Love Live!Aftertalk!

妄想をただ書き連ねる覚書。更新情報等はTwitterにてお知らせしております。

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「0から1への大きな一歩」 Aqours 1stLoveLive First Step! 総括

こんばんは。

今回の無駄話はAqours 1st LoveLiveに関して。

....これまで2回も扱っといて「またかよ!」という感じですがw 

とはいえ、千歌と伊波さん、梨子と逢田さんには触れたものの、そのほかの要素にはあまり触れられていないので。あくまでも自分の踏ん切りとしてこの稿を収め、1stLIVEに関しては最後とさせていただきます。

f:id:ishidamashii:20170301004136j:plain

とはいえ今更ディティールに触れるのも変な感じなので(リスアニさんの記事に楽曲情報も含めたライブの詳細がありますし)。

www.lisani.jp

私としては、総括として...というよりも雑感にとどめます。

 

■「キャラクター」と「キャスト」の距離を縮めたライブまでの「作業」期間。 

今回のライブで印象的だったのは、キャストの言葉。「アニメ終了」から「ライブ」に至るこの数か月で、自分と「キャラクター」をいかに「一致」させ、「距離感を埋める」か。キャストの皆さんにとってこれが、ダンスレッスンと同じくらい「重要な作業」だったことが、MCからひしひしと伝わりました。

私自身は、その自問自答と苦労を語る姿を初めて見ました(すみません、浦ラジとかはチェックしていないので、そこで語られていたかもしれませんが)。故に彼女達の言葉を、非常に新鮮に受け取ることが出来ました。

降幡さんは「黒澤ルビィに近づこう」と模索すればするほど「自分とルビィとのギャップ」に気付き、「かなり落ち込んだ」と仰っていました。その中で「自分は自分のままルビィを表現すればいい」と開き直って、今ここに立っている...と力強く宣言されていました。

同じくギャップに苦しんだと仰っていたのは高槻さん。「Aqoursで最低身長の花丸を、実際にはキャストの中で一番身長の大きな自分が演じることに悩んでいた」という本人にしか分からない苦労をお話されていました。また自分自身の体力の無さや様々な面での足りなさを実感する中で「自分自身が0になる瞬間」を体感したと仰っていた高槻さん。そんな彼女は逆に「自分自身と花丸」とを重ねることで、共に成長できた...と話されていましたね。

内面に少しでも近づくため、まずは「外面」から近づこうとされていた諏訪さん。MCでは「皆に気付かれていないけど、ひっそりと毛先を青くしている」ことを暴露。また果南の目と同じ紫のカラーコンタクトをされていることもお話されていました(これはメンバー誰も気づかず)。「果南に近づくためにどうしようと思った時に、まずは形から入るくらいしか出来なかった」と仰っていましたが、あまりそういうことをされる印象がなかったので、ちょっと意外でした。ただ、それだけ諏訪さんも思い悩まれたんだろうな、と思えるエピソードでした。

 

ラブライブ!」というコンテンツは、メディアミックス展開を軸にしつつ、特に「ライブ」を大事にしています。もちろんそこには「大人の事情」もたっぷりとあるのでしょうが。それ以外の要因としては「ライブ」を通じて、キャストに「キャラクター」を見つめ直してもらい、両者の「距離を詰める作業」を「意図的」に行わせるためなのでは?とも思います。

「アニメ」ではあくまでも「キャラクター」を演じる「中の人」に過ぎない彼女たち。しかし「ライブ」ではその「中の人」が白日の下にさらされます。ライブに訪れる観客が期待するのは「アニメの中のキャラクター」を自分の目で「実際に目撃」し「ラブライブの世界」を体感し没入すること。となれば、彼女達は自分自身が「キャラクター」そのものに見えるように「努力」する必要があります。

その為には外見だけでなく、ふとした立ち居振る舞いや言動なんかも(少なくともライブ時には)「キャラクター本人ならどうする?」かを常に意識する必要が出てきます。もちろんキャストからすれば大変な作業ですが、こういった「確認作業」は「役を自分に落とし込むため」には非常に貴重な機会となり得ます。

ライブまでの準備期間を通して、「千歌と伊波さん」の関係が大きく進展した気がする...というのは前回更新記事にて書かせて頂きましたが、

ishidamashii.hatenablog.com

 それは他のキャストも同じ(降幡さんなどのコメントの通り)。

彼女達が自分の「役」をより深く理解することで、それが「ライブ」におけるパフォーマンスに好影響を与え....そのパフォーマンスを見た我々は世界観への没入感を高め、より強くラブライブ」というコンテンツに惹かれていく。そんな「作品に対するポジティブな相乗効果」をもたせるために、この「確認作業」は重要なのだと思います。

 

■ファンと「Aqours」との距離を埋めた2日間。

1stライブ終了直後から、皆のAqoursへの見方に変化があったような気がしています。もちろんポジティブな意味で。その要因にはやはり2日目の「想いよひとつになれ」の一件もあったかと思うのですが、

ishidamashii.hatenablog.com

それを除いても、

この日のLIVEが、それまでファンがAqoursに対して抱いていた「モヤモヤ」(実際のところどんなもんなんやろ...という)を晴らすのに充分なクオリティだったからでしょう。

まずは、前述した通り「キャスト=キャラクター」の関係性深化。それに伴う「パフォーマンスの進化」がありました。「想いよひとつになれ」ではミスも起きましたが、それ以外では目立ったミスはなし。「MIRAI TICKET」に入る直前の「ミュージカル演出」だって、決してミスの許されない難しいもの。にも関わらず堂々とした立ち居振る舞いを見せたAqoursへのリスペクトが2日間を通じて生まれたことは否めません。

そしてその「リスペクト」が確実に「ラブライブ」ではなく、「Aqours」単体のフォロワーを生み出しました。これまでは「ラブライブ」だからこそ「付き合っていた」くらいの温度感だったファンが、彼女達を直に見、素晴らしさを実感したことで「Aqours」に「夢中」になるきっかけとなった。これは「大きな一歩」だと思うのです。

アニメ本編では「μ'sからの別離」「自分たちの道を進むこと」を力強く宣言し、終わりを迎えた13話。

この酒井監督のコメント「ミュージカル演出に関しての反省を含めたもの」と言われていますが、個人的には「違う」のでは?と思います。

監督は、ライブでのAqoursのパフォーマンスから、「μ'sの看板を離れ」「自分たちの力で輝き、自分たちの道を進む」という13話で示した「テーマ」に通じるものを感じたからこそ、「ライブを以て13話が完成した」と発言しているのではないでしょうか。

そしてその発言は決して間違っていないと思います。なぜならこれまであまり「Aqours」に対して積極的に発言しなかった「ラブライブ」ファンたちが、「Aqours」に関してポジティブな反応を示すようになっているからです。

Aqours」しか持ちえない魅力を「ライブ」を通じて存分に見せつけた結果、彼女達はようやく「μ'sの二番煎じ」という名の「呪縛」から解き放たれつつあるように思えます。

彼女たちが次に向かうのは「Next step project」ですが、その道のりは一気に晴天へと変わった...と言っても良いのではないでしょうか。

ここから8月に向けて更に進化するAqoursに期待しつつ。

また、「チケットマジで激戦になりそう」という恐怖を抱きつつ、この稿を締めさせていただきたいと思います。

ご一読いただき、ありがとうございました。

 

...さて、次回ですが2期の制作も決定した...ということで、無粋ではありますが「2期の予想展開会議」をしたいと思っております。「鬼に笑われそう」ではありますが、予想している時が一番楽しいですからね。

その後はようやく「ラブライブ!(無印)」の考察に移っていきます。さて、これはどうやろうか、未だに悩んでいるのですが。

通常通り話毎にやる?それよりも1期と2期でざっくり総括して、キャラクター編作る??とか。ご要望があれば言って頂ければと思います。2期開始まではまだまだ時間ありますので、のんびりやっていく所存です。

ラブライブ! サンシャイン!! Blu-ray 7 (特装限定版)

