こんばんは。
あなたの妄想のお供。「LoveLive After talk」でございます。
さて、いよいよ物語も佳境!
リアルタイムでは13話放送(最終回)が終わった…ということで、寂しい限りですね。。
とはいえ、2期があるはず!なので、まずはその発表を待ちましょう♪
本題に入る前に感謝とこのblogの姿勢をば。
まず、9話の考察発表以降、様々な方に応援のコメントを頂いております。
どれも暖かいお言葉ばかりで、駄文を書き散らしている自分には存外なお言葉ばかり。
「作品の見方が変わった」とまで言って頂けて嬉しい限りでございます。
とはいえ、このblogはあくまでも「妄想」の発展系。
関係者様にコメントを取ったわけでもなく、脚本を読んだわけでもない私個人の「戯言」です。
ですので、私の見方・考えが「正解」というわけではございません。
大概が「深読み」の類でございますので、まずはご了承のうえご一読頂ければ幸いです<(_ _)>
それでも世間的には「舐められている」(笑)「ラブライブ!」が「なるほどこんな見方もあるんだね」程度に思って頂き、「見直してみようかな」と思って頂ければ、このblogを書いた甲斐があったかも、というところ。
今後ともへたっぴ考察&文章で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
※注意
本稿はラブライブ!のネタバレだけでなく、「人魚姫」「アナと雪の女王」のネタバレも含みます。
どちらの「ネタバレも避けたい!」という方は、引き返して頂ければ幸いですm(__)m
それでは、通常通り項目ごとに振り返っていきましょう。
■はじめに
項目ごとに始めると言ったのにw
なぜ「はじめに」などという項目を作ったのかと言いますと、今回10話と11話が難解だからです(特に11話)。
ふわっと見ていると、「起きていることは分かっても、なぜそうなったのか」が分からず、それを「違和感」として抱えていくことになります。
その「違和感」がやがて「この回はよくわからなかった」という結論になってしまい、「つまらなかったかも?」となってしまうのが怖いからでもあります。
ですので、まずは10話11話を「見直す場合」に「こうして見ると分かりよいかも?」という見方をお伝えしたいなと思います(上から目線ですみません)。
①「ディティール」を追わず「大枠」を見る。
「ラブライブ!」という作品はキャラクター同士のわちゃわちゃとしたやり取り、会話を楽しむ「萌えアニメ」の側面を持っています。
実際「そこが好き」という方も多いでしょうし、作り手もそれを意識して作ってはいます。
半面「ラブライブ!」という作品はシリーズ構成・脚本=花田十輝氏の「強い作家性」に支持された作品でもあります。
花田氏はアニメ化に際して、キャラクター原案の公野櫻子先生の「初期設定」を「大幅に無視」(笑)して作劇しています。
つまり、花田氏の中では「テーマ」が第一にあり、その「テーマ」を示すために「ストーリー」があり、「ストーリー」のために「キャラクター」がある、というバランス感覚のもと作劇されてるわけです。
ですので、もちろんキャラクター同士のやりとりを楽しむのはとても楽しいのですが、もし「ストーリー」を理解しようと思った場合には、一度「キャラクター」同士のやりとりから目線を外し、「なぜこういうストーリーになっているのか」という「大枠」を見つめてみると、より理解が深まるかもしれません。
②10話と11話をセットで見る。
8話9話と同じく、この2話は「ニコイチ」として作られています。
2つはセットで見ることで、より理解が深まります。
また「2話はセット」と思いながら見ることで、見え方そのものが変わるかもしれません。
それでは、参りましょう。
■「海の家」を建て直すという物語。そこに込められた意味とは。
10話は合宿回。
ということで、ダイヤさんが極秘に手に入れた「μ'sの練習メニュー」に従って合宿をこなそう!という話になって行きます。
ってこれ、海未さんが作ったものの、メンバー誰一人まともに「こなしていない」練習メニューですやん。
(・・・?海未は私ですが?のシーン よく見ると練習メニューパワーアップしている。。 ダイヤがゲットしたのは、劇場版の練習メニューかな?)
