Love Live!Aftertalk!

妄想をただ書き連ねる覚書。更新情報等はTwitterにてお知らせしております。

ラブライブ!サンシャイン ハイライト 第12話「はばたきのとき」

おはヨーソロー!(現在午前1時)

もはや土曜日はサンシャインの日だったので、

「サンシャインロス」略して「サロス」に蝕まれている皆様、こんにちは。

「・・・うちもや...。」(関西っぽいイントネーションで脳内変換してください)

 

2期があるとしても恐らく1stLIVE後でしょうからね。。

早くとも来年夏。。

・・・遠いなぁ。。

そんな「サロス」を吹き飛ばすには、他のアニメなど一切見ず「サンシャインを10周くらいする」のが一番!(暴言)

とはいえ8週目くらいで飽きてくる懸念があるので、その際に当blogをキメることで、ちょっとアッパーなテンションで作品を見られること請け合い!

という「ダメ、絶対」系blogがこちらとなっております(ギリギリアウトな文章)。

前回が難産中の難産だったのに比べれば、今回は余裕。

・・・のはず・・・。

このあとには難物13話が待ち構えてますしね(ガクガク)。

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今回も項目毎に参りますね。

 ※注:私の考察はあくまでも「物語の構造を読み解く」類のものなので、読んでカタルシスが得られるタイプの文章ではありません。予めご了承願います。。

 

通過儀礼としての「ピアノコンクール」と「予選突破」、そして新たな通過儀礼としての「音乃木坂」「東京」

前回考察でお話した「通過儀礼」という概念。

7話で梨子が「音ノ木坂に行けなかった」理由。

それは梨子がピアノコンクールでの「失敗」を克服できていないから。

その失敗の要因となった「海に還るもの」を弾けるようになり「ピアノコンクール」そのものを克服できない限り、梨子は「次のステップ」に進めません。

それはこの一連の事柄そのものが、梨子にとっての通過儀礼となっているからです。

島田裕巳先生の名著「映画は父を殺すためにあるー通過儀礼という見方」では、

”名作と呼ばれる映画のほとんどで、主人公は「父(あるいはそれに準ずるもの)を殺し、成長を果たす」というシーンがある。即ちそれは成長するための「通過儀礼」である(要約)”

と書かれています。

 この「父」というのは便宜上の表現で、実際には「父親」でなくてもかまいません。

自分の「道筋」ひいては「可能性」を阻害する存在(映画骨法でいう「カセ=枷」)を示し、これを「越えるか」「越えられないか」で「映画作品」としての物語に変化が出てくるわけです。

