Love Live!Aftertalk!

妄想をただ書き連ねる覚書。更新情報等はTwitterにてお知らせしております。

~更新される夢~ ラブライブ!2期 ハイライト #4「宇宙No.1アイドル」

こんにちは。そしてこんばんは。

明日からはいよいよAqoursの神戸ライブが開始!!というタイミングにぶっこむのもどうかと思いますが、ラブライブ2期ハイライトでございます(笑)。

なんとしてもサンシャイン二期放送開始までには、こちらの考察記事は完了させたい!そんな気持ちで進めておりますので、何卒ご了承くださいませm(__)m

さて、#4は2期でも大事な「個人ピックアップ回」の第1回。栄えある1回目は矢澤にこパイセンということで、恐らく人気も高い回かな?と思います。

ストーリー自体は追いかけて行けばなにも疑問を感じない回だと思いますので、今回も自慢の妄想力なんかを活かしながら、「この回の持つ意図ってこんなかな??」というフワっとした感じで追いかけてみたいなと思います。

どうか、今回も肩ひじ張らずにお付き合い頂けるとありがたやです。

それでは参りましょう!#4「宇宙No.1アイドル」です。

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■#4あらすじ

ギリギリながらラブライブ地区予選の通過を果たしたμ's。いよいよ本選に向けて練習にも熱が入る...はず。しかし一名姿を消した人物が!それは意外なことに矢澤にこでした。普段は誰よりも熱くスクールアイドル活動に埋没するはずのにこ。そんなにこが練習を休むなんて普通じゃない!!早速その原因を探すμ'sのメンバーでしたが...。

 

■#4の主要登場人物

矢澤にこ および矢澤こころ・ここあ・虎太郎

にこにはなんと3人も下の妹弟がいた!!という衝撃(?)事実がここで発覚。しかも全員がにこを「スーパーアイドル」として崇拝し、μ'sを「にこのバックダンサー」なのだと刷り込まれている状況。今回はその背後に潜む諸々がお話のメインになってきます。ところで声優は全員を徳井青空嬢一人でこなしております。素晴らしいお仕事!

 

 

 矢澤にことアイドル

矢澤にこにとってのアイドルとは何か。
アニメ版では詳しく語られないため、想像に過ぎないのですが。折角なので考えてみましょう(笑)

今回初めて明らかになった、矢澤家の家庭環境。「母親が働いていて」「にこがいないと子供たちの面倒を見る人がいない」という点から、矢澤家が「母子家庭」である...というのは想像できます(もちろんアニメ版では正式な描写が無いため確定ではありませんが、SIDなどではこの設定が生きているようです)。

上の推測をもとに状況を組み立てれば...

母親は4人の子供のためにしゃにむに働き、なかなか家族の面倒が見られない。そんな中で一人歳の離れた長女であるにこにかかるウェイトはかなり大きい。はずです。

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決して裕福ではない家庭環境。家族を助けるために家事や育児を手伝う必要がある自分。彼女が抱える「現実」は、他のメンバーの誰もが体験していない極めて「リアル」な「現実」です。それ故なのか?局面では、にこはμ'sメンバー内では最も「成熟した」振る舞いを見せるメンバーでもあります(時折吐く格言や名言にそれは現れているように思います)。

また、眼前にあるリアル。それを見つめたとき、にこにはどうしても「明るい未来」は想像しづらいものかもしれません。

自らの厳しい「現実」。決して明るいとは思えない「未来」。

普段は仲良しにも関わらず、「家庭環境」の話題になるとムキになって真姫に食って掛かるのも、そんな「バックボーン」があるからかもしれません。

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にこがいつからアイドル好きになったのか。これに関しても詳しい記述がありません。ただ、にこがアイドルを好きになったきっかけは「アイドルに笑顔にしてもらったから」なのでは?と想像できます。

思うようにならない「現実」から。希望を見出せない「現実」から。ほんのひと時「抜け出す」きっかけを与えてくれる存在。それが「アイドル」。

にこが1期で語った名言「アイドルは笑顔を見せる仕事じゃない。笑顔にさせる仕事」という言葉も、自らがその体験者だからこそなのでは?と想像してしまいますね。

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自分が「アイドル」から勇気をもらったのだから、今度はそれを「誰かのために返したい」。そしてその対象は、まずは「自分と同じ環境に暮らす身近な存在」。

にこが「スーパーアイドル」を名乗り、その過程でスクールアイドルを始めたのは、もしかしたら「身近」な「誰か」を「救うため」だったのかもしれません。

 

■矢澤家にとっての「スーパーアイドル」

にことはかなり歳の離れている妹と弟。
彼女たちは、矢澤家の現状や現実をはっきりとは理解していません

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とはいえ、幼く可愛い妹弟たちに、自分たちの将来を「悲観」してほしくない。可能ならば「自分の未来」は輝いているのだと「信じてほしい」。

そう願うからこそ、にこは自らが「現実のスーパーアイドル」となり、それを叶える過程や姿を見せ、信じさせることで、姉妹たちにも「勇気」や「希望」を。そしてそれを「信じること」の価値を教えようと考えたのかもしれません。

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一年生時。スクールアイドルとなった頃。自らもA-RISEのような「皆に笑顔を与える存在になれるのだ」と希望を持ち、前述の通りの理由で、兄弟にも「スクールアイドルを始めた」旨を伝えたにこ。

しかしスクールアイドル活動は思うようには行かず。
その現実に耐えられなくなった部員は次々と辞め、にこは独りぼっちになってしまいました。

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しかし自らが「スーパーアイドル」となり、「姉妹にとっての希望」となることを誓ったにこにとっては、途中でその夢を捨てるわけにはいきません。辞めることは「夢を諦めること」そして「希望を捨てる姿」を妹弟に見せること

それこそ、にこにとって決して許されない選択肢でした。

故ににこは1人になっても、「アイドル研究部」を辞めなかなかったのだ...と想像できます。

 

矢澤にこと自意識

にこ以外の部員が「アイドル研究部」を辞めていった理由を、希は「他のメンバーがにこっちに付いていけなかった」と分析していました。

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自ら「スーパーアイドル」になることを誓い、「スクールアイドル」を志したにこ。
とはいえその動機とは別に、彼女の中には「完全主義者兼自己陶酔者」としての側面もあります。

ラブライブ1期では「リーダー」や「センターポジション」に固執する姿を見せたり、2期でも自分の「作詞作曲した楽曲」(当然にこセンター)をμ'sの楽曲として提供しようとしていました。

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「自らがスクールアイドルに求める理想」そして「自らがその中心にいたいという思い」が、「他者への厳しさ」へと繋がり。

やがて「自分」と「他者」とを明確に隔てる傾向として現れ、結果としてメンバーの心が離れる要因になってしまったことも否めないのかもしれません。

μ's加入時には、そんな手痛い経験を踏まえて、ややおとなしくなっていたにこ。とはいえ、彼女の願望や本質は時折顔を出します。

しかしそんな彼女の悪癖すらも「にこの個性」として受け入れたμ's。

彼女達はにこが主張を始めるたびに、スルーしたり、茶化したりすることで彼女をうまくコントロールすることに成功しました。

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これまでは他者とぶつかる要因としかならなかったにこの「性質」は、μ'sというグループに加わったことで「個性」として受け入れられました。その事実によって、やがてにこの頑なさも氷解していき、自ら「ツッコミ待ちでボケる」みたいなことまでやり始めるようになります。

結果として、これまで「欠点」になっていた要素を「自分の特長」として愛せるようになっていったにこ。そのきっかけを与えたのは「μ's」という「他者」に「受け入れられたこと」でした。

そしてこの「承認」というのは、自意識をコントロールする上でも非常に重要な要素なのです。

 

■大人になるということ

肥大化した自意識によって、周囲と自分との境界線が曖昧になり、「自分の力で世界を変えられる」というような幻想を抱いてしまう心理状況は、何故か「厨二病」などと揶揄されますが、本来であれば「思春期」には誰にでも起きうる、「自尊心の暴走」と言えるものです。
ここで問題となるのは、本人には肥大化した自意識「しか」見えていないということ。当たり前ですが、社会とは常に「自分」と「他人」によって作られています。そこには常に「他人」がいて、人それぞれ様々な「要素」を持っています。

人種、性別、言語、宗教。それらから構築される価値観、思考、思想。全てバラバラで均一なものなどありません。そしてそれら「バラバラの価値観」が折り重なって社会は構築されています。

故に「肥大化した自意識」を持ったままでは、十分な社会生活を送ることがままならなくなります。何故なら「肥大化した自意識」という自分の「ものさし」でしか、相手をはかれなくなるからです。

「自分」を物差しにして、「他人」を見た際に発生する「差」がノイズとなり、それを受け入れられない。そうなれば、その人との関係性も断絶してしまう。すなわち社会生活も断絶されることになるわけです。

「大人になる」ということは、「自意識をコントロール」し、「他者の価値観を認めることが出来るようになること」でもあります。
そういう意味では、以前までのにこはそれが出来ていなかった...ということでもあります。

しかし、受け入れるためには、まず「受け入れられる」経験も必要。成功体験が人を成長させるように、自らが「受け入れられる」ことによって、初めてその価値を認めることが出来、その結果として他人を「受け入れる」ことが出来るようになるわけです。

環境から、歪な形で「大人」にさせられていたにこ。彼女は、μ'sに入り、ミニマムな社会で「承認」されたことによって、ようやく本当の意味で「大人になれた」のかもしれません。

そして、だからこそ、μ'sはにこにとっても「かけがえのない場所」になっていくのでしょう。

■更新される「夢」そして「やりたいこと」

妹や弟に自分がアイドルをしている「実際の姿」を見せてこなかったにこ。その理由は様々でしょうが、一つは「アイドル」を「成功体験」の「結果」として見せる必要性に駆られていた以上、中途半端な状態で見せるわけにはいかなかった...というのが大きな要素として考えられます。