これをまともにこなせば、そりゃ「強靭な肉体」が手に入るだろうけども。
「地獄の合宿」を避けるため、曜は「海の家を手伝う仕事」を思い出します。
「海の家を手伝わないといけないので、この合宿メニューを全てこなすのは不可能!」という逃げ道。
納得しないダイヤでしたが、鞠莉の助け舟もあって、「海の家」の仕事が終了した後に「練習をする」という結論に落ち着きました。
さて、いざ手伝う「海の家」を見ると見た目はボロボロ。
お客も一人もいません。
隣に目を移すと…
きらびやかな「都会式」の「海の家」があり、こちらは大繁盛。
今回はこの「都会式」の「海の家」にいかに戦いを挑むか、という物語になります。
(どうやって登った…)
「戦うべき相手をみつけた」ダイヤは早速戦いに備えます。
次々と的確な指示を飛ばし、リーダーシップを発揮するダイヤ。
こんなシーンからも「ダイヤがAqours」に加わった意味が伝わってきます。
※余談ですけど、ダイヤ様、ここのところ「島本和彦先生」キャラに近づいていませんか。このシーンとか「東方不敗先生」のよう。。
果たして「何もない」「廃れた海の家」をどのように「変化」させることで、「勝利」を手にするのでしょうか。
また、この「テーマ設定」を理解すると一見「ただのギャグ回」に見える10話が、
「東京に戦いを挑むAqours」の「これまで」と「これから」を表現した「メタファー」という風に見えてきます。
■「料理」が示すもの
工夫の一つとして取り組む「オリジナルメニュー作り」。
料理部隊に抜擢されたのは「曜・鞠莉・善子」の3名でした。
「シャイ煮」自体には元ネタがあるとはいえ…
今回選ばれた3人は「無作為」ではなく、きちんと意味があるように思えます。
曜が作ったのは「ヨキそば」。
こちらは海の家安定アイテムの「オムソバ(焼きそば)」の「曜版」だから、「ヨキそば」。
ケチャップの絵と旗以外はいたって「スタンダード」。
いわば「失敗のない」「バランスのとれた」実に「曜らしい」1品となっています。
反面、「曜の個性」が際立っている品かと問われれば、そこまで個性的な品ではありません。
鞠莉が作ったのは「シャイ煮」。
「豪華食材」を「そのままごった煮にする」という「大胆」かつ「ゴージャス」な料理は、これまた「鞠莉という人物」をよく表現できています。
善子の「堕天使の涙」も同じ。
「真っ黒な見た目」で、中の具は「タバスコのみ」という「刺激的」かつ「極端」な品は、グループ内でも最も「個性的」でいわば「劇薬」としての役割をもつ、善子そのものです。
「料理シーン」といえば、一般的なアニメでは主に「ギャグパート」を担う役割が多いです。
しかし「サンシャイン」ではそんな料理シーンも、抜け目なくストーリー構成に組み込んできます。
すなわち、この料理を通して「各キャラクター」そのものを表現している描写に見えます。
新メニュー3品を以て、戦いに挑むAqours。
しかし結果として「ヨキそば」は売れたものの、「シャイ煮」と「堕天使の涙」は大量に売れ残ってしまいました。
(この謝罪シーン。とってもデジャビュー)
・・・そんなわけで大量に余った在庫は、メンバー全員で食べることに。
ここでのわちゃわちゃシーンは、もちろん視聴者に楽しんでもらうための「サービスシーン」でもあるのですが、それとは別の意味も含んでいます。
先ほども触れた通り、それぞれの料理はそれぞれの「人物」そのものを表現した一品です。
さらに売れ残った2品は「個性的過ぎる」ために売れ残ってしまったものです。
その「個性」を「全員で分け合って食べる」ということは、「個性」そのものを「咀嚼=理解する」ことでもあります。
いわばこのシーンは「合宿を通して、Aqoursの関係が深まっていく様子」をメンバー同士のやり取りだけでなく「動きを通しても表現しているシーン」というように理解できます。
・・・とはいえメンバー間の「理解」が深まっただけでは、「売れるようになる」わけではなく。
2日目も「シャイ煮」「堕天使の涙」は惨敗という結果に。
(互いを「理解する」…だけでは「勝利できない」。これは7話のやり直しですね)
ここで力を発揮するのが曜。
