世界には多いものの、ラブライブ世界線では非常に珍しいキャラクターです。

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オカルト的なものを愛し、自分自身を「堕天使」と信じ、痛々しい発言を繰り返す。

こういったいわゆる(本来の意味とは離れた)「厨二病的」なキャラクター造形は、個人的な体験では田中ロミオ氏の「AURA~魔竜院光牙最後の戦い~」(傑作!)を筆頭に「厨二病でも恋がしたい」などに引き継がれ、そののちは様々な作品に登場するようになりました。

ラブライブと何かと比較される「アイドルマスター シンデレラガールズ」にも同様のコンセプトキャラクターが登場しますね。

※僕はあちらのアニメに関しては....ですが(余談)。

言ってしまえば「流行り」の枠組みに入るキャラクターに当たるわけで、いわゆる「普通の女の子」を売りにしてきた(実際は普通のやつなど一人もいないけどw)ラブライブでは異質な存在になります。

今回のサンシャインではこの善子を筆頭に「ロリ枠のルビィ」や「金髪の明るい外人枠=マリー」など「コテコテ」なキャラクターを敢えて登場させているのが新しい取り組みですね。

※まぁこういったキャラクターを調理するのはお茶の子さいさいなのが花田十輝氏ですから、チーム内にもシナリオライターへのしっかりとした信頼感があるのが伺えます。

類型化された「厨二病的キャラクター」が共通して持っているのが「自分自身のあり方を客観的に見て、これで良いのか迷っている」というところ。

この「ブレ」がもたらす「おかしみ」や「かなしさ」がキャラクターの魅力を表現する際に有効かつ安易に働くため、「厨二病キャラ」が世の中に氾濫したともいえます。

そんな「分かりやすすぎるコンセプト」を背負ったキャラクターが「ラブライブ世界」でどのような役割を果たすのか、というのはアニメ放送開始前から興味深かったポイントの一つでした。

■「厨二病」の捉え方

元々は伊集院光氏が「ちょうど中学生二年生くらいの時期にある、自意識を持て余した結果起こしてしまいがちな失敗」をラジオ番組内で共有する際に定義として発明した「中二病」という言葉。

現在の認識では「オタク文化に埋没した結果、その境目を見失い、現実で痛々しい発言をしてしまう人物」というような扱われ方に変化しています。

それまでは「思春期」と同じように「大人になるとやがて卒業する病」として扱われてきたものでした。(だからこそ振り返って気恥ずかしい思いをしたりする)

しかし前述の「AURA~」以降「無理に卒業するのではなく、性質として取り入れ、周囲と共通理解のもと継続していくことも出来る」という回答を示す作品が増えていきました。

こういった結論が増えた要因の一つには「性別選択の自由」のように「多様な価値観を認めるべき」という機運が高まってきた時期だったから、と言えるのでしょう。

「AURA~」が発行されたのは2008年。

ラブライブにも深い影響を与え、「性別選択の自由」など10代の若者が抱える社会的な話題を積極的なテーマとして捉えて大ヒットしたドラマ「glee」が本国アメリカで放送開始したのは2009年。

時期的にも近いですね。

そんな観点から「厨二病」もまた不思議と「卒業するもの」では無くなっていきました。

今回の善子の物語にもそういった「新しい視点」が取り入れられていました。

■「卒業できること」と「できないこと」

Aqoursによってある種安易に「模倣」された「堕天使キャラ」と「ゴスファッション」は一時的にAqouesの人気上昇に貢献しますが、そのブーストも一瞬で終わり、あっという間に順位が落ちていきます。

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落ち込むメンバー。

そんな中で善子は「自分のキャラクターのせい」とメンバーに告げます。

「高校生にもなって堕天使はない」「ようやく普通の高校生になれる」と告げる彼女は、同時に「スクールアイドル部」にも別れを告げます。

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彼女がそれまで大切にしてきた「何か」を手放す、それを暗示するように「善子」を「ヨハネ」へと変えるカラスの羽根が空に飛んでいきます。

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幼稚園時代からの友人である花丸は「善子が幼稚園時代から自分は元々天使で、やがて空に還るのだ」と話していたことを仲間たちに教えます。

注)ここでの花丸の善子解釈が物語を考察する上でちょっとノイズとなってしまうので、個人的には「この回を難解にしている要因」だと思うのですが、

好意的に解釈すれば「物語を切実にさせ過ぎないために監督や脚本家がバランスを取った」ようにも思えます。

それを分かった上で、ここからは独自の解釈を書きますので、人によっては不快に感じられることもあるかもしれません。

予めご了承願います。

「普通の高校生になる」ということを「躊躇したうえで選択する」というのは、少し普通ではありません。

それは本来ならば「別にそこまで悩む必要がないこと」だからです。

自分が「大好きだったもの」を捨ててまで「普通」になることが、果たして「良い事」なのか。

すこし穿った見方をしているのは承知のうえですが、やはり自分にはこの描写は「セクシャルマイノリティ」を匂わす描写に見えました。

映画「ブロークバックマウンテン」で描かれたことをきっかけに、社会には自分の「性的志向」を隠して生きている人が多数いるのだ、という事実が明るみに出ました。

そうした悩みを抱えた人の多くが、一度は「普通になろう」と思い、「自分の性的志向を捨てたり」「隠したり」した結果、やはりその重圧に負けて自殺してしまったり、ということがアメリカではかなりの数起きていたそうです。

結果として「性別選択の自由」を巡る事象が社会問題として取り上げられる機会が増えた、とも聞きます。

glee」でもゲイの少年であるカートと、彼を巡る「セクシャルマイノリティ」の物語が軸として描かれました。

カートも同じように「普通」になろうとして、それまでの自分を封印しようと試みたことがあります。

しかし結論として、仲間や家族に「本来の自分」をカミングアウトし、「認めてもらう」ことで「自分のままでいる」ことを選びました。

カートと同じように

善子はこれまでの自分を形作っていたものを「封印する」ことを選びます。

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しかしそこに「堕天使ファッション」に身を包んだAqoursのメンバーが現れ、再び善子をスクールアイドルに誘います。

※ここでメンバーがゴス服を着てきたのは前回不誠実に「善子の世界」を利用しようとした贖罪としてなのでしょうが、自分のテーマ設定ではここも「ノイズ」になってしまいました。これは自分の見方のせいなので、製作者サイドに責任はありません。

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逃げる善子と追う千歌たち。

切実なテーマなのにもかかわらず、意図して「コメディ」的に仕上げているようにも見えます。

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追いかける千歌が語りかけます。

「私ね!μ'sがどうして伝説を作れたのか、考えてみて分かったんだ」

「ステージの上で自分の好きを迷わずに見せる事」

「お客さんにどう思われるかとか、人気がどうとかじゃない」

「自分が一番好きな姿を、輝いている姿を見せること」

「だから善子ちゃんは捨てちゃダメなんだよ!」

「自分が堕天使を好きな限り!」

そんな千歌の言葉に振り返った善子。

「リトルデーモンになれっ!っていうかも」

と問いかけます。

その問いかけに

「それは・・・でも嫌だったら嫌だって言う!」

と答える千歌。

 

ここにはっきりと既視感を覚えました。

ここってちょっと会話の文脈として変なんですよね。

少なくとも、受け答えとして正解という風には思えないわけです。

今回散々出して恐縮なのですが、前述「glee」に全く同じようなやり取りのシーンがあります。

それはゲイの少年であるカートが、主人公のフィン(異性愛者)と友情を築くシーン。

元々フィンに惚れていたカートと、それを知っていたフィン。

カートの想いには答えられないが、友人になろうと提案するフィンに、カートが投げかけた問いに「時々襲おうとしちゃうかもしれないけどいい?」というものがありました(大分前に見たので、問いかけが違うかもしれませんが)。

それに対してのフィンの答えが

「それはアレだけど・・・でも、嫌だったら嫌だって言う」

というものだったんですよね。

性的志向」を乗り越えたうえでの友情関係の構築というシーンがあまりにも新しかったもので、そこは強烈に覚えていました。

今回のシナリオは、明確にこのシーンを意識して書かれているように見えました。

ただそれを「分かりやすく」描いているわけではなかったので、自分にとってはこの回は難解だったわけです。

正直この解釈は穿った見方過ぎるとも思いますしね。

ただし自分の解釈を信じるのならば、なんとなく批判の多いこの回のシナリオをはっきりと肯定することができます。

批判の中で多かったのは「せっかく善子が普通になろうとしているのを、千歌たちの勝手で引き留め、それにほだされているように見える」というものでした。

しかしシナリオの狙いから考えれば善子は「普通」になってはダメなのです。

最初に触れた通り「自分を愛す!」ことがシナリオのテーマなので、「善子」ではない「普通の人」になるのは、正解ではありません。

また、「善子」も「ヨハネ」もひっくるめた上での「可能性」としての善子を信じ、仲間として迎えてくれる存在が出来た以上、「善子」は「普通の高校生」になる必要はないわけです

