Love Live!Aftertalk!

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「青」のキセキに想いを乗せて~4thライブを本当にざっくりと振り返るだけの記事~

皆様お久しぶりでございます。

今書いておかないともはや書く余地がないから....というそんな理由だけで筆を取っております。こういうタイミングだから色々と想像しちゃうかもしれないけど、深い理由はありません。4thのことを少しだけ振り返っておきたいなと思います。

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※当然ですが4thライブのネタバレを多分に含みますので、BDが出るまでネタバレは勘弁という方はブラウザのバックボタンをよろしくどうぞ。

 

 

「アニメ2期の物語を再現する」ことを目的としたライブが3rdだとすれば(実際には”再現”の一言では言い尽くせないものが目の前で描かれたわけだけど、今回はその話は差し控えよう。あくまでも”役割”のお話。)、4thはその「カセ」が外れた、ある程度自由なフィールドが用意されたライブだった。

1stに対する2ndのような立ち位置。

実際2ndライブは「どの楽曲がどんなタイミングで飛び出すかわからない」自由なセトリが、Aqours楽曲の持つ「豊かな世界観」を余すことなく表現することに成功した素敵なライブだった。

そんな経験があったから、私も4thに対しては何かを「期待」して待つのではなく、「来たもの全てを楽しもう」という心づもりで挑むに至った。その方がライブを100%否1000%楽しめると感じていたからだ。

では実際の4thがどうだったかというと、「そもそも予想が不可能な強烈なエモをぶつけられた」ライブだったと言うべきだろう。

「凄かった」「これまでで最高のライブ」

そんな言葉が口をついて出てくるのに、「ここが良かった」「あそこで泣いた」などという感想が具体的な言葉となって口からなかなか出てこない。

時間が経てばある程度言葉に出来るだろうか。

そう思って待っていたら、今日になってしまった。

つまり、エモーションが言語化を拒んでいるのだ。

「感情」を「言葉」に変換させた瞬間に陥る「固定化」を恐れているともいえる。

「感じた物を感じたまま」保存しておきたい。そんなエゴが筆を鈍らせたのかもしれない。

そんなこんなで、結局書きたいことが見つからないまま今日に至っているのだけど、最後の最後「これだけは書き残しておきたい」という出がらしをここに書き尽くして、とりあえず楽になっておきたい。

そんな動機で書かれているだけだから、読んでも大きな発見は無いだろうということだけは、予めご理解いただけると幸いだ。

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今回の4thライブで最も印象的だったものが何か。

それはやはり加藤達也氏率いる「浦の星交響楽団」の皆さんによる「劇伴楽曲」の生演奏だろう。

正直なところ、ハコの規模を考えた場合「ひょっとしたらありえるかも?」という予想の範疇には入っていたが、それはあくまでもOPの「Main theme of Love live ! Sun shine!!」や「キセキヒカル」でのスポット参戦があるかも???くらいの予想だった。

まさか、休憩および着替えタイミングでがっつりと「劇伴演奏会」が開かれるなどとは予想だに出来なかった。

「劇伴」とは、文字通り「劇に併せて流れる伴奏音楽」。

映画においても「影の主役」と呼ばれるくらい重要なものだが、反面ピックアップされることの少ないものでもある。

映画においてもそんな立ち位置である以上、TVアニメという世界ではほとんど注目されることが無いこの「劇伴音楽」が、東京ドームという大舞台で「主役の一人」として登場するとは....正に予想外の出来事だった。

 

なぜ「劇伴」がこの舞台でフューチャーされたのか。どこかで明言されていたとすると恐縮だが、勝手に推察してみたいなと思う。

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今回の4thライブは「アニメの文脈」から解き放たれた、自由な文脈での楽曲披露が許される場であることは先ほど触れた通り。

その文脈の中で披露された最もエポックメイキングな楽曲はやはり想いよひとつになれ」(9人Ver)だろう。

1stライブ以降一度もライブでは披露されなかった楽曲。

しかも1stでは「アニメの文脈」に添う形で、梨子役の逢田さんが実際にピアノ伴奏を演奏し、他8名のメンバーがそれに併せて踊り歌唱する....という形で披露された楽曲。

