皆様こんにちは。そしてこんばんは。
毎度おなじみLoveLive! Aftertalk!です。
今回は2期初のキャラクターピックアップ回。しかもその対象がダイヤということで、放送前から非常に盛り上がっておりました。
本放送はその期待に応えるかのような、楽しくワチャワチャした回で、1~3話の重苦しさに耐えかねたライバーたちにとっては一服の清涼剤となったようです。「ラブライブ!」を「萌えアニメ」として捉えた場合、そんな事態ってどうなんだ?というは問題もあるのでしょうが、それはこの際置いておきましょう。そもそもこの作品「萌えアニメ」ではなく「燃えアニメ」ですし。
さて、実は今回「物語の構造を分解していく」従来の流れとは少し変えて語っていこうと思います。というのも、歴史を辿ると今回のお話に似通った回が何話もあり、なおかつ物語の構造やテーマの概要に関しても、ほぼ同じ。狙いに関しても同じということで、改めて構造のお話をしてもどうなんだろう??と感じたからです。
故に書き始めるまでに少し時間がかかったわけですが...。
今回のお話を、ざっくりとまとめてしまえば、「他人の評価する自分」を「自分自身が改めて認める」ことで、「自分自身の持つ価値を再認識する」という物語。
これは「ラブライブ!」2期5話の「新しいわたし」。「ラブライブ!サンシャイン!!」1期5話の「ヨハネ堕天」と共通するテーマ。
つまり「ラブライブ」というシリーズ全体を通じて語られてきた「普遍的なテーマ」の一つでもあります。
故に「物語構造」に関しては、過去の記事と大部分重複してしまうわけです。
では、今回の物語のどこが上記2話と違うのか。
と考えた場合出てくるトピックスは、やはり「黒澤ダイヤ」という存在なのかなと思います。
ですので、今回は物語の全体像を追う...というよりも「黒澤ダイヤ」という人に焦点をあてつつ、彼女の存在がどのようなフックとなって、お話が展開されていったのか。それがどういった部分でこれまでの類似するお話との「違い」を生み出していったのか。
そういった部分を考えていければと思います。
※本考察はテレビアニメ版の黒澤ダイヤを下敷きとした考察です。
また、あくまでも私の主観が多分に入ったものですので、皆様との認識に齟齬は発生する可能性は十分にございます。もしかしたらダイヤが大好きな人にとっては拒絶反応を与える可能性もございます。その点も予め考慮のうえ、ご一読頂ければ幸いです。
さて、前置きが長くなりましたが、参りましょう。
第17話「ダイヤさんと呼ばないで」です。
■千歌の自信と「自己の他有化」
物語の始まりは、「ラブライブ地区予選の結果発表」の場から。
緊張の面持ちのメンバーとは対照的にリラックスした様子の千歌。その背景には「聖良からのお墨付き」があるようです。
「私が見る限り、恐らくトップ通過ね」
同世代のスクールアイドルであり、凌ぎを削るライバルでありながら、どこか縁のあるSaint snowとAqours。そのリーダー同士である千歌と聖良は、自然とコミニケーションを取る機会が増えているようです。知らない間にスカイプ通話までしている(しかも初めてではなさそう)というのは驚きましたが。この辺りは千歌の人柄ゆえかもしれませんね。
また、この「聖良からのお墨付き」は、千歌が自ら彼女に提案し「引き出した解答」のように思えます。
東京であれだけボロクソに言われた相手に対して、改めて自分達の評価を確認する...というのはそれなりの覚悟が必要な行為。しかし今それが出来るのは、千歌にも千歌なりの自分達の活動に対しての「自負」が芽生えてきているからなのかもしれません。
※作劇的には「相手が誰であれ、率直な評価を相手に与える存在」として聖良が設定されていることが視聴者の頭には入っているため、逆説的に聖良の高評価が「正しい意見である」ことが伝わる構造になっています。この辺は上手いと思いました。
「あれだけのパフォーマンスが出来た」と千歌自身が評価する予選でのパフォーマンス。第8話「くやしくないの?」では「今の私達の精いっぱいが表現できただけで満足」と語っていた時代からすると(これは多分にやせ我慢込みの発言ではありましたが)大きな成長であると同時に、スクールアイドルとしての活動に彼女なりの「欲」も出てきているのかな?と感じられます。