そしてもう1点は、その完成された姿を妹弟に見せることが、にこ自身の目標であり「夢」だったから...とも考えられます。

しかし、μ'sとして活動する中でにこの「夢」もまた、知らず知らず更新されていました。本人は気づかないふりをしていましたが、μ'sメンバーとのやりとりの中で新しい「夢」の存在を確信。穂乃果や希・絵里の計らいもあって、妹弟たちに「新しい夢」を伝える運びになります。

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アイドルとして初めて妹弟の前に姿を現すにこ。あれほど隠し通し、自分の人生のハイライトにするはずだった妹弟の前での「アイドル姿披露」をいともあっさりとこなしてしまいます。

とはいえ、その理由は「夢」が「更新されたから」でもあります。

「歌う前に話があるの」

「スーパーアイドルにこは今日でおしまいなの」

これまで築き上げてきた嘘の「スーパーアイドルにこ」との決別を宣言するにこ。

 「これからはここにいるμ'sのメンバーとアイドルをやっていくの」

これまで妹や弟には「自分のバックダンサー」として説明してきたμ's。当然そこに突っ込みを入れる妹弟たち。

「(バックダンサーだと)そう思ってた...」「けど違ったの!」

「これからはもっと新しい自分に変わっていきたい」

「この9人でいるときが一番輝けるの」 

「1人でいるときよりも、ずっと...ずっと!」

μ'sと出会えたから、大人になれたにこ。そしてアイドルとして、1人の人間として成長できたことを実感しているにこ。その気持ちが伝わる言葉です。

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「今の私の夢は宇宙NO1アイドルにこちゃんとして、宇宙NO1ユニットμ'sと一緒により輝いていくこと」
「それが一番大切な夢。私のやりたいことなの!」

妹弟に「自らが夢を叶えた姿」を見せることで、「自分自身の人生を悲観しないようにしてほしい」と願って始めたアイドル活動。しかし、その根幹には「妹のため」「弟のため」という思考が真っ先にありました。

もちろん、「誰かのため」に「目標」を持ち、強くなる事も少なからずあります。しかしそこには「自分」という観点が抜け落ちています。

元々は「アイドルが大好き」だからこそ始めたいと感じたはずの「アイドル活動」。いつの間にか順序が逆転していた「動機」が、μ'sとの出会いを経て、「元に戻った」とも言えます。

しかしそれは「μ's」と出会って「大人になったにこ」だからこそ出来る作業でもあります。

頑なに「自分」を押し通そうとした結果上手くいかなかった最初の「スクールアイドル活動」。結果として独りぼっちで続けることになり、それ故に「ソロアイドル」になってしまったにこ。でもそれは彼女の本当の「願い」ではありませんでした。

「9人でいる時が1番輝ける」

「一人でいるときよりもずっと..ずっと」

...だからこそにこは、このLIVEを、そして披露する曲を

「私が一人で歌う最後の曲」と総括するのでしょう。

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彼女が一人で歌った曲とはなんなのでしょうか?

それがもし「どんなときもずっと」なのだとすれば、正しく今回の物語に一致する歌詞です。

「嬉しい時」「悲しい時」「寂しい時」「楽しい時」...。

どんな時にでも「会いたくなる仲間がいること」。そしてそんな仲間の価値と意味を見出せたから。そしてそんな存在がいることの大切さを妹弟に示すことが出来たからこそ、にこは「夢」を更新することが出来たのでしょう。

恐らく妹弟たちは、「新しい夢」を語るにっこにこの笑顔に、自分たちの輝ける未来すらも「予感」することが出来たはずですから。

 

ということで、#4「宇宙No.1アイドル」でした。

ちょっと文章が乱雑なので、後々手直しするかもしれませぬ。。ご容赦を。

 

さて!!!次回は凛推しの自分にとってはもはや最重要回ともいえる「新しいわたし」です。この回が凛推しになる本当のキッカケだけに、気合入れねば...。

何卒次回もお付き合い頂ければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

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ラブライブ!2期 ハイライト #2「優勝をめざして」#3「ユメノトビラ」

こんにちは、そしてこんばんは。

先週はAqours2ndLIVEがいよいよ開幕ということで、久々にサンシャインの話題で持ちきりだったわけですが、そんな空気は微塵も読まず、今回もラブライブ!2期の妄想考察をやっていきたいなと思います(笑)。

さて今回なんですが、色々と考えるうちに2話3話はセットでやろうかな?という考えに至りました。というのもこの2つのお話、「一つのロジック」を通じて繋がっているように思えたからです。

そのロジックとは「A-RISE」です。

1期では「高嶺の花」として存在したA-RISE。しかしこの2期ではμ'sにとっては「明確なライバル」として存在し、いよいよ3話では「初対面」を果たすことになります。言ってしまえばμ'sはこのA-RISEを「倒さない限り」「ラブライブ優勝」という悲願にたどり着けないわけでもあり。故にA-RISEを「いかにして倒すのか」というのが、2期における重要なテーマにもなってくるわけですね。

この2話および3話は、そんな「打倒A-RISE」にむけての取っ掛かりともいえる回。故にセットで、なおかつ「A-RISE」というロジック込みで改めて見てみようと思います。今回も「妄言」ばかりではありますが、どうぞ肩ひじ張らずにお付き合い頂ければ幸いですm(__)m

それでは参りましょう。#2「優勝めざして」そして#3「ユメノトビラです。

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■#2あらすじ

いよいよ始まる関東予選。その前に改めてルールのおさらいを受ける穂乃果。未発表のオリジナル楽曲をもって出場しなければならないこと。そして関東では4枠を巡っての苛烈な争いが繰り広げられることを知るμ's。新たな楽曲作成のため合宿へと出発しますが...。

■#3あらすじ

合宿の末新曲を手に入れたμ's。今度はライブの実施場所選定でひと悶着。視聴者の記憶に残る場所での一発勝負に、どうしても慎重になり、場所が決まらない。そんなμ'sのメンバーの目前に現れたのは、なんとA-RISEのリーダー綺羅ツバサ!?彼女から持ちかけられたのは意外な提案だった...。

 

■#2 #3の主要人物

・μ's

夏以来久々となる合宿では苦闘するものの、なんとか新曲を完成させる。彼女達が手にした哲学は、果たしてA-RISEの目にはどう映るのか?というのが、3話でのメインテーマ。

・A-RISE

圧倒的な実力で第1回ラブライブを制し、もはやシーンの中心というだけでなく「スクールアイドル」というジャンルそのものを象徴する存在にまでなった絶対王者。そんな彼女達にμ'sがどのように対抗していくのか...というのが今回のお話。

 

■倒すべき相手としての「A-RISE」

合宿の発端となるのは、関東大会決勝のハードル。

それは4位以上が次のステージに進むというもの。しかし秋葉原代表のA-RISEに1枠奪われるのは必然。それを鑑みれば残りの枠は3枠。

とはいえ「優勝」を目標に掲げるμ's。A-RISEに食いつくためにも、是が非でも2位以上に入る必要があります。

ただし「優勝」するためには、最終的にはμ'sはA-RISEを倒す必要があります。この2話および3話はその「ロジック」を描く出発点とも感じられるのです。

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■クリエイター陣を襲う「プレッシャー」

A-RISEに食らいつくためにも、まずは第1関門となる関東大会を通過しなければならないμ's。そこではまず「未発表のオリジナル曲」が必要となります。出場者をふるいにかける第1関門。それを乗り越えるため、μ'sは合宿へと向かいます。

夏時と変わらぬ9人での合宿。環境こそ違えどやることは同じはず。それにも関わらずクリエイターチームには目に見えぬ「プレッシャー」が襲い掛かり、それが「スランプ」にも繋がってしまうのです。

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プレッシャーの正体は小差こそあれ、3人同じもの。

「この曲が失敗したら」「この衣装が失敗したら」「ラブライブ決勝進出すら叶わず」「3年生と共に過ごす最後の大会が終わってしまう」...。

そんなプレッシャーが彼女達をがんじがらめにしてしまったのです。

そんな彼女達の心を解きほぐすのは「ユニット作戦」。

作業効率的には、ハッキリ言って意味があるとは思えない采配。しかし「仲間と過ごす中で得るちょっとした気づき」が彼女達をプレッシャーから解放していきます。

衣装デザインに行き詰ることりに、花陽は川辺で積んできた名もなき花を見せます。「自分たちのように、形が少しずつ違う花」は「今回の衣装のヒントにならないか」。花陽の気遣いはことりの心を救い、結果的には衣装デザインにも大きな影響を与えます。

f:id:ishidamashii:20170807235710j:plainまた常にプレッシャーとは無関係な様子の穂乃果も、ことりが進む道に光明を与えます。

なかなか衣装デザインが進まないことりに、「誰かが立ち止まったら誰かが手助けして、少しずつでもいいから進んでいけば良い」と持論を展開します。そこには「皆で進んでいく」という2期穂乃果の確固たる価値観が鎮座しています。

f:id:ishidamashii:20170807235927j:plain2期になり、物事を俯瞰して見られるようになった穂乃果。彼女の成長がまた、μ'sというグループを強化する要因にもなっています。

そんな穂乃果と同じようにグループを俯瞰して見ているのは希。

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頑なに山頂アタックに拘る海未を「山登りで大切なのは、チャレンジする勇気ではなく諦める勇気」と語るシーン。ここには「困難な物事にこそ、つい積極果敢に挑んでしまう海未」に対し「目標」を達成するためには「敢えて遠回り」をすることも重要なのだと諭す「俯瞰視点」の希ならではの視線があります。

「南に流れる流れ星は物事が進む暗示」

本来は見えていないはずの流れ星を、急に例え話の中に混ぜ込むのも「気負わずとも、流れに身を任せれば物事は上手くいく」というメッセージを暗に海未に伝えるため。そのメッセージを受け取ったからこそ、海未もどこか晴れやかな表情を浮かべるのでしょうね。

