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ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメオフィシャルBOOK2感想~この作品の「リアル」に関してのインプレッション~

皆様こんにちはorこんばんは。

「ヤバイ本」ことラブライブ!サンシャイン!!TVアニメオフィシャルBOOK2」は既に読まれましたでしょうか?

え、まだ??

だったら悪いことは言いません。是非ご一読ください。

特にこんなブログにたどり着いてしまったアナタ。必読だと思います。

ここはあくまでも「オタクの妄想の墓場」に過ぎませんが、あちらは「オフィシャル」です。公式のエビデンスです。製作者の頭の中身が惜しげなく書かれています。

思い立ったら吉日。さぁ地元の本屋さんで、Amazonで、GETしてください!!

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ラブライブ!サンシャイン!! TVアニメオフィシャルBOOK2
 

 

 

...もう隅々まで読んでしまったアナタ。

この記事において、本以上の内容はございません。

ただ、「いつもブログでごちゃごちゃ言っているやつが、この本をどう読んだのか」という点にもし興味がおありならば、少しお付き合い頂ければ幸いです。

 

 

さて、普段主に「物語」に関して「考察a.k.a妄想」を繰り広げる当ブログ。

しかしこの「オフィシャルBOOK2」はシリーズ構成であり脚本家である花田十輝氏のインタビューが「掲載されていない」ことからも明らかな通り、「物語」に関する「エビデンス」はほぼございません。

花田氏は一時期脚本に関する質問に対して「作品は生まれた後は自分のものではなく、視聴者のものになる。作り手として、もちろん脚本には狙いがあるが、視聴者の解釈に余計な要素を付けたさないために、自分がそれを明言することはない。」と発言されていました。

同じように「ラブライブ!サンシャイン!!」の監督である酒井和男氏も度々作品の「内容」や「テーマ」に関しては「視聴者に委ねているので、自分がその視野を狭めるような発言はしたくない」と語られております(オフィシャルBOOK2内でも同様の発言がありました)。

つまり自分のように「物語」を語る人間にとっては、「正解」が与えられる本では無いわけですが、それでもこの本には「僕が作品について感じた魅力」の要因について、非常に重要な「証言」がありました。

今回はそれに関して、少し考えてみたいなと思うのです。

 

ラブライブというシリーズ

ラブライブ!」というシリーズ作品について「リアル」か「ファンタジック」か、どちら寄りか?と問われたとして、アナタはどちらだと思うでしょうか?

舞台は紛れもなく「実在の場所」を使用し、登場人物たちも「普通」の「女子高生」たち。

「スクールアイドル」という「フィクショナルな存在」を除けば、極めて「現実に即した」「舞台設定」を持つ、「リアル」寄りの作品だと思うかもしれません。

けれども、作品内で登場する「表現」は決して「リアル」とは言い難い部分もあります。

単純な「物理法則」という要素だけでなく、登場人物の「主観」や「心象風景」が、日常シーンと地続きで画面に「そのまま」登場する。その「転換点」に関しての明確な「線引き」もなければ「説明」もない。

こと「表現」に関しては、そういったある種「ファンタジック」な要素も持っているわけです。

「リアル」な舞台設定と「ファンタジック」な表現を併せ持つ作品。それが「ラブライブ!」というシリーズでもあるわけですね。

多くのファンを掴むと同時に、作品を受け止めきれない人々を多数生み出したことでお馴染みの「ラブライブ!」。

その要因の一つにこの「斬新な(?)作風」もあったとよく語られますし、作品の監督を担う京極氏・酒井氏はその誹謗中傷の標的にもされてきたわけですが...。

ただ、「ラブライブ!」の作風が「斬新」だったかと言われれば、決してそんなことはありません。

何故なら過去の映画作品には同様の表現技法を使用した作品が数多存在するからです。

「現実」と「想像」や「心象風景」の境目が曖昧に表現される。

「お話」に関しての「解答」もハッキリとは示されない。

例えばA・ヒッチコックの「めまい(VERTIGO)」もそういった作品です。

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主人公が見ている映像のどこからどこまでが「現実」で、どこからが彼の「妄想」なのか。それがハッキリと作中で示されることはありません。作品に関しての解釈も無数に存在します。けれどもこの作品は映画のオールタイムベストを選出する際には必ず「上位」に選ばれる名作中の名作です。

つまり何が言いたいかというと、「ラブライブ!」と同様の表現法を使用した作品は過去から無数にあり、決してこの作品が「斬新」ではないということ。

そしてそういった表現を使用することが作品の「評価」とは無関係であること。

にもかかわらず「ラブライブ!」が「斬新」と扱われたり、「分からない」と言われるのは、現代においてこのような「表現」を使用する作品が「減っていて」、視聴者がそういった作品に「触れる機会」が激減してしまっているから...にほかありません。