ただし「ラブライブ!」が「娯楽作品」として作劇されている以上、こういった「カセ」は「越えなくてはならないもの」となってきます。

そのため、梨子もまた自らの「カセ」である「海に還るもの」そして「ピアノコンクール」ひいては「音乃木坂」を「クリア」していかねばならないわけですね。

ラブライブ!サンシャイン ハイライト 第10話「シャイ煮はじめました」&第11話「友情ヨーソロー」 - Love Live!Aftertalk

 これだけでは少しわかり辛いので、今回はRPGに例えてみましょう。

RPG」はロールプレイングゲームの略称。

RPGはマップを移動しながら敵を倒し、経験値をため、レベルアップしていくことが目的の一つ。

しかし物語を進めるには、レベルを上げるだけではダメで、その途中途中に課せられる課題をクリアしていく必要があります。

その課題はゲームによって様々あるわけですが、なんにせよそれをクリアしない限りは「次に進めない」ように出来ているのが「RPG」です。

ではこれを梨子に応用してみましょう。

梨子は①「自分自身へのプレッシャー」から②「音楽(ピアノ)を楽しめなくなり」結果として

③「ピアノコンクールで1音も弾けずに敗退」というトラウマを抱えました。

梨子の物語をRPGとすれば、梨子が「次の物語」に進むためには、これらの「課題」を一つひとつクリアしていく必要があるわけです。

①を「プレッシャーを与えた要因=音乃木坂」と設定すれば、

①「音ノ木坂」②「音楽(ピアノ)」③「ピアノコンクール」の3つが「梨子にとっての課題=カセ」であることが分かります。

さてこれまでの物語を振り返りつつ当てはめてみると…

まず②に関しては、千歌と共にスクールアイドルを始め、そこで「作曲」をすることで克服することに成功しました。

②を克服することで③「ピアノコンクール」の攻略が可能に。

 ③をクリアする面でカセとなったのは「ラブライブ地区予選」でしたが、これも千歌を筆頭とする仲間の助けを得てクリア。

③を克服した梨子は、「彼女にとっての最後の難関」①「音ノ木坂」に挑むことが可能となりました。

そしてその挑戦が、今回のストーリーで語られる内容となっているわけです。

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ここで面白いのは、①「音ノ木坂」に行く、という目標が「梨子の物語」内での重要なイベントとして存在するだけでなく、Aqoursメンバー」にとっても「重要なイベント」として存在している点。

梨子はあくまでも「元音ノ木坂」の生徒として、「自分を苦しめていた(と思い込んでしまった)」「音ノ木坂」に決着をつけに行く、という文脈がありますが、

Aqoursにとっての「音ノ木坂」は「μ's」の母校です。

「μ's」に憧れ、「μ's」を追いかけて「スクールアイドル」を始めた千歌とAqoursにとっては、「音ノ木坂」という場所は梨子の文脈とは「違う意味」を持つ存在でもあるわけです。

そしてひとつの作品として考えた場合。

ラブライブ!サンシャイン」が「ラブライブ!」の後継作である以上、必ず「クリアせねばならないポイント」。それが「μ's」でもあります。

Aqoursが「μ's」から「何を引き継ぐのか?」

それが12話のメインテーマにもなっているわけです。

 

Aqoursが「グループ」である以上、メンバーの一人である梨子が②、③をクリアしない限りは、「Aqours」も①「音ノ木坂」にたどり着くことが出来ません(これは第7話で実際にシーンとして登場しますね)。

結果として「梨子個人の物語」と思われていたものが、「Aqours全体の物語」として収束していく作りになっているわけですね。

 

さて、「音ノ木坂」をクリアするためには、必ず行かねばならない場所もあります。

それは6人時代のAqoursが屈辱にまみれた場所=「東京」です。

「東京での敗戦」はAqours大きな傷を与えました。

しかし、その反面Aqours大きく成長するきっかけを与えてもくれました。

この敗戦をきっかけとして「9人」となり、成長を果たしたAqoursが、「6人時代に敗れた場所=東京」を克服する。

これも「次の物語」へ行くための「通過儀礼」として設定されているわけです。

つまり「音ノ木坂」をクリアするのと、「東京」をクリアするという「Aqours全体としての通過儀礼」を同時並行的に物語内に収めようとしているんですね。

このあたり非常にロジカルな作りになっていると思いました。

 

■「東京」で待ち受けるもの。SaintSnowとぶつかり合う「イデオロギー」。

予選突破を果たしたものの、学校説明会への応募希望者は「0」。

「学校を廃校から救う」という目標も持つAqoursにとって、「入学希望者を増やす」という課題も切実なものです。

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思い悩む千歌に曜が告げる一言。

「この時期μ'sは学校の廃校を阻止してたんだよね」

(という言葉に、何故か一緒に見た人の多くが「えっ?そうだっけ??」と答えるんですが…何故なのか。。

それ1期のプロットの中でめちゃくちゃ大事なところやねんぞ!!!

・・・・いかん脱線しました。話を元に戻しましょうw)

思い悩む千歌に果南は

「ここは東京じゃないから仕方ない。簡単に人が集まる場所じゃないんだよ」

と語り、慰めます。

しかし、まぁこれもまた真理ですよね。

実際に地方の過疎化は進む一方で、内浦もまさしくその対象地域でしょうし。

ただし千歌は「そんな理由であきらめちゃダメだ」思い直し、案を練ろうと、かき氷を文字通り掻きこみ家路を急ぎます。

このシーンどうしても劇場版「ラブライブ!」での、熱い紅茶を飲み干す穂乃果を思い出します。

あの時穂乃果は「平然」と飲み干し、ツバサを驚愕させましたが…。

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千歌にはやはり反動が。。

こういったどうでもいい描写にも「μ's」との比較が入れ込まれていて、面白いところですね。

 

家で案を練る千歌。

しかし良い案は浮かばず、自ずとμ'sのポスターを見上げます。

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「私たちと同じような普通の子たちが頑張っていると思ってたんだけど、何が違うのかな」。