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そして作曲担当の真姫。いつもの調子でにことやりあっている最中、思わず飛び出してしまった「こんな3年生のために曲作る方の身にもなってよ」という言葉。それに対してにこはとても冷静な反応を返します。

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「曲はいつもどんな時も、全員のためにあるのよ」

いつの間にか自分を縛り付けていた「3年生のために」という思考。そこから「当たり前の視点」を用いて真姫を解放したにこ。

「いつも、どんな時も、全員のため」

それぞれが違う形であれ抱えていたカセから解放された結果、クリエイターチーム3人はビジョンを共有し、一つの楽曲を作り上げるに至ります。

「誰かのために」「歌う歌」

ユメノトビラ」を以て、μ'sは関東地区予選へと挑むことになります。

 

■ツバサと穂乃果のつばぜり合い

いよいよA-RISEと初の直接対決へと挑むことになるμ's。そんな中話題に上がるのは、「ライブの開催場所」です。これまでと違い、ライブ中継されるライブの人気投票、その一発勝負で決まる予選。故にインパクトを与える場所選びは非常に重要です。

喧々諤々の意見交換。それでも定まらぬ方向性。そんな最中μ'sの目の前に現れたのは、なんと打倒の相手A-RISEのリーダー綺羅ツバサ本人でした。

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動揺する穂乃果を引き連れて、自陣でもあるUT-Xに舞い戻るツバサ。遂にA-RISEとμ'sとが相まみえるに至ります。

緊張するμ'sの面々。そんなμ'sにA-RISEから与えられたのは、アイドルとしてのμ'sに対する「評価」と「賞賛」。それに伴う「ライバル宣言」でした。

「μ'sの皆さん。お互い頑張りましょう。そして、私たちは負けません」

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自陣に当面のライバルを引きずり込んだ上で、「上から」相手を評価し、更に「勝利宣言」をして立ち去る...。正に王者らしい「不遜」で「不敵」な振る舞い。この「自信」こそがA-RISEを支えるものであり、彼女達の「魅力」なのだと十分に伝わる演出です。

しかしそんなツバサに堂々と食い下がる穂乃果。

「私たちも負けません!...今日はありがとうございました」

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強気に「勝利宣言」でお返ししたうえに、笑顔で「自分たちをライバルと認めてくれた事実」への感謝を告げる穂乃果。その器の大きさに驚嘆するツバサ。

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「鮮やかに勝利宣言」したつもりがまさかの逆襲を受けて、若干面食らった様子。しかし逆襲されたままでは終わりません。彼女が用意した更なる「カマシ」は、「自分たちのホームで一緒にライブをやらないか?」という提案でした。

「当面のライバル」として認めたうえで直接対決を避けたにも関わらず、「負けない」と宣言されたため、「それならばこちらの土俵で今すぐ戦ってみましょう」というある種の挑発にも近い提案。とはいえツバサの場合そこまで黒い考えがあってのものではなく、あくまでも彼女本来が持つ「王者の風格」が発動しての提案。普通の相手ならばイモを引いてしまうような局面。それが分かっているからこそ「1日」考える猶予を与えようとします。

しかし当の穂乃果はそんな空気など読みません。ツバサの提案を、それこそ即断で「受け入れて」しまうのです。

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一見穏やかに見える両者の初対面。しかしてその裏では二人の「王者」による強烈なつばぜり合いが演じられています。

穂乃果とツバサ。

同じく「王者」の風格を持ち、似た素養も併せ持つ存在ながら、絶対的な「価値観」に相違があるらしい両者。この二人の価値観の相違もまた、後半のドラマにおいて重要な要素となっていきます。

 

■A-RISEと綺羅ツバサの哲学

さて、ここで改めてA-RISEというグループについて考えてみましょう。とはいえ、彼女達を考察するにはあまりにも要素が足りません。そこで今回は彼女達の思想を読み解くための唯一といって良いツールを利用します。それはもちろん彼女達の「楽曲」です。

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彼女達の公になっている楽曲は2曲。うち1曲は第1回ラブライブを制した楽曲「Private Wars」です。


Love Live! - [Lyrics] Private Wars (A-Rise)

具体的なメッセージ性という意味では、μ'sに比べると乏しいこの楽曲。しかしその中にもしっかりと彼女達ならではの単語が登場します。

「孤独」「それぞれの場所」「涼しい顔して走りたい」などがそうでしょうか。楽曲の音も含めて、彼女達の楽曲から感じるのは「クール&ビューティー」というイメージ。そして「孤高」というコンセプトです。

彼女達は決して「情熱」や「努力」を否定しません。むしろそれらのものに対しては肯定的です。しかし、それを「他人に見せる」ことを良しとしません。あくまでも「情熱」をもって「努力」したうえで、その「成果だけ」を「涼しい顔」して「見せたい」のです。そんな自己内での、いわば二律背反している価値観の対立は、とはいえアーティストにとっての「基本姿勢」でもあります。その「姿勢」は「Private Wars」の歌詞内では「正義と狡さ」という言葉に象徴されているのかもしれません。

この楽曲を以て「スクールアイドル」の頂点を極めたA-RISE。更なる頂点にたどり着くため、自らの哲学を突き詰める必要があります。そこで誕生したのが「Shocking party」です。


A-RISE Shocking Party TVver.

ここでは「孤高」っぷりに磨きがかかっています。

「誰かの為」でも「誰かのせい」でもなく、全ては「自分次第」であり「主役も自分」であるという主張。常に「自分次第」で「世界をも変えられる」と語るこの曲は「不遜」の極致ともいえる楽曲です。

この楽曲の持つ哲学には「王者にたどり着いてしまったもの」特有の「憂鬱」すら感じます。「選ばれし者の恍惚と不安、ふたつ我にあり」ではないですが、正しくそんな状況のA-RISE。「孤高」であることを突き詰め、それによって頂点へとたどり着いたA-RISE。そんな彼女達の価値観に揺さぶりを与えるのが、μ'sの役割となります。

 

■「ユメノトビラ」と高坂穂乃果の哲学

ユメノトビラは「孤高」とは真逆にあるメッセージを紡ぎだす楽曲です。

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「自分」だけでなく周りの「皆」を信じ、その「連帯」の価値を問うた歌詞。「誰かの存在」が「誰かの助け」となることを歌った楽曲。「自分」ではなく「応援してくれる誰かがいるからこそ強くなれる」というテーマ。そこには後々ハッキリした形で登場するμ'sのスローガン=「みんなで叶える物語」という言葉がしっくりくる形で表現されています。

A-RISEのパフォーマンスに気圧され、立ち止まりかけたμ'sを後押ししたのは応援に駆け付けた音ノ木坂の生徒たちであり、彼女達の応援をバックに歌うことで最大限のパフォーマンスを発揮することが出来たμ's。そこには「孤高」とは対照的な「一つの形」が顕在化しています。

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そんな「一つの形」を「青春」と表現して締めくくるこの楽曲は、やはりA-RISEの世界観とは反する物。そしてそれは自分たちとは異なる「スクールアイドル」に対するアプローチでもあります。故にツバサはμ'sのパフォーマンスに目を丸くするのではないかな?と思えます。

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驚いた後に不敵な笑みを浮かべるツバサ。その理由は自分の見立てが間違いではなかったことを確信したからでしょうか。やはりこの女、凄まじい「王者の風格」と「器」の持ち主ですね(笑)。

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さて、プレッシャーのかかる局面で、見事に自分たちの「世界観」を全世界にアピールすることが出来たμ's。そしてここでの対立軸の拡大が、やがて来る「再戦」の「結果」にも大きく結びついていくことになるわけなんですが...それとはその時の講釈にて。という感じでしょうか。

...というわけでコンパクトにまとめてみた#2、#3でございました。

さて、次回からは各キャラに焦点当ててみるシリーズ第1弾、にこ回ですね。こんな調子でコンパクトにまとめられた良いのですが。。ということで是非次回もご一読くださいませ。ここまでありがとうございました!!

~ステキな旅に出よう~Aqours2ndLIVE「HAPPY PARTY TRAIN TOUR」を迎えるにあたって思う事(という駄文)

こんにちは。そしてこんばんは。

これまた久々の「ラブライブ!サンシャイン!!」無駄話をお届けいたします。

8/5名古屋公演を皮切りに、いよいよAqoursの2ndLIVEツアーが始まります。ちょっとの間お休みしていた「ラブライブ!サンシャイン」の物語は、ここから「再スタート」を切る...ということにもなりますね。(実写のAqousはそれこそ海外や夏祭りなどひっきりなしに働いていましたが。ここではあくまでも「物語」におけるAqoursを示しています

そこで今回はライブ直前の今思うことを、これまた雑然と纏めておきたいな...という感じで書いております。またしても、恐らくなんの根拠もない、ダラダラとして妄言が綴られるだけなので、どうぞお暇な時間に、気楽な気持ちでお読み頂ければ幸いでございます。

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■LIVEツアーの道のりが示すものは何なのか。

ライブツアー開幕にあたって、どうしても気になったのは、今回がラブライブの公式ライブとしては初となる「ライブツアー」であるという点。

8/5~8/6を名古屋、8/19~8/20を神戸、そして9/29~9/30を埼玉と3都県を跨いでの「ツアー」となります。今回ライブツアーと銘打ったのは、もちろん「より多くの人にAqoursのライブに触れる機会を得てほしい」という事情込みでしょう。誰もが東京や神奈川、埼玉まで遠征する財力や足があるわけではありませんから。しかしそれをおいても、気になるのはその道のりです。

本来であれば、最も遠い神戸からスタートし、名古屋、埼玉と進んで行ってもいいはず。しかし名古屋でスタートするツアーは、神戸を介して、埼玉へと移動する...いわば迂回するようなルート。少しイレギュラーであることは否めない気がします。(この日程以外ではハコを抑えられなかった...という身もふたもない理由かもしれませんが 笑)

