こんにちは。そしてこんばんは。
今回も「ラブライブ」の考察a・k・a妄想をお送りして参ります。
さて、今回は2期...というかラブライブ全体を通しても個人的な思い入れが強い回。星空凛が主役となる#5「新しいわたし」をお届けします。
これまでそれほどスポットライトが当たってこなかった凛というキャラクター。そんな彼女が抱えるトラウマとそれに起因して発生する「カセ」。それを乗り越えることで手に入れる揺るぎない一つの「答え」。
とても感動的なエピソードであると同時に、「ラブライブ」という作品そのもののテーマにも強く関係している回でもあります。
またこのエピソードは続く#6「ハッピーハロウィーン」やラブライブ!サンシャイン!!における4話「ふたりのキモチ」や5話「ヨハネ堕天」とも通ずるテーマを内包しています。
そんなわけでシンプルに、それでいてこの回の持つ重要性をしっかりと伝えられるように頑張って書いていければと思います。よろしくお願いしますm(__)m
■#5あらすじ
2年生たちが修学旅行へと出かけるなか、不在となった生徒会業務を手伝うことになった旧生徒会長と旧副会長である絵里と希。実質的に1年生3名と部長であるにこの4人で練習を進めていくことになったスクールアイドル部。将来を見据えた上で1年生のうちの誰かが仮リーダーとしてμ'sを引っ張ることに。そこで抜擢されたのは凛。周囲も凛ならばいつもの調子で軽く受け入れるだろう...と思っていたが、当の本人は乗り気ではない様子。そこには凛がμ'sへ加入する以前から抱えている「トラウマ」に要因があるようだが...。
■#5の主要登場人物
・星空凛
今回のヒロイン。いわゆる「ボーイッシュ」な「元気キャラ」として認識されていた彼女。しかしその表向きのキャラクターとは違う一面を抱えていたことが明らかに。実は1期からチラチラと張られていた伏線が、いよいよ一気に回収される。それと同時に、「星空凛」というキャラクターの深さをファンだけでなく、演じる飯田里穂すらも理解するキッカケとなった回でもある。
・小泉花陽
少女マンガ的に言えば、今回のヒーロー(?)。幼少期からの凛を良く知る人物というだけでなく、お互いに「かけがえのない親友である」という強い絆で結ばれる二人。いつもはことさらに自己主張することのない彼女が発した「強い主張」。それが凛を救う一言にもなる。
凛と花陽がピックアップされがちな今回だが、ひっそりとそれでいて的確に凛の真意をつかみ行動に移していた真姫。「りんぱな」だけでなく「まきりんぱな」の絆も健在。
今回は修学旅行中なので出番薄。とはいえ穂乃果の成長も感じる登場シーンに。意図して出しゃばらず、凛のこと・これからの「μ's」のことを見据えて「センター決定」の判断を花陽に託す。仲間を信頼できるようになったのは、穂乃果が1期から成長している証。
■「リーダー」の「不在」
修学旅行で不在となる2年生3人。本来は生徒会組でもある彼女たちが不在となることで、そのフォローをすることになる旧生徒会勢(絵里・希)。...ということで稼働できるメンバーは部長のにこと1年生3人のみ...という状況。メンバー不在時でもラブライブに向けて練習は続けなくてはいけない。そんな中「暫定のリーダー」を決めることに。
(雨は停滞の予感。それと同時に雨模様の天気...というのも物理的に重要な伏線として機能することに。)
協議の結果選ばれたのは凛。まさかの抜擢に驚きの表情。
今回、「問題解決能力を持った」「リーダー」が「不在状態」となるのは、意図的なシナリオ構成に思えます。
注)にこも「リーダー的な素質」を持った人物ではありますが、それは「アイドルに関わる事柄」に関する時のみ。こと「一般的な問題」の解決能力に乏しいにこ。今回も終盤まで凛が抱える「悩み」や「問題」には気づく様子はありませんでした。
