キャラクター編もこちらで完結。(番外編があるかもしれませんが)
最後はみんなの妹「ゅびぃ」ちゃんです。
■黒澤ルビィ
「”弱すぎる意志”の中に眠る”絶対的なアイドルへの才能”とそれを呼び起こすもの」
自己紹介CDの時には、「ぅゆ...」とか「おねぇたゃん...」とか「ゅ..ゅびぃね...」とか「がんばりまひゅ!」みたいなやたらと舌たらずな喋り方が印象的だったゅびぃたゃん。
しかし、いざアニメが始まるとどんどんその印象が薄まり、むしろ「ピギャー!」を中心とした「怪音発生装置」としての印象が強くなっていきました。
また元々の設定としてあった「姉がちょっぴり苦手」だったり、「犬が苦手」だったり、「運動神経はそれほどよろしくない」だったりという、いわゆる「弱点」にあたる設定はついぞ消え失せ、結果として「ちょっぴり薄めな味付け」のキャラクターになってしまったことも否めません(とはいえ元々ラブライブのキャラにしては濃いめの味付けという印象はあったので、これはこれで丁度よい塩梅になったのかもしれませんが)。
これまた「アニメ化」にあたっての「キャラクター整理」の一環なんでしょうが、ルビィに関しては、「本人の持つカルマを、自らの意志で断ちきる」というテーマを先鋭化させるにあたって有効でした。
ルビィというキャラクターは元々ちょっと独特なキャラクターです。
アイドルに憧れながら、極度の人見知り。
更に自分の意志を発言することが出来ず、姉であるダイヤをほとんど崇拝するように信仰しています。
そんな人物に更に「弱点」を付与させていくと、キャラクターとして非常に扱いづらくなってしまうわけです。
更に「課題」を抱えた少女たちが、「課題」を克服することで「自分を愛せるようになる」ことが「ラブライブ」のメインテーマであるとするならば、ルビィの場合にはその「課題」があまりにも多くなってしまう...という問題もあります。
全13話という限られた尺の中で、一人のキャラクターに割ける時間は決して多くありません。
その中でいかにして「ルビィの葛藤と成長」を描くか。
その問題への回答が「最低限の弱点だけを残す」というキャラクターリライトだったのでしょう。
アニメでは、ルビィの持つ課題は「意志薄弱であること」と「姉への依存」という2点に集約され、この課題を親友である花丸が「能動的に」動くことをきっかけに克服していく、という物語が描かれました。
「ルビィの価値を最も理解する」花丸と共に「スクールアイドルになる」ことで、己を縛っていた「カセ」を取り払ったルビィは、その「真価」を徐々に発揮していきます。
Aqoursメンバーと共に、初めての「階段登り」に挑んだルビィは、運動神経抜群な曜ですら苦戦したそれを問題なくクリアしていきます。
一人置いてけぼりになってしまった花丸を気遣い、戻ってくる余裕まで見せるわけですが、花丸はその気遣いをはねのけます。
「相手のことを思いやり、共感する」力は、その人の持つ「優しさ」を現す要素でもありますが、ルビィに関してはそれが”過剰”過ぎました。
故に「姉のこと」を気にしたり、「友人」のことを気にしたりし過ぎて、「自分」を「ないがしろ」にしてしまっていたのです。
花丸の檄によっていよいよ「自分の殻」を破ることに成功したルビィは、その身体能力を鮮やかに発揮させ、一人ゴールへと駆け上っていきます。
ここでもしも「実は運動神経が苦手」という設定が残ってしまっていたら、「ルビィが本来持っている能力の高さ」を描写する足枷になってしまうところでした。
そういった面でも「キャラクターのリライト」は機能しているように感じます。
花丸のおかげで自らの「殻」を破ったルビィは、今まで一度も逆らわなかったであろうダイヤにも、はっきりと自分の意志を伝えます。
結果としてルビィの「スクールアイドル活動」を認めることになったダイヤ。
鞠莉に「良かったわね。願いが叶って」と言われながら、その表情は窺い知れません。
しかし、恐らく喜びの表情を浮かべていたはずです。
そのルビィの変化は、ダイヤも望んでいたもの。
ようやく「自分が愛してやまない妹」が「自分という壁」を突き破ってくれたのですから。