「μ's」と「Aqours」の違いを知りたい千歌。

「悩んでいてもしょうがない!行ってみよう」

Aqoursを再び「東京」へと誘うことになります。

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7・8話以降、初めて「東京」に挑むAqoursの面々。

前回と違うのは、「9人」になったこと。

その「9人」で様々な課題を克服したこと。

そして「地方予選」を「突破」し、「ピアノコンクール」も「突破」したことで、前回未達成だった「カセ」をクリアしていることです。

前回はイベントに呼ばれたとはいえ、半ば「物見遊山」で「東京」を訪れた千歌。

しかし今回は明確な「目的」を以て東京にやってきたので、鞠莉の「観光要望」にも応えません。

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このあたりにも千歌の成長が伺えます。

また前回から一回り成長したAqoursは、8話で「辛酸を舐めさせられた相手」にも対等に立ち向かえます。

その相手とはもちろんSaint snowです。

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(北海道地区じゃなかったっけこの人たち・・・フットワーク軽いな。)

前回邂逅時には「圧倒的なパフォーマンス」で「6人Aqours」を叩きのめしたSaint snow

あの時には立ち位置に差がありましたが、

共に「予備予選を突破し」、「動画の再生回数でSaint snowに勝っていること」もあり、少しだけ関係に「変化」が出ているようにも見えます。

「結果」を残したAqoursに対して、一定の敬意を示すSaint snow

しかし、それはSaint snow「実力至上主義者」だからでもあります。

同じ目標を目指し、ある種のライバルとして敬意を示す千歌は、自身の悩みを率直にSaint snowに伝えます。

「自分たちと、μ'sは何が違うのか」

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「私たちはA-RISEに憧れてスクールアイドルになった」と語る鹿角姉。

そして自分たちもまた「同じ疑問を持っていた」と語ります。

しかし「その答えは出なかった。だからまずは勝って、A-RISEやμ'sと同じ景色を見てみたい」

「そうすれば自ずと答えが出るはず」と答えます。

その鹿角姉の言葉に千歌は「勝ちたいですか?ラブライブと疑問を重ねます。

この質問は鹿角姉妹には想定外のもの。

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思わず赤いプラグスーツ着た人ばりの「姉さま、この子バカなの?」が飛び出します。

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姉さまもこの質問は「愚の骨頂」と言わんばかりの反応。

「勝ちたくないのなら、何故A-RISEやμ'sはスクールアイドルをやっていたのです?」と質問の意図自体が理解できません。

ここで決定的になるのは「両者のイデオロギーの対立」です。

千歌は「A-RISEやμ'sが何故勝てたのか」を知りたくて、その「理由」を求めて「東京」に来ました。

しかしSaint snow「勝利すること」に「理由」など求めておらず「努力することで自ずと結果はついてくる」ものと信じています(それはSaint snowの楽曲SELF CONTROL!からも明らかですね)。

両者は同じ疑問を共有していないため、その答えを両者の協議から導き出すことはできません

これはAqoursSaint snowの二組が憧れた対象がそれぞれ「μ's」と「A-RISE」であることにも影響しています。

μ'sにとって、常に「畏敬」の対象であった「A-RISE」。

彼女たちもAqoursにとってのSaint snowと同じように「クオリティ」によって「μ's」と対峙する存在であり続けました。

だからこそ、「μ's」に憧れるAqoursと「A-RISE」に憧れるSaint snowには「イデオロギーの違い」が存在するわけです。

しかしながらAqoursSaint snowの2組が知らない物語が、ここにも潜んでいます。

それは「第2回LoveLive」での「東京地区予選決勝」後のこと。

圧倒的なクオリティを持つ楽曲で挑んだA-RISEは、μ'sがその精神の全てを刻み付けた楽曲「Snow halation」の前に敗れ去ります

その理由を知りたいツバサは、穂乃果に率直に質問をぶつけます。

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「何故A-RISEは敗れたのか」「μ'sをμ'sとして動かしている原動力とはなんなのか」

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その場では明確な答えを示せない穂乃果でしたが、自問自答する中でその答えを見つけます。