「問題解決能力」のある「リーダー」を舞台上から省いた要因は、「残されたメンバー=1年生」が中心となって課題を解決していく物語を描きたかったからなのでしょう。その理由がどこにあるのか...に関しては後述することといたします。
■凛が抱える「カセ」
暫定リーダー就任の申し出に、頑として首を縦に振らない凛。絵里の説得で最終的には了承するものの、本質的には了解していない様子でもあります。
凛が「リーダー職」を受けたがらない要因として、「自己評価の低さ」があります。「自分はアイドルに向いていない」「女の子っぽくない自分がアイドルをやっていること自体がおかしい」と考えている凛。故に「グループ内で目立つセンターを兼任することになるリーダーは出来ない」というのが凛の理屈。
凛がなぜここまで「卑屈」になってしまっているのか...。その原因は1期の時点でも明かされていた通り。過去の「トラウマ」が原因です。
幼少期には持前の運動神経の良さも相まって「男の子」のような風貌で、「男の子たちと遊ぶ」機会も多かったであろう凛。しかし本来は「女の子らしい服装」を好む彼女。ある日勇気を持って「スカートを履いて」登校します。
彼女なりの勇気を振り絞っての「自己改革」。しかしその「勇気」は男子陣の冷やかしの対象となってしまいます。「いつもは男みたいなのに今日はスカート履いてる!」
人生最初の「自己改革」への決断と、その動機となる「勇気」を全否定された凛。この一件は「トラウマ」となり、その後も彼女の「カセ」となって纏わりつくようになってしまうのです。
「目立つ事」を極力嫌うのも、「自分らしくないことをして目立った結果」「謂われのない誹謗中傷を受けた」ことが原因となっているように思えます。
その後は「変革」することを恐れ、「周囲が認識する・期待する自分」であり続けることに注力した凛。
結果として「ショートカット」・「元気」・「男の子っぽい服装」という要素が「凛を形作るもの」になりました。もちろん、これら全てが「外付け」の「凛のステータス」では無いでしょう。しかしそれが本来の「凛」にどこまで「近いステータス」なのか...と問われれば、その答えを知っているのはほかでもない「凛」自身しかいません。そしてやはりそこには目に見えない「歪み」が明確に生まれている。今は小さな「歪み」でも、やがて大きくなった時、どれほどのダメージを凛に与えるか分からない「歪み」。凛が抱える「カセ」とは思った以上に「深刻」な、「病」の温床となるような、重大な意味を持つものなのです。
では、凛が抱えるこの「カセ」をどのようにクリアしていくのか...というのが今回の物語の主軸となるポイントですね。
■「なりたい自分」
台風の影響で沖縄から東京に戻れなくなった2年生陣。これにより本来は9人で出演する予定だった「ファッションショーでのライブ」に6人で出演することになるμ's。そしてなし崩しではありますが、仮リーダーを務める凛がセンターポジションに着くことに。
更に衣装は「女の子にとっての最大の憧れとなる衣装」=「ウェディングドレス」風の衣装。
仮リーダーの役割はあくまでも「穂乃果たちが戻ってくるまで練習を率先して見る役割」と考えていた凛。ただでさえ「目立ちたくない」にも関わらず、なし崩しでセンターへと抜擢された事。さらに「女の子らしい衣装は自分には似合わない!」と主張することで、断固としてセンターで踊る事を拒否します。
この抗議は確かに一理あるかも...と理解を見せる絵里と希。凛はここぞとばかりに代役として花陽を推薦。センター職から逃れます。
ほっとした様子をみせる凛。しかし花陽と真姫はその瞳の奥にある「真実」を、敏感に察知します。
本来であれば「女の子らしい服装」を好む凛。そのことを知っている花陽は、その「女の子らしさ」の極地にある「ウェディングドレス風衣装」を凛が「着たがらない」という事実に違和感を感じています。
