Love Live!Aftertalk!

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ラブライブ!サンシャインハイライト 第2話「転校生をつかまえろ!」

■というわけで第2回。

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#2転校生をつかまえろ!ということで、次回以降へのブリッジとなる回かな?くらいの気持ちで見ていましたが、意外と言及する部分があったので書いておきます。

 と…2話を振り返る前に前回のOP解釈の補足。

千歌が3年生の間を振り切って走り去るタイミングで、一瞬、果南の表情だけが和らぐんですね。

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恐らく3年生が最後の関門となると思うのですが、果南がそれを突破するきっかけを与えてくれそうな、勝手な予感がしますw

それでは前回と同じく気になるところを書いていきます。

■生徒会長=ラブライバー

第1話でも匂わせてはいましたが、ガチライバーだった...というのは予想の斜め上を超えていきました。というか、この回のハイライトはここかもしれませんw

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「僕らのLIVE 君とのLIFE」の略称が正式に「ぼららら」として認められた、というエポックメイキングな出来事もありましたが、そんなことよりもここで重要なのは、黒澤ダイヤ会長の役割は「絵里」ではなく「にこ」にあたる、ということが確定したことでしょう。

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即席で「ミューズカルトクイズ」を実施してしまうイタさ、もとい知識の深さを披露するあたりも「にこ」への親和性を感じさせます。

また、彼女のこの言動から予想できるのは、彼女こそが「3年生組の関係性を破壊した要因かもしれない」ということです。

「ミューズに対する過剰なまでの思い入れ」を見せるダイヤの姿勢は

「アイドルへの思いの強さ」故に孤立し「一人ぼっち」になってしまったにこと同じ香りを感じさせます。

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この関係性をどのように修復させるのか、が前半のキモになりそうですね。

■1年生組

今回も出番は少なかったですが、ルビィと花丸は毎回ストーリーには絡んできますね。

特に千歌が何度も「可愛い」と表現する花丸は、グループ内では「美少女」的な立ち位置になっていくんでしょうか。

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極度の人見知りでありながら、「スクールアイドル」への知識と愛着はありそうなルビィ。

もしかしたら、姉の「スクールアイドル愛」も彼女の影響?(あるいは逆)なのかもしれませんね。

今回も小動物的な魅力がフューチャーされていましたが、そのキャラクター性は「花陽」に近いものを感じさせます。

スクールアイドルに憧れながらも人見知りと姉の存在から一歩踏み出せないルビィ。

彼女の勇気ある決断が、今後の物語を動かしていくのかもしれません。

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このルビィと花丸の関係性は、凛と花陽を連想させる関係性ですね。

二人の絆が生み出すドラマにも期待しています。

 

さて、もう一人の1年生、善子はなんと高校デビューに失敗し引きこもり中」という事実が発覚w

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(そりゃ、普通そんな自己紹介引きますよね…。)

Aqoursに加入するメンバーのうち3名が現在学校に通っていない、という異常事態に発展しているわけですがw さて、千歌は善子をどうやって学校に連れてくるのでしょうか。

恐らく、前述の2名がそこに大きく貢献してくれそうですが。

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(善子の”やっちまった”自己紹介を一人羨望のまなざしで見つめるルビィ。やはり彼女がキーマンとなるのでしょうか)

しかし、この善子の「キャラクターを自作して、自分を偽る」という行為は、なんとなく「希」を連想させます。

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(「希」は「エセ関西キャラ」となる事によって絵里との距離を縮めることに成功しましたが…。)

「堕天使」というキャラ設定も"厨二病"と言ってしまえばそれまでですが、西洋魔術的なスピリチュアルな要素も感じさせます。

とにかく、アニメ化に当たって花田十輝さんは元々設定してあるキャラクター設定は「ほぼ無視する」という、前作と同じ手法を用いていらっしゃいますが(私はその手法支持派です)、善子に関してはキャラの根底に携わる"厨二病"という設定をどのようにドラマにしていくのでしょうか。

こちらも非常に楽しみです。

 

■梨子を救うのは... 。

さて、この第2話のキーとなるのは「Aquoursがいかにして作曲担当を手に入れるか」という話です。そしてこの作曲担当は梨子ちゃんですね。

アイドルをテーマにした作品である以上、曲がなければ始まらない!

