Love Live!Aftertalk!

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ラブライブ!サンシャイン ハイライト 第13話「サンシャイン!」

「私たちがゼロから作り上げたものってなんだろう」

「形の無いものを追いかけて」

「迷って 怖くて 泣いて」

「そんなゼロから逃げ出したいって」

「でも 何も無いはずなのに いつも心に灯る光」

「この9人でしかできないことが必ずあるって 信じさせてくれる光」

「私たちAqoursは そこから生まれたんだ」

 

....Aqoursの物語もこの第13話をもって、ひとまず「終焉」となります。

そんな「ラブライブ!サンシャイン」の最終回として設定されたこの13話は、

各所で賛否両論を呼ぶ内容となりました。

今回この考察も、どのように結ぶか。

書き始めの今も悩んでいるような状態なのですがw

ともあれ「ラブライブ!サンシャイン!!」を愛し、語ってきた一個人として、その思いを綴らせていただければと思います。

それでは参りましょう。13話「サンシャイン!!」です。

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■はじめに

個人的には、12話をもってサンシャインは「第一部:完」となっているように思います。

それだけ12話が非常によく出来た回だともいえます。

とすれば、この13話は「ボーナストラック」ないしは、「第2部へのブリッジ」的な扱いになると思います。

どうしても「最終回」と考えると、消化不良なポイントも出てきてしまうと思うのですが、この考察ではあくまでも「ボーナストラック」としてこの13話を考察してみようと思います。

■「水」越しの「太陽」

物語冒頭。

屋上で練習を続けるAqours

季節はすっかり夏真っ盛り。

冷房施設の無い貧乏学校な浦の星では、室内で練習するよりも、よっぽど屋上が恵まれた環境のようです。

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とはいえ、地区予選決勝突破を目指しての厳しい練習。

この環境はやや過酷に映ります。

しかし、メンバーの表情は晴れやか。

前回、これまで抱えてきたカセを乗り越え、自分たちの「スローガン」を手に入れたことで、明確に「一歩踏み出した」Aqoursは充実一途。

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割と最強と呼べる状態です。

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「私、夏好きだな。なんか、熱くなれる」

そうひとりごちる千歌は、梨子から受け取った飲料水越しに太陽を見つめます。

前回劇場版考察でお話した通り、太陽=サンシャインは「希望」を象徴するもの。

これまで何度か太陽を「掴もう」とするも、掴めずにいた千歌。

しかし今は太陽を無理に「掴もう」とはしません。

その代わり、水を通して、太陽を見つめます。

水=Aqours(自分たち)を通すことで、より太陽を身近に感じ、その「熱」をも愛せるようになった千歌。

今は「自分たちのやり方」で、「希望」を手中に収めようとしています。

このちょっとした描写から、そんな千歌の変化を感じ取れる、良いシーンだなぁと感じました。

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すぐさま練習を再開しようとする千歌を制す、ダイヤ。

「オーバーワークは禁物!」

この助言は「No brand Girls」披露において、穂乃果が犯した「失敗」を知るダイヤだからこその助言でしょう。

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 「μ's」の辿った道。

その中で起きた「失敗」を「糧」として、自分たちにフィードバックする姿勢。

それはまさしく「正しいフォロワー」としての姿勢です。

またこういった「μ'sのフォロワー」としての姿勢の強調は、

「どう足掻いてもμ'sからは逃れられない」「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品において、彼女達が示したある種の「開き直り」に近い結論にも強く関係していきます。

■0を1にする方法。

練習を続けつつも気になるのは、浦の星の入学希望者動向。

Aqoursが地域予選を突破することで、少しは注目度も増しているはずですが...

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希望者は0のまま。

もはやAqoursが大会で活躍することでしか、学校をアピールする方法を見いだせない状況にも関わらず結果は芳しくありません。

彼女達が「スクールアイドル」である以上、その活動の基盤となるのは「学校」です。

その「学校」が無くなってしまっては、「スクールアイドル」としての活動も継続できません。

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果たしてどうすれば良いのか。

千歌たちに新たな「カセ」が立ちはだかります。

...前作「ラブライブ!」では、いわば「デウスエクスマキナ」的な作劇で「サクッと」解決してしまった感もある「廃校問題」。

前作で「サクッと」解決させた理由は、あくまでも「廃校問題」がマクガフィンに過ぎず、「本当のテーマ」が「別にあったから」というのは、以前の考察で書かせていただいた通り。