もちろん、こんなこと邪推意外の何者でもないので、一笑に付して頂いて構わないのです。しかし、このような道のりを設定した理由は、秋に放送される「2期」への「布石」という要素もあるのでは?とどうしても勘ぐってしまうのです。

というのも、ここに至るまでの流れがTVアニメ一期の流れを踏襲しているからです。

 

TVアニメ1期では、9話において遂にAqoursが集結。9人での花火大会参加。3年生3人時代に未発表に終わっていた楽曲「未熟DREAMER」を披露し、物語のハイライトと、祭りそのものを彩ります。

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時を同じくして、現実世界の7/29 7/30の日程にて行われた「沼津夏祭り」。この催しに現実世界のAqoursも参加。未熟DREAMERをパフォーマンスすることはなかったようですが、ハイライトとなる花火大会では未熟DREAMERを背景に、アニメ本編の花火を再現する演出が登場。アニメと現実とをリンクさせる粋な演出が採られたようです。

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「私夏好きだな...。なんか熱くなれる」

千歌が感じた夏の熱さ。1期最終話13話の頃にはアニメ本編もすっかり夏の装い。

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そんな13話「サンシャイン」では、ラブライブ本選出場を賭けた東海地区予選に参加。その舞台は愛知県に存在するガイシホールです。

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ご存じの通り、ライブツアースタートの地は愛知県にある「ガイシホール」。季節も場所も一致した中で、ライブが行われる...というだけでなく、「1期最終話」の舞台から、「2期第1話」の放送日程へと繋がる「ライブツアー」がスタートするわけです。(2期放送は恐らく10月初旬なので)

こうなると今回のライブツアーそのものが、「1期と2期とを繋ぐ」ある種の「のりしろ」のような機能を持ったライブなのでは?と思えてきます。

 

■1期と2期の間を「つなぐ」「LIVEツアー」

 

ガイシホールで行われた東海地区予選。その会場でAqoursが語ったのは、自らの学校のこと。自分たちのこと。そしてそれを受けて発表した楽曲が「MIRAI TICKET」でした。

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ガイシホールでのライブの結果は、実のところ1期終了の時点では判明していません。しかし彼女達が「やっと手にした」と断言した以上、「MIRAI TICKET」は既に彼女達の手中にあるはず。となると、その「MIRAI TICKET」を手に進むステージ及び道のりが、この「LIVEツアー」なのでは?という推測も立てられます。

歌詞の中では「船が行くよ」と表現されていたため、「航海へのチケット」と推測した「MIRAI TICKET」。しかし、もしかしたらこの「TICKET」は、「HAPPY PARTY TRAIN」に乗り込むために必要な「切符」なのかもしれません。そう考えると、1期最終話と2期以降の展開...だけでなく「HAPPY PARTY TRAIN」との間にも、不思議な因果関係を感じることが出来ます。

 

■「HAPPY PARTY TRAIN TOUR」が向かう道のり。

HAPPY PARTY TRAIN TOUR」と、今回の日程を結びつけた時に、ふと頭に浮かんだのは東海道本線でした。「電車だから」という単純な理由でもありますが(笑)、東京を起点に、神奈川・静岡を通過し、愛知・岐阜を超えて神戸へと至るこの電車。不思議とラブライブおよびラブライブ!サンシャインと縁のある場所を次々と通過する電車でもあります。

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f:id:ishidamashii:20170804001709j:plain(千歌たちが沼津から東京に向かう際に利用していたのも東海道本線でしたね。)

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路線図を見て頂くと分かる通り、ラブライブの聖地秋葉原近郊を出発点に、Aqoursの1stLIVEの舞台となった横浜を通過。μ's解散の地であり、Aqoursが「ZERO to ONE」を誓った場所=国府津を抜けて、Aqoursの拠点沼津へ。更に2ndLIVE開幕の街名古屋を超え、同じく2ndLIVEの舞台神戸へと進む。こう見ると、Aqoursの物語および今回のツアーの行程とも関係がある路線なのでは?と思えてきてしまいます。2期以降の物語で果たしてこれらの街が登場する機会が出てくるのでしょうか。

更に深読みすれば、このライブツアーの道のりが、サンシャイン以降の「ラブライブ」において意味のある移動になるのでは?という気すらしてきます。彼女達が「MIRAI TICKET」を手に誓ったことは「ヒカリ」となって「未来を照らす」こと。すなわち、自分たちが新たな「希望」となり「スクールアイドルの輝き」をあますことなく、各地に届けること。これこそがAqoursに課せられた使命でもあります。

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そう考えると、「HAPPY PARTY TRAIN」が「運ぶもの」とは「未来への希望」であり、この電車の進む道のりに「それが届けられる」という文脈なのでは?という想像も膨らみます。すなわち、「Aqoursが進む地点で新たなスクールアイドルの物語が始まるのでは?」という予感めいたものを感じてしまうわけですが、、、まぁこれは考えすぎですね(笑)。

 

■埼玉で何かが起こる?

とはいえ不思議なのは、ツアーの終着点が西武ドームであること。(もちろん夏にLIVEをやる定番の場所である...ということは置いておいてw)

東海道本線の道のりとツアーが関係しているのであれば、なぜ一つだけ「飛び石」である西武ドームが「ライブツアー」の「終着駅」に選ばれたのか。そこには何か特別な意味があるのでは??と邪推してしまいます。

μ'sが「スクールアイドル」の可能性を世に示した結果、「アキバドーム=東京ドーム」が決勝の舞台として伝統化している「ラブライブ」というイベント。その文脈の中に「西武ドーム」は含まれません。となると2期開始直前を彩る大事な場所が「西武ドーム」であることにも、何か意味があるのか?と考えてしまうわけですが、これこそ「考えすぎ」なのでしょう(笑)。とはいえライブツアーを締めくくる最後の地である以上、なんらかのトピックスがあることは想像できますけどね。

 

■全力で「ステキな旅」を楽しみましょう。

さて、色々と頭の狂った記事を書いてきましたが、いざライブが始まったら余計なことは考えず、精いっぱい公演を楽しみましょう♪

キャストのみなさんはこの日のために更に過酷な修練に励んでいるはず。そんなキャストの努力に応える唯一の方法は、我々が彼女達の作るライブを全力で楽しむということだけです。

キャストとスタッフと、そしてラブライブを愛する仲間たちに最大限のリスペクトを持って。この「ステキな旅」を最大限楽しめますように。

それでは現地でお会いいたしましょう!

 予習したいのに、発売日ががが。

 

ラブライブ!2期 ハイライト #1「もう一度ラブライブ!」

というわけで、わけのわからぬ前説から引き続き。こんにちはorこんばんは。

あなたの人生を彩らない系ブログ、LoveLive!aftertalkでございます。

さて、今回からラブライブ!2期の考察を開始して参ります。その前に改めて当ブログのスタンスを。

当ブログは「ラブライブ」に関して、筆者の「妄想」が炸裂したブログです。筆者は同作品の関係者でもなんでもなく、また考察に関しても関係者からの証言を得たわけでもございません。あくまでも「こうかもなぁ...。」という推察a・k・a妄想を書き連ねたものに過ぎず「これはこうなのだ!」と断言するつもりもございません。。(筆者の文章が拙いゆえに誤解を招くことが多くあると存じます。それに関しては謹んでお詫び申し上げますm(__)m)

どうそご一読いただく場合にも「こいつアホな妄想してやんなぁ」くらいの軽いノリで読んでいただけると、非常にありがたく思う所存でございます。何卒よしなによしなに。。

さて、気を取り直しまして、今回から2期を開始します。前説の通り、とても「大好き」な2期。しかし、色々と疑問点や突っ込みどころも多い全13話とも思います。考察では個人的に「疑問点」や「変じゃね?」と思った部分なども、「個人的な見解」を交えつつ、触れていければいいなと思っております。長い闘いになると思いますが、何卒お気軽にお付き合い頂ければ幸いです。

それでは参りましょう。#1「もう一度ラブライブ!です。

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■#1あらすじ

予定よりも多くの入学希望者を迎えたことで廃校が中止となった音ノ木坂。穂乃果は同校の新生徒会長に就任し、ことりと海未も生徒会役員に。新学期への準備を進めるμ'sの面々。そんな中「第2回ラブライブ」開催の報せが。しかも今回は前回のようなランキング制ではなく、トーナメントによる短期決戦。俄然チャンスの広がる大会形式に盛り上がる面々。とはいえ東京予選を戦い抜くためにはA-RISEとぶつかり合うことに。一転絶望に沈むメンバー。しかし、1期で得た教訓を糧に「あきらめずに挑戦しよう」と思い直すメンバー。反面穂乃果の温度は低い。どうやらそこには理由があるようなのですが・・・。

 ■#1の主要人物

高坂穂乃果

引き続きリーダーとしてμ'sを引っ張るだけでなく、「皆のススメ」で生徒会長にまでなってしまった主人公。第2回ラブライブ開催の報せにも何故かそこまで積極的な反応は示さず。とはいえ、そこには「前回」までの反省も含まれているようで...。

今回はμ'sが再びラブライブに挑む「意味」を問い直すお話。その中心になるのは、やはり穂乃果でなければならない。

 

■#1を読み解くトピックス

①引き継がれていくもの

冒頭明かされる衝撃の事実。それは高坂穂乃果の生徒会長就任の報せでした。

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生徒会長就任の経緯を「みんなのススメでなっちゃった~♪」と総括する穂乃果。1期においてスクールアイドルとしては明確な結果を残せなかったμ's。しかし、彼女たちの勇気ある活動が、音ノ木坂を廃校から救う一因になったことは否めない事実。その活動の中心人物である穂乃果は、もはや校内でも屈指の「カリスマ性」と「知名度」を備えた人物です。となれば、生徒会長就任という流れも割と自然に思えてきます。