真姫は凛の「欲求」自体を完璧には理解はしていないのかもしれません。しかし普段密に凛と接する中で、彼女のもつ「本質」を2年生や3年生よりもはっきりと理解しています。それ故に凛の「異変」にもいち早く気づいたのではないでしょうか。
そして恐らく花陽の予想通り、凛はこの「ウェディングドレス風衣装」に強く惹かれていたはずです。しかし、その「欲求」を自ら手放す。そこにはどんな理由があるのでしょうか。
衣装を目の当たりにした凛は、意図せず「自分自身が本来欲求する自分=ウェデイングドレス風衣装を着た自分」を脳内で想像したはずです。その結果「自らの本質」と「仮初めの自分」との「乖離」にも真っ向から向き合うことになってしまったのではないでしょうか。そしてその「乖離」に耐えられなくなったからこそ、衣装の前から「逃亡」したのではないか...と考えられます。
「乖離」を「直視」する事から逃れた凛。あくまでも「仮初めの自分」を守ることに注力します。「本来の欲求」から離れたその行動。その一見理解できない行動の元には、「傷付きたくない」という「自己防衛本能」があるのでは?と理解できます。「本来の自分」よりも「仮初めの自分」を優先する選択基準。そこにはかなり「歪」な精神構造が見え隠れします。
とはいえ凛の振る舞いは一件「自然」そのもの。故に3年生3人は彼女の異変に気付くことが出来ません。しかし凛の状態は決して「健全」とはいえないもの。となれば、「異変」に気付いた1年生二人が、その状態を「健全化」するために動く必要が出てきます。
それはすなわち「凛自身」に「本来の欲求=本来の自分」を「承認してもらうこと」です。
■かけがえのない人・そして他者からの「承認」と自己の「解放」
凛の異変に関して、穂乃果に相談する花陽。「穂乃果ちゃんならどうする?」と質問します。穂乃果は一瞬答えようとするも、すぐに考えを改め...
「それは花陽ちゃんが決めることだよ」とアドバイスを送ります。今回の問題に関して、自分が意見を述べたところでそれは完璧な解答にはならない。凛を最も知る花陽だけが正解を持っているはず。それを理解しているからこそできるアドバイスでもありますね。
とはいえ、このシーン。今まで何にでも首を突っ込みがちだった穂乃果という人物の成長と同時に、メンバーへの信頼の深さを感じるという、非常に良いシーンでした。
ライブ当日。リーダーとして指示を送る凛。そんな凛にメンバーが送るサプライズプレゼント。それはセンターポジションへの復帰と、「ウェディングドレス風衣装」でした。
メンバーから「凛が一番似合う」「本当に女の子らしいのは凛」と今回のセンター選出に関しての理由を述べられてもなお、その立場を固辞する凛。そんな凛の頑なな心を溶かせるのは、やはり親友たる花陽の「言葉」だけです。
自らを「アイドルに向いていない」「可愛くない」と評価する凛へ真っ直ぐに贈られる花陽の激賞。
「凛ちゃんは可愛いよ!」
「私が可愛いと思ってるもん!」
「抱きしめちゃいたい!って思う位可愛いって思ってるもん!」
普段はことさら自分の「主張」を告げない花陽。だからこそ、そんな彼女の「主張」には強い言霊と説得力が宿ります。そしてその意味を凛も理解しているからこそ、彼女の心も花陽の言葉によって「動かされる」のです。
花陽が以前に「自己主張」をしたのは1度きり。それはμ's加入時の「主張」です。あの時、どうしても「あと一歩」が踏み出せなかった花陽の背中を押してくれたのは真姫であり、凛でした。だからこそ、今度は自分の「主張」で凛の「背中を押したい」。
これまでの物語を綺麗に「伏線」として回収し、反映させる。その意味合いを視聴者が理解できるからこそ、より深い感動を誘う。シリーズ作品ならではの美しい演出ですね。
そしてその意味合いを理解しているのは、作中の凛も同じ。真姫と花陽が具体的に「背中を押す」ことで、ようやく自分の殻を破るきっかけを得た凛。遂に憧れの「ウェデイングドレス風衣装」を着て、センターとして舞台に立つことになります。
