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Love Live!Aftertalk

妄想をただ書き連ねる覚書。

【発掘】2015年9月当時の「ラブライブ!The School idol the MOVIE!」の感想。

アニメ ラブライブ 劇場版 考察

【ご注意】

載せるか迷いましたが、改めて読んでみると当時のパトスが溢れていて、意外と悪くは無かったので、転載してみます。

この感想は、2015年9月公開当時のもの。

現在はこの時から更に10回以上見て、よりディティールを理解しているのですが、主なストーリーラインの理解はそれほど変化していません。

13話感想前に、劇場版の感想は再度まとめる予定ですが、ディティールでは無い私個人の評価を「前置き」として残しておきます。

※劇場版のネタバレを含みますので、予めご注意願います。

↓以下当時の文章となります。


ラブライブ!The School Idol Movie


解説
2013年1~3月にテレビシリーズ第1期、14年4~6月に第2期が放送されたアニメのほか、アイドルグループ「μ's(ミューズ)」によるCDリリース、ライブイベントなど、さまざまなメディアで展開し、大きな人気を集める「ラブライブ!」の劇場版。
廃校の危機にある国立音ノ木坂学院を救うため、2年生の高坂穂乃果をはじめとする9人の女子生徒たちで結成されたスクールアイドルグループ「μ's(ミューズ)」。
その活躍で廃校の危機を救い、スクールアイドルの祭典「ラブライブ!」第2回大会では決勝戦進出も果たした彼女たちは、3年生の卒業をもって「μ's」の活動を終了すると決めていた。しかし、卒業式直後に届いたある知らせをきっかけに、「μ's」は新たなライブをすることに。限られた時間の中で、9人はまた少し成長していく。

スタッフ
監督 京極尚彦
原作 矢立肇
原案 公野櫻子
脚本 花田十輝
キャラクターデザイン 室田雄平

キャスト(声の出演)
新田恵海  高坂穂乃果
南條愛乃  絢瀬絵里
内田彩   南ことり
三森すずこ 園田海未
飯田里穂  星空凛
Pile    西木野真姫
楠田亜衣奈 東條希
久保ユリカ 小泉花陽
徳井青空  矢澤にこ

予告はこちら↓



「感想」


や、まぁ結果からいえば現時点での得点は、大体5兆点くらいですが。
しょっぱなは「まぁ80点くらいだなぁ」なんて思っていましてね。ハハ(血反吐を吐きながらの笑い)
「でも、ラブライブ!は初見ではピンと来ない事多いからね(半笑い」とかTwitterに書いたら、予想通り2回目で150点くらいになり、後は留まることを知らないインフレ。
ホント、映画として優れている作品だと思います。

簡単にあらすじをまとめておきますね。

物語は2期最終回から。
卒業式を終え、3年生を送り出す感動的な段階で、すわ1年生メンバー小泉花陽(はなよ)の携帯に連絡が!
「タ、タイヘンデスッ!」との花陽の掛け声をきっかけに部室へと戻るメンバーたち。

彼女たちを待ち構えていたのは、「第3回ラブライブがアキバドーム(東○ドーム)で開催!?」の噂。
そして、理事長=南ことり母(a.k.a声担当がタ○チの南ちゃんというメタ)からの「NYでの公演への招待」。
なんでも前2回を盛況のもと終えた「ラブライブ」の評判を聞きつけたアメリカ側から、「スクールアイドルを紹介するため」に公演を実施して欲しいとの連絡があったとのこと。
NYへ飛んだ彼女たちは、初めての環境を楽しんだり、逆に見慣れぬ景色に戸惑ったりしながらも徐々に順応。

街中で歌って踊って雨を止ませたり、白米が食べられなくて発狂したり(?)穂乃果が道に迷ったり色々ありましたが・・・。
穂乃果はブロードウェイの真横で出会った謎の女性に導かれて、無事生還!
NYでのライブも無事成功したのです
「また来ようね♪ キャッキャ(´∀`*)ウフフ」などと和みながら帰国し、「μ'sの活動もこれで終わりですなぁ…」などと思っていたところ…。

戻った日本ではNYでのμ'sの公演映像がそこらかしこで流れている、大フィーバー状態
ゾンビと化した友人には「μ'sのライブやってくれよぉ グポォ」と言われたり、
理事長からも「南をアキバドームに連れてって...ゲフンゲフンッ!!
...もとい「人気沸騰に応える意味でのライブ開催」ラブライブを一つの文化として根付かせるためにも続けてほしい」なんて言われちゃいましてね(一部蛇足)。