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「共に止まって、共に進もう。」 高海千歌と伊波杏樹から見る、Aqoursのあり方。

f:id:ishidamashii:20170301004136j:plain

 

こんばんは。

今後独り言みたいな散文はこの「無駄話」カテゴリーで更新して行こうと思います。

さて、おかげ様で前回更新記事が大変多くの皆様にお読み頂けているようです。ありがとうございます!ただ反面ここまでの反響を頂くとは露とも思わず、乱文のまま掲載してしまい恥ずかしい。。。とはいえ初期衝動を残すため文章自体は今後も変えませんが、誤字脱字に関しては訂正していこうと思います。読み苦しくてスミマセン。これからもお見苦しい記事ばかりとは思いますが、頑張って読みやすい文章を書けるように精進いたします。何卒よろしくお願いいたします<(_ _)>

 

ライブの感想は「いつかまとめて」とか思ってたんですが、思い出はどんどん風化していってしまうので、こういった散文で思いついたものから書いていくのが良い気がしてきました。

そこで今回は「キャストに関して」

というよりも「キャストとその役に関して」という方が正確かもしれませんね。全員についてそれぞれコメントしたいのですが、それだと冗長になってしまうので、今回は一人だけ。高海千歌伊波杏樹さん」です。

 

...その前に。ちょっと長くなりますが、前置きを。

プロジェクトとしての「ラブライブ!」は、「無印」も「サンシャイン!!」も9人の女の子が「主人公」として登場する物語です。その中で"特別扱いされるべく作られたキャラクター"はいません。全員が「主人公である」という立場を貫いています。

しかし、いざ「アニメ」という「物語」を紡いでいく場合には、誰かを「メインキャスト」に据える必要があります。「三国志」や「戦国モノ」のような「群像劇」であれば、それぞれの登場人物を主人公として据え、物語を展開していくことも出来ますが、「アイドル」しかも「グループ」を題材にした作品の作劇としては向かない印象があります。

もちろん様々な表現の仕方はあるとは思いますが、こと「ストーリー」を通して「1つのテーマを伝えようとする」ラブライブ!」では選択され辛い方式です。

故に「ラブライブ」ではこれまでも、一人のキャラクターに「メインキャスト」としての役割を委ね、物語を紡いでいく手法を採用しました。

前作で「メインキャスト」としての役割を託されたのは高坂穂乃果

「学校の廃校」という「危機」を防ぐため彼女が始めたのは「スクールアイドル」。地元=秋葉原の新興学校「UTX高校」の人気が「スクールアイドル・A-RISE」の人気によって急上昇していることを知った穂乃果。「スクールアイドル」として「人気者」になり、「学校に人を集める」ため、活動を開始します。

「希望」と「夢」を「スクールアイドル」に見出した穂乃果は猪突猛進。目標に向かって突き進んでいきます。一度目標を見据えた彼女を止められる存在はいません。そしてそんな彼女の凄まじい求心力とパワーは、同じように「希望」や「夢」を抱えながら、それを「上手く表現できない」少女たちの「思い」を呼び覚まします。そしてスクールアイドル「μ's」が誕生します。

穂乃果はリーダーとしては「俺の背中についてこい!」タイプ。自分から理想に向かってドンドン突き進み、その先で仲間たちに「早くおいでよー♪」と呼びかける感じです。μ'sのメンバーはそんな穂乃果の求心力に引っ張られる形で、高みに向かって突き進んでいきます。

しかしμ'sは穂乃果が「倒れてしまう」と急速に求心力を失い、真価を発揮できなくなってしまいます(1期11話)。更に穂乃果が「スクールアイドルを辞める」と告げれば、まとまりも失ってしまい、バラバラになりかけてしまいます(1期12話)。

穂乃果が「停止する」ことで止まってしまうμ'sは、穂乃果の「再始動」に合わせて復活します(1期13話)。穂乃果の再始動のきっかけを与えるのは幼馴染の海未ですが、彼女は穂乃果に「猪突猛進に突き進む」「穂乃果らしさを取り戻す」ように要請し、それによって穂乃果は復活を果たすのです。

1期11話での反省を踏まえ、2期での穂乃果は「任せるべきところ」では人にゆだねたり、「仲間を頼ったり」出来るようになります。例えば沖縄旅行中、ファッションショーで誰をセンターにするべきか花陽に聞かれた際には、その選択を花陽にゆだねます(2期5話)。2期9話では、吹雪の中立ちすくんだところをことりと海未の言葉に支えられ足を進め、ゴールで待っていた絵里へ迷わず道中の不安を吐き出します。仲間への信頼を糧に人間的な成長を果たした穂乃果。しかしその本質自体に変化はありません。

2期でも穂乃果の「行こう!」「やろう!」という言葉がμ'sの決定的な動機になっていることに変わりはありません。また「迷いが生まれた局面」ではメンバーは必ず穂乃果の判断を仰ぎます(劇場版ラブライブなどなど)。穂乃果が「絶対的なカリスマ」によってチームを統率するリーダーである、という点は徹頭徹尾変わらないわけです。

 

さて、前置きが長くなりましたが、ここからが高海千歌のお話。

既に様々な方が「千歌の魅力」として語っているように、彼女の魅力は「普通」であること。この辺り当ブログ キャラクター考察=高海千歌編でも触れた通りです。

ishidamashii.hatenablog.com

 彼女は「穂乃果」に憧れ、「穂乃果になりたい!」と思ってスクールアイドルを始めた「普通星人」です。故に彼女は穂乃果のような天賦のカリスマ性は持ち合わせていません。あるのは「スクールアイドル」と「μ's」への真摯な憧れだけ。そしてその「憧れ」を糧に突き進んでいくのが「Aqoursの物語」の前半戦です。

とはいえ千歌は自分を「普通星人」を自称するだけあって、周りの「普通な」仲間への目配り・気配りを忘れません。誰かが困っていたら、その人の横に立って「どうしたの?」「何が辛いの?」と聞き、一緒に悩みを解決するまで次には行こうとしないタイプです。そんな千歌のパーソナリティは「皆で一緒に進む」「Aqoursのあり方」に繋がっていきます。そしてそれはAqoursがμ'sと「決定的に異なるポイント」でもあります。

 

さてではそんな千歌を演じる伊波杏樹さんのお話。

何人かのブロガー様も書かれていた印象と僕も同じで、伊波さんに対してのファーストインプレッションは決して良いものではありませんでした。それは「彼女が頑張っていないから」ではなくて、むしろその逆「彼女が頑張りすぎていたこと」に問題がありました。

MCでは常に先頭を切って喋り始めてはうまくまとまらず空回りしたり、周りのざわざわを納めようと必死になったり、彼女は「高海千歌になろう」とするよりも、「リーダーとしての責務」を務めようとすることに必死でした。またダンスにおいてもそれは同じで、「君のこころは輝いてるかい?」における梨子との大サビ前の決めポーズでは、必死ゆえに「ドヤ顔」を決めてしまうことに。そこには伊波杏樹はいても高海千歌」はいませんでした。

もちろん様々な意見があるのは重々承知のうえですが、「ラブライブ!」プロジェクトのキモは、画面の中の「キャラクターたち」と、舞台に立つ「中の人たち」の「境界線」が極めて「曖昧になること」だと思います。僕らは3次元のライブを見ながら、キャラクターを演じる彼女たちを通して、「ラブライブ」の世界に埋没していく。その体験を楽しむ。そんな中でだんだんと「中の人たち」が逆に「キャラクター」へも影響を与えるようになり、「キャラクターと中の人の境界線」が「曖昧」になってくる。そんな感覚が、このプロジェクトにしか無い面白みなのでは?と僕は感じているのです。

初期の伊波さんには、それを表現する余裕がありませんでした。だからこそ「不安」を感じてしまったのです。

しかしTVアニメ全13話を終えたことで、伊波さんにも変化が起きていました。

ラブライブ!サンシャイン!!」での「メインキャスト」は高海千歌普通の彼女が、普通の仲間と手に手を取り合って「自分たちだけの新世界」を目指す物語。その物語を紡ぐなかで伊波さんも千歌というキャラクターと深く向き合ったはずで、その体験が伊波さんを「千歌」へと近づけていったように思えるのです。