父親直伝の「海軍カレー」に「シャイ煮」と「堕天使の涙」を加えます。
すると…
「なんでもカレーに入れれば、おいしくなる」という暴論金言もあるように、見事な「調和」を生み出しました。
「強烈で扱いづらい個性」も「上手く調和」させることで「魅力」へと変化する。
「カレー」を通して「Aqours」そのものを表現している描写です。
そして、その「調和」をもたらせたのは「曜」。
このシーンから伝わるもう一つの意味。
それは、「自分たちは普通」と言いながら、なかなかに「個性的」なAqoursを「調和」させる役割を「曜が担っている」ということ。
「チーム」を成立させるために非常に重要となる「かじ取り役」。
その役割に曜がいることを示す表現となっています。
「チーム」においては大事な役割を担う曜。
しかし彼女自身はその立ち位置を「どのように捉えているのか」。
それが11話へのブリッジとなります。
■梨子の「ピアノ」。梨子と千歌それぞれの「選択」。
「Aqours」での活動に充足感を感じる梨子。
そんな彼女に「ピアノコンクールからの参加申し込み」期限が迫ります。
しかしAqoursでの活動を優先したいと考える彼女は、メールを「消去」し、「ピアノへの道」を自ら断ちます。
一方千歌は、自宅での梨子の母と姉のやりとりから、「梨子がピアノコンクールの登録を済ませていない」ことを知ります。
理由を探る千歌。
すると「ピアノコンクール」と「ラブライブ!地方予選」の日程が重なっていることが分かります。
梨子を一人夜中に起こし、真意を訪ねる千歌。
しかし梨子は澄んだ表情で「今はAqoursでの活動が大事」と告げます。
その晴れやかな表情に更なる追求ができない千歌。
しかし、どこか腑には落ちません。
翌日梨子宅で予選発表曲の構想を練る、梨子・果南・千歌。
新曲のテーマは「大切なもの」。
そのテーマを耳にした梨子は、ふと自分の机に置かれた五線譜に視線を移します。
五線譜の正体は、梨子が「コンクール」で弾けなかった楽曲「海に還るもの」。
Aqoursの作曲を担当するようになった今でも、梨子はこの曲を「弾けず」にいます。
7話で梨子が「音乃木坂に行けなかった」理由。
それは梨子がピアノコンクールでの「失敗」を克服できていないから。
その失敗の要因となった「海に還るもの」を弾けるようになり、「ピアノコンクール」そのものを克服できない限り、梨子は「次のステップ」に進めません。
それはこの一連の事柄そのものが、梨子にとっての「通過儀礼」となっているからです。
島田裕巳先生の名著「映画は父を殺すためにあるー通過儀礼という見方」では、
”名作と呼ばれる映画のほとんどで、主人公は「父(あるいはそれに準ずるもの)を殺し、成長を果たす」というシーンがある。即ちそれは成長するための「通過儀礼」である(要約)”
と書かれています。
映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫)
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この「父」というのは便宜上の表現で、実際には「父親」でなくてもかまいません。
自分の「道筋」ひいては「可能性」を阻害する存在(映画骨法でいう「カセ=枷」)を示し、これを「越えるか」「越えられないか」で「映画作品」としての物語に変化が出てくるわけです。
ただし「ラブライブ!」が「娯楽作品」として作劇されている以上、こういった「カセ」は「越えなくてはならないもの」となってきます。
そのため、梨子もまた自らの「カセ」である「海に還るもの」そして「ピアノコンクール」ひいては「音乃木坂」を「クリア」していかねばならないわけですね。
※この「カセ」を「超えられなかった人」の物語もまた、「映画」にはなるのですが、ここではその話は止めておきましょう。
・・・その夜改めて梨子を起こした千歌が共に向かったのは浦の星。
千歌は梨子にとっての「カセ」を取り除くため、
「海に還るもの」を聞かせてほしいとお願いします。
思えば傷付き「ピアノを触る事」すらできなくなっていた梨子に、再び「ピアノを弾かせた」のも千歌がきっかけでしたね。