しかしμ'sとは違い、「0を1にする」というテーマを自らに課すAqoursにとっては、この問題を適当に解決させるわけにはいきません。

「アイドルとして人気が出る」ことと「学校の入学希望者が増える」ことは、現実的に考えて単純に=(イコール)とはなり得ません。

もっと他に「この学校に入りたい!」と思わせる理由が必要なはず。

しかし以前「PVを作ろう!」の回で、Aqoursは自らの学校のアピールに失敗しています。

それは彼女達自身が「自らの学校」ならび「自らの地域」の良さを把握しきれていなかったから。

結果的に「夢で夜空を照らしたい」のPVに、彼女達自身の「気づき」を加えることで、感動的な視覚的表現を作り上げる事に成功しましたが、そのPVを見ただけでは、内浦の魅力を感じるには「十分」ではありません。

相手に「想いを伝える」ためには、もっと分かりやすく「伝えようとする」意志が必要なのです。

OPテーマ「青空Jumpin Heart」の

「Open Mind 伝えなきゃ 伝わらない」

という歌詞。

これは作品内でも何度となく描かれたテーマです。

曜と千歌、ルビィとダイヤ、ルビィと花丸、善子と他メンバー、鞠莉とダイヤと果南。

彼女たちは「相手に自分の気持ちをしっかりと伝える」ということを怠った結果、ギクシャクしてしまいました。

それを改めてしっかりと行うことで、再構築され、強固になる「人間関係」。

それがAqoursのドラマの主軸となってきました。

だからこそ、ここでも「Aqoursの気持ち」を、しっかりと他者へ「伝える」努力を、改めて行う必要があるはずです。

この意図が終盤の「ミュージカルシーン」へと繋がっていくわけですが、それは後程触れることにしましょう。

また、「廃校問題」に関して。

前作ではそれほどピックアップしなかったこの問題を、作劇上重要視するのは、

やがてこの問題が「物語全体」に関わるものとしてピックアップされるからでしょう。

原作となるG'sマガジンの連載では、既に浦の星は「廃校が決定した」状態にある、という設定もあるそうなので、2期以降はそこに焦点が当たるのかもしれません。

 

 ■「通過儀礼」としての「母親」

本考察ではたびたび「通過儀礼」という概念のお話をしてきました。

詳しくは10話11話考察をご一読頂ければ、と思いますが

7話で梨子が「音乃木坂に行けなかった」理由。

それは梨子がピアノコンクールでの「失敗」を克服できていないから。

その失敗の要因となった「海に還るもの」を弾けるようになり、「ピアノコンクール」そのものを克服できない限り、梨子は「次のステップ」に進めません。

それはこの一連の事柄そのものが、梨子にとっての「通過儀礼」となっているからです。

島田裕巳先生の名著

「映画は父を殺すためにあるー通過儀礼という見方」では、

”名作と呼ばれる映画のほとんどで、主人公は「父(あるいはそれに準ずるもの)を殺し、成長を果たす」というシーンがある。即ちそれは成長するための「通過儀礼」である(要約)” と書かれています。

この「父」というのは便宜上の表現で、実際には「父親」でなくてもかまいません。

自分の「道筋」ひいては「可能性」を阻害する存在(映画骨法でいう「カセ=枷」)を示し、これを「越えるか」「越えられないか」で「映画作品」としての物語に変化が出てくるわけです。

ただし「ラブライブ!」が「娯楽作品」として作劇されている以上、こういった「カセ」は「越えなくてはならないもの」となってきます。

そのため、梨子もまた自らの「カセ」である「海に還るもの」そして「ピアノコンクール」ひいては「音乃木坂」を「クリア」していかねばならないわけですね。

ラブライブ!サンシャイン ハイライト 第10話「シャイ煮はじめました」&第11話「友情ヨーソロー」 - Love Live!Aftertalk

これまでも(上記の通り)梨子や、Aqours全体で何回か「通過儀礼」をクリアし、その度に成長してきました。

そして今回「通過儀礼」のクリアに挑むのは、主人公の千歌です。

彼女が「飽きっぽい性格」で「今まで様々なことに中途半端に熱中し、辞めてきたこと」は、二人の姉や曜の証言から伝えられてきました。

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そんな千歌が、「過去の自分」から決別するために越えなければならない最後の壁として登場するのが「母親」です。

