皆様こんにちは、こんばんは。
今回はキャラクターコラム「桜内梨子編」をお送りして参ります。
2期考察では梨子に触れる機会も多く、もはや「やりつくした感」もあるのですが...。
とはいえ、今一度これまでの記事の内容などを踏まえつつ、私なりに「桜内梨子というキャラクター」と「2期の物語」の「相関」を総括してみたいなと思います。
毎度毎度ではございますが、本稿は筆者の妄想に近いものであり、公式の設定等ではございません。予めご了承の上でお楽しみ頂ければと思います。
それでは参りましょう、桜内梨子編です。
■桜内梨子と1期
1期においては千歌と共に物語の「根幹」を担う存在だった梨子。
「スクールアイドルは自分でオリジナル楽曲を作曲しなくてはならない」
そんな高いハードルを突破するために舞い降りた「奇跡」。彼女の存在が無ければ、「新Aqours」の物語は動き出すことが出来ませんでした。
しかし当時の彼女は「音楽を作り出すことが出来ない」状態。
音ノ木坂学院に「音楽特待生」として入学しながら、コンクールで良い結果を出すことが出来ず。その中で次第にスランプに陥り。課題曲「海に還るもの」の作曲が進まない中で、音楽コンクールでは「ピアノが弾けなくなる」という事態に。遂に決定的に「音楽が楽しめなくなった」彼女が逃げるようにしてやってきた場所が浦の星女学院。それが1期1話での彼女の現状。
つまり1期第1話の彼女は、正しくそのスランプの「まっ只中」にいたことになります。
千歌の執拗なスクールアイドルへの誘いにも応じず(というよりもスランプまっただ中の彼女には応じる余裕もなく)逃げ続ける日々。その中で千歌から教えられた楽曲「ユメノトビラ」が、彼女と「スクールアイドル」との「懸け橋」になります。
音ノ木坂学院に在校しながら、μ'sのことを「丸で知らない」彼女。それだけ「ピアノ」へと真剣に打ち込んできた時間が長いことを示すと同時に、彼女が「新しい物事」に対して、ほんの少しだけ「臆病な人」であることを示すエピソードのように思えます。
そこで初めて触れた「スクールアイドルの音楽」が、彼女にとっての「音楽体験の原初」即ち「音を楽しむことが出来ていた日々」を思い起こさせます。
いつしか「コンクールでの失敗」以降触れることの出来なかった鍵盤に向かう梨子。「ユメノトビラ」を弾くことで蘇る「音を楽しむ感覚」。「ユメノトビラ」を演奏する彼女はまさしく「音を楽しむ」ことが出来ていました。
それを聞いていた千歌から改めて送られる「スクールアイドル加入」への「ラブコール」。(「ピアノが弾けないこと」が彼女が「スクールアイドル入りを拒んでいた理由」の一つでもありました。)
しかし彼女にとって一番大事なものはあくまでも「ピアノ」。そんな自分が軽い気持ちで「スクールアイドル」になって良いものか。真面目で臆病な梨子故の悩みを、千歌は「ピアノを捨てる必要はない」「またピアノを楽しめるようになった時には、ピアノに戻れば良い」と説き伏せ、手を差し伸べます。
これまでの人生で「ピアノ」とだけ向き合い続けた梨子に与えられる「ピアノ以外の選択肢」という「可能性」。それは、これまで梨子が「考えもしなかった」事であるのと同時に、「臆病故に向き合えなかった」要素でもあるもの。
「少しでもやってみたいという気持ちがあるのなら、思い切って手を伸ばして良い。」