一度はためらいながらも、たった一人の観客=千歌のため「海に還るもの」を弾き始める梨子。
その美しい旋律が内浦の海に響き渡ります。
ずっと弾く事の出来なかった曲を「弾けた」梨子。となれば、次は「ピアノコンクール」を「クリア」する必要があります。
千歌が梨子に告げたのは「ピアノコンクールに出てほしい」ということ。
その理由を「大切なもの=ピアノ」に「自分なりの決着をつけて欲しいから」と告げる千歌。
この、「選択肢を狭めず」に梨子に「選択をゆだねる」、という描写もまた「ことり留学プロット」のやり直しのように見えます。
「ことり留学プロット」の問題の一つが「穂乃果によってことりの選択肢が捨てられてしまった(ように見える)こと」でした。
今回も結果として「千歌が梨子の決定を覆し」てはいるのですが、千歌は梨子の選択肢を「捨てさせる」のではなく「増やす」ことで、梨子に再度「選択をゆだねる」というプロットに変化させました。
結果としてプロットそのものの「テーマ性」は変化させずに、「ノイズ」を消すことに成功したわけです。
また、今回の選択「可能性を自分から取捨選択しない」というものが、11話にも通底する「ストーリー」となっていきます。
■梨子不在が「表層化」するもの。
梨子が「ピアノコンクール」へ旅立つ、ということは物語開始以降はじめて「梨子が不在になる」ということ。
梨子の転入によって大きくうねり、変化してきた「内浦勢」の関係性。
しかし梨子が「いる時」にはその変化をはっきりとは目視できませんでした。
梨子の不在はその変化を「表層化」することにもつながります。
・・・梨子不在で「ラブライブ地区予選」に挑むこととなった「Aqours」。
プール掃除のあとに練習を試みるも、8人編成でのフォーメーションに変化させなければならないことに気が付きます。
今回は梨子と千歌がダブルセンターとして配置につく予定だった新曲。
しかし、梨子が不在のため「誰かが梨子のポジション」に入る必要が出てきました。
それに抜擢されたのは、曜でした。
千歌の幼馴染で「息が合う」というだけでなく、なんでも「ソツなくこなす」と思われている曜。
また身体のサイズも千歌とほぼ同じ。
この抜擢は自然な流れかもしれません。
早速新編成での練習をスタートする二人。
しかし梨子とのコンビネーションしか練習してこなかった千歌は、曜との息がなかなか「合いません」。
その責任は曜だけにあるわけではなく、千歌もそれを理解していますが、曜は「私が合わせられないから」と苦笑い。
鞠莉はその様子を意味ありげな目線で見つめます。
放課後、千歌家近くのコンビニで練習を続ける千歌と曜。
曜は「梨子のリズム」で踊る事を提案し、結果として初めて息の合ったダンスをすることに成功しました。
さすが「器用」な曜。
見事な「調和」を成功させます。
反面「梨子の代わり」を務める中で、自分の存在意義に悩み始める曜。
結果として心のうちにもとからあった「不満」が、「梨子の不在」をきっかけに増殖していきます。
■「鞠莉との会話」「曜の妄想」それが持つ意味。
その「不満」に気付いていたのは鞠莉。
ちょっとした「すれ違い」から果南とダイヤとの「2年間」を失ってしまった鞠莉は、その「すれ違い」に敏感です。
※さて、ここからがこの物語を難しくしているポイントです。
鞠莉が曜に告げる「曜は梨子に嫉妬ファイヤーを燃やしている」という情報。
そして曜もそれに同調する形で、「本音」を話し始めるわけですが、そこで曜が語る内容はけっして千歌だけに対して持っている「不満」ではありません。
ではここで物語を整理するために曜が感じている「不満」を箇条書きで列記してみましょう。
①千歌と二人で始めた「スクールアイドル」だったが、梨子や他メンバーの加入によって、スクールアイドル内での「自分の存在意義」が分からなくなっている。
②千歌と二人で出来ることをようやく見つけたにも関わらず、千歌にとって「自分は必要ないのでは?」と思い悩んでいる。
③「要領がよい」と言われ、それに甘んじている自分自身に不満を感じている。
という3点です。