ラブライブ」という作品上「性的志向」としての表現は出来ませんでしたが、「自分と違った世界観を持った人」と共存していく世界の大切さを語った、という意味で非常にエポックメイキングな回になったと個人的には思った次第です。

こうして「自分を丸ごと」認めてもらえたからこそ、善子はこの後のストーリーでも大きくは揺らがないのです。

彼女ほど自分に対して「自信」があるキャラクターはAqoursにはいないので、今後はμ'sにおける矢澤にこのような「精神的支柱」としての活躍が期待できるように思います。

なにはともあれ難解な回でしたが、これまた「ラブライブ!」の世界をより深くする見事な回だったと思います。

最後まで読んで下さった奇特な方。

ありがとうございました。

また次回お会いいたしましょう。

 

(最後にノイズになるので後述にした「ゴス」に関する諸々)

今回善子は「厨二病キャラ」として設定されていますが、厳密にはアメリカにおける「ゴス」に近いキャラクターだと思います。

※日本におけるゴスロリとはまた違う存在です。

アメリカでの「ゴス」はスクールカーストがハッキリとある学校内において、オタクを意味する「ギーク」の中に入り、その中でも「最下層」にあたる位置に入るそうです。

アメリカのスクールカースト最上位にあたるのは「アメフト部」などの「体育会系」に所属する「ジョック」で、女子はこのアメフト部を応援する「チアリーダー」が最上位に当たります。(このあたりに詳しくなりたい方は是非「glee」をご覧ください。日本では「仮面ライダー フォーゼ」がこの仕組みを取り組んだ物語作りをしています。こちらも是非!)

日本よりも「多様で自由」な印象があるアメリカですが、考え方が発展しているのはNYなどの都会だけで、地方(特に南部)に行けば行くほど「WASP(ホワイト・アングロサクソンプロテスタントの略)」が幅を利かせ、「自分と違う存在」を排除しようとしている…という現実があります。

そんな考え方を持つ人々からすれば「異様な黒づくめの恰好」をし「キリスト教を信仰」しない「ゴス」は異端に映り、排除の対象となりやすいのです。

実際「glee」にもアジア系(韓国系でしたが)でゴスファッションをしたティナというキャラクターが主役勢の一人として登場していました。

※こちらのティナは差別から逃れ「自分の居場所」を求めるため吃音のフリをしたり、ゴスファッションに身を包み「人との接触を避けてきた」キャラクターでした。そんな理由から「人との信頼関係を築けた」結果「ゴスファッションを卒業」しました。

 

ラブライブ!サンシャインハイライト 第4話「ふたりのキモチ」

ホントに遅ればせながら第4話振り返り!

今回は日も大分経ってしまったので、サクっと振り返りましょう♪

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第3話で無事結成が認められた以上、例にならい今後はメンバー増加回となっていきます。

今回はその第1弾。

1年生の親友コンビ 花丸とルビィの主役回となります。

 

■スクールアイドル部承認と3年生

さて、メインの前に細々とした要素を片づけていきましょう。

まずは、無事スクールアイドル部として承認されたAqoursの3名。

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3名でも承認を受けられた、というのもトピックスの一つ。

前作「ラブライブ!」では「6名のメンバーが必要」という理由から駆け足でメンバー加入が続きました。

反面「数合わせのため加入させている」という要素も見え隠れしており、その反省を踏まえて「6人でなくとも」「承認する」というシナリオに変更されたのでしょう。

これに関しては全面的に肯定します。

というのもこれがあるからこそ「やりたいからやる」という「サンシャイン」が一環して持つテーマがより先鋭化するからです。

後々加わるメンバーに関しても「なし崩しで加入させられる」ようには見えないはずです。

さて、部室としてあてがわれた部屋は荒れ放題。

今は生徒会の備品置きみたいになっているようです。

生徒の減っている学校ということもあり、ちょっとリアルですね。

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ここで触れるべきトピックスはやはり「白板に書かれた歌詞」でしょう。

誰でも想像できることですが、これは

「現3年生の3人がスクールアイドル活動をしていた際に使用していた部室」

であり

「その際に発表した楽曲の歌詞(あるいは歌詞案)」

と考えるべきでしょうね。

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白板に書かれた歌詞が登場するシーンはあるのでしょうか。

安易な想像をすれば、この楽曲が「君のこころは輝いてるかい」だと非常にドラマチックですが。

■果南と鞠莉

前回特に隔たりを感じさせなかったダイヤと鞠莉。

今回は作中初めて果南と鞠莉が遭遇しました。

第1話では「小原家でしょ」と冷たい視線でヘリを見上げていた果南。

二人にはどのような隔たりがあるのでしょうか。

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いきなり抱きつきに行くように、鞠莉側からは大きな隔たりを感じませんが。

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抱きつかれている側の果南は少し複雑な表情。

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果南に「復学」を進めつつ、「スクールアイドルをやるのよ 浦の星で」と自分が帰ってきた意味を語る鞠莉に対し、

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果南は厳しい表情を崩しません。

遠景に切り替わり二人のやり取りは聞き取れませんが、

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「相変わらず頑固オヤジだね 果南は」

と寂しげにつぶやく鞠莉。

彼女たちの過去は、これから徐々に明らかになっていくのでしょう。

■黒澤家

黒澤ダイヤ=ガチラブライバーであることは、回を重ねる毎に確定事項になっていきます。

今回はルビィの回想という形で、過去の姉妹の姿が映し出されます。

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いや、めっちゃ良いシーンなんですけど、ぶっちゃけちょっと笑っちゃいましたけどね(笑)。

あんたたち、良いとこのお嬢様でしょうよ!とw

ただ、よくよく考えると妹思いのダイヤが、手弁当でこさえた衣装にも見えて、その健気さがやはりちょっと泣けるというね。

こんなに好きだったはずなのにねと。

ラブライブ5周年

時系列はファンとしてはどうしても気になるところですが、今回はヒントとして「ラブライブ5周年記念雑誌」が登場しました。

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ラブライブ第1回大会が開かれたのが、ラブライブ時空では「ラブライブ第一期」です。

この大会にミューズは参加できず、A-RIZEが第1回覇者となりました。

続く第2回大会がラブライブ時空における「ラブライブ2期」に当たります。

この大会の優勝をもってミューズは解散を決めていましたが、、

それはあくまでも内部での決定であったため、解散を巡り改めて周囲との軋轢に苦しみつつ結論を変えず、自ら主催のスクールアイドル全員参加のLIVEで「Sunny day song」を披露して伝説となるのが「School Idol MOVIE」の物語。

この後に行われた「ドーム大会」が第3回ラブライブと思われます。

とすれば5周年の今年3年生であるダイヤ、果南、鞠莉は1年生の時にこの「ドーム大会」に参加、ないしは予選大会に参加している可能性が高いと思われます。

そこで何が起きたのかは、今後物語で語られるはずですが。

 

国木田花丸という「特異性」

さて本題・・・と言いつつ

余談で大変恐縮なのですが、今回改めて「公式」となった「花丸=凛」というキャラクター設定。

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正直な所、本エピソードが放送される前に薄々感じてはおりました(自慢とかではなく)。

その要因の一つは、デビュー曲君のこころは輝いてるかい?に収録されている「はじめましてメッセージ」。

ここが我々と、「動き、喋るキャラクター」との最初の接点となったわけですが、ここに登場した花丸は最も「異質」なキャラクターでした。

※もともと「寺の娘」で、女の子なのに「名前が花丸」。

なおかつ語尾に「ずら」をついつい付けてしまうという、「こちとらそんなキャラクタードカベン殿馬しか見たことねぇよ!」という超独特なキャラクターだったわけですけど(笑)

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しかして、そのビジュアルといえばロングヘアーで巨乳という超正統派美少女。