時間と場所を変えて屋上。ここでは部長のにこから、1年生3人に対して「アイドル教室」が実施されています。

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新たに考えた自己紹介を真姫に「気持ち悪い」と一蹴されるコミカルなシーンではありますが...。とはいえ、このシーンは冒頭の穂乃果生徒会長就任シーンと連なる意味合いを持ったシーンとして作劇されています。

 3年生の絵里と希から「生徒会」という「学校運営」に関するバトンを「引き継いだ」穂乃果・ことり・海未。そして同じく3年生のにこから「アイドルとしての心得」の「引き継ぎ」を行われている花陽・凛・真姫。この二つのプロットには共通して「引き継ぐ」というテーマが内包されています。

にこが語る「これからは1年生が頑張らなきゃいけない」という言葉。にこは「3年生である自分」の現状を把握したうえで、「バトンを渡すべき相手」と「その作業の必要性」を実感しています。

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2期のメインテーマとなる「卒業」。そして「劇場版」へと連なる「何を引き継ぐのか?」というテーマ。この二つが#1の時点で明確に表現されていることが分かります。

また、穂乃果が生徒会長職を引き継ぐという行為。これは「学校を母体としたアイドル」である「スクールアイドル」の「特殊性」を「強調」する役割も果たしています。

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2期終盤のテーマとなる「スクールアイドルとはなんぞや」という問いかけ。それを読み解くための「フック」の一つとして用意されたポジションという印象もあります。

 

②超えるべき存在

開催が決定した第2回ラブライブ。前回のランキング制から、地区予選を含めたトーナメント制へと方式が変更。前回は「スクールアイドルの祭典」という印象が強いイベントでしたが、今回から「競技会」としての側面が強くなった印象もあります。

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前回出場すら果たせなかった大会。その雪辱に燃えるメンバーたち。しかし「地区予選」制度の導入は、同時に「A-RISEとぶつかり合う必然」を示唆するもの。その事実にメンバーのモチベーションはガクっと落ちてしまいます。

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1期ではμ'sにとっての「憧れ」であり「高嶺の花」だったA-RISE。前回ラブライブ!優勝チームである彼女達を倒さない限り、μ'sは「目標」にたどり着くことが出来ません。

さて、「μ'sがA-RISEと闘う」ことは、作劇的にどのような意味を持つのでしょうか。

まず1点。「A-RISEに挑み、乗り越えること」が2期における「メインドラマ」として設定されているという要素があります。ダンスの実力、人気、実績全てにおいてA-RISEに遅れを取っているμ's。そんな彼女達が「どのようにすればA-RISEを倒せるのか」。それを追い求めるのが2期前半部の主軸です。繰り返される試行錯誤と挫折。そしてそこから得る気づき。その中から一つの「明確な答え」を導き出した時、μ'sはA-RISEを「超越する」ことが出来ます。

また、その試行錯誤から得た「μ'sがA-RISEを超越するために必要」な「答え」は、「ラブライブ!」という作品そのものが持つ「テーマ」や、その後に起きる「トピックス」にも繋がっていきます。

闘いの果てに穂乃果が得た「答え」。そしてそれを理解したツバサ。二人が共有した「スクールアイドルとは何か」という価値観。それをもって生まれるSUNNY DAY SONGという楽曲。

更に「ラブライブ!サンシャイン!!」12話において千歌と聖良が繰り広げた「なんのためにスクールアイドルをやるのか」という問答とその回答に至るまで。シリーズを通して描かれるトピックスに、2期でμ'sが得た「答え」が密接に関わっていくのです。

「μ'sがA-RISEに挑む」というプロットは、「2期のメインストーリー」としてだけでなく、「作品そのものが持つテーマを示すため」に存在しているように感じます。

 

 ③ラブライブに「出なくてもいい」という判断

A-RISEとのぶつかり合いに怯むも、「挑戦せずに諦めるのは良くない」と呼び掛ける絵里。それに応えるメンバー。士気が高まるものの、穂乃果だけはその輪に加わりません。いつもと様子の違う穂乃果を気に掛けるメンバー。穂乃果から発せられたのは、「出なくてもいいんじゃない?」というらしからぬ一言でした。

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1期終盤、自分自身の暴走が原因でラブライブ出場を逃した、と感じている穂乃果。「目標を捉えると周りが見えなくなる」自分の「悪い癖」を自覚したうえでの意見なのでしょう。しかも現在は生徒会長という要職についている立場。「自分本位」に活動してしまった場合、迷惑をかける相手はメンバーだけに留まりません。

穂乃果が出場を思いとどまる要因はそれだけではありません。1期終盤に「友人と一緒にいられる時間の有限性」を実感した穂乃果。その時間を「ラブライブ出場」という目標のせいで失いかけた彼女は、「ラブライブ」というものに対しても軽い「トラウマ」を抱えている状態でもあるのかもしれません。

とはいえ、メンバーは穂乃果の真意までは読み解けず。ただただ彼女らしからぬ発言に困惑してしまいます。出場を拒む姿勢を糾弾された穂乃果は、「たまには息抜きも必要」と議論の方向性をずらし、皆で放課後遊びに行くことを提案します。

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普通の学生と同じ、リラックスした時間。「部活」という側面の強い「スクールアイドル活動」を行う彼女達には、どうしても欠けている時間かもしれません。

ラブライブに出る」となれば、このように皆で遊ぶ...という時間も、それほど多くは取れなくなるでしょう。それを見越したうえでの「出なくてもいいのでは?」という穂乃果の選択肢。それはそれで「ありなのかも」と思わせる描写です。

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「こんなとこで遊んでて言いわけ?」と独りごちるにこ。にこの指摘は至極まっとうですが、この「9人で一緒に過ごすなんてことない1日」という描写が、後々の大きな伏線へとなっていきます。

 

ラブライブに「出る意味」

皆で過ごす放課後の帰り際。ふとUT-X高校を見上げる希。その視線に気づく穂乃果。彼女の視線の先にはA-RISEの姿が。一見飄々として見える希もまた、ラブライブに対して強い思い入れを持っている。そのことを実感する穂乃果。

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その夜、思い悩む穂乃果に雪穂が告げる「ラブライブの開催日」。それは来年の3月。雪穂と亜里沙が「入学」する季節。そしてそれは同時に現3年生が「卒業」する季節でもあります。「永遠ではない」と分かっていた「9人が一緒にいられる期間」。しかしその制限時間は思っていた以上に「短い」ことを実感する穂乃果。だとすれば、この「9人でいられる期間」に「何を残すべきなのか」。穂乃果はまたしても困惑します。

そんな穂乃果に対して、「ラブライブ出場」への並々ならぬ意欲を燃やすにこ。出場をかけて穂乃果との「階段のぼり競争」に(半ば無理やり)挑むことになります。

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本来運動神経が決して良くないはずのにこが、それでもなんとか穂乃果と「フェアに競える」競技として選んだ「階段のぼり」。その自信は、普段から幾度となく「登りつつづけた階段」だからこそ湧いてくるものなのでしょう。フライングしてまでも「勝利ラブライブ出場」に執着するにこ。彼女の背中を追いかける中で、穂乃果は雪穂の言葉を反芻します。

「今度のラブライブの開催日知ってる?」「私たちが入学するってことは...」「もう、分かるでしょ?」

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にこの転倒によってうやむやになった勝負。そして境内には「停滞の雨」が降り始めます。

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ラブライブにおいて「雨」は停滞の象徴です。物語や登場人物が「停滞」するとき、必ず「雨」が降り始めます。この時点で停滞しているのは、「μ'sの今後における方針」でしょうか。絵里と希は改めて「3年生である自分たちの今後」に関して、穂乃果に語り始めます。

「皆と一緒にいられるのは、あと半年」「それにスクールアイドルでいられるのは在学中だけ」「この9人でラブライブに出られるのは、今回しかない」

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これまでラブライブ出場へ積極的な意志を見せなかった絵里と希もまた「ラブライブ出場」に強い意欲を持っていたことが明らかになります。そんな彼女達の言葉に乗っかるように反応したのは1年生組。

「私たちもそう」「たとえ本選に出られなくっても、9人で頑張った足跡を残したい」

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ことり、海未にも意見を聞く穂乃果。ことりの応えは「穂乃果が望む場所ならどこへでも」という彼女らしいもの。そして海未は、穂乃果の抱えていたジレンマを見事に言い当てた上で、穂乃果の持つ「カセ」を取り除きます。メンバー全員の意志を再度確認したことで、自分に正直になれた穂乃果。彼女自身が意図的に隠していた本音をいよいよさらけ出します。

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「一度夢見た舞台だもん。やっぱり私だって出たい!」「ホントは物凄く出たいよ!」

自らの意志をハッキリと口に出した穂乃果。そんな彼女に与えられるのは「はじまりの歌」

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「だって可能性感じたんだ」「そうだススメ」「後悔したくない 目の前に」「僕らの道がある」

アニメ版「ラブライブ!」の「はじまり」を告げる曲ススメ→トゥモロウ。この曲は正しく本作の「テーマ」である「リープ・オブ・フェイス」への「原点回帰」を告げる楽曲です。

「可能性を感じたのなら進むしかない」。人生に必ず一度はある「飛躍しなければいけない瞬間」と「その価値」を問うてきた「ラブライブ」。1期ではその飛躍の中心に穂乃果がいましたが、今回飛躍するのは穂乃果一人ではありません。9人全員が「同じ目標」に向かって「飛躍する」。そこに1期との「明確な違い」があります。「ラブライブ優勝」という9人で掴みうる最高の「瞬間」。そんな、人生においても「二度とは生まれない瞬間」を掴むために「飛躍する」ことを誓うμ's。

「二度とない瞬間を掴まえる」

ここに「1期との差別化」を行うと共に、「2期のテーマ」と「ラブライブに挑む意味」が再設定されるに至りました。2期は「穂乃果が突き進む物語」ではなく「皆で進む物語」なのです

 

⑤現れる「太陽」

ラブライブ出よう!」9人の意志が一つになった瞬間、穂乃果は雨の中を走り出します。

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突飛な行動に驚愕するメンバー。穂乃果は天に向かって叫びます。