また、このように「自分の価値」を、信頼できる「他者」に「評価してもらう」ことは、「自信を深める」という点においても重要なことだと思います。
こういった千歌の行動からも分かる通り、今回の物語のテーマは「自己の他有化」にあります。
「自分自身」を一旦「他人に受け渡す=他有化する」ことで、相手からの「評価」を得る。それを「自分自身の価値」として受け入れることで、「成長していく」。
「自分とはいったい何者なのか」という「アイデンティティ」確立の過程においても、必ず入ってくる「自己の他有化」という要素。
人間は「自分のことは自分が一番よく知っている」はずなのに、時折その「自己評価」に疑問を持たざるを得なくなる瞬間があります。そんな時には「他者から見た自分」=「まなざし」というものが一つの目安になる時もあるのです。
また、「自己評価」が「自己に対する過剰な信頼=傲慢さ」に繋がったり、逆に「自己に対する過剰な低評価=卑下」にも繋がったりしてしまいがち。それゆえに他者からの「まなざし」というのは、「アイデンティティ」の確立という面だけでなく、生きていくうえでも結構重要なのです。
「予選通過」の結果をもって、盛り上がるAqoursメンバー。その中で1年生の花丸は「果南ちゃん!」と3年生の果南に飛びつき喜びを表現。
同じく1年生の善子も「マリー!」と3年生の鞠莉を呼び捨てして、喜びのポーズを決めるなど、
「学年」という垣根を越えた「アイドルチーム」としての関係の深さを感じさせる場面が続きます。
そんな様子に違和感を感じるのが、今回の主役となるダイヤ。
彼女は同級生であり、親友でもある鞠莉と果南以外からは「呼び捨て」で呼ばれることがありません。これまではさして気にも留めなかったそんな事実が、気付いた途端に気になって仕方なくなる。
「私ってもしかして、このグループの中で浮いてない??」
そんなダイヤの悩みが引き起こすドタバタが今回の物語のメインとなっていきます。
ダイヤはなぜ「呼び捨て」でも「ちゃん付け」でも呼ばれないのか。そこにこの物語のメインテーマが眠っているわけですが。
とはいえ、ここから彼女の「アイデンティティクライシス」と、その「解決」が描かれていきます。
今回のお話、先ほど語った通り、物語の構造や狙いに関しては「新しいわたし」や「ヨハネ堕天」とほぼ同じ要素をもったもの。
しかし、これらと少しだけ違う要素があるようにも思えます。
その要因がどこにあるのかといえば、それはもちろん「黒澤ダイヤ」という人のパーソナリティにあるのでしょう。
■黒澤ダイヤの矛盾
個人的に...ですが、黒澤ダイヤという人は1期の物語を通してだと、掴みどころのない「謎の人物」という印象を受けました。
表面的には「生徒会長」という役職が示すところのステレオタイプなキャラクター(マジメ・融通が利かない・指導力がある)でありながら、時折それを「平然」と覆す要素がある。
特に「謎」なのは、行動言動の「矛盾」が多いところでしょうか。
1話・2話から「スクールアイドルを認めない」立場にも関わらず、「聞かれてもいないスクールアイドルの知識をベラベラしゃべる」という矛盾に満ちた行動をし...
3話ではあれだけ反対していたAqoursのライブが、停電というアクシデントで中止に!?という事態に陥った時には、シレっと予備電源を持ってきてライブ継続への手助けをしました。
かと思えばライブ成功直後のAqoursには、「この成功は、街の人や、これまでのスクールアイドルの努力があってこその成功なのだ」と「自分の協力」を排除した理論で釘を刺す。
ルビィのAqours加入を反対していたにも関わらず、いざ加入が決まると喜びを隠せず、それを鞠莉に指摘されたり...
東京で敗れ傷付いたAqoursのメンバーに、自分達の「過去」と「失敗」を語ることで癒しを与えた...
と思いきや、その「失敗」の内容が後から「全く別の内容」にシレっと変わったり...
