Love Live!Aftertalk!

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ラブライブ!サンシャインハイライト 第3話「ファーストステップ」

■遅ればせながら第三回!

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「#3ファーストステップ」ということで、節目となる回になることを予想している人がいましたが、やはり大事な回となりましたね。

ラブライブ!の第3話を踏襲し過ぎ」というコメントも多数あるようでしたが、個人的には「踏襲しながら、鮮やかに更新してみせる」という素晴らしい仕事だなぁとひたすらに関心しました。この辺は後述します。

※以下前作「ラブライブ」との比較が増えますので、前作を「ラブライブ」今作を「サンシャイン」と表記して比較いたします。

よろしくお願いします。

…ということなので、ブログでまとめますわぁ。

■リアリズムと虚構のバランス

ラブライブ!」というシリーズにおける「リアリズム」には突っ込みどころが満載で(笑)

ここに言及しはじめると、1項目必要なくらい大きな題材になってしまうので、敢えて今回は記述するのは避けようと思います。

ただし、見る側にはこの「ラブライブならではのリアリティライン」を理解したうえで、視聴する必要があります。

今回「サンシャイン」制作にあたって、京極監督から酒井監督へのバトンタッチが行われる中で、この「リアリティライン」の整理が(若干ですが)行われているように感じます。

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今まで「ラブライブ」で練習風景が映るたびに感じていた

「屋上で練習するのは良いけど、自分たちの踊りを見ないで(録画しないで)練習するなんて無理じゃね?」

という感覚(これは仕事上アイドルちゃんのリハとか練習をよく見るからこそ感じた違和感なんですがw)。

しかし今回はスマホを利用してのフォームチェックや、クリック音を使用しての練習などを行っていて、「なるほど、ここから手を入れてきたか」と開始冒頭唸りました。

 何故このような微調整をするのかというと、恐らく「作劇のバランス上必要だから」か「単純に酒井さんが前作を見ていて、ここは直そうと思っていたか」のどちらかと思います。

まぁ現状ではどちらなのかは分かりませんがw

というのは、この後超弩級の「アニメの嘘」をぶち込んでくるからですが。。

■鞠莉理事長というウルトラC

その「アニメの嘘」というのが前述のこれでして、

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序盤のキーマンとなるであろうと(個人的に)予想していた鞠莉が、なんと学園の「理事長」に就任。

これで彼女がAqoursにもたらす影響力が非常に大きくなりました。

しかしこれには、結構驚きました。

ラブライブ」はこれまでにも「極力大人を消去する」という手法を使ってきました。

これは、「大人」を「安易な障害として登場させない」ことで、「ドラマの陳腐化を防ぐ」為の工夫であり、あくまでも「主人公たちの内面や関係性による葛藤や成長を描くことを第一とする」為に意図的に取られた手法でした。

だからこそ「ラブライブ」では「大人の登場」が最低限に抑えられていました。

※作品上登場する大人は穂乃果の両親(父親は台詞なし)、ことりの母(理事長)、真姫の母、にこの母、そして担任くらいですね。(花陽、凛、海未の母親は劇場版に登場しましたがセリフなし)

彼ら・彼女たちがどんな役割を持っているのか、といえば「世界観を陳腐にしないための置物」であったり、「作劇上登場した方が、ストーリー進行をシンプルに出来るための存在」だったりと役割はそれぞれ異なるわけですが、やはり制作陣としては「なるべく出したくなかった」ように思えます。

※実際、真姫個人の物語を考える場合「暢気に娘の将来を確定」してしまっている母親の存在は「ノイズ」として映りますし、「理想的な教育者」として映る理事長も、劇場版の物語の中ではその言動に不自然なところが出てきてしまいます。