1期2話ラストシークエンスにおいて、千歌が梨子に向けて手を伸ばすのは、その「可能性」を肯定する為であり、梨子がその手に触れようと必死に腕を伸ばすのは「届かないであろうもの=千歌の手」に「触れようと試みて、実際に触れること」こそが「可能性の肯定」の「第一歩」だからでもあります。
「可能性を信じるもの(千歌)」と「可能性を信じたいと願ったもの(梨子)」。
二人の指先が触れ合うことによって果たされた「可能性を願う事」と「願いが結実する事」の「肯定」によって、「ラブライブ!サンシャイン!!」の物語は大きく動き始めます。
思えばこの時点で梨子というキャラクターの要素は確定しているようにも思えます。
千歌が「可能性を信じる人=未来を信じる人」であるのと対照的に、梨子は「可能性を信じたい」けれども「根本的には未来に対して臆病な人」である...ということです。
千歌がどれだけ傷付いたとしても、真っ直ぐに「未来」を信じて、突き進もうとする人であるのと対照的に、梨子は「信じた未来」に「手が届かない」場合には、ほんの少し「未来を懐疑的」に見てしまう、ある種「現実的な人」でもある。
この差異を念頭に置いた上で梨子の物語を読み解いてみると、彼女にとっての「2期の物語」がどういうものなのかが、更に見えてくるように思えるのです。
■桜内梨子と1期終盤~2期序盤
Aqoursとして活動する中で、「ピアノコンクール」と「海に還るもの」という二つの「カセ」をクリアすることが出来た梨子。
それはAqoursとしての活動および千歌の後押しがあったからこそ。そんな感謝を伝えるために「海に還るもの」を編曲し「想いよひとつになれ」という楽曲へ変え、Aqoursへと渡した梨子。
Aqoursは8人でのパフォーマンスというハンデを抱えながら、本楽曲の力もあって見事地方予選を突破しました。
更にそれまで行くことが出来なかった母校=音ノ木坂へ赴き、感謝を告げることで改めて「自分達だけの道」を走ることの意味に気付き、その思いを「MIRAI TICKET」へと託し、東海地区予選へと挑む。
しかしながら、東海地区予選では惜敗。Aqoursの「ラブライブ優勝」への道は一旦閉ざされてしまいます。
そんな中でも1期13話で願った「説明会応募生徒を0から1にする」ことは達成。「叶えたい未来」を小規模ながら叶えていく事で、自らが望む「未来」そしてその先にある「輝き」へとほんの少しだけ近づいている。そんな実感がAqoursの推進力にもなっていました。
しかし、そんな中明らかになる「浦の星女学院の統廃合問題」。
間もなく「学校が無くなってしまう」という事実。
1期で約半年をかけてようやく「0名」から「1名」に増やした新入学候補生。その努力と成果を一瞬で「ひっくり返してしまう」ような出来事。
東海地区予選敗北で「強く願ったとしても、必ずしも望んだ未来に手が届くとは限らない」ことを実感していたとはいえ、更に追い打ちをかけるようなこの一件。さしもの千歌が打ちのめされる中で、梨子は当然「未来に対して臆病」な一面を表出させます。
「どうすればいいのか分からないの」
梨子の本質は「未来に対して臆病な人」である。けれども彼女は千歌のように「未来=可能性を信じる人」になりたいと思っている。しかしながら「現実」がその「意志」に「歯止め」をかけてくる。
梨子の内面に起きた「自問自答」。それは2期1話以降時折顔を出すようになります。
特に象徴的なのは2期3話。
「学校説明会と地方予選、どちらを取るべきか」という局面で、「チームを二手に分ける」ことを立案。「これで本当に良かったのかな?」と問う千歌と曜に対し...