「ほほう、これはことりちゃんみたいな、甘々ボイスで喋らせて、

 ヲタクを騙そうという魂胆だな。わかります。」

という知った風な予想をかましていたこちらにとって、その声は衝撃的で。

なんでしょう、たどたどしく喋る声は、どちらかといえば少年ぽいボイス。

「花丸ズラ☆キュピーン(ことり的脳トロボイス)」

みたいなのを想像していたこちらからすると、予想と違い過ぎて慄いたというか。

なおかつその内容たるや「マルのことは放っておいて、他の可愛いメンバーを応援してください」という、「自分への自信の無さ」と「自分を信じていないこと」の独白という。

もうね、凛推しの私としては、完全にこの時点で持っていかれました。

「アタイ、この子が自分に自信を持つストーリーが見たい(号泣)」という感じに(キモイ)。

この「内面と外面(心理的にも視覚的にも)にギャップを持っていて、それを無意識に制御してしまっている」というキャラクター性が星空凛に非常に近いと感じていたわけです。

故に、今回のストーリーでそれがはっきりと示されたことで

「ほらな!やっぱりな!」

という思いと同時に

「あざす!酒井監督!花田さん!あざっす!これ、俺が見たかった話です!!!(号泣)」(究極キモイ)

という感情に襲われたのでした。

いや、この4話こそ、これまでの「ラブライブ!サンシャイン」の中でも珠玉の神回なのではないでしょうか。大げさではなく。

 

黒澤ルビィについて

花丸の親友である黒澤ルビィ

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生徒会長黒澤ダイヤの妹であり、極度の人見知り。

ただ、スクールアイドルへの思い入れは強く、その要因として姉の影響も強い。

しかし、姉ダイヤがスクールアイドルへの拒絶を示すようになり、姉への依存が極度に強いルビィも「スクールアイドルへの憧れ」「愛着」隠すようになってしまっている。

このルビィのキャラクターを見て真っ先に思い起こされるのは、前作「ラブライブ!」の小泉花陽でしょう。

花陽は幼少時代から「アイドル」に憧れ続けた、「ラブライブ!」登場人物内でも屈指の「アイドルマニア」として登場します。

反面、自分自身の容姿への自身のなさ(自身のなさの象徴としてのメガネ)、体力や運動神経への不安、そしてなによりも「極度の引っ込み思案」のため、夢への一歩を踏み出せずにいる少女です。

※それは「自分の学校にスクールアイドルが結成」され、「メンバーから誘われた」としてもそこに簡単には「踏み込めない」ほどの引っ込み思案でもあります。

対するルビィも、同じく再三Aqoursに加入するチャンスがありながら、その度に断り続けているキャラクターです。

ただし、その理由は花陽とは少し異なるように思えます。

彼女が断る際に発する理由は常に「姉が嫌がるから」というもの。

決して「自分に自信が無いから」ではないわけです。

※こういった姉に対するちょっと「異常」とも思えるような依存が、どういった要素から発生しているのか現時点では分かりませんが、ルビィにとってのダイヤは常に崇拝の対象なのでしょう。

実際、第5話において善子に乗っかる形で披露された「一番小さい悪魔~」のくだりなどは、自分を客観的に見たうえで「こうすれば自分が一番可愛く見える!」というのを分かって演出しているのが良く分かるシーンですし、

「がんばルビィ!」のような「アイドル的キャッチフレーズ」をいち早く取り入れているのも彼女。

「アイドルを深く理解しながらも、あくまでも視聴者」だった花陽と、

「アイドルを深く理解しながら、それを自分にフィードバックできる」ルビィ

とでは、少しキャラクター性が異なります。

※花陽はこの「フィードバック=自己プロデュース」を物語終盤に至っても行うことはありませんでした。むしろ「自己プロデュース」に最も執心していたのは、にこでしたね。ただしにこの場合は「自分のキャラの薄さを自認するほどの凡人故」という要素もあるので、これも一概にはいっしょくたには出来ないのですが。まま、それはまた別の話。

また、ルビィは運動神経においても優れています。

4話中盤、千歌たちも苦戦した「階段のぼり」にチャレンジするルビィは、息を切らせながらも曜にしっかりと付いていきます(この時点でルビィたちは初の階段登りチャレンジなので、既に何度か経験済みの千歌たちにしっかりと付いていける時点でかなりの心肺能力を持っていることが垣間見えます)。

※「極度の人見知り」又は「小動物的な魅力を訴求するため」に使われていた「ルビィの俊敏性」ですが、それは同時に彼女の運動神経の良さもアピールしていたとは、素直に「上手いなぁ」と思う部分でもあります。

こういった面からルビィの足枷となっているものは「自信の無さ」で無いことが十分に表現されています。

そして、親友である花丸はこの事実を的確に見抜いています。

 

■花丸の作戦

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ルビィの足枷となっている要素とは

①「他者への依存を強めるが故の、主体性のなさ」

②「姉への信仰から来る極度の依存」

の2つです。

花丸はこの2つを利用し、ルビィを解放に導きます。

まず①に関しては、自分自身がスクールアイドルに興味を持った「フリ」をし、加入することで、「依存症」のルビィを巻き込むこと。

ただしここでもルビィが「姉」の存在をちらつかせ加入を拒む事まで想定したうえで「仮入部」という逃げ道まで与えます。

こうしておけば、いざという時にはルビィが辞める口実にもできますし、もしもダイヤの追求が及んでも「自分が誘ったので」と、自分自身を盾にしてルビィを守ることが出来るわけです。

なんともロジカルですね。

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さて、そんなわけでまんまとルビィを入部させることに成功した花丸(まるで悪事をしているかのような書きぶりw)。

彼女が次に考えていたのは、どのタイミングでルビィの「自分(花丸)への依存」を断ち切るかということでした。

それは意図せず訪れます。

運動神経の割と良い曜ですら最初は苦労した階段のぼりに、なんとか付いていくルビィと、付いていけない花丸。

そんな花丸をルビィは階段上で待ちます。

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「一緒に行こう♪」

と優しく語りかけるルビィに、花丸は拒絶を示します。

「ダメだよ、ルビィちゃんは走らなきゃ」

ここぞとばかりに気持ちを吐露する花丸。

「ルビィちゃんはもっと自分の気持ち大切にしなきゃ」

「自分に嘘ついて、無理に人に合わせても辛いだけだよ」

「ルビィちゃんはスクールアイドルになりたいんでしょ?だった前に進まなきゃ」

ルビィの本質と能力を信じる花丸だからこそ、言える鼓舞。

初めて「自分自身の意志」を手に入れたルビィは、「まっしぐら」に頂上をめざし駆け上がります。

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夢に向かって走り始めた友人を見つめながら、ゆっくりと階段を下りていく花丸。

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語られるモノローグはなんとも切ないもの。

そんなセンチメンタルな場面の中、しっかりと②への対処を考えていた花丸。

ルビィの「姉」への依存を断ち切るため、ダイヤを呼んでいました!

この用意周到っぷり、恐るべし。

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ダイヤに「ルビィちゃんの話を、ルビィちゃんの気持ちを聞いてあげてください」とだけ告げ立ち去る花丸。

彼女にはもはや「スクールアイドルという夢に踏み出したルビィ」への絶対の信頼があります。

それは恐らく自分自身の言葉で、自分自身の意志を「姉」にも伝えられるはずという強い信頼です。

※降りていく花丸に目もくれず登っていくルビィは人でなしでは?という意見もチラホラ拝見しましたが、「他者への依存ゆえの自主性のなさ」が課題であるキャラクターが、それを克服し「自主性」を手にする物語なので、あそこは真っ直ぐに駆け上がらなければテーマがあやふやになってしまうのです。

そして、そんな一回の関係性で全てが終わってしまうほど、ルビィの花丸への信頼は弱くはないわけです。

この辺はもしかしたら、花丸も見誤っていたかもしれませんが。

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ダイヤとの対峙。

思わず怯むルビィをかばうように、なんらかの言い訳を告げようとする千歌の言葉を遮り、ルビィは姉にも立ち向かいます。

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その姿に思わず目を丸くするダイヤ。

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かくして無事入部を認められ、正式な部員となったルビィ。

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その事実を知った鞠莉は、ダイヤに

「良かったね。やっと希望が叶って」

と告げます。

この希望とは、

「妹がスクールアイドルに加入すること」

なのか

「妹が自分への依存を辞め、自立すること」

なのかは、判別がつきません。

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「なんのことですの?」

と告げるダイヤさんの表情は分からず。

■「始めたい MySTORY」

さて、無事ルビィの加入は決まったわけですが、やはり気になるのは途中で帰ってしまった花丸。

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「そういえば国木田さんは?」と聞く梨子の言葉に瞳を潤ますルビィ。