こういった反省を踏まえて、今回は極端に「大人の存在」を排除する=鞠莉理事長という荒業を使ったのではないでしょうか。

とはいえ、作劇としてはなかなか難しい存在となってくるこの「肩書」を、今後どのように生かしていくのか。非常に興味深いです。

また、鞠莉というキャラクターも非常に面白いキャラクターですね。

前作と比較すれば、「なんらかの思惑を持ってグループ結成を影から貢献する存在」というわけで「希」を明確に想像させるキャラクターですが、希には無かった天性の「陽性」を持ったキャラクターだけに、非常に魅力的に映ります。

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(シャイニー♪)

鞠莉に関する更なる気づきは第4話の感想にて。

■ダイヤと鞠莉の関係性

3年生のピリピリした関係性の原因は「鞠莉の留学が要因なのでは?」という仮説を立てていますが、では鞠莉とダイヤとの関係はどうなのかというと、

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これだけ見ると殺伐として見えますがw 大きな隔たりは無いように見えます。

(このシーンもダイヤの話を聞いていなくて、しばかれているシーンですので)

となると未だに関係性がみえない果南と両者との関係性に興味が湧くところ。

とはいえ、これ以上は想像の域を出ないので、ここまでにしておきましょう。

ひとつこのシーンで気になるのは鞠莉の「ダイヤに(スクールアイドル結成を)邪魔されちゃ可哀そうだと思って」という台詞。

ともすれば、ダイヤが無意識に「果南を傷つけた」ことを示しているに聞こえますが、果たして。。

■「3話」という記号とその鮮やかな裏切り

なんとなく予感していた方も多くいたように、この3話が物語においては大きな分岐点となりました。

ちょっと長くなるかもしれませんが順を追って追いかけてみましょう。

理事長職に就いた鞠莉から千歌たちに提起された「スクールアイドル部設立」の条件はデビューライブを「満員」にすること。

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仮にここを満員にできれば、部員が「3人でも」承認する、という条件。

この辺りは「ライブを成功させることで、部員を募ろうと思った」ミューズとは全く条件が異なります。

とはいえ、これはなかなかに難しい条件。

ざっくり見積もっても200~300名くらいは収容できそうですが。。

全校生徒を集めたとしても、収容人数には遠く及ばないことに気付く梨子。

学校以外からの集客を集めるべく、Aqoursの奔走が始まります。

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それぞれの個性が溢れるチラシ配りのシーンは、今回のコメディ要素。

天性のチラシ配りの上手さを見せる曜、やや強引に渡す千歌、なんだかんだ言って渡せない梨子、という三者三様は穂乃果、ことり、海未のチラシ配りシーンをまんま想定させます。

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梨子の1枚目を受け取ったのは絶賛登校拒否中の善子(変装)。

ラブライブ」では海未が勇気を出して差し出したチラシを、にこに拒否されましたが、善子は掻っ攫うように持ち帰りました。

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そんな善子を見て「あの子どこかで見たような・・・」と曜。

EDでも二人がコンビになっているように、曜と善子の関係も気になります。

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校外のお客さんを手っ取り早く集めるため、千歌は長姉美都に「会社の人を呼んで!」と依頼しますが…

 

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用意していたかのような水性インキで鮮やかな筆致。

この姉、妹の扱いに慣れている。。

この後、志満姉と曜の会話からも分かりますが、姉二人の千歌に対する評価は

「飽きっぽい」という点で一致しているように思います。

今までも「本気になれない千歌」を何度も見てきたからこそ、彼女の言葉を信用しきれない、という肉親ならではの厳しさなのでしょう。

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田舎ならではの戦略として、町内放送も利用しちゃう!

