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「ラブライブ!サンシャイン!!」2期総括コラム【キャラクター編⑥ 黒澤ダイヤ】

皆様。こんにちはorこんばんは。

今回はキャラクター編⑥黒澤ダイヤ編をお送りします。

色々な捉え方が出来る良い意味で面白いキャラクターで、彼女に関してはそれこそ様々な解釈があると思います。

それ故に読み解くのが難しいキャラクターでもありますが、今回は僕なりの解釈で彼女を紐解いてみたいなと思います。

少し解釈が異なる部分もあるとは思いますが、これは私なりの「主観」に基づくものですので、予めご了承くださいませm(__)m

 2期4話では「ダイヤさんと呼ばないで」というそのものズバリな主役回も与えられたダイヤ。彼女のパーソナリティを知る上では非常に重要な回だっただけでなく、2期における「3年生の関係性」を考えるうえでも重要なエピソードでもありました。

そんな2期4話に関しては下記にて書かせていただきましたので、是非お時間が許せば、ご一読頂ければと思います。

ishidamashii.hatenablog.com

今回は上記内容も踏まえつつ、シリーズ通しての黒澤ダイヤを考え、自分なりに総括してみたいなと思います。

どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

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黒澤ダイヤと「ちゃんとしている」

2期4話でようやくクローズアップされた黒澤ダイヤというキャラクター。

「生徒会長キャラ」というステレオタイプに当てはまらない独特の魅力を感じさせるキャラクターながら、その内面が掘り下げられなかったために今一つ理解が進んでいなかった彼女の「特性」。それが2期4話を通じてかなり明らかになったように思えます。

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2期4話では「呼ばれ方」をきっかけに、9人となったAqoursというグループの中での自分の立ち位置をダイヤが初めて「客観視」することから物語が始まります。

同級生であり、親友でもある果南・鞠莉と自分の扱われ方が「違う」ことから、彼女が「アイデンティティクライシス」に陥る。

 「自分はひょっとしてAqoursというグループの中で浮いているのでは??」そんな疑問が彼女の中で肥大化し、壮大な自問自答へと迷い込んでいく。

「ダイヤちゃん」と呼ばれたい。それは額面通りの意味以上に、自分もまた「Aqours」というアイデンティティの中に同化したい...という願いでもありました。

しかし結果としてそんな「同化」の願いは、千歌を始めとしたメンバーによって「非承認」されます。

「ダイヤさんは私たちと違って、”ちゃんとしている”」「そこがダイヤさんの良い所」「だからこれからも”ダイヤさん”と呼ばせてほしい」

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ダイヤを「ダイヤちゃん」としてAqoursという「アイドルグループ」に「同化」させることは容易。

けれどもそれが本当に幸福なことなのか。「ダイヤちゃん」としてアイデンティファイされたダイヤは、もはや元の「ダイヤさん」ではなくなってしまうのではないか。

そうではなくて、ダイヤの持つ「良い所」を「個性」として「承認」し受け入れていく。

ダイヤを「ダイヤさん」と呼ぶのは、決して距離感を感じているからではなく、ダイヤの「ちゃんとしているところ」を誰もが「尊敬している」からこそ。黒澤ダイヤそのものの「個性」を尊重しているからこそ。それを本人に伝え、ダイヤ自身にも「ダイヤさん」と呼ばれることの「意味」を理解してもらう。

「同化」しなくて良い。「個性」を持った9人が集まり、それぞれの「個性」を尊重しながらチームになっていく。それが「Aqours」というグループである。

2期4話は、2期2話から繋がる「多様性に関する許容」の物語でもあったと思います。

2期4話ではダイヤの「願い」が叶わなかったことに関して「ダイヤがかわいそうなのでは?」という意見も見かけました。しかし私はむしろ逆だと考えています。

ダイヤ自身が全く自覚していなかった「個性」であり「良い所」である「ちゃんとしている」ことを、彼女自身が初めて「理解」する。

そうすることでダイヤの「これまで」が「肯定」され、それに伴い「過去」までもが「肯定」されていく。

「ダイヤさん」と呼ばれることにも、きちんとした「意味」が付随されていく。

それこそがダイヤにとっての「救い」であると思えるからです。

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さて2期4話で改めて明らかになったダイヤの個性=「ちゃんとしている」こと。