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1人図書室に向かって歩く花丸。

「これでマルの話はおしまい」と告げる彼女は、

いつもの通り「一読者」として「ルビィの物語」を見届け、それを「自分自身の物語」として消化しようとしていました。

その結末は、「一人ぼっちの図書室に戻る」ということ。

「もう夢はかなったから」と。

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1人で遊ぶのが好きで、それが高じて図書室の虫となり、読書の世界に埋没していった花丸。

一冊の本の物語に思いをはせ、それを客観的に楽しむのはもちろん素晴らしい体験ではあるのですが、それもまた「自分の物語」からの逃避でもあります。

そしてなんとここで花陽の特性として書いた

「あくまでも視聴者」だった花陽

が、花丸も持っている要素であることが明らかになります。

となれば、彼女を「主役」へと後押しする人物が必要です。

それはもちろんルビィです。

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一見、まんまと策略にはめられたかのように見えていたルビィですが(悪事を働いているかのようですが以下略)、その裏で

「ルビィに気を使ってスクールアイドルやっているんじゃないかって思った」

から、

「花丸ちゃんの事観てた」

「ルビィのために無理してるんじゃないかって心配だったから」

と告げるルビィ。

さすがの観察力です。

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そして差し込まれる星空凛のエピソード。

ラブライブ2期5話「新しいわたし」では、自らへの自信の無さから「センター」を固辞する凛。

そんな凛の推薦を受けてセンターを務めようとするも、凛の真意に気付き、自らの意志でセンターを凛に譲る花陽という関係性を軸に、

その経験を通じて改めて「自分の好きな自分になって良いんだ!」という事を知った凛が大きく成長する、という物語でした。

これは今回のストーリーラインにかなり類似しているように思います。

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「ルビィ!スクールアイドルがやりたい!花丸ちゃんと!」

とはっきりと「自分の主張」を告げたルビィ。

自ら背中を押した相手に、今度は鼓舞される、という仕組みも凛と花陽の関係を想定させます。

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「自信がなくても、やりたいからやってみる。それでいい」という言葉に支えられた花丸も加わり、Aqoursは5人になりました。

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ラストシークエンス。

スクールアイドルランキングへの登録を行うと4999位というランキング。

自分たちの上に「5000組もいる」事実に慄くメンバーを鼓舞するように、ランニングを指示する姿は、まさしく憧れの凛そのもの。

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「凛のフォロワー」としての花丸の活躍に期待が持てますね♪

 

さて、ここからは余談というか、妄想に近いですがw

作詞に関して。

元々物語内の作詞を担うのは、文学少女の花丸になるのでは?と予想してきましたが、現時点にいたるまで、その描写は見られず。

現在は「全員で共作している」状況という感じです。

ただ、今回登場したワードの多くに、OPテーマ「青空Jumping Heart」の歌詞が登場したことから、同曲の作詞は花丸が手掛けるのではないか?という気がしております。

 

例えば

「いつものセカイが 新しい扉を 隠してるの 全部開けたいよ」

などは、階段を下りていく花丸のモノローグで語っていた内容と一致しますし、

「始めたい My story

は「これでマルの話はおしまい」と語っていた花丸の、隠していた本音のようにも思えて、非常にグッときます。

回答は分かりませんが、そう思って聞くとOPテーマもまた違って聞こえてきますので、花丸推しにはオススメですよ。

というわけで、今回はこれにておしまいです。

結局めちゃくちゃ長いな。

次回こそ短く行こう!!行けるかな・・・。

pigstar - バロック

今回の話を書きながら、なんとなく思い出した曲。

歌詞とか、花丸にぴったりだと思う。

好きなバンドだったなぁ、pigstar。再結成してホスィ。

 

永遠の存在者

永遠の存在者

 

 

ラブライブ!サンシャインハイライト 第3話「ファーストステップ」

■遅ればせながら第三回!

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「#3ファーストステップ」ということで、節目となる回になることを予想している人がいましたが、やはり大事な回となりましたね。

ラブライブ!の第3話を踏襲し過ぎ」というコメントも多数あるようでしたが、個人的には「踏襲しながら、鮮やかに更新してみせる」という素晴らしい仕事だなぁとひたすらに関心しました。この辺は後述します。

※以下前作「ラブライブ」との比較が増えますので、前作を「ラブライブ」今作を「サンシャイン」と表記して比較いたします。

よろしくお願いします。

…ということなので、ブログでまとめますわぁ。

■リアリズムと虚構のバランス

ラブライブ!」というシリーズにおける「リアリズム」には突っ込みどころが満載で(笑)

ここに言及しはじめると、1項目必要なくらい大きな題材になってしまうので、敢えて今回は記述するのは避けようと思います。

ただし、見る側にはこの「ラブライブならではのリアリティライン」を理解したうえで、視聴する必要があります。

今回「サンシャイン」制作にあたって、京極監督から酒井監督へのバトンタッチが行われる中で、この「リアリティライン」の整理が(若干ですが)行われているように感じます。

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今まで「ラブライブ」で練習風景が映るたびに感じていた

「屋上で練習するのは良いけど、自分たちの踊りを見ないで(録画しないで)練習するなんて無理じゃね?」

という感覚(これは仕事上アイドルちゃんのリハとか練習をよく見るからこそ感じた違和感なんですがw)。

しかし今回はスマホを利用してのフォームチェックや、クリック音を使用しての練習などを行っていて、「なるほど、ここから手を入れてきたか」と開始冒頭唸りました。

 何故このような微調整をするのかというと、恐らく「作劇のバランス上必要だから」か「単純に酒井さんが前作を見ていて、ここは直そうと思っていたか」のどちらかと思います。

まぁ現状ではどちらなのかは分かりませんがw

というのは、この後超弩級の「アニメの嘘」をぶち込んでくるからですが。。

■鞠莉理事長というウルトラC

その「アニメの嘘」というのが前述のこれでして、

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序盤のキーマンとなるであろうと(個人的に)予想していた鞠莉が、なんと学園の「理事長」に就任。

これで彼女がAqoursにもたらす影響力が非常に大きくなりました。

しかしこれには、結構驚きました。

ラブライブ」はこれまでにも「極力大人を消去する」という手法を使ってきました。

これは、「大人」を「安易な障害として登場させない」ことで、「ドラマの陳腐化を防ぐ」為の工夫であり、あくまでも「主人公たちの内面や関係性による葛藤や成長を描くことを第一とする」為に意図的に取られた手法でした。

だからこそ「ラブライブ」では「大人の登場」が最低限に抑えられていました。

※作品上登場する大人は穂乃果の両親(父親は台詞なし)、ことりの母(理事長)、真姫の母、にこの母、そして担任くらいですね。(花陽、凛、海未の母親は劇場版に登場しましたがセリフなし)

彼ら・彼女たちがどんな役割を持っているのか、といえば「世界観を陳腐にしないための置物」であったり、「作劇上登場した方が、ストーリー進行をシンプルに出来るための存在」だったりと役割はそれぞれ異なるわけですが、やはり制作陣としては「なるべく出したくなかった」ように思えます。

※実際、真姫個人の物語を考える場合「暢気に娘の将来を確定」してしまっている母親の存在は「ノイズ」として映りますし、「理想的な教育者」として映る理事長も、劇場版の物語の中ではその言動に不自然なところが出てきてしまいます。

こういった反省を踏まえて、今回は極端に「大人の存在」を排除する=鞠莉理事長という荒業を使ったのではないでしょうか。

とはいえ、作劇としてはなかなか難しい存在となってくるこの「肩書」を、今後どのように生かしていくのか。非常に興味深いです。

また、鞠莉というキャラクターも非常に面白いキャラクターですね。

前作と比較すれば、「なんらかの思惑を持ってグループ結成を影から貢献する存在」というわけで「希」を明確に想像させるキャラクターですが、希には無かった天性の「陽性」を持ったキャラクターだけに、非常に魅力的に映ります。

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(シャイニー♪)

鞠莉に関する更なる気づきは第4話の感想にて。

■ダイヤと鞠莉の関係性

3年生のピリピリした関係性の原因は「鞠莉の留学が要因なのでは?」という仮説を立てていますが、では鞠莉とダイヤとの関係はどうなのかというと、

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これだけ見ると殺伐として見えますがw 大きな隔たりは無いように見えます。

(このシーンもダイヤの話を聞いていなくて、しばかれているシーンですので)