とにもかくにも「矛盾」に満ち溢れた行動や言動を繰り広げたのが、1期での黒澤ダイヤという人物でした。
これを「シナリオにおける狂言回しとして使われた弊害」と捉えてしまうのも、確かに理解できるのですが、僕はもう少しこの現象を「豊か」に捉えてみたいと思いました。
もしかしたらこの「矛盾」にこそ、黒澤ダイヤという人物を読み解く上での大事な要素が詰め込まれているのかも?と思ったからです。
ここから先はなんの確信もない妄想なので、そのつもりでお読みください(笑)。
■惑わない人、黒澤ダイヤ
実のところ、ここまで矛盾ばかりが目立ったダイヤの行動ですが、一点「一貫している」部分もあるのです。それはこれらの言動や行動を選択する際の彼女の「姿勢」です。ダイヤはこれらの言動行動をする際に「惑い」というものが一切無いのです。
本来自分の行動や言動に「矛盾」があれば、自ずとそれに気づくもの。どうしてもそれを選択する前に動揺や逡巡が出てしまうこともあるはずです。
にも関わらず、彼女にはその気配がない。彼女の、行動や言動は「矛盾」して「一貫性を欠く」にも関わらず、こと「行動選択」には一貫して「惑い」が無い。とすれば彼女はこれらの言動行動を
①「ほぼ『無意識』に『自動的に』ないしは『本能的に』選択しているのではないか?」
または
②「非常に計画的に選んでいるのではないか?」
という二つの案が浮かび上がってくるのです。
しかし、1期で起きた物事の関連性を見ると、意図的には起こし得ない因果関係も含まれます。となると、①が正解のようにも思えるのです。
となると彼女の言動や行動が「矛盾」しているのにも納得がいきます。なぜなら「理屈」をもっての発言や行動ではないのですから。自ずと齟齬が生まれて当然です。しかしダイヤはそんな一つ一つの行動や言動が起こす「齟齬」など気にしない。
それは何故か?
恐らく彼女は「齟齬」のもっと先にある「未来」を、初めから見据えているからなのでは?と思えるのです。しかも「本能的」に。
彼女が1期における「矛盾に満ちた」言動や行動で成し遂げた「未来」とは何か。
それは「Aqours」の再結成です。
彼女が願う最高の未来とは「果南・鞠莉と再びスクールアイドルをやる」ということ。そこに最大の願いでもある「ルビィも一緒にスクールアイドルをやる」を加えた、彼女が願う中では「最高の形」となった9話での「Aqours再結成」。
もちろん千歌たちの「スクールアイドル活動」が発端として無ければ成し遂げられなかった「未来」ではあります。しかし、結果的には「そこ」にたどり着いてしまった。そしてその成立の根幹には間違いなく黒澤ダイヤの言動と行動が影響を与えていました。
9話EDで果南はこう語りました。
「千歌たちも、私も鞠莉も、きっとまんまと乗せられたんだよ。誰かさんに。」
このように果南が語り、鞠莉がそれに静かに頷くのは、やはりダイヤには昔からそういった「能力」があることを、二人は認識しているからなのではないでしょうか。
起きている現象や状況を巧みに操り、自らの理想とする「形」へと、自然にまとめてしまう能力。これはある種の「異能」でもあります。そしてこの「異能」にこそ黒澤ダイヤという人のパーソナリティが隠されているのでは?と思えるのです。
■神童としてのダイヤ
「真面目でちゃんとしてて、頭が良くてお嬢様で、頼り甲斐はあるけど、どこか雲の上の存在で、みんなそう思うからダイヤもそう振舞わなきゃって、どんどん距離を取っていって」
17話において果南と鞠莉が語る幼少期からのダイヤの印象。この一遍からだけでは伝わらないですが、私は彼女がある種の「神童」なのでは?と感じました。
子供のころから様々なことをすぐに理解し、実践できる。人間としても良く出来た人物で、あらゆる人から尊敬を得る存在。それは、生まれついての「指導者」でもあります。
おそらく幼少のころから、何か「簡単には解決できない問題」を、有耶無耶のうちに整理し、「あるべき形に収める」という行動を彼女が繰り返してきたのでは?ということがこの1幕から想像できます。
とはいえこういったある種の「天才」には「孤独」がつきもの。私がダイヤのパーソナリティを通して類似性を見出したのは、同じく「ラブライブ!」の登場人物である西木野真姫でした。