というわけで、この流れは前作「ラブライブ!」1期序盤と全く同じ展開となっています。

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(前作では真姫の音楽の価値を認めつつ、アイドルという稼業の大変さを伝える…という穂乃果なりの荒業で「START=DASH!」という神曲をゲットしましたが...)

千歌も、穂乃果と同じように梨子に猛アタックを仕掛けますが、全く実らず。

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とはいえ、千歌の場合、その誘い文句に問題があるような気もします。

「スクールアイドルは学校を救ったりするような大きな存在!」とか興味のない梨子からすればどうでも良い話ですし、

「作曲担当がいないと困るんだよ~!」とか言われても親身になる要素は少ないですからね。。

そして、梨子には梨子で、簡単にスクールアイドルを引き受けられない理由があります。

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それは彼女が現在「ピアノが弾けない状況」にあるということ。

「大きな発表会での失敗」というトラウマが彼女から「演奏する楽しみ」を奪ってしまっていたのです。

その際に演奏できなった楽曲が「海に還るもの」ということで、彼女が「海に入ろう」としていた!という理由がここで明らかになるわけですね。

またここから分かるのは「音楽に絶望している彼女を救えるのも、また音楽である」ということ。

故に千歌の「言葉」には心が動かなかったわけです。

 

そこで千歌は彼女のトラウマ克服に一役買おうと乗り出します。

「スクールアイドルにならなくても良いから、一緒に海の音を聞きに行こう」

千歌のこの提案ははじめて「自分の希望や都合」ではなく「相手を思いやる」気持ちから生まれた言葉でした。

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このような、相手に「寄り添う」という要素は、やはり「穂乃果的」ではなく「花陽的」であるように映ります。

それ故か、この時画面では千歌の「クローバーの髪飾り」のみを映しています。

これが映画やドラマなら「偶然そういう画になった」とも言えるのですが、これはアニメなので、なんらかの意図があってこのような演出をしていると思えて仕方ありません。

さて、週末曜を誘い、果南の指南のもと海へと潜る2年生陣。

果南は梨子に「海の音は聞こえないだろうけど、海の中で想像力を働かせれば、聞きたい音が聞こえるのでは?」とアドバイスします。

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ここで登場する「海」にはメタ的な構造があるようにも思えます。

梨子が言う「真っ暗でイメージが浮かばない」という言葉は「失敗を悔やむあまり、大好きだったはずのことまで手放そうとしている」あるいは「迷いの中にいる」梨子の現状を象徴している表現と思われます。

その梨子を「千歌と曜が太陽のもとに導く」ことで、今まで見たことのない景色が現れる。

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これは「スクールアイドル=太陽」という、梨子が無意識に避けてきたものへ千歌と曜が導くことによって、梨子のイマジネーションが再び刺激され、「表現やイメージを取り戻すことが出来た」ということをメタ的に表現しているのではと思います。

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 そして「音」を聴いたのが梨子だけでなく、千歌と曜も共に「音を聞いた」という事実は、「梨子によって彼女たちもまた解放された=やりたいことの道しるべが生まれた」という事を示す表現になっているように思います。

このように「台詞や直接的な話法」ではなく、「画や動き」を通じて伝えいたいテーマを表現をするのは、非常に映画的な手法だと思います。

 さて、イマジネーションを取り戻した梨子は、「作曲を担当する」ことを宣言します。ただしメンバーになることは固辞していますが。

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(軽やかな避けっぷり。)