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(貴様のような母親(CV釘宮さん)がいるか!!!!という野暮な突っ込みは置いておいて)

旅館(というか民宿?)を経営していて、母親は東京に出張?というちょっとよく分からない家庭環境の高海家でがありますが...。

ほとんどディストピア社会のごとく「男性」が登場しない「ラブライブ世界線」においては、この「母親」こそが越えなければならない「父親代わり」としての存在。

千歌はこの「母親」に、自分の成長を見せ、これまでの「高海千歌」の評価を更新し、「新しい自分」を示す必要があります。

それは「ラブライブ!」というシリーズが「ハリウッド的な作劇」に乗っ取って作られているからです。

「物語を通じて、登場人物が成長する」というのは、「ハリウッド的な作劇」での王道。

とってつけたように登場した高海母ですが、全ては「千歌の成長を描くための装置」として機能しているわけです。

もちろん、毎度の「母親ボイスは大物!」というファンサービスも込みですけども。

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 ■13話中、唯一のノイズとは。

図書室で思い悩む千歌たちに来訪者が。

それはよしみ、いつき、むつの3人。

偶然この日、図書室に本を返しに来たのでした。

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前作の「神モブ」ひでこ、ふみこ、みか(123)に倣って、シ・ゴ・ロ(456)と名付けられた3人。

しかし、前作の3名に比べれば活躍の回数はそれほど多くありません。

Aqoursのファーストライブ成立に貢献するも、その後は「夢で夜空を照らしたい」のPV作りに関わったり、東京に行ったAqoursを送り迎えしたくらいで、それほどAqoursの活動に関わっているわけではありません。

彼女達は「Aqoursの活動を支援する」というよりも「友人である千歌が頑張っているので応援している友達」というスタンスで、そこがヒフミの3人との違いなのかもしれません。

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地区予選決勝に向けて千歌たちが「毎日練習していた」ことに驚きを隠せない456の3人。

心のどこかで「廃校は仕方ない」と諦めていた彼女たちにとって、それを「本気で覆そう」とし、努力を怠らない千歌は「輝いて」見えます。

そんな千歌が無意識に発した「輝き」が、彼女達の心にも火を灯します。

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夕方遅くまで練習していたAqoursを気遣ってか、練習終わりに声をかける3人。

彼女達は「自分たちも一緒にスクールアイドルをできないか?」と提案します。

「自分たち以外にも、学校のためになにかできないかと考えている子が結構いる」

「皆で学校のために何かできないか?」と。

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曜と二人ではじめた当初、誰にも相手にされなかった「スクールアイドル」部。

しかし、それは千歌に「明確な目標が無かったから」でもあります。

「自分が輝きたい」から。

「μ'sみたいになりたい」から。

そんな理由で始めたスクールアイドルには、周囲は興味を感じてくれませんでした。

しかし、今の千歌には「学校を廃校から救いたい」という明確な目標があります。

「0を1にしたい」という目標込みの願いではありますが、その「想い」は同校の生徒である456の3人も同じ目線で共有できる「目標」です。

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Aqoursメンバー以外に、明確に自分たちの活動への「賛同」を表してくれた生徒はこの3人が始めて。

いわばこの一連の会話も、千歌が目標とする「0から1」が叶った瞬間でもあるわけです。

故に千歌の中にその想いを拒否する、という選択肢はあり得ません。

快諾する千歌。

しかし、なんとなく梨子は不安な表情を浮かべます。

 

...予選当日、集合場所に集まったのは、456の3人だけでなく、なんと浦の星の全校生徒でした。

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しかし、ここで梨子から残念なお知らせが...。

それは「歌えるのは事前にエントリーしたメンバーのみ」という「大会規約」。

結果として集まった全校生徒は、客席から応援することしかできなくなります。

 

...さて、13話で課題になるのは、ここを発端とする一連のストーリーラインです。

私自身13話への不満はほとんどありませんが、唯一この構成には疑問を抱かざるを得ませんでした。

問題となるのは、「ストーリー」ではなく、あくまでも「構成」です。

この「大会規約」をわざわざ全校生徒が集まった段階で梨子に伝えさせることで、どうしても梨子への印象が悪くなってしまいます。

もっと早く調べて、伝えることが出来たはずだから、と視聴者は考えるからです。

また、せっかく「歌うつもり」でわざわざ現地に集まった全校生徒も「可哀そう」に見えてしまいます。

素人考えで大変恐縮ですが(恐らくこの程度のリライトは製作者が考えているはずですが)...