彼女は「指導者」ではなく「芸術家」ではありますが、「天才」ゆえの「孤独」を常に抱えてきた人物でした。家柄・美貌・そして音楽家としての能力。それら「生まれついての能力」を持ったが故に「他人」と距離感が生まれ「孤独」を抱え続けていた真姫。「ラブライブ!」はそんな「孤独な魂」が「救われていく」物語でもありました。
「才能」を持ちながら、その才能自体が「孤独」によって消し去られそうになっていたところを、「孤独な魂」を繋げる存在である「穂乃果」や「μ's」や「アイドル」の存在によって救われた真姫。
しかし、もしもこれらの出会いがなければ、真姫も「孤独」から脱却できずに、「自らの存在価値」と「現実」との間に翻弄されるままだったかもしれません。現実の「神童たち」の多くが実際には「孤独」を拗らせて辛い人生を送っているように。
幼少のころから「孤独」であり続けたが故に、μ'sとの出会いまで「孤独」を拗らせてしまった真姫。
しかしダイヤは真姫とは少し違います。
彼女には果南と鞠莉という「親友」にして「理解者」がいるからです。
二人はダイヤという人のパーソナリティを知った上で、それでも「一緒に居続けた」「無二の親友」です。彼女達はダイヤを「孤独」から救う存在であり、ダイヤの価値を「肯定する」存在でもあります。故にダイヤは「天才」でありながら、「孤独」に悩むことなく「まっすぐ」と育っていったのでは?と思えるのです。
ところが逆に、それ故に本人が見過ごしてしまった、「自分自身の本質」というものもあります。それは鞠莉と果南は理解しているのに、本人は「理解していない」もの。
果南が「本当は凄い寂しがり屋なのにね」と語るダイヤの本質。
しかしダイヤはそれを「自分の本質」として「把握できていない」のです。
その理由は彼女自身がその事実に「気づくタイミングがなかったから」でしょう。
自分の「あり方」を果南と鞠莉という存在を通して「肯定」されてきたダイヤ。反面そのありがたい存在が、ダイヤを「自分自身と向き合う」時間から「遠ざける要因」にもなってしまっていたわけです。
高校3年生の秋、人生において初めて「自分という存在」と向き合うことになった「異能」の「神童」。そんなある種の「歪さ」が黒澤ダイヤという人のパーソナリティであり、面白さなのかもしれません。
■ダイヤの迷いとアイデンティティクライシス
ダイヤの迷いの根幹にあるのは「自分だけが果南や鞠莉と違って敬語で呼ばれる」ことであり、ひいては「自分だけがちゃん付けや呼び捨てされない」こと。それによって「メンバーと自分との間に距離感が生まれているのでは?」という悩みです。
とはいえこういった「悩み」をなぜ今まで一度も感じたことがなかったのか。というとやはり彼女が「異能」の「天才」だったからなのでしょう。
これまでは鞠莉と果南以外には特に「親しい人間」を必要としてこなかった彼女にとって、「交友関係」は非常に「狭いもの」でした。3人だけで完結する関係が幼少期から現在に至るまで延々と続いてきたことで、その枠からはみ出すことがなかった。
初期Aqoursにしてもこの「幼馴染3人」で結成されたグループであり、いかに「アイドルグループ」という枠組みがあるとはいえ、「幼馴染」という関係性の延長線上に過ぎなかったわけです。
しかし「新Aqours」は年齢も育った環境も異なるメンバーが加わっています。するとその間では新たな交友関係が発生する。ダイヤもその「一員」である以上、いやでも新たな「枠」へと身を投じなくてはいけなくなる。故にこれまで感じたことの無かった「悩み」にぶつかることになった...と考えられます。
とはいえ、本当に「普通の人」であれば、学校のクラスなどで嫌でも実感せざるを得ない悩みともいえます。それだけに、それを今まで感じてこなかったダイヤが少し「異質」な存在にも思えるのです。
反面、そんな「異質」なダイヤが、ある種「普通の悩み」を感じることが出来るのも「Aqours」というグループに所属しているからでもあり、そういう意味では「Aqours」もまた果南や鞠莉と同じく、ダイヤを「救う存在」になっているのかもしれません。
■ダイヤが「持っているもの」と「欲しいもの」
ダイヤが欲しいもの。それは「親しみやすさ」です。故にAqoursメンバーに不可思議な接触を繰り返す。しかしAqoursメンバーはそんなダイヤの意図がついぞ理解できません。
メンバーと同じ視線で会話しようと試みるダイヤ。しかしその度にメンバーのフワっとした解答や雰囲気に我慢がならず、「適切な指導」や「ツッコミ」を入れてしまいます。