とはいえ、それは視聴者である我々にはある程度分かっていた事です。

ここで重要になる気付きとは、我々がダイヤの特性を知ること...ではなく、ダイヤ自身が自分自身の「良い所」をこの時初めて「理解した」という事実なのかもしれません。

「自分に対しての客観的評価」が為されていない...ということは、自分自身をアイデンティファイ出来ていないということにも繋がります。

即ちダイヤはこれまで「ちゃんとした人」になりたいと念じて「ちゃんとしていた」のではなくて、ほぼ無意識に...なるべくして「ちゃんとした」人物になっていた...ということ。

そんなダイヤの在り方そのものが「TVアニメ2期におけるダイヤ」を考える上では重要なのかもしれません。

 

黒澤ダイヤと「努力」

ダイヤにとっての特性であり長所でもある「ちゃんとしている」こと。

しかしダイヤ自身はそんな自分の長所に関して「無自覚」だったのでは?と前項では考えました。

その理由とは、即ち「ちゃんとしている」ことは彼女にとって「当たり前」のことであり、特別なことではなかったから...と考えるのが自然でしょう。

これはやはり彼女の生い立ちと無関係では無いはずです。

黒澤家という網元の家庭で長女として生まれ、家を継ぐ存在としての期待をかけられる中で彼女の人格を形作っていったのは「黒澤家の長女」としての心構えでしょう。

「常に黒澤家の人間としての自覚を持って生きる」。それはダイヤのDNAレベルに刻み付けられたある種の宿命であり、「運命」でもあります。

幼少の頃から「真面目でちゃんとしてて、頭が良くてお嬢様で、頼り甲斐はあるけど、どこか雲の上の存在」だったのも、そんな「黒澤家の長女」としての「在り方」を体現していたに過ぎないわけです。

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しかしそれ故に見過ごされてきたものもあります。

それは彼女自身の「努力」です。

どんな物事においても「模範」となる為には、絶えず「努力」し続け、それを「成果」として示し続ける必要があります。そこには並々ならぬ「努力」が必要です。

俗な例えですが、いかなる天才でも「1%のひらめきと99%の努力」が必要。そしてダイヤはその「努力」を絶えず惜しまず続けてきた人、だとも思えるのです。

「努力する」こと、「頑張る」ことは彼女にとって「当たり前の在り方」であって、それがことさら「評価されるべきもの」とは考えていない。

彼女にとって重要なのは「努力した過程」ではなく「努力の末の結果」である。

けれど、それ故に「努力」の限界もまた、彼女は理解しているのでは?と思えます。

「努力することは当然」だが「努力だけでは越えられない壁」もまたある。

ひょっとしたら彼女がそんな「壁」を感じていたものは浦の星の「統廃合問題」だったかもしれません。

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1期2期通して、ダイヤは「統廃合問題」に関してはどこか冷静な立場を貫きました。それは彼女自身がこの問題について「努力だけでは越えられない壁」を実感していたからなのかもしれません。

しかしだからといってダイヤが「統廃合阻止に本気で無かった」とも思いません。彼女はこの問題に関して「努力だけでは越えられない壁」があることを重々承知している。だからこそ「自分達に出来る最善」を尽くそうとしたようにも思えるのです。

 

「統廃合問題」に関してはダイヤたちが1年生の頃から既に話題になっていたことが明らかにされています。そんな中当時1年生のダイヤが「統廃合阻止」のための案としてひねり出したのは「スクールアイドルを結成し、学校の名前を広める」というものでした。

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1期の段階では、「μ'sに憧れた末の甘い考え」と思われたこの案。しかし「ちゃんとしている」というダイヤのバックボーンを含めて考えれば、これはなにも闇雲な案では無かったのかも?とも思えるのです。

過疎化が進み、年々人口も減っている内浦という場所において、「地道に生徒数を増やす施策」などもはや有効ではない。

だとすれば、沼津市外だけでなく、県外からも人を「引き寄せる」力をもった施策が必要。

それこそが「スクールアイドル」である。そんな風にダイヤが考えた可能性もあるのではないかな、と思えるのです。

1期・2期を通してダイヤが「スクールアイドル=Aqours」の「再結成」に並々ならぬ意欲を示し、それを達成するため行動していた...という事実が明らかになりました。