作曲をするにあたって、歌詞を要求する梨子。

しかし、残念ながら歌詞はありませんでした。

このあたり、歌詞が先にあって作曲者を探していた「ラブライブ!」とは逆ですね。

この後の千歌の部屋でのやりとりは、まるで「ことほのうみ」3人のやりとりのパロディ。

マジメに作詞をしよう!と呼びかける梨子を無視して、最新の携帯の話題に花を咲かす千歌と曜は、

マジメに練習をしよう!と呼びかける海未を無視して、和菓子を食べる穂乃果とことりのようです。

また、生真面目な梨子に千歌のぬいぐるみが被さるシーンは、「合宿で安眠を妨げられた海未」のパロディシーンのようでしたね。

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仮面ライダー555の敵にいそう。エビオルフェノク的な)

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こ わ い (小並感)

 

具体的な詞がなかなか浮かばない千歌ですが、目標だけは高く「Snow harationみたいな曲を作る!」と言って聞きません。

いきなりハードル高すぎだろう!

 しかしこの「スノハレ」という曲が、今回のテーマとリンクしていきます。

「この曲が生まれたとき、μ'sのメンバーは恋していたのかな?」と千歌は疑問を感じますが、その答えを我々は知っています。

そう、μ'sは恋愛感情ではない、もっと深い「愛」からイマジネーションを膨らませ、「Snow haration」を作り出しました。

彼女たちの必殺曲を生み出したのもまた「イマジネーション」だったわけです。

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「Snow haration」完成秘話をググる千歌を見て感心(?)する梨子に曜は「千歌ちゃん、スクールアイドルに恋してるからね」と告げます。

「スクールアイドルへの愛情」を力に変える、というのはこれまた「花陽的」ですね(しつこいですがw)

そして、梨子と曜は、「その思いを歌詞にすれば良いのでは?」と気づきます。

「それならいくらでも書ける!」と言い、メモを始める千歌。

その「大好きなもの」に「真っ直ぐに向かう視線」を見ながら、梨子は「ピアノを始めたばかりの自分」を思い起こします。

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(「真っ直ぐ」な千歌の行動が、梨子を深淵から救い出していきます。)

そんな風に思いを馳せる梨子に、千歌が手渡したのは、自作の詩…ではなく、参考資料となるμ'sの歌詞でした。

その歌詞とはユメノトビラの歌詞。

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ラブライブ! 2期 μ's 「ユメノトビラ」

ここで「ユメノトビラ」が登場するのは、少し予想外でした。

ただし、OPテーマ「青空Jamping Heart」の歌詞にも

”いつもの世界が 新しい扉を!(もっと!)

隠してるの(Lets GO!)

全部 開けたいよ!”

というフレーズがある通り、サンシャインという作品にとっても意味のある楽曲ということなのでしょう。

 

また、後述しますが2話にとっても、この「ユメノトビラ」はテーマ曲として成立していたことに後々気づかされます。

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 千歌のまっすぐな「ユメノトビラ」への思いを受け、楽曲を聴く梨子。

そして、その曲が、その歌詞に込められた思いが、彼女の止まっていた「時間」と、「音楽」を再び動かしていきます。

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(あの日からずっと弾けなかったピアノを再び弾き始める。素晴らしいシーンです。)

彼女を暗闇に閉じ込めたのが音楽(ピアノ)だったとしたら、彼女を再び太陽の下に帰したのも音楽(スクールアイドルの楽曲)でした。

 それを象徴するように、ファーストシーンでは暗闇に包まれていたベランダが、月明かりに照らされて輝いています

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このシーンには多くの意味が含まれています。

ユメノトビラ」の歌詞「夢の扉 ずっと探し続けた 君と僕との 繋がりを探してた」にある

「夢の扉」

とは、梨子にとっての「千歌」であり、「スクールアイドル」であり、「音楽」である、と考えても良いのではないでしょうか。

迷いの中にいた梨子が、再び「希望」に出会ったからこそ、その道筋は光り輝いているわけです。

 