その見事な指摘に頷くばかりのメンバー。彼女達はより一層ダイヤへの「尊敬心」を高めていくわけですが、これはダイヤの本意ではない。彼女が欲しいのは「尊敬」ではなく「親しみやすさ」なのです。
とはいえ「尊敬心」というのは決してネガティブなものではありません。「親しみやすさ」とは少し異なりますが、その人に対してのポジティブな心の動きに他ならないのですから。しかしダイヤにはその真意は伝わりません。
先ほど書いた通り「親しみやすさ」と「尊敬心」は本来同じ「ベクトル」にあるもの。
しかし究極の部分では交わらない要素でもあります。
「尊厳」という字の通り、「尊敬」を受ける人物には同じく「一定の厳しさ」もあります。人にも自分にも「厳しく」出来る人物でなくては「尊敬」を受けることが出来ない。そして「厳しさ」と「親しみやすさ」は相反する要素でもあります。故に両方を得ようとするのは無理がある。とすれば、どちらかに思いっきり振り切るしかないけれども、ダイヤはどうしても本来の「厳しさ」が顔を出してしまい、「親しみやすさ」に振り切れません。
ダイヤは既に持っている「尊厳」ではなく、「親しみやすさ」を得ようと画策している。しかしその両者は共有し辛い要素を持っている。しかも自分の「本質」がそれをことさら邪魔する。それ故にかなり無理な状況へと自分を追い込んでいる...ということが、なんとなく見えてきます。
既に持っているものと、欲しているものが一致しない状況。そしてその状況に陥っている原因を把握できているのは「自分だけ」であり、メンバーはそんな状況をまるで理解できていないという所は、第11話「友情ヨーソロー」での曜を思い出させます。
曜の場合にも、今回のダイヤの場合にも共通しているのは、彼女達の悩みが「一人相撲」であるという点でしょう。
周りのメンバーも彼女達の異変には気付くものの、その「真意」にはなかなか気づけないし、解決法を提示することもできない。あくまでも「本人の気づき」と「理解」だけが「問題解決の糸口になる」という点でも、この2つの回は似た回なのかもしれません。
曜が梨子によって気づきを与えられ、その気づきを千歌によって「承認」されることで悩みから脱却したように、ダイヤもまた似た手順でこの「悩み」を解決していくことになります。
■自分自身の可能性との邂逅。ダイヤだから救えるもの。
底を突き始めたAqoursの活動資金。親に頼ることが出来ないAqoursは自らの力で活動資金をねん出することに。この辺りは「真姫資金」に頼り続けたμ'sへのアンチテーゼとなっているのかもしれません(笑)。
(神様に頼っても何ももらえないAqours。もちろん5円が500円にもなりません。。)
見つけたバイト先は伊豆三津シーパラダイス。「恋になりたいAQUARIUM」PVの舞台ともなった水族館ですね。
千歌宅や千歌と梨子がよく語り合う海岸、松月さんなど「ラブライブ!サンシャイン!!」のロケ地は近接していますが、三津シーもそのすぐ近く。内浦に行かれた際にはぜひお立ち寄りください。
うちっちーもいるよ!(実物の中身は渡辺曜さんではありませんが...えっ?中身などいない??その通り!!)
バイトを通じてメンバーと仲良くなろうと画策するダイヤ。しかし先ほども書いた通り自分の本質と「相反するもの」を手に入れようと画策している以上、その目論みは上手くいきません。
アシカに襲われる(?)ルビィと梨子を救うなど、相変わらず意図せず、メンバー内での「尊敬」を高めていくダイヤ。
思うようにいかない計画。そんなダイヤの「攻撃」を受けるメンバーもダイヤの様子に困惑。遂に唯一ダイヤの「真意」を聞いていた鞠莉と果南によってダイヤの行動の謎が種明かしされることになるのですが...。
対するダイヤは1人物思いに耽っています。「ただ仲良くなりたいだけなのに...。」
この段になっても、ダイヤは物事の本質(一人相撲)に気付く様子を見せません。
そんな中、三津シーを訪れていた園児たちが制御できずに園内を暴れ回る事態に発展。
ロス・インゴ・ベルナーブレス(制御不能)な事態にてんてこまいになるメンバーたち。そんな園児の中で一人、事態を納めようと試みる女の子がいました。
前髪ぱっつん気味のちょっと吊目な彼女。どことなく幼少期のダイヤを思わせる風貌です。「みんな!ちゃんとしてよ!!」必死に制止しようとする彼女の声を、しかし誰も聞いていません。
