「なんか新しいビジュアル発表されたね」「助けて、ラブライブ!だって」「どうなるんだろ?」
2015年2月。まだバリバリに「ラブライブ!」とµ'sが先頭を突っ走っている最中、そのプロジェクトは産声を上げた。
当時から今に至るまで一緒にラブライブ!を追いかけ続けている友人と交わした言葉は、上みたいな薄らぼんやりしたものだったように思う。
「海!!?」「なんだろ!南国が舞台??」「むしろ海外じゃね?」
この広告に関して紛糾することなんて全くなく、僕らは割とワクワクしていた。
劇場版後には恐らく先の物語が作られないと思っていたラブライブ!に、明確な「続編」作成決定の報が、早めに提示された事実が正直嬉しかった。
「まだラブライブ!は続くんだ」
そのことがとにかく嬉しかった。
もちろん不安もあった。
ラブライブ!のキャラクターがどうこうというよりも、どちらかというと「お話」が好きだったので、監督や脚本がガラっと変わってしまった場合、全くイデオロギーの異なる作品になってしまうのではないか。
仮にそうなった場合に、僕は変わらず「ラブライブ!」を大好きでいられるのだろうか。作品そのものというよりも自分自身への不安みたいなものはあった。
けれど。
何故だか不思議と「大丈夫かもな」という思いもあった。
それはやっぱり「助けて、ラブライブ!」というキャッチフレーズそのものへの同調が全てだろう。
一枚絵意外の情報は明かされていない。
中央で手を上げているキャラクターが何者なのかもわからない。
それでも「ラブライブ!」に「助けて」と願う人の気持ちは痛いほどわかった。
何も確かなものがない。信じられるものもない。誰も救ってくれない。
そんな現実世界に対して、「ラブライブ!」は「自分を信じて進むことの勇気」と「信じた先にある希望と願いの結実」と「その結実を信じることの価値」を説いた物語だった。
それは現実世界に現在進行形で打ちのめされている僕らにとって、ほかでもない「勇気」そのものであり、寄る辺ない世界におけるひとかけらの「光」でもあった。
アニメが「光」?痛いし、笑える??
そうかもしれないけど、僕はそう思ったし、今なおそう思ってる。
アニメだけではなく、全ての特別な創作物にはすべからくその人個人の「世界」を更新し、人生を彩る力がある。
「ラブライブ!」にはそんな力があると思ったし、それを今でも信じてる。
だから僕はこのアニメに一時縋ったし、彼女たちの作り出す「神話」に深く薫陶を受けた。
だからこそ、もしも同じように「ラブライブ!」に「助けて」と救いを求める人がいるとすれば。「その人の物語」が描かれるのだとすれば。
それは自分にとってとてもリアルだし、切実な物語になる。
そして、なにより「応援したい」「一緒に歩みたい」。
そう思った。
そこから僕と「ラブライブ!サンシャイン!!」の日々が始まった。
☀
そして今。
予想を大きく上回って、「ラブライブ!サンシャイン!!」は個人的にとてもスペシャルな物語になった。
その物語は予想していたよりもちょっぴりビターで。
だからこそ前作「ラブライブ!」よりも自分にとってより親和性の高い物語になったように思う。
寄る辺なく、救いも無い世界の中に、”彼女たち自身”が佇み。
目を逸らしたくなるような痛みに向き合って、立ち向かっていくことで、同じように戦う人々の強さを讃えた。
仮に「本当に望んだもの」が手に入れられなかったとしても、その過程の中で残っていく物、得た物を讃えた。
「手に入れたもの」も「手に入れられなかったもの」も。
「叶えた夢」も「叶えられなかった夢」も。
そして「運命」も「偶然」も。
それら全てに、等しく価値があり、等しくかけがえのないものなのだと教えてくれた。
作品が伝えるものはどこまでも痛くて、辛くなるところもあるけれど、それをそのまま放っておかない優しさにも満ちていた。
あの日「ラブライブ!」に救いを求めた彼女たちの物語は、今は彼女たちと同じく「道に迷う人たち」の救いの光になっている。
今なら自信を持って、そう断言できる。
"今日"にちょっと負けてしまったとしても、"明日はきっと輝いている"。
そう信じさせてくれる素晴らしい物語に感謝を込めて。
ラブライブ!サンシャイン!!5周年おめでとうございます!!!
2020年2月26日
http://gs.dengeki.com/news/21346/