例えば、初めにに456の3人が「参加」を表明した段階で、梨子は「不安そうな表情」を浮かべているのだから、その時点で「大会規約」を梨子か、或いは「大会規約」に詳しそうなメンバー(ダイヤや鞠莉)に告げさせても良かったはず。

敢えてこの構成にした意図としては、プールのシーンから連なる千歌と梨子の会話に登場する「0を1にする方法」という会話を引き出すため。

このテーマをわざわざ「分かりやすく」千歌に話させたのは、13話のテーマがそこにあるから、でしょう。

とはいえ、わざわざこの会話シーンを用意しなくとも、今回のテーマ自体は把握できるようなシナリオ作りが出来ているように思えますし、バランスを崩してまで入れるべき会話だったのか?と考えると疑問が残ります。

色々と試行錯誤したうえでの落としどころだったことは理解はできるのですが、どうしてもこの構成だけは「ノイズ」になってしまっているように感じてなりませんでした。

  

■なぜむっちゃんは「Aqours」になれないのか。

「私たちもスクールアイドルになれないかな?」というむつの思いは、「大会規約」の前にあえなく頓挫してしまいました。

作劇、という面で考えれば当然「大会規約」など取ってつけた理由。

では、そこにはどんな意図があるのか。

あえて説明するまでも無い気もしていますが、一応考察してみましょう。

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それまで友人である「千歌を応援する」以上には、Aqoursとは関わってこなかったむつ達。

そんな彼女たちが「スクールアイドル」に興味を持ったのは、千歌自身が「スクールアイドル活動」を全力で楽しみ、「キラキラ輝いている」ことを感じたから。

また、それに付随して彼女たちが真剣に「スクールアイドル活動によって学校の廃校を阻止しよう」と考えていることを知ったからでもあります。

しかし反面、むつ達が「Aqours」に対して持っている認識や知識は「それだけ」ともいえます。

これまでAqoursが経験してきた「苦しみ」・「悲しみ」、そして「もがき」。

その葛藤や戦いの末に手にした「気づき」。

それによって、ようやく「Aqours」としての「アイデンティティ」を手にした事実を、その過程を、彼女たちは知りません。

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実はこれは最初に「スクールアイドルをはじめよう」と思い立った時の千歌と同じ状況です。

千歌はアキバで偶然見かけた「μ's」の輝きに魅了され、「彼女達のようにキラキラしたい」という一念から「スクールアイドル活動」を思いつきました。

しかしそれは「μ's」の「一面」だけをみつめた「憧れ」に過ぎませんでした。

「μ'sと同じように活動すれば、μ's(のよう)になれるはず」。

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そう無邪気に信じた千歌。

しかしそんな彼女に、「人気投票」での「得票0」という非情な結果が突きつけられます。

あの日を境に、千歌にとっての「スクールアイドル活動」におけるテーマが生まれました。

「なぜ自分たちは0票だったのか」

「どうすれば0を1にできるのか」

「0を1にしたい!」

いつしかそれは千歌だけでなく「Aqours」というグループのテーマへも変化していきます。

その答えを求め、迷い、自問自答し、

その探究のなかでやっと「μ'sがなぜ輝けたのか」、その真理に気づくことができました。

Aqours」が今ようやく「自ら輝ける」ようになったのは、その一連の苦悩があったからこそ、なわけです。

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この「苦悩」は結果としてAqoursを「スクールアイドル」として「独り立ち」させるに至りました。

「μ'sになりたかった」千歌は、逆に「μ'sから離れる」ことで「自分のなりたかったもの=自らキラキラ輝くもの」になる、第一歩を踏み出せたのです。

またAqoursが「Aqoursとしてのアイデンティティ」を手に入れることができたのは、「同じ痛み」を「テーマ」として共有し、その課題克服に向けて9人全員で努力してきたからでもあります。