「そういえば、私たち解散するって自分たちで決めただけでした ドウシヨウ(;´Д`)」という状況に。

ラブライブのために続けるべき?」「でも2期であんだけすったもんだして決めたのに覆せないでしょうよ」などと今更ながら意見は錯綜。
同じくスクールアイドルでありながら、プロデビューするA-RISEのメンバーにも「続けてほしい」なんて言われてしまい悩みは加速。

そんな中リーダーである穂乃果はNYで出会った謎の女性とアキバで再開。
彼女の助言を受け、やはり「3年生卒業と同時にμ'sとしての活動は終わりにする」という方針は曲げないことを決意。
時を同じくして卒業する3年生メンバーを代表して元生徒会長の絵里からも同じ内容のメールが来ましてね。
メンバー間で改めて「μ'sの終了」を決意するのです。


とはいえ、スクールアイドルへの愛着は隠せず。
「もし自分たちがライブを行わなかったせいでスクールアイドル活動の勢いが削がれ、今後のラブライブ開催に支障をきたすとしたら無念」との思いからライブ開催を決意。
しかしながらそれは「μ'sの解散ライブ」ではなく、世界に「スクールアイドルの可能性を示すライブにしたい」との思いから全国の「スクールアイドル」にライブへの参加を呼びかけ。
「まだ」スクールアイドルであるA-RISEにも協力を呼び掛けたところ、リーダー綺羅ツバサからは
「皆で一つの歌を歌う」
ことを条件に参加了承得まして。
「皆で歌うスクールアイドルの歌」を作るのです。

とはいえ開催まで残された時間はわずか。
一筋縄ではいかない、かと思われたライブ実現でしたが多くの賛同者の協力と「待つのではなく会いにいく」積極的な姿勢がメンバーを集めまして

スクールアイドルだけでなく、妹チャンズやメンバーのお母さん、等々脇役まで交えた秋葉原での大ライブ開催がハイライトになります!


その後μ'sメンバー全員が卒業した後の学院へと舞台を移し、3年生となった妹チャンズがμ'sの活動を「アイドル部の新入部員たち」に伝える場面からμ'sの解散ライブへと場面が展開し、大団円で映画は終わりましたよ。

 

①「ストーリーが良かった!!」
ストーリーに関しては、詳しくは別枠(ラブライブ論)で記載していきたいので、手短にまとめますね。
とはいえ、様々な角度から良さを語れるストーリーなので、総括は難しいのですが。。

本映画の優れている所はTVアニメ「ラブライブ」のテーマを継承しつつ、その先を示してみせた部分にほかありません。
TVアニメ1期のテーマソング「僕らは今の中で」の歌詞が示す通り、ラブライブとはニヒリズムに負けず挑戦する」ことの美しさ、「変わらないまま輝く」ことの大事さ、「今を大切にする」ことの尊さを説いた作品でした。

主人公:穂乃果は元々「アイドルになりたい」人ではありませんでした。
「自分自身の大切な学校を守るため」の手段として「スクールアイドル」を選んだに過ぎません(だからこそひるまず挑戦できたともいえますが)。
しかし「スクールアイドル」としての活動の中で、彼女は「自分が最高に楽しいと思う事=歌う事」であることを見つけ出します。

穂乃果の「挑戦」は自分自身だけでなく、周りへも波及していきます。

幼馴染である海未やことりも、本来であれば「アイドル」とは遠い環境にいた少女たちでした。
しかし穂乃果の「思いつき」に巻き込まれる形で始めた「スクールアイドル活動」が彼女たちの秘めていた個性をも引き出すのです(海未であれば決して表に出すことのなかったアイドル性や作詞を通した自己表現。ことりは服飾の才能が引き出されるだけでなく、自分自身を偽ること=ミナリンスキーからも解放されます。)

同じことは1年生組、3年生組にもいえます。
それぞれが穂乃果というトリガーを通して、自分自身を解放、輝かせていくのです。

TVアニメ2期ではさらにそのテーマを掘り下げていきました。
再三穂乃果たちが協議する「変化」「CHANGE」インパクト」という単語。
これらは「μ'sがA-RISEに勝利するために必要な要素」として彼女たちが挙げるものです。
しかしながら、これらの要素はことあるごとに物語内で「否定」されます。

インパクトある楽曲作りを目指して行った合宿では、カンヅメでの楽曲制作に失敗。
リラックスした環境の中で、それぞれの関係性を見つめなおす事で、「μ'sらしい楽曲とはなにか」を確認し「ユメノトビラ」を完成させます。

ハロウィン回では、A-RISEに勝つための「インパクト」を追い求めて迷走。
見た目を変化させたり、自分以外の誰かになってみたりする中で、「自分たちは元々個性的である」ことに気付き、オーソドックスなハロウィン曲で勝負するに至ります。