となると未だに関係性がみえない果南と両者との関係性に興味が湧くところ。

とはいえ、これ以上は想像の域を出ないので、ここまでにしておきましょう。

ひとつこのシーンで気になるのは鞠莉の「ダイヤに(スクールアイドル結成を)邪魔されちゃ可哀そうだと思って」という台詞。

ともすれば、ダイヤが無意識に「果南を傷つけた」ことを示しているに聞こえますが、果たして。。

■「3話」という記号とその鮮やかな裏切り

なんとなく予感していた方も多くいたように、この3話が物語においては大きな分岐点となりました。

ちょっと長くなるかもしれませんが順を追って追いかけてみましょう。

理事長職に就いた鞠莉から千歌たちに提起された「スクールアイドル部設立」の条件はデビューライブを「満員」にすること。

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仮にここを満員にできれば、部員が「3人でも」承認する、という条件。

この辺りは「ライブを成功させることで、部員を募ろうと思った」ミューズとは全く条件が異なります。

とはいえ、これはなかなかに難しい条件。

ざっくり見積もっても200~300名くらいは収容できそうですが。。

全校生徒を集めたとしても、収容人数には遠く及ばないことに気付く梨子。

学校以外からの集客を集めるべく、Aqoursの奔走が始まります。

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それぞれの個性が溢れるチラシ配りのシーンは、今回のコメディ要素。

天性のチラシ配りの上手さを見せる曜、やや強引に渡す千歌、なんだかんだ言って渡せない梨子、という三者三様は穂乃果、ことり、海未のチラシ配りシーンをまんま想定させます。

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梨子の1枚目を受け取ったのは絶賛登校拒否中の善子(変装)。

ラブライブ」では海未が勇気を出して差し出したチラシを、にこに拒否されましたが、善子は掻っ攫うように持ち帰りました。

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そんな善子を見て「あの子どこかで見たような・・・」と曜。

EDでも二人がコンビになっているように、曜と善子の関係も気になります。

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校外のお客さんを手っ取り早く集めるため、千歌は長姉美都に「会社の人を呼んで!」と依頼しますが…

 

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用意していたかのような水性インキで鮮やかな筆致。

この姉、妹の扱いに慣れている。。

この後、志満姉と曜の会話からも分かりますが、姉二人の千歌に対する評価は

「飽きっぽい」という点で一致しているように思います。

今までも「本気になれない千歌」を何度も見てきたからこそ、彼女の言葉を信用しきれない、という肉親ならではの厳しさなのでしょう。

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田舎ならではの戦略として、町内放送も利用しちゃう!

これは東京、秋葉原ではできない戦略だけに、舞台を「静岡」にしたからこそ、という風に映ります。

ちょっと脱線しますが、後々の展開に与える「千歌の伝達ミスはどこで起きていたのか」の件ですが、明らかに間違って伝達をしていると分かるのはこのシーンのアナウンスだけです。

※本来は日曜日14:00スタートだが、土曜日14時から~と言っている。

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あの美都姉のセリフがどういった意図をもって発せられた言葉なのかは、監督に聞いてみないとわからないかもしれません。。

とりあえず出来る限りのアピールをする、という意味では穂乃果たちよりもよほどクレバーな動き方をしています。

この辺も彼女たちが「ミューズのフォロワーだから」という紐付があるわけですが、そこはまた後ほど。

チラシ配りの途中、花丸&ルビィとも遭遇した千歌たち。

スクールアイドルへの只ならぬ愛情を持つルビィから「グループ名」に関して質問を受けますが…

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そういえば決まっていませんでしたな。。

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名前を3人で相談しますが、3人とも絶望的な語彙不足。

「3マーメイド」や「制服少女隊」はまぁ置いておいて

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「みかん」てお前正気か、千歌。

(確証は無いですが、恐らく千歌が考えたように思いますw)

このあたりもコメディパートとして片づけられていますが、ここから分かるのは「3人の中に作詞担当者はいないであろう」ということ。

(大好きがあればダイジョウブは3名の共作でしょう)

作詞を担っていくのは、文学少女=花丸という予想なんですが、どうなるんでしょうか。

喧々諤々のうえ、全く決まらない名称。

そんな時浜辺に書かれた、自分たち以外の誰かが書いた文字。

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これをグループ名として選ぶ理由は、なんとなく強引な感はありましたがw

とはいえ、偶然の出会いと直感を信じ、「Aqours」と名乗ることになった千歌たち。

はたしてこの字を書いたのが誰か、というネタばらしはあるのでしょうか?

個人的には無さそうな気はしますが。

あるとすれば、鞠莉か果南が濃厚な気もします。

着々と準備を進める3人組。

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そんな彼女たちの「本気」を知った美都姉。

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手助けに積極的な気持ちへ変化していきます。

前述した通り、美都姉も志満姉も、千歌を「飽きっぽい」と評価していましたが、親友の曜の評価は違いました。

「千歌は飽きっぽいのではなくて、中途半端がだめ」「やるときはちゃんとやらないと、気が済まないというか」

千歌がどんなきっかけで「のめり込むこと」に臆病になったのかは、今のところ分かりません。

ただ、曜だけは「のめり込みたくないから、何かに一生懸命になれない千歌」のことを案じていた。

だからこそ、久々に「のめり込めることを見つけた」千歌のために「スクールアイドル」を成功させようとしている。

今回の「サンシャイン」という物語の根底には、常にこういった「信頼」や「友情」というものがバックボーンにあります。

こういった関係性が物語初期から描かれるのは「サンシャイン」ならではのように思います。

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やるべきことはやった。

それでも不安はぬぐえない。

美都姉が言った「こんな田舎じゃ無理」というのは、まさしく言い得て妙なのでしょう。

「スクールアイドル」の現状を、第1話で相対化してみせたように、「スクールアイドル」はようやく芸能の1ジャンルとして認められたような段階で、まだ一般の人に広く訴求効果のあるようなジャンルではないのです。

それでも志満は「大丈夫よ。みんな暖かいから」と曜に告げます。

そんな気休めをよそに、外には「停滞」を意味する雨が。。

不穏な予感を漂わせます。

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降り始めた雨はライブ当日まで降りやまず。

古今東西「雨」が降り始めると「不穏な出来事」が起きるのはハリウッド的な文脈として常識になってはいますが、こと「ラブライブ」シリーズに関しては、それは極端に守られている文脈です。

※「NO BRAND GIRLS初披露LIVE」も「ラブライブ参加を迷っていた2期第1話」も「劇場版で色々な意見に押しつぶされそうになった穂乃果がシンガーと秋葉原で出会った夢の中」でも、雨が降っていましたね。

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善子越しの時刻表。

13時ら辺が空白に見えますが。

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「今全力で輝こう!」と誓った彼女たちを待ち構えていたのは...。

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まばらな動員。

※この絶妙な人数も、「ラブライブ」で「誰も来なかった」という「そりゃないだろう!」という突っ込みへの反動からの微調整のように見えます。

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なんとなく分かってはいたものの、やはり打ちのめされる3人。

しかしそれでも、力強く一歩目を踏み込みます。

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この「一歩」を踏み出せたのは、彼女たちが「ミューズ」のフォロワーだからこそ。

紡がれる言葉はミューズへの憧れ。

「私たちはその輝きと」

「あきらめない気持ちと」

「信じる力に憧れ、スクールアイドルを始めました」

「目標はスクールアイドル=ミューズです!」

そして歌われる歌はダイスキだったらダイジョウブ!

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この歌の持つ、「底抜けな前向きさ」はミューズの歌った「START=DASH!」とは真逆です。

「上手くいかないこと」を想定したうえで「それを乗り越える強さ」と「矜持」の大切さを切実に歌ったのが「START=DASH!」でした。

対して「ダイスキだったらダイジョウブ!」は、「上手くいかない可能性」は度外視して「やりたいからやるのだ!」というメッセージを全面に押し出している、という意味で明らかに「ススメトゥモロウ」を意識した楽曲になっています。

※以上の理由から、最終回でこの歌を9人で歌う、という予想には「多分それはないでしょう」と個人的には思っております。f:id:ishidamashii:20160724234338j:plain

「ススメトゥモロウ」を歌った穂乃果が鮮やかに車を避けまくったように(笑)、この曲を歌っている時の千歌たちは無敵です。

しかし、ここで「神様のイタズラ」が発動します。

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それはまさかの「物理的な停電」でした。

「んなアホな!」と思う事態ではありますが、こういった「神様のイタズラ」としか思えないような苦難を、分かりやすく提示するのは「ラブライブシリーズだから」というよりかは、古典的なハリウッドやブロードウェイミュージカルの文法に乗っ取って作劇をしているから、なのでしょう。

「自分を肯定」することで、現実を突っぱねた千歌たちにとって、これは心理的なダメージが大きい。

「どうすれば...」

「いったい、どうすれば」

と梨子と曜が呟く流れは、まさしく「ラブライブ」第1話の終盤と同じ構成になっています。

その声に導かれるように「ダイスキだったらダイジョウブ!」を歌い始める千歌。

それに続く、曜と梨子。

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(その様子には思わずマリーも息を飲んで無言に)

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(後ろで静かに見守っていた花丸&ルビィは思わず駆け寄り)

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(生徒会長は何かを察したのか冷静に移動)

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(こ、これは!お祭りとかでよく見るやつだ!!!)