Aqours 1stLoveLive」での伊波さんは、何度も「千歌」本人に見える瞬間がありました。それは楽曲の最中だけでなく、MCの時にすら感じるほど。今までよりもよっぽど大きな舞台に立っているにも関わらず、「肩の力」を抜いて、ライブそのものが「楽しくて仕方ない」という雰囲気はまさしく「千歌」のようでした。

進行においてもこれまでのように「私がなんとかしなきゃ!」という気おいから解放され、自然体でこなせていました。自分が喋らなくてもいい、と感じた際には一歩引いてメンバーのことを笑顔で見つめている。そんな姿はアニメの中の千歌そのものです。

それは「想いよひとつになれ」のアクシデントの際にも同じ。

パニックに陥る逢田さんに近寄り、真っ先に「大丈夫だから」と励ます姿は、千歌そのもの。これまでの伊波さんだったらもしかしたら客席の混乱を抑えようと考えてしまったかもしれません。でも今は真っ先に仲間のことを気遣える。「皆で一緒に進むために、一度立ち止まる」ことが出来る。それは彼女が「千歌」そのものになっていたからだと思うのです。

Aqours 1stLoveLive」本編ラストの曲は「君のこころは輝いてるかい?」。

そこにはこれまでとは違う、笑顔の千歌本人がいました。

「太陽みたいに輝く笑顔で、みんなにハッピーを届けるよ♪」と自己紹介する千歌ですが、この日のライブをハッピーにした要因の一つは、伊波さんの輝く笑顔だったのではと思えるのです。

そしてその笑顔が「皆で一緒に進む」というAqoursのあり方を、このLIVEでも表現できた勝因なのではないかなと思えて仕方ありません。

ラブライブ!サンシャイン!!無駄話 「次元も時間も場所をも超えて、想いが一つになる奇跡」

2/25 2/26はAqours初の単独ライブAqours First LoveLive!」横浜アリーナにて行われました。僕はちょっとした幸運に恵まれ、1日目を現地で、2日目をライブビューイングで見ることが出来ました。

ライブの感想は、それこそ溢れるくらいあるのですが、そういった細かい思いはまた別の機会に書かせていただくとして、今回は「ある楽曲」に関して、それこそ散文と呼べるようなもので書き殴らせて頂ければと思います。今日どうしても更新しなければ、と思うのは、今日いまでしか書けない気持ちがきっとあるから...と思うからです(恐らくそういう風に思っている方はたくさんいらっしゃると思います)。きっと夜中に書いたラブレターのような気恥ずかしい文章になっていると思うのですが、何卒ご了承くださいw(普段から同じようなものだから良いか...)

さて、ある楽曲とは(お察しの方もいるとは思いますが)想いよひとつになれです。今回ライブで初披露された楽曲は数多あったわけですが、その中でも極めて強烈な印象を残したのがこの楽曲でした。

※もう既にライブが終了しましたので、ネタバレ全開で書かせていただきますが、どうしても円盤が出るまでネタバレしないで!!!という方はここで引き返して頂ければ幸いです。

f:id:ishidamashii:20170227001124j:plain

...さて、まずは前提としてなぜこの曲が印象に残る曲になったのか、というのをライブを見ていない方のために簡単に説明する必要があります。

今回ライブでは「未熟DREAMER」から一気に「想いよひとつになれ」へ入っていく演出が採られました。その中でのキモは、「舞台上にグランドピアノが登場し、桜内梨子を演じる逢田梨香子さんが実際にピアノを演奏する」というものでした。

これは実のところ楽曲考察で予想していた流れでもあり、演出としてそれほど驚きがあったわけでは無かったのですが、いざ演奏されるとその迫力に終始圧倒されました。それこそ自分で書いた記事の通り、”ドライヴ感”が凄まじく、聞いている途中から興奮が止まらない...という感覚に陥るほどでした。またアニメ本編では共に歌う事のなかった梨子ですが、この日のライブでは逢田さんがマイクが生きていないにも関わらず一緒に歌っている姿を見せてくださって、より気持ちが高ぶりました。恐らくこれは僕だけでなく、初日ライブを見た人の多くに同意して頂ける部分かと思います。

結果「想いよひとつになれ」は初日ライブでの「MVP楽曲」に推す方も多かったですね。(ただし初日感想では何を演奏した...というネタバレツイートが禁止されていたので、皆が皆「アレ凄かった」「アレ感動した」とつぶやいていたのが面白かったですね(笑)さらにそれでみんな文脈を共有しているのもダブルで面白かったです)

さて来る二日目も全く同じ構成で「想いよ~」へと突入していったライブ。緊張の面持ちでピアノ前へと座った逢田さん。おもむろにイントロを弾き始めます。しかしここでアクシデントが。一回目の転調でタッチミスを犯してしまった逢田さん。必死に取り返そうとするも、動揺で立て直せず、舞台上の音楽が無音になってしまったのです。慌ててピアノに続く演奏音源を消すPA。動揺する逢田さんに駆け寄るメンバー。そして騒然とする客席。恐らくラブライブ史上初めての大きなアクシデントが発生してしまいました。

この時僕はというと「やっちまった!」という動揺と同時に「深い反省」をしていました。

思えば1度目に披露した際に、あまりにもあっさりと演奏をやり遂げる姿を見て、どこかで「凄いことをしている」という感覚が抜け落ちていました。しかしいざピアノ演奏が抜けた場合の「想いよひとつになれ」を聴いてみると、完全に主旋律を失った形になっていました。つまり、それだけこの楽曲の成否において逢田さんへかかるウェイトが「重くなっていた」わけで、それを僕は「微塵も理解していなかった」わけです。

もちろん演者は「努力の形跡もみせず、客を楽しませる義務がある」と思ってやっているでしょうし、「努力を見せるのは恥ずかしい」とも思っているはず。ただ、その「努力」を僕ら「応援する側」が「軽視」してはいけないのです。僕は自然に「Aqours」や同じく様々な「芸事」をする人々を「舐めていた」自分が急に恥ずかしくなりました。そしてそれに並行するように逢田さんや、Aqoursのメンバー全員を改めて「尊敬」する気持ちが芽生えてきました。恐らく同じような心の動きをした方が会場内やLVの会場にもいらっしゃったのでは、と思います。

やり直しの瞬間の緊張感たるや半端ないものがありました。「次失敗したら、ライブそのものが終わる」。そんな逢田さんとAqoursメンバーの緊張感がこちらにもひしひしと伝わってきました。そんなとき会場内から聞こえてきたのは「梨香子」コールでした。「梨子」でも「りきゃこ」でもなく、「梨香子」コール。愛称でキャストの名前を呼ぶことがあっても、本名でコールすることはほとんどないはずのラブライブにおいては、非常にエポックメイキングな出来事。しかしそれだけ逢田さんに対するリスペクトが会場内の人々の心を動かし、コールに駆り立てたのではないか...と思えます。それほどに自然で、愛情に満ち溢れたコールでした。

再び始まったイントロ。

緊張感は凄まじいですが、今度は見事に成功!