また、「月」というものに関してはどうでしょうか。

ご存じの通り、「月は太陽によって照らされ、輝き」ます。

ここから想像できるのは、梨子は「月」であるということです。

彼女は希望と自信を失い、「何をやっても楽しくない」状態にいた。

だから、彼女が一人でベランダに出た時には、暗闇しかなかった

しかし、千歌という「太陽」「スクールアイドル」という「太陽」に出会ったことで、彼女は再び輝きだした。

故に千歌と相対したベランダは煌煌と輝いているわけです。

※ここからファーストシーンで茫然と向かいの家のベランダを見つめる梨子は、「繋がりを探していた」梨子を表現するメタファー表現だと予想もできますね(この時点では隣にだれが住んでいるか、梨子は知る由もなかったはずなので、そこを見つめるという行為には現実感がありません)。

 

ようやく輝く方法を見つけた梨子。

しかし、またも暗闇に立ち返ろうとしてしまいます。

それは「スクールアイドル」というものを真剣に好きでいる「千歌」を目の当たりにしたからこそ、「ピアノに心を残している自分が、そんな曖昧な気持ちで(スクールアイドルに)取り組んで良いはずがない」という、梨子らしい真面目な悩みでした。

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しかし、そんな梨子の思いを、千歌は「受け止め」ます。

「一回スクールアイドルをやってみて、笑顔になれて、変われたら、また(ピアノを)弾けばよい」

それは「スクールアイドル」はあくまでも通過点であって、「ゴールではない」という表明でもあります。

この思想が、「ラブライブ!」という作品が、他のアイドル作品と一線を画す最大の要素なのですが、ここはまた別の機会に触れるとしましょう。

千歌の思いにこたえることを避け、逃げようとする梨子に対し、千歌は全力で腕を伸ばします。

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この突飛且つ無意味にしか映らない行動は、一見「なんの意味があるのかわからない」シーンですが、ここでラブライブ!サンシャイン」という作品と「SUNNY DAY SONG」という楽曲の関係性に触れる必要があります。

 

タイトルからも明らかですが、「サンシャイン=太陽の光」というのは、この作品のキーワードとなっています。

デビューシングル君のこころは輝いてるかい?」が劇場版ラブライブ!のテーマソングである「SUNNY DAY SONG」のアンサーソングであることは明確ですが(この辺は別個解説するようにします)、作品全体も「SUNNY DAY SONG」のアンサーとして成立しているように思えて仕方ありません。

この第2話にも「SUNNY DAY SONG」の歌詞をモチーフにした表現が数多く登場しますが、その際たる部分がこのラストシークエンスです。

SUNNY DAY SONG」の歌詞にはこうあります。

「受け止めてあげるここで 最初は少しためらっても

 受け止める場所があるって もっともっと知ってほしくなるよ なるよ」

と。

これは、このラストシークエンスにおける、千歌の気持ちそのままです。

千歌がSUNNY DAY SONG」の影響を色濃く受け継いでいるのは、彼女がμ'sのフォロワーだからです。

劇場版ラブライブ!という作品は、μ'sが「SUNNY DAY SONG」をスクールアイドルたちと「共作」することで、μ'sが「太陽」なるのではなく「スクールアイドルそのもの」を「太陽に変えていく」

そして、その太陽を目指すフォロワーを生み出していく物語でした。

だからこそ、彼女たち(μ's)が解散したとしても、彼女たちの意志を受け継いだ「スクールアイドル」が各地に生まれ、新たな物語を紡いでいく。

そして、それを信じるからこそ、μ'sが解散しても何も問題はない

というある種の「神話」でした。

(マジメに書いてると馬鹿らしくなってきますが、ほんとにそういう映画なんだからしょうがないよねw)