この3点は全て曜が鞠莉に対して語った「本音」の中に含まれている情報です。
すなわち台本上では「この3つが曜にとってのカセである」ということを示しているわけです。
ここから、この「3つのカセ」をクリアすることが「第11話のテーマ」であることが分かるのです。
しかし、視聴者が混乱してしまうのはこの後に鞠莉のセリフ、そして曜の妄想が挟まれるから。
鞠莉は「曜はチカッチが大好きなのだから、本音でぶつかるべき」と助言します。
そして曜はその言葉に引きずられるように「千歌に対して本音をぶつける妄想」をします。
この描写だけみると「曜は千歌に対してのみ不満を感じている」という風に見えてしまい、テーマも矮小化されて見えてしまいます。
しかし、この「妄想シーン」は、「千歌に本音を話すべき」という言葉に引きずられた曜が「話すべき本音」を見つけようとして「混乱している」ということを示すためだけに用意されており、いわばあの「妄想シーン」自体にはそれ以上の「意味はない」のです。
要するに徹頭徹尾「曜の一人相撲」であることを、一連のシーンで描こうとしているわけですが…。
結果として多くの視聴者が狙いを呑み込めず、「?」を浮かべるシーンになってしまいました。。
ちょっと長くなりましたが、要約するならば「曜の悩みや不満は全て曜の一人相撲である」という事を念頭に置くことができれば、この後の展開などがすんなり入ってくると思います。
■「そのままで変われば良い」という「ラブライブ!」に通底するメッセージ。
悩みそのものが「曜の一人相撲」である以上、その悩みを「千歌にぶつける」のは無意味です。
なぜなら千歌にはその悩みが「共有されていない」から。
(それは妄想シーンでの千歌の反応からも分かりますね)
となると、彼女を迷宮から救い出すのは、彼女自身の「気づき」となります。
とはいえ、現在迷宮にいる曜は、他人から「気づき」を与えてもらわなければなりません。
その「気づき」を与えるのは、図らずとも迷いの一端である梨子となります。
梨子が告げる「曜ちゃんは曜ちゃんらしくやってほしい」という言葉に思わず反論してしまう曜。
その反応を受けた梨子が語る「千歌の言葉」によって、曜は「一人相撲」から脱する「気づき」を得ます。
梨子から聞いた「千歌による曜の話」(分かりづらいw)。
それは「千歌と同じことをやりたい」と思い続けてきた曜と同じく、千歌もまた「曜と同じことをやりたい」と願っていたという事実でした。
しかし千歌は「普通星人」である自分はどう頑張っても「曜と同じ位置にはたどり着けない」ことを幼少時に実感しており(おそらく幼少時には共に水泳をやっていたはずです)、曜の誘いを容易には受けられずにいました。
反面、曜にはそんな千歌の気持ちは伝わっておらず、誘う度に断られ寂しい思いをしていた。彼女にとっては「千歌と同じことをする」ということが一番で、その【成果」など関係が無かったからです。
この二人もまた「花丸とルビィ」「果南と鞠莉」のように「お互いを思うあまりにすれ違ってしまっていた二人」だったことが明らかになります。
しかし、だからこそ「スクールアイドル」だけは「一緒にやりとげたい」と千歌は考えていました。
それは「普通星人」の自分でも「キラキラ」できるものを千歌自身がようやく見つけたから。
「普通星人」の自分が頑張って輝けるものならば、千歌にとってのスーパーマンである曜なら余裕で一緒に出来ると千歌は考えたからです。
しかし、ただ「千歌がやりたい」といったから「スクールアイドル」を始めた曜にとっては、「スクールアイドルの中」に居場所を見つけるのは「容易ではない」難しさでした。
それは曜自身は自分を「要領が良いだけ」の「普通の人」だと考えていたから。
この「曜の自分に対する評価」と「千歌からの曜に対する評価」のギャップも、ふたりの関係を複雑にさせた要因の一つでした。
さて、千歌の気持ちを知ることで、
カセ②千歌と二人で出来ることをようやく見つけたにも関わらず、千歌にとって「自分は必要ないのでは?」と思い悩んでいる。
は解決に向かいます。
そのタイミングで外から千歌の呼び声が。