だからこそ、Aqoursには残念ながらむつ達が加入する余地はありません。

これは「彼女達(千歌たち)の物語」だからです。

しかし、むつ達は「スクールアイドルになれない」わけではありません。

千歌がμ'sとの出会いをきっかけにAqoursを生み出したように、今度はむつ達がAqoursとの出会いをきっかけに「新たなスクールアイドル」を作ればよいのです。

「誰かに憧れてその人になろうとする」のではなく、「自らが光を放つ存在になる」。

それはまさに、穂乃果が後身に託した想いであり、千歌が受け取った願いでもあります。

その思いは最後の楽曲「MIRAI TICKT」、そしてラストの千歌のモノローグへと引き継がれていきます。

■今こそが「リアル」

いよいよ東海地区予選。

ここを勝ち抜けば、憧れの「ラブライブ!本選」へとコマを進めることになります。

まさしく「正念場」。

嫌が応にも緊張感は高まります。

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学年毎に大会への想いを確認しあうメンバー。

その中でも1年生のやりとりが印象的でした。

自分たちが今いる場所に対しての現実感の無さと、それ故の「不安」を隠せない花丸とルビィ。

そんな二人を鼓舞するのは、なんと善子。

「今こそがリアル、リアルこそ正義」

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メンバー中最も「リアル」から逃げ続けてきた善子が発するからこそ、この言葉には重みが宿ります。

しかし善子自身、そんな言葉を言えるようになったのは、「ヨハネ」というもう一人の「自分」もひっくるめて「認めてくれた」仲間がいたからこそ。

だからこそ善子は「ありがとね」と、感謝をルビィと花丸に告げるわけです。

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またその感謝は、

一度は「Aqoursから逃げた自分」を、諦めずに追いかけてくれた仲間に対しての感謝の言葉でもあります。

彼女たちがいてくれたからこそ、「今というリアルがある」。

善子の言葉に、「黄昏の理解者ずら」と「ヨハネ流」で返す花丸。

このシーンに込められた複数の要素は、非常に感動的でした。

 

■始めたい「My Story

いよいよ始まるAqoursの出番。

そこで千歌が語るのは、自分の住む地域のこと。

そして自分の学校のこと。

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13話において不満点に上がることの多いこのプロット。

確かに当初は面食らいましたがw

何故ここで改めて「今までのストーリー」を振り返る意味があったのか。

ここではその意図を考察してみましょう。

 まず、千歌個人にとっては「通過儀礼」を終える...という意図があります。

今までどれだけ悔しいことがあっても笑ってごまかし、「途中で辞めてしまうこと」で自分を守ろうとする「弱い子」だったはずの千歌。

そんな彼女が初めて「悔しさ」を露わにし、それでもその事実に「負けずに進む」と決めた瞬間を見たのは、「Aqoursのメンバー」と「我々視聴者」だけです。

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舞台上で再現される「くやしくないの?」での1シーン。

その意図は我々に見せるためではなく、千歌が「カセ」を乗り越える瞬間を現場にいなかった母親にも「体験させる」ためです。

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千歌と母親との関係は分かりませんが、千歌はこの一連の「再現行動」によって、明確に「母親超え」を成し遂げ、成長を果たしました。

ラブライブ!サンシャイン!!」は第1話から千歌、という「自称普通星人」な少女の葛藤と成長に焦点を当ててきた物語でもあります。

そんな彼女が「普通星人」と名乗ることで、自らに課していた「限界」という名の「カセ」を脱することも、本作品での大事なポイントなのです。

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また、ここまで何度か書かせていただいた通り、Aqoursは「自分たちの物語」を作中で「全く語らず」にここまで来ました。

反面それは、これまでAqoursには「語るべき物語」が無かったから、とも捉えられます。

「μ'sに憧れ、μ'sを追いかけて始めたスクールアイドル」。

そこには大義名分もなければ、Saint snowのような「向上心」もありませんでした。

「憧れ」と「気持ち」だけ。

しかし、そんな「ある種不純な動機」で始めたからこそ、Aqoursは躓き、挫折してきました。

今、その経験が彼女達を強くし、同時に「彼女達だけの物語」を生み出したのです。

確かにこれまで物語を追いかけてきた我々(視聴者)にとっては「全て知っている話」ではあります。

「退屈」であることは否めないかもしれません。

しかし、画面の中の世界の人たちにとっては、「初めて聞く物語」なのです。

「0を1にしたい」

そう願うAqoursにとっては、「自分たちの気持ち」と「自分たちの現状」を知ってもらうために「自分たちの物語」を語る必要があるのです。

それは「伝えなきゃ 伝わらない」情報だからです。

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また、「自分たちの物語」を語る事ができるようになったからこそ、彼女達はいよいよ「Aqours」としてのスタートラインに立つことができたともいえます。