 1st2日目では逢田さんの「演奏失敗→立て直し→成功」というアクシデントも含めて、ある種「伝説」かつ「アンタッチャブルな存在」として語り継がれている楽曲。

それゆえに「扱いが難しい楽曲」になっていたことも確かではあった。

披露するにせよ「アニメの文脈」や「逢田さんによるピアノ演奏」などの情報がちらつき、安易な扱いが出来ない。

なによりも「1stでの伝説」が、この楽曲を「特別」にしてしまっている。

今回の4th では「想いよひとつになれ」をアンタッチャブルな存在にしてしまっているそういった「様々な要素」を「取り除く作業」が行われたように思える。

 

1stを思わせる逢田さんの「ピアノ演奏」から楽曲がスタートし、イントロ半ばで逢田さんが手を止めギョッとさせる。

すわ「ミスか!」と思わせておいて、その逢田さんが手を放したにも関わらず流れ続けている伴奏に合わせて踊りだすことで、この流れが「演出」であることを観客に意識させる。

やがて逢田さんを残る8人が迎え入れ、アニメでもライブでもついぞ描かれなかった「9人フォーメーション(千歌と曜がセンターのままの新フォーメーションである)」で楽曲がスタートするのである。

この演出のエモさたるや無いわけだが、この「アニメ文脈にはない」演出をもって、「想いよひとつになれ」はようやく「アンタッチャブルな楽曲」としての立場を終え、「Aqoursの持ち曲の一つ」へと回帰するに至った。

「1stでの諸々」を除けば、ある種「アニメ文脈による制約」によって「9人で披露することがかなわなかった楽曲」を「現実のAqours」が「普通の持ち曲」へと変化させていく。

この「ライブでしか達成し得ない実現」にはただただ膝を打ったわけだけど(実際にはそんな余裕はなくあまりのエモさに膝から崩れ落ちていただけ)、かように「現実のAqours」が「現実のAqours」にしか起こしえない実現をしていく事で、「TVアニメの文脈」からはかえって「少し距離が生まれてしまう」ことも確かで(決して悪い意味ではなく)。

そんな「距離」を埋めるために用意されたのが今回の「劇伴演奏会」だったのでは、とも考えたのであった。

 

「劇伴」とは先ほども触れたように「TVアニメ」を彩る伴奏楽曲。即ち「TVアニメ」内で「常に流れている楽曲」でもある。

逆にいえば「TVアニメ以外では流れない楽曲」でもある。とすれば、この楽曲を聞けば観客はいやおうなしに「TVアニメ」を思い出さざるを得ない。

「目の前の現実のユニットとしてのAqours」だけでなく「TVアニメ内でのAqours」のことも、ライブ中「しっかりと認識および意識しておいてもらう」為に、彼らが一役買ったのでは?とも思えるわけだ。

 

では今度は「何故TVアニメのことを意識しておいてもらう必要」があったのか?という話になる。

それはやはりこの4thライブにおける最も重要な「演出」を見てもらう上で「TVアニメを意識しておいてもらう必要」があったからでは?と思える。

 