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必死に声を振り絞り歌う千歌でしたが、やはり「圧倒的な静寂」の前に心が折れそうになります。

しかし、その窮地を救ったのは、

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美都姉と、

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「暖かい」地元静岡の人々でした。

※この辺の遅れてきたレトリックが今一つ分からないので、分かる方教えてくださいw

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ダイヤさんもいるよ!

(生徒会長だから、緊急時の対処は知ってます。)

千歌たちの頑張りは、それを支援する人たちを通じて、しっかりと伝わっていました。

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(美都姉、すげぇ)

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(456トリオもしっかりと貢献してまっせ!)

この「東京と静岡の比較」が今後どのような影響を物語に与えるのかは、今はまだ分かりませんが、なにはともあれ「支援者の力」によって、Aqoursのファーストライブは

「成功」に終わります。

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(結果満員にはなっていないようにも見えますが...)

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(万雷の拍手を持ってファーストライブを終えたのは、ミューズとは真逆です)

なぜ「成功」から物語をスタートさせたのか、といえば、やはり「成功」こそが物語の進行に必要だったから、ということなのでしょう。

この辺の理由はもう少し物語が進まないと見えてこない気がしています。

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(LIVE成功を見つめる反応はひとそれぞれ。しかし、Aqoursとして活動することになる人物全員がファーストライブの場所に集まっている、というのもラブライブ第3話からの引用ですね)

そして今回の白眉となったのが、ラストシーン。

ライブ成功に対しての感謝を告げるAqoursの3名が引用する言葉は、「劇場版ラブライブ」において、秋葉原に集結したスクールアイドルたちに向けて穂乃果が送った言葉

「スクールアイドルはこれからも広がっていく どこまでだって行ける どんな夢だって叶えられる」

という言葉でした。

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(この発言をした時、穂乃果は太陽を掴んでいたわけですが)

これは「SUNNY DAY SONG」を歌う直前に穂乃果が発した言葉でもあるわけで、

やはり「SUNNY DAY SONG」と「サンシャイン」の強い関係性を感じさせますね。

それをさえぎって現れたダイヤの告げた言葉は

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「これは今までのスクールアイドルの努力と、町の人の善意があっての成功ですわ。勘違いしないように!」というものでした。

この台詞にはおもわず「そう来たか!」と唸りました。

お気づきの方も多いと思いますが、この発言は非常にメタ的な要素を含んでいます。

「アニメ内のAqoursのファーストライブ」は、

アニメ終了後に行われる「現実世界のAqoursのファーストライブ」を示しているのでしょうし、

「彼女たち本来の実力には見合わないハコ=体育館」

「現実世界でのファーストライブのハコ」を示したメタファーでしょう。

そしておそらく満員になるであろう「現実世界でのAqoursのファーストライブ」を実際に開催する前から

「今までのスクールアイドルの努力=ミューズの活躍」

「町の人の善意=ミューズというよりもラブライブプロジェクトを応援するファン」

のおかげで成り立っているのだと、相対化しているわけです。

(しかもそれを主張しているのは、ミューズ原理主義者であるダイヤ=古参のラブライブ原理主義的なファン、というのはなかなかブラックなジョークになっています)

しかし、千歌はそのダイヤの主張に怯むことなく、

「分かってます!」と答えます。

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(千歌の毅然とした態度に、逆に怯むダイヤ)

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「それでも、ただ観ているだけじゃ、始まらないって」

「上手く言えないけど、『今』しかない、瞬間だから」

「だから輝きたい!」

この「愚直」ともいえる主張は、「サンシャイン」という作品そのものからのメッセージのように受け取れます。

未だに「ミューズロス」から戻れない人、様々な理由から「サンシャイン」を貶める人、がいるのは確かなのでしょう。

しかし、どれだけ願ったとしても「ミューズ」の物語が再開することはないように、Life Goes ON、人生は進んでいるのです。現在進行形で。

だとしたら、「立ち止まらず」に「前へ進む」しかない。

そして、そんな風に「常に立ち止まらず進むことで、二度と取り返せない『今』の大切さを実感してほしい」という願いこそが、「ラブライブ」という作品が伝えたいメッセージなんですよね。

だからこそ、主張したあと不安げに佇む千歌に対して

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会場からは大きな拍手が起きるわけです。

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というわけで、「ラブライブ」の主張を一度飲み込んだうえで、再度ファンに向けて提示している(しかも前作の3話をなぞりながら)という部分でこの「サンシャイン」の第3話は素晴らしい脚本と演出だなぁと唸ったわけなのでした。

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空へ羽ばたく3羽の鳥。

曇り空に射した一縷の光の中を飛んでいきます。

「劇場版ラブライブ」で「Future style」後に9羽の鳥が空へ羽ばたいていったシーンを想起させます。

さて、「ラブライブ!」では3人が打ちのめされた「ファーストライブ」を「成功」で終えたAqours

しかし「サンシャイン」が「ラブライブ」の文法のもとにある作品である以上、かならず「敗北」は訪れるはずなのです。

それはいったいどこになるのか。

「出来る事なら傷付く彼女たちを見たくない!でも傷つかないと物語として停滞してしまう!」というアンビバレンツな感情を抱えながら、この先の物語も楽しんでいきたいと思います。

第4話はルビ丸回だよ!

それではまた次回お会いしませう。

長々とおつきあいいただきありがとうございましたm(__)m

 

 

 

 

 

ラブライブ!サンシャインハイライト 第2話「転校生をつかまえろ!」

■というわけで第2回。

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#2転校生をつかまえろ!ということで、次回以降へのブリッジとなる回かな?くらいの気持ちで見ていましたが、意外と言及する部分があったので書いておきます。

 と…2話を振り返る前に前回のOP解釈の補足。

千歌が3年生の間を振り切って走り去るタイミングで、一瞬、果南の表情だけが和らぐんですね。

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恐らく3年生が最後の関門となると思うのですが、果南がそれを突破するきっかけを与えてくれそうな、勝手な予感がしますw

それでは前回と同じく気になるところを書いていきます。

■生徒会長=ラブライバー

第1話でも匂わせてはいましたが、ガチライバーだった...というのは予想の斜め上を超えていきました。というか、この回のハイライトはここかもしれませんw

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「僕らのLIVE 君とのLIFE」の略称が正式に「ぼららら」として認められた、というエポックメイキングな出来事もありましたが、そんなことよりもここで重要なのは、黒澤ダイヤ会長の役割は「絵里」ではなく「にこ」にあたる、ということが確定したことでしょう。

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即席で「ミューズカルトクイズ」を実施してしまうイタさ、もとい知識の深さを披露するあたりも「にこ」への親和性を感じさせます。

また、彼女のこの言動から予想できるのは、彼女こそが「3年生組の関係性を破壊した要因かもしれない」ということです。

「ミューズに対する過剰なまでの思い入れ」を見せるダイヤの姿勢は

「アイドルへの思いの強さ」故に孤立し「一人ぼっち」になってしまったにこと同じ香りを感じさせます。

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この関係性をどのように修復させるのか、が前半のキモになりそうですね。

■1年生組

今回も出番は少なかったですが、ルビィと花丸は毎回ストーリーには絡んできますね。

特に千歌が何度も「可愛い」と表現する花丸は、グループ内では「美少女」的な立ち位置になっていくんでしょうか。

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極度の人見知りでありながら、「スクールアイドル」への知識と愛着はありそうなルビィ。

