こんばんは。
今後独り言みたいな散文はこの「無駄話」カテゴリーで更新して行こうと思います。
さて、おかげ様で前回更新記事が大変多くの皆様にお読み頂けているようです。ありがとうございます!ただ反面ここまでの反響を頂くとは露とも思わず、乱文のまま掲載してしまい恥ずかしい。。。とはいえ初期衝動を残すため文章自体は今後も変えませんが、誤字脱字に関しては訂正していこうと思います。読み苦しくてスミマセン。これからもお見苦しい記事ばかりとは思いますが、頑張って読みやすい文章を書けるように精進いたします。何卒よろしくお願いいたします<(_ _)>
ライブの感想は「いつかまとめて」とか思ってたんですが、思い出はどんどん風化していってしまうので、こういった散文で思いついたものから書いていくのが良い気がしてきました。
そこで今回は「キャストに関して」。
というよりも「キャストとその役に関して」という方が正確かもしれませんね。全員についてそれぞれコメントしたいのですが、それだと冗長になってしまうので、今回は一人だけ。「高海千歌」と「伊波杏樹さん」です。
...その前に。ちょっと長くなりますが、前置きを。
プロジェクトとしての「ラブライブ!」は、「無印」も「サンシャイン!!」も9人の女の子が「主人公」として登場する物語です。その中で"特別扱いされるべく作られたキャラクター"はいません。全員が「主人公である」という立場を貫いています。
しかし、いざ「アニメ」という「物語」を紡いでいく場合には、誰かを「メインキャスト」に据える必要があります。「三国志」や「戦国モノ」のような「群像劇」であれば、それぞれの登場人物を主人公として据え、物語を展開していくことも出来ますが、「アイドル」しかも「グループ」を題材にした作品の作劇としては向かない印象があります。
もちろん様々な表現の仕方はあるとは思いますが、こと「ストーリー」を通して「1つのテーマを伝えようとする」「ラブライブ!」では選択され辛い方式です。
故に「ラブライブ」ではこれまでも、一人のキャラクターに「メインキャスト」としての役割を委ね、物語を紡いでいく手法を採用しました。
前作で「メインキャスト」としての役割を託されたのは高坂穂乃果。
「学校の廃校」という「危機」を防ぐため彼女が始めたのは「スクールアイドル」。地元=秋葉原の新興学校「UTX高校」の人気が「スクールアイドル・A-RISE」の人気によって急上昇していることを知った穂乃果。「スクールアイドル」として「人気者」になり、「学校に人を集める」ため、活動を開始します。
「希望」と「夢」を「スクールアイドル」に見出した穂乃果は猪突猛進。目標に向かって突き進んでいきます。一度目標を見据えた彼女を止められる存在はいません。そしてそんな彼女の凄まじい求心力とパワーは、同じように「希望」や「夢」を抱えながら、それを「上手く表現できない」少女たちの「思い」を呼び覚まします。そしてスクールアイドル「μ's」が誕生します。
穂乃果はリーダーとしては「俺の背中についてこい!」タイプ。自分から理想に向かってドンドン突き進み、その先で仲間たちに「早くおいでよー♪」と呼びかける感じです。μ'sのメンバーはそんな穂乃果の求心力に引っ張られる形で、高みに向かって突き進んでいきます。
しかしμ'sは穂乃果が「倒れてしまう」と急速に求心力を失い、真価を発揮できなくなってしまいます(1期11話)。更に穂乃果が「スクールアイドルを辞める」と告げれば、まとまりも失ってしまい、バラバラになりかけてしまいます(1期12話)。
穂乃果が「停止する」ことで止まってしまうμ'sは、穂乃果の「再始動」に合わせて復活します(1期13話)。穂乃果の再始動のきっかけを与えるのは幼馴染の海未ですが、彼女は穂乃果に「猪突猛進に突き進む」「穂乃果らしさを取り戻す」ように要請し、それによって穂乃果は復活を果たすのです。
1期11話での反省を踏まえ、2期での穂乃果は「任せるべきところ」では人にゆだねたり、「仲間を頼ったり」出来るようになります。例えば沖縄旅行中、ファッションショーで誰をセンターにするべきか花陽に聞かれた際には、その選択を花陽にゆだねます(2期5話)。2期9話では、吹雪の中立ちすくんだところをことりと海未の言葉に支えられ足を進め、ゴールで待っていた絵里へ迷わず道中の不安を吐き出します。仲間への信頼を糧に人間的な成長を果たした穂乃果。しかしその本質自体に変化はありません。
2期でも穂乃果の「行こう!」「やろう!」という言葉がμ'sの決定的な動機になっていることに変わりはありません。また「迷いが生まれた局面」ではメンバーは必ず穂乃果の判断を仰ぎます(劇場版ラブライブなどなど)。穂乃果が「絶対的なカリスマ」によってチームを統率するリーダーである、という点は徹頭徹尾変わらないわけです。