これは東京、秋葉原ではできない戦略だけに、舞台を「静岡」にしたからこそ、という風に映ります。

ちょっと脱線しますが、後々の展開に与える「千歌の伝達ミスはどこで起きていたのか」の件ですが、明らかに間違って伝達をしていると分かるのはこのシーンのアナウンスだけです。

※本来は日曜日14:00スタートだが、土曜日14時から~と言っている。

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あの美都姉のセリフがどういった意図をもって発せられた言葉なのかは、監督に聞いてみないとわからないかもしれません。。

とりあえず出来る限りのアピールをする、という意味では穂乃果たちよりもよほどクレバーな動き方をしています。

この辺も彼女たちが「ミューズのフォロワーだから」という紐付があるわけですが、そこはまた後ほど。

チラシ配りの途中、花丸&ルビィとも遭遇した千歌たち。

スクールアイドルへの只ならぬ愛情を持つルビィから「グループ名」に関して質問を受けますが…

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そういえば決まっていませんでしたな。。

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名前を3人で相談しますが、3人とも絶望的な語彙不足。

「3マーメイド」や「制服少女隊」はまぁ置いておいて

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「みかん」てお前正気か、千歌。

(確証は無いですが、恐らく千歌が考えたように思いますw)

このあたりもコメディパートとして片づけられていますが、ここから分かるのは「3人の中に作詞担当者はいないであろう」ということ。

(大好きがあればダイジョウブは3名の共作でしょう)

作詞を担っていくのは、文学少女=花丸という予想なんですが、どうなるんでしょうか。

喧々諤々のうえ、全く決まらない名称。

そんな時浜辺に書かれた、自分たち以外の誰かが書いた文字。

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これをグループ名として選ぶ理由は、なんとなく強引な感はありましたがw

とはいえ、偶然の出会いと直感を信じ、「Aqours」と名乗ることになった千歌たち。

はたしてこの字を書いたのが誰か、というネタばらしはあるのでしょうか?

個人的には無さそうな気はしますが。

あるとすれば、鞠莉か果南が濃厚な気もします。

着々と準備を進める3人組。

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そんな彼女たちの「本気」を知った美都姉。

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手助けに積極的な気持ちへ変化していきます。

前述した通り、美都姉も志満姉も、千歌を「飽きっぽい」と評価していましたが、親友の曜の評価は違いました。

「千歌は飽きっぽいのではなくて、中途半端がだめ」「やるときはちゃんとやらないと、気が済まないというか」

千歌がどんなきっかけで「のめり込むこと」に臆病になったのかは、今のところ分かりません。

ただ、曜だけは「のめり込みたくないから、何かに一生懸命になれない千歌」のことを案じていた。

だからこそ、久々に「のめり込めることを見つけた」千歌のために「スクールアイドル」を成功させようとしている。

今回の「サンシャイン」という物語の根底には、常にこういった「信頼」や「友情」というものがバックボーンにあります。

こういった関係性が物語初期から描かれるのは「サンシャイン」ならではのように思います。

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やるべきことはやった。

それでも不安はぬぐえない。

美都姉が言った「こんな田舎じゃ無理」というのは、まさしく言い得て妙なのでしょう。

「スクールアイドル」の現状を、第1話で相対化してみせたように、「スクールアイドル」はようやく芸能の1ジャンルとして認められたような段階で、まだ一般の人に広く訴求効果のあるようなジャンルではないのです。

それでも志満は「大丈夫よ。みんな暖かいから」と曜に告げます。

そんな気休めをよそに、外には「停滞」を意味する雨が。。

不穏な予感を漂わせます。

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降り始めた雨はライブ当日まで降りやまず。

古今東西「雨」が降り始めると「不穏な出来事」が起きるのはハリウッド的な文脈として常識になってはいますが、こと「ラブライブ」シリーズに関しては、それは極端に守られている文脈です。

※「NO BRAND GIRLS初披露LIVE」も「ラブライブ参加を迷っていた2期第1話」も「劇場版で色々な意見に押しつぶされそうになった穂乃果がシンガーと秋葉原で出会った夢の中」でも、雨が降っていましたね。

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善子越しの時刻表。

13時ら辺が空白に見えますが。

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「今全力で輝こう!」と誓った彼女たちを待ち構えていたのは...。

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まばらな動員。

※この絶妙な人数も、「ラブライブ」で「誰も来なかった」という「そりゃないだろう!」という突っ込みへの反動からの微調整のように見えます。

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なんとなく分かってはいたものの、やはり打ちのめされる3人。

しかしそれでも、力強く一歩目を踏み込みます。

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この「一歩」を踏み出せたのは、彼女たちが「ミューズ」のフォロワーだからこそ。

紡がれる言葉はミューズへの憧れ。

「私たちはその輝きと」

「あきらめない気持ちと」

「信じる力に憧れ、スクールアイドルを始めました」

「目標はスクールアイドル=ミューズです!」

そして歌われる歌はダイスキだったらダイジョウブ!

