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~優しい「断絶」~ラブライブ!サンシャイン!!2期ハイライト 第21話(2期8話)「HAKODATE」

皆様こんにちは、こんばんは。

今回も私の「妄想」をお届けします。

 

さて、今回はサンシャインでは久々となる前後編(1期7話8話以来?)。本来は9話も含めてオーガナイズするのが正しいのかもしれませんが、この8話だけでも様々な情報が含まれており、非常に興味深い内容でしたので、8話のみで記事を構成してみようと思います。

とはいえ、今回も物語の全容を掴むことは難しいので、全体を追うというよりも、概要をメインに気になるポイントに触れていくスタイルで参ります。

また、今回の記事内容が9話においてひっくり返される可能性は十分にございます。そこは含みおきくださると幸いです。

しつこいようですが、本記事は私の「妄想」です。決して「正解」ではございませんので、ご了承願います(笑)。

それでは参りましょう。#8「HAKODATE」です。

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■「ラブライブ!」ならではの「物語構造」

今回の物語の構造を読み解くうえで、まず最初に頭に入れておきたいのが、「今回の主役が誰なのか」という点です。

ラブライブ!」では、これまでも回によって「主役」が入れ替わり、その「主役」をメインに据えた「物語」が描かれてきました。

度々「ラブライブ!」を巡る不満点として語られがちなのは「回によってキャラクターが死んでしまう(活躍しないの意)こと」なのですが、これはあくまでも「キャラクターのために物語を紡ぐ」のではなく、「物語のためにキャラクターが存在する」という「アニメ版ラブライブ!」ならではのバランス感覚に要因があります。

とはいえ、このバランス構造自体に「アニメ版ラブライブ!」という作品の「魅力そのもの」も凝縮されており、ここを根拠に作品としての「良し悪し」を語るのは難しいところでもあります。要はここが合わない方は「アニメ版ラブライブ!」自体を受け付けられないと思うくらいで。もう「好き嫌い」のレベルになってしてしまうポイントでもあるわけです。

今回「黒澤ルビィ」がメインの登場人物であるにも関わらず、親友であるところの「国木田花丸」がその感情の機微にまったく「無頓着」であることが、突っ込みどころとしてよく指摘されているようです。

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ただし、ここにも「物語のためにキャラクターが存在している」というバランス感覚が背景にあるのです。

今回の物語を描くうえで、ルビィの物語に花丸が絡んでいってしまうと、かえってその要素が「伝えたい物語を描く」上での「邪魔な要素=ノイズ」になりかねない。だからこそ花丸を今回は「本線には絡ませていかない」。そこには物語をよりスムーズに進行させ、テーマを散漫にさせないための「アニメ版ラブライブ!」ならではの工夫を感じるのです。

とはいえ物語そのものを全面的に「軽く」するために、花丸をコメディリリーフとして起用するのまでは、いささかやりすぎなのかもしれませんが。

「物語のためにキャラクターが存在している」即ち「物語の持つテーマを伝えるためにその時にあったキャラクターを起用する」のが「ラブライブ!」だとすれば、今回黒澤ルビィと共に「主役」としての任を与えられた人物にも、それ相応の「理由」があっての「起用」であることが理解できます。

ルビィと共に物語の主軸に立つのは、鹿角理亞

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彼女が今回の物語において、どのような「役割」を背負って登場しているのか。それに関する私の考え方は後述することといたしましょう。


■空白を描く

本選出場を目指すSaint snow。そんな彼女達のおひざ元である「北海道地区予選」のゲストとしてお呼ばれしたAqours。彼女達と写真を撮りたがる予選出場者が現れるように、今や拡大化した「ラブライブ!」においては「本選出場」自体が一種の「ステータス」と化していることが伺えます。

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反面この事実が伝えるのは「敗者には何も与えられない」という事。この残酷なまでに現実的なシステムを直接的でなく視聴者に伝えることで、「敗北」の持つ「重み」や「痛み」も伝えようとする。このシーンにはそんな意図も感じます。