今回の4thライブで、筆者が最も感動したのはどこか。

それは1日目における「MIRAI TICKET」そして2日目における「WATER BLUE NEW WORLD」から「キセキヒカル」へと連なる一連の演出だ。

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1日目。

大きな船へと乗り込んだAqoursの9人が登場し、「MIRAI TICKET」のイントロが流れた瞬間、私は膝を抱え座り込んでしまった。

それはもちろん「MIRAI TICKETが好きだから」に他ならないのだけど、それ以上に「この後の展開が予想出来てしまったから」だった。

大きな船が向かう先には誰がいるか。そこには加藤達也氏と浦の星交響楽団の皆さんがいた。

即ち、航海を終えた彼女達はたどり着いた先で「キセキヒカル」を唄うであろうことが、この段階で予測できてしまったのだ。

MIRAI TICKET」とはどんな楽曲か。

1期でようやく「μ’sの背中を追いかけること」を止めたAqoursが、自分達の力で「0を1」にすることを決意し、それを叶え得た楽曲だ。

しかし「MIRAI TICKET」は「0を1にする」ことは出来たけれど、Aqoursを「勝利に導くこと」は出来なかった楽曲。

故に物語文脈上ではどうしても「予選敗退で終わった楽曲」という印象もぬぐえない。

けれども、このライブでの演出によって「MIRAI TICKET」は「キセキヒカル」における「奇跡」を叶えるための大切な「軌跡」の一つとして、「物語の文脈」にしっかりと組み込まれたように感じたのだ。

そして2日目。

MIRAI TICKET」に代わって「WATER BLUE NEW WORLD」が披露された。

ここで私はまた頭を抱えた。

「WATER BLUE NEW WORLD」はこのアキバドゥーム(東京ドーム)でAqoursが決勝戦用の楽曲として用意し、披露した楽曲であり、Aqoursラブライブ!優勝へと導いた楽曲でもある。

その楽曲が「MIRAI TICKET」と同じ文脈で使用される。

即ち「MIRAI TICKET 」と「WATER BLUE NEW WORLD」がAqoursの「軌跡」において「同等の価値を持つ楽曲」として「文脈に組み込まれた」。

Aqoursにとっては「勝利できなかった過去」でもある1期の物語は、「奇跡」を成し遂げるための大事な「軌跡」の一つだったのだ....という事実を、具体的に分かりやすく視覚的に表現してみせる。

そしてこの一連の演出だけで、「ラブライブ!サンシャイン!!」TVシリーズの物語を「早く深く」追わせる。

この巧みさにはただただ兜を脱ぐ思いだった。

そしてこの1期2期の物語を「早く深く」追わせた先に待つのが「1期と2期の物語」を彩ってきた「劇伴」を「楽曲化」した「キセキヒカル」である....というがお見事。

ライブの中で「現実のAqours」と「TVアニメのAqours」をそれぞれ表現してきた二つの存在が合体し、「キセキヒカル」という楽曲を奏でる。

そうすることでそこに「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品そのものが具現化し、結果として「ラブライブ!サンシャイン!!」というプロジェクトのこれまでをも「総括」するに至る。

東京ドームという「総括」に相応しい場所で、ここまで完璧な演出を見せつけられるとは....。

丸で一本の映画作品での見事な伏線回収を見せられたような、なんともいえないカタルシスをこの一連の演出から感じてしまった。

 

かように見事な演出を以て、ついに「TVアニメでのAqoursの時間」に「追いついた」「現実のAqours」。

最初見た際には、誰に向かってリアクションを取っているのか分からなかった「Thank you,FRIENDS」のジャケットのAqoursメンバーだが、恐らくは「TVアニメの時間軸で待っていたAqoursが現実のAqoursを迎え入れている場面」が描かれていることが、この段になって分かる....というのも、なんとも粋な演出だった。

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アキバドゥームでラブライブ優勝を果たしたAqoursと、東京ドームでの単独ライブを見事に終えた現実のAqours

今再度足並みを揃えた両者が次に向かうのは「虹の向こう側」。

そこではどんな物語が描かれるのか。本日公開となる劇場版に心して挑みたいなと思う次第です。

Somewhere over the rainbow Bluebirds fly 

(どこか、虹の向こうに青い鳥が飛ぶ場所がある)

Birds fly over the rainbow Why then, oh why can't I? 

(鳥達が虹を超えていけるのに、どうしてあたしにできないの?)


If happy little bluebirds fly beyond the rainbow Why, oh why, can't I? 

(もし、幸せな青い鳥達がその虹を超えて行けるなら、あたしにもきっとできるはずよ)

Over the Rainbow~オーバーザレインボウ~(1936年)

作詞/エドガー・イップ・ハーバーグ Yip Harburg 

作曲/ハロルド・アーレン Harold Arlen 

 

あぁ、スッキリした。

それでは映画館でお会いしましょう。