そんな彼女の言葉から、何かを感じ取ったダイヤ。
「みんなー!スタジアムにあつまれー!」
機転を利かし、飛び込み台の上で注目を集めるダイヤ。
まるで子供番組の歌のお姉さんのような仕草で、子供たちを自分のもとに引き寄せます。
「園児のみんな 走ったり大声を出すのは、他の人の迷惑になるから ブッブーですわ♪」
お馴染みのセリフを使いながら注意を促すダイヤ。
「みんな、ちゃんとしましょうね♪」
あの女の子が言っても、一向に聞く様子の無かった言葉に「はーい」と返事を返す園児たち。ダイヤは事態を収拾するだけでなく、事態収拾に女の子の言葉を用いることで、女の子のこともまた「救って」みせました。
映画文法的に解釈すると、この小さな女の子は、ダイヤにとっての「ドッペルゲンガー」的な存在と思えます。
また、この女の子の周りには彼女の「理解者」がいないことを考えると、この少女は近くに果南と鞠莉が「いなかった場合」のダイヤの「if」としてのメタファーなのでは?とも想像できます。
「真面目でちゃんとしてて、頭が良くてお嬢様で、頼り甲斐はあるけど、どこか雲の上の存在」だったダイヤが、もしも自分の「あり方」を肯定してくれる存在と出会えなかったら。もしかしたらこの女の子のように「孤独」に打ち震えていたかもしれません。「正しさ」をひたすらに主張する事しかできず、それが受け入れられず泣いていたかもしれません。
しかし、ダイヤは違います。彼女には自分の価値を認めてくれる存在がいます。そしてそれに加えて彼女には「音楽」が「アイドル」が「心の支え」として存在しています。
1期ED曲「ユメ語るよりユメ歌おう」内の
「ユメを語る言葉より ユメを語る歌にしよう それならば今を 伝えられる気がするから」
という歌詞の通り、歌は本来「メッセージ」をより普遍的に多くの人に伝えるために発生したものです。
劇中では歌っているわけではありませんが、音楽に合わせ楽しげに踊りながら発せられる言葉は、正しく「歌」に等しい存在だと思います。
ダイヤが「歌う」ことが出来るのは、彼女もまた歌を武器として生きる「アイドル」だからです。
「真面目でちゃんとしてて、頭が良くてお嬢様で、頼り甲斐はあるけど、どこか雲の上の存在」だけど「アイドル」でもある。
そんな黒澤ダイヤならではのアイデンティティを与えてくれているのは、鞠莉や果南であり、「Aqours」という居場所なのです。
そして、それこそが黒澤ダイヤという人の「アイデンティティ」でもあるのです。
ダイヤはこの女の子を通して、「過去の自分」や「自分の可能性」を疑似視し、改めて自分自身の在り方を再度発見するに至ったのでしょう。
そして「過去の自分」を「今の自分」が救うために、「ダイヤなりのやり方」で女の子を救うのではないでしょうか。このシーンにはそんな意図を感じてしまいました。
そして、ダイヤとの出会いは、この女の子にとっても大きな「出会い」となりました。
自分に良く似た存在であるダイヤの「あり方」が、彼女にとっても「自らが目指す指標」になっていくと思えるからです。
ダイヤがμ'sという「アイドル」の存在によって「救い」を得たように、この女の子も「Aqoursの黒澤ダイヤ」という「アイドル」との出会いが、人生における「大きな出会い」であり「救い」になったはず。
なんでもない人生の、なんでもない一瞬に「輝き」や「ワクワク」を与える。そしてそれがその人にとって「重要な要素になっていく」「生きる糧になっていく」。それは永遠にリンクしていく。「だからアイドルは最高なのよ」と語った矢澤パイセンの声が思い出されます。
■ダイヤらしさとは。
ドタバタの末(ほとんどが一人相撲でしたが)「結局私は私でしかないのですわね」と結論付けたダイヤ。
そんなダイヤの独り言に千歌は「それでいいと思います」と答えます。
「確かに果南ちゃんや鞠莉ちゃんと違ってふざけたり冗談言ったりできないなって思うこともあるけど...」
ダイヤが望んできたことへの明確な「拒絶」を伝えられ、悲しげに顔をゆがめるダイヤ。
「でもダイヤさんはいざとなった時には頼りになって、だらけている時には叱ってくれる。」
「ちゃんとしてるんです!」
自らが少女を鼓舞するために使った言葉は、ここではダイヤの在り方そのものを「肯定する」言葉として自分に跳ね返ってくる。ここはシナリオ上の上手さだなと思いました。
「だからみんな安心できるし、そんなダイヤさんが大好きです」