「良くはない。けど最善の策を取るしかない。」
「私たちは奇跡は起こせないもの。」
「この前のラブライブの予備予選の時も、学校の統廃合の時も...」
「だからその時の一番いいと思う方法で精いっぱい頑張る。」
「可能性を信じること」を「肯定したいから」こそ、「全ての可能性」が「達成されうる」「現実的な最善策」を取ろうとする。
しかし本当は「両方が大事」なのだから、「両方を成立させる」「理想的な方法」を取りたい、とも思っている。けれども梨子にはその「理想」を「追いかける」勇気がない。
そんなジレンマがこの一連のセリフから滲み出ているように思えます。
とはいえ、梨子自身はこの選択肢を「良くはない」と断言しており、そこからは梨子自身が本質的には「どのような考え方を理想としているのか」に関しての回答が示されているようにも思えます。
結果的に梨子のこの「決定」の善し悪しは、「学校説明会組」が「地区予選組」に合流してしまったこと。更には「千歌の足掻き」によって「両ライブに9人で主演する」という「奇跡が達成されてしまった」ことによって、有耶無耶になってしまうわけですが...。
とはいえ、梨子自身はなんともいえない「モヤモヤ」を抱えたままこの後の日々を過ごしていくわけです。
しかしその「モヤモヤ」がとある「出会い」とそれを巡る「出来事」によって解決されていく。
その転換点となるのが2期5話「犬を拾う」なのだと思います。
■桜内梨子と「必然」
ちょっとした「偶然」から、一時的にこの「犬」を預かることになる梨子。
※犬が「苦手」な梨子。何故彼女が「犬を苦手なのか」に関しては具体的な説明は為されませんでした。
(梨子と犬に関する「ちょっとぶっ飛んだ考察」に関しては2期5話記事でかまさせて頂いたので、ここでは触れずに参ります。興味がおありの方は是非下記をご一読くださいませ。)
この回において「犬」と「梨子」の関係はとても重要なのですが、もう一つ重要なのは梨子が「善子の思考に触れた」事なのだと思います。
「ライラプス」a.k.a「ノクターン」こと「あんこ」を巡る一連の出来事の中で梨子が知ったのは、善子の「過去」と「ヨハネ」という存在の持つ意味。そして善子自身の「人生観」でした。
子供の頃から「不運」に見舞われ続けた善子。しかしその「不運」を「善子」という人が「不幸」だからこそ起きうる「運命」なのだと捉えたくない。
それでは「津島善子」という人物は「運命に翻弄される」「不運なだけの人間」になってしまう。それを受け入れることを善子は「拒絶」しました。
故に善子は「堕天使ヨハネ」という自分の「別人格」を設定し、その「人格」が「不運に愛された存在」だからこそ自分は「不運」なのだと捉えなおす。
即ち自らの身に起きる「偶然」を「偶然」として受け入れず、自らの在り方に基づく「必然」なのだと捉え直すことにしたわけです。
こう捉えなおすことで、善子は「自分の身に起きる全て」を「必然」なのだと捉えなおすことが出来るようになる。それは「未来」に関しても同じで。
つまり仮に「今」は「失敗」に見える「結果」でも、「未来」においてなにかを「成功」へと導くための「必然」なのだ...と捉えなおせるようになったわけです。
「良いこと」も「悪いこと」も、全てに「意味」がある。だからそれらを全て「受け入れて」生きる。
とてつもない「ポジティブ思考」ではありますが(笑)、とはいえこれが梨子にとっては福音となります。
「可能性を信じる人になりたい」けれども根本的には「可能性を信じられない」梨子にとっては、「結果の決まっていない未来」を闇雲に信じることが出来ない。
だからどうしても、目先の「過程」や「結果」が気になってしまう。また一度の失敗に深く落ち込んでしまったりもする。
けれどもそうではなくて、「トライした結果」は「良い結果」だろうと「悪い結果」だろうと、必ず「未来」へと繋がる「必然」になるのだと捉えなおす。
そうすることで自分の「行動」そのものを「肯定」出来るようにもなる。
仮に「悪い結果」が起きたとしても、それを「自分が信じて選んだ上での結果」なのだと考える。
すると「悪い結果」が「悪い結果」としての意味だけでなく、「自分が望んだ未来」へと繋がっていく「必然」としての意味を持つ存在に変わっていく。
自分の「決定」をそう捉えなおすことが出来れば、自分が「叶えたい」「可能性」へと、真っ直ぐに向かって行ける。
憧れた「千歌の在り方」と、過程は違えど繋がっていく「思考方法」。
それを手に入れたことで、梨子は大きく成長を果たしていくことになります。
2期5話において「それどういうオチやねん!」などと突っ込まれた「梨子が犬に触る」というラストシークエンス。
しかしここには、善子の「思考」に触れることで、「今」の自分の「在り方」を「変える」ことが出来た梨子の「変化」が象徴されています。