これは視聴者の責任というよりも、作り手側の責任だと私は感じています。視聴者に「分からない」と言われることを恐れ、それに先回りするように「説明」を増やし過ぎた製作者が、後戻りできなくなっているだけなのだと思うのです。

脱線してしまいました。話を元に戻しましょう。

酒井監督は今回の「オフィシャルBOOK2」において、「ラブライブ!サンシャイン!!」を

「ある意味では実験的で、ある意味ではすごく懐かしい作品」(81ページ参照)

と明言されていましたけれど、この発言の背景には、先ほどのような理由も隠れているように思います。

ラブライブ!」および「ラブライブ!サンシャイン!!」は決して「斬新」ではない。この作品で用いられる「表現技法」は京極氏や酒井氏が生み出したものではなく、過去の映画作品文脈から引き継いだものである。

また、この表現方法そのものも「ラブライブ!」が「シリーズ」として持っているもので「ラブライブ!サンシャイン!!」や酒井氏独自の表現技法ではない。

けれども「ラブライブ!サンシャイン!!」にはこの作品にしかない、独自の「歯ごたえ」があるように思えます。とすれば、その「歯ごたえ」の正体は何なのでしょうか。

ひょっとしたらそこに「実験」の要素が含まれているのかもしれません。

 

ラブライブ!サンシャイン!!という「リアル」

先ほどもお話したとおり、「ラブライブ!サンシャイン!!」は「リアル」と「ファンタジック」の両方を併せ持つ作品です。

しかしこの作品を見終えたとき、みなさんは「ラブライブ!サンシャイン!!」をどのように評価したでしょうか。

僕はとにかくこの作品のもつ「リアル」な「痛み」や「感動」に震えました。

「リアル」と「ファンタジック」を平気で行き来する作品にも関わらず、作品を見終えた自分にはとても「リアル」な爪痕を残す。

作品視聴から数か月たったとて、その理由を明文化出来ずにいましたが、今回「オフィシャルBOOK2」内のある「証言」がその感覚に関しての一つの「解答」を与えてくれました。

それは劇伴作家 加藤達也氏のインタビューの一節。

 

そういえば酒井監督はとてもイマジネーションが豊かなんです。

(中略)

酒井監督が考えているのは、「こうしたら物語が感動的になる」とかそういうことじゃないんですね。まず、Aqoursの生き様を主軸に据えて、こういう子だからこんな行動をするんだと。メンバーの内面に深く潜っているので、説得力があります。生きている人間と同じ、リアルがちゃんと込められているから、9人の想いがしっかりと伝わる。それがすごいなといつも思っていましたね。(85ページより抜粋)

 

この一節を読んだ瞬間に様々なことが「腑に落ちていく」感覚がありました。

物語としてはある種「ファンタジック」だったり、「ご都合主義」だったりする部分もある。にも関わらずこの物語を見た後に必ず「リアル」な感覚を残していくのは、他ならぬ「人物」が「リアルだったから」なのだと、ようやく気付いたのです。

 

■感情に「嘘」が無い

「人物」が「リアル」とは、どういうことなのか。

当該の酒井監督はこんな風に話されていました。

1期のころに”感情に嘘がない”というのが「ラブライブ!」の本質だと感じていたので、その部分は描ききれたのではないかなと思っています。(81ページより抜粋)

 「感情に嘘がない」というのはどういうことか。

ここに関して細かく説明されているわけではないのですが、前述の加藤氏の言葉を含めて考えれば、「各キャラクターの感情に嘘がない」という風に読み取れます。

加藤氏の言葉を借りれば、酒井監督は「こうしたら物語が感動的になる」という要素には興味を示さなかった。これはすなわち「物語のためにキャラクターを動かそうとはしなかった」ということです。

つまり「ここはこういう場面だから、このキャラの感情はこうなって、こう発言することで、それを受けたキャラはこう反応して、ここでこういう見せ場が生まれる」といった計算をしなかった。

そうではなくて場面において「このキャラならこう考えて、こう発言するだろう。」というところから場面を展開させ、キャラ同士の自然な感情のぶつかりを重ねていく演出プランを取っていた...ということになるわけです。