「だからこれからもずっと ダイヤさんでいてください!」
ダイヤが「ダイヤさん」と呼ばれることを嫌ったのは、メンバーとの間に見えない壁があるように思えたから。それは「グループ内における自分の存在意義に対する疑問」でもあったのでしょう。そのあたりはやはり11話の曜に近いものがあります。
しかし、千歌はそんなダイヤの悩みの本質を見抜いたうえで、ダイヤが何故「Aqoursに必要なのか」「なぜダイヤさんと尊称で呼ぶのか」を本人にしっかりと伝えることに務めました。
「自分たちには無い要素をダイヤが持っていること」。「指導者としてのダイヤが自分達には必要なこと」。そんなダイヤを皆が「尊敬していること」。そして「みんなダイヤのことが大好きなこと」。
その事実は「ちゃん付けで呼ぶとか呼ばないとか」という問題を大きく凌駕した「Aqoursにおけるダイヤの存在意義」を「肯定」する言葉でもあるのです。
「他人の評価する自分」を「自分自身が改めて認める」ことで、「自分自身の持つ価値を再認識する」という物語として作劇されている今回。
ダイヤもまた「自分自身では理解しきれていなかった自分自身の価値」を「他者から肯定される」ことでその価値を「再認識」することができたのでした。
そして「ダイヤさん」と呼ばれることにも、「価値」を見出すことが出来るようになったのです。
とはいえ、「ちゃん付け」で呼ばれてみたいことはそれとは別の意味で事実。だってダイヤは「寂しがり屋」なのですから。
そんな意図も汲み取っているからこそ、Aqoursは最後にダイヤを「ダイヤちゃん」と呼ぶ。それはAqoursによる「ダイヤの本質への受け入れ作業」でもあるのです。
ダイヤもその意図をなんとなく察しているから困ったような、嬉しいような笑顔で答える。
どこかミステリアスだったダイヤをAqoursメンバーがより「身近な存在」として受け入れられた日。そしてダイヤもまた「自らの存在意義」をキチンと把握できたこの日。Aqoursはまた「チーム」としての結束力を高めたように思えるのです。
■余談「黒子から黒澤ダイヤを考える」
ここからは余談ですが、ダイヤの黒子(ホクロ)に関してのお話。
ダイヤのチャームポイントであり、今回も「本音をごまかす際に掻く場所」として登場したホクロ。
多分気になって調べている方は多いと思いますが、この位置に存在する黒子がどんな意味を持つのかヤホーで調べてみました。
口の下の位置を、「地閣」といいます。
物質に関してあまり恵まれていないため、貪欲に働きます。働き者のほくろです。陰ひなたのない働き者ですので、人の信頼を受けます。特に年下から慕われるでしょう。部下の協力で繁栄します。中年期以降にいろいろなことが実を結びます。愛情深い面と、嫉妬深い面があります。
なるほど「物質面で恵まれない」という要素を除けば、ほぼダイヤのことを示しているような近似性です。キャラクターデザインの際には、こういった部分も見ているのでしょうね。
またダイヤと同じく口元にホクロを持つ「中の人」こと小宮有紗嬢ですが、ダイヤとは若干黒子の位置が異なります。
唇左端ですな。ここはどんな評価なのでしょうか。
口角の近くにほくろがある人は、おしゃべりな人が多いです。言葉巧みで、頭の回転も速くてセールスマンに向きます。しかし、余計な一言で人間関係を崩さないように注意してください。言葉にトゲのある人もいます。
俗にいう「おしゃべりほくろ」なのです。軽率なことを言ってしまい、秘密もすぐ他言してしまいがちです。
女性は、うわさ話を吹聴して、人間関係のトラブルを助長してしまいます。男性では、大事な仕事の機密をうっかりしゃべってしまうミスも考えられます。しゃべりすぎに注意が必要です。
……えっと....こんなのなんの当てにもなりませんからね!!気にしなくてよし!!!
というオチもついたところで、第17話考察でございました。
ちょっと分かり辛い内容になっている自覚はあるので、適宜手直しをしていくと思います。乱文悪文で大変恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。
次回はみなさん待望の犬主役回ですね。わたあめちゃんとしいたけの活躍が楽しみです(違う)。
それではまた次回お会いしましょう。長々とすみませんでした!!!
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