それこそが「みんなで叶える物語」というキャッチフレーズ。

「クオリティ」のみに重点を置くのではなく、「皆に応援してもらい」「皆で一緒に進んでいく」という視線。

A-RISEは確かに素晴らしいクオリティをもったアーティストではありましたが、大衆にとっては「どこか遠い存在」で、身近な存在として捉えづらい部分があります。

反面μ'sは常に大衆側に目線を置くことで、「身近」で「応援しやすい」存在として受け入れられました。

またμ'sが楽曲に取り入れた「メッセージ」もそれを助長し、μ'sはまさしく「ピープルズヒーロー」としての立ち位置を得ていきました。

だからこそ「人気投票」によって勝者が決まる「スクールアイドルの大会」では、μ'sがA-RISEを「下す」わけです

そしてまた、そのキャッチフレーズをツバサも見ることで、穂乃果のメッセージを受け取り・・・

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自らも「スクールアイドル」であるうちには、その「精神を守りたい」と考えるようになります。

それが「劇場版LoveLive!」の物語にも繋がっていくわけです。

「アイドル」ないしは「アーティスト」としてはA-RISEの方が上かもしれない。

しかし「スクールアイドル」という立ち位置ではμ'sこそが理想像。

・・・という背景が前作で描かれた以上、Saint snowの考え方では「頂点に行けない」ことは明らか。Saint snowが今後どのように変化していくのか。それは2期以降に描かれるのでしょうね。

また、このように「我々視聴者が知っている情報」と「作品内のキャラクターが知らない情報」をクロスオーバーさせながら見る事ができるのも、この作品の楽しみ方の一つ。

この仕組みは、12話終盤にもう一度お目見えすることになります。

 

■音ノ木坂で出会うもの。そこで「得たもの」とは?

ここ数年ではお馴染みとなっているらしいUT-Xでの「決勝会場発表」。

なるほどSaint Snowもその発表をみるためにわざわざ東京に来たわけですな。

なんとも可愛らしいやつら。。

「決勝会場」は「AKIBA DOME」。

劇場版でμ'sが叶えたかった願い。

「スクールアイドル」がずっと続き、常に「AKIBA DOME」で決勝が行われる。

その夢が地続きになっていることが分かるシーンです。

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会場と、自分たちが挑む舞台の大きさに圧倒されるAqoursの面々。

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新たに設定された「カセ」である「AKIBA DOME」。

そこに挑むためには越えなければならない「カセ」があります。

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不安そうな仲間たちの表情を見て、いよいよ決断する梨子。

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「皆で行ってみない?音ノ木坂」

ほんの一瞬の決断ですが、梨子にとっては「ずっと言えなかった言葉」。

だからこその「重み」を感じるシーンでもあります。

そんな梨子の「トラウマ」を知っていたからこそ驚く面々。

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多くの「カセ」を乗り越えてきた彼女たちに与えられる一種の「ご褒美イベント」。

興味のないひとには「タダの学校」ですが、「μ'sのフォロワー」であるAqoursにとっては「チャーチ」とも呼べる聖地。

そんな彼女達が苦難の末にたどり着いた場所。

そこではやはり「赦し」が与えられます

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「こんな長かったっけ?この階段」と思うほど長い階段。

ようやくたどり着いた聖地に「救いを求める」ように、千歌は必死に駆け上がります。

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その表情は「登りきった先に答えがある」と「信じたい」という風にも見えます。

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やがてたどり着く校舎。

ラブライブ!」では何度となく登場した校舎が、どことなく「聖なる場所」に見えるのは、我々もAqoursの面々と同じ物語を共有してきたから。

そこでAqoursは一人の少女と出会います。

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名もなき「音ノ木坂の学院生」。

彼女は千歌の問いかけに答え、「μ'sについて」語りだします。

「ここには何も残ってなくて」

「μ'sのひとたち、なにも残していかなかったらしいです」

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「自分たちのものも、優勝の記念品も、記録も。」

彼女の言葉に重なるように映し出される音ノ木坂の校内。

それは、穂乃果やμ'sメンバーが何度も駆け抜けた廊下、アイドル研究部の部室、練習をこなした屋上と、視聴者には縁のある場所ばかり。

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(空には9羽の鳥…。というお約束もありつつ)

「物なんかなくても、心は繋がっているからって」

「それでいいんだよって」

その言葉に合わせるかのように、また一人少女が現れます。

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その姿は穂乃果にそっくり

彼女は母親の静止をふりきって、階段の手すりを滑り降りていきます。

その行為もまた、ラブライブ!第1話での穂乃果と同じ。

見事着地に成功した彼女は、ピースサイン

その表情には屈託がありません。

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このシーンの意図と意味を考えるには、まずμ'sが唯一残した「言葉」の意味を考える必要があります。