さて、前置きが長くなりましたが、ここからが高海千歌のお話。
既に様々な方が「千歌の魅力」として語っているように、彼女の魅力は「普通」であること。この辺り当ブログ キャラクター考察=高海千歌編でも触れた通りです。
彼女は「穂乃果」に憧れ、「穂乃果になりたい!」と思ってスクールアイドルを始めた「普通星人」です。故に彼女は穂乃果のような天賦のカリスマ性は持ち合わせていません。あるのは「スクールアイドル」と「μ's」への真摯な憧れだけ。そしてその「憧れ」を糧に突き進んでいくのが「Aqoursの物語」の前半戦です。
とはいえ千歌は自分を「普通星人」を自称するだけあって、周りの「普通な」仲間への目配り・気配りを忘れません。誰かが困っていたら、その人の横に立って「どうしたの?」「何が辛いの?」と聞き、一緒に悩みを解決するまで次には行こうとしないタイプです。そんな千歌のパーソナリティは「皆で一緒に進む」「Aqoursのあり方」に繋がっていきます。そしてそれはAqoursがμ'sと「決定的に異なるポイント」でもあります。
さてではそんな千歌を演じる伊波杏樹さんのお話。
何人かのブロガー様も書かれていた印象と僕も同じで、伊波さんに対してのファーストインプレッションは決して良いものではありませんでした。それは「彼女が頑張っていないから」ではなくて、むしろその逆「彼女が頑張りすぎていたこと」に問題がありました。
MCでは常に先頭を切って喋り始めてはうまくまとまらず空回りしたり、周りのざわざわを納めようと必死になったり、彼女は「高海千歌になろう」とするよりも、「リーダーとしての責務」を務めようとすることに必死でした。またダンスにおいてもそれは同じで、「君のこころは輝いてるかい?」における梨子との大サビ前の決めポーズでは、必死ゆえに「ドヤ顔」を決めてしまうことに。そこには伊波杏樹はいても「高海千歌」はいませんでした。
もちろん様々な意見があるのは重々承知のうえですが、「ラブライブ!」プロジェクトのキモは、画面の中の「キャラクターたち」と、舞台に立つ「中の人たち」の「境界線」が極めて「曖昧になること」だと思います。僕らは3次元のライブを見ながら、キャラクターを演じる彼女たちを通して、「ラブライブ」の世界に埋没していく。その体験を楽しむ。そんな中でだんだんと「中の人たち」が逆に「キャラクター」へも影響を与えるようになり、「キャラクターと中の人の境界線」が「曖昧」になってくる。そんな感覚が、このプロジェクトにしか無い面白みなのでは?と僕は感じているのです。
初期の伊波さんには、それを表現する余裕がありませんでした。だからこそ「不安」を感じてしまったのです。
しかしTVアニメ全13話を終えたことで、伊波さんにも変化が起きていました。
「ラブライブ!サンシャイン!!」での「メインキャスト」は高海千歌。普通の彼女が、普通の仲間と手に手を取り合って「自分たちだけの新世界」を目指す物語。その物語を紡ぐなかで伊波さんも千歌というキャラクターと深く向き合ったはずで、その体験が伊波さんを「千歌」へと近づけていったように思えるのです。
「Aqours 1stLoveLive」での伊波さんは、何度も「千歌」本人に見える瞬間がありました。それは楽曲の最中だけでなく、MCの時にすら感じるほど。今までよりもよっぽど大きな舞台に立っているにも関わらず、「肩の力」を抜いて、ライブそのものが「楽しくて仕方ない」という雰囲気はまさしく「千歌」のようでした。
進行においてもこれまでのように「私がなんとかしなきゃ!」という気おいから解放され、自然体でこなせていました。自分が喋らなくてもいい、と感じた際には一歩引いてメンバーのことを笑顔で見つめている。そんな姿はアニメの中の千歌そのものです。
それは「想いよひとつになれ」のアクシデントの際にも同じ。
パニックに陥る逢田さんに近寄り、真っ先に「大丈夫だから」と励ます姿は、千歌そのもの。これまでの伊波さんだったらもしかしたら客席の混乱を抑えようと考えてしまったかもしれません。でも今は真っ先に仲間のことを気遣える。「皆で一緒に進むために、一度立ち止まる」ことが出来る。それは彼女が「千歌」そのものになっていたからだと思うのです。
「Aqours 1stLoveLive」本編ラストの曲は「君のこころは輝いてるかい?」。
そこにはこれまでとは違う、笑顔の千歌本人がいました。
「太陽みたいに輝く笑顔で、みんなにハッピーを届けるよ♪」と自己紹介する千歌ですが、この日のライブをハッピーにした要因の一つは、伊波さんの輝く笑顔だったのではと思えるのです。
そしてその笑顔が「皆で一緒に進む」というAqoursのあり方を、このLIVEでも表現できた勝因なのではないかなと思えて仕方ありません。