「雨、止めーーーーー!!!!!!」

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するとにわかに雲は掻き消え、太陽が姿を現します。天候すらも操作する穂乃果に驚愕するメンバー。

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実際にはあり得ない事態ですが、ここは劇作品ならではの比喩表現です。「ラブライブ!」において「太陽」は「希望」の象徴。9人が迷いの中から「希望」を掴んだからこそ、彼女達の元には「太陽」と「青空」が現れるのです。

「人間やる気になれば出来ないことなんてない!」「ラブライブに出るだけじゃもったいない」「この9人で出せる最高の結果」「優勝を目指そう!」

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穂乃果は有言実行の女。こうなったらμ'sは優勝するしかありません。とんでもない目標設定に驚愕するメンバー。しかし、皆どこか嬉しそうな表情です。

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はっきりとした目標に向けて走り始める穂乃果。

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1期冒頭へと戻りながら、再び「μ's」の飛躍がここから始まるのです。

 

それは僕たちの奇跡

#1のEDテーマは、2期OPテーマ「それは僕たちの奇跡」でした。

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彼女たちが歌う場所として選ばれたのは音ノ木坂の体育館。μ'sは音ノ木坂の生徒たちの「応援」を背にこの楽曲を歌い上げます。

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タイトルバックには名もなき生徒たちの脚。ここからは2期が「皆でかなえる物語」という「ラブライブ!」本来のテーマを反映させた物語となっていくことが窺えます。

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「ただの思い出 それだけじゃいやだよ」「精いっぱい 力の限り 走るんだ」

「思い出」を抱きしめようとした穂乃果。でもそれだけじゃダメ。思い出をより「強烈」に刻み付けるために、「精いっぱい 力の限り」何かを「した」事実を刻み付けなければいけない。そんな#1での気づきも、この主題歌には反映されています。

「強い願い」が「奇跡」を叶える「軌跡」を描く物語。それこそが2期の物語。さぁ、ここから一緒に「僕たちの季節」を再度振り返ってまいりましょう。

 

....というわけで#1振り返りでした。季節はすっかり夏。このペースだとサンシャイン2期が始まるまでに、本考察が完了できないのでは??という懸念も生まれてきましたがw 焦っても仕方ないので、今後も週1ペースで更新をしていこうと思います。

マイペースな上に稚拙な文章で大変恐縮ですが、今後もお付き合い頂ければ幸いです。

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ラブライブ!2期考察前説 「”今”を”永遠”に刻み付ける物語」

 いよいよ次回から「ラブライブ!2期」の考察を始めていこうと思います。そこで今回は前説といいますか、開始する前に、私自身の二期に対するインプレッションみたいなものを簡単にまとめておこうと思います。まぁ、言うなれば書き始める前の準備というか、思いだし作業に近いものです(笑)。気楽にご一読頂ければ幸いです。

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ラブライブ2期」に関して。実のところ自分のファーストインプレッションは決して良いものではありませんでした。その理由はまちまちです。「毎回同じ話を繰り返しているように見える」「登場人物たちのわちゃわちゃ話ばかりで話が進行していかない」「μ'sがA-RISEに勝つロジックが分かり辛い」そして「μ'sが下す結論が理解できない」等々。上げ始めるとかなりの量の不満がありました。

しかしながら、ラブライブを1期・2期通して、それこそ5週6週と繰り返し見るうちに、徐々に評価は変化していきました。それにつれて不満点も無くなって行きました。

そしていつしか気づきました。「同じ話」を、「同じテーマ」を繰り返すことに、大きな意味があったことに。

 

ラブライブ2期」を見る時に思い描く映画監督がいます。

リチャード・リンクレイターです。リンクレイターは「スクール・オブ・ロック」で一躍世間に名を知られた監督ではありますが、実際はあのような正統コメディ映画とは少し毛色の違う、独特な作風を「ライフワーク」にしている監督でもあります。

「バッドチューニング」、「ビフォア」3部作、「6才のボクが大人になるまで」、「エブリバディ・ウオンツ・サム!」など、氏の作品に共通してあるのは「過ぎ去っていく時間」を「そのまま描く」事で、「その瞬間が持つ価値」を鮮烈に「フィルムに刻み付ける」...というものです。

中でも「バッドチューニング」とそのリブート作品に近い「エブリバディ~」は、もはや「劇映画と呼んでいいのか、これは?」と思えてくるほど「劇的な事件」が発生しません。代わりに登場人物たちのちょっとした日常や、どうしようもない会話などが、ただただ淡々と描かれるのです。なんの変哲もない会話に意外な伏線やどんでん返しへの布石が仕込まれている....ということはもちろんなし。ただちょっと面白い会話が続くだけ。しかしリンクレイターはその「なんの意味も無い会話」にこそ「価値がある」と信じているようなのです。

「6才のボク~」ではラストシーンにその思考を具現化するかのような台詞が登場します。

「なぜ人は、”その瞬間を大切にしろ”なんて言うのかしら」「人生はその”瞬間”の連続なのに」と。

僕らが暮らす日常。その中で友人や家族と過ごし、語らう時間はなんの変哲もない「特別ではない時間」です。しかし、そんな「特別ではない時間」にも、必ず「終わり」があります。引っ越しなどの物理的な別離。進学などの環境変化。そして「死別」。「別れ」は常に我々の生活の中に区切りとして存在します。その中には「事件」や「事故」による突拍子もない「別れ」だって含まれます。だとすれば、この「なんの変哲もない日常」だって、「かけがえのない日々」であるはず。リンクレイターは、その「なんの変哲もない日常」を「視覚化」し、その「価値」を問いかけることをライフワークにしている監督でもあるわけです。

ラブライブ2期」において、繰り広げられるドタバタ喜劇。なんの変哲もなく、なんの意味もない「日常」ですが、そこに「卒業」というフィルターが通されただけで、その「意味のない日々」が、とても「かけがえのない日々」へと変化していく。繰り返し視聴することで改めて気づく、その「反転」こそが「ラブライブ2期」の「キモ」でもあります。

「2期」の物語を通して「今」の価値を知ったからこそ、劇場版では「今が最高!」なのだと主張する。そこに至るまでの長いようで短い13話を、是非もう一度一緒に振り返って頂ければ幸いです。

 

「ラブライブはロッキーである」ラブライブ!1期総括(という駄文)

注:本文には映画「ロッキー」の重要なネタバレが含まれます。とはいえ「ロッキー」を見ていないというのは、人生の大部分を損していると思いますので、今すぐ見てからご一読頂ければ幸いです(という暴言)。

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ラブライブはロッキーである」

「トチ狂ったか?」と思われるかもしれないが、「ラブライブってどんな話?」と聞かれた際僕は大真面目な顔でこう答えている。「いや、概ねロッキーだよ」と。

「ロッキー」は1976年に公開されたボクシング映画。無名の3流ボクサー=ロッキー・バルボアシルベスター・スタローン)が主人公。ボクシングで食う事をとっくに諦めているロッキー。今は地元のやくざに取り立て屋として雇われつつ、たまに試合をして細々と暮らしている。そんな彼にある日白羽の矢が立つ。黒人チャンピオンのアポロ・クリードの挑戦者として指名されたのだ。とはいえ実力を認められてではない。建国記念日の試合に黒人のチャンピオンとイタリア系の白人が試合する。アメリカを象徴する試合としてふさわしい。ただそれだけの理由で指名されたのである。もちろん実力には雲泥の差がある。始めは勝ち目など端から無いと諦めていたものの、老トレーナー=ミッキーにたきつけられたこともあり、本気でトレーニングを開始。過酷なトレーニングによって体力をつけ、冷凍庫で凍った生肉を殴ることで拳を鍛えたロッキー。いざ決戦の舞台に赴く。「俺はこの試合で死ぬかもしれない。だけどもしこの試合で最終ラウンドまで倒れずに立っていられたら、俺は初めて自分をただのゴロツキじゃないと証明できるんだ」そう恋人であるエイドリアンに告げ、ロッキーはリングへと上がる...。

いかに鍛えたとはいえ現役チャンピオンとの実力差は明確。それでも、どれだけ殴られようとも不屈の意志で立ち続けたロッキーは、いよいよ宣言を「現実」にする。試合には敗れたものの、もはやそんなことは関係ない。彼は試合での勝利よりももっと大きな物を手に入れた。それは「誇り」である。

 

ラブライブ1期」はまさしく「ロッキー」的な物語だった。何者でもなかった少女たちが、「廃校阻止」という目標をきっかけに「スクールアイドル」として覚醒し、大きく成長していく。その中で「ラブライブ」という目標に出会い、そこでの優勝をガムシャラに目指す。しかし最終的には「廃校阻止」はなし崩しで成功し、「ラブライブ」には出場もかなわない。しかしμ'sの面々は「小さな勝利」と「大きな誇り」を手にする。

「ロッキー」には、常に「成功」を義務付けられてきた「白人層」のルサンチマンが込められている。「白人ならば強くあれ」「白人ならば勝利せよ」。そう育てられながらすべてにおいて「黒人」に敗れ続ける現実。この時代背景がルサンチマンを生んだ。「ロッキー」はそんな白人たちを救った。「別に強くなくてもいい」「勝てなくてもいい」ただ「大事なものを見失うな」。故にこの作品は白人だけでなく、多くの層から愛され、未だに語り継がれる物語になった。

ラブライブ」もまた、「生まれながら何かを失っている人々」を救った。「夢を見るな」「現実だけ見ろ」。そう教えられ育った若者たちは、「ラブライブ」に「失った夢」を見た。「強く願えば夢はかなう」「恐れず挑戦することが大事」。そんな「イデオロギー」を示したからこそ、「ラブライブ」は一定の世代に「強く」「深く」愛される作品になった。

