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犬を拾う日。

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この世界には「運命」とか「必然」とか、そういうのってあると思う?

そう聞かれたら僕はきっと曖昧な表情を浮かべてしまうかもしれない。

端的にいうと、「運命」とか「必然」とか、ちょっぴり苦手な言葉だ。

ドヤ顔で「これは運命なんですよ!」とか「こうなるのは必然でした!!」とか言われると「う~ん」と思ってしまうし、正直「胡散臭いなぁ」とか考えてしまう。

 そもそもとして、人生観において「偶然性」を信奉している部分がある。

「全てが偶然」と言い張るつもりもないけれど、世界のあらましの大多数は「偶然」によって支配されているような気持ちはある。

頑張って、努力して、その結果として叶え得る夢がある一方で、どんだけ頑張って、努力してもかなわない夢がある。

生きたい、死にたくないと願っても終わっていく命がある一方で、のほほんと天寿を全うする人がいる。

そこには因果性はなくって、「偶然」が大きく横たわっている。そんな感覚が抜けない。

だけどそればっかりじゃどうにも「人生」は輝かない。

「どうせ偶然だし、やるだけムダでしょ」となっては、生きている甲斐がない。

「人間は予め目的を持って生まれない。だからこそ未来に向けて自分を投げていく必要がある。そうしなければ生きる目的が無いのだから。」とサルトルは語った。

僕もそう思う。折角生まれたんだから、何かを成し遂げて輝きたい。

そんな時に必要になるのは、ひょっとしたら「運命」を信じる気持ちなのかもしれない。

 

なんの因果性も無い、数字や物事、人のつながり。そういうものがふとした拍子に”因果性を持ったように”繋がっていく瞬間を目の当たりにしたことがある。

それは、やっぱり、どう考えても”偶然の産物”に過ぎないのかもしれない。

けれどもそれを「運命」なのだと捉えて、それによって「前向き」になれるのだとしたら。

それが何らかの形で自らの人生を輝かせるきっかけに繋がったら。

更に人生における「目標」にも繋がっていったら。

それは立派な「運命」へと意味を変えていくのかもしれない。

 

世界は偶然に満ち満ちているけれども、今日ここでこうしていること。

今ここで出会えた人がいること。

その人が僕のことを知っていること。僕がその人のことを知っていること。

それにだって「意味がある」のかもしれない。分からないけど。

 

「犬を拾う」って、そんなちょっとした「運命」に出会うことなのかもしれない。

「偶然に満ち満ちた世界」を「前向きにとらえ直す」ちょっとした「魔法」としての「運命」。

それに出会えたら、人はきっとほんの少しだけ「前向き」に生きていけるのかもしれない。

 

僕は犬を拾えているのだろうか。分からない。

でもこの作品に出会えたことが、ひょっとしたら僕の「犬を拾う。」経験なのかもしれない。

今日、11月4日はラブライブ!サンシャイン!!2期5話「犬を拾う。」初放送から丸1年の記念日です。

 

あなたは犬を拾えているでしょうか。

もしまだ出会えていないとしたら、犬と出会ってくれることを、僕は遠くで願っています。

 

 

明日あなたが犬を拾えますように。

11/4 犬を拾う日に。

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