もしかしたら、姉の「スクールアイドル愛」も彼女の影響?(あるいは逆)なのかもしれませんね。

今回も小動物的な魅力がフューチャーされていましたが、そのキャラクター性は「花陽」に近いものを感じさせます。

スクールアイドルに憧れながらも人見知りと姉の存在から一歩踏み出せないルビィ。

彼女の勇気ある決断が、今後の物語を動かしていくのかもしれません。

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このルビィと花丸の関係性は、凛と花陽を連想させる関係性ですね。

二人の絆が生み出すドラマにも期待しています。

 

さて、もう一人の1年生、善子はなんと高校デビューに失敗し引きこもり中」という事実が発覚w

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(そりゃ、普通そんな自己紹介引きますよね…。)

Aqoursに加入するメンバーのうち3名が現在学校に通っていない、という異常事態に発展しているわけですがw さて、千歌は善子をどうやって学校に連れてくるのでしょうか。

恐らく、前述の2名がそこに大きく貢献してくれそうですが。

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(善子の”やっちまった”自己紹介を一人羨望のまなざしで見つめるルビィ。やはり彼女がキーマンとなるのでしょうか)

しかし、この善子の「キャラクターを自作して、自分を偽る」という行為は、なんとなく「希」を連想させます。

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(「希」は「エセ関西キャラ」となる事によって絵里との距離を縮めることに成功しましたが…。)

「堕天使」というキャラ設定も"厨二病"と言ってしまえばそれまでですが、西洋魔術的なスピリチュアルな要素も感じさせます。

とにかく、アニメ化に当たって花田十輝さんは元々設定してあるキャラクター設定は「ほぼ無視する」という、前作と同じ手法を用いていらっしゃいますが(私はその手法支持派です)、善子に関してはキャラの根底に携わる"厨二病"という設定をどのようにドラマにしていくのでしょうか。

こちらも非常に楽しみです。

 

■梨子を救うのは... 。

さて、この第2話のキーとなるのは「Aquoursがいかにして作曲担当を手に入れるか」という話です。そしてこの作曲担当は梨子ちゃんですね。

アイドルをテーマにした作品である以上、曲がなければ始まらない!

というわけで、この流れは前作「ラブライブ!」1期序盤と全く同じ展開となっています。

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(前作では真姫の音楽の価値を認めつつ、アイドルという稼業の大変さを伝える…という穂乃果なりの荒業で「START=DASH!」という神曲をゲットしましたが...)

千歌も、穂乃果と同じように梨子に猛アタックを仕掛けますが、全く実らず。

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とはいえ、千歌の場合、その誘い文句に問題があるような気もします。

「スクールアイドルは学校を救ったりするような大きな存在!」とか興味のない梨子からすればどうでも良い話ですし、

「作曲担当がいないと困るんだよ~!」とか言われても親身になる要素は少ないですからね。。

そして、梨子には梨子で、簡単にスクールアイドルを引き受けられない理由があります。

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それは彼女が現在「ピアノが弾けない状況」にあるということ。

「大きな発表会での失敗」というトラウマが彼女から「演奏する楽しみ」を奪ってしまっていたのです。

その際に演奏できなった楽曲が「海に還るもの」ということで、彼女が「海に入ろう」としていた!という理由がここで明らかになるわけですね。

またここから分かるのは「音楽に絶望している彼女を救えるのも、また音楽である」ということ。

故に千歌の「言葉」には心が動かなかったわけです。

 

そこで千歌は彼女のトラウマ克服に一役買おうと乗り出します。

「スクールアイドルにならなくても良いから、一緒に海の音を聞きに行こう」

千歌のこの提案ははじめて「自分の希望や都合」ではなく「相手を思いやる」気持ちから生まれた言葉でした。

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このような、相手に「寄り添う」という要素は、やはり「穂乃果的」ではなく「花陽的」であるように映ります。

それ故か、この時画面では千歌の「クローバーの髪飾り」のみを映しています。

これが映画やドラマなら「偶然そういう画になった」とも言えるのですが、これはアニメなので、なんらかの意図があってこのような演出をしていると思えて仕方ありません。

さて、週末曜を誘い、果南の指南のもと海へと潜る2年生陣。

果南は梨子に「海の音は聞こえないだろうけど、海の中で想像力を働かせれば、聞きたい音が聞こえるのでは?」とアドバイスします。

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ここで登場する「海」にはメタ的な構造があるようにも思えます。

梨子が言う「真っ暗でイメージが浮かばない」という言葉は「失敗を悔やむあまり、大好きだったはずのことまで手放そうとしている」あるいは「迷いの中にいる」梨子の現状を象徴している表現と思われます。

その梨子を「千歌と曜が太陽のもとに導く」ことで、今まで見たことのない景色が現れる。

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これは「スクールアイドル=太陽」という、梨子が無意識に避けてきたものへ千歌と曜が導くことによって、梨子のイマジネーションが再び刺激され、「表現やイメージを取り戻すことが出来た」ということをメタ的に表現しているのではと思います。

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 そして「音」を聴いたのが梨子だけでなく、千歌と曜も共に「音を聞いた」という事実は、「梨子によって彼女たちもまた解放された=やりたいことの道しるべが生まれた」という事を示す表現になっているように思います。

このように「台詞や直接的な話法」ではなく、「画や動き」を通じて伝えいたいテーマを表現をするのは、非常に映画的な手法だと思います。

 さて、イマジネーションを取り戻した梨子は、「作曲を担当する」ことを宣言します。ただしメンバーになることは固辞していますが。

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(軽やかな避けっぷり。)

作曲をするにあたって、歌詞を要求する梨子。

しかし、残念ながら歌詞はありませんでした。

このあたり、歌詞が先にあって作曲者を探していた「ラブライブ!」とは逆ですね。

この後の千歌の部屋でのやりとりは、まるで「ことほのうみ」3人のやりとりのパロディ。

マジメに作詞をしよう!と呼びかける梨子を無視して、最新の携帯の話題に花を咲かす千歌と曜は、

マジメに練習をしよう!と呼びかける海未を無視して、和菓子を食べる穂乃果とことりのようです。

また、生真面目な梨子に千歌のぬいぐるみが被さるシーンは、「合宿で安眠を妨げられた海未」のパロディシーンのようでしたね。

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仮面ライダー555の敵にいそう。エビオルフェノク的な)

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こ わ い (小並感)

 

具体的な詞がなかなか浮かばない千歌ですが、目標だけは高く「Snow harationみたいな曲を作る!」と言って聞きません。

いきなりハードル高すぎだろう!

 しかしこの「スノハレ」という曲が、今回のテーマとリンクしていきます。

「この曲が生まれたとき、μ'sのメンバーは恋していたのかな?」と千歌は疑問を感じますが、その答えを我々は知っています。

そう、μ'sは恋愛感情ではない、もっと深い「愛」からイマジネーションを膨らませ、「Snow haration」を作り出しました。

彼女たちの必殺曲を生み出したのもまた「イマジネーション」だったわけです。

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「Snow haration」完成秘話をググる千歌を見て感心(?)する梨子に曜は「千歌ちゃん、スクールアイドルに恋してるからね」と告げます。

「スクールアイドルへの愛情」を力に変える、というのはこれまた「花陽的」ですね(しつこいですがw)

そして、梨子と曜は、「その思いを歌詞にすれば良いのでは?」と気づきます。

「それならいくらでも書ける!」と言い、メモを始める千歌。

その「大好きなもの」に「真っ直ぐに向かう視線」を見ながら、梨子は「ピアノを始めたばかりの自分」を思い起こします。

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(「真っ直ぐ」な千歌の行動が、梨子を深淵から救い出していきます。)

そんな風に思いを馳せる梨子に、千歌が手渡したのは、自作の詩…ではなく、参考資料となるμ'sの歌詞でした。

その歌詞とはユメノトビラの歌詞。

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ラブライブ! 2期 μ's 「ユメノトビラ」

ここで「ユメノトビラ」が登場するのは、少し予想外でした。

ただし、OPテーマ「青空Jamping Heart」の歌詞にも

”いつもの世界が 新しい扉を!(もっと!)

隠してるの(Lets GO!)

全部 開けたいよ!”