ここで語られる「物なんかなくても心は繋がっている」という言葉。

これはμ'sメンバー同士のことではなく、μ'sから見た「スクールアイドル」を示しています。

なぜμ'sがこの結論にたどり着いたのかは、「劇場版Love Live!」を見れば理解できます。

劇中μ'sは「自分たちの名前を残す」のではなく、

「スクールアイドルのアンセムSUNNY DAY SONG」を「スクールアイドル全員で作る」ことで、その楽曲を旗印として後継の「スクールアイドル」への道筋を照らすことを望みました。

それさえあればたとえ「μ'sが解散し」「μ'sの名前を人々が忘れ去ったとしても」その後には「希望」が残るから。

だからこそμ's自身は「μ'sがいた痕跡」をどこにも「残さない」わけです。

 しかしμ'sが残さなかったのは「物」だけで、たった一つ後継者たちに「残したもの」があります

それは前述した通り「希望」です。

μ'sがスクールアイドルと合作した曲(それこそA-RISEも一緒に)「SUNNY DAY SONG」は「自らの内に湧いてくる途方もない自信」を「希望」として「全肯定する」楽曲でした。

だからこそ、この楽曲を聴いた人には「希望」が宿り、周りの人々が「無理」ということも「成功」させることが出来る

「劇場版Love Live!」のファーストシークエンス。

海未にもことりにも止められながら、大きな水たまりを超えようと試みた穂乃果の耳に聞こえた曲はSUNNY DAY SONG

それを聞いた穂乃果は見事ジャンプに成功します。

そんな「ねじれ現象」が起きるのは、SUNNY DAY SONG」そのものが「希望」を象徴しているからです。

今回穂乃果似の少女が登場した理由とは、この「劇場版LoveLive!」のファーストシークエンスを再現するためでしょう。

しかし、今回彼女の耳に「SUNNY DAY SONG」は聞こえませんでした。

それなのに「手すり下り」に成功したのは何故なのでしょうか。

それは名もなき「音乃木坂の学院生」の正体が「μ'sが唯一音ノ木坂に残したもの=希望そのもの」だったからではないでしょうか。

(※それは劇場版Love Liveでの「謎の女性シンガー」にも通ずる存在だと思います。彼女も穂乃果の夢の中に登場し、穂乃果を鼓舞した存在です)

そう考えると穂乃果に似た少女も、現実ではなく、彼女がメッセージを伝えるために見せた幻影のようにも思えます(こう書くとオカルト!?と思われるかもしれませんが、そういうものではなく、映画的な表現です)。

手すり下りに挑み、達成した少女を見たことで「何かに気付いた千歌」

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それは彼女が求め続けたものの「答え」だったのかもしれません

それに気づかせてくれたからこそ千歌は音ノ木坂に「感謝」を告げるわけです。

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同じビジョンを共有したAqours。全員で音ノ木坂に感謝を告げます。

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それを満足気に眺める名もなき「音ノ木坂学院生」。

彼女の伝えたかったメッセージは、確かにAqoursに伝わりました。

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「μ's」を特別視し、「μ's」の母校に痕跡を求めた千歌。

しかしそこで得たのは「形のない気づき」でした。

彼女達の「感謝」は気づきを与えてくれたことだけでなく、自分たちを「スクールアイドルに導いてくれたμ's」への感謝でもあります。

そして、同時にそれは「μ'sからの羽ばたき」も意味することにもなります。

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お辞儀を終えると消えている少女。

それにどことなく納得する千歌。

非常に映画的な表現だと思います。

そしてここで受け取ったメッセージは13話へも引き継がれていきます。

 

■梨子の「トラウマ克服」と今後は?

