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「ラブライブ!サンシャイン!!」2期総括コラム【キャラクター編④ 津島善子】

皆様こんにちはorこんばんは。

今回もキャラクター編をお送りしていきます。

こちらのシリーズもいよいよ折り返し。

今回は津島善子...もといヨハネ編をお送りします。

2期5話では梨子とW主役。

この回が「2期を語るうえで重要な回」だっただけに、そこからは「特段物語内において重要な行動」をしたわけでもないのに、「物語における重要なキャラクター」として存在感を発揮し続けた彼女。

そんな彼女のパーソナリティに関しては、2期5話記事にてかなり詳細に追ったので、もはや語り尽くした感もあるのですけども...。

ishidamashii.hatenablog.com

さらにそこから派生して「Day dream warrior」と善子に関する記事も書いてしまったりしましたな...。

ishidamashii.hatenablog.com

 とはいえ今回は自分なりの「復習」も込めつつ、改めて2期における善子を考えてみたいと思います。

※お察しの通り2期5話記事と重複する部分が多いと思われますので、予めご了承願いますm(__)m

 ※また、今回も本ブログ独自の観点であり公式に基づくものではございません。そちらも併せてご了承のうえご一読願います。

 

津島善子と「厨二病

津島善子を語る上で外せない要素である「厨二病」要素。

自分を「津島善子」ではなく「堕天使ヨハネ」なのだと名乗るパーソナリティは、「厨二病キャラ」としては「典型的な味付け」です。

実のところこういったキャラは、現在のアニメ・マンガではありふれています。

それ故、最初期に彼女の設定を見た際には「このキャラをストーリー重視のアニメ版ラブライブ世界でどう動かしていくのかしら?」と懐疑的な気持ちを持っていました。

しかしながら善子は私のそんな「懐疑的な視線」を良い意味で裏切ってくれました。

アニメ内において彼女の「厨二病」的要素は「安易な味付け」として「消費されてしまうキャラ」とは設定されず。

「自らの在り方を自らの意志で決める」「彼女自身の在り方」なのだと設定されました。

 この設定によって彼女自身のキャラクターに「深み」が生まれただけでなく、「彼女の在り方」そのものが、物語内においても作用するようになったように思えます。

その代表的な帰結が2期5話「犬を拾う。」であったように感じるのです。

 善子の中の「ヨハネ」という存在の「必然性」が、物語全体の「動線」とも結びついていく。すると最初は「堕天使w」と若干舐めた見方をしていた我々も、彼女の在り方を肯定せざるを得なくなる。

物語においてもキャラクターにおいても「ヨハネ」という「厨二病」設定がしっかりと機能していく。そこには見事な「機能美」を感じてしまうのです。

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津島善子と「善子」

2期5話で明かされたパーソナリティ。そこでは善子本人にとっての「善子観」も語られました。

幼少の頃から何かと「運が悪かった」善子。

何もないところで転ぶ。遠足の前日には熱を出す。

そんな「不運」に見舞われる機会が多かった。

いわば起こる「偶然」と、それに紐付く「現実」に為す術もなく「翻弄されていた」日々。

「この世にはどれだけ願っても覆らない現実がある」。

彼女にとっての「津島善子」とは、そんな「偶然性に支配された現実」を嫌が応にも「肯定させられてしまう象徴」のようなものなのかもしれません。

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ヨハネ」を演じる「合間」にも度々表出する「現実的な感性」は、やはり幼少期の体験から植えつけられた感覚でもあり、それこそがひょっとしたら「津島善子」という人の「本質」なのかもしれません。

ただし、善子本人はそれを「是」としなかった。

「自分の在り方」が「偶然」という要素によって「左右」されていることを認めたくなかった。「自分の在り方」は「自分自身」で決めたかった。

だからこそ「自分が不運」であることにも「必然性」を見出したかった。

そうして生まれたのが「ヨハネ」という存在なのです。

 