というフレーズがある通り、サンシャインという作品にとっても意味のある楽曲ということなのでしょう。

 

また、後述しますが2話にとっても、この「ユメノトビラ」はテーマ曲として成立していたことに後々気づかされます。

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 千歌のまっすぐな「ユメノトビラ」への思いを受け、楽曲を聴く梨子。

そして、その曲が、その歌詞に込められた思いが、彼女の止まっていた「時間」と、「音楽」を再び動かしていきます。

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(あの日からずっと弾けなかったピアノを再び弾き始める。素晴らしいシーンです。)

彼女を暗闇に閉じ込めたのが音楽(ピアノ)だったとしたら、彼女を再び太陽の下に帰したのも音楽(スクールアイドルの楽曲)でした。

 それを象徴するように、ファーストシーンでは暗闇に包まれていたベランダが、月明かりに照らされて輝いています

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このシーンには多くの意味が含まれています。

ユメノトビラ」の歌詞「夢の扉 ずっと探し続けた 君と僕との 繋がりを探してた」にある

「夢の扉」

とは、梨子にとっての「千歌」であり、「スクールアイドル」であり、「音楽」である、と考えても良いのではないでしょうか。

迷いの中にいた梨子が、再び「希望」に出会ったからこそ、その道筋は光り輝いているわけです。

 

また、「月」というものに関してはどうでしょうか。

ご存じの通り、「月は太陽によって照らされ、輝き」ます。

ここから想像できるのは、梨子は「月」であるということです。

彼女は希望と自信を失い、「何をやっても楽しくない」状態にいた。

だから、彼女が一人でベランダに出た時には、暗闇しかなかった

しかし、千歌という「太陽」「スクールアイドル」という「太陽」に出会ったことで、彼女は再び輝きだした。

故に千歌と相対したベランダは煌煌と輝いているわけです。

※ここからファーストシーンで茫然と向かいの家のベランダを見つめる梨子は、「繋がりを探していた」梨子を表現するメタファー表現だと予想もできますね(この時点では隣にだれが住んでいるか、梨子は知る由もなかったはずなので、そこを見つめるという行為には現実感がありません)。

 

ようやく輝く方法を見つけた梨子。

しかし、またも暗闇に立ち返ろうとしてしまいます。

それは「スクールアイドル」というものを真剣に好きでいる「千歌」を目の当たりにしたからこそ、「ピアノに心を残している自分が、そんな曖昧な気持ちで(スクールアイドルに)取り組んで良いはずがない」という、梨子らしい真面目な悩みでした。

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しかし、そんな梨子の思いを、千歌は「受け止め」ます。

「一回スクールアイドルをやってみて、笑顔になれて、変われたら、また(ピアノを)弾けばよい」

それは「スクールアイドル」はあくまでも通過点であって、「ゴールではない」という表明でもあります。

この思想が、「ラブライブ!」という作品が、他のアイドル作品と一線を画す最大の要素なのですが、ここはまた別の機会に触れるとしましょう。

千歌の思いにこたえることを避け、逃げようとする梨子に対し、千歌は全力で腕を伸ばします。

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この突飛且つ無意味にしか映らない行動は、一見「なんの意味があるのかわからない」シーンですが、ここでラブライブ!サンシャイン」という作品と「SUNNY DAY SONG」という楽曲の関係性に触れる必要があります。

 

タイトルからも明らかですが、「サンシャイン=太陽の光」というのは、この作品のキーワードとなっています。

デビューシングル君のこころは輝いてるかい?」が劇場版ラブライブ!のテーマソングである「SUNNY DAY SONG」のアンサーソングであることは明確ですが(この辺は別個解説するようにします)、作品全体も「SUNNY DAY SONG」のアンサーとして成立しているように思えて仕方ありません。

この第2話にも「SUNNY DAY SONG」の歌詞をモチーフにした表現が数多く登場しますが、その際たる部分がこのラストシークエンスです。

SUNNY DAY SONG」の歌詞にはこうあります。

「受け止めてあげるここで 最初は少しためらっても

 受け止める場所があるって もっともっと知ってほしくなるよ なるよ」

と。

これは、このラストシークエンスにおける、千歌の気持ちそのままです。

千歌がSUNNY DAY SONG」の影響を色濃く受け継いでいるのは、彼女がμ'sのフォロワーだからです。

劇場版ラブライブ!という作品は、μ'sが「SUNNY DAY SONG」をスクールアイドルたちと「共作」することで、μ'sが「太陽」なるのではなく「スクールアイドルそのもの」を「太陽に変えていく」

そして、その太陽を目指すフォロワーを生み出していく物語でした。

だからこそ、彼女たち(μ's)が解散したとしても、彼女たちの意志を受け継いだ「スクールアイドル」が各地に生まれ、新たな物語を紡いでいく。

そして、それを信じるからこそ、μ'sが解散しても何も問題はない

というある種の「神話」でした。

(マジメに書いてると馬鹿らしくなってきますが、ほんとにそういう映画なんだからしょうがないよねw)

SUNNY DAY SONG」というのは、その神話を成立させるための楽曲。

どんな時代や時間でも、「自分の可能性を、希望を信じるもの」の耳にSUNNY DAY SONG」は聞こえてくる(だから映画冒頭、少女時代の穂乃果の耳に「SUNNY DAY SONG」が聞こえてくるという捻じれ現象も起きていたわけです

故に、千歌はその原則に倣って行動しているわけです。

歌詞に戻りましょう。

同じくSUNNY DAY SONG」の歌詞にはこういう部分もあります。

「自分から 手を伸ばしたら もっともっと面白くなるよ なるよ」

と。

これは梨子に向かって手を伸ばしている千歌の行動、でもありますが、実質的に千歌の位置から、梨子の位置まで手を伸ばしきるのは不可能です。

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故にこの千歌の行動は、梨子に「手を伸ばしてほしい」という気持ちの表れである、と考えられます。

人に引っ張られるのではなく、つかまえられるのでもなく、「自分から手を伸ばし」求めるという行為。

これは、長らく梨子が「失っていた」ものでもあります。

「この道が正しいかどうかわからないけど、とにかく飛び込んでみる!」というのは、ラブライブ!というシリーズが推奨する精神でもあります。

※こういった精神を「リープオブフェイス」とも呼ぶわけですが、これまた宗教用語として使われることが多いので、一旦省きます。

また、そこまでの意味はなくとも「不可能と思われることに挑戦する」という行為のメタファーとしても受け止められます。

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 ジリジリと伸ばした指同士がつながった瞬間、月明かりが一層輝き、EDテーマが流れ出す。これでもかと感動の押し売りをしてくる、くどい演出ですが。

しかしその感動は本物です。

さて、こうして太陽に近づいた月ですが、彼女自身も輝ける太陽となっていくのか、はまだ現時点では分かりません。

この二人が、この後どんな物語を紡いでいくのか、俄然楽しみですね♪

 

■EDテーマの意味とは...。

繋がった二人の指をバックに流れ出すEDテーマ「ユメを語るよりユメ歌おう」は、素晴らしかったですね。

EDで表現されるキャラクター同士の掛け合いには多幸感しかなくて、これを見てるだけでグッとくるくらい。

そして、なによりも歌詞。

「ユメを語るコトバより ユメを語る歌にしよう
それならば今を 伝えられる気がするから! 
ユメを語るコトバから ユメを語る歌が生まれるんだね♪」

もはや、これありきで2話のストーリーを書いたのか!?と思わんばかりのストーリーとの一致性。

梨子の心を動かしたのが「夢を語る言葉」ではなく「夢を語る歌=ユメノトビラであったように。

そして、今後それぞれの「夢を語る言葉」から、Aqoursの「夢を語る歌」が生まれていくという暗示

毎度毎度、同じ言葉の接続詞を変えて、つなげるだけでここまで効果的な歌詞が作れるのか!と感服しきりです。

そして、この曲のテーマ自体も非常に普遍的。

かつて、ブルースが、ロックが、フォークが、ソウルが、JAZZが、怒りや、悲しみや、喜びや、楽しみを、よりダイレクトに伝えるために、音楽として発展していったように、「歌」というのは「言葉」を伝えるために存在するのです(だから最近一瞬流行った音楽に政治云々というタグは全く持って意味不明です)。

そして時を超え歌い継がれ、その時代を楽曲の中に「固定」するからこそ、音楽は尊いのです。

・・・・とにかく、フルで早く聞きたい!!!と強く思いますね。

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屋上に水で書かれたの文字と同じように、儚く消えゆく運命にある砂の上に書かれた文字。この「切なさ」こそが「アイドル」をテーマにした作品には必要なんですよね...。

 

というわけで、糞長くなりましたが、第2話の感想でした。

いやぁ、濃密でしたが、それ故に酒井監督がいよいよ信頼できるなと感じる30分間でございました。

次回がもはや待ちきれない!!!

それでは次回のハイライトでお会いしましょう。チャオ!