その後は滞りなく演奏が続いていきます。

しかしあの一件を乗り越えた会場の空気は凄まじいものがありました。Aqoursのメンバー、そして会場の皆の想いが逢田さんの手に乗り移ったかのように、情熱的で荒々しく、それでいて冷静なタッチが「想いよひとつになれ」の世界を紡いでいきます。そしてその情動がメンバーと我々の心をまた揺さぶる。自然と激しくなるAqoursのパフォーマンス。半ば狂乱の如く盛り上がっていく客席。お互いがお互いを高めながら、どこまでも昇っていくような「不思議な昂揚感」がこの日のライブにはありました。それはまさしく「ライブでしか起きえない奇跡」のような体験でした。

ピアノソロで始まり、ピアノソロで終わるこの楽曲。締めももちろん逢田さんのピアノソロです。最後の一音を弾く瞬間...。震える指先を必死で抑えながら、鍵盤をグッと抑え、楽曲が終わると一瞬の静寂。逢田さんが必死の形相で右手を掲げ、それに倣ってAqoursが右手を挙げると、その後またしても爆発的な「梨香子」コールが起きました。横浜アリーナも、LV会場もサイリウムは「さくら色」一色。自分の推しキャラもなにも関係なく、皆が逢田さん、そして梨子に万雷の拍手を送った、本当に感動的な瞬間でした。

・・・僕がこの間考えていたのは「想いよひとつになれ」という曲のこと、そしてTVアニメ11話でこの曲を披露する直前に梨子と曜がしていた会話のことでした。

梨子「私ね、分かった気がするの。あの時どうして千歌ちゃんがスクールアイドルを始めようと思ったのか。スクールアイドルじゃなきゃダメだったのか。」

曜「うん。千歌ちゃんにとって、輝くという事は自分一人じゃなくて、誰かと手を取り合い、皆と一緒に輝くことなんだよね。」

梨子「私や曜ちゃんや、普通のみんなが集まって、一人じゃとても出来ない、大きな輝きを作る。その輝きが学校や、聴いてる人に広がっていく。繋がっていく。」

曜「それが千歌ちゃんがやりたかったこと。スクールアイドルの中に見つけた輝きなんだ...」(第11話より抜粋)

 この日Aqours全員が、会場と一緒になって作り上げたものは、まさしくこの「輝き」なのでは...と思います。もちろんアクシデント込みでこそ生まれたイレギュラーな出来事でしたが、図らずとも上の言葉が語られる回で披露された楽曲において、それを証明するような出来事が起きたのは「奇跡」としか呼びようのない出来事のように思えます。

さらに言うなれば、この日ライブを見ていた全ての人が同じ「想い」を共有した...というのは楽曲の歌詞そのもの。「どこにいても 同じ明日を 信じてる」。今日LVを見ながら「うまくいってくれ!」と願っていた僕は、全くもってこの歌詞通りの心境でした。そして自惚れではないですけど、そんな思いが会場へと伝わったからこそ、2度目の大成功につながったのではとも思えてしまうのです。

 

ラブライブ!サンシャイン!!」は前作「ラブライブ!」と比べて「皆で一緒に、皆で進む」ということを強調してきた作品だと考えています。故にそのテーマに倣った「アンセム」を作るのが難しいユニットでもありました。もちろんテーマに近い楽曲はあります。例えば「君のこころは輝いてるかい?」や「step zero to one」はそうでしょう。しかし今日この日、最も「アンセム」に相応しい楽曲が誕生しました。それはもちろん「想いよひとつになれ」です。

様々なアイドルユニットやバンドが「アンセム」を作りたがり、それに失敗しているのは、「ユニットとファンとが一つになれるような成功体験を『人が作る』なんてのはおこがましいのだ」...ということが分かっていないからです。いつだって「アンセム」は「作る」のではなく「生まれる」のです。そしてそれは「神の采配」と呼べるような偶然から生まれるのです。

今日この日、Aqoursにとっての揺るぎない「アンセム」が誕生したこと、そしてその瞬間を体験し、共に分かち合えたことは大きな喜びとしてファンに語り継がれるはず。そしてそんな時間を自分も体験できたことが、果てしなく誇らしく、嬉しく思えるのでした。

 

 

TVアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」に関しての全体を通しての総括。「一つのヒカリを目指す物語」 

いよいよ明日はAqoursの1stライブ。

これまで「キャラクター編」「楽曲編」と作品を振り返ってきましたが、今回は集大成「物語編」と題して、全13話を総括していきたいと思います。

実の所前回「MIRAI TICKET」に関する考察記事でやりつくした感もありますが(笑)。

また、各考察を既に読んで頂いた方には、重複してしまう部分もあると思うのですが、そちらも何卒ご容赦を<(_ _)>

 

■「憧れ」から発する「願い」を「肯定する」第1部(1話~6話)

「サンシャイン」の物語は、1話~6話7話~9話そして10話~13話でそれぞれ切れる構成になっている。その構成はまるで「3部制」と呼んでも差し支えないくらいで、この辺は巧みだなと思わされる。前作「ラブライブ」では9人が揃うまでにそれなりに時間がかかり、その後「カセが立て続けに発生」し「ドラマが急展開する」印象があった。しかし「サンシャイン」では「前半でポツポツとカセを発生」させ、それを「中盤で回収」し「後半でメインテーマを示す」というしっかりしたドラマ立てになっていた。そういった意味では前作以上に「よくできたドラマ」になっている印象がある。

「ドラマを重視する」構成は「ラブライブ!」シリーズ特有のものでもあり、故に「キャラクターを重視してほしい」視聴者にはすこぶる評判が悪かったりもする。まま、この辺は良し悪しなんだが、結果的に「TVアニメ」をきっかけに本格的な「ラブライブ!ブーム」が訪れた事を考えれば、この方針は「成功だった」ということなんだろう。

少々脱線した。本題に戻ろう。

さて、3部制として分けるとすると、「第1部」はそれぞれの「憧れ」を「肯定」し、そこから生まれる「願い」を描く物語。Aqours結成の発端となった千歌が、「μ'sに憧れてスクールアイドルをスタート」し、いつか「μ'sのようにキラキラする」ことを「願う」ように。

2話の主役となった梨子は「スクールアイドルの音楽」を通して「音楽への憧れ」と「渇望」を取り戻す。

3話では「ファーストライブ」の「失敗と成功」を通して「自分自身のやりたい事」=「憧れ」への思いを再度「肯定」し、今一度「スクールアイドルを続けること」への「希望」を取り戻す物語が描かれた。

4話では「姉への遠慮」故に「スクールアイドル」への「憧れ」を封じ込めたルビィと、「親友の夢をかなえること」を目標としてしまい、自分自身が持っている「スクールアイドルへの憧れ」を封じようとした花丸、それぞれがそれぞれによって「救われ」「願い」を手にする姿が描かれる。

5話では「ヨハネ」という自らの「憧れを具現化した存在」を「普通になるため」に捨てようとした善子が、Aqoursメンバーによって「憧れ」を「肯定」されることで、自らも「ヨハネ」を「再肯定する」ことが出来るようになる...という物語。

というように繰り返し「憧れ」を「肯定」し、そこから生まれる「願い」の価値に関して描き続けたのが第1部といえる。 

 

■「敗れ」が「新たな願い」を生み、「敗者」を救う 中盤(7話~9話)

7話「TOKYO」8話「くやしくないの?」にて物語は大きく展開する。東京でのスクールアイドルイベントに招かれたAqoursはこの地で「惨敗」を喫する。これまで「憧れ」の力を糧に(いや、むしろそれだけを糧にしてきた...といっても良いだろう)突き進んできた彼女達は「憧れ」だけでは突破できない「壁」にぶち当たる

これまで唯一「心の糧」としてきた物に対して、容赦ない「現実」を突き付けられた彼女達は、次に進むべき方向性を見出せなくなる。

「憧れ」を糧に、その「憧れ」を肯定し、されることで集ったAqoursというチーム。「夢は願えば叶う」と本気で「信じる」から、そして「信じよう」と願うからこそ「集まれた」Aqours。しかしその思いは「得票0」=「敗北」という「現実」に「否定」されてしまう。「憧れ」を武器に戦うことを呼び掛けたからこそ、千歌はその「現実」に最も叩きのめされ、「新たな方向性」を示すことができない。

しかし「敗れる」ことは決して悪いことだけではない。麻雀マンガ「天」で天才雀士アカギはこんなことを言っている。

「思うようにいかねぇことばかりじゃねえか・・・ 生きるってことは・・・・!
不本意の連続・・・・・・・時には全く理不尽な・・・ ひどい仕打ちだってある・・・・・!
けどよ・・・・・ たぶん・・・・・・ それでいいんだな・・・・・
無念が「願い」を光らせる・・・・・・・・!
嫌いじゃなかった、何か「願い」を持つこと
そして・・・・・・・・同時に、今ある現実と合意すること・・・・!
不本意と仲良くすること・・・そんな生き方が好きだった・・・・
たぶん・・・愛していた・・・・無念を・・・・!」