Saint snowの楽屋に挨拶に向かうAqours。出迎えた聖良は自信に満ち溢れています。

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Aqoursと雌雄を決する場所は本選」。そう言って憚らない聖良。反面その大きな自信が我々視聴者の心を揺さぶります。

「果たして大丈夫なのか」「何か起きてしまうのではないか」

悪い予感であってほしいと願った瞬間、それは現実のものに。

ブツリと途絶える場面。直後映し出される予選突破者の名前。そこにSaint snowの名前はありません。

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千歌や曜のモノローグで語られる「事件のあらまし」。挨拶に向かった楽屋に、既にSaint snowの姿はありません。

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自信に満ち溢れた聖良が、ほんの数時間前まで座っていた場所。しかしそこに彼女達はいない。

「何が起きたのかを描かないこと」「不在であること」といった「空白」を敢えて描写することは、起きた出来事を「直接的」に描くよりも、より強烈な「印象」を視聴者に与えることがあります。事件の「空白」。楽屋の「空白」。それらを見ることで、我々はその「空白」を想像力によって埋めようとする。その行為がより強烈な「空白の持つ残酷性」を脳内で強調させる。実に良く出来たシーン構成でした。

※それ故、後々Saint snowの「失敗シーン」を「見せてしまう」ことが蛇足に感じられましたが。恐らくそこを見せないことで起きる「クレーム」を考慮してなのでしょうが、少しもったいなかったですね。


■合わせ鏡の二人

予選開始前から落ち着かない理亞の様子を見て、何かを感じ取った様子だったルビィ。

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ルビィが理亞に不思議なシンパシーを感じる理由は、誰しも分かること。それは二人が「とても良く似た存在だから」にほかありません。

「性格」こそ違えど、「髪型」「姉を慕っている」「姉と共にスクールアイドルをしている」という形式上の共通点が多い二人。そして二人が決定的に「同じ」である要素は「姉と自分とをつなぎとめる要素」として「スクールアイドルを見ている」という部分でしょうか。

ルビィも理亞も「何故スクールアイドルを好きになったのか」に関しての動機が語られたことがありません。ですので想像に過ぎないのですが、その根底には「姉の影響」というものが色濃くあるように思えます。

ルビィが元々は姉ダイヤと共に「スクールアイドルの真似事」をしていたのは、1期4話で語られた通り。

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また初期Aqours結成時においては、活動開始に向けて率先して動いていたのはダイヤと果南だったように、

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元々はダイヤこそが「スクールアイドル好き」であったことは、ハッキリと描かれていること。とすると、ルビィの「スクールアイドル好き」も彼女の影響故なのでは?というのは容易に想像ができます。

理亞に関しては根拠自体が無いため、想像すら難しいのですが、ここで重要になってくるのはルビィと理亞に共通している「姉を病的なまでに崇拝している」という要素ではないでしょうか。

物語終盤繰り広げられる「姉自慢合戦」。お互いが譲り合うことなく続く「私の姉が凄い」合戦は、一種の微笑ましいシーンでもあるのですが(笑)。

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いかに肉親とはいえここまで姉を「崇拝できる」二人は、少し「普通ではない」のかもしれません。

そしてこの過剰なまでの「崇拝」からは、同時に「追いつく、並び立つことの出来ない存在」への「畏怖」のような感情も感じてしまうのです。

「大好き」で「尊敬」している対象に「置いていかれる」感覚というのはどのようなものなのか、私には計り知れません。ただ、すぐ隣にいる人が「自分とは違う世界の住人になってしまう」ような感覚が恐ろしいものであることは、なんとなく想像できます。

ルビィにとってのダイヤ、理亞にとっての聖良はもしかしたら、そんな存在なのかもしれません。自分にとっての「崇拝する」対象故に、並び立てない「ジレンマ」も抱えている。

ただしそれを「フラットにする」方法がある。それが「スクールアイドル」です。実生活において自分から必然的に「遠く離れて行ってしまう」存在を、自分と同じ「土俵」に繋ぎとめておくことが出来る「舞台」。「スクールアイドル」には、そういった利用価値もあるのです。