すると様々なことが分かってくる。

特に理解できるのは高海千歌というキャラクターの行動です。

1期では迷いながらも、主人公らしい立ち居振る舞いを見せていた千歌。

しかし2期では自らの道を探す中で試行錯誤を繰り返す様が描かれました。

その中で千歌はどんどん「人間味を帯びた」キャラクターへと変化していったように思います。

自分の発言に迷ったり。自分の発言に自信を失ったり。

さっき言っていたことと、行動の整合性が全く付かなくなったり。

理屈では分かっていることでも、感情がそれを制御できなかったり。

普通だったら主人公が言わないような言葉を言ってしまったり。

前に進もうと決めたのに、立ち止まってしまったり。

とにかく自分の「感情」に関して「嘘」がつけない。

それ故に「人間的」。だが逆に「人間的」過ぎて、そこにヤダ味を感じる人が出てきてしまう。

それくらいに高海千歌は「”キャラクター”としての自分の枠」を超えて、どんどん「人間化」していったように思えるのです。

もちろん千歌だけでありません。千歌以外の8人含む、様々なキャラクターが「人間味」を獲得していったのが2期の特徴であったようにも思えます。

 

大勢のキャラクターが「キャラクター設定」を超えた「人間っぽい」「複数の要素」を内面に持つことで、「キャラクター」ではなく「人間」へと近づいていく。

結果的に彼女達の「人間性」に「深み」が生まれ、彼女達の存在そのものが「リアル」へと近づいていく。

また、酒井監督は「メンバーとキャストはイコールで結ばれている」とも述べられていました。

あるシーンに関しては

以前アフレコの時にセリフを口にした伊波さんが涙を浮かべた時があったのですが、この場面には千歌は涙を流すのが自然なんだと思い、作画に反映させたこともあります。(81ページ参照)

 とすら語っているように、「中の人」である「キャスト」の内面までもダイレクトに「キャラクター」に重ねていった。

そこまで「キャラクター」を「人間化」することに拘っていたわけです。

「キャラクター」が「人間」へと近づいていくほどに、彼女達が紡ぎだす物語もまた「お話」を超越した「人間物語」へと変化していった。

それがこの作品を見た際に我々の心に爪痕として残る「リアル」の根幹に関わっているのでは?とも思えるのです。

 

■人間くさい。だから良い。

 

過度に登場人物が「人間臭すぎる」が故に叩かれた映画をご存じでしょうか。

P・ヴァーホーベン監督のショーガールという映画です。

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ヴァーホーベンは「ロボコップ」や「スターシップトゥルーパーズ」の監督として知られるオランダの巨匠です。

そんな彼が「ハリウッドを追放される」原因となったのがこの「ショーガール」です。

キャバレーでひと旗上げようと奮起する女性を主人公として描いた作品で、それなりの予算を確保して制作された大作でしたが興業的に失敗。

それだけでなくその年の「ダメ映画を決める祭典」(この催しに関しては賛否あります)「ラジー賞」において10部門ノミネート、6部門制覇という不名誉な記録まで樹立してしまった作品です。(最低監督賞を受賞したヴァーホーベンが満面の笑顔で実際にトロフィーを受け取りに来たという伝説もあります)

 この映画、実際に見てみると、確かにテンポが悪かったり、単純に主演女優の演技がイマイチだったりと悪い部分もあるのですが「ラジー賞を制覇する」ほどの悪い作品でもありません。

では何故この作品がそこまで「嫌悪」され「酷評」されたのかというと、登場人物が「人間くさすぎた」という一点に尽きます。

この作品に登場する人物のほとんどが「自らの欲望に忠実」な「卑近な俗物」ばかり。良心と呼べる登場人物はほとんどおらず、数少ない良心を持った人物は「卑近な俗物」になぎ倒されていく運命にあります。

登場人物の誰にも「共感」できず、ただただ「嫌なやつら」の「嫌なやつ合戦」を延々と見せられる。それがこの作品が過度に叩かれる「要因」となったわけです。

けれどこの作品を「魅力的」と評価する層も少なからずいます。

どこまでも「人間的」で「率直」な登場人物たちが「リアル」であり、そのやり取りを率直に描ききった点を「素晴らしい」として評価する声もあるわけです。

 

「人間臭すぎる」作品は「嫌悪」の対象になることもありますが、しかしそこに立ち上がる「リアル」にこそ「魅力」を見出す人もいるし、評価する人も一定数いる。

ラブライブ!サンシャイン!!」が評価の難しい作品となったのは、似たようなケースだったのかもしれません。

そしてこの「人間を追求する表現」が酒井監督の語る「実験」だったのかもしれません。

結果的にこの「実験」は賛否を呼んだわけですが...。

けれども「人間味」を追求したからこそ現れた「リアル」にこそ、「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品の魅力が詰まっているのでは、とも改めて感じるのです。

キャラクターのもつ「リアル」を突き詰めることに拘った酒井監督が、次作となる「劇場版」でどのような「実験」や「表現」を見せてくれるのか。

今から期待が高まりますね。

 

ということで取り留めもないインプレッションなのでした。

最後までお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m

 

次回は、そろそろ予告していた「自分記事振り返り」をやっておきたいところですね。

8月には「ラブライブログアワード」というイベントの告知もさせていただくつもりでおりますので、引き続きよろしくお願いいたします。