SUNNY DAY SONG」というのは、その神話を成立させるための楽曲。

どんな時代や時間でも、「自分の可能性を、希望を信じるもの」の耳にSUNNY DAY SONG」は聞こえてくる(だから映画冒頭、少女時代の穂乃果の耳に「SUNNY DAY SONG」が聞こえてくるという捻じれ現象も起きていたわけです

故に、千歌はその原則に倣って行動しているわけです。

歌詞に戻りましょう。

同じくSUNNY DAY SONG」の歌詞にはこういう部分もあります。

「自分から 手を伸ばしたら もっともっと面白くなるよ なるよ」

と。

これは梨子に向かって手を伸ばしている千歌の行動、でもありますが、実質的に千歌の位置から、梨子の位置まで手を伸ばしきるのは不可能です。

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故にこの千歌の行動は、梨子に「手を伸ばしてほしい」という気持ちの表れである、と考えられます。

人に引っ張られるのではなく、つかまえられるのでもなく、「自分から手を伸ばし」求めるという行為。

これは、長らく梨子が「失っていた」ものでもあります。

「この道が正しいかどうかわからないけど、とにかく飛び込んでみる!」というのは、ラブライブ!というシリーズが推奨する精神でもあります。

※こういった精神を「リープオブフェイス」とも呼ぶわけですが、これまた宗教用語として使われることが多いので、一旦省きます。

また、そこまでの意味はなくとも「不可能と思われることに挑戦する」という行為のメタファーとしても受け止められます。

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 ジリジリと伸ばした指同士がつながった瞬間、月明かりが一層輝き、EDテーマが流れ出す。これでもかと感動の押し売りをしてくる、くどい演出ですが。

しかしその感動は本物です。

さて、こうして太陽に近づいた月ですが、彼女自身も輝ける太陽となっていくのか、はまだ現時点では分かりません。

この二人が、この後どんな物語を紡いでいくのか、俄然楽しみですね♪

 

■EDテーマの意味とは...。

繋がった二人の指をバックに流れ出すEDテーマ「ユメを語るよりユメ歌おう」は、素晴らしかったですね。

EDで表現されるキャラクター同士の掛け合いには多幸感しかなくて、これを見てるだけでグッとくるくらい。

そして、なによりも歌詞。

「ユメを語るコトバより ユメを語る歌にしよう
それならば今を 伝えられる気がするから! 
ユメを語るコトバから ユメを語る歌が生まれるんだね♪」

もはや、これありきで2話のストーリーを書いたのか!?と思わんばかりのストーリーとの一致性。

梨子の心を動かしたのが「夢を語る言葉」ではなく「夢を語る歌=ユメノトビラであったように。

そして、今後それぞれの「夢を語る言葉」から、Aqoursの「夢を語る歌」が生まれていくという暗示

毎度毎度、同じ言葉の接続詞を変えて、つなげるだけでここまで効果的な歌詞が作れるのか!と感服しきりです。

そして、この曲のテーマ自体も非常に普遍的。

かつて、ブルースが、ロックが、フォークが、ソウルが、JAZZが、怒りや、悲しみや、喜びや、楽しみを、よりダイレクトに伝えるために、音楽として発展していったように、「歌」というのは「言葉」を伝えるために存在するのです(だから最近一瞬流行った音楽に政治云々というタグは全く持って意味不明です)。

そして時を超え歌い継がれ、その時代を楽曲の中に「固定」するからこそ、音楽は尊いのです。

・・・・とにかく、フルで早く聞きたい!!!と強く思いますね。

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屋上に水で書かれたの文字と同じように、儚く消えゆく運命にある砂の上に書かれた文字。この「切なさ」こそが「アイドル」をテーマにした作品には必要なんですよね...。

 

というわけで、糞長くなりましたが、第2話の感想でした。

いやぁ、濃密でしたが、それ故に酒井監督がいよいよ信頼できるなと感じる30分間でございました。

次回がもはや待ちきれない!!!

それでは次回のハイライトでお会いしましょう。チャオ!