叩きのめされ、方向性を失った千歌は初めて仲間の前で自らの「弱さ」を露呈する。泣きじゃくり「悔しさ」を主張する彼女の中には、「憧れ」からではない「願い」が生まれるそれは「0を1にすること」「敗北」という「無念」が新たな「願い」を生み、そしてそれが新たなAqoursの指針となっていく

それぞれの「憧れ」とそこから発せられる「願い」からスタートしたAqoursは、とはいえチームとしてのまとまりに欠けていた。それは共通の「願い」を共有できていなかったからかもしれない。しかし彼女達は同時に同じ「敗北」を経験することで、ついに共通の「願い」を手にすることができた。ここからどこか「儚く」「弱弱しかった」Aqoursが「強いチーム」へと成長していくのは決して偶然ではないように思う。

「新たな願い」が生んだ「強いAqoursは「強固な意志」として「迷える人」に「救いを与える存在」になっていく。その一組目は「3年生ズ」だ。お互いの思いが錯そうし、もはや解決困難なほどこんがらがった彼女達の関係を、千歌を中心としたAqoursは半ば力づくで振りほどき、解決に導く。問題が解決した「3年生ズ」。彼女達もまた「無念」と「願い」を抱えてきた存在であり、故に難なくAqoursへと加わることになる。こうしてAqoursはいよいよ自分たちのアイデンティティを手にし、もう一度大きな戦いへと歩みを進めていくことになる。

また「迷える人」に「救いを与える存在」とはまさしく「MIRAI TICKET」の中に登場する「ヒカリ」のことでもある。ここから終盤へむけて「テーマを置きに行く」ストーリーが始まる。

 

■そして彼女達は「ヒカリ」になる 終盤 (10話~13話)

10話「シャイ煮はじめました」11話「友情ヨーソロー」ではチームとなった「Aqours」の関係性構築と、それ故に今まで見落とされていた問題の修繕が行われた。これは作品を「チームもの」として成立させるための「ならし」としてだろう。特にこれまで見過ごされていた「千歌と曜」二人の関係にメスを入れながら、Aqoursに加入した理由が「千歌に誘われたから」以上のものを持たなかった曜にキチンとした役割を与えるに至った。曜が不遇だ...という意見を言っている人をたまに見かけるのだが、そんなことないぞ!めちゃめちゃ優遇されてるぞ!とは思う(余談)。

12話「はばたきのとき」ではいよいよ音乃木坂へとたどり着く。これまで梨子が「逃げ出した場所」であるが故に「全員で行く」ことが叶わなかった音乃木坂だが、11話において梨子の「カセ」を取り除くことで、遂に「全員で行く」ことが出来るようになる。そこでAqoursに与えられるものは「μ'sの意志を継ぐ」...というもの。同年代のスクールアイドルでライバルでもあるSaint snowの二人が辿りつけていない真理=「何故μ'sやA-RISEは勝つことができたのか」に対する解答を、Aqoursはいち早く手に入れることになる。そしてその解答がラスト曲「MIRAI TICKET」へも繋がっていく。

13話「サンシャイン!」で披露される楽曲「MIRAI TICKET」には「サンシャイン」の物語の全てが集約されている。「μ's」に憧れ「μ's」になりたいと願って始めたAqours。しかしもちろん「μ's」になることは出来ない。手探りの中での敗北。しかしその「敗北」から始めて「憧れ」とは違う「願い」を見出したAqours。それはまさしく自らの「心から溢れ出すもの」だった。「誰かに憧れる」のではなく「自ら輝こう」と提唱したμ'sの意志を正確に受け継いだAqoursは、その気づきを「MIRAI TICKET」に込めた。だからこそ「輝きは心から 溢れ出す」と総括できるのだ

また「憧れ」は目指すものではなく「抱きしめる」ものに変わった。Aqoursが目指すのは「μ's」ではなく「僕たちだけの新世界」になったからだ。はじめAqoursの一員としてライブにでることを望んだ456を始めとする浦の星女学院の学生。しかし彼女達は大会規約によってAqoursとしての出場はできない。しかしこれも「天の采配」だったのだ。なぜなら「誰かに憧れる」ことは「ゴールにはならない」からだ。

物語終盤、本来光が入らないはずの会場に一際輝く「ヒカリ」を見出した千歌はそちらに駆け寄る。そして「みんな、輝こう!」と叫ぶ。その掛け声につられるように走り出したむつは、千歌の言葉の真理に気付いたのだろう。彼女は自ら「輝きたい」という意志を持って走り始める。そしてそれにつられるように大勢の人々が駆け出す。

この表現に関して「会場に近寄るなと言われているのに近寄るとは何事か」と怒っている方もいたが、これはまぁなんだ、メタ表現なのだ。「ラブライブ!」という作品は「ミュージカル作品」故に「メタ表現」を多用するのだけど、これもその一環だ。本当に千歌たちに駆け寄っている...というわけではなく、心理的に「自らの意志で輝くために、大勢の人が走り始めた」ということなのだ。(全て現実に起こっているシーンだとしたら、ミュージカルからMIRAI TICKETへの早着替えもありえないし、最後会場の外に駆け出す千歌もあり得ないだろう)。

千歌たちが目指す「ヒカリ」は「ミライを照らす」存在。それはまさしくμ'sの意志を継ぐ仕事だ。

そしてラストシークエンス。

「私たちがゼロから作り上げたものってなんだろう」

「形の無いものを追いかけて」

「迷って 怖くて 泣いて」

「そんなゼロから逃げ出したいって」

「でも 何も無いはずなのに いつも心に灯る光」

「この9人でしかできないことが必ずあるって 信じさせてくれる光」

「私たちAqoursは そこから生まれたんだ」

「叶えてみせるよ 私たちの物語を」

「この輝きで」

「君のこころは 輝いてるかい?」

自らが「輝きを発すること」が大事なのだと知っているから、千歌は「君のこころは輝いてるかい?」と問いかける。それは我々も共に「ヒカリ」を目指そうではないか、という千歌の問いかけでもある。

君のこころは輝いてるかい?」という楽曲を持ってスタートした「Aqours」の物語が、そのタイトルを持って第1部完となる。これほど美しいエンディングがあるだろうか。そしてその文脈もきれいに回収されている。不満を持つ要素はほとんどないと思うのだが、どうでしょう。

...というわけでTVアニメの総括でした。13話考察よりもきれいに纏まった気はする。

 

さてこれでサンシャインの記事は一旦終了!!!(ライブ感想は書くかもしれませんが)

しばらく充電期間に入りつつ、このブログではほとんど触れていない「ラブライブ!(無印)」について書いていこうと思います。

1話ずつ考察するかは...未定ですが。。

まずはお読み頂きありがとうございました~!

ラブライブ! サンシャイン!! Blu-ray 7 (特装限定版)

ラブライブ!サンシャイン!!  振り返り企画【楽曲編】第7回「想いよひとつになれ/MIRAI TICKET」

「あこがれ抱きしめて次へ進むんだ!」

楽曲編はこれがラスト。万感の思いを込めて。

◆「想いよひとつになれ/MIRAI TICKET

TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』挿入歌シングル「想いよひとつになれ/MIRAI TICKET」


Aqours ラブライブ!サンシャイン!! 第11話挿入歌「想いよひとつになれ」CM (60秒ver.)


Aqours ラブライブ!サンシャイン!! 第13話挿入歌「MIRAI TICKET」CM (60秒ver.)