千歌の事を考えていたからの空耳かと思いますが、
なんと実際に千歌は来ていました。
驚く曜に千歌が語りかけます。
「やっぱり曜ちゃん、自分のステップで練習した方が良い」
「合わせるんじゃなくて、1から作り直した方が良い」
「曜ちゃんと私の二人で!」
この千歌の言葉は「曜の全てを受け入れる」もの。
「誰かの代わりに曜がいる」のではなく「Aqoursには曜そのものが必要」で「千歌もまたそのままの曜を欲している」ということ。
そして「曜は誰かに合わせて変化する必要などない」ということを千歌は言っているわけです。
この言葉によって、曜のカセ①~③が全て「一人相撲」だったことに曜は気づきます。
そして千歌もまた、そんな曜の不満を自然と感じていたわけです。
そんな周囲に気づかず、「一人相撲」していた事に気付いたからこそ
曜は自分自身を
「バカ曜だ…」
と卑下するわけですね。
かくして解決した「曜の問題」。
「千歌によって曜がほだされた」と思って見てしまうと、少し納得のいかない結末にみえるのですが、「全ては曜の一人相撲だった」と視点を変えると、物語が呑み込みやすくなるのでは?と思います。
というわけで曜が「自分自身と向き合う」ことで「新しい自分」へと生まれ変わった回となりました。
さて、この「自分のまま(そのままで)変わればいい」というのは、これもまた「ラブライブ!」シリーズに通底してあるテーマです。
それがとみに描かれたのは「ラブライブ!2期」で、毎回その話を「繰り返した」という印象すらあります。
例えば2話「優勝めざして」ではA-RISEに勝つための楽曲を作るため合宿に挑みますが、その動機では一向に曲が完成しません。結果的に「自分たち」を見つめなおしたμ'sのメンバーが「今の自分たち」を認めたうえで「ユメノトビラ」を作曲するのがこの回です。
あるいは5話「新しいわたし」では自分が「アイドルにふさわしくない」と思っていた凛が「自分自身を見つめなおし」それを周囲に承認してもらうことで「自分自身を愛せるようになる」という物語。
6話「ハッピーハロウィン」はA-RISEに勝つためのインパクトを求め「試行錯誤」を繰り返すμ'sが「見た目を次々」に変えたりしながらも、結果的には「自分たちは元々個性的である」ことに気付く話。
・・・とことさら全て「同じテーマ」のお話なのです。
そういう意味ではサンシャイン5話「ヨハネ堕天」と同じテーマを持っているわけでもあり、やはり花田さんにとってはこの「テーマ」がライフワークの一つなのだな…とも理解できますね。
■人魚姫の話
さてここからはちょっとした余談ですが、少し長いかもw
今回の物語はひとつの寓話を連想させる物語でした。
表題の通りアンデルセン原作の寓話「人魚姫」です。
この寓話を想像させる仕組みは第5話「ヨハネ堕天」にて曜自身が「人魚姫」に触れたことから来ていましたね。
人魚姫はディズニー映画「リトル・マーメイド」などにもなっている通り、日本人はもとい世界中でポピュラーな物語になっています。
とはいえ、原作はなんともアンデルセンらしい「暗い話」なので、ディズニー版では書き換えられていたりするわけですが。。
今回の10話11話では、この「人魚姫(主に原作版)」の寓話性を「否定する」物語になっていたのも印象的でした。
原作の「人魚姫」では
「王子を愛してしまった人魚姫が、人間になるために足を欲する。
→魔女によって秘薬を授けられる。
→その薬は飲むことで人間の足を手に入れることが出来るが、代わりに人魚本来の美しい声を失う
→人間になりたかった人魚は薬をのみ、足を手に入れるが、その代わりに声を失う(本来は舌を切られる)。また歩くたびに足には激痛が走るようになる
→人間になった場合には、王子からの愛を受けられない場合には海の泡になってしまうという条件もある。
→声を失った人魚姫は王子に対してアプローチが出来ず、結果王子は別の女性を人魚姫と思い込み、求婚してしまう。
→王子からの愛を受けられなかった人魚姫だが、ナイフで王子を刺し、その血を浴びる事で元の人魚に戻れることを魔女から告げられる。
→しかし人魚姫は王子を殺すことが出来ず、自ら海に入り、泡となって消えてしまう」