「はじめたい!My Story」と願っていた彼女たちが、

その「My Story」を遂に語ることが出来るようになった今こそ、

「見たことない夢の軌道」を「追いかける」「航海」を始める事ができるのです。

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■やっと手にした「未来チケット」

いよいよグランドフィナーレ。

「輝くこと」の意味を理解したAqoursが披露する楽曲は「MIRAI TICKET」です。

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「ヒカリになろう 未来を照らしたい 輝きはこころから 溢れ出すよ」

そんな力強いフレーズでスタートするこの楽曲は、「SUNNY DAY SONG」へのアンサーソングとして作られているように思えます。

ちょっと変則的ですが、この項ではそんな「MIRAI TICKET」を分解してみましょう。

 

ラブライブ!サンシャイン!!」が「劇場版ラブライブ!」の強い影響下のもと作劇されているのは、前回の「劇場版ラブライブ考察」で触れた通り。

特に主題歌である「SUNNY DAY SONG」の歌詞は、その世界観にも強く影響を与えています

SUNNY DAY SONG」の歌詞には「輝きになろう」というフレーズがあります。

自ら「輝きになろう」などと言ってしまうような「全能感」と、それに伴い湧き上がってくる途方の無い「希望」。

それを肯定するのが「SUNNY DAY SONG」でした。

とはいえ「SUNNY DAY SONG」では「輝きになろう」に続いて「なんて言える そんな気分を分け合えば」と照れ隠しが入ります。

しかし「MIRAI TICKET」では「ヒカリになろう」と更に明確に自らを鼓舞します。

「青い空 笑ってる(何がしたい?)」とある通り、その意思を確認するのは「青い空」。

青空に必須なもの、それは「太陽」です。

SUNNY DAY SONG」はその名の通り「太陽が出ている日=晴れの日の歌」。

すなわち、この曲を作詞している人の耳にはハッキリと「晴れの日の歌=SUNNY DAY SONG」が流れているわけです。

この歌詞の仕掛けから、同曲が「SUNNY DAY SONG」のアンサーソングであることがより明快になると思います。

 そして「ヒカリになろう」に続く歌詞は「未来を照らしたい」。

これは明確に、この曲が「SUNNY DAY SONG」の意志を引き継いだものであることを示しています。

何故なら「SUNNY DAY SONG」とは、μ'sが自分たちの後継となる「スクールアイドルたち」の為に作った、「スクールアイドルのアンセム」だからです。

そこに込められた願いは「SUNNY DAY SONG」自体が「希望」となり「何年・何十年先」にも残ることで、仮に皆が「μ'sやA-RISEを忘れてしまったとしても」楽曲そのものが意志を受け継ぎ「今後のスクールアイドル全体」を照らし続けること。

即ち「未来を照らすこと」だったわけです。

ことほどさように「MIRAI TICKET」は「SUNNY DAY SONG」のテーマを引き継ぎ、作られている楽曲なのです。

だからこそ、この曲は聞いた人に「変化」を促します。

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「輝きはこころから 溢れ出す」

Aqours」の物語を知ったことで、むつの心にも「Aqoursへの憧れ」とは別の、ポジティブな感情が溢れだします。

「自ら輝こうとする意志」を得た彼女は、居てもたってもいられず駆け出します。

そのどうしようもない気持ちは制御のできないもの。

そして、その気持ちは周りの人々にも伝播していきます。

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むつ達が今後どのような活動をしていくのか、現時点では分かりません。

ただし「SUNNY DAY SONG」の意志を継いだ「MIRAITICKET」が、正しく同曲のメッセージを伝えたことで、「情熱は伝播」されていきました。

同時に入学説明会の希望者も「0から1」に。

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Aqoursの発したメッセージが「正しく伝播」され、遂に目に見える「結果」として現れました。

それは彼女達の「メッセージ」が、初めてはっきりと結果を出した証明でもあります。

その結果を以てAqours自身も「未来へ進む」ことが出来るようになりました。

それは彼女達自身が求め続けた「結果」だからです。

「やっと手にした未来チケット」とは、「0を1にした」証明でもあるのです。

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■「君のこころは輝いてるかい?