二人がその「利用価値」を知った上で「スクールアイドル」をやっているとまでは思いません。二人とも「スクールアイドル」そのものに「価値」を感じている。しかし、無意識に「スクールアイドル」が持つそういった「機能性」を「利用」している部分もある。故に二人は「スクールアイドル活動に執着するのでは?」と考えられるわけです。「スクールアイドル」である限り、彼女達は「姉と並び立っていられる」のですから。

反面それ故に、二人は「スクールアイドル活動」が「終わってしまう」ことに同じような「恐怖感」を覚えているのでは?とも理解できるのです。

今回予選で敗退してしまったことによって「姉と共に活動する」という意味においての「スクールアイドル活動」が「終了」してしまった理亞。ルビィがその姿を見てショックを受けるのは、自分にもやがて訪れる「終わり」を「実感」してしまったからではないでしょうか。

ルビィが語った理亞の心境。「お姉ちゃんと一緒に出来ないのなら、やる意味がない」。そこには彼女達にしかわからない複雑な感情が渦巻いているのです。

とはいえ、果たして「スクールアイドル」というのは、そのようなある種の「後ろ向きな満足感」を充足させるためのツールであるべきなのか。

もっと「未来」に向けて、有効な存在なのではないか。そういった気づきを似た者同士の二人が、お互いを「補完」しながら得ていく。今回の物語にはそんなテーマが隠されているように思えるのです。

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■函館という場所~夢の行く末~

これまでも北海道のスクールアイドルであることが語られてきたSaint snow。しかし彼女達の地元が函館であることは今回初めて明らかになった情報でした。

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Aqoursが偶然立ち寄った古風なお茶屋さん。そこを営んでいたのが、なんと鹿角姉妹というご都合主義的展開ではありましたが(笑)。

聖良は、「将来姉妹二人でこのお店を経営していくことが夢」だと語ります。

その言葉に「そうなんだ」と敏感に反応するのはルビィ。彼女は「スクールアイドルでなくなった」としても「姉との関係が継続されていく理亞」に明確に「嫉妬心」を抱いているようです。

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一見可愛らしく、慎ましやかで平凡な聖良の「夢」。

梨子が絶賛するように、美しい街で、ゆっくりと人生を送るのも、悪くない選択のように思えます。

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ただし、「函館」という舞台設定を考慮した場合、それはなかなかに難しい「夢」であるように思えてもきます。

Saint snowを訪ねるべきAqoursが立ち寄った彼女達の「母校」。そのモデルとなった函館西高校は、平成29年に「統廃合」が決定している学校でもあります。

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また「函館市」は平成26年4月1日を以て、「全市域」が「過疎地域」として指定された市でもあります。

 函館市は,「過疎地域自立促進特別措置法」の規定により過疎地域の指定を受けていた戸井町,恵山町椴法華村南茅部町の4町村と平成16年12月1日に合併し,合併後も引き続き過疎地域とみなされる旧4町村地域の振興発展に努めてきましたが,平成26年4月1日に「過疎地域自立促進特別措置法の一部を改正する法律」が施行され,旧函館市域を含めた全市域が過疎地域に指定されました。

函館市過疎地域自立促進市町村計画(平成28年度~平成32年度)関連 | 函館市

 過疎とは...

人口が急激かつ大幅に減少したため、地域社会の機能が低下し、住民が一定の生活水準を維持することが困難になった状態をいう。

即ち、このままではやがて「誰も住まない地域になってしまう」ことを確定づけられている場所でもあるわけです。

そんな地域で、姉妹二人が慎ましやかな喫茶店を経営しながら暮らしていくことは、果たして現実的なのか。

一見ルビィが羨ましがる鹿角姉妹の「夢」ですが、背景にはとんでもない「難しさ」と「厳しさ」が潜んでいる。

そして少なくとも理亞は、そんな現実を実感としては「感じ取っている」。だからこそ「スクールアイドル」として「姉と過ごす時間」を大事に思っているのでは?とも思えてくるのです。