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この歌の持つ、「底抜けな前向きさ」はミューズの歌った「START=DASH!」とは真逆です。

「上手くいかないこと」を想定したうえで「それを乗り越える強さ」と「矜持」の大切さを切実に歌ったのが「START=DASH!」でした。

対して「ダイスキだったらダイジョウブ!」は、「上手くいかない可能性」は度外視して「やりたいからやるのだ!」というメッセージを全面に押し出している、という意味で明らかに「ススメトゥモロウ」を意識した楽曲になっています。

※以上の理由から、最終回でこの歌を9人で歌う、という予想には「多分それはないでしょう」と個人的には思っております。f:id:ishidamashii:20160724234338j:plain

「ススメトゥモロウ」を歌った穂乃果が鮮やかに車を避けまくったように(笑)、この曲を歌っている時の千歌たちは無敵です。

しかし、ここで「神様のイタズラ」が発動します。

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それはまさかの「物理的な停電」でした。

「んなアホな!」と思う事態ではありますが、こういった「神様のイタズラ」としか思えないような苦難を、分かりやすく提示するのは「ラブライブシリーズだから」というよりかは、古典的なハリウッドやブロードウェイミュージカルの文法に乗っ取って作劇をしているから、なのでしょう。

「自分を肯定」することで、現実を突っぱねた千歌たちにとって、これは心理的なダメージが大きい。

「どうすれば...」

「いったい、どうすれば」

と梨子と曜が呟く流れは、まさしく「ラブライブ」第1話の終盤と同じ構成になっています。

その声に導かれるように「ダイスキだったらダイジョウブ!」を歌い始める千歌。

それに続く、曜と梨子。

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(その様子には思わずマリーも息を飲んで無言に)

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(後ろで静かに見守っていた花丸&ルビィは思わず駆け寄り)

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(生徒会長は何かを察したのか冷静に移動)

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(こ、これは!お祭りとかでよく見るやつだ!!!)

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必死に声を振り絞り歌う千歌でしたが、やはり「圧倒的な静寂」の前に心が折れそうになります。

しかし、その窮地を救ったのは、

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美都姉と、

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「暖かい」地元静岡の人々でした。

※この辺の遅れてきたレトリックが今一つ分からないので、分かる方教えてくださいw

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ダイヤさんもいるよ!

(生徒会長だから、緊急時の対処は知ってます。)

千歌たちの頑張りは、それを支援する人たちを通じて、しっかりと伝わっていました。

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(美都姉、すげぇ)

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(456トリオもしっかりと貢献してまっせ!)

この「東京と静岡の比較」が今後どのような影響を物語に与えるのかは、今はまだ分かりませんが、なにはともあれ「支援者の力」によって、Aqoursのファーストライブは

「成功」に終わります。

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(結果満員にはなっていないようにも見えますが...)