 

説明:

TVアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」挿入歌シングル第3弾。「想いよひとつになれ」は11話挿入歌。「MIRAI TICKET」は13話挿入歌として使用された。「想いよひとつになれ」は桜内梨子を除く8名、「MIRAI TICKET」は9名で歌唱。どちらも物語終盤を彩った。

 

解説:

◆「想いよひとつになれ

劇中では8人編成...という独特のフォーメーションで披露された。これでAqoursは6人編成に続いて「μ'sがやっていない」編成を見せたことになる。その事情は梨子が「ピアノコンクールへ出場することになった」から。本来千歌とセンターを組む予定だった梨子が不在となることで、梨子転入後起きていた変化が浮き彫りになり、その変化をいかにして受け入れていくか...という物語が第11話の物語となった。物語に関する考察は、これまた当ブログの考察記事を参考にしていただきたい。

ishidamashii.hatenablog.com

 「想いよひとつになれ」で印象的なのは、この楽曲がピアノソロに始まり、ピアノソロで終わる点。これはこの曲が本来「海に還るもの」というタイトルで作曲されていたことに関係している。転校直後の梨子は「音楽スランプ」に陥っており、特にコンクールに向けた作曲課題である「海に還るもの」を完成させることが出来ずにいた。その迷いの中で千歌と出会い、「スクールアイドル」に出会い、Aqoursの仲間と出会い、内浦という場所に溶け込むことで彼女は徐々にスランプを脱していく。そして遂に「海に還るもの」を完成させるに至る。スランプを脱し、楽曲が完成した以上本来の目的である「ピアノコンクール」に出場出来るようになった梨子。しかし「ピアノコンクール」は「ラブライブ地区予選」と日程がバッチリ被っていた。その中で自らを救ってくれたAqoursの為にあっさりと「ピアノコンクール出場」を見送る決意をした梨子。しかし千歌はその結論に納得が出来ず、梨子を再度説得する。千歌の意見は「一方のためにもう一方を捨てる...という結論を出さないでほしい」というもの。何故ならその結論が「後悔」に繋がることを千歌は知っている。それは同じような結論を出して失敗した果南と鞠莉の一件があったからこそ分かることだ。自分のことを自分以上に考えてくれる千歌の友情をひしひしと感じた梨子は「地区予選」を仲間に託し、自身の「カセ」となっていた「ピアノコンクール攻略」に向かう。ただし「同じ想い」を持って戦いに挑む以上奏でるのは同じ楽曲。梨子は「海に還るもの」というタイトルや、本来スローテンポだったものをアレンジし「想いよひとつになれ」という楽曲を作り上げる。

想いよひとつになれ」にはそんな物語や、物語内の哲学がはっきりと反映されている。「何かをつかむことで 何かをあきらめない」というパンチラインはまさしく千歌が梨子に語った思いそのもの。そして物語の中でAqoursのメンバーそれぞれが知ったことでもある。姉のことを気遣うあまりに「スクールアイドルへの夢」を諦めかけていたルビィも、親友のことを思ってばかりいて「自分の夢」を無意識に捨てそうになった花丸も、「普通になるため」に「本来の自分」を捨てようとした善子も、「友の将来」のために「自分の思いを振り切った」果南とダイヤも、全て「何かをつかむため」に「何かをあきらめようとした」ないしは「諦めてしまった」人たちだ。だからこそ今度は「何かをつかむために 何かをあきらめない」と高らかに宣言する。

楽曲としては序盤から中盤、そして終盤とピアノの演奏がどんどんドライブしていく感じがたまらない。歌っているのは「8人のAqours」ではあるのだけど、ところどころに「ピアノの伴奏」が入ることで常に梨子の存在を感じることができる。この感覚は「どこにいても 同じ明日を 信じてる」という歌詞そのものだ。

この楽曲に関して思うのは、もしかしたら再度出番があるのではないか?という点。娘のピアノへのスランプを克服するため、沼津へと引っ越してきた桜内家ではあるが、既に根本の問題が解決した。と、なれば梨子が「廃校直前の内浦の高校」に通い続ける必然性はなくなる。この楽曲の2番の歌詞には「違う場所へ 向かうとしても 信じてる」という歌詞がある。もちろんこれは東京でコンクールに向かう梨子に対するメッセージではあるが、もっと広義の意味で捉えると今後の物語にも関与しているのでは?と深読みできてしまう。もちろん憶測に過ぎないけれど、今後更に大きな役割を持つ楽曲になるのでは、と個人的には思っている楽曲の一つである。

ライブではどのように披露されるのだろう。今からワクワクが止まらないが、個人的には逢田さんが梨子のドレスを着て檀上に現れ、ピアノソロを開始→そこからイントロに突入し~という流れになったら泣く。感動で。

 

◆「MIRAI TICKET

13話ラスト、東海地区予選を勝ち抜くべくAqoursが用意した「決戦の歌」。そしてこれからのAqoursが目指すものを示した「決意の歌」でもある。彼女達は「この結論を手にするため」に13話の物語を駆け抜けた。故にアニメを考察する上では非常に重要な楽曲となる。

「君のこころは輝いてるかい」でも、「青空Jumping Heart」でも「分からない」と告げていた「目的=ゴール」。それがこの「MIRAI TICKET」では明確に示されている。彼女達が13話の物語を終え目指すと決めたのは「ヒカリになる」こと。そしてその目的は「ミライを照らす」ため。これらのテーマは「μ'sが後身に託した願い」とまんま合致する。

後身のスクールアイドルの「ミライを照らす」ために作られた楽曲がSUNNY DAY SONG。ここには「ポジティブに自分の可能性を信じれば」「自ら輝きを放つ存在になれる」というμ'sのメッセージが含まれている。12話においてμ'sの願いと思いを正しく受け継いだAqoursは、このメッセージを正確に把握出来ている。だからこそ「輝きはこころから 溢れ出す」と歌詞の中で結論づけているわけだ。

ラブライブ!サンシャイン!!」第12話においてμ'sは「学校に自分たちの痕跡を何も残さなかった」ことが語られる。それは後身に「自分たちを目指す」のではなく「それぞれのやり方」で「輝き」を放って欲しいと願っていたからだ。そういったμ'sの思想は実は様々な楽曲に反映されている。

例えば2期OPそれは僕たちの奇跡は、様々な意味をもった楽曲だ。一義的にはもちろん「自分たちが叶えた奇跡」の歌である。しかし歌詞の内容を読むとそこには「自分たち」に対する視線がそれほど含まれていないことに気付く。「さぁ 夢を 叶えるのは みんなの勇気 負けない心で 明日へ駆けて行こう」このサビ部分だけ抜き出しても、フォロワーに対する呼びかけになっている。そもそもタイトルの「奇跡」は「軌跡」とひっかけたダブルミーニングになっていて、これに倣ってタイトルを変更すると「それは僕たちの軌跡」となる。このように変えると急に突き放した印象になるが、これこそがこの楽曲がもつ本来の意図なのでは、とも思える。「これは僕たちの軌跡であって君たちの軌跡ではない。君たちは君たちだけの軌跡を描いてほしい」というμ'sの思想をこの歌詞から感じるのである。

あるいは僕たちはひとつの光に関してはどうか。劇場版のラストを飾る楽曲であり、メンバーの名前を入れ込んだ意欲的な詞のせいで楽曲の持つ本来のテーマがあやふやになりがちだが、このタイトルにも二つの意味が込められているように思う。一つはもちろん「メンバーが集まり一つの光になった」という意味。しかし一方では「僕たち」は「数多ある光の中の一つ」という捉え方も出来る。どうしても神格化されがちなμ'sではあるが、自分たちを「世の中に数多ある光の中の一つに過ぎない」とし、自らが「神格化されることを拒否しつつ」「皆も同じようにオンリーワンの光を目指してほしい」という表現にも思える。もちろん考えすぎかもしれないが、そう捉えれば、μ'sが「音乃木坂に自分たちの痕跡を残さなかった」理由にもしっかりと合致してくるのである。

ここまで考えると、とたんに「MIRAI TICKET」の歌詞も分解できるようになる。例えば「あこがれ抱きしめて 次へ進むんだ 僕たちだけの新世界が きっとある」の部分。「あこがれ」とは「μ'sへの憧れ」だろう。ただしそれは「目指す」ものではなく、「次に進む」ための「糧」となるもの。だからこそ彼女達は「あこがれを抱きしめる」わけだ。そして彼女達が目指すのは「μ's」ではなく「僕たちだけの新世界」になった。