これまで逃げ続けた対象に、自ら「腕を伸ばす」。そこには「無謀な可能性」へと踏み込めなかった梨子の、彼女なりの「小規模ながら大きな成長」が示されているのだと思うのです。
■桜内梨子と「全てに意味がある」
2期5話で印象的に語られた「全てに意味がある」という言葉。これは2期における梨子の「キーワード」へと変わっていきます。
自分が選ぶこと、選んだこと、その全てを「必然」なのだと捉えなおすことが出来るようになった梨子。彼女が「肯定」出来るようになったのは「可能性=未来」だけでなく、これまでの「結果=過去」でもあります。
1期物語終盤において「海に還るもの」を完成させ、「ピアノコンクールでの優勝」も果たした梨子。私は2期予想記事において「もはや梨子が浦の星に居続ける必要性は無くなった」と書きました。
結果として2期で梨子が「音ノ木坂に復帰する」という物語は描かれませんでした。しかしながら梨子の内面には少なからず「このまま浦の星にいることが自分にとってプラスになるのか」という葛藤もあったのだと思うのです。
もちろん「Aqours」としての活動も、「浦の星女学院の仲間と過ごす時間」も尊い。
けれども第1項で書かせて頂いた通り、彼女にとって最も大事なものは「ピアノ」である。これはいかに様々な出会いを経たとしても変わらないもの。
だとすればこの1年を浦の星で過ごす...ということが「ピアノを専攻する」うえで「マイナス」にはならずとも「プラス」にはならない。
冷静でリアリスティックな梨子であれば、頭の片隅でそんな風に感じてしまうのではないかな?とも思うのです。
しかし2期5話で「必然」の意味を知り、その中で「自分の過去」および「これから自分が選んでいく選択肢」全てに「意味がある」のだと悟った梨子は、自らの直観を信じて「スクールアイドル」として、「Aqours」として、「浦の星女学院の生徒」として過ごす「今」を「選ぶ」。
これまでは選べなかった「自らが信じる理想」に殉じるという「選択」。
それは「過去」を肯定できるようになったからこそ選べる「今」でもあるように思えます。
「千歌」や「スクールアイドル」との出会いがあったからこそ、もう一度「ピアノ」と向き合えている「今」があること。
それだけでなく、「音ノ木坂での葛藤の時間」や「東京から内浦に逃げるようにやってきた時間」といった「辛い過去」があったからこそ、「千歌たちと出会えた」「今」があること。
「良い過去」も「辛い過去」も、その全てを「今に繋がる必然」なのだと捉える。そうすることで自分の「今」をも「全力で肯定する」ことが出来るようになる。
その集大成が2期12話での独白なのだと思います。
選んだ「今」を「必然」に変える為に。
「自分の選んだ道」が「間違いではなかったこと」を証明する為に。
「ピアニスト」を目指す上では回り道になったはずの「スクールアイドル」としての時間に「未来への必然」としての「意味」を与える為に。
全ての「過去」の着陸先としての「今」を、そして自らが選んだ「未来」を、全力で「肯定する」ために。
「ラブライブ」で「勝つ事」。「スクールアイドル」を「全力で楽しむこと」を宣言する。
「だから勝ちたい...。」「ラブライブで勝ちたい!」
「この道で良かったんだって証明したい!」「”今”を、精いっぱい全力で!」
「心から...スクールアイドルをやりたい!」
そう宣言する。
「理想の在り方」と「現実性」との間で悩み続けた梨子がたどり着いた「自らの今」に対する全力の「自己肯定」。
この台詞からは、2期における梨子の「成長」の全てを実感することが出来ます。
「過去」を見つめ、「今」を見つめることで、「未来」を描くことが出来る。
決戦の曲「WATER BLUE NEW WORLD」にも通底する世界観。
「イマを重ね そして 未来へ向かおう」
そんな楽曲のメッセージと、梨子の「進化」とは決して無関係では無いと思うのです。
ということで、2期総括桜内梨子編でした。
正直網羅しきれていない部分もありますが、他の梨子に関する要素は下記に書かせていただきましたので、是非こちらにも目を通して頂ければと思います。
さて、長く続いてきたキャラクター編もいよいよ次回がラスト(?)。
大好きな高海千歌編です!
1期でも2期でも常に千歌が中心にいた「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語。2期では特に彼女の「人間味」が溢れ出て、結果的に千歌を「苦手」に感じる人も出てしまったようですが、僕は彼女の「そんな所」こそが魅力なのだと感じています。
その辺しっかりお話できればと思っておりますので、是非次回もお付き合い頂ければ幸いです。
今回も長々とおつきあい有難うございました!
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