津島善子と「ヨハネ

ヨハネとは「堕天使」である。元は天使であったが、闇に魅入られた結果堕天し、その因果として「不運」に常に見舞われている。

自分の真名は「津島善子」ではなく「ヨハネ」である。

自分が不運に見舞われているのは「偶然」ではなく、「堕天使」としての「必然」なのである。

そう捉えなおすことで、善子は自らの在り方そのものを「自分で決定していく」。そうすることで自分自身を「肯定していく」ことが出来るようになりました。

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もちろん理屈としては相当オリジナリティに溢れた「俺設定」ですし、他人からすれば「知らんがな」と思われても仕方ないもの。

とはいえ、そんな「俺設定」が津島善子という人を「救った」こともまた事実なのです。

この世界を「現実的」に見据え過ぎてしまうと、どうしても「夢」や「希望」や「未来」が描けない。

「どうせ何やったって変わらない」「結局運でしょ」などとひねた考え方をしてしまっては、何も行動が起こせなくなってしまうのです。

そして善子はそうなる「危険性」を秘めていた。けれど彼女はそうなることを自らの意志で「拒否」しました。

津島善子」の身に降りかかる「不運」は「偶然」だけれども、「ヨハネ」の身に降りかかる「不運」は「必然」である。

その感覚を常に持つ事で、彼女は自らの「世界」を「偶然性に支配された世界」ではなく、「全てに因果がある」「必然性に支配された世界」へと捉えなおしたのです。

ただし、これは相当心が強くないと「受け入れがたい世界」でもあります。

もちろんこの心構えを持つ事でいつでも「ポジティブ」でいられるかもしれません。

けれども、もしかしたら、自分にはなんの責任も無い「不運」が起きたとしても、それを「自分の責任である」と受け入れなくてはならない局面が出てきてしまうかもしれないわけです。それを受け止めるには相当な「タフさ」が求められます。

また、とにかく「独自性」に富んだこの「ヨハネ」という世界観を、「他者との関わり合い」によって成り立っているこの「社会」の中で保ち続けることにもそれなりの「タフさ」が求められます。

「自分を肯定する」ために始めた「ヨハネ」という「特性」。

それは「心と体の成長」と、それによって変化していく「環境」の中で、どんどんと扱い辛くなっていく。

 中学時代から次第に「ヨハネ」を続けていくことの「厳しさ」を実感していた善子。その「厳しさ」が頂点に達したのが「高校での挨拶失敗」でした。

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自分でも薄々感じていた「ヨハネ」という世界観を「共有していく」難しさ。その事実が白日のもとに晒された結果、彼女は「学校に行けなくなってしまう」。

ここで彼女が選ばされる「ヨハネを捨てるか否か」という選択肢。

その過程において彼女にとって大事な存在となるのが「Aqours」です。

 

津島善子と「Aqours

紆余曲折の果てに「ヨハネ」を捨てるという選択肢を取った善子。しかし千歌を中心とするAqoursはその決定を「否定」します。

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正直なところ1期5話の時点では、この千歌の選択肢はとても分かり辛いものでした。

しかし2期まで終わった今であれば、その意図が分かります。

善子にとっての「ヨハネ」とは、「偶然に支配された世界」を「否定」し、自らの「在り方」を「自らで決定していく」ために生まれた存在。

それは「自らの未来」を「自らの選択・行動」によって「掴み取っていく行為」と似ています。そしてその行為は「千歌がAqoursを結成した理由」とも同じなのです。

「普通の自分」を、「このまま何もしないで終わっていく人生」を否定したくて始めた「スクールアイドル=Aqours」。

その発祥の根幹に強い近似性がある。だからこそ千歌は「善子ちゃんは捨てちゃダメなんだよ!自分が堕天使を好きである限り!」と善子に語りかけ、「ヨハネ」を含めた善子の在り方そのものを「Aqours」へと迎え入れるのだと思うのです。