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(万雷の拍手を持ってファーストライブを終えたのは、ミューズとは真逆です)

なぜ「成功」から物語をスタートさせたのか、といえば、やはり「成功」こそが物語の進行に必要だったから、ということなのでしょう。

この辺の理由はもう少し物語が進まないと見えてこない気がしています。

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(LIVE成功を見つめる反応はひとそれぞれ。しかし、Aqoursとして活動することになる人物全員がファーストライブの場所に集まっている、というのもラブライブ第3話からの引用ですね)

そして今回の白眉となったのが、ラストシーン。

ライブ成功に対しての感謝を告げるAqoursの3名が引用する言葉は、「劇場版ラブライブ」において、秋葉原に集結したスクールアイドルたちに向けて穂乃果が送った言葉

「スクールアイドルはこれからも広がっていく どこまでだって行ける どんな夢だって叶えられる」

という言葉でした。

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(この発言をした時、穂乃果は太陽を掴んでいたわけですが)

これは「SUNNY DAY SONG」を歌う直前に穂乃果が発した言葉でもあるわけで、

やはり「SUNNY DAY SONG」と「サンシャイン」の強い関係性を感じさせますね。

それをさえぎって現れたダイヤの告げた言葉は

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「これは今までのスクールアイドルの努力と、町の人の善意があっての成功ですわ。勘違いしないように!」というものでした。

この台詞にはおもわず「そう来たか!」と唸りました。

お気づきの方も多いと思いますが、この発言は非常にメタ的な要素を含んでいます。

「アニメ内のAqoursのファーストライブ」は、

アニメ終了後に行われる「現実世界のAqoursのファーストライブ」を示しているのでしょうし、

「彼女たち本来の実力には見合わないハコ=体育館」

「現実世界でのファーストライブのハコ」を示したメタファーでしょう。

そしておそらく満員になるであろう「現実世界でのAqoursのファーストライブ」を実際に開催する前から

「今までのスクールアイドルの努力=ミューズの活躍」

「町の人の善意=ミューズというよりもラブライブプロジェクトを応援するファン」

のおかげで成り立っているのだと、相対化しているわけです。

(しかもそれを主張しているのは、ミューズ原理主義者であるダイヤ=古参のラブライブ原理主義的なファン、というのはなかなかブラックなジョークになっています)

しかし、千歌はそのダイヤの主張に怯むことなく、

「分かってます!」と答えます。

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(千歌の毅然とした態度に、逆に怯むダイヤ)

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「それでも、ただ観ているだけじゃ、始まらないって」

「上手く言えないけど、『今』しかない、瞬間だから」

「だから輝きたい!」

この「愚直」ともいえる主張は、「サンシャイン」という作品そのものからのメッセージのように受け取れます。

未だに「ミューズロス」から戻れない人、様々な理由から「サンシャイン」を貶める人、がいるのは確かなのでしょう。

しかし、どれだけ願ったとしても「ミューズ」の物語が再開することはないように、Life Goes ON、人生は進んでいるのです。現在進行形で。

だとしたら、「立ち止まらず」に「前へ進む」しかない。

そして、そんな風に「常に立ち止まらず進むことで、二度と取り返せない『今』の大切さを実感してほしい」という願いこそが、「ラブライブ」という作品が伝えたいメッセージなんですよね。

だからこそ、主張したあと不安げに佇む千歌に対して

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会場からは大きな拍手が起きるわけです。

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というわけで、「ラブライブ」の主張を一度飲み込んだうえで、再度ファンに向けて提示している(しかも前作の3話をなぞりながら)という部分でこの「サンシャイン」の第3話は素晴らしい脚本と演出だなぁと唸ったわけなのでした。

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空へ羽ばたく3羽の鳥。

曇り空に射した一縷の光の中を飛んでいきます。

「劇場版ラブライブ」で「Future style」後に9羽の鳥が空へ羽ばたいていったシーンを想起させます。

さて、「ラブライブ!」では3人が打ちのめされた「ファーストライブ」を「成功」で終えたAqours

しかし「サンシャイン」が「ラブライブ」の文法のもとにある作品である以上、かならず「敗北」は訪れるはずなのです。

それはいったいどこになるのか。

「出来る事なら傷付く彼女たちを見たくない!でも傷つかないと物語として停滞してしまう!」というアンビバレンツな感情を抱えながら、この先の物語も楽しんでいきたいと思います。

第4話はルビ丸回だよ!

それではまた次回お会いしませう。

長々とおつきあいいただきありがとうございましたm(__)m