外面的ないしは建前的な「変化」や「インパクト」に頼ろうとするよりも、「自分自身を見つめることの方が大事」であることをしつこい程に繰り返し見せてくるのです。

そしてハイライトとなる「希回」からの「スノハレ回」。
希の過去にμ'sメンバーが触れることで、μ'sの成り立ち自体をメンバーが共有。
それぞれの内面に生まれた感情を「歌詞」へと変化させることで本来の意味での「ラブソング」=「Snow haration」を生み出します。
そしてこの楽曲が、アーティスティックに作り込まれたA-RISEの「Shocking party」を打ち負かすのです。

A-RISEがμ'sに敗れるに至った要因はもう一つあります。
それは「みんな」の存在。
穂乃果はμ'sのキャッチフレーズを作る際にこう言います。
「みんながいるから、私たちがいる」と。

完成された姿、美学を持つA-RISEは「憧れの対象」であれ、「自分自身の先」「応援する対象」としては見出し辛い存在。
反面μ'sは2期第10話で穂乃果自身が
「一生懸命頑張って、それをみんなが応援してくれて、一緒に成長していける。それが全てなんだよ。」
「皆が同じ気持ちで頑張って、前に進んで、少しずつ夢を叶えていく。それがスクールアイドル。それがμ'sなんだよ!」

と総括したように、「特別な存在」ではなく「みんなの先にある」存在なのです。
「民意の象徴」だからこそ、「人気投票で勝者を決める」ラブライブのシステムにおいては、A-RISEを打ち負かすことができたのです。
そしてμ'sは「スクールアイドルの象徴」へとなっていくわけです。

↓(ここからようやく映画の感想)
さて、その続編たる「劇場版」では、その「民意」とぶつかり合うこととなります。
「民意」とはダイレクトに「人気」へも置き換えられます。
第2回ラブライブ優勝だけでなく、アメリカで「スクールアイドルの象徴」として紹介された結果、μ'sは「圧倒的人気アイドル」としての地位を得ます。
しかしながら、これは彼女たちの本意ではありません(にこを除いて?)。
何故ならば彼女たちは「アイドルとしての成功」を夢見てスクールアイドルを始めたわけではないからです。
また「3年生の卒業をもってμ'sは活動を休止する」旨を決定してしまってもいます。

「アイドルとしての人気」に戸惑うメンバーと、「アイドルとしての活動継続を期待する」民意とがぶつかる中で、リーダーの穂乃果には決断が迫られます。
とはいえ先ほどの発言から分かる通り、穂乃果は「μ'sの正体」をいち早く悟った人物です。
だからこそ、揺れ動きます。
「3年生の卒業をもって解散することは自分たちのエゴなのでは?」「民意によって成り立ってきたμ'sは民意に従うべきではないのか?」と。

時を同じくして、A-RISEのリーダー綺羅ツバサからも「自分たちがプロとして活動を継続すること」と「μ'sにも同じようにプロになって欲しい」との言葉を受け取ります。
「スクールアイドル」という土俵に立ちながら、全く違うコンセプトを掲げて戦った二組。
しかし、いよいよ「プロ」として、お互いの「クオリティ」を競う舞台へと移る。
その分岐点にμ'sは立たされたわけです。

迷いを深める穂乃果。
しかし、その迷いを断ち切ったのは、意外なことに絵里の妹亜里沙でした。
思い悩む穂乃果に、亜里沙が告げた「楽しくないの?」の一言に穂乃果はハッとします。

周りからの期待、要望に振り回されるうちに見失っていた「楽しいから、スクールアイドルを続けてきた」という事実。
それを思い出すと同時に「自分たちが何故スクールアイドルを始めたのか」その原点に立ち返るのです。

きっかけは「廃校から学校を救う」ことでしたが、正直「きっかけはなんでも良かった」のです。
もちろん、「周囲の期待に応える」ために続けてきたことも事実ですし、その結果としてラブライブ優勝」という勲章も得ました。
しかしそれは「過程の中での功績」であり、「目標」ではありませんでした。