「僕たちだけの新世界」を目指すのは「ヒカリになろう」とするため。そんなAqoursに「何がしたい?」と問いかけるのは「青い空」。「青い空」につきものなのは、「太陽」で、「太陽」といえばやはり「SUNNY DAY SONG」。ここから彼女達が「SUNNY DAY SONG」のメッセージを受けて「ヒカリ」を目指している...という構造が分かる。

Aqoursが目指すのは「ミライを照らせる」だけの「大きなヒカリ」。しかし今のAqoursではそのレベルの「ヒカリ」には達していない。とはいえ始めた時には「目標=未来」すらあやふやだったAqoursが、「自分たちがスクールアイドルをやる理由」をしっかりと見据えることが出来ただけでも大きな進展だ。そしてそんなAqoursの成長を描いたのが「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語だったのだ、とも総括できる。

彼女達が「やっと手にした」MIRAI TICKET」。しかし、それは「ヒカリになる」航海を始めるための交通手形に過ぎない。可能ならば彼女達の航海の様子をもう少し見てみたい。そして出来るなら「ヒカリ」になった瞬間を見ていたい。「今はもう 迷わない」と告げる「強いAqours」の活躍を楽しみにしつつ、この稿を終わりとしたい。

長々とおつきあい頂きありがとうございました!

さて、なんとか間に合いそうなので、次回で「ラブライブ!サンシャイン!!」一期の物語を総括しようかな?と思っています(今回割とやっちゃった気もするけどさ)。

それを終えたらいざ横浜アリーナへ!!

ラブライブ!サンシャイン!!  振り返り企画【楽曲編】第6回「夢で夜空を照らしたい/未熟DREAMER」

「歌ってみよういっしょにね!」

今回は思い入れたっぷりな2曲。

◆「夢で夜空を照らしたい/未熟DREAMER

TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』挿入歌シングル「夢で夜空を照らしたい/未熟DREAMER」


Aqours ラブライブ!サンシャイン!! 第6話挿入歌「夢で夜空を照らしたい」CM (60秒ver.)


Aqours ラブライブ!サンシャイン!! 第9話挿入歌「未熟DREAMER」CM (60秒ver.)

説明:

TVアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」挿入歌第2弾。「夢で夜空を照らしたい」は第6話、「未熟DREAMER」は第9話の挿入歌として、それぞれ重要な役割を果たした。「夢で夜空を照らしたい」は3年生を除く6名、「未熟DREAMER」は9名での歌唱。なお劇中はじめて9名で歌うのが「未熟DREAMER」である。

 

解説:

◆「夢で夜空を照らしたい

とても個人的なことを言わせてもらえば、この「6人編成」のAqoursが好きだ。2話から6話までの物語を通して集まったこの「6人のAqours」は、皆が皆胸に希望や夢を抱きながら、その思いを「どう表現すればいいのか」に悩み続けたキャラクター達だ。彼女達は似たような痛みや弱さを抱えていて、全体的にとてもナイーブな印象がある。μ'sには"穂乃果"という絶対的な推進力がいて、彼女が「μ'sの弱さ」を補てんしていた印象があるが、Aqoursには穂乃果がいない。故に発せられる「チームとしての儚さ」が「6人のAqours」にしかない「いじらしさ」を感じさせて、それが8話9話で描かれる「敗北」そして「復活」の物語から得る深い感動に繋がっている気がする。

少々脱線してしまったので楽曲の話に戻ろう。「夢で夜空を照らしたい」は第6話「PVを作ろう」の挿入歌として登場した。「PVを作ろう」がどんな物語だったか...は当Blog内第6話考察をご一読いただきたい。

ishidamashii.hatenablog.com

「6話におけるこの曲の意図」に関しては、上記記事に記載させていただいたので、今回は割愛する。では「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語の中においてどのような意味を持つ曲なのか...というところに触れてみよう。

 歌詞を見てみると、冒頭の「気持ちだけほかになにもない」をルビィが歌い、それを「違うんだよ こっちきて 心の眼でみたら」と花丸が受ける。これは第4話での二人の物語を思い起こさせる。また「波が映した 星の輝き 遠い憧れの色」「いつか叶うことを信じれば」を千歌と曜が歌い「明日への 道が多分」までを梨子が引き継ぎ、「分かるんだ」を3人で歌う。ここも第2話・3話のストーリーを思い出させる。このように「6話までの物語」が歌詞内に散りばめられているのが分かる。

また「扉」や「階段」というモチーフはどう捉えるべきか。「扉」から想像できるのは「ユメノトビラ」、「階段」は「神田明神に繋がる階段」と、どちらも「μ's」を想像させるモチーフではある。ただし「ユメノトビラ」は2話において「千歌がスクールアイドルを目指すきっかけとなった曲」としても登場した。また「階段」はAqoursの文脈においては「淡島神社」へと続く階段だ。同じ「モチーフ」でも「別の文脈」として登場するからこそ「夢のかたちは いろいろあるんだろう」と繋がっていくわけだ。

そしてこれらは「ラブライブ!サンシャイン!!」の物語の中では「夢に出会う」ための「モチーフ」として機能した。例えば「ユメノトビラ」は梨子が失っていた「音楽への衝動=夢」を取り戻すきっかけになり、「淡島神社」への「階段」を登りきる事は、ルビィが己の殻を破り「スクールアイドルへの夢」を叶えるきっかけになった。だからこそ「叶えたい夢に出会えて 良かったねって つぶやいたよ」と結ばれる仕組みになっているのだろう。

「ここから始めよう」と歌うこの曲の価値は、「東京」で敗れた後ほど良く分かる。この曲を通して「沼津」や「内浦」の魅力や、そこに住む人々のことを愛せるようになったからこそ、Aqoursは再び立ち上がることが出来た。そしてその事実に「6人のAqours」で気付けたことがとても大事だった。その気づきを通して、過去に挫折を経験した3年生3人と同じ視点を共有できるようになったからだ。Aqoursが6人から9人への完成形に至る上で最も重要な曲だとも言える。

 

未熟DREAMER

未熟DREAMERに関しては、あまりにも感動的な構成と歌詞に驚愕し、発売時に既に語りつくしてしまった感がある(笑)。重複する部分もあるかもしれないが、ここで再度書いておきたい。ライブ前の振り返りなのでご容赦を。

まず楽曲としてAqoursには珍しいミドルテンポの曲である。ただこのテンポが非常に心地よく胸に響き、なおかつ歌詞を耳にスっと沁み渡らせる効果をもたらしている。

肝心の歌詞だが、

「いつもそばにいても 伝えきれない思いで 心迷子になる ナミダ」までを果南が歌い、「忘れてしまおう 歌ってみよう」と千歌・曜が引き継ぎ、最後に3人で「一緒にね」と締める。

続いて「言葉だけじゃ足りない そう言葉すらたりない 故にすれ違って 離れて」までをダイヤが、続く「しまったことが かなしかったの」を花丸とルビィが引き継ぎ「ずっと気になってた」を3人で歌う。

さらに「分かってほしいと思う 気持ちが止まらなくて きっと傷つけたね それでも」までを鞠莉が、「あきらめきれない 自分のわがまま 今は」を梨子と善子が引き継ぎ「隠さないから」を3人で歌う。...とすべて同じ構成がAパートでは繰り返される。

これら3年生組がソロで歌う部分は、彼女達が1年生~今現在に至るまで「止めてしまっていた時間」を表現する部分であり、彼女達それぞれの「本音」でもある。そこに1年生・2年生のメンバーが言葉を継ぐことで、3年生組を「救っていく」構成になっている。これはアニメ内で描かれたストーリーともリンクしている。