ラブライブ」一期は、彼女達が「スタートライン」に立つまでの物語だ。彼女達はスクールアイドルとして具体的には何も成し遂げていない。それでも「願うこと」の価値を、「挑戦すること」の意味を、失敗と、挫折と、ちょっとした勝利から得た。だからこそこの物語は尊く、エバーグリーンな物語として成立しているのではないか。そんな風に思う。

 

「小さな世界の小さな気付き。しかしそれが”僕たちの神話”になる」ラブライブハイライト!11話~13話考察

こんにちは、あるいはこんばんは。

今回はラブライブ1期にとって、そして「ラブライブ!」という作品を語る上でもとても大事な11話~13話をお送りします。

と、いうのもこの1期終盤に起きた出来事をかみ砕けるかどうかで、「ラブライブ」という作品そのものの評価自体も大きく変化するからです。

そもそも私自身がラブライブをマジメに考察し始めたのも、1期終盤の「ことり留学プロット」の意図が「分からなかったから」なのです。

しかしこの演出の「意図」や「意味」を考察し、考える事が「ラブライブ」という作品への理解に繋がり、結果として「この作品舐めてはいかんな...」という考えに直結し、このブログの作成にも繋がっていたりするわけです(笑)。

そんなわけでここは個人的にも気合を入れて書いていきたいところ。

ここしばらくどのように書いていくかで悩みましたが、今回はストーリーを追いかけてきたこれまでとは少し「方式」を変えて、この3話の間に起きるトピックに焦点を当てていきたいなと思います。その中でそれぞれのシーンや演出の意図なんかに触れつつ、シナリオの構造を考察していければなと。なるべくシンプルにまとめるつもりではおりますが、長くなったらゴメンナサイ。。

※注 当ブログの考察はあくまでも私個人の考察です。公式な見解ではありませんので、予めご了承ください。また、当ブログの性質上、あくまでも「脚色や演出の意図」「寄って」考察するきらいがあります。私個人の見解として「シーンやセリフの整合性」などは「軽視」する傾向もありますので、そちらも予め含みおきくださいませ。

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■1期終盤を読み解くトピックス■

①何故穂乃果は「失敗」し「停滞」するのか?

・「リープ・オブ・フェイス」の功罪

ラブライブ出場に燃える穂乃果。現在の順位は19位。はっきりと出場を見据える位置につけています。

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ファーストライブこそ上手くいかなかったものの、その後は順調に成長を続けてきたμ's。その先頭には常に「穂乃果」の存在がありました。

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彼女の姿勢を表現する言葉があります。

「見る前に跳べ」=「リープ・オブ・フェイス」。19世紀、デンマークの哲学者キェルケゴールによって提唱されたと言われている哲学。今は主に「宗教用語」として使われることも多い用語ですが、穂乃果はこの思想を「体現」してきた存在でもあります。

町山智浩氏の著書、「映画と本の意外な関係!」(インターナショナル新書)では「リープ・オブ・フェイス」に関してこのような解説があります。

宗教は不条理や非合理性に満ちている。理性と論理で考えたら信じるのは難しい。しかしキェルケゴールは「不条理ゆえに我信ず」と言い切り、信仰に飛び込むと決意した。(中略)「リープ・オブ・フェイス」は盲信(Blind faith)を正当化する考えとして批判される一方、最初の実存主義的な宣言ともされている。キェルケゴールはたまたまキリスト教徒として信仰を選んだが、そうでない人間にとっても論理を超えて飛躍すべき瞬間はあるはずだと。考えているだけでは何も始まらない。イチかバチかで行動しなければ人は変われない。(以下略)

まさしく「明確な成功が約束されている」わけではないのに「スクールアイドル活動」へと「飛躍した」穂乃果。彼女のそんな姿勢がμ'sの活動を引っ張り、成功に導いてきました。故にμ'sメンバーの穂乃果への信頼は揺るぎないものです。そしてその信頼を一心に受けた穂乃果は更に「飛躍」を続けていくことになります。

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しかし、そこには当然「落とし穴」があります。上記の町山氏の著作には以下のような指摘もあります。

アメリカの作家エドガー・アラン・ポー神秘主義的な詩や小説を書く一方で超越論に反発し、それを批判して「悪魔に首を賭けるな」という短編を書いた。その映画化が、オムニバス映画「世にも怪奇な物語」(67年)の第3話、フェデリコ・フェリーニ監督の「悪魔の首飾り」である。

イギリスの俳優ダミット(テレンス・スタンプ)がイタリアにやってきた。(中略)酒に酔った彼はギャラ代わりにもらった真っ赤なフェラーリのオープンカーに乗って真夜中の高速道路に飛出し、工事で道路が途切れた場所まで突っ走る。そこで手毬をつく少女に出会う。彼女は悪魔だった。ダミットは悪魔と賭けをする。途切れた高速道路を車でジャンプして反対側に着地できるかどうか。見事にジャンプに成功する。ただ、ダミットには途切れた部分に水平に張られたワイヤーは見えなかった。(中略)人生には自分を信じて飛躍すべき瞬間が何度かある。ただ、賭けである以上、負けることもあるのをお忘れなく。

「飛躍」が「賭け」である以上、「リスク」もあり、それ故の「代償」を支払わなければならない可能性もある。「ラブライブ」という作品は一貫して「リープ・オブ・フェイス」の価値を訴える作品ですが、その哲学を提唱する以上、上記が「盲信」へとすり替わらないような「バランス感覚」も必要になります。故に穂乃果には「飛躍」に対しての「リスク」も体験させる必要があるわけです。

「目標」のため、「飛躍」を「盲信」する穂乃果。彼女は文字通り「盲目的」になっていきます。ライブの準備のためオーバーワークと分かっていながらトレーニングを繰り返し、体調を悪化させる。周りが見えなくなり、親友であることりの異変にも気づけない。結果としてこの二つが大きな「代償」となって穂乃果に襲い掛かることになるわけです。

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 ②「ラブライブ出場辞退」と「廃校阻止」

マクガフィンの顕在化

ラブライブ出場を確固たるものにするため挑んだ屋上でのLIVE。しかし雨の中、しかも体調不良で臨んだ穂乃果は1曲目を終えた段階で倒れてしまいます。理事長から「生徒の体調に危険が及ぶような活動をするようでは、活動自体を容認できない」と告げられた絵里はμ'sの「ラブライブエントリー」を取りやめます。また、時を同じくして音ノ木坂は来季の生徒募集を開始。彼女たちの活動の成果もあって、「廃校」は「阻止」されました。しかしここで顕在化するのは、「μ'sの活動意義」「消滅」です。

絵里も告げていたように、いずれは「話し合わなければいけなかった」事とはいえ、何故このタイミングでこれまで積み上げてきた「μ'sの活動意義」を崩すのか。それを理解するにはマクガフィンという着眼点が必要になります。

当ブログでは度々登場する「マクガフィン」。Wikipediaでは下記のように記載されています。

マクガフィン (MacGuffin, McGuffin) とは、何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる、仕掛けのひとつである。登場人物たちの視点あるいは読者・観客などからは重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能な物であり、泥棒が狙う宝石や、スパイが狙う重要書類など、そのジャンルでは陳腐なものである。

マクガフィン - Wikipedia

上記では分かり辛いので補足すれば、「メインテーマに対する目くらまし」と表現するのが正しいかもしれません。

μ's結成の動機とは「学校を廃校から救う」というもの。そしてその目標を達成するため「スクールアイドル」を結成し、「ラブライブ」に出場することで学校そのものの「知名度を高めよう」としました。本来であれば、「μ'sはラブライブに優勝し、学校を廃校から救いました。めでたしめでたし。」とするのが常道なのかもしれません。しかし本作はその筋を選ばず、結果としてこの二つの「動機」を途中で「完了」させてしまったわけです。ここから分かるのは、この「動機」そのものが「目くらまし=マクガフィンであるという事です。

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では「ラブライブ本来のテーマ」とは何なのか?それを明らかにするために存在するのが「ことり留学プロット」なわけです。

 

③「ことり留学プロット」の意図と「真のテーマ」

・「今」を「継続」することは「出来ない」

9話EDから匂わされ続けた「不穏」。それがいよいよ顕在化するのが11話です。かねてから服飾に興味を持ち、それを将来の職業にしたいと望んでたことり。そんな彼女のもとに届く留学の誘い。当然断る理由は無い誘いですが、ことりは思い悩みます。留学となれば「高校卒業までの間日本には戻れない」。即ち穂乃果・海未とした「ずっと一緒にいよう」という約束を違えるもの。また留学すれば「音ノ木坂学院スクールアイドル」として活動出来なくなります。彼女の中でも大きな存在になっていた「μ's」を裏切る行為にもなる...。思い悩むことりは、最も信頼する存在である穂乃果に意見を聞こうと思いたちます。しかし穂乃果は「ラブライブ」のことで頭がいっぱい。穂乃果に遠慮したことりは相談が出来ないまま時が過ぎ、いよいよタイムリミットとなる「屋上ライブ」の日を迎えてしまいます。

「ライブが終わったら穂乃果に相談する」そう海未に告げてはいたものの、そのライブで穂乃果が倒れ、ライブそのものが中止に。相談も出来ず終い。いよいよことりはなし崩し的に「留学」に向かうことになります。

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1期終盤に唐突に「ぶち込まれた」「留学プロット」。そのあまりにも唐突な展開と解決法に魂消た視聴者も多かったものです。実際のところ私も初見時には「これはなんだろう??」と驚きましたし、友人には「あの展開が意味不明過ぎてノれなくなった」と告げられました。いわば「ラブライブに乗れる人」と「乗れない人」を分ける分岐点ともいえるこのプロット。

私はいうと友人の意見をきっかけに「このプロットって何の意味があるんだろう?」という発想から「ラブライブ考察」を開始した経緯があります。ここではこれまでもあまり語られていないこの「プロットの意味」に関して考察していきましょう。