μ'sのメンバーたちは、もともと「特別な才能」を認められた(ないしは自覚した)人たちではなく、どこにでもいる「普通の女の子たち」でした。
そんな彼女たちが「スクールアイドル」としての活動を通じ、「自分の可能性を解放」させ「周囲の共感・応援」を受け、更に大きく「開花」していく。「アイドル」として成長する中で、「人間」としても成長していく。
そしてその原動力となるのは「完成度」や「創作性」といった「クオリティ」とは真逆の、「楽しい」「嬉しい」「悲しい」といった「エモーショナル」な感情。
だからこそ彼女たちが「スクールアイドルとしての活動」に対して下す結論は「エモーショナル」であって良い。
「9人が一緒に活動できないのであれば、辞める」その潔さすぎる結論も、彼女たちの物語を追いかけてきた人間であれば、誰もが理解できる結論と言えます。
そしてこの結論によってμ'sは「アイドル」とも「アーティスト」とも違う「スクールアイドル」の価値観を完成させるに至るわけです。

そして、それこそが「ラブライブ」という作品が伝えたい「願い・思い」なのではとも思います。


近年、世間的には「出来ない・やらない」理由をまず探す傾向が強いように感じます。
始める前から「でもどうせ上手くいかないし」と言ってみたり、夢を持つ前に「どうせ自分には出来ないし、才能もない」などとうそぶく人が多い。
「感情よりも理屈」が重んじられる、「ニヒリズムに征服された世界観」が一般化しつつあります。

物語に関しても、もはや「スポ根もの」はギャグのレベル、「青春もの」に関しても一種の「パロディ」としてしか成立しないようになってきています。
しかし、そんな時代に敢えてど直球の「青春ドラマ」として投げつけたからこそ、この「ラブライブ!」は熱烈な支持を集めた(主に若年層から)のではとも思うのです。


何者でも無かった少女たちが「可能性を感じた」というだけの理由で始めたスクールアイドル。
「好きなことを信じた」結果「今の中で輝く」ことを知り、
今度は「夢を叶えるのは 皆の勇気 負けない心で 明日へ駆けていこう」と、こちらへと問いかける。
何故なら「それは僕たちの奇跡」であり、「我々(受け取る側)の奇跡」ではないから。
そしてその問いかけに「私たち(日本中のスクールアイドルたち)」が応えることで「SUNNY DAY SONG」が生まれる。
SUNNY DAY SONG」は「一個のアイドルソング」を超越した「アンセム」となる。
同曲は「困難に挑む人・ニヒリズムに負けない人」を後押しする曲となり(だからこそ映画冒頭・穂乃果の耳にSUNNY DAY SONGが聞こえてくる)また1人、また1人とフォロワーを生んでいく。
そして、その循環がきっと世界をもっと素晴らしいものに変えてくれるはずだ、というのが制作陣の願いなのでは?と勝手に結論しております。


劇中、謎の女性シンガーが歌う「As Time Goes By
映画「カサブランカ」内で歌われたことでヒットした楽曲ですが、元々はブロードウェイミュージカルの大ヒットナンバーでした。
同曲が本作内で使われた理由は「ブロードウェイ楽曲」である、という以前に本作のテーマが同曲の歌詞によって表されているから、と私は考えています。
最後に「As Time Goes By」の英詩と和訳を載せて、本稿の結びとしたいと思います。
どう受け止めるかは、あなた次第。

As Time Goes By (1931)
Herman Hupfeld

<歌詞>
You must remember
this A kiss is just a kiss,
a sigh is just a sigh.
The fundamental things apply
As time goes by.

And when two lovers woo
They still say, "I love you."
On that you can rely
No matter what the future brings
As time goes by.

Moonlight and love songs
Never out of date.
Hearts full of passion Jealousy and hate.
Woman needs man And man must have his mate
That no one can deny.

It's still the same old story
A fight for love and glory
A case of do or die.

The world will always welcome lovers
As time goes by.


<和訳>
これだけは心に留めていて欲しい
キスはキスであり、ため息はため息
恋の基本はどの時代でもあてはまる
いくら時が流れようとも

恋人たちが恋をすると
やはり「愛してる」とささやく
これだけは間違いがない。
この先何があろうとも
いくら時が流れようとも

月の光とラブソング
すたれることなどない
人々はいつでも嫉妬と憎しみで激情に駆られる
女は男を求め
男は女を求める
誰も否定することの出来ない永遠の真理

いつの時代にも存在する物語
栄光と愛への戦い
生きるか死ぬかのせめぎあい

恋する者たちを世界は優しく受け入れる
いくら時が流れようとも

(ここまで)

細かいディテールに関しては、12話感想後、アップするようにいたします。

例えば誰もが謎解きしたがる「謎のシンガー」の正体と意味。

穂乃果に渡されたマイクスタンドってなんなの?

そもそもこのお話って、「何を示してるの?」

などなど。

一応自分なりの回答はあるので(SFではなく、あくまでも映画文法的な解釈で)、それは次回ということで。

最後までありがとうございました。

 

 

 

 

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