そして「力を合わせて 夢の海を 泳いでいこうよ」を3年生3人で歌い、それを千歌が「今日の海を...!」と引き継ぐことでサビへと突入していく。かつて3年生3人が1年生の時に願った夢を、今度は9人で今一度走り出すことを宣言する。それを宣言するのが千歌であるのも非常に感動的だ。

2番へのブリッジでも「やっと一つになれそうな 僕たちだから」を3年生3人が歌い、「本音ぶつけあうことから 始めよう」を残りの6人が受ける...とことさら9話のストーリーを意識した構成がされているのもたまらない。

極めつけはラストサビに入る前の「3年生3人によるサビ歌唱」だ。アニメを見ていれば気付くのだが、このサビの歌詞(どんな未来かは~)は果南たちが1年生の段階で存在していたことが分かっている。ということは様々なすれ違いさえなければ、本来は彼女達3人が花火大会で披露していたかもしれない曲...ということになる。しかしながらその思いは果たされず、曲と歌詞だけが今は誰もいない「元スクールアイドル部部室」の「白板」にだけ消えずに残っていたわけで、それが今2年の時を経て動き始めたことを考えると、3年生のみでのサビ歌唱にはグッと胸に迫るものを抑えきれない。

すれ違いの結果失ってしまった2年。しかしそのすれ違いと和解を経て、もう一度「楽しくなるはずの未来」へ向かって航海を始めた3年生。そんな彼女達のアンセムとなるべき超名曲である「未熟DREAMER」は、「ラブライブ!サンシャイン!!」というドラマの中でもハイライトとなる楽曲だった。ライブでも恐らく特別な一曲として登場するはずで、今からどんな演出が行われるのか、楽しみでならない。

 

というわけで第6回でした。

次はいよいよ楽曲編最終回!

ラブライブ!サンシャイン!!  振り返り企画【楽曲編】第5回「ユメ語るよりユメ歌おう」

「進むときだよ、新しい場所へ!」

今回はEDテーマです。

TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』ED主題歌「ユメ語るよりユメ歌おう」


Aqours ラブライブ!サンシャイン!! ED主題歌「ユメ語るよりユメ歌おう」CM (60秒ver.)

説明:

TVアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」EDテーマ。歌唱はAqoursメンバー全員。テレビアニメでは「ラブライブ!」に倣う形で、その回の主役となったメンバーが歌唱するVerが流れた。其の為、例に漏れずサントラにはその全Verが収録されていて、サントラ終盤で延々と聞かされるハメになる。でも「ダイスキだったらダイジョウブ!」(無理やり)。C/Wは「サンシャインぴっかぴか音頭」という反応に困る曲(後述)。

 

解説:

ユメ語るよりユメ歌おう

TVアニメでは第2話からEDテーマとして使用。その後12話まで毎回使用された(13話はMIRAI TICKETがEDテーマ)。この曲に関しては、果たして本来の意図がどの程度まで伝わっているのか...といつも思う。そもそも「ユメ語るよりユメ歌おう」ってどういう意味だ?一応歌詞の中で説明はある。「ユメを語るコトバより ユメを語る歌にしよう それならば今を 伝えられる気がするから」と。しかし、これでは少しわかりづらい。元ネタは毎度おなじみ「劇場版ラブライブ」にあるように思う。「ユメを語るコトバより ユメを語る歌にしよう」とは「劇場版ラブライブ」のストーリーそのものだ。

活動が終わりを迎える中で、後輩たちに「何か」を残す必要を感じたμ's。そんなμ'sに「スクールアイドルみんなの曲」の制作を依頼したのはA-RISEのツバサだった。穂乃果はその願いを快諾する。彼女達「スクールアイドルの成功者」が残したいと願ったのは、「スクールアイドルの可能性」を伝える「歌」。彼女達がなぜ「歌」をチョイスしたのか...というのは愚問だろう。それはもちろん彼女達が「歌」によって「想いを伝える」「アイドル」だからに他ならない。「アイドル」という視点を除けば、「歌」は元来「言葉」をより「ダイレクト」にそして「幅広い人に届けるため」に発展してきた背景がある。だからこそ「歌」は「言葉」よりも普遍的なのだ。

μ'sとAーRISEが中心となり、全国のスクールアイドルから言葉を集めて制作されたのが「SUNNY DAY SONG」。その歌詞はまさしく「ユメを語る歌」そのものだった。そしてその中で語られる思想は「輝きになろうなんて言える今の気分」を「楽しむ」というもの。「今を楽しむ」という思想は「僕たちはひとつの光」においてより強調されるわけだが、「SUNNY DAY SONG」はその思想を後世に語り継ぐべき作成されたもの。だからこそ「SUNNY DAY SONG」に強い影響を受けているAqoursは「今を伝えられる気がするから」と語るわけだ。「ユメ語るよりユメ歌おう」歌詞内の「今」は、μ'sが強調した「今」と直接つながっている。

もう一つ、この曲が重要なのは、物語の内容にも深く関与しているところだ。例えば「ユメを語るコトバから ユメを語る歌が生まれるんだ ひろがるこの想いは 大好きなメロディーのつながりだよね もう逃げないで 進む時だよ 新しい場所へ」はこの曲がアニメ内で初登場した第2話のストーリーをはっきりと思い起こさせる。千歌によってユメへの渇望を取り戻した梨子。そのきっかけとなったのは千歌の「大好きなメロディー」である「ユメノトビラ」だった。「ユメノトビラ」を通じて「音楽への渇望」を梨子が取り戻すことで、Aqoursの物語が始まり、梨子も前へ進むことができるようになったわけで、歌詞の内容と物語が完全に一致している。

2番はTVでは聴くことが出来なかったが、こちらは3年生ズ(特に果南と鞠莉)の物語に深く関与している。「君が のぞむ ことを 僕も 願ってた 心は近づいている それが嬉しいね」という部分の歌詞は、「君が~」から「願ってた」までを果南と鞠莉の二人で歌唱している。願いや思いは一致していたのにすれ違ってしまった二人の物語そのものがこの部分に表現されている。続く「ミライのぞむ言葉から ミライ望む歌になるよ それこそが今の 飛び出したい胸の熱さ ミライ望む言葉から ミライ望む歌が溢れだしたら 止めないでよ 遠くへ 大好きなメロディと 旅に出るんだ ほら楽しくて どこまでも行こう 新しい季節(シーズン)」と言う部分も、9話「未熟DREAMER」のストーリーを思い出させる。「楽しくなるはず」の「ミライ」を再び描き出したからこそ、彼女達は「止まっていたシーズン」を動かすことが出来た。どこまでも「TVアニメ ラブライブ!サンシャイン!!」のために作られた楽曲としての徹底したデザインを感じる良曲だ。

ライブでは恐らく通常公演のラストに歌われるはず。ED曲を歌う際に感極まるキャスト...というのはμ'sではよくあったが、Aqoursは冷静に歌えるのだろうか(笑)。仮に彼女達が冷静に歌っても、こちらはめちゃめちゃ感動してエライことになりそうだが。。

 

・サンシャインぴっかぴか音頭

最初に字面で見たときは「お、お、音頭??」とたまげたが、確かに古来より「アニメに音頭」はつきものだった。子供縁日では未だに「ドラえもん音頭」は定番だろうし、アニメ声と音頭というのは異様な相性の良さがあったりするのだ。

音頭というのはそれこそ「普遍的な歌」であり、ものによってはめちゃめちゃカッコいいやつもある。それの特集もラジオでやったりしたし。


宇多丸のタマフル 2014年08月23日 サタデーナイトラボ「音頭ディスコNIGHT特集」ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル TBSラジオ

ちなみに角松敏生の「あいらびゅ音頭」はめちゃくちゃかっこいい。

....脱線しすぎた。というわけで「音頭」と思ってなめてかかると、とても良曲。各メンバーのソロパートもあり、それぞれが思う「音頭っぽい」歌い方を追求している様も比較すると面白い。

ライブでは使い道があるのかしら?季節的にも恐らく出番はなさそう(笑)。今後夏のライブに期待しよう。

 

 

楽曲編も残り二つ。なんとかライブ本番に間に合う!?