千歌が会場内から見つけた「輝き」。

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それはAqoursのパフォーマンスによって生まれた「新たな希望」を象徴するものでしょう。

そのことに気付いたからこそ、千歌は瞳を潤ませ宣言します。

「みんな輝こう!」と。

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「私たちがゼロから作り上げたものってなんだろう」

「形の無いものを追いかけて」

「迷って 怖くて 泣いて」

「そんなゼロから逃げ出したいって」

「でも 何も無いはずなのに いつも心に灯る光」

「この9人でしかできないことが必ずあるって 信じさせてくれる光」

「私たちAqoursは そこから生まれたんだ」

 

千歌がエンディングで投げかけるメッセージ。

実際Aqoursが「ゼロから作ったもの」とは何なのでしょうか。

「スクールアイドル」も、その「人気」も、彼女達の登場以前から存在したものです。

楽曲やメッセージはオリジナル?

でもそこにはμ'sやA-RISEや、その他様々なアーティストの影響があるはずです。

要するに彼女たちが「ゼロから作ったもの」というのは、ほとんど「無い」わけです。

しかし、そんな彼女達にも、絶対的な「オリジナル要素」が存在します。

それは「彼女達自身」です。

世界中に「一人しかいない」「自分」という個性。

そしてその個性X9人が揃った「Aqours」というユニットは、他の何者でも無い、彼女達だけにしか作れない「ユニット」です。

そしてそんな彼女達が「紡ぐ物語」もまた、「誰にも真似できない」「彼女達だけの物語」。

それは間違いなく「Aqours」にしか作れないものでしょう。

また、この千歌のラストメッセージは「自分には何もない」と思っている、全ての人へのメッセージでもあります。

「自分にはなにもない」と嘆き、悲しむ人の心にも、何故か「胸に灯る光」があるはず。

何も始めずに諦めてしまう前に、「まずはやってみればいいじゃない?」と。

その「光」が消えないうちは、何度だって挑戦できるはずだ、と。

だからこそこのメッセージは、

「叶えてみせるよ 私たちの物語を」

「この輝きで」

「君のこころは 輝いてるかい?」

 という言葉で結ばれるのです。

 

■おまけのメタ話

ここは本文には加えづらかったので、別枠で。

ちょっとメタ的な話をしましょう。

ラブライブ!サンシャイン!!」は放送開始から(というかプロジェクト開始から)常に「ラブライブ!」と、ひいてはμ'sと比較され続けているプロジェクトです。

視聴者の多くは「ラブライブ!」との思い出を抱えながら、「サンシャイン」を視聴しています。

しかし、「思い出」とは美化されてしまうもの。

しかも約5年間にわたる長期プロジェクトに対し、発足してたった1年の「サンシャイン」が立ち向かうのはあまりにも分が悪い闘いです。

となると、「サンシャイン=Aqours」に必要なのは「私たちは私たち」とある種開き直る事。

確かに「μ's」の人気があって「ラブライブ」があり、「サンシャイン」はその市場にまるまる乗っていることは否定しようのない事実。

しかし、本作が「ラブライブ!」の冠を背負い続ける限り、そこから逃れるのは不可能なのです。

だからどれだけそのプレッシャーが「怖くて」「逃げ出したい」と思ったところで、それは無理。

そのプレッシャーを受け入れたうえで、逃げずに戦うしかないのです。

千歌のラストメッセージは、そんな「中の人たち」の覚悟をしたためたもの、という印象も受けました。

 

....さて、というわけで長々と続いた「サンシャイン考察」もこれで一旦終了となります。

長々とおつきあい頂きありがとうございますm(__)m

正直、なるべく多くの要素に触れようとした結果、少しとっ散らかっている部分も多々あるので、そのあたりはちょこまかと加筆修正すると思います。

あるいは、「この解釈はおかしくね?」とか「ここ触れてないけどどう思う?」などは個別にご質問頂けると嬉しいです。

自分でも把握しきれていないポイントが多分あるはずなので、そのあたりは議論できたら楽しいなと思います。

 

それと今後の更新予定ですが、一回サンシャイン全体の総括を行った後、ラブライブ1期、2期の考察。

あとは「各キャラクター論」とかもやってみようかしら。

或いはちょっと変化球で「ラブライブ好きに見てほしいおすすめ映画」とかも書いてみようかな?と考え中です。

まま、2期開始までは鬼のように時間あるので、色々考えます。。

とりあえずは一旦おつかれさまでございましたー!