まずポイントになるのは9話のラストシーン秋葉原でのライブ成功をきっかけに絆を深めた穂乃果、ことり、海未の3人。それぞれがかけがえのない存在であることを改めて実感すると同時に「いつまでも一緒にいよう」と力強く宣言します。しかしその言葉を遮るように投かんされるのは、ことりへの「留学の誘い」です。

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「留学」は置き換えれば「転機」であり、もっと言うなれば「変化」の象徴でもあります。反面、穂乃果たち3人が望んだのは「今」の「継続」。それは「変化を否定するもの」でもあります。しかし陳腐なことを言えば、この世に「今」のまま「継続」されていくものなどほとんどありません。常に「時代」は移ろい「変化」していく。人間も職場や環境が変わり、そこで新たな出会いを経て、自分の人生を作っていく。それを止める術はありません。「今の継続を望む」穂乃果たちに被せるように「変化」の象徴を挿入するのは、穂乃果たちの考えに対する「問いかけ」が行われることを意味してもいます。

「ことり留学」とは「変化しないものなどない」という「事実」の象徴

穂乃果とことりに突きつけられるのは「今」を「継続すること」など「出来ない」という非情なまでの「現実」です。

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ただしこれは、あくまでも「今回」は「穂乃果」と「ことり」の物語として「抽象化」されただけに過ぎず、やがて「μ's全員」にとっての「課題」となる「問題」でもあるのです。(実際2期ではこの問題が大きな課題として提示されますね)

止めようのない「変化」という「現実」を突きつけられた穂乃果たち。彼女達が選ぶ結論にこそラブライブ本来の「テーマ」が隠されているのです。

 

・「ことり留学プロット」が「モヤる」理由

自分の行動がラブライブ辞退、ことり離脱の原因となった(と考えた)穂乃果は捨て鉢になり、自ら「μ's離脱」を宣言する事態に。しかし秋葉原の街を歩き、メンバーと会話する中で、自らの中に眠る欲求を取り戻した穂乃果は再起。改めて「スクールアイドル」を継続することを宣言します。その中で海未から求められたのは「ことりの奪還」。留学へ向かう当日のことりを説得し、μ'sへと引き戻すのです。

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さて、「ことり留学プロット」において最も反感を買うのが、上記の描写。筆者も初見では「そりゃないべ」と思わず呟いたシーンでした。

何故このシーンが反感を買うのか、というと、

①「留学」という大きな決断を、あっさり覆すのってありなの?

②穂乃果の説得方法が強引すぎないか?

③ことりはことりで穂乃果にほだされて残った感じがしてモヤモヤする。

以上の3点に原因があるように思います。

本稿ではこの3点に反論....は特にしません(笑)。だって実際に強引なんだもの。

とはいえ、弁護の余地はあります。

ラブライブ!TheSchoolidolMovieファンブック」を読んでいただければ分かる通り、「1期」放送時点では「2期放送」の予定など「まるで決まっていなかった」わけです。となれば、なんとか「1期」の中にラブライブの示したいテーマ」を「詰め込む」必要がありました。だって「次があるとは限らない」わけですから。とはいえ、もう少し丁寧に出来なかったのか...という突っ込みはすべきなのかもしれませんが。。

さて、ではここまで「強引」な方法を用いてまで表現したかった「テーマ」とは何なのかという話になってきます。

 

・「未来」よりも「今」を「大切」にする。

「留学」とは「変化」と同時に「転機」の象徴であると、先ほど書かせていただきました。更に言うなれば「留学」は「未来」へも直接つながった「転機」でもあります。「留学阻止」はそれを引き留め「今」に繋ぎとめる「行為」でもあります。

f:id:ishidamashii:20170708222638j:plain一見、非常に「後ろ向き」な結論に見えるこの行為(モヤる理由はそこにもあるのかもしれません)。しかしこの時点での彼女たちの背景にあるのは「今」が決して「継続されない」という共通理解です。穂乃果はことりを引き留める際にハッキリとこう口にしています。「いずれ別の夢に向かう時が来るとしても!」と。

9話の時点では無邪気に「今」が「継続」されることを「信じていた」彼女達。しかしことりの「留学」という出来事をきっかけにその幻想は打ち砕かれました。代わりに彼女達の中に芽生えたのは、「今」は決して「不変」では無いという「実感」であり、故に「今」を「大切にしなければならない」という「確信」でした。その観点を以て見ると、穂乃果のこの判断は「行為としては後ろ向き」でありながら、「判断としては前向き」なものであるように見えるのです。スクールアイドルでいられるのは、「高校生の間」だけ。もしもこのままことりが行ってしまったら、穂乃果とことりは「μ's」として過ごせる「今」を失うことになる。穂乃果はその「今」を守るために、ことりを「引き留めねばならなかった」わけです。

つまりここから分かるのは、ラブライブ」が本当に伝えたいテーマとは「今が最も大切である」ということです。

ここには「劇場版」に至るまで一貫して貫かれる「ラブライブ」という作品、ひいてはシリーズの持つイデオロギーが表現されています。

「未来」はもちろん大事。先を見据えて行動することも大事。しかし、それだけでは「飛躍」する瞬間が訪れない。①で触れた通り、人生には「飛躍する瞬間」が必要と考える「ラブライブ」には、常に「未来」ではなく「今」の「パッション」を大切にするべき、という思想が貫かれています。

ラブライブ」は「限られた今」という「瞬間」を、「スクールアイドル」という存在に託して表現しています。高校3年間の間しか活動できない「スクールアイドル」。だからこそその「瞬間」の「一瞬一瞬」を「大切にして」生きる必要がある。「劇場版」の主題歌である僕たちはひとつの光で印象的なフレーズとして登場する「今が最高!」は、言うなれば1期の段階から登場していた、「ラブライブ」を象徴する「イデオロギー」なんですよね。

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・ことり留学プロットのエラー回収

とはいえことり留学プロットが「上手くいかなかった」ことはなんとなく脚本の花田さんも実感している気がします。というのも「サンシャイン」9話「未熟DREAMER」で、ほぼ同じプロットをやり直しているからです(笑)。ことり留学プロットエラーの要因は、「留学引き留め」の要因を「穂乃果」一人に背負わせたことが原因でした。(ことりが流されやすい性格で、実際には積極的に行きたがっていたわけでない...という事が本編からだけでは伝わりづらい)

故にサンシャインではもっと整理された形で同じテーマを消化できていました。この辺は当ブログのサンシャイン9話考察をご一読くださいませ。

ishidamashii.hatenablog.com

 

・2期以降へのブリッジ要素

「今」を大切にすること。「今」は「有限」であることを悟った穂乃果とことり。それは2期以降の二人の行動や発言などにもしっかりと「反映」されていきます。これは割とはっきりと分かるポイントが何か所かあるので、その辺は2期考察で触れるようにします。

 

④「飛躍」の肯定

「飛躍」によって躓き、課題を背負った穂乃果。しかし彼女は最終的に再度「飛躍」することを求められ、その願いに応える形で復帰することになりました。

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いかに「飛躍する」ことの「リスク」を描いたとて、「ラブライブ」の根幹にあるのは、「恐れず飛び込むこと」を「重視する」姿勢です。穂乃果は失敗を通して、「飛躍する」ことの難しさを覚えましたが、同時に「リスク」を負ったうえでなお「飛躍する」ことの「価値」を覚えました。1期終盤の「強引」な展開は、2期以降で穂乃果をより伸び伸びと「飛躍させる」ための「布石」にもなっています。そしてその「布石」は「劇場版」にまで連なっていくわけです。

 

⑤とても小規模で、とても大きな一つの「勝利

ことりの説得に成功した穂乃果。講堂で「μ's再起動」を宣言するライブを実施します。3人でライブをした時には客席にはメンバーとヒフミしかいなかった場所。しかし今は支えてくれる多くの人たちがいます。

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彼女達は結果として「何も成し遂げてはいません」。学校の廃校阻止も決して彼女達だけが「要因」とは言えないでしょう。しかし、彼女達は大きな目標を成し遂げました。それは「講堂を満員にすること」そして「お客さんを笑顔にすること」。これは初期μ'sが掲げた目標そのものです。

歌う楽曲は「START=DASH!。μ'sの始まりの曲であり、アンセムでもあるこの曲は、μ'sの「今」を象徴する曲でもあります。

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「明日よ変われ」「希望に変われ」「眩しい光に照らされて変われ!」

その歌詞は「明日の輝き」を求め、「今」を精いっぱいに生きる、というμ'sのイデオロギーそのもの。

そしてその思いが伝わったからこそ、今講堂には満員のお客さんがいる。μ'sが成し遂げた「勝利」はとてもとても小さなものですが、反面「信じて突き進むこと」の価値をしっかりと証明することに繋がりました。

ラブライブ放映当時、とにもかくにも若者はペシミズムな世界観を強要されていました。「どうせできない」「どうせなれない」。そんな価値観を破壊し「信じれば願いはかなう」という、ちょっと前からすれば「楽天的過ぎないかい?」と言われるような思想を再度肯定するのが、「ラブライブ」という物語でした。

ラブライブが「他のアニメ」と比べて、圧倒的マジョリティ(しかも若者)に受け入れられたのは、この「思想」があったからこそなのでは?とも思えます。

こうして「小さな世界の小さな変革」の物語は、新たな「僕たちの神話」となり、今なお愛され語り継がれているのです。

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というわけで、11話~13話総括考察でございました。

手短にしたけど、まぁまぁ長いな。。。とにもかくにも長々と続けてきた1期考察はこれにて一端終了(恐らく明日1期総括記事を出すと思いますが)。

翌週からは2期に移っていきたいと思います。果たしてサンシャイン2期放送開始前に終わるのかハラハラですがw 引き続きご愛顧をお願いいたします♪

また、1期終盤に関して、触れ損ねている要素や、「ここってどう思う??」などのご意見がございましたら、コメント欄ないしはTwitterまでご連絡くださいませ!

わかる範囲ではお答えいたします。

まずは、ここまでお読み頂きありがとうございました!

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