Aqoursの物語とは別に、見事「音ノ木坂」への凱旋を果たした梨子。

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彼女を苦しめ続けた「音楽」。

その時期と同化することでいつしか「嫌い」になってしまっていた「音ノ木坂」。

しかし「通過儀礼」を乗り越えた彼女は、やはり「音ノ木坂」が「好き」だった思いを取り戻します。

しかし、ここから感じるのは、もはや彼女が「内浦にいる理由」が無くなってしまったということ。

いつか彼女が「音ノ木坂に戻る」という物語が描かれる日が来るのでしょうか。

 

■果南の視点。

帰り道。

結局東京遠征で何を得られたのか。

3年生組が話し合います。

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会話から分かるのは、彼女たちが1年生だった時の話。

1年生の頃の果南は、「学校の廃校阻止」を目標にし、自分を追い込むことで「スクールアイドル活動」をしていたようです。

反面本音では「楽しくしたい」と思っていました(未熟DREAMERの歌詞)。

今は自分が理想とする「スクールアイドル像」をAqoursに見ている果南にとって、Saint snowの姿は「未熟だった自分」を思い出させる苦々しい存在のようです。

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反面、そんな果南の視点が加わったからこそ、AqoursSaint snowに対して、以前のようなコンプレックスを持たなくて済むようになります。

このあたりは9人になったからこその視点の変化でしょう。

 

■「東に沈む夕日」。9人でしか見られない場所で得た「結論」。

同じく電車の中。

一人「音ノ木坂」での出来事を思い出す千歌は、「何か」に導かれるように「海を見に行こう」と提案します。

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彼女が目指すのは国府津の海岸。

ラブライブ!」を見ている人ならだれもが忘れられない場所。

2期11話でμ'sが「解散」を宣言した場所です。

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その際にも発生した異空間がここでも登場します。

本来西へ沈む夕日。

しかしここでは東に夕日が沈むというあり得ない風景が描かれます。

ある種の「異空間」へ迷い込んだ9人。

これは「閉じた世界」「9人しかいない」ことを示す為の表現ともいえます。

しかし前回とは大きく異なる部分があります。

「閉じた世界」の中で「終わる事」を宣言したμ's

反対にAqoursはこの場所で産声を上げるからです。

メンバー全員でみる「あり得ない風景」

そこでは「彼女達しか知らない」物語が描かれます

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・・・千歌が音ノ木坂で気付いた「μ'sの凄いところ」

それは「何もないところを 何もない場所を 思い切って走る」こと。

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ファーストペンギン、という言葉があります。

群れで行動するペンギンの中で、真っ先に外敵の多い海に飛び込み、自らが模範となって獲物を探しにいく、勇気あるペンギンを示す言葉です。

こと「スクールアイドル」においては、「μ's」がそれにあたります

「A-RISE」がはじめから「プロ」を意識したスクールアイドルとすれば、μ'sはその
「アプローチ」には当てはまりません。

なぜなら穂乃果をはじめ、μ'sのメンバー誰もが「プロ」になることを目標としていなかったから。

前述した通り、2期10話でμ'sに敗れたツバサは、穂乃果にその要因を訪ねますが、穂乃果は即答できません。

それは穂乃果も「戦略をもってスクールアイドルをやっている」わけでなく、

ただ「楽しみながら」スクールアイドルをやっていたから。

そしてそんな「自由」なμ'sの魅力に触れた人々がμ'sを「自分たちの分身」として応援したから、

「人気投票」によって勝者が決まる「ラブライブ」ではμ'sはA-RISEに勝利することができたわけです。

千歌は図らずとも、その一端に気付くことが出来ました。

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「μ’sの背中を追いかけるのではなく、自由に走る」

それはまさしくμ'sが後身に託した願いでもあります。

μ'sの「姿」や「人気」に憧れただけだった千歌が、

μ'sが本当に伝えたかった思いや願いに気付くことで、真の意味での「μ'sのフォロワーになる」こと。

それに千歌が気付く、という物語は制作陣からのメッセージにも映ります。

僕たちはひとつの光」の歌詞にある「今が最高!」とはまさしく

「今はその瞬間にしかないのだから、自由に自分の物語を生きろ」というメッセージのはず。

にも関わらずいつまでもμ'sの幻影に縛られ、先に進めない人がかなりの数いる現状を寂しく感じてしまいます。

もちろん思い出を大切にすることは大事ですが、

そこで立ち止まるのは「μ'sの物語を愛し、共有した人間」として正しい行動という風には私には思えません。

「僕たちの奇跡」を叶えた彼女たちは、次は「あなたたち」の奇跡=軌跡を描いてほしいと願っていたはず。

もしかしたら「サンシャイン」という物語は、未だ「μ'sの幻影に縛られる人々」の背中を押す物語なのかもしれません。

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そしてAqoursは「自分たちの軌跡」を走り始めることになります。