緊張の面持ちで舞台に上がる凛。久々に「他者」から「自分を評価」されることになります。しかし凛に浴びせられたのは誹謗中傷ではなく、賞賛の言葉。「可愛い!」「お人形さんみたい!」との声をかけられ照れる凛。そして緊張していた面持ちは、やがて自信溢れる表情へと変化していきます。
こうして他者から「受け入れられる」ことによって、本格的に自らを縛り付けていた「カセ」から解放された凛。これまでは決して言えなかった「一番可愛い私たちを観て行ってください!」という言葉すら発せられるようになるのです。そこには以前と「見た目」は変わらないものの、内面において大きな「変革」を遂げた一人の少女の姿があるのです。
■「今」のままで「新しい自分」に変わること
ファッションショーの大成功による「成功体験」を得たことで、凛もまた「大きく変化」することができました。彼女は「自分の思う自分でいること」をようやく「自己承認」できるようになります。
「自分の思う自分でいて良い」のならば、これまで買うだけで外には着て行けなかったワンピースを着てお出かけしたって良い。
「自分らしくないから」という理由で忌避していた「可愛い練習着」を着たって良い。
「トラウマ」を抱え「傷付くことを恐れる」あまり、自分自身に押し付けていた「仮初めの自分」。そこから自分自身を解放し、結果としてようやく真の「星空凛」としてのアイデンティティを手にすることが出来た凛。
1期OPテーマ「僕らは今の中で」の歌詞では、「僕らは今の中で~」なにを「待っていたのか」が歌詞の最後でようやく明らかになる仕掛けが施されています。
それは「輝き」。そこには「今」を「肯定する」ことが出来れば、誰しもが「今いる場所」で秘めていた「輝き」を放つことが出来る。そんなラブライブが持つ思想が表現されています。
凛は「自分自身」を「肯定する」ことで、「今のまま」「輝き」を放つことが出来るようになりました。
主題歌たる「僕らは今の中で」の世界観を、はっきりと視覚化した今回。
そしてこの回で提案された「価値観」は、この後物語上で繰り返し提案されていくものになっていきます。その記念すべき初回となった#5。故にこの回は「ラブライブという作品」を語るうえでも「重要な回」なのではないかな?と感じるのです。
■「性自認」に関する目配せ
ここからは余談ですが。
この回を見て感じるのはやはり「LGBT」特に「性自認」という話題に関する目配せです。今回の主役である凛は「女性キャラ」であり、彼女が憧れるのは「可愛い女の子」です。ただし、その前提として彼女が「外的圧力」によって「本来の自分ではない自分=男性的な自分」を「演じさせられていた」という事実があります。
そして彼女が信頼する支援者の助けを借りて「自己改革(一種のカミングアウト)」を行うことで、結果として「本当の自分」を「公け」にし、それを自分自身が「肯定」できるようになる...という物語は、非常に現代社会に対するメタ的な物語だなぁと思えるのです。
この置き換えはラブライブ!サンシャイン!!の「ヨハネ堕天」でもリブートして行われていることを考えると恐らく意図的なものと思われます。
こういった話題を積極的に物語の文脈へと、しかもわざとらしくなく組み込む所が、この作品が「只者ではない」証拠なのでは?と思う所以なのです。もちろん原点たるGleeの影響も多分にあるんでしょうけども。
...というわけで#5でした。
ちょっと分かり辛いポイントなどは都度更新していくようにいたします。
さて、次回は2期屈指のギャグ回...と見せかけて実は2期においてめちゃくちゃ大事な回である「ハッピーハロウィーン」です。
実はテーマとしてこの#5と「全く同じ」だったりするのに、一見それが分からないように作られている不思議な回なので、こちらもしっかりとやっていきたいと思います。
今回も長々と駄文をお読み頂きありがとうございました!!