Aqours」という居場所を得たことで継続していくこととなった「ヨハネ」。しかし「ヨハネ」とは善子にとって「捨てても良い」ものではなかった。

善子は「ヨハネ」という存在が無ければ「この世界の現実性に負けてしまう」弱さを抱えた人物でもあります。

結果的にAqoursは「ヨハネ」だけでなく、津島善子という人そのものを「救った」。

だからこそ善子は我々が思う以上に「Aqours」というグループを大事に思っているのではないかな?と思えるのです。

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津島善子と「見えない力」

1期終了後のキャラクター総括で私は善子にこんなことを期待しました。

いつか彼女の「不屈」にして「気高い精神」と、「Aqoursへの強い愛情」が、Aqoursのピンチを救う時が来るのではないかと、今は密かに期待しているのです。

ラブライブ!サンシャイン!!  1stライブの前に総括してみましょう企画 【キャラクター編 其の六 津島善子】 - Love Live!Aftertalk!

 少し形は違いますが、その結実が2期5話「犬を拾う。」なのかな?と思えます。

2期開始当初、梨子は「現実的な要素」に翻弄されている人物でした。

MIRAI TICKET」を以てしても突破出来なかった地方予選。

その中でいよいよ現実味を帯びてきた学校の「統廃合問題」。

次々と重なる「現実の厳しさ」。

それでも必死に前を向いてもがこうとする千歌の思想に「共鳴したい」のに、自分自身の中の「現実的な思考」が邪魔をして、どうにも「共鳴できない」。

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2期開始当初の梨子からはそんな「ジレンマ」を感じ取れました。

 そんな梨子に「ヒント」を与えたのは、善子でした。

「現実」を直視しながら、それでもその事実に抗い、「見えない力」を信じても良い。

善子は自らの「在り方」をもって、それを梨子に伝えました。

結果としてその思考は梨子を「ジレンマ」から救い出し、大きな成長を与えるきっかけにもなりました。

成長を果たした梨子は、千歌に追随するのではなく、「Aqoursのメンバーの一人」として、千歌を支える存在として独り立ちしました。

そしてそんな彼女が作り出した楽曲(WATER BLUE NEW WORLD)が、2期の物語そのものを総括する「大事な楽曲」として物語に彩りを与えていく。

「全てに意味があり」「全てが繋がっていく」。

そんな2期そのものの「テーマ」をも象徴させる物語が2期5話であり、その中心にいたのが善子でした。

また、私は善子の在り方そのものが、「花丸の未来を愛する感性」にも影響を与えていると考えています。

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元来花丸は「未来に期待を持てない人物なのでは?」というのは、前回のキャラクター総括コラム「国木田花丸編」でお話したこと。

ishidamashii.hatenablog.com

そんな花丸に「未来を信じる意味」を伝えたのは、善子なのでは?と思うのです。だからこそ花丸は善子にとっての「ヨハネ」をことさら守ろうとする。

(わざと善子と呼んで、ヨハネと言い返させるのはその一環だと思っています)

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そうして「未来を信じる」「自分の可能性を信じる」ことの価値を教わった花丸が、今度はルビィの背中を押す。

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「善子の在り方」が元となって、それが様々な人の「背中を押す力」へと変わっていく。これは正しく善子の語る「見えない力」なのかもしれません。

 だからこそ2期12話で花丸とルビィは善子に「感謝」を告げるのだと思うのです。

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善子自身は半ば半信半疑に感じている「見えない力」。

でもそれは善子が無自覚なところで明確に作用している。

こうして善子の信じる「全てに意味がある」という考え方が、繋がり、結実していく。

2期の物語とは、津島善子にとっての大きな「救いの物語」だと思えるのです。

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ということで、津島善子編でした。

やはり僕は善子結構好きだよなぁ...と改めて思ってしまいました。

特典曲「in this unstable world」も楽しみ!!

 

次回はサンシャイン!!における最大のブラックホール渡辺曜編。

どうまとめたものか、今から頭を悩ませていますが頑張ります。。

今回もご一読頂きありがとうございました!