OPテーマ、「青空Jumping heart」の歌詞

「見たことない 夢の軌道」「追いかけて」いくように。

 

■モーメント。0を1にしようとする運動性。

千歌たちが作るリング。

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これは説明するまでもなく「モーメントリング」です。

モーメントリング=「Moment Ring」はこちらも説明するまでもなく、μ'sの「ファイナルシングル」のタイトルでもあります。

同曲の歌詞でμ'sが

「思い出だけじゃないからね 新しい夢が産まれてくると 僕たちは知ってるよ」

と言ったように、終わりは始まりの前兆

μ'sの終わり(0)Aqoursの誕生(1)を呼び、

Aqoursもまた自分たちの誕生を(0)とし、新たな目標(1)へと向かっていく。

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0から...

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1へ!

永遠に発生し続ける0→1への運動法則。

しかしそれはポジティブに広がっていく摂理にもなり、それこそがμ'sが望んだ願いでもあります。

「0から1へ進む」

それがAqoursの「テーマ」。

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この日、この海岸の「ありえない風景」の中で、「9人だけが知っている」「誓い」

この「誓い」も13話へ影響を与えていきます。

 

■舞い落ちる羽。「希望」の象徴。

ラストシークエンス。

本来は10Km以上離れているはずの「根府川」の駅に戻ってくるAqours

こんなねじれが発生するのも、「アニメだから」というよりは、彼女達が「異空間」に迷い込んでしまったことを表現するため、のように映ります。

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7話で「チラ見せ」しながら、ついぞAqoursメンバーが立ち寄らなかった「根府川」。

7話感想で書いたように、それはAqoursメンバーがこの場所がμ'sの思い出の地であることを「知らなかった」からでした。

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μ'sにとって「悲しみ」の場所となったここも、Aqoursにとっては「安楽」の地。

そんなギャップも素敵です。

そこで千歌は舞い落ちる羽に気付き、慌てて駆け寄ります。

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やがて羽を受け取る千歌。

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これは「ラブライブ!」2期EDを想起させるシーンです。

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1期OPで穂乃果がラッパを吹くことで屋上から飛び立つ鳥たち。

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これは「希望」を象徴するもの。

ノアの方舟から出たノアが、平和の訪れを告げる笛を吹いた時に、白いハトが飛んできたという神話から、鳩は「平和」や「希望」の象徴になった、なんて話もありますね)

穂乃果が発起人となって放たれた「希望」は

2期EDでは神田明神を抜けて、音乃木坂の屋上に戻ってきます。

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この「希望」を受け取るのはその回に「主役」となったμ'sのメンバー。

2期ではメンバー個人にスポットライトを当てながら、そのトラウマを克服する
という物語が何度も描かれました。

だからこそ主役になったキャラクターがEDでは「希望」を手にして終わる
という表現になっているわけです。

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千歌が羽を受け取ったのは、千歌もまた「希望」を得たから。

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そして同時に羽を受け取った表現は、Aqours自体も「μ'sとの決別=羽ばたきのとき」を迎えたということも示しています。

もはや「希望」を手にした千歌に、追いかけるべき対象はありません

自分の中に芽生えた「希望」を信じて進むのみ。

だからこそラストでμ'sのポスターが剥がされるわけです。

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自らが「希望」となることを誓ったAqours

今度は彼女達自身が「輝き」となって、誰かの「希望」にならなくてはいけません

そんな彼女達の「一旦の結末」を描く第13話。

巷ではなんだか評判が悪いようですが、今回の12話考察を読んでいただければ、13話が何を意味しているのかも自ずとご理解いただけるはずです。

とはいえ、13話を完全に理解するためには「劇場版LoveLive!」を理解する必要があります。

なので、若干イレギュラーではありますが、次回は「劇場版LoveLive!」のディティールおよび「そもそもこの映画ってなんなのか?」を解説し、その後13話の考察へと移っていきたいと思います(今回の解説でも一部書いちゃいましたけど)。

やや変則的ではありますが、何卒ご理解を頂けるとありがたいですm(__)m

といったあたりで12話考察もここまで。

結局12000字だって。アハハ…。長々とありがとうございましたm(__)m