という画に書いたような「バッドエンド」でした。
そして今回10話11話で描かれた梨子、曜の物語も、このお話になぞらえつつ、その結末を「否定」する物語でした。
なぜなら「人魚姫」は「何かを掴むことで 何かを諦める」物語だからです。
曜の場合には、王子(=千歌)が人魚姫(=曜)に、「君は君の姿のままで良い」と告げ、人魚の姿のままの人魚姫を「受け入れる」物語でした。
それは「泡となって消えた」原作も、「人間になることで結ばれた」ディズニー版とも別の結末です。
しかしこの「ありのまま」を周囲が受け入れる、という結末は近年ヒットした「アナと雪の女王」の結末とも同じです。
あちらでは元来「氷を作り出せる」異端として生まれたエルザが、異端故に引きこもっていた自分自身の「ありのまま」を愛することから物語が動き出します。
最終的には彼女の能力の暴走が悲劇を巻き起こそうとするところを、妹アナの愛情によって止められ、エルザは自身の能力を制御できるようになります。
加えてエルザを「異端」としてではなく「個性」として国全体が受け入れることで、ハッピーエンドを迎えます。
図らずともこの「アナと雪の女王」の原作も、アンデルセンの「雪の女王」である、というのが面白いところですね(こちらも原作では全く違う物語です)。
米国では、このストーリーを「LGBT」の象徴として捉える流れがありましたが、「ラブライブ!」にも、もしかしたら似たテーマ性はあるのかもしれません。
■「海に還るもの」→「想いよひとつになれ」への変化。
梨子の物語もこの「人魚姫」の寓話性を否定する物語。
「海に還るもの」を完成させるため、「東京での暮らし」を捨てた梨子。
しかしやってきた静岡でも「海に還るもの」は一向に弾けるようにならず、いつしか「ピアノへの渇望」も失われていきました。
「人魚姫」ではこのまま「音楽」への愛情を失った「人魚姫=梨子」が「泡となって消える=音楽を止める」という結末になりますが、「ラブライブ!」ではそれを否定します。
「ピアノへの渇望」を失いかけていた梨子は、「千歌たち」と出会い、「スクールアイドル」と出会うことで「ピアノへの渇望」を取り戻し、ついに「海に還るもの」を「完成」させ「弾ける」ようにもなるのです。
それは「音楽への愛情」を取り戻すことにもなるのです。
ところでこの「海に還るもの」というタイトル。
「泡となって海に還る」=「人魚姫のバッドエンド」を想像させるタイトルです。
ラブライブ地区予選に臨むAqoursのために、この曲を「提供する」ことにした梨子。
しかしこの曲につけられた歌詞は、
「何かを掴むことで 何かをあきらめない」
という、「人魚姫のバッドエンド」を否定するもの。
それはこの曲のタイトルが「海に還るもの」から「想いよひとつになれ」に変化したことからも明らか。
曲の持つ意味が変化したため、梨子は「元のタイトルを捨てた」という風に見えます。
(梨子がピアノコンクールでこの楽曲を弾く際、なんというタイトルで紹介されているのか、具体的な描写はありません。しかし演奏を聴き終えた梨子ママが涙を流すことで、恐らくタイトル自体が変化しているのではないか?と想像ができます)
「自分を苦しめ続けた曲」を「Aqoursのための曲」に昇華させた梨子。
そしてその曲の歌詞に
「どこにいても 同じ明日を 信じてる」
と付け加えた千歌。
かくして、Aqoursの絆はより深まり、いよいよラストスパートへと向かっていきます。
・・・というわけで、なんとも難解かつテーマが多重な10話11話でした。
これを書いている段階で13話が終わっちゃっているわけですがw
その話はまた次回ということで。
今回も長々と(11000字…)ありがとうございました♪
『ラブライブ!サンシャイン!!』ニューシングル「タイトル未定」
- アーティスト: Aqours
- 出版社/メーカー: ランティス
- 発売日: 2016/11/23
- メディア: CD
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このシングルに「想いよひとつになれ」が入るはず!?