それはもちろん果南・鞠莉との「消えない絆」を繋ぎとめるための存在として大事にしたかった...という要素もあったかもしれませんが、それ以上に「浦の星女学院」を守るための、彼女なりの「最善の努力」だった可能性もあるような気がするのです。

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結果として彼女の「努力」は実ることはありませんでした。しかし「努力では越えられない壁」があることを知りながら、その中でも常に「闘う意志」を失わず、最後まで「諦めずに立ち向かい」「努力し続ける」。そんな強固で「不屈な魂」こそ、黒澤ダイヤという人物を語るうえで、最も重要な要素なのでは?とも思えてきます。

 

黒澤ダイヤと「頑張ることの価値」

黒澤ダイヤにとって当たり前だった「努力する」ということ。そして、それに伴う「ちゃんとしている」という価値観。

前段でもお話した通り、そんなダイヤにとっての「当たり前」が、大切な「個性」として「肯定」される物語。それが2期4話でした。

人によっては、なんのためにあるのか分からないとも感じたかもしれないこの2期4話。しかしこの話を起点として、2期そのものの「テーマ」も紡がれていきました。

1期では「今」を肯定出来ない千歌が、紆余曲折を経て「今」の価値を知り、その意味を認めることで、ようやく「未来」へと踏み出す物語が描かれました。しかしその中で抜け落ちたのが「過去」に関する視点でした。

「今」が「未来」へと繋がっていくように、「今」は「過去」とも繋がっている。

そして「過去」と繋がった先に「未来」もある。

そんな「過去」の意味を語っていくのが、2期の物語であり、その中心にいたのがダイヤ・果南・鞠莉の「旧Aqours」でした。

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彼女たちが生み出した「旧Aqours」は決して「失敗作」なんかではない。

ダイヤ・果南・鞠莉が描いた「未来」の先に、千歌たち「新Aqours」の「今」があって、その二つが重なることで本当の意味での「未来」を紡ぐことが出来る。

だからこそ「過去」を「無意味なものにはしない」。2期4話以降、そんなテーマをもって物語が紡がれていきました。

「過去を無意味なものにしない」。

それは、ダイヤが重要視していなかった「努力する過程」や「ちゃんとしている」という彼女自身の「特性」にも係っていき、もちろん彼女自身の「在り方」ひいては「過去」にも係っていくものです。

それを千歌たち「他者」が「肯定」し「評価」する。その「評価」をダイヤ自身が受け入れていく。

それは即ち、ダイヤが自分自身の「過去」を「肯定していく」ことにも繋がっていくのです。

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2期12話挿入歌である「WATER BLUE NEW WORLD」。

2期のメインテーマと言っても差し支えないテーマ性を持った楽曲ですが、この楽曲の2番でのダイヤのパートはとても印象深いもの。

それまで自分の「努力の過程」をことさら意識もしてこなかった彼女が

たくさん 頑張ってきた時間が愛しい

 と、心に渦巻く切なさを吐き出すように歌い切る。

このたった1行に、2期における黒澤ダイヤの物語のほとんど全てが詰め込まれているような気すらします。

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「既存の在り方」という「運命」や「宿命」にがんじがらめにされていた一人の少女が、Aqoursとの出会いによって「救われていく」。

自分のことを、世界のことを「少しだけ好きになれる」。

一つの完成された世界を既に持っている少女が得た、ほんの少しの「成長と達成の物語」。

そこに僕はどうしても心打たれてしまうのです。

 

...ということで、黒澤ダイヤ編でした。

本当はもう少し詰め込みたい要素もあったのですが、それを入れると主題がブレる...ということで泣く泣くお蔵入りさせました。。

それは主に「必然」と「ダイヤ」に関するお話だったのですけど、この辺はまた機会があればどこかで披露したいなと思います。

いや、しかし様々な人を魅了する黒澤ダイヤという人物。彼女のもつ大きな魅力が僕にもほんの少しだけ理解できたかもしれません。僕が感じた魅力を上手く伝えられたかは分かりませんけども。。

さて、次回は果南編。

1期では複雑なキャラクターでしたが、2期では影の主人公と呼んでも差し支えなかった存在だけに、書くのが楽しみです。

今回も悪文・雑文の妄想にお付き合い頂きありがとうございましたm(__)m

 

追記:

黒澤ダイヤと統廃合問題に関しては、瀬口ねるさんのこちらの記事が非常に素晴らしいので是非ご一読くださいませ♪

segnel.hatenablog.jp