鹿角姉妹の本拠地として、敢えて札幌などではなく「函館」という地域を選んだのには、そんな視点をこちらにも共有させるためなのかな?と思えるわけです。


■優しい「断絶」

理亞の気持ちを代弁するうちに「自分のこと」を話していることに気付いてしまったルビィ。いつもの如くその場所から逃げ出してしまいます。

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海辺で黄昏るルビィ。そんな彼女に声をかけるのは、やはり姉のダイヤです。

理亞と自分とを近づけることで「終わり」とそれが持つ「意味」を実感してしまったルビィ。その思いをダイヤに直接ぶつけます。

「あんなにスクールアイドルを目指していたのに、もう終わっちゃうなんて」

そんなルビィの感情的で真っ直ぐな言葉を「私は満足していますわ」とドッシリと受け止めるダイヤ。しかしそんな物わかりの良い言葉を言いながら、スカートの裾を握りしめる。行動と言葉にどことなくギャップを感じさせるダイヤ。

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彼女がどんな「感情」を抱いているのか。それは我々には分かりません。あらゆる「自己矛盾」を抱えながら、それでも「見据えた未来」に対して、「真っ直ぐに進んでしまうことを選んでしまう」ダイヤ。そんなダイヤの「性質」は2期4話においていよいよ明らかになったわけですが、ダイヤはその「性質」を2期4話では「肯定」されてしまいました。それゆえにこの後にも恐らくダイヤ自信のそういった「性質」自体は「変化していかない」と思われます。

今回もルビィの言葉に感情を揺さぶられながらも、「感情には決して左右されない」ダイヤ。自分自身が自分自身の「立ち位置」において紡ぐべき言葉を、妹であるルビィにも語りかけようとするのです。

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「果南さんと鞠莉さん。2年生や1年生の皆さん。そしてなによりルビィと一緒にスクールアイドルをやることが出来た」

「それでラブライブの決勝です。アキバドームです。夢のようですわ...。」

それは濁ること無き、ダイヤにとっての真実の声。でももしかしたらそれはルビィが聴きたい「答え」ではないのかもしれません。

「でも、ルビィはお姉ちゃんともっと歌いたい...。」

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ルビィの願いはもっと単純で、ある種幼稚なもの。お姉ちゃんともっと「一緒にいたい」。それだけです。

「ルビィを...置いていかないで。」

シンプルで純粋な願い。それは常に「姉に置いていかれてしまう」ことを恐れ続けた彼女の必死の「嘆願」。流石のダイヤも、この言葉には感情が揺れそうになる。でもすぐに持ち直す。

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「大きくなりましたわね。」

「それに一段と美人になりました。」

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ダイヤの言葉に「そんなこと...」と返すルビィ。それに続く言葉は何だったのか。謙遜でしょうか。いえ、恐らくは「そんなこと言わないで」なのではないでしょうか。

ダイヤの言葉は、ルビィの「願い」に対する明確な「拒絶」です。

自分をいつまでも「妹」でいさせてほしい。ずっと一緒にいてほしい。そんな思いをこめての「置いてかないで」。しかし、ダイヤはルビィが「成長」したことを、しっかりとした言葉で伝える。

「大きくなった」「美人になった」。

それはルビィが「一人の女性」として「自立していくこと」を認めると同時に、ルビィに対して「自立すること」を「求める」行為でもあるのです。

1人の「個の女性」としての存在価値を認めるが故に、自分の庇護から「可愛くて仕方ないはず」の「妹」を「切り離していく」。とても胸が苦しくなるような「断絶」ですが、反面そこには「深い愛情」が背景にある。

一見すると「厳しい断絶」が描かれたシーンながら、そうではない「愛情」だけを感じ取れるのは、原点にある「愛情」がしっかりと描写されているからこそ。この「優しい断絶」にこそ、2期8話のキモがあるのだと思います。


■「独立」すること。

ルビィとダイヤの会話から千歌と曜の会話へと切り替わるシーン。

なぜ千歌がピックアップされたのかと言えば、彼女が黒澤姉妹以外のAqoursメンバーでは唯一の「姉持ち」のキャラクターだからでしょう。

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黒澤姉妹とは少し関係性の異なる高海姉妹。

母親が不在の事が多い高海家では、少し歳の離れた長女の志満が母親代わり。故に千歌にとって「姉」として実感できる存在は、歳の近い美渡なのでしょうか。

曜の「お姉ちゃんってどうなの」という問いに「良く分からない」と答える千歌。

千歌にとっての姉は、ルビィにとってのダイヤとは少し違う存在。「尊敬」や「畏怖」とは違って「安心感」を与えてくれる存在です。

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とはいえそれはとても「自然」な受け止め方なのかもしれません。いかに「姉」とはいえ、結局は「他人」である。しかし「他人」とはいえ「家族」としての「絆」は、どのような状況にあっても、どれだけ遠く離れても「消えない」もの。

千歌の言葉は、「姉」という物に対する「別の概念」を気付かせるために存在しているようにも思えます。

「姉」というよりも「家族」として捉える。そうすることで、より「消えない絆」を実感できる。千歌はもしかしたら、ルビィや理亞よりも早く「独立」出来ている人なのかもしれません。

千歌の言葉から再びダイヤの言葉へと物語は戻り...。

ダイヤがルビィに関して「嬉しく感じたこと」。それは「ルビィが自分なりの判断を以て、自分の夢へと足を進めた瞬間」。即ち1期4話での出来事のことでした。

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それまでは「姉が嫌がるから」と「スクールアイドルをやりたい」という夢を封じ込めていたルビィ。そんな彼女が初めて「姉」に対して、一人の「人間」として立ち向かったあの日。確かにルビィにとって、大きな一歩でもありましたが、それはダイヤにとっても大きな印象を与える一歩だったのです。

そしてダイヤからその「事実」を「嬉しかった」と伝えられることで、ルビィもまた一歩、歩みを進めることが出来る。

仮に自分と姉とが物理的に離れて行ったとしても、姉は自分のことをいつでも「見ていてくれる」。そしてその「成長」を「喜んでくれる」。だとすれば、自分が姉から離れ「独立」していくことこそが、大好きな姉に報いる一番の「方法」なのではないか。

そんな「気づき」を伝えるために、ルビィは理亞のもとに足を運ぶのです。


■「終わり」の先へ

「スクールアイドル」でなくなった瞬間に「終わってしまう」と思っていた「自分と姉との関係性」。しかし、「姉」はそうは思っていない。もっと深い「家族の愛情」で「自分自身を見つめてくれている」。

「自分の力無しで、妹が何かを成し遂げたら嬉しい」「自分から離れても、一人でも何かを叶えてくれたら嬉しい」

「終わり」と思っていたものの「先」にあるものに気付いたルビィ。

そしてこれまでは「姉と自分とを結びつける」といういわば「過去」の為に存在していた「スクールアイドル」や「歌」という要素を、その先にある「未来」のためのツールとして使おうと視点転換をしはじめたルビィ。

それだけでも大きな「成長」を感じさせるシーンです。

 また、その「未来」を、自分にとっての「合わせ鏡」である理亞と一緒に「作ろう」とするということ。

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それは、似た者同士でありながら、違う立ち位置にいる二人が、同じ「未来」を見つめて一緒に行動していくということです。

これはどこか2期5話「犬を拾う。」とも近い性質を持った物語とも思えます。

そういった意味では、この「違う立ち位置や方法でも、同じ目標にたどり着く方法がある」というような「多様性の許容」みたいなものが、「サンシャイン!!」2期では、裏テーマとして存在しているのかしら?とも思えてきますね。

さて、果たして彼女達の「気づき」の形とは、どのようなものなのか。そしてそこからどんなインプレッションを得るのか。それは次回のお楽しみですね♪

 

というわけで2期8話「HAKODATE」でした。前後編だから、コンパクトに纏まって良かったです。

来週はヨハネと花